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⚫ | '''中央ユーラシア'''(ちゅうおうユーラシア)とは、[[ユーラシア#ユーラシア大陸|ユーラシア大陸]]の中央部分に広がる[[ウラル語族|ウラル]]・[[アルタイ諸語|アルタイ系の諸言語]]を用いる諸民族が居住する地域を広く指す、地理的というよりは文化的な地域概念である{{Sfn|小松|2000|p=3}}。[[1960年代]]に[[ハンガリー]]出身の学者{{仮リンク|デニス・サイナー|en|Denis Sinor}}{{Efn2|ハンガリー系のアルタイ学者。1940年代に創案し{{Sfn|宇山|2004|p=1}}{{Sfn|杉山|2020|p=1}}、1963年フランス語で''Introduction à l'étude de l'Eurasie centrale''({{NCID|BA28613495}})(中央ユーラシア学入門)を出版した{{Sfn|宇山|2004|p=1}}。}}が用い始めて以来、ウラル・アルタイ系の民族の歴史や文化を研究対象とするアルタイ学にとって便利な地域概念として、次第に広く用いられるようになった{{Sfn|小松|2000|p=3}}。 |
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{{See also|中央アジア}} |
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これらの地域の特徴は歴史上、[[ツングース]]、[[モンゴル]]、[[テュルク]]、[[フィン・ウゴル]]などのウラル・アルタイ系の諸言語を話す人々が歴史的に重要な役割を果たしてきたことである。古くは遊牧民、新しくは定住民としてウラル・アルタイ系の人々に様々な文化的影響を与えた[[ペルシア人|イラン系]]の人々もこの地域の重要な構成員である。また、彼らは[[ロシア人]]や[[漢民族]]などの周辺の大民族と密接に関わってきた。 |
これらの地域の特徴は歴史上、[[ツングース]]、[[モンゴル]]、[[テュルク]]、[[フィン・ウゴル]]などの[[ウラル・アルタイ語族|ウラル・アルタイ系の諸言語]]を話す人々が歴史的に重要な役割を果たしてきたことである。古くは遊牧民、新しくは定住民としてウラル・アルタイ系の人々に様々な文化的影響を与えた[[ペルシア人|イラン系]]の人々もこの地域の重要な構成員である。また、彼らは[[ロシア人]]や[[漢民族]]などの周辺の大民族と密接に関わってきた。 |
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国でいえば、旧[[ソビエト連邦]]から[[バルト海]]沿岸と北西ロシアを除いたものに、[[モンゴル国]]の全域と[[中華人民共和国]]の北部および西部を加え、[[アフガニスタン]]の北部まで視野に入れたものにほぼ一致する。 |
国でいえば、旧[[ソビエト連邦]]から[[バルト海]]沿岸と北西ロシアを除いたものに、[[モンゴル国]]の全域と[[中華人民共和国]]の北部および西部を加え、[[アフガニスタン]]の北部まで視野に入れたものにほぼ一致する。 |
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== 地理と歴史 == |
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北はシベリアからマンチュリアまで広がる森林地帯であり、南北の中間には、[[モンゴル高原]]、[[キプチャク草原]]というふたつの広大な遊牧適地が広がる。 |
北はシベリアからマンチュリアまで広がる森林地帯であり、南北の中間には、[[モンゴル高原]]、[[キプチャク草原]]というふたつの広大な遊牧適地が広がる。 |
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しかし、[[近世]]に入ると技術革新と海洋貿易の振興は、中央ユーラシアの繁栄を支えた遊牧民の軍事力と交易の利潤を相対的に時代遅れなものとした。その結果、[[19世紀]]までに中央ユーラシアのほぼ全域は[[清]]と[[ロシア帝国]]によって分割され、中央ユーラシアは次第に中国やロシアの周縁と化していくことになる。 |
しかし、[[近世]]に入ると技術革新と海洋貿易の振興は、中央ユーラシアの繁栄を支えた遊牧民の軍事力と交易の利潤を相対的に時代遅れなものとした。その結果、[[19世紀]]までに中央ユーラシアのほぼ全域は[[清]]と[[ロシア帝国]]によって分割され、中央ユーラシアは次第に中国やロシアの周縁と化していくことになる。 |
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* [[ウラル語族]] |
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** [[フィン・ウゴル語派]] |
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** [[サモエード語派]] |
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* [[アルタイ諸語]] |
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** [[チュルク語族]] |
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** [[モンゴル語族]] |
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** [[ツングース語族]] |
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* [[インド・ヨーロッパ語族]] |
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** [[イラン語派]] |
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** [[スラヴ語派]] |
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* [[古アジア諸語]] |
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** [[ユカギール語族]] |
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** [[エニセイ語族]] |
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** [[チュクチ・カムチャツカ語族]] |
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** [[ニブフ語]] |
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== 脚注 == |
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=== 注釈 === |
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=== 出典 === |
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== 参考・関連文献 == |
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*{{Cite book|和書|title=中央ユーラシア史 |author=[[小松久男]] 編 |series=新版 世界各国史 4 |date=2000 |publisher=[[山川出版社]] |isbn=978-4634413405 |NCID=BA48941307 |ref={{harvid|小松|2000}}}} |
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*{{Cite web|和書|author=宇山智彦|authorlink=宇山智彦|url=https://src-h.slav.hokudai.ac.jp/coe21/pdf01/uyama040517.pdf |title=中央ユーラシア研究からの展望−地域概念・帝国論・グローバル化論 (PDF 277KB) |publisher=[[北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター|北海道大学スラブ研究センター]] |date=2004 |ref={{harvid|宇山|2004}} |accessdate=2023-04-15}} |
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*{{Cite book|和書|title=中央ユーラシアを知る事典 |editor=[[小松久男]]ほか4名 |date=2005 |publisher=[[平凡社]] |isbn=978-4582126365 |NCID=BA71544410 |ref=harv}} |
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*{{Cite web|和書|author=杉山清彦|authorlink=杉山清彦|url=http://webpark2055.sakura.ne.jp/seminars/resumefor12thseminar200920.pdf |title=⽇本のユーラシア史研究−内陸アジア・北アジア・満洲 (PDF 2.1MB) |publisher=[http://webpark2055.sakura.ne.jp/ トヨタ財団 イニシアティブプログラム 第12回公開研究会 資料] |date=2020 |ref={{harvid|杉山|2020|p=1}} |accessdate=2023-04-15}} |
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[[en:Central Eurasia]] |
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[[id:Eurasia Tengah]] |
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2024年11月24日 (日) 12:45時点における最新版
中央ユーラシア(ちゅうおうユーラシア)とは、ユーラシア大陸の中央部分に広がるウラル・アルタイ系の諸言語を用いる諸民族が居住する地域を広く指す、地理的というよりは文化的な地域概念である[1]。1960年代にハンガリー出身の学者デニス・サイナー[注 1]が用い始めて以来、ウラル・アルタイ系の民族の歴史や文化を研究対象とするアルタイ学にとって便利な地域概念として、次第に広く用いられるようになった[1]。
これらの地域の特徴は歴史上、ツングース、モンゴル、テュルク、フィン・ウゴルなどのウラル・アルタイ系の諸言語を話す人々が歴史的に重要な役割を果たしてきたことである。古くは遊牧民、新しくは定住民としてウラル・アルタイ系の人々に様々な文化的影響を与えたイラン系の人々もこの地域の重要な構成員である。また、彼らはロシア人や漢民族などの周辺の大民族と密接に関わってきた。
範囲
[編集]文化的な概念ゆえに歴史の展開によって中央ユーラシアとして言及される範囲は柔軟に伸縮する。そのおおよその範囲は、東は東北アジアの極東ロシア、マンチュリア(満洲)から西は東ヨーロッパのカルパティア山脈まで、北はシベリア・北氷洋まで広がり、南は黄河、クンルン山脈、パミール高原、ヒンドゥークシュ山脈、イラン高原、カフカス山脈で区切られた広大な地域を指し、時にはチベット、イラン、南カフカス、トルコなども含められる。
国でいえば、旧ソビエト連邦からバルト海沿岸と北西ロシアを除いたものに、モンゴル国の全域と中華人民共和国の北部および西部を加え、アフガニスタンの北部まで視野に入れたものにほぼ一致する。
類似する地理的な地域概念として中央アジアがあるが、中央アジアもまた歴史的・政治的な状況によってさまざまに伸縮する。また、中央アジアには北東アジアや東ヨーロッパ方面のキプチャク草原西部が含まれることはない。
地理と歴史
[編集]地理的には、南は数々の山脈と高地で区切られているためアジアを潤すモンスーンの恩恵を受けることができず、オルドス、タリム盆地、マー・ワラー・アンナフル、ホラズム、ホラーサーンなど乾燥地帯が連なる。
北はシベリアからマンチュリアまで広がる森林地帯であり、南北の中間には、モンゴル高原、キプチャク草原というふたつの広大な遊牧適地が広がる。
歴史的には、乾燥地帯の住民は、山脈や高原の根雪が解け出した川を利用して灌漑施設を設け、オアシス農業を行って豊かな定住文化を育んできた。また、地理的な環境を生かして中国と西アジア、ヨーロッパをつなぐ東西交易に従事して栄えた。その北の草原地帯に広がる遊牧民たちは卓越した軍事力によってオアシスを支配し、東西交易の利潤を得て巨大な遊牧国家を築き上げた。
しかし、近世に入ると技術革新と海洋貿易の振興は、中央ユーラシアの繁栄を支えた遊牧民の軍事力と交易の利潤を相対的に時代遅れなものとした。その結果、19世紀までに中央ユーラシアのほぼ全域は清とロシア帝国によって分割され、中央ユーラシアは次第に中国やロシアの周縁と化していくことになる。
分布言語
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考・関連文献
[編集]- 小松久男 編『中央ユーラシア史』山川出版社〈新版 世界各国史 4〉、2000年。ISBN 978-4634413405。 NCID BA48941307。
- 宇山智彦 (2004年). “中央ユーラシア研究からの展望−地域概念・帝国論・グローバル化論 (PDF 277KB)”. 北海道大学スラブ研究センター. 2023年4月15日閲覧。
- 小松久男ほか4名 編『中央ユーラシアを知る事典』平凡社、2005年。ISBN 978-4582126365。 NCID BA71544410。
- 杉山清彦 (2020年). “⽇本のユーラシア史研究−内陸アジア・北アジア・満洲 (PDF 2.1MB)”. トヨタ財団 イニシアティブプログラム 第12回公開研究会 資料. 2023年4月15日閲覧。