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「知立神社」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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{{神社
{{神社
|名称 = 知立神社
|名称 = 知立神社
|画像 = [[画像:知立神社01.jpg|280px]]<br/>拝殿
|画像 = [[File:Chiryu-jinja haiden.JPG|280px]]<br />拝殿(国の[[登録有形文化財]])
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|例祭 = [[5月3日]]([[知立まつり|知立祭り]])
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[[File:Chiryu-jinja torii.JPG|thumb|200px|right|{{center|鳥居}}]]
'''知立神社'''(ちりゅうじんじゃ、古くは ちりふ-)は、[[愛知県]][[知立市]]にある[[神社]]。旧称'''池鯉鮒大明神'''。[[式内社]]、[[三河国]][[一宮|二宮]]で、[[近代社格制度|旧社格]]は[[県社]]。東海道三大社の一社。
'''知立神社'''(ちりゅうじんじゃ/ちりふじんじゃ)は、[[愛知県]][[知立市]]西町にある[[神社]]。[[式内社]]、[[三河国]][[一宮|二宮]]で、[[近代社格制度|旧社格]]は[[県社]]。

旧称は「池鯉鮒大明神」。[[江戸時代]]には「東海道三社」の1つに数えられた。


== 祭神 ==
== 祭神 ==
<div class="thumb tright">
; 主祭神
<div class="NavFrame" style="text-align:center;font-size:80%">
* [[ホオリ|彦火火出見尊]] (ひこほほでみのみこと)
'''祭神略系図'''
* [[ウガヤフキアエズ|鸕鶿草葺不合尊]] (うがやふきあえずのみこと)
{{familytree/start|style="text-align:left; font-size:100%"}}
* [[タマヨリビメ|玉依比賣命]] (たまよりびめのみこと)
{{familytree|border=0|01|y|02| 01=[[ホオリ|彦火火出見尊]]|02=[[トヨタマヒメ|{{color|#FC4E6B|豊玉姫命}}]]<br />(摂社親母神社)}}
* 神日本磐余彦尊 (かむやまといわれびこのみこと:[[神武天皇]])
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{{familytree|border=0|||||01| 01=神日本磐余彦尊<br />(初代[[神武天皇]])}}
{{familytree/end}}
</div></div>
祭神は次の4柱で、相殿2柱を併祀する<ref name="由緒書">神社由緒書。</ref>。


'''主祭神'''
; 配祀
* [[ウガヤフキアエズ|鸕鶿草葺不合尊]] (うがやふきあえずのみこと) - 主神。
* 青海首命
* [[ホオリ|彦火火出見尊]] (ひこほほでみのみこと) - 鸕鶿草葺不合尊の父。
* [[タマヨリビメ|玉依比売命]] (たまよりびめのみこと) - 鸕鶿草葺不合尊の妻。
* 神日本磐余彦尊 (かむやまといわれびこのみこと:初代[[神武天皇]]) - 鸕鶿草葺不合尊の子。


'''相殿神'''
; 合祀
* 青海首命 (あおみのおびとのみこと) - 碧海地方の開拓にあたったと伝える人物。
* [[聖徳太子]]
* [[聖徳太子]]

祭神について文献では、[[ヤマトタケル|日本武尊]]従者の[[大伴武日]]や[[吉備武彦]]とする説や、「チリュウ」の音から木花知流比売(このはなちるひめ)とする説が挙げられている{{Sfn|知立神社(式内社)|1988年}}。また聖徳太子の併祀は、[[江戸時代]]中期の史料まで遡って見られる{{Sfn|知立神社(式内社)|1988年}}。


== 歴史 ==
== 歴史 ==
=== 創建 ===
=== 創建 ===
社伝によれば[[景行天皇]]の時代、[[ヤマトタケル|日本武尊]]が東国平定の際に当地で皇祖の神々に平定の祈願を行ったという。そて無事平定を終えた帰途、その感謝のため皇祖神を祀ったのに始まるされる。
社伝では、第12代[[景行天皇]]の時に東国平定に赴いた[[ヤマトタケル|日本武尊]]が当地で戦勝を祈願し平定後の帰途感謝して建国祖神の上記4柱を祀ったのが創建いう{{Sfn|知立神社(式内社)|1988年}}<ref name="由緒書"/>。一方、第14代[[仲哀天皇]]元年の創建とす説もある{{Sfn|知立神社(式内社)|1988年}}

[[江戸時代]]まで当社の神主家であった永見家の『永見氏家譜』によれば、その出自について[[ニギハヤヒ|饒速日尊]]後裔で知波屋見命(知波夜命:初代[[三河国造]])十五世孫の三河姓貞連が、[[白鳳]]2年に[[天武天皇]]の勅命により知立神主になったとしている{{Sfn|知立神社(式内社)|1988年}}。

なお、当初の鎮座地は東へ約1キロメートルの山町の高地であったといわれる{{Sfn|知立神社(式内社)|1988年}}。一時上重原を経て、現在地に移ったのは[[天正]]元年([[1573年]])になるという{{Sfn|知立神社(式内社)|1988年}}。


=== 概史 ===
=== 概史 ===
<div class="thumb tright">
[[850年]]には、後に知立神社の[[別当寺]]となる[[神宮寺]]が[[天台宗]]の僧[[円仁]]によって建てられた。この頃に[[多宝塔]]も建てられたという。ただし現存する多宝塔は、[[1509年]]に重原城主・山岡忠左衛門によって再建されたものである。
{| class="wikitable" style="font-size:85%;background-color:#ffffff;white-space: nowrap"
|+砥鹿神・知立神の神階
!年!![[砥鹿神社|砥鹿神]]!!知立神
|-
|[[851年]]||従五位上||従五位上
|-
|[[864年]]||従五位上<br />→正五位下||従五位上<br />→正五位下
|-
|[[870年]]||正五位下<br />→正五位上||正五位下<br />→正五位上
|-
|[[876年]]||従四位下<br />→従四位上||従四位下<br />→従四位上
|}</div>
[[六国史|国史]]では、「知立神(智立神)」の[[神階]]が[[仁寿]]元年([[851年]])に従五位上、[[貞観 (日本)|貞観]]6年([[864年]])に正五位下、貞観12年([[870年]])に正五位上、貞観18年([[876年]])に従四位上に昇叙されている{{Sfn|知立神社(式内社)|1988年}}。いずれの記事でも砥鹿神([[愛知県]][[豊川市]]の[[砥鹿神社]]:[[三河国]][[一宮]])と併記され、六国史終了時点の神階は[[三河国]]内では砥鹿神とともに最高位になる{{Sfn|知立神社(神々)|1987年}}。


[[六国史]]には「知立神智立神)」に対する[[神階]]奉授記録があり、六国史終了時には[[砥鹿神社]](三河国一宮)とともに従四位上であった。また、『[[延喜式神名帳]]』に「参河国[[碧海郡]] 知立神社」と記載され、[[式内社]]に列している。また三河国の[[一宮|二宮]]とされたという。ただし、当社を三河国二宮中世史料の記載ない<ref name="基礎的研究"/>。『参河国名所図絵』知立神社の項は「なげ社伝に云、一宮とか神社、二宮知立神社、三宮さなげ神」とあるが、その出典は明らかではない<ref name="基礎的研究">『中世諸国一宮制の基礎的研究』。</ref>
[[延長 (元号)|延長]]5年([[927年]])成立[[延喜式]][[延喜式神名帳|神名帳]][[三河国]][[碧海郡]]に「知立神社」と記載され、[[式内社]]に列している{{Sfn|知立神社(式内社)|1988年}}なお[[和名抄]]』では三河国碧海郡に「智立郷」見えが、これ当地付近比定れる{{Sfn|知立神社(式内)|1988年}}


また、『参河国名所図絵』知立神社の項に「さなげ社伝に云、一宮とか神社(砥鹿神社)、二宮知立神社、三宮さなげ神社([[猿投神社]])」と見えることから、当社は三河国の[[一宮|二宮]]の位置づけにあったと見られている{{Sfn|中世諸国一宮制|2000年|p=125-127}}。ただし、当社を三河国二宮と記載する中世史料はなく、上記図絵の出典も明らかでない{{Sfn|中世諸国一宮制|2000年|p=125-127}}。その後、[[正安]]3年([[1301年]])筆の社蔵扁額「正弌位智鯉鮒大明神」や『三河国内神名帳』([[慶安]]2年([[1649年]])書写本)によると正一位の極位に達したとされる{{Sfn|知立神社(式内社)|1988年}}。
古来より「蝮よけ・長虫よけ」の特殊信仰があり、神札を身につければ蝮蛇に咬まれないと伝えられ、北関東から山陰地方に至る各地に分社がある。また『東海道名所図会』には、知立神社(多宝塔、古額、末社、神籬門、石橋、的場、除蝮蛇神札、御手洗池神宝古作面、芭蕉句碑)と、詳細な記載がある。


[[中世]]には[[水野氏]]の崇敬を受け、[[文明 (日本)|文明]]3年([[1471年]])3月に水野直守が社殿を修造し、[[大永]]6年([[1526年]])には[[水野忠政]]も修理を行なったが、[[天文]]16年([[1547年]])の兵火で焼失し、重原に遷座した{{Sfn|知立神社(式内社)|1988年}}。[[元亀]]2年([[1571年]])にはさらに現在地に遷座し、水野信光から社殿修造と社領10石の寄進があったという{{Sfn|知立神社(式内社)|1988年}}。
明治になり、[[近代社格制度]]においては[[県社]]に列した。

[[江戸時代]]に入り、[[寛文]]年間([[1661年]]-[[1672年]])には[[松平忠房 (島原藩主)|松平忠房]]から、社領として10石が追加寄進されたという{{Sfn|知立神社(式内社)|1988年}}。江戸時代には主に「池鯉鮒大明神」として知られ{{Sfn|中世諸国一宮制|2000年|p=125-127}}、「東海道三社」の1つにも挙げられ、近隣20数か村の[[産土神]]として、また蝮除け・長虫除け・雨乞・安産の神として信仰された{{Sfn|知立神社(神々)|1987年}}<ref name="由緒書"/>。特に神札を身につければ蝮蛇に咬まれないとされ、北関東から山陰地方に至る各地に分社が建てられた<ref name="由緒書"/>。『東海道名所図会』では、当社について祭神・多宝塔・古額・末社・神籬門・石橋・的場・除蝮蛇神札・御手洗池などが記述されている<ref>早稲田大学「古典籍総合データベース」より、『東海道名所図会 第3巻』[http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/bunko30/bunko30_e0205/bunko30_e0205_0003/bunko30_e0205_0003_p0028.jpg 28カット]、[http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/bunko30/bunko30_e0205/bunko30_e0205_0003/bunko30_e0205_0003_p0029.jpg 29カット]参照。</ref>。

[[明治維新]]後、[[明治]]5年([[1872年]])9月に[[近代社格制度]]において[[県社]]に列した{{Sfn|知立神社(式内社)|1988年}}。


=== 神階 ===
=== 神階 ===
* 六国史時代における神階奉叙の記録
* [[仁寿]]元年([[851年]])10月7日、従五位上 (『[[日本文徳天皇実録]]』)
* [[貞観 (日本)|貞観]]6年([[864年]])219日、五位 (『[[日本三代実録]]』)
** [[仁寿]]年([[851年]])107日、五位 (『[[日本文徳天皇実録]]』) - 表記は「知立神」。
* 貞観12年([[870年]])828日、五位上 (『日本三代実録』)
** [[貞観 (日本)|貞観]]6年([[864年]])219日、五位上から正五位下 (『[[日本三代実録]]』) - 表記は「知立神」。
* 貞観18年([[876年]])68日、従四位下 (『日本三代実録』)
** 貞観12年([[870年]])828日、正五位下から正五位上 (『日本三代実録』) - 表記は「智立神」。
** 貞観18年([[876年]])6月8日、従四位下から従四位上 (『日本三代実録』) - 表記は「知立神」。
* 六国史以後
** 正一位 ([[正安]]3年([[1301年]])筆の社蔵扁額) - 表記は「智鯉鮒大明神」。
** 正一位 (『三河国内神名帳』[[慶安]]2年([[1649年]])書写本){{Sfn|知立神社(式内社)|1988年}} - 表記は「鯉鮒大明神」。
*: 社伝では、[[弘長]]元年([[1261年]])2月20日に正一位へ昇叙されたとする{{Sfn|知立神社(式内社)|1988年}}。


== 境内 ==
== 境内 ==
[[File:Chiryu-jinja shaden.JPG|thumb|200px|right|{{center|拝殿(国の[[登録有形文化財]])}}]]
* 本殿 - 流造朱塗。[[天保]]元年([[1830年]])上棟。
現在の主要社殿は、[[江戸時代]]後期から[[昭和]]にかけての造営になる。社殿配置は「'''[[尾張造]]'''」と呼ばれるもので、本殿・幣殿・祭文殿・回廊・拝殿を縦長に接続する。この尾張造は、[[尾張国|尾張]]地方には多いが三河地方では珍しく、当社社殿はその三河への伝播を表す遺構になる<ref name="由緒書"/><ref name="拝殿"/>。これらの社殿は国の[[登録有形文化財]]に登録されている。各社殿の詳細は次の通り。
* 拝殿 
; 本殿
* 多宝塔 - 三間二層、塔高約10m。国の[[重要文化財]]<ref>{{Cite web |date= |url=http://www.pref.aichi.jp/kyoiku/bunka/bunkazainavi/yukei/kenzoubutu/kunisitei/0010.html |title=知立神社多宝塔 |publisher=愛知県 |accessdate=2013-04-19}}</ref>。
: 江戸時代の[[天保]]2年([[1831年]])の造営。三間社[[流造]]で、屋根は[[檜皮葺]]<ref name="本殿"/>。
* 石橋 - 全長6.6m、幅2.4mで、花崗岩でできた太鼓橋。『東海道名所図会』にも記載されている。知立市指定文化財。
; 幣殿
: 本殿前に接続する。[[大正]]期([[1912年]]-[[1926年]])の造営。桁行五間・梁間三間、[[切妻造]]妻入で、屋根は檜皮葺<ref name="幣殿"/>。
; 祭文殿・回廊
: 幣殿前に接続して祭文殿が立ち、その左右に回廊が伸びる。明治20年([[1887年]])の造営で、大正期と昭和29年([[1954年]])に改修されている。祭文殿は四脚門形式で切妻造。祭文殿・回廊とも屋根は檜皮葺<ref name="祭文殿及び廻廊"/>。
; 拝殿
: 主要社殿群の正面に立ち、祭文殿に接続する。桁行六間・梁間三間、切妻造妻入で、屋根は檜皮葺。前二間は土間で、奥は板敷になる。前面には、間口一間で切妻造の向拝が付属する<ref name="拝殿"/>。

また、拝殿前の神池にかかる'''石橋'''は、江戸時代の[[享保]]17年([[1732年]])の造営である。[[花崗岩]]製の太鼓橋で、規模は全長6.6メートル、幅2.4メートル。弧状の石桁の上に、厚さ12センチメートルの石板19枚を並べて橋と成している。『東海道名所図会』にも記載が見える。この石橋は知立市指定文化財に指定されている<ref name="説明板"/>。

[[File:Chiryu-jinja tahotou.JPG|thumb|200px|right|{{center|[[多宝塔]](国の[[重要文化財]])}}]]
境内入り口付近に立つ'''[[多宝塔]]'''は、[[室町時代]]後期の[[永正]]6年([[1509年]])の再建とされる。三間四方の2層の塔で、塔高は約14.5メートル、屋根は[[こけら葺|柿葺]]、四隅には[[宝珠]]を置く。社伝では[[嘉祥]]3年([[850年]])に[[円仁]]が[[神宮寺]]を建立した際に2層の塔を建立したというが、現在の遺構はその後の再建になる。明治元年([[1868年]])の[[廃仏毀釈]]の際には、本尊([[愛染明王]])・仏壇を塔内から除いて文庫に改めたため、難を逃れている。その後、大正9年([[1920年]])の解体修理で復元された。なお、塔内にあった本尊は現在総持寺にある。この多宝塔は、神宮寺の遺構を伝える全国でも珍しい例とされ、国の[[重要文化財]]に指定されている<ref>{{Cite web |date= |url=http://www.pref.aichi.jp/kyoiku/bunka/bunkazainavi/yukei/kenzoubutu/kunisitei/0010.html |title=知立神社多宝塔 |publisher=愛知県 |accessdate=2014-11-16}}</ref><ref name="説明板">境内説明板。</ref>。

そのほか境内には、明治期の建築で昭和43年([[1968年]])に地元旧家から移築された茶室「池鯉鮒庵」(国の登録有形文化財)や、明治19年建築の洋風建築「養正館」、高さ6メートルの[[トネリコ]](知立市指定天然記念物)がある<ref name="茶室"/><ref name="由緒書"/><ref name="説明板"/>。


<gallery>
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File:Chiryu-jinja ishibashi.JPG|石橋(知立市指定文化財)
画像:Chiryū Jinja tahoto.jpg|多宝塔(2005年11月26日)
File:Chiryu-jinja toneriko.JPG|[[トネリコ]](知立市指定天然記念物)
画像:知立神社04.jpg|石橋(2005年11月26日)<br/>正面奥は拝殿。
画像:知立神社03.jpg|鳥居 (2005年11月26日)<br/>画面右には多宝塔下部。
</gallery>
</gallery>


== 摂末社 ==
== 摂末社 ==
[[File:Chiryu-jinja Ubagami-sha.JPG|thumb|200px|right|{{center|親母神社(国の登録有形文化財)}}]]
; 摂社
[[File:Chiryu-jinja Tsuchinogozen-sha.JPG|thumb|200px|right|{{center|土御前社}}]]
* 親母神社 - 祭神:豊玉姫命
'''摂社'''
* 土御前社 - 祭神:吉備武彦命
* 親母神社 (うばがみしゃ)
** 祭神:[[トヨタマヒメ|豊玉姫命]]
*: 祭神は鸕鶿草葺不合尊(本殿主神)の母。社殿は一間社流造で朱塗で彩られ、屋根は檜皮葺である。明治期の造営で、摂社としては規模の大きいものになる。この社殿は国の登録有形文化財に登録されている<ref name="摂社親母神社"/>。
* 土御前社 (つちのごぜんしゃ)
** 祭神:[[吉備武彦|吉備武彦命]]
*: 祭神は知立神社創建に奉行として携わったとする。


; 末社
'''末社'''
* 合祀殿 - 祭神:[[天照大神|天照皇大神]]など。明治6年([[1873年]])の神社合祀令に伴い、知立神社境内外の小祠を合祀<ref name="由緒書"/>。
* 小山天神社
* 小山天神社 - 祭神:[[少彦名命]]。
* 合祀殿
* 秋葉社 - 祭神:[[カグツチ|火之夜芸速男神]]。昭和36年([[1961年]])に知立神社境内に遷座{{Sfn|知立神社(式内社)|1988年}}。
* 秋葉社


<gallery>
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画像:Chiryu-jinja Ubagaya-jinja.jpg|親母神社(摂社)
File:Chiryu-jinja Goushi-den.JPG|合祀殿
画像:Chiryu-jinja Akibasha.jpg|秋葉社(末
File:Chiryu-jinja Koyama-ten-jinja.JPG|小山天神
File:Chiryu-jinja Akiba-sha.JPG|秋葉社
</gallery>
</gallery>


== 祭事 ==
== 祭事 ==
[[File:Tiryuumatsuri7.JPG|thumb|200px|right|{{center|[[知立まつり]]時の山車と多宝塔}}]]
年間祭事は次の通り<ref>[http://chiryu-jinja.com/contents-3.html 年間行事](公式サイト)。</ref>。
* 月次祭 (毎月3日)
* 月次祭 (毎月3日)
* 歳旦祭・交通安全祈願祭 (1月1日)
* 元始祭 (1月3日)
* 節分祭 (2月3日)
* 建国祭 (2月11日)
* 祈年祭 (3月3日)
* 祈年祭 (3月3日)
* 講社大、宵神事 (52日)
* 昭和(429日)
* 講社祭・宵祭 (5月2日)
* [[知立まつり]] (5月3日) - 前日と当日、山車5台を奉納する本祭と花車5台を奉納する間祭(あいまつり)が一年おきに行われる。知立のからくり・知立山車文楽はともに国の[[重要無形民俗文化財]]に指定されている<ref>{{Cite web |date= |url=http://www.pref.aichi.jp/kyoiku/bunka/bunkazainavi/minzoku/mukeiminzoku/kunisitei/0792.html |title=知立の山車文楽とからくり |publisher=愛知県 |accessdate=2013-04-19}}</ref>。
* '''例祭'''('''[[知立まつり|知立祭り]]''')・神幸祭 (5月3日)
* 土御前社祭 (8月第4日曜日)
*: 前日と当日、山車5台を奉納する本祭と花車5台を奉納する間祭(あいまつり)が1年おきに行われる。知立のからくり・知立山車文楽はともに国の[[重要無形民俗文化財]]に指定されている<ref>{{Cite web |date= |url=http://www.pref.aichi.jp/kyoiku/bunka/bunkazainavi/minzoku/mukeiminzoku/kunisitei/0792.html |title=知立の山車文楽とからくり |publisher=愛知県 |accessdate=2014-11-16}}</ref>。詳細は「[[知立まつり]]」を参照。
* 秋葉社祭 (9月)
* 花しょうぶ祭 (5月25日-6月20日)
* 大祓式・茅の輪神事 (7月31日)
* 土御前社祭 (8月下旬日曜) - 奉納子供相撲。
* 秋葉社祭 (9月20日) - 奉納手筒花火。
* 明治祭 (11月3日)
* 七五三祈願祭 (11月15日)
* 新嘗祭 (12月3日)
* 新嘗祭 (12月3日)
* 天長祭 (12月23日)
* 大祓式・除夜祭 (12月31日)


== 文化財 ==
== 文化財 ==
=== 重要文化財(国指定) ===
=== 重要文化財(国指定) ===
* 多宝塔 - 室町時代。明治40年指定
* 多宝塔(建造物) - 室町時代。明治40年5月27日指定<ref name="多宝塔">{{国指定文化財等データベース|102|1267|知立神社多宝塔}}</ref>。

=== 登録有形文化財(国登録) ===
* 本殿(建造物) - 平成26年4月25日登録<ref name="本殿">{{国指定文化財等データベース|101|00009968|知立神社本殿}}</ref>。
* 幣殿(建造物) - 平成26年4月25日登録<ref name="幣殿">{{国指定文化財等データベース|101|00009969|知立神社幣殿}}</ref>。
* 拝殿(建造物) - 平成26年4月25日登録<ref name="拝殿">{{国指定文化財等データベース|101|00009970|知立神社拝殿}}</ref>。
* 祭文殿及び廻廊(建造物) - 平成26年4月25日登録<ref name="祭文殿及び廻廊">{{国指定文化財等データベース|101|00009971|知立神社祭文殿及び回廊}}</ref>。
* 摂社親母神社(建造物) - 平成26年4月25日登録<ref name="摂社親母神社">{{国指定文化財等データベース|101|00009972|知立神社摂社親母神社}}</ref>。
* 茶室(建造物) - 平成26年4月25日登録<ref name="茶室">{{国指定文化財等データベース|101|00009973|知立神社茶室}}</ref>。


=== 愛知県指定文化財 ===
=== 愛知県指定文化財 ===
* 有形文化財
* 扁額「正一位智鯉鮒大明神」 - 鎌倉時代。昭和32年指定
* 能面 2面 - 室町時代。昭和39年指定
** 扁額「正一位智鯉鮒大明神」(工芸) - 鎌倉時代。昭和321月12日指定
* 舞楽6面 - 鎌倉時代。昭和39年指定
** 2(工芸) - 室町時代。昭和39年10月14日指定
** 舞楽面 6面(工芸) - 鎌倉時代。昭和39年10月14日指定。

=== 知立市指定文化財 ===
* 有形文化財
** 石橋(建造物) - 江戸時代。昭和44年4月1日指定。
** 獅子頭(工芸) - 室町時代。昭和40年1月1日指定。
** 木彫蛙(工芸) - 室町時代。昭和40年1月1日指定。
** 鰐口(工芸) - 江戸時代。昭和40年1月1日指定。
** 蓬莱鏡(工芸) - 室町時代。昭和40年1月1日指定。
** 木矛(工芸) - 室町時代。昭和40年1月1日指定。
** 手焙形土器(考古) - 弥生時代(神社付近から出土)。昭和40年1月1日指定。
** 徳川家康寄進状(歴史資料) - 昭和40年1月1日指定。
** 長勝院お万の方書状(歴史資料) - 昭和40年1月1日指定。
** 松平清康寄進状(歴史資料) - 昭和40年1月1日指定。
* 天然記念物
** トネリコ - 昭和57年6月10日指定。

== 神宮寺 ==
境内にあった[[神宮寺]]は、社伝では[[嘉祥]]3年([[850年]])の僧[[円仁]](慈覚大師)による建立という{{Sfn|知立神社(式内社)|1988年}}。寺内には玉泉坊を始め7坊があったが、天文16年([[1547年]])に焼亡し、元亀年間([[1570年]]-[[1573年]])に再建されたという{{Sfn|知立神社(式内社)|1988年}}。現存の多宝塔はその神宮寺の名残を伝えるものであるが、墨書によると永正6年([[1509年]])の再建になる{{Sfn|知立神社(式内社)|1988年}}。

江戸時代には[[寛永寺]]末として「'''総持寺'''」を称し知立神社の[[別当寺]]を成したが、明治に廃された{{Sfn|知立神社(式内社)|1988年}}{{Sfn|知立神社(角)|1989年}}。その後、総持寺自体は大正15年([[1926年]])に知立神社近くに再興され現在に至っている{{Sfn|知立神社(式内社)|1988年}}。多宝塔内にあった本尊の愛染明王像は、現在はこの総持寺に安置されている。


== 現地情報 ==
== 現地情報 ==
; 所在地
'''所在地'''
* [[愛知県]][[知立市]]西町神田12
* [[愛知県]][[知立市]]西町神田12


; 交通アクセス
'''交通アクセス'''
* 最寄駅:[[名古屋鉄道]](名鉄[[名鉄名古屋本線|名古屋本線]]・[[名鉄三河線|三河線]] [[知立駅]] (徒歩約10分)
* 鉄道:[[名古屋鉄道|名鉄]][[名鉄名古屋本線|名古屋本線]]・[[名鉄三河線|三河線]] [[知立駅]] (徒歩約10分)

'''周辺'''
* [[池鯉鮒宿]]跡
* 総持寺 - 知立神社神宮寺の後継寺院。


== 脚注 ==
== 脚注 ==
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== 参考文献 ==
* 神社由緒書
* 境内説明板
* {{Cite book|和書|editor=明治神社誌料編纂所編|author=|year=1912|chapter=知立神社|title=[[府県郷社明治神社誌料|明治神社誌料]] 府県郷社 上|publisher=明治神社誌料編纂所|isbn=|ref={{Harvid|明治神社誌料|1912年}}}}
** [http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1088244 『明治神社誌料 府県郷社 上』](近代デジタルライブラリーより)773-774コマ参照。
* {{Cite book|和書|editor=|author=|year=1981|chapter=知立神社|title=日本歴史地名体系 23 愛知県の地名|publisher=[[平凡社]]|isbn=4582490239|ref={{Harvid|知立神社(平)|1981年}}}}
* {{Cite book|和書|editor=|author=|year=1989|chapter=知立神社|title=[[角川日本地名大辞典]] 23 愛知県|publisher=[[角川書店]]|isbn= 4040012305|ref={{Harvid|知立神社(角)|1989年}}}}
* {{Cite book|和書|editor=[[谷川健一]]編|author=野本欽也|year=1987|chapter=知立神社|title=日本の神々 -神社と聖地- 10 東海|publisher=[[白水社]]|isbn=4560022208|ref={{Harvid|知立神社(神々)|1987年}}}}
* {{Cite book|和書|editor=式内社研究会編|author=野村辰美|chapter=知立神社|year=1988|title=式内社調査報告 第9巻|publisher=[[皇學館大学]]出版部|page=|isbn=|ref={{Harvid|知立神社(式内社)|1988年}}}}
* {{Cite book|和書|editor=中世諸国一宮制研究会編|author=|year=2000|chapter=|title=中世諸国一宮制の基礎的研究|publisher=岩田書院|isbn=978-4872941708|ref={{Harvid|中世諸国一宮制|2000年}}}}


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
* [[永見貞愛]]
* [[宮流神楽]]
* [[宮流神楽]]
* [[知立まつり]]
* [[知立まつり]]
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[[Category:江戸時代の建築]]
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[[Category:三河国|社2]]
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2014年12月19日 (金) 00:53時点における版

知立神社

拝殿(国の登録有形文化財
所在地 愛知県知立市西町神田12
位置 北緯35度0分47.29秒 東経137度2分28.00秒 / 北緯35.0131361度 東経137.0411111度 / 35.0131361; 137.0411111 (知立神社)座標: 北緯35度0分47.29秒 東経137度2分28.00秒 / 北緯35.0131361度 東経137.0411111度 / 35.0131361; 137.0411111 (知立神社)
主祭神 鸕鶿草葺不合尊
彦火火出見尊
玉依比売命
神日本磐余彦尊
社格 式内社(小)
三河国二宮
県社
創建 (伝)第12代景行天皇年間
本殿の様式 三間社流造檜皮葺
(社殿は尾張造
別名 池鯉鮒大明神
札所等 東海道三社
例祭 5月3日知立祭り
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鳥居

知立神社(ちりゅうじんじゃ/ちりふじんじゃ)は、愛知県知立市西町にある神社式内社三河国二宮で、旧社格県社

旧称は「池鯉鮒大明神」。江戸時代には「東海道三社」の1つに数えられた。

祭神

祭神は次の4柱で、相殿2柱を併祀する[1]

主祭神

  • 鸕鶿草葺不合尊 (うがやふきあえずのみこと) - 主神。
  • 彦火火出見尊 (ひこほほでみのみこと) - 鸕鶿草葺不合尊の父。
  • 玉依比売命 (たまよりびめのみこと) - 鸕鶿草葺不合尊の妻。
  • 神日本磐余彦尊 (かむやまといわれびこのみこと:初代神武天皇) - 鸕鶿草葺不合尊の子。

相殿神

  • 青海首命 (あおみのおびとのみこと) - 碧海地方の開拓にあたったと伝える人物。
  • 聖徳太子

祭神について文献では、日本武尊従者の大伴武日吉備武彦とする説や、「チリュウ」の音から木花知流比売(このはなちるひめ)とする説が挙げられている[2]。また聖徳太子の併祀は、江戸時代中期の史料まで遡って見られる[2]

歴史

創建

社伝では、第12代景行天皇の時に東国平定に赴いた日本武尊が当地で戦勝を祈願し、平定後の帰途に感謝して建国祖神の上記4柱を祀ったのが創建という[2][1]。一方、第14代仲哀天皇元年の創建とする説もある[2]

江戸時代まで当社の神主家であった永見家の『永見氏家譜』によれば、その出自について饒速日尊後裔で知波屋見命(知波夜命:初代三河国造)十五世孫の三河姓貞連が、白鳳2年に天武天皇の勅命により知立神主になったとしている[2]

なお、当初の鎮座地は東へ約1キロメートルの山町の高地であったといわれる[2]。一時上重原を経て、現在地に移ったのは天正元年(1573年)になるという[2]

概史

砥鹿神・知立神の神階
砥鹿神 知立神
851年 従五位上 従五位上
864年 従五位上
→正五位下
従五位上
→正五位下
870年 正五位下
→正五位上
正五位下
→正五位上
876年 従四位下
→従四位上
従四位下
→従四位上

国史では、「知立神(智立神)」の神階仁寿元年(851年)に従五位上、貞観6年(864年)に正五位下、貞観12年(870年)に正五位上、貞観18年(876年)に従四位上に昇叙されている[2]。いずれの記事でも砥鹿神(愛知県豊川市砥鹿神社三河国一宮)と併記され、六国史終了時点の神階は三河国内では砥鹿神とともに最高位になる[3]

延長5年(927年)成立の『延喜式神名帳では三河国碧海郡に「知立神社」と記載され、式内社に列している[2]。なお、『和名抄』では三河国碧海郡に「智立郷」と見えるが、これは当地付近に比定される[2]

また、『参河国名所図絵』知立神社の項に「さなげ社伝に云、一宮とか神社(砥鹿神社)、二宮知立神社、三宮さなげ神社(猿投神社)」と見えることから、当社は三河国の二宮の位置づけにあったと見られている[4]。ただし、当社を三河国二宮と記載する中世史料はなく、上記図絵の出典も明らかでない[4]。その後、正安3年(1301年)筆の社蔵扁額「正弌位智鯉鮒大明神」や『三河国内神名帳』(慶安2年(1649年)書写本)によると正一位の極位に達したとされる[2]

中世には水野氏の崇敬を受け、文明3年(1471年)3月に水野直守が社殿を修造し、大永6年(1526年)には水野忠政も修理を行なったが、天文16年(1547年)の兵火で焼失し、重原に遷座した[2]元亀2年(1571年)にはさらに現在地に遷座し、水野信光から社殿修造と社領10石の寄進があったという[2]

江戸時代に入り、寛文年間(1661年-1672年)には松平忠房から、社領として10石が追加寄進されたという[2]。江戸時代には主に「池鯉鮒大明神」として知られ[4]、「東海道三社」の1つにも挙げられ、近隣20数か村の産土神として、また蝮除け・長虫除け・雨乞・安産の神として信仰された[3][1]。特に神札を身につければ蝮蛇に咬まれないとされ、北関東から山陰地方に至る各地に分社が建てられた[1]。『東海道名所図会』では、当社について祭神・多宝塔・古額・末社・神籬門・石橋・的場・除蝮蛇神札・御手洗池などが記述されている[5]

明治維新後、明治5年(1872年)9月に近代社格制度において県社に列した[2]

神階

  • 六国史時代における神階奉叙の記録
    • 仁寿元年(851年)10月7日、従五位上 (『日本文徳天皇実録』) - 表記は「知立神」。
    • 貞観6年(864年)2月19日、従五位上から正五位下 (『日本三代実録』) - 表記は「知立神」。
    • 貞観12年(870年)8月28日、正五位下から正五位上 (『日本三代実録』) - 表記は「智立神」。
    • 貞観18年(876年)6月8日、従四位下から従四位上 (『日本三代実録』) - 表記は「知立神」。
  • 六国史以後
    • 正一位 (正安3年(1301年)筆の社蔵扁額) - 表記は「智鯉鮒大明神」。
    • 正一位 (『三河国内神名帳』慶安2年(1649年)書写本)[2] - 表記は「鯉鮒大明神」。
    社伝では、弘長元年(1261年)2月20日に正一位へ昇叙されたとする[2]

境内

拝殿(国の登録有形文化財

現在の主要社殿は、江戸時代後期から昭和にかけての造営になる。社殿配置は「尾張造」と呼ばれるもので、本殿・幣殿・祭文殿・回廊・拝殿を縦長に接続する。この尾張造は、尾張地方には多いが三河地方では珍しく、当社社殿はその三河への伝播を表す遺構になる[1][6]。これらの社殿は国の登録有形文化財に登録されている。各社殿の詳細は次の通り。

本殿
江戸時代の天保2年(1831年)の造営。三間社流造で、屋根は檜皮葺[7]
幣殿
本殿前に接続する。大正期(1912年-1926年)の造営。桁行五間・梁間三間、切妻造妻入で、屋根は檜皮葺[8]
祭文殿・回廊
幣殿前に接続して祭文殿が立ち、その左右に回廊が伸びる。明治20年(1887年)の造営で、大正期と昭和29年(1954年)に改修されている。祭文殿は四脚門形式で切妻造。祭文殿・回廊とも屋根は檜皮葺[9]
拝殿
主要社殿群の正面に立ち、祭文殿に接続する。桁行六間・梁間三間、切妻造妻入で、屋根は檜皮葺。前二間は土間で、奥は板敷になる。前面には、間口一間で切妻造の向拝が付属する[6]

また、拝殿前の神池にかかる石橋は、江戸時代の享保17年(1732年)の造営である。花崗岩製の太鼓橋で、規模は全長6.6メートル、幅2.4メートル。弧状の石桁の上に、厚さ12センチメートルの石板19枚を並べて橋と成している。『東海道名所図会』にも記載が見える。この石橋は知立市指定文化財に指定されている[10]

境内入り口付近に立つ多宝塔は、室町時代後期の永正6年(1509年)の再建とされる。三間四方の2層の塔で、塔高は約14.5メートル、屋根は柿葺、四隅には宝珠を置く。社伝では嘉祥3年(850年)に円仁神宮寺を建立した際に2層の塔を建立したというが、現在の遺構はその後の再建になる。明治元年(1868年)の廃仏毀釈の際には、本尊(愛染明王)・仏壇を塔内から除いて文庫に改めたため、難を逃れている。その後、大正9年(1920年)の解体修理で復元された。なお、塔内にあった本尊は現在総持寺にある。この多宝塔は、神宮寺の遺構を伝える全国でも珍しい例とされ、国の重要文化財に指定されている[11][10]

そのほか境内には、明治期の建築で昭和43年(1968年)に地元旧家から移築された茶室「池鯉鮒庵」(国の登録有形文化財)や、明治19年建築の洋風建築「養正館」、高さ6メートルのトネリコ(知立市指定天然記念物)がある[12][1][10]

摂末社

親母神社(国の登録有形文化財)
土御前社

摂社

  • 親母神社 (うばがみしゃ)
    祭神は鸕鶿草葺不合尊(本殿主神)の母。社殿は一間社流造で朱塗で彩られ、屋根は檜皮葺である。明治期の造営で、摂社としては規模の大きいものになる。この社殿は国の登録有形文化財に登録されている[13]
  • 土御前社 (つちのごぜんしゃ)
    祭神は知立神社創建に奉行として携わったとする。

末社

祭事

知立まつり時の山車と多宝塔

年間祭事は次の通り[14]

  • 月次祭 (毎月3日)
  • 歳旦祭・交通安全祈願祭 (1月1日)
  • 元始祭 (1月3日)
  • 節分祭 (2月3日)
  • 建国祭 (2月11日)
  • 祈年祭 (3月3日)
  • 昭和祭 (4月29日)
  • 講社祭・宵祭 (5月2日)
  • 例祭知立祭り)・神幸祭 (5月3日)
    前日と当日、山車5台を奉納する本祭と花車5台を奉納する間祭(あいまつり)が1年おきに行われる。知立のからくり・知立山車文楽はともに国の重要無形民俗文化財に指定されている[15]。詳細は「知立まつり」を参照。
  • 花しょうぶ祭 (5月25日-6月20日)
  • 大祓式・茅の輪神事 (7月31日)
  • 土御前社祭 (8月下旬日曜) - 奉納子供相撲。
  • 秋葉社祭 (9月20日) - 奉納手筒花火。
  • 明治祭 (11月3日)
  • 七五三祈願祭 (11月15日)
  • 新嘗祭 (12月3日)
  • 天長祭 (12月23日)
  • 大祓式・除夜祭 (12月31日)

文化財

重要文化財(国指定)

  • 多宝塔(建造物) - 室町時代。明治40年5月27日指定[16]

登録有形文化財(国登録)

  • 本殿(建造物) - 平成26年4月25日登録[7]
  • 幣殿(建造物) - 平成26年4月25日登録[8]
  • 拝殿(建造物) - 平成26年4月25日登録[6]
  • 祭文殿及び廻廊(建造物) - 平成26年4月25日登録[9]
  • 摂社親母神社(建造物) - 平成26年4月25日登録[13]
  • 茶室(建造物) - 平成26年4月25日登録[12]

愛知県指定文化財

  • 有形文化財
    • 扁額「正一位智鯉鮒大明神」(工芸) - 鎌倉時代。昭和32年1月12日指定。
    • 能面 2面(工芸) - 室町時代。昭和39年10月14日指定。
    • 舞楽面 6面(工芸) - 鎌倉時代。昭和39年10月14日指定。

知立市指定文化財

  • 有形文化財
    • 石橋(建造物) - 江戸時代。昭和44年4月1日指定。
    • 獅子頭(工芸) - 室町時代。昭和40年1月1日指定。
    • 木彫蛙(工芸) - 室町時代。昭和40年1月1日指定。
    • 鰐口(工芸) - 江戸時代。昭和40年1月1日指定。
    • 蓬莱鏡(工芸) - 室町時代。昭和40年1月1日指定。
    • 木矛(工芸) - 室町時代。昭和40年1月1日指定。
    • 手焙形土器(考古) - 弥生時代(神社付近から出土)。昭和40年1月1日指定。
    • 徳川家康寄進状(歴史資料) - 昭和40年1月1日指定。
    • 長勝院お万の方書状(歴史資料) - 昭和40年1月1日指定。
    • 松平清康寄進状(歴史資料) - 昭和40年1月1日指定。
  • 天然記念物
    • トネリコ - 昭和57年6月10日指定。

神宮寺

境内にあった神宮寺は、社伝では嘉祥3年(850年)の僧円仁(慈覚大師)による建立という[2]。寺内には玉泉坊を始め7坊があったが、天文16年(1547年)に焼亡し、元亀年間(1570年-1573年)に再建されたという[2]。現存の多宝塔はその神宮寺の名残を伝えるものであるが、墨書によると永正6年(1509年)の再建になる[2]

江戸時代には寛永寺末として「総持寺」を称し知立神社の別当寺を成したが、明治に廃された[2][17]。その後、総持寺自体は大正15年(1926年)に知立神社近くに再興され現在に至っている[2]。多宝塔内にあった本尊の愛染明王像は、現在はこの総持寺に安置されている。

現地情報

所在地

交通アクセス

周辺

  • 池鯉鮒宿
  • 総持寺 - 知立神社神宮寺の後継寺院。

脚注

  1. ^ a b c d e f g 神社由緒書。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w 知立神社(式内社) & 1988年.
  3. ^ a b 知立神社(神々) & 1987年.
  4. ^ a b c 中世諸国一宮制 & 2000年, p. 125-127.
  5. ^ 早稲田大学「古典籍総合データベース」より、『東海道名所図会 第3巻』28カット29カット参照。
  6. ^ a b c 知立神社拝殿 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  7. ^ a b 知立神社本殿 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  8. ^ a b 知立神社幣殿 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  9. ^ a b 知立神社祭文殿及び回廊 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  10. ^ a b c 境内説明板。
  11. ^ 知立神社多宝塔”. 愛知県. 2014年11月16日閲覧。
  12. ^ a b 知立神社茶室 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  13. ^ a b 知立神社摂社親母神社 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  14. ^ 年間行事(公式サイト)。
  15. ^ 知立の山車文楽とからくり”. 愛知県. 2014年11月16日閲覧。
  16. ^ 知立神社多宝塔 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  17. ^ 知立神社(角) & 1989年.

参考文献

  • 神社由緒書
  • 境内説明板
  • 明治神社誌料編纂所編 編「知立神社」『明治神社誌料 府県郷社 上』明治神社誌料編纂所、1912年。 
  • 「知立神社」『日本歴史地名体系 23 愛知県の地名』平凡社、1981年。ISBN 4582490239 
  • 「知立神社」『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年。ISBN 4040012305 
  • 野本欽也 著「知立神社」、谷川健一編 編『日本の神々 -神社と聖地- 10 東海』白水社、1987年。ISBN 4560022208 
  • 野村辰美 著「知立神社」、式内社研究会編 編『式内社調査報告 第9巻』皇學館大学出版部、1988年。 
  • 中世諸国一宮制研究会編 編『中世諸国一宮制の基礎的研究』岩田書院、2000年。ISBN 978-4872941708 

関連項目

外部リンク

  • 知立神社(公式サイト)
  • 知立神社(國學院大學21世紀COEプログラム「神道・神社史料集成」)