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『'''サニーサイド'''』 (Sunnyside)は、[[1919年]]公開の短編[[サイレント映画]]。 脚本、監督、主演は[[チャーリー・チャップリン]]。彼のファースト・ナショナル社([[:en:First National|First National Films]])おけ3目の映画。ストーリー的にはエッサネイ時代の「[[チャップリンの失恋|失恋]]」「[[チャップリンの掃除番|掃除番]]」ミューチュアル時代[[チャップリンの放浪者|放浪者]]」延長線上にある。別邦題サンニーサイド
『'''サニーサイド'''』(''Sunnyside'')は、[[1919年]]公開の短編[[サイレント映画]]。[[ファースト・ナショナル・ピクチャーズ]]に主演・脚本・製作および監督は[[チャールズ・チャップリン]]チャップリンの映画出演67作目にあたる{{efn2|1914年製作2010年発見[[泥棒を捕まえる人]]』を含む。1971年に映画研究家ウノ・アスプランドが制定したチャップリンのフィルモグラフィー整理システムでは66作目{{sfn|大野|2007|p=252}}。}}。別邦題サンニーサイド』{{sfn|ロビンソン|1993a|pp=309,312}}


チャップリンのフィルモグラフィでは、次作の『[[一日の行楽]]』とともにスランプ期における低調な作品とみなされているが{{sfn|大野|2007|p=222}}、その背景の一つには、チャップリンのプライヴェートでの出来事が絡んでいた。
==あらすじ==
チャップリンの役は、ある村のホテルの雑用係。彼は、[[エドナ・パーヴァイアンス]]の演じる村の娘に恋をしている。ある日、町から若い美男子がやって来て、娘に好意を持ってしまう。チャップリンは娘の愛を勝ち取ろうとするが…。


==評価==
== あらすじ ==
チャーリーは、ある農村のホテルの雑用係。村の娘([[エドナ・パーヴァイアンス]])に恋をしているチャーリーは、娘の気を引こうと大張り切りするも、牛に弄ばれるなどなかなかうまくいかない。ある日、町から若い美男子(トム・テリス)がやって来て、娘に好意を持ってしまう。チャーリーは娘の愛を勝ち取ろうと奮闘するが…<ref>{{Cite web |url=http://chaplin.bfi.org.uk/resources/bfi/filmog/film.php?fid=59459 |title=66. Sunnyside (1919) |work=BFI Homepage - Chaplin Home |publisher=英国映画協会 |accessdate=2022-10-13 |language=en-GB}}</ref>。
「サニーサイド」はチャップリンがスランプにより、創造性が低下していた頃に製作された。<ref>デイヴィッド・ロビンソン著、宮本高晴・高田恵子訳『チャップリン』(上) 文藝春秋刊 1993年4月発行 ISBN 978-4163474304 (309~313頁) </ref> 公開当時、[[マスメディア|マスコミ]]からの評価もやや冷淡であった。しかし、牧歌的ムードにあふれた本作品は、[[リリアン・ギッシュ]]や[[メアリー・ピックフォード]]が得意とした純情恋愛ものの趣を呈しており、川のほとりで[[ニュンペー|ニンフ]]と戯れるシーンなどは、[[ヴァーツラフ・ニジンスキー|ニジンスキー]]が踊った「[[半獣神の午後|牧神の午後]]」への[[オマージュ]]といわれている。


==キャスト==
== キャスト ==
出典:<ref>{{Citation|title=Sunnyside (1919) - IMDb|url=http://www.imdb.com/title/tt0010747/fullcredits|access-date=2024-05-22}}</ref>
* ホテルの雑用係:[[チャーリー・チャップリン]]
* チャールズ・チャップリン - ホテルの雑用係
* 村一番の美人:[[エドナ・パーヴァイアンス]]
* エドナ・パーヴァイアンス - 村一番の美人
* 親方:[[トム・ウィルソン]]
* [[トム・ウィルソン (俳優)|トム・ウィルソン]] - ホテルの主人
* 都会からきた若者:[[トム・テリス]]
* {{仮リンク|トム・テリス|en|Tom Terriss}} - 都会からきた若者
* 村人・エドナの父 (二役):[[ヘンリー・バーグマン]]
* 村の医者:[[アルバスチン]]
* [[ヘンリー・グマン]] - 村人・エドナの父(二役)
* [[アルバート・オースチン]] - 村の医者
* 太った少年の父:[[ロイヤル・アンダーウッド]]
* 太った少年:[[トム・ウッド]]
* [[ロイヤルアンダーウッド]] - 太った少年の父
* トム・ウッド{{efn2|トム・ウッド(Tom Wood、1894年 - 1932年)のこと<ref>{{IMDb name|0940051|Tom Wood}}. {{accessdate|2023-10-20}}</ref>。1963年生まれの同名の俳優である[[トム・ウッド]](Tom Wood / [[:en:Thomas Mills Wood|Thomas Mills Wood]])とは異なる人物。}} - 太った少年
* {{仮リンク|ジェームス・パークス・ジョーンズ|en|Parks Jones}} - 太った男
* {{仮リンク|オリーブ・アン・アルコーン|en|Olive Ann Alcorn}} - [[ニュンペー|ニンフ]]
* [[オリーブ・バートン]] - ニンフ
* [[ウィリー・ミー・カーソン]] - ニンフ
* [[ヘレン・コーン]] - ニンフ


== 作品の概要 ==
==脚注==
=== 背景 ===
<references/>
前作『[[担へ銃]]』の製作中、チャップリンは一つの噂話に悩まされることとなった。1918年6月ごろ、子役上がりで当時17歳の女優[[ミルドレッド・ハリス]]との婚約の噂が流れるようになり{{sfn|ロビンソン|1993a|p=307}}、『担へ銃』完成のころになると、ミルドレッドの母親が「ミルドレッドが妊娠した」とチャップリンに告げ、これによりチャップリンは進退窮まるようになった{{sfn|ロビンソン|1993a|p=308}}。いわゆる「[[できちゃった結婚]]」のスキャンダルが流れて人気がガタ落ちすることを恐れたチャップリンは、側近に命じて大急ぎで結婚の手筈をととのえさせて、『担へ銃』封切の3日後にあたる1918年10月23日に、「なんの喜びもないままに」ミルドレッドと結婚することとなった{{sfn|ロビンソン|1993a|pp=308,439}}。


このころのチャップリンの信念には「結婚は創造力を弱める」というものがあり{{sfn|ロビンソン|1993a|p=309}}、ミルドレッドと結婚した以上は結婚生活を何とかうまくやって行こうという意志こそあったものの{{sfn|チャップリン|1966|p=262}}、ミルドレッドの妊娠話が、実は完全な狂言であったことが発覚したことは、ミルドレッド自身が「チャップリンの妻」という肩書を得て一時的にせよ業界でもてはやされたのとは対照的に、チャップリンに少なからぬ打撃を与える結果となった{{sfn|ロビンソン|1993a|p=309}}{{sfn|チャップリン|1966|p=263}}。こういう、チャップリンにとっては「泣きっ面に蜂」的な状況の中で次回作の製作の準備は進められることとなるが、舞台を田舎に設定して、それが終始一貫していたこと以外、チャップリンが次回作に当初どのような腹案を持っていたかについては、ただでさえチャップリンが秘密主義者であったことも加味しても、他の作品以上にはっきりしたことはわかっていない{{sfn|ロビンソン|1993a|pp=288,309}}。
== 外部リンク ==
* [http://www.ivc-tokyo.co.jp/yodogawa/title/yodo0022.html IVC 淀川長治 解説ページ]
* {{Movielink|imdb|0010747 ||Sunnyside}}


=== 製作 ===
『何でも屋ジャック』と仮の名前を付けられた作品は、当初の予定よりも5週間遅れて1918年11月4日に始まったが、ミルドレッドとの結婚生活騒動が尾を引いていたのか、撮影の開始は中身を煮詰めないまま行われた{{sfn|ロビンソン|1993a|p=310}}。撮影そのものも、共演者とのストーリーの練り合わせなど多種多様な口実を作っては何度も中断しており、チャップリン自身も{{仮リンク|チャップリン・スタジオ|en|Charlie Chaplin Studios|label=スタジオ}}からしばしば姿を消す有様であった{{sfn|ロビンソン|1993a|p=310}}。1919年1月19日から29日まではスタジオそのものも閉鎖され、1月29日にスタジオに戻ってきたチャップリンは、これまで撮影した2万フィートを超すフィルムを全部破棄して『成就』と題する別の作品の製作を宣言する{{sfn|ロビンソン|1993a|p=310}}。そのような一種の気分転換を図っても何も変わらず、『成就』の製作はなかったことにして『何でも屋ジャック』を『サニーサイド』に改題した上で作品の製作をつづけることとなった{{sfn|ロビンソン|1993a|pp=310-311}}。


かくして『サニーサイド』の製作は再開されたが、チャップリンは依然としてスランプを脱する気配はなかった。当時の撮影日誌には、3月8日まで「撮影せず」だとか「編集」、「気分すぐれず」などといった記述の羅列に終始していた{{sfn|ロビンソン|1993a|p=312}}。しかし、3月中旬にいたってチャップリンは突然撮影に張り切るようになり、以降3週間ばかりの間は撮影に没頭した末に、4月15日にクランクアップを迎えることができた{{sfn|ロビンソン|1993a|pp=312-313}}。
{{DEFAULTSORT:さにいさいと}}
{{チャールズ・チャップリン}}


== 評価 ==
[[File:Sunnyside (1919) - 2.jpg|thumb|right|妖精とともにバレエを舞うチャーリー]]
<!--ストーリー的には{{仮リンク|エッサネイ・スタジオ|en|Essanay Studios|label=エッサネイ}}時代の『[[チャップリンの失恋]]』および『[[チャップリンの掃除番]]』、{{仮リンク|ミューチュアル・フィルム|en|Mutual Film|label=ミューチュアル}}時代の『[[チャップリンの放浪者]]』の延長線上にあるともみなせるが、-->{{独自研究範囲|『サニーサイド』は、総合的に見るとスランプの影響をまともに感じる作品|date=2024年5月}}であり、これは当のチャップリンが『自伝』において「虫歯を抜くような苦労」と表現するほどであった{{sfn|チャップリン|1966|p=263}}。完成から2か月後の6月15日に『サニーサイド』は封切られたものの、[[マスメディア|マスコミ]]からの評価もやはり冷淡であり、チャップリン自身の評価とマスコミのそれが珍しく一致している例の一つとなった{{sfn|ロビンソン|1993a|p=312}}。チャップリンはまた、「アイデアの泉は、完全に涸れてしまった」とお手上げ状態であったことも認めている{{sfn|チャップリン|1966|p=263}}。

しかし、チャップリン本人ですら失敗を認めている『サニーサイド』について、チャップリンの伝記を著した映画史家の{{仮リンク|デイヴィッド・ロビンソン (映画史家)|en|David Robinson (film critic)|label=デイヴィッド・ロビンソン}}は、作品そのものについては「構成が緊密でもなければ人物の行動にもメリハリがない」と論じている一方で、牧歌的ムードにあふれている点を「実験」と位置付けたうえで、「いつものチャップリンらしさとは違う興味深い点をいくつも見出すことができる」として一定の擁護をしている{{sfn|ロビンソン|1993a|p=312}}。また、この映画のハイライトでもある乾上った川のほとりで4人の[[ニュンペー|ニンフ]]と戯れるシーンなどは、[[ヴァーツラフ・ニジンスキー]]が踊った革新的な[[バレエ]]『[[牧神の午後 (バレエ)|牧神の午後]]』への[[オマージュ]]ともいわれている<ref>{{Cite web |title=サニーサイド |url=http://www.ivc-tokyo.co.jp/yodogawa/titles/yodo0022.html |website=サニーサイド |publisher=IVC |access-date=2023-04-21}}</ref>が、そのニジンスキー本人は当時、[[神経衰弱 (精神疾患)|神経衰弱]]に陥ってダンサーとしてのキャリアはすでに終えようとしていた時期であった。しかし[[1916年]]12月、[[バレエ・リュス]]の北米ツアー中に『[[チャップリンの勇敢|勇敢]]』を撮影中のチャップリン・スタジオを仲間と訪問しており、チャップリンもまたニジンスキーとその一座が出演する劇場に足を運んで、歓待したニジンスキーが幕間にチャップリンと話に夢中になりすぎたがゆえに、観客に待ちぼうけを喰らわせるという一幕もあった{{sfn|ロビンソン|1993a|p=313}}。それでも、ラストシーンに関する論評はロビンソンを含めて解釈が分かれている{{sfn|ロビンソン|1993a|p=313}}。エドナを恋敵に取られたチャーリーが走ってくる自動車の前に身を投げ出すところが夢なのか、はたまたハッピーエンドの部分が夢なのか、その見解は一致していない{{sfn|ロビンソン|1993a|p=313}}。

== NGフィルム ==
『サニーサイド』はあらすじにあるように農村のホテルを舞台とした喜劇であるが、撮影したフィルムの中には[[床屋]]のシークェンスが含まれている。当該シークェンスにはチャーリーとエドナ、それに床屋の客([[アルバート・オースチン]])が登場。オースチン演じる客は、耳元で動き回るネズミに驚いたり、ひげを剃るために顔全体にクリームを塗られたあとで、買い物から帰ってきたエドナとチャーリーの雑談に待ちぼうけを喰らわされて怒ったりする。ようやくひげ剃りの段階になっても、剃刀を持つチャーリーの動きはぎこちがなく、客はひげを剃ってもらえない。しかし、この床屋のシークェンスは完成版には取り入れられることはなかった{{sfn|大野|2007|p=223}}。([[#外部リンク]]、『''Unknown Chaplin''』中の『Episode 3 (Hidden Treasures)』に[[アウトテイク]]が収録されている)

床屋のギャグは、チャップリンの芸の原点とも言うべき[[ミュージックホール]]における定番ギャグの一つであり、『サニーサイド』では日の目を見ることはなかったものの、後年の『[[独裁者 (映画)|独裁者]]』(1940年)で床屋のギャグが、『[[ニューヨークの王様]]』(1957年)で顔にクリームが塗りたくられた男が、それぞれ姿かたちを少し変えつつも登場している{{sfn|大野|2007|pp=223-224}}。

== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist2}}
=== 出典 ===
{{Reflist|20em}}

== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|author=チャールズ・チャップリン |authorlink=チャールズ・チャップリン|others=[[中野好夫]] 訳 |year=1966 |month=11 |title=チャップリン自伝 |publisher=[[新潮社]] |isbn=978-4-1050-5001-6 |ref={{sfnref|チャップリン|1966}} }}
* {{Cite book|和書|author=デイヴィッド・ロビンソン |authorlink=:en:David Robinson (film critic) |others=[[宮本高晴]]、[[高田惠子|高田恵子]] 訳|year=1993 |month=4 |title=チャップリン |volume=上 |publisher=[[文藝春秋]] |isbn=978-4-1634-7430-4 |ref={{sfnref|ロビンソン|1993a}} }}
* {{Cite book|和書|author=デイヴィッド・ロビンソン |others=宮本高晴、高田恵子 訳 |year=1993 |month=4 |title=チャップリン |volume=下 |publisher=文藝春秋 |isbn=978-4-1634-7440-3 |ref={{sfnref|ロビンソン|1993b}} }}
* {{Cite book|和書|author=大野裕之 |authorlink=大野裕之 |year=2005 |month=4 |title=チャップリン再入門 |publisher=[[日本放送出版協会]]|series=生活人新書 |isbn=978-4-1408-8141-5 |ref={{sfnref|大野|2005}} }}
* {{Cite book|和書|author=大野裕之 |year=2007 |month=3 |title=チャップリン・未公開NGフィルムの全貌 |publisher=日本放送出版協会 |isbn=978-4-1408-1183-2 |ref={{sfnref|大野|2007}} }}

== 外部リンク ==
{{commons category}}
* [https://www.charliechaplin.com/en/films/15-Sunnyside/articles/280-Filming-Sunnyside Sunnyside] - Chaplin's Official Site{{en icon}}
* {{Allcinema title|8869|サニーサイド}}
* {{Kinejun title|80886|サニーサイド}}
* {{IMDb title|0010747|Sunnyside}}
* {{YouTube|2_FA6sfOTtI|Sunnyside}} - BGM有り
* [[iarchive:Sunnyside|Charlie Chaplin's "Sunnyside" (1919)]] - [[インターネットアーカイブ]](BGM無し)
* [[iarchive:unknown-chaplin-episode-2-the-great-director/Unknown+Chaplin+-+Episode+1+(My+Happiest+Years).mp4|Unknown Chaplin]] - インターネットアーカイブ

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[[Category:チャーリー・チャップリンの監督映画]]

2024年12月20日 (金) 10:18時点における最新版

サニーサイド
Sunnyside
監督 チャールズ・チャップリン
脚本 チャールズ・チャップリン
製作 チャールズ・チャップリン
出演者 チャールズ・チャップリン
エドナ・パーヴァイアンス
トム・ウィルソン
ヘンリー・バーグマン
トム・テリス
ロイヤル・アンダーウッド
音楽 チャールズ・チャップリン
(再公開時)
撮影 ローランド・トザロー
ジャック・ウィルソン
配給 ファースト・ナショナル
公開 アメリカ合衆国の旗 1919年6月15日
大日本帝国の旗 1920年4月8日[1]
上映時間 30分
製作国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
言語 サイレント映画
英語字幕
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サニーサイド』(Sunnyside)は、1919年公開の短編サイレント映画ファースト・ナショナル・ピクチャーズによる製作で、主演・脚本・製作および監督はチャールズ・チャップリン。チャップリンの映画出演67作目にあたる[注 1]。別邦題『サンニー・サイド』[3]

チャップリンのフィルモグラフィでは、次作の『一日の行楽』とともにスランプ期における低調な作品とみなされているが[4]、その背景の一つには、チャップリンのプライヴェートでの出来事が絡んでいた。

あらすじ

[編集]

チャーリーは、ある農村のホテルの雑用係。村の娘(エドナ・パーヴァイアンス)に恋をしているチャーリーは、娘の気を引こうと大張り切りするも、牛に弄ばれるなどなかなかうまくいかない。ある日、町から若い美男子(トム・テリス)がやって来て、娘に好意を持ってしまう。チャーリーは娘の愛を勝ち取ろうと奮闘するが…[5]

キャスト

[編集]

出典:[6]

作品の概要

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背景

[編集]

前作『担へ銃』の製作中、チャップリンは一つの噂話に悩まされることとなった。1918年6月ごろ、子役上がりで当時17歳の女優ミルドレッド・ハリスとの婚約の噂が流れるようになり[8]、『担へ銃』完成のころになると、ミルドレッドの母親が「ミルドレッドが妊娠した」とチャップリンに告げ、これによりチャップリンは進退窮まるようになった[9]。いわゆる「できちゃった結婚」のスキャンダルが流れて人気がガタ落ちすることを恐れたチャップリンは、側近に命じて大急ぎで結婚の手筈をととのえさせて、『担へ銃』封切の3日後にあたる1918年10月23日に、「なんの喜びもないままに」ミルドレッドと結婚することとなった[10]

このころのチャップリンの信念には「結婚は創造力を弱める」というものがあり[11]、ミルドレッドと結婚した以上は結婚生活を何とかうまくやって行こうという意志こそあったものの[12]、ミルドレッドの妊娠話が、実は完全な狂言であったことが発覚したことは、ミルドレッド自身が「チャップリンの妻」という肩書を得て一時的にせよ業界でもてはやされたのとは対照的に、チャップリンに少なからぬ打撃を与える結果となった[11][13]。こういう、チャップリンにとっては「泣きっ面に蜂」的な状況の中で次回作の製作の準備は進められることとなるが、舞台を田舎に設定して、それが終始一貫していたこと以外、チャップリンが次回作に当初どのような腹案を持っていたかについては、ただでさえチャップリンが秘密主義者であったことも加味しても、他の作品以上にはっきりしたことはわかっていない[14]

製作

[編集]

『何でも屋ジャック』と仮の名前を付けられた作品は、当初の予定よりも5週間遅れて1918年11月4日に始まったが、ミルドレッドとの結婚生活騒動が尾を引いていたのか、撮影の開始は中身を煮詰めないまま行われた[15]。撮影そのものも、共演者とのストーリーの練り合わせなど多種多様な口実を作っては何度も中断しており、チャップリン自身もスタジオ英語版からしばしば姿を消す有様であった[15]。1919年1月19日から29日まではスタジオそのものも閉鎖され、1月29日にスタジオに戻ってきたチャップリンは、これまで撮影した2万フィートを超すフィルムを全部破棄して『成就』と題する別の作品の製作を宣言する[15]。そのような一種の気分転換を図っても何も変わらず、『成就』の製作はなかったことにして『何でも屋ジャック』を『サニーサイド』に改題した上で作品の製作をつづけることとなった[16]

かくして『サニーサイド』の製作は再開されたが、チャップリンは依然としてスランプを脱する気配はなかった。当時の撮影日誌には、3月8日まで「撮影せず」だとか「編集」、「気分すぐれず」などといった記述の羅列に終始していた[17]。しかし、3月中旬にいたってチャップリンは突然撮影に張り切るようになり、以降3週間ばかりの間は撮影に没頭した末に、4月15日にクランクアップを迎えることができた[18]

評価

[編集]
妖精とともにバレエを舞うチャーリー

『サニーサイド』は、総合的に見るとスランプの影響をまともに感じる作品[独自研究?]であり、これは当のチャップリンが『自伝』において「虫歯を抜くような苦労」と表現するほどであった[13]。完成から2か月後の6月15日に『サニーサイド』は封切られたものの、マスコミからの評価もやはり冷淡であり、チャップリン自身の評価とマスコミのそれが珍しく一致している例の一つとなった[17]。チャップリンはまた、「アイデアの泉は、完全に涸れてしまった」とお手上げ状態であったことも認めている[13]

しかし、チャップリン本人ですら失敗を認めている『サニーサイド』について、チャップリンの伝記を著した映画史家のデイヴィッド・ロビンソン英語版は、作品そのものについては「構成が緊密でもなければ人物の行動にもメリハリがない」と論じている一方で、牧歌的ムードにあふれている点を「実験」と位置付けたうえで、「いつものチャップリンらしさとは違う興味深い点をいくつも見出すことができる」として一定の擁護をしている[17]。また、この映画のハイライトでもある乾上った川のほとりで4人のニンフと戯れるシーンなどは、ヴァーツラフ・ニジンスキーが踊った革新的なバレエ牧神の午後』へのオマージュともいわれている[19]が、そのニジンスキー本人は当時、神経衰弱に陥ってダンサーとしてのキャリアはすでに終えようとしていた時期であった。しかし1916年12月、バレエ・リュスの北米ツアー中に『勇敢』を撮影中のチャップリン・スタジオを仲間と訪問しており、チャップリンもまたニジンスキーとその一座が出演する劇場に足を運んで、歓待したニジンスキーが幕間にチャップリンと話に夢中になりすぎたがゆえに、観客に待ちぼうけを喰らわせるという一幕もあった[20]。それでも、ラストシーンに関する論評はロビンソンを含めて解釈が分かれている[20]。エドナを恋敵に取られたチャーリーが走ってくる自動車の前に身を投げ出すところが夢なのか、はたまたハッピーエンドの部分が夢なのか、その見解は一致していない[20]

NGフィルム

[編集]

『サニーサイド』はあらすじにあるように農村のホテルを舞台とした喜劇であるが、撮影したフィルムの中には床屋のシークェンスが含まれている。当該シークェンスにはチャーリーとエドナ、それに床屋の客(アルバート・オースチン)が登場。オースチン演じる客は、耳元で動き回るネズミに驚いたり、ひげを剃るために顔全体にクリームを塗られたあとで、買い物から帰ってきたエドナとチャーリーの雑談に待ちぼうけを喰らわされて怒ったりする。ようやくひげ剃りの段階になっても、剃刀を持つチャーリーの動きはぎこちがなく、客はひげを剃ってもらえない。しかし、この床屋のシークェンスは完成版には取り入れられることはなかった[21]。(#外部リンク、『Unknown Chaplin』中の『Episode 3 (Hidden Treasures)』にアウトテイクが収録されている)

床屋のギャグは、チャップリンの芸の原点とも言うべきミュージックホールにおける定番ギャグの一つであり、『サニーサイド』では日の目を見ることはなかったものの、後年の『独裁者』(1940年)で床屋のギャグが、『ニューヨークの王様』(1957年)で顔にクリームが塗りたくられた男が、それぞれ姿かたちを少し変えつつも登場している[22]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 1914年製作、2010年発見の『泥棒を捕まえる人』を含む。1971年に映画研究家ウノ・アスプランドが制定したチャップリンのフィルモグラフィーの整理システムでは66作目[2]
  2. ^ トム・ウッド(Tom Wood、1894年 - 1932年)のこと[7]。1963年生まれの同名の俳優であるトム・ウッド(Tom Wood / Thomas Mills Wood)とは異なる人物。

出典

[編集]
  1. ^ 東京朝日新聞 1920年4月8日 4面 電気館の広告。
  2. ^ 大野 2007, p. 252.
  3. ^ ロビンソン 1993a, pp. 309, 312.
  4. ^ 大野 2007, p. 222.
  5. ^ 66. Sunnyside (1919)” (英語). BFI Homepage - Chaplin Home. 英国映画協会. 2022年10月13日閲覧。
  6. ^ Sunnyside (1919) - IMDb, http://www.imdb.com/title/tt0010747/fullcredits 2024年5月22日閲覧。 
  7. ^ Tom Wood - IMDb(英語). 2023年10月20日閲覧。
  8. ^ ロビンソン 1993a, p. 307.
  9. ^ ロビンソン 1993a, p. 308.
  10. ^ ロビンソン 1993a, pp. 308, 439.
  11. ^ a b ロビンソン 1993a, p. 309.
  12. ^ チャップリン 1966, p. 262.
  13. ^ a b c チャップリン 1966, p. 263.
  14. ^ ロビンソン 1993a, pp. 288, 309.
  15. ^ a b c ロビンソン 1993a, p. 310.
  16. ^ ロビンソン 1993a, pp. 310–311.
  17. ^ a b c ロビンソン 1993a, p. 312.
  18. ^ ロビンソン 1993a, pp. 312–313.
  19. ^ サニーサイド”. サニーサイド. IVC. 2023年4月21日閲覧。
  20. ^ a b c ロビンソン 1993a, p. 313.
  21. ^ 大野 2007, p. 223.
  22. ^ 大野 2007, pp. 223–224.

参考文献

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  • チャールズ・チャップリン『チャップリン自伝』中野好夫 訳、新潮社、1966年11月。ISBN 978-4-1050-5001-6 
  • デイヴィッド・ロビンソン『チャップリン』 上、宮本高晴高田恵子 訳、文藝春秋、1993年4月。ISBN 978-4-1634-7430-4 
  • デイヴィッド・ロビンソン『チャップリン』 下、宮本高晴、高田恵子 訳、文藝春秋、1993年4月。ISBN 978-4-1634-7440-3 
  • 大野裕之『チャップリン再入門』日本放送出版協会〈生活人新書〉、2005年4月。ISBN 978-4-1408-8141-5 
  • 大野裕之『チャップリン・未公開NGフィルムの全貌』日本放送出版協会、2007年3月。ISBN 978-4-1408-1183-2 

外部リンク

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