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'''本光寺'''(ほんこうじ)は、[[東京都]][[港区 (東京都)|港区]][[元麻布]]にある、[[法華宗陣門流]]の寺院。 |
'''本光寺'''(ほんこうじ)は、[[東京都]][[港区 (東京都)|港区]][[元麻布]]にある、[[法華宗陣門流]]の寺院。[[新潟県]][[三条市]]西本成寺にある、[[法華宗陣門流]]の[[総本山]]である長久山[[本成寺]]の[[末寺]]である。 |
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==概要== |
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寛永元年、法仙院日要が開山した。当初は麻布今井村(現在のアークヒルズ付近)に本堂を建立した。万治元年、[[西久保 (東京都港区)|西久保]]四辻に移ったとも言われている。貞亨元年、 |
1624年(寛永元年)、法仙院日要が開山した。当初は麻布今井村(現在のアークヒルズ付近)に本堂を建立した。1658年(万治元年)、[[西久保 (東京都港区)|西久保]]四辻に移ったとも言われている。1684年(貞亨元年)、二世・慈眼院日就のとき麻布宮村に移転、五世・世尊院日成が現在の地に移築して今日に至る。十九世・恭謙院日敬の次男[[星川恒雄]]は[[日大三高]]の教職時代、野球部の監督として活躍した。監督退任後、二十世となる。 |
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==沿革== |
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[[File:明見山本光寺ー1.JPG|thumb|250px|山門(平成25年9月9日)]] |
[[File:明見山本光寺ー1.JPG|thumb|250px|山門(平成25年9月9日)]] |
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[[File:明見山本光寺ー4.JPG|thumb|250px|本堂左横の石碑(平成25年9月9日)]] |
[[File:明見山本光寺ー4.JPG|thumb|250px|本堂左横の石碑(平成25年9月9日)]] |
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[[File:明見山本光寺ー3.JPG|thumb|250px|本堂正面の「獅子吼」の額(平成25年9月9日)]] |
[[File:明見山本光寺ー3.JPG|thumb|250px|本堂正面の「獅子吼」の額(平成25年9月9日)]] |
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*1624年(寛永元年)法仙院日要が開山し、 当初は麻布今井村に本堂を建立した。 |
*1624年(寛永元年)法仙院日要が開山し、 当初は麻布今井村に本堂を建立した。 |
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*1684年(貞亨元年 |
*1684年(貞亨元年)二世・慈眼院日就のとき麻布宮村に移転した。 |
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*1785年(天明5年 |
*1785年(天明5年)五世・世尊院日成が現在の地に移築<ref>寺伝による。</ref>して今日に至る。 |
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*2006年(平成18年)開基380周年記念落慶法要が行われた。本堂、お座敷は江戸時代の木造建築を生かして改修した。 |
*2006年([[平成18年]])開基380周年記念落慶法要が行われた。本堂、お座敷は[[江戸時代]]の木造建築を生かして改修した。 |
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*2014年([[平成26年]])5月25日~26日、[[総本山]][[本成寺]]で5年に一度の千部法要<ref>千部法要とは、古来より仏教の各宗派で行われている行事で、法華宗では「南無妙法蓮華経」のお題目をお唱えして、ご先祖の精霊を供養する。お題目を一万遍唱えることを一部と数えます。これを四日間で多数の僧侶、檀信徒でお唱えして、千部(一千万遍)になるようお参りします。インドでは、仏教に帰依したビンビサラ玉が、千人の僧を招いて供養したと云われ、中国でも王侯貴族がしばしば、このような千部続誦供養を盛んに行った。</ref>が執り行われ、本光寺の団参が法要に参加し、お参りした。今年、生誕2百年を向かえた彫物名人の[[石川雲蝶]]の作品を見学した。[[石川雲蝶]]は、[[三条]]、[[六日町]]、[[浦佐]]、[[塩沢]]、[[十日町]]などの[[仏閣]]の彫り物を多数手がけ、総本山[[本成寺]]、及び[[塔頭]]にもその作品は残されている。 |
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==伽藍== |
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* '''本光寺会館''' |
* '''本光寺会館''' |
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==歴代略譜== |
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* '''開山 法仙院日要大徳''' 寛文元 |
* '''開山 法仙院日要大徳''' 1624年(寛文元年)麻布今井村に一宇を建立。1665年(寛文9年)遷化。 |
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* '''二世 慈眼院日就大徳''' 麻布宮村町藪下に2割増を以って替地を命ぜられる。貞享 |
* '''二世 慈眼院日就大徳''' 麻布宮村町藪下に2割増を以って替地を命ぜられる。1688年(貞享五年)遷化。 |
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* '''三世 受清院日厚大徳''' 八品門流の僧侶。享保元 |
* '''三世 受清院日厚大徳''' 八品門流の僧侶。1716年(享保元年)遷化。 |
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* '''四世 本受院日等大徳''' 日晄師御指南。享保18 |
* '''四世 本受院日等大徳''' 日晄師御指南。1733年(享保18年)遷化。 |
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* '''五世 世尊院日成大徳''' 日體師御指南、現在の大隈山へ引寺する。中興の祖。天明5 |
* '''五世 世尊院日成大徳''' 日體師御指南、現在の大隈山へ引寺する。中興の祖。1785年(天明5年)遷化。 |
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* '''六世 辨正院日趣大徳''' 日啓師御指南、四世日等大徳の弟子。明和8 |
* '''六世 辨正院日趣大徳''' 日啓師御指南、四世日等大徳の弟子。1771年(明和8年)遷化。 |
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* '''七世 冷寿院日欣大徳''' 住職歴20年、文化2 |
* '''七世 冷寿院日欣大徳''' 住職歴20年、1805年(文化2年)表門、本堂再建。1816年(文化13年)遷化。 |
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* '''八世 勤求院日詳大徳''' 本堂再建の借財を返済し庫裏を新規建直す。 |
* '''八世 勤求院日詳大徳''' 本堂再建の借財を返済し庫裏を新規建直す。 |
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* '''九世 要題院日従大徳''' 越後国山崎に生れ、日済聖人御弟子、在職8年。天保9 |
* '''九世 要題院日従大徳''' [[越後国]]山崎に生れ、日済聖人御弟子、在職8年。1838年(天保9年)遷化。 |
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* '''十世 安住院日敬大徳''' 越後国長岡本妙寺歴代の弟子、在職9年。嘉永3 |
* '''十世 安住院日敬大徳''' [[越後国]][[長岡]][[本妙寺]]歴代の弟子、在職9年。1850年(嘉永3年)遷化。 |
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* '''十一世 大法院日聴大徳''' 長岡本妙寺十六世安楽院日全の弟子、在職5年。 |
* '''十一世 大法院日聴大徳''' [[長岡]][[本妙寺]]十六世安楽院日全の弟子、在職5年。 |
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* '''十二世 勇謹院日孝大徳''' 越後国椿沢弘法院二世寿延院日量の弟子、在職3年。明治3年 |
* '''十二世 勇謹院日孝大徳''' [[越後国]]椿沢弘法院二世寿延院日量の弟子、在職3年。1870年([[明治3年]])遷化。 |
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* '''十三世 玄悟院日亮大徳''' 本山塔頭寿妙院十二世息災院日茂忠善の弟子。明治44年 |
* '''十三世 玄悟院日亮大徳''' 本山塔頭寿妙院十二世息災院日茂忠善の弟子。1911年([[明治44年]])遷化。 |
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* '''十四世 勤修院日幸大徳''' 誠諦寺歴代より転住。明治7年 |
* '''十四世 勤修院日幸大徳''' 誠諦寺歴代より転住。1874年([[明治7年]])遷化。 |
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* '''十五世 教聡院日住大徳''' 日良の弟子、僧名行円、越中国袋村松永家に生れる。大正8年 |
* '''十五世 教聡院日住大徳''' 日良の弟子、僧名行円、[[越中国]]袋村松永家に生れる。1918年([[大正8年]])遷化。 |
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* '''十六世 一乗院日研大徳''' 明治20年本堂庫裏大修復時の住職。明治22年 |
* '''十六世 一乗院日研大徳''' 1945年(明治20年)本堂庫裏大修復時の住職。1889年([[明治22年]])遷化。 |
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* '''十七世 顕寿院日進大徳''' 僧名梅田教厳、長岡本妙寺二十世より転住。昭和23年 |
* '''十七世 顕寿院日進大徳''' 僧名梅田教厳、長岡本妙寺二十世より転住。1948年([[昭和23年]])遷化。 |
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* '''十八世 本力院日勤大徳''' 僧名笹川契行、大正4年庫裏創建百年記念修復を遂行。大正13年 |
* '''十八世 本力院日勤大徳''' 僧名笹川契行、1914年([[大正4年]])庫裏創建百年記念修復を遂行。1923年([[大正13年]])遷化。 |
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* '''十九世 恭謙院日敬大徳''' 大正14年住職、昭和19年権大僧正、宗務総長を勤む。昭和34年 |
* '''十九世 恭謙院日敬大徳''' 1924年([[大正14年]])住職、1944年([[昭和19年]])権大僧正、宗務総長を勤む。1959年([[昭和34年]])遷化。 |
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* '''二十世 謙明院日雄大徳''' 日敬大徳次男、日大三高教諭、野球部監督。日敬聖人遷化により昭和34年二十世。宗務院財務部長、平成12年権大僧正。在職34年、平成13年隠居。平成15年 |
* '''二十世 謙明院日雄大徳''' 日敬大徳次男、日大三高教諭、野球部監督。日敬聖人遷化により1959年([[昭和34年]])二十世。宗務院財務部長、2000年([[平成12年]])権大僧正。在職34年、2001年([[平成13年]])隠居。2003年([[平成15年]])10月5日遷化。 |
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* '''現住職''' 西山英仁聖人 平成13年 |
* '''現住職''' 西山英仁聖人 2001年([[平成13年]])3月二十一世<ref>寺伝による。</ref>。 |
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==総本山== |
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*長久山[[本成寺]]([[新潟県]][[三条市]])([[越後国]]) |
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==脚注== |
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==交通アクセス== |
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*[[都営地下鉄]][[大江戸線]]、[[麻布十番]]駅7番出口から徒歩約13分。 |
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*[[東京メトロ]][[南北線]]、[[麻布十番駅]]4番出口から徒歩約15分。 |
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==関連項目== |
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*[[妙法蓮華経]](法華経) |
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*[[日蓮]]、[[僧]] |
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*[[法華宗陣門流]] |
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*[[法華宗各派の一覧]]、[[門流]] |
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==近隣== |
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[[File:Honkojiura tokyo.jpg|thumb|250px|港区元麻布本光寺裏の情景]] |
[[File:Honkojiura tokyo.jpg|thumb|250px|港区元麻布本光寺裏の情景]] |
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* 当寺院の南東の<!--当寺院の地所といわれる-->地域には昭和30年代さながらの町並みが残っている。 |
* 当寺院の南東の<!--当寺院の地所といわれる-->地域には昭和30年代さながらの町並みが残っている。 |
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*[[広尾]] |
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*[[愛育病院]] |
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*[[東京法務局]]港出張所 |
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*[[麻布十番]] |
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*[[麻布山善福寺]] |
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*[[グランドハイアット東京]] |
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*[[麻布中学校・高等学校]] |
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*[[東洋英和女学院中学部・高等部]] |
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*[[西町インターナショナルスクール]] |
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*[[がま池]] |
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*[[狸坂]] |
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*[[六本木ヒルズ]] |
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*[[元麻布ヒルズ]] |
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*[[テレビ朝日]] |
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==外部リンク== |
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*[http://www.city.sanjyo.niigata.jp/eigyo/page00036.html/ 三条市(法華宗総本山本成寺)公式ページ。] |
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*[http://www.niigata-kankou.or.jp/shiru/rekishi/jinbutsu/uncho/honjoji.html/ にいがた観光ナビ(本成寺、石川雲蝶)公式ページ。] |
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*[http://www.hokkeshu.com/ 法華宗陣門流公式ページ。] |
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==脚注== |
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[[Category:法華宗陣門流の寺院]] |
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2014年7月11日 (金) 07:52時点における版
本光寺 | |
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本堂(平成25年9月9日) | |
所在地 | 東京都港区元麻布2-5-9 |
位置 | 北緯35度39分18.2秒 東経139度43分46.5秒 / 北緯35.655056度 東経139.729583度 |
山号 | 明見山 |
宗派 | 法華宗陣門流 |
本尊 | 釈尊 |
創建年 | 1624年(寛永元年) |
開山 | 法仙院日要 |
法人番号 | 7010405001511 |
本光寺(ほんこうじ)は、東京都港区元麻布にある、法華宗陣門流の寺院。新潟県三条市西本成寺にある、法華宗陣門流の総本山である長久山本成寺の末寺である。
概要
1624年(寛永元年)、法仙院日要が開山した。当初は麻布今井村(現在のアークヒルズ付近)に本堂を建立した。1658年(万治元年)、西久保四辻に移ったとも言われている。1684年(貞亨元年)、二世・慈眼院日就のとき麻布宮村に移転、五世・世尊院日成が現在の地に移築して今日に至る。十九世・恭謙院日敬の次男星川恒雄は日大三高の教職時代、野球部の監督として活躍した。監督退任後、二十世となる。
沿革
- 1624年(寛永元年)法仙院日要が開山し、 当初は麻布今井村に本堂を建立した。
- 1684年(貞亨元年)二世・慈眼院日就のとき麻布宮村に移転した。
- 1785年(天明5年)五世・世尊院日成が現在の地に移築[1]して今日に至る。
- 2006年(平成18年)開基380周年記念落慶法要が行われた。本堂、お座敷は江戸時代の木造建築を生かして改修した。
- 2014年(平成26年)5月25日~26日、総本山本成寺で5年に一度の千部法要[2]が執り行われ、本光寺の団参が法要に参加し、お参りした。今年、生誕2百年を向かえた彫物名人の石川雲蝶の作品を見学した。石川雲蝶は、三条、六日町、浦佐、塩沢、十日町などの仏閣の彫り物を多数手がけ、総本山本成寺、及び塔頭にもその作品は残されている。
伽藍
- 本堂
- 三門
- 鐘楼
- 位牌堂
- 庫裏
- 稲荷堂
- 多宝塔
- 本光寺会館
歴代略譜
- 開山 法仙院日要大徳 1624年(寛文元年)麻布今井村に一宇を建立。1665年(寛文9年)遷化。
- 二世 慈眼院日就大徳 麻布宮村町藪下に2割増を以って替地を命ぜられる。1688年(貞享五年)遷化。
- 三世 受清院日厚大徳 八品門流の僧侶。1716年(享保元年)遷化。
- 四世 本受院日等大徳 日晄師御指南。1733年(享保18年)遷化。
- 五世 世尊院日成大徳 日體師御指南、現在の大隈山へ引寺する。中興の祖。1785年(天明5年)遷化。
- 六世 辨正院日趣大徳 日啓師御指南、四世日等大徳の弟子。1771年(明和8年)遷化。
- 七世 冷寿院日欣大徳 住職歴20年、1805年(文化2年)表門、本堂再建。1816年(文化13年)遷化。
- 八世 勤求院日詳大徳 本堂再建の借財を返済し庫裏を新規建直す。
- 九世 要題院日従大徳 越後国山崎に生れ、日済聖人御弟子、在職8年。1838年(天保9年)遷化。
- 十世 安住院日敬大徳 越後国長岡本妙寺歴代の弟子、在職9年。1850年(嘉永3年)遷化。
- 十一世 大法院日聴大徳 長岡本妙寺十六世安楽院日全の弟子、在職5年。
- 十二世 勇謹院日孝大徳 越後国椿沢弘法院二世寿延院日量の弟子、在職3年。1870年(明治3年)遷化。
- 十三世 玄悟院日亮大徳 本山塔頭寿妙院十二世息災院日茂忠善の弟子。1911年(明治44年)遷化。
- 十四世 勤修院日幸大徳 誠諦寺歴代より転住。1874年(明治7年)遷化。
- 十五世 教聡院日住大徳 日良の弟子、僧名行円、越中国袋村松永家に生れる。1918年(大正8年)遷化。
- 十六世 一乗院日研大徳 1945年(明治20年)本堂庫裏大修復時の住職。1889年(明治22年)遷化。
- 十七世 顕寿院日進大徳 僧名梅田教厳、長岡本妙寺二十世より転住。1948年(昭和23年)遷化。
- 十八世 本力院日勤大徳 僧名笹川契行、1914年(大正4年)庫裏創建百年記念修復を遂行。1923年(大正13年)遷化。
- 十九世 恭謙院日敬大徳 1924年(大正14年)住職、1944年(昭和19年)権大僧正、宗務総長を勤む。1959年(昭和34年)遷化。
- 二十世 謙明院日雄大徳 日敬大徳次男、日大三高教諭、野球部監督。日敬聖人遷化により1959年(昭和34年)二十世。宗務院財務部長、2000年(平成12年)権大僧正。在職34年、2001年(平成13年)隠居。2003年(平成15年)10月5日遷化。
- 現住職 西山英仁聖人 2001年(平成13年)3月二十一世[3]。
総本山
脚注
交通アクセス
関連項目
- 妙法蓮華経(法華経)
- 日蓮、僧
- 法華宗陣門流
- 法華宗各派の一覧、門流
- 2013年(平成25年)10月10日、 日蓮大聖人お会式法要では、2010年(平成22年)から境内で蒸気機関車を走らせます。日蓮様の命日に、その遺徳を偲び、報恩感謝の誠を捧げる実践にと、子供達が集まる機会をつくってその気持ちを表すとのことから、近隣の小学校の生徒さんが蒸気機関車に乗って走りました。
近隣
- 当寺院の南東の地域には昭和30年代さながらの町並みが残っている。
- 有栖川宮記念公園
- 東京都立中央図書館
- 東京ローンテニスクラブ
- 広尾
- 愛育病院
- 東京法務局港出張所
- 麻布十番
- 麻布山善福寺
- グランドハイアット東京
- 麻布中学校・高等学校
- 東洋英和女学院中学部・高等部
- 西町インターナショナルスクール
- がま池
- 狸坂
- 六本木ヒルズ
- 元麻布ヒルズ
- テレビ朝日