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「ピアノソナタ第32番 (ベートーヴェン)」の版間の差分

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[[Image:Beethoven pf son 32 title.jpg|thumb|right|350px|ソナタ作品111初版表紙]]
[[Image:Beethoven pf son 32 title.jpg|thumb|right|300px|ソナタ作品111初版表紙]]
{{Portal クラシック音楽}}
{{Portal クラシック音楽}}
[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]作曲の'''ピアノソナタ第32番ハ短調作品111'''は、作曲者の最後の[[ピアノソナタ]]となった作品である。[[1821年]]から[[1822年]]にかけて作曲された。他後期ピアノソナタと同様、この作品も[[フーガ]]的要素を含み、非常に高い演奏技術をピアノ奏者に要求する
'''ピアノソナタ第32番'''ピアノソナタだいさんじゅうにばん)[[ハ短調]] [[作品番号|作品111]]は、[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン]][[1822年]]に完成した、作曲者最後[[ピアノソナタ]]。


== 概要 ==
この作品は、ベートーヴェンの数あるピアノソナタの中でも至高の精神性と練達の書法によって、極めつきの完成度である。第1楽章の[[対位法]]主体の進行は桁違いの発想力を見せ、第2楽章においては並々ならぬベートーヴェンの創造性が生んだ天上の音楽とも言うべき深遠な世界が現れる。悟りの境地に達したであろうベートーヴェンにだけ可能な、傑作中の傑作である。
ベートーヴェン最後のピアノソナタの作曲は、[[ピアノソナタ第30番 (ベートーヴェン)|第30番]]作品109、[[ピアノソナタ第31番 (ベートーヴェン)|第31番]] 作品110と並行する形で進められた。[[1819年]]頃にはスケッチに着手しており{{sfn|大木|1980|p=404}}、[[1820年]][[9月20日]]の書簡ではこの曲の作曲を進めている最中であることが報告されている{{sfn|大木|1980|p=398}}。その後、浄書開始の日付として譜面に1822年[[1月13日]]の日付が書き入れられており、この直後に全曲の完成に至ったと思われる{{sfn|大木|1980|p=404}}。当時のベートーヴェンは『[[ミサ・ソレムニス#ベートーヴェンのミサ・ソレムニス|ミサ・ソレムニス]]』や[[交響曲第9番 (ベートーヴェン)|交響曲第9番]]などの大作にも取り組んでおり、これら晩年の作品群は同時に生み出されていったことになる{{sfn|大木|1980|p=398}}。


この曲の完成をもってベートーヴェンは初期より続けてきたピアノソナタ作曲の筆を折る。この曲の後のピアノ作品には『[[ディアベリ変奏曲]]』などが続くものの、ピアノソナタが書かれることはついになかった。1822年[[6月5日]]付の書簡では次なるピアノソナタが近いうちに出来上がる旨、楽譜出版社の[[ペータース (出版社)|ペータース]]に伝えているが、該当する作品の存在は草稿としても確認されていない{{sfn|大木|1980|p=404}}。
== 曲の構成 ==
対照的な2つの[[楽章]]より構成される。ベートーヴェンが残したスケッチから、この曲は当初、型通りの3楽章ソナタとして構想され、[[変イ長調]]のアダージョを中間に置いて終楽章は[[ロンド]]あるいは[[フーガ]]で締めくくる予定であったことがわかっている。しかし、マエストーソの序奏を書き終えたあたりで、この構想は破棄されたようである。
結果として、アレグロでフーガを含むハ短調の情熱的なソナタ形式と、アダージョで限りない美しさを持つ[[ハ長調]]の[[変奏曲]]という、ベートーヴェンのピアノソナタがこれまでに体現してきたすべての要素を凝縮したかのような2楽章の傑作が生まれることとなった。


楽譜は1822年に[[モーリス・シュレジンガー|シュレジンガー]]から出版された。楽譜の表紙には[[ルドルフ・ヨハネス・フォン・エスターライヒ|ルドルフ大公]]への献辞が掲げられているが、もともとはベートーヴェンと関わりの深かった[[ブレンターノ]]家のアントニー(1780年-1860年)に贈られる予定だった{{sfn|大木|1980|p=398}}{{sfn|大木|1980|p=405}}。しかし、献呈先をどちらとするか両者の間で二転三転した結果、最終的にルドルフ大公へと捧げられることになった。なお、アントニーはピアノソナタ第31番の献呈先としても名前が挙がっていたものの結局同曲は無献辞で出版されており{{sfn|大木|1980|p=401}}、ようやく『ディアベリ変奏曲』に至って作品の献呈を受けることになる{{sfn|大木|1980|p=398}}{{refnest|group= "注"|アントニーの娘、マキシミリアーネはピアノソナタ第30番の献呈を受けている{{sfn|大木|1980|p=398}}。}}。
;第1楽章 Maestoso - Allegro con brio ed appassionato
:ハ短調、[[ソナタ形式]]。
フーガ的要素を含んだ序奏つきソナタ形式である。ベートーヴェンのハ短調で書かれた他の作品と同じく、荒々しく熱情的な楽想を持つ。また、[[%E5%92%8C%E9%9F%B3#.E4.B8.83.E3.81.AE.E5.92.8C.E9.9F.B3.EF.BC.88.E5.9B.9B.E5.92.8C.E9.9F.B3.EF.BC.89|減七]]の和音を多く含む。第1楽章の冒頭、第1小節全体に広がる減七の和音はその一例である。(譜例:第1楽章冒頭)
コーダは短いながらも、ディミヌエンドしてハ長調で終止し、変奏曲に溶け込むように巧妙に作られている。


他の後期ピアノソナタと同様、この作品も[[フーガ]]的要素を含み、非常に高い演奏技術をピアノ奏者に要求する。
[[Image:Beethoven pf son 32 opening.png|600px]]


また、この曲はベートーヴェンの全ピアノソナタのうち唯一強弱記号として[[強弱法#一定の強弱を表すもの|メゾピアノ]]を使用している曲である<ref>{{Cite web|和書|author= 今井顕 |url=http://atwien.com/mwbhpwp/wp-content/uploads/05Beethovens-Innere-Dynamik.pdf |title=ベートーヴェンの強弱法 ―パウル・バドゥーラースコダ教授による公開講座:報告と注釈― |publisher=[[国立音楽大学]]音楽研究所年報 |format=PDF |accessdate=2021-05-31}}</ref>。
;第2楽章 Arietta. Adagio molto, semplice e cantabile
:ハ長調、(厳格)変奏曲。
16小節の主題とそれに基づく5つの変奏からなる。短い転調を伴う間奏と[[コーダ (音楽)|コーダ]]を持つ。主題は16分の9拍子の下、深い内面性を帯びた旋律が穏やかに歌われる。第1変奏では旋律に一定の律動(動機構造の重心)が伴われ、以後、第3変奏にかけてこの律動が漸次細分化される。第4変奏になると、32分音符の三連音による律動が低音部及び高音部に出現するが、この律動は非常に重要で、その後の楽曲全体を支配する。最終(第5)変奏より、主題がこの律動の上に出現し、続けて高音域のトリルを伴いながら、楽曲は静寂のうちに幕を閉じる。(譜例:第2楽章冒頭)


== 演奏時間 ==
[[image:Beethoven_pf_son_32_arietta.png|600px]]
第1楽章が約9分、第2楽章が約15分である<ref group= "注">現在、CDで聴ける最短の演奏は、[[イヴォンヌ・ルフェビュール]] 第1楽章:6'21"/第2楽章:10'50"(録音:1961年7月6日 INA COUP 009)が、最長の演奏は、[[アナトール・ウゴルスキ]] 第1楽章:11'12"/第2楽章:26'54"(録音:1991-92年 DG 435 881-2)が、それぞれ挙げられる。</ref>。


== 楽曲構成 ==
通常の演奏時間は、第1楽章が約9分、第2楽章が約15分である。
曲は[[wikt:allegro|アレグロ]]で[[対位法]]的書法を駆使した情熱的なハ短調のソナタ形式と、[[wikt:adagio|アダージョ]]で美しい[[ハ長調]]の[[変奏曲]]という、ベートーヴェンが後期ピアノソナタにおいて体現してきたすべての要素を凝縮したかのような対照的な2楽章からなる{{sfn|大木|1980|p=404}}<ref>{{Cite web |url=http://www.naxos.com/mainsite/blurbs_reviews.asp?item_code=8.550151&catNum=550151&filetype=About%20this%20Recording&language=English# |title=BEETHOVEN, L. van: Piano Sonatas Nos. 30-32, Opp. 109-111 |publisher=[[ナクソス (レコードレーベル)|Naxos]] |accessdate=2015-02-01}}</ref>{{refnest|group= "注"|スケッチを見ると、当初は3楽章制のソナタが構想されていたと考えられる<ref>{{cite book|和書|author=ヨーアヒム・カイザー|translator=[[門馬直美]]、鈴木威|title=ベートーヴェン32のソナタと演奏家たち(下)|year=1996|publisher=春秋社|page=279}}</ref>。この段階では[[変イ長調]]の緩徐楽章とプレストのフィナーレの冒頭が記され、20年ほど前の着想にさかのぼる後者は最終的に第1楽章の第1主題に使われた<ref>{{cite book|first=Misha|last=Donat|chapter=Introduction|title=''(Score)'' Sonata in C minor for pianoforte, op. 111|publisher=Bärenreiter|year=2019|page=III}}</ref>。}}。


=== 第1楽章 ===
この作品は作曲者の後期作品の中では最も知名度が高く、演奏と録音共に広く行われている。
[[image:Beethoven Sonata 32 p1.jpg|thumb|right|300px|第1楽章冒頭部の作曲者自筆譜。[[ボン]]の[[ベートーヴェン・ハウス]]蔵。]]
; [[wikt:maestoso|Maestoso]] - [[wikt:allegro|Allegro]] [[wikt:con brio|con brio]] ed [[wikt:appassionato|appassionato]] ハ短調
[[ソナタ形式]]。序奏を持ち、フーガ的要素を含む。[[ピアノソナタ第8番 (ベートーヴェン)|悲愴ソナタ]]や[[交響曲第5番 (ベートーヴェン)|運命交響曲]]などベートーヴェンのハ短調で書かれた他の作品と同じく、荒々しく熱情的な楽想を持つ。また、[[減七の和音]]を多く含む。第1楽章の冒頭、第1小節全体に広がる減七の和音はその一例である(譜例1)。


譜例1
== 参考資料 ==
<score>
*『ベートーヴェンピアノソナタ 作曲学的研究』([[諸井三郎]] / [[音楽之友社]] / ISBN 4-276-13021-2 / [[1965年]][[5月15日]])
\relative c' {
*『ジャズの起源はベートーベンにある』([[田幸正邦]] / [[東京図書出版会]] / ISBN-10: 4434020315 / ISBN-13: 978-4434020315 [[2002年]])
\new PianoStaff <<
\new Staff { \key c \minor \time 4/4 \tempo "Maestoso." \partial 32
<<
{
\override DynamicLineSpanner #'staff-padding = #1.8
\override DynamicLineSpanner #'Y-extent = #'(-1.0 . 1.0)
\override TextScript #'Y-extent = #'(-1.5 . 1.5)
b'32\rest b8\rest b16.\rest <es c a es>32\f <es~ c~ a~ es~>4\sf <es c a es>8.. <c a>32 c8.^\trill\sf\> b32 c\!
b8\p b\rest <c g es> b\rest \grace { d,64[ g b!] } <d g, d>8\f b\rest
}
\\
{ s32 s2. a4 g8 }
>>
}
\new Staff { \key c \minor \time 4/4 \clef bass
<es es,>32\f <fis, fis,>8.. <fis, fis,>32 <fis'~ fis,~>4 <fis fis,>8.. <es' fis,>32 <es fis,>4
<d g,>8 r <c g c,> r \grace { b,,64\sustainOn ^\cresc [ d\! g b d g b] s32. } <b,! b,!>8 r
}
>>
}
</score>

序奏は低音からの[[強弱法|クレッシェンド]]により主部へと接続される。第1主題は強奏により威圧的に提示され(譜例2)、まもなく対位法的に扱われていく。

譜例2
<score>
\relative c' \new Staff \with { \remove "Time_signature_engraver" } { \key c \minor \time 4/4 \partial 8 \clef bass
<<
{ \times 2/3 { g,16^\ff a b } c4-. es-. b4.^\sf\fermata \times 2/3 { g16 a b } c4-. es-. b4.^\sf aes'!8-. g-. f-. es-. d-. es16 f es d c8 }
\\
{ \times 2/3 { g,16 a b } c4-. es-. b4.\fermata \times 2/3 { g16 a b } c4-. es-. b4. aes'!8-. g-. f-. es-. d-. es16 f es d c8 }
>>
}
</score>

第2主題は[[変イ長調]]で現れるが、たちまち細かい音の流れに融解していく(譜例3)。

譜例3
<score>
\relative c' {
\new PianoStaff <<
\new Staff \with { \remove "Time_signature_engraver" } { \key aes \major \time 4/4
r4 es''2\sf\>( c8. aes16) aes4\p g8[ r16 f] f4( es8) r16 <des' g, des>
<des g, des>4 <c~ aes~ c,~>
\times 8/12 { <c aes c,>32_\markup { \italic { Meno allegro } }([ es d es f es b c b c des c]) }
\times 4/6 { g16([ aes bes aes g aes]) }
}
\new Staff \with { \remove "Time_signature_engraver" } { \key aes \major \time 4/4 \clef bass
<es,, es,>4\sustainOn r4 r r8. << <es' c es,>16 { s32 s32\sustainOff } >>
<des bes es,>4. r16 <c aes es> <c aes es>4 <bes g es>8[ r16 <bes g es>] <bes g es>4 <c aes es> r2
}
>>
}
</score>

第2主題のもたらす静寂は長くは続かず、第1主題に基づく[[コーダ (音楽)|コデッタ]]に取って代わられると反復記号によって提示部を繰り返す。展開部では第1主題をフーガ風に扱っていくが、規模はさほど大きなものではない{{sfn|大木|1980|p=405}}。4[[オクターヴ]]の[[一度|ユニゾン]]が強烈に譜例2を奏して再現部となり、続いて第2主題は[[ハ長調]]となって現れる。第2主題が[[ヘ短調]]となって低音部で繰り返され、結尾句を経るとコーダとなる。[[コーダ (音楽)|コーダ]]は短いながらも、[[強弱法|ディミヌエンド]]して[[ハ長調]]で終止し、第2楽章の変奏曲に溶け込むように巧妙に作られている。

=== 第2楽章 ===
[[image:Beethoven Sonata 32 p15.jpg|thumb|right|300px|第2楽章冒頭部、楽譜出版者の[[モーリス・シュレジンガー]]による写譜。1823年。]]
; Arietta. [[wikt:adagio|Adagio]] [[wikt:molto|molto]], [[wikt:semplice|semplice]] e [[wikt:cantabile|cantabile]] ハ長調
(厳格)変奏曲。16小節の主題とそれに基づく5つの変奏からなり{{sfn|大木|1980|p=405}}、転調を伴う短い間奏とコーダを持つ。16分の9拍子の下、譜例4に示される深みのある主題が穏やかに歌われる{{sfn|大木|1980|p=406}}。

譜例4<ref group= "注">5小節目、下段譜表低声部のト音には次の小節のホ音へのスラーがかかる。</ref>
<score>
\relative c' {
\new PianoStaff <<
\new Staff { \key c \major \time 9/16 \tempo "Adagio molto semplice e cantabile." \partial 8.
<<
{ c'8\p( g16) g4. d'8( g,16) g4. g8. g([ e' c]) c[ b b] c\<([ e g]) g\>([ f d8 c16\!]) b8.([ c d8 g,16]) g4. }
\\
{ e8. e([ f d]) d([ e f]) s e[ g] e[ d <g d>] g4. g8. a4. a8 <a d,>16 <g d>8.[ <g c,> <g d>8 d16~] d8 }
>>
}
\new Staff { \key c \major \time 9/16 \clef bass
<<
{
<g,, c,>8. <g c,>[ <g d> <g b,>] <g b,>[ <g c,> <g d>] <g e>[ <g c,> <g e>] g,[ g' g8( f16]
<e e,>4.) <e e,>8. <d d,>4. <f f,>8 <fis fis,>16 g8.([ a b8) b16~] b8
}
\\
{ s8. | s4. s8. | s4. s8. | s4. s8. | g,4.~ g8[ f16] | s4. s8. | s4. s8. | g4. }
>>
}
>>
}
</score>

第1変奏では旋律に一定の律動が伴われ、以後、第3変奏にかけてこの律動が漸次細分化される。下記に第1変奏(譜例5)、第2変奏(譜例6)、第3変奏(譜例7)の冒頭部分を示す。

譜例5
<score>
\relative c' {
\new PianoStaff <<
\new Staff \with { \remove "Time_signature_engraver" } { \key c \major \time 9/16 \partial 8.
c'8_\markup \italic dolce ( e,16 a8 e16 g8 f16 d'8 d,16 g8_\markup { \italic { sempre legato } } d16 f8 e16 g8 f16)
a8( g16 e'8 e,16 c'8 e,16) <c' es,>8( <b d,>16 <a c,>8 <g b,>16 <a c,>8 <b d,>16)
}
\new Staff \with { \remove "Time_signature_engraver" } { \key c \major \time 9/16 \clef bass
e,,16 c g'~ g( cis, g'~ g d g~ g ais, g'~ g b, g'~ g c,! g' e d g~) g( dis e g c, g'~ g e g~ g fis, g'~ g g, g'~ g f, g')
}
>>
}
</score>

譜例6
<score>
\relative c' {
\new PianoStaff <<
\new Staff = "up" { \key c \major \time 6/16 \partial 8. \tempo "L'istesso tempo."
<<
{
\set subdivideBeams = ##t \set baseMoment = #(ly:make-moment 6 32)
b'8*3/2\rest e16_\markup { \italic { mano sinistra } }[( c32 b16 c32] d16 b32 ais16 b32) b8*3/2\rest
\change Staff = "down" f,16([ d32 cis16 d32] \change Staff = "up" g'16[ e32 dis16 e32] g16[ e32 g16 f32] a16[ fis32 a16 g32])
}
\\
{
\set subdivideBeams = ##t \set baseMoment = #(ly:make-moment 6 32)
s8. g16[ e32 d16 e32] f16[ d32 cis16 d32] }
>>
}
\new Staff = "down" { \key c \major \time 9/16 \clef bass
\set subdivideBeams = ##t \set baseMoment = #(ly:make-moment 6 32)
c16_\markup \italic dolce g32 fis16 g32 g16*3/2[ g~] g[ g] d16( g,32 fis16 g32) \voiceTwo a16*3/2([ b~] b[ c] cis[ d] dis[ e])
}
>>
}
</score>

譜例7
<score>
\relative c' {
\new PianoStaff <<
\new Staff = "up" { \key c \major \time 12/32 \partial 8. \tempo "L'istesso tempo."
\set subdivideBeams = ##t \set baseMoment = #(ly:make-moment 6 64)
c''32\f([ g64 e32 c64] g32[ e64 c32 g64])
\set baseMoment = #(ly:make-moment 12 64)
\cadenzaOn
<g'~ e~>32*3/2[ <g e>32 <g~ e~>64 <g~ e~>32*3/2 <g e>32 <g e>64] <g~ f~>32*3/2[ <g f>32 <g~ f~>64 <g~ f~>32*3/2 <g f>32 <g f>64]
\set subdivideBeams = ##t \set baseMoment = #(ly:make-moment 18 64)
f''32([ d64 b32 g64 f32 d64 b32 g64]) \bar "|"
}
\new Staff = "down" { \key c \major \time 12/32 \clef bass
\set baseMoment = #(ly:make-moment 36 64)
r8*3/2 c,,,32([ e64 g32 c64 e32 g64 b32 c64])
\set baseMoment = #(ly:make-moment 18 64)
d,,32([ g64 b32 d64 g32 b64 cis32 d64]) r8*3/2 } \bar "|"
>>
}
</score>

第4変奏(譜例8)になると、32分音符の三連音による律動が低音部及び高音部に出現するが、この律動は非常に重要で、その後の楽曲全体を支配する。第4変奏末尾には間奏部が付されている{{sfn|大木|1980|p=407}}。長い[[演奏記号#装飾記号|トリル]]を伴って主題の断片が現れ、一度ハ短調に転ずると最弱音から息の長いクレッシェンドを形成しつつ第5変奏へと接続される<ref>{{cite web|url=http://javanese.imslp.info/files/imglnks/usimg/7/7e/IMSLP51811-PMLP01489-Beethoven_Werke_Breitkopf_Serie_16_No_155_Op_111.pdf |title=Beethoven, Piano Sonata No.32 |publisher=[[ブライトコプフ・ウント・ヘルテル|Breitkopf & Härtel]] |format=PDF |accessdate=2015-02-1}}</ref>。

譜例8
<score>
\relative c' {
\new PianoStaff <<
\new Staff { \key c \major \time 9/16 \partial 8. \clef bass
<c e,>16\pp <c~ g~ e~> <c g e> r <g~ f~ d~ b~> <g f d b> r <g~ f~ d~ b~> <g f d b> r <d'~ b~ g~ f~> <d b g f>
}
\new Staff { \key c \major \time 9/16 \clef bass
c,,32*2/3[ g' c, g' c, g' c, g' c,] g'[ c, g' c, g' c, g' c, g'] c,[ g' c, g' c, g' c, g' c,] g'[ c, g' c, g' c, g' c, g']
}
>>
}
</score>

最終(第5)変奏より、主題が律動の上に出現する(譜例9)。再び姿を現した主題は名残を惜しむかのように、拡大されて歌われていく{{sfn|大木|1980|p=407}}。

譜例9
<score>
\relative c' {
\new PianoStaff <<
\new Staff \with { \remove "Time_signature_engraver" } { \key c \major \time 9/16 \partial 8.
<<
{ c'8( g16) g4. d'8( g,16) g4. }
\\
{ <e c>16 <e c> <e c> e d e f e f d c d d e d }
>>
}
\new Staff \with { \remove "Time_signature_engraver" } { \key c \major \time 9/16 \clef bass
g,,32*2/3[ c, e g c e c e g] c,[ e g b, d g c, e g] d[ f g c, e g d f g] b,[ d g a, c g' b, d g] b,[ d g c, e g b, d g]
}
>>
}
</score>

最後は高音域のトリルを伴いながら主題が回顧され、ハ長調の響きの中、楽曲は静寂のうちに幕を閉じる。

== 評価 ==
2楽章という際立った対比について、「[[輪廻]]と[[解脱]]」([[ハンス・フォン・ビューロー]])、「[[此岸]]と[[彼岸]]」([[エトヴィン・フィッシャー]])、「抵抗と服従」([[ヴィルヘルム・フォン・レンツ]])など、過去にも様々な形容がなされてきた<ref name="hyperion">{{Cite web |url=http://www.hyperion-records.co.uk/dc.asp?dc=D_CDH55083 |title=Beethoven: The Last Three Piano Sonatas |publisher=[[ハイペリオン・レコード|Hyperion Records]] |accessdate=2015-02-01}}</ref>。ベートーヴェン自身は曲が2つの楽章で終わることについて[[伝記作家]]の[[アントン・シンドラー]]に問われた際、ただ「時間が足りなかったので」とのみ述べたとされる{{sfn|大木|1980|p=404}}<ref>Boucourechliev A, ''Beethoven'', Seuil, 1994, p. 93</ref>。一方で、[[トーマス・マン]]は小説『[[ファウストゥス博士]]』の中で作中人物の言葉として「戻ることのない終わり<ref group="注">英文では"an end without any return"</ref>」「ソナタという形式との決別<ref group="注">英文では"the farewell of the sonata form"</ref>」とし<ref name="hyperion" /><ref>{{cite book|last=Mann|first=Thomas|title=Doctor Faustus translated by H.T. Lowe-Porter|year=|publisher=Penguin|location=London|isbn=0-14-018141-5|page=57}}</ref>、2楽章が遥かな高みに至るのを聴くとき、聴衆はこのピアノソナタがこれ以上の楽章を必要としないことを自ずと悟るのである、と表現している{{sfn|大木|1980|p=404}}<ref name="hyperion" />。


== 試聴 ==
== 試聴 ==
{{multi-listen start}}
{{試聴|filename=Beethoven - Sonata opus 111 -1.ogg|title=作品111 第1楽章|description=ピアノソナタ第32番ハ短調 第1楽章|format=[[Ogg]]|filename2=Beethoven - Sonata opus 111 -2.ogg|title2=作品111 第2楽章|description2=ピアノソナタ第32番ハ短調 第2楽章|format=[[Ogg]]}}
{{multi-listen item
| filename = Beethoven - Sonata opus 111 -1.ogg
| title = ピアノソナタ第32番ハ短調 第1楽章
}}
{{multi-listen item
| filename = Beethoven - Sonata opus 111 -2.ogg
| title = ピアノソナタ第32番ハ短調 第2楽章
| description = Performed by Neal O'Doan
}}
{{multi-listen end}}

== 脚注 ==
'''注釈'''
{{Reflist|group= "注"}}
'''出典'''
{{Reflist|2}}

== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|first=正興 |last=大木 |title=最新名曲解説全集 第14巻 独奏曲I |publisher=[[音楽之友社]] |year=1980 |isbn=978-4276010147 |ref=harv}}
* {{Cite book|和書|first=三郎 |last=諸井 |authorlink=諸井三郎 |title=ベートーヴェンピアノソナタ 作曲学的研究 |publisher=音楽之友社 |date=1965-05-15 |isbn=4-276-13021-2}}
* {{Cite book|和書|first=正邦 |last=田幸 |title=ジャズの起源はベートーベンにある |publisher=[[東京図書出版会]] |year=2002 |isbn=978-4434020315}}
* CD解説 [[ハイペリオン・レコード|Hyperion Records]], Beethoven: The Last Three Piano Sonatas, CDH55083
* CD解説 [[ナクソス (レコードレーベル)|NAXOS]], BEETHOVEN, L. van: Piano Sonatas Nos. 30-32, Opp. 109-111, 8.550151
* 楽譜 Beethoven: Piano Sonata No.32, [[ブライトコプフ・ウント・ヘルテル|Breitkopf & Härtel]], 1862-1890


== 関連項目 ==
== 外部リンク ==
* {{IMSLP2|work=Piano Sonata No.32, Op.111 (Beethoven, Ludwig van)}}
*[[ベートーヴェンの楽曲一覧]]
* {{PTNA2|musics|438}}
*[[クラシック音楽の曲名一覧]]
* {{allmusic|class=composition |id=mc0002365634}}


{{ベートーヴェンのピアノソナタ}}
{{ベートーヴェンのピアノソナタ}}


{{Normdaten}}
[[Category:ベートーヴェンのピアノソナタ|*32]]
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2023年10月24日 (火) 09:30時点における最新版

ソナタ作品111初版表紙

ピアノソナタ第32番(ピアノソナタだいさんじゅうにばん)ハ短調 作品111は、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン1822年に完成した、作曲者最後のピアノソナタ

概要

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ベートーヴェン最後のピアノソナタの作曲は、第30番作品109、第31番 作品110と並行する形で進められた。1819年頃にはスケッチに着手しており[1]1820年9月20日の書簡ではこの曲の作曲を進めている最中であることが報告されている[2]。その後、浄書開始の日付として譜面に1822年1月13日の日付が書き入れられており、この直後に全曲の完成に至ったと思われる[1]。当時のベートーヴェンは『ミサ・ソレムニス』や交響曲第9番などの大作にも取り組んでおり、これら晩年の作品群は同時に生み出されていったことになる[2]

この曲の完成をもってベートーヴェンは初期より続けてきたピアノソナタ作曲の筆を折る。この曲の後のピアノ作品には『ディアベリ変奏曲』などが続くものの、ピアノソナタが書かれることはついになかった。1822年6月5日付の書簡では次なるピアノソナタが近いうちに出来上がる旨、楽譜出版社のペータースに伝えているが、該当する作品の存在は草稿としても確認されていない[1]

楽譜は1822年にシュレジンガーから出版された。楽譜の表紙にはルドルフ大公への献辞が掲げられているが、もともとはベートーヴェンと関わりの深かったブレンターノ家のアントニー(1780年-1860年)に贈られる予定だった[2][3]。しかし、献呈先をどちらとするか両者の間で二転三転した結果、最終的にルドルフ大公へと捧げられることになった。なお、アントニーはピアノソナタ第31番の献呈先としても名前が挙がっていたものの結局同曲は無献辞で出版されており[4]、ようやく『ディアベリ変奏曲』に至って作品の献呈を受けることになる[2][注 1]

他の後期ピアノソナタと同様、この作品もフーガ的要素を含み、非常に高い演奏技術をピアノ奏者に要求する。

また、この曲はベートーヴェンの全ピアノソナタのうち唯一強弱記号としてメゾピアノを使用している曲である[5]

演奏時間

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第1楽章が約9分、第2楽章が約15分である[注 2]

楽曲構成

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曲はアレグロ対位法的書法を駆使した情熱的なハ短調のソナタ形式と、アダージョで美しいハ長調変奏曲という、ベートーヴェンが後期ピアノソナタにおいて体現してきたすべての要素を凝縮したかのような対照的な2楽章からなる[1][6][注 3]

第1楽章

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第1楽章冒頭部の作曲者自筆譜。ボンベートーヴェン・ハウス蔵。
Maestoso - Allegro con brio ed appassionato ハ短調

ソナタ形式。序奏を持ち、フーガ的要素を含む。悲愴ソナタ運命交響曲などベートーヴェンのハ短調で書かれた他の作品と同じく、荒々しく熱情的な楽想を持つ。また、減七の和音を多く含む。第1楽章の冒頭、第1小節全体に広がる減七の和音はその一例である(譜例1)。

譜例1


 \relative c' {
  \new PianoStaff <<
   \new Staff { \key c \minor \time 4/4 \tempo "Maestoso." \partial 32
    <<
     {
      \override DynamicLineSpanner #'staff-padding = #1.8
      \override DynamicLineSpanner #'Y-extent = #'(-1.0 . 1.0)
      \override TextScript #'Y-extent = #'(-1.5 . 1.5)
       b'32\rest b8\rest b16.\rest <es c a es>32\f <es~ c~ a~ es~>4\sf <es c a es>8.. <c a>32 c8.^\trill\sf\> b32 c\!
       b8\p b\rest <c g es> b\rest \grace { d,64[ g b!] } <d g, d>8\f b\rest
     }
     \\
      { s32 s2. a4 g8 }
     >>
    }
   \new Staff { \key c \minor \time 4/4 \clef bass
    <es es,>32\f <fis, fis,>8.. <fis, fis,>32 <fis'~ fis,~>4 <fis fis,>8.. <es' fis,>32 <es fis,>4
    <d g,>8 r <c g c,> r \grace { b,,64\sustainOn ^\cresc [ d\! g b d g b] s32. } <b,! b,!>8 r
   }
  >>
 }

序奏は低音からのクレッシェンドにより主部へと接続される。第1主題は強奏により威圧的に提示され(譜例2)、まもなく対位法的に扱われていく。

譜例2


 \relative c' \new Staff \with { \remove "Time_signature_engraver" } { \key c \minor \time 4/4 \partial 8 \clef bass
  <<
   { \times 2/3 { g,16^\ff a b } c4-. es-. b4.^\sf\fermata \times 2/3 { g16 a b } c4-. es-. b4.^\sf aes'!8-. g-. f-. es-. d-. es16 f es d c8 }
  \\
   { \times 2/3 { g,16 a b } c4-. es-. b4.\fermata \times 2/3 { g16 a b } c4-. es-. b4. aes'!8-. g-. f-. es-. d-. es16 f es d c8 }
  >>
 }

第2主題は変イ長調で現れるが、たちまち細かい音の流れに融解していく(譜例3)。

譜例3


 \relative c' {
  \new PianoStaff <<
   \new Staff \with { \remove "Time_signature_engraver" } { \key aes \major \time 4/4
    r4 es''2\sf\>( c8. aes16) aes4\p g8[ r16 f] f4( es8) r16 <des' g, des>
    <des g, des>4 <c~ aes~ c,~>
    \times 8/12 { <c aes c,>32_\markup { \italic { Meno allegro } }([ es d es f es b c b c des c]) }
    \times 4/6 { g16([ aes bes aes g aes]) }
   }
   \new Staff \with { \remove "Time_signature_engraver" } { \key aes \major \time 4/4 \clef bass
    <es,, es,>4\sustainOn r4 r r8. << <es' c es,>16 { s32 s32\sustainOff } >>
    <des bes es,>4. r16 <c aes es> <c aes es>4 <bes g es>8[ r16 <bes g es>] <bes g es>4 <c aes es> r2
   }
  >>
 }

第2主題のもたらす静寂は長くは続かず、第1主題に基づくコデッタに取って代わられると反復記号によって提示部を繰り返す。展開部では第1主題をフーガ風に扱っていくが、規模はさほど大きなものではない[3]。4オクターヴユニゾンが強烈に譜例2を奏して再現部となり、続いて第2主題はハ長調となって現れる。第2主題がヘ短調となって低音部で繰り返され、結尾句を経るとコーダとなる。コーダは短いながらも、ディミヌエンドしてハ長調で終止し、第2楽章の変奏曲に溶け込むように巧妙に作られている。

第2楽章

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第2楽章冒頭部、楽譜出版者のモーリス・シュレジンガーによる写譜。1823年。
Arietta. Adagio molto, semplice e cantabile ハ長調

(厳格)変奏曲。16小節の主題とそれに基づく5つの変奏からなり[3]、転調を伴う短い間奏とコーダを持つ。16分の9拍子の下、譜例4に示される深みのある主題が穏やかに歌われる[9]

譜例4[注 4]


 \relative c' {
  \new PianoStaff <<
   \new Staff { \key c \major \time 9/16 \tempo "Adagio molto semplice e cantabile." \partial 8.
    <<
     { c'8\p( g16) g4. d'8( g,16) g4. g8. g([ e' c]) c[ b b] c\<([ e g]) g\>([ f d8 c16\!]) b8.([ c d8 g,16]) g4. }
    \\
     { e8. e([ f d]) d([ e f]) s e[ g] e[ d <g d>] g4. g8. a4. a8 <a d,>16 <g d>8.[ <g c,> <g d>8 d16~] d8 }
    >>
   }
   \new Staff { \key c \major \time 9/16 \clef bass
    <<
     {
      <g,, c,>8. <g c,>[ <g d> <g b,>] <g b,>[ <g c,> <g d>] <g e>[ <g c,> <g e>] g,[ g' g8( f16]
      <e e,>4.) <e e,>8. <d d,>4. <f f,>8 <fis fis,>16 g8.([ a b8) b16~] b8
     }
    \\
     { s8. | s4. s8. | s4. s8. | s4. s8. | g,4.~ g8[ f16] | s4. s8. | s4. s8. | g4. }
    >>
   }
  >>
 }

第1変奏では旋律に一定の律動が伴われ、以後、第3変奏にかけてこの律動が漸次細分化される。下記に第1変奏(譜例5)、第2変奏(譜例6)、第3変奏(譜例7)の冒頭部分を示す。

譜例5


 \relative c' {
  \new PianoStaff <<
   \new Staff \with { \remove "Time_signature_engraver" } { \key c \major \time 9/16 \partial 8.
    c'8_\markup \italic dolce ( e,16 a8 e16 g8 f16 d'8 d,16 g8_\markup { \italic { sempre legato } }  d16 f8 e16 g8 f16)
    a8( g16 e'8 e,16 c'8 e,16) <c' es,>8( <b d,>16 <a c,>8 <g b,>16 <a c,>8 <b d,>16)
   }
   \new Staff \with { \remove "Time_signature_engraver" } { \key c \major \time 9/16 \clef bass
    e,,16 c g'~ g( cis, g'~ g d g~ g ais, g'~ g b, g'~ g c,! g' e d g~) g( dis e g c, g'~ g e g~ g fis, g'~ g g, g'~ g f, g')
   }
  >>
 }

譜例6


 \relative c' {
  \new PianoStaff <<
   \new Staff = "up" { \key c \major \time 6/16 \partial 8. \tempo "L'istesso tempo."
    <<
     {
      \set subdivideBeams = ##t \set baseMoment = #(ly:make-moment 6 32)
      b'8*3/2\rest e16_\markup { \italic { mano sinistra } }[( c32 b16 c32] d16 b32 ais16 b32) b8*3/2\rest 
      \change Staff = "down" f,16([ d32 cis16 d32] \change Staff = "up" g'16[ e32 dis16 e32] g16[ e32 g16 f32] a16[ fis32 a16 g32])
     }
    \\
     {
      \set subdivideBeams = ##t \set baseMoment = #(ly:make-moment 6 32)
      s8. g16[ e32 d16 e32] f16[ d32 cis16 d32] }
    >>
   }
   \new Staff = "down" { \key c \major \time 9/16 \clef bass
    \set subdivideBeams = ##t \set baseMoment = #(ly:make-moment 6 32)
     c16_\markup \italic dolce g32 fis16 g32 g16*3/2[ g~] g[ g] d16( g,32 fis16 g32) \voiceTwo a16*3/2([ b~] b[ c] cis[ d] dis[ e])
    }
  >>
 }

譜例7


 \relative c' {
  \new PianoStaff <<
   \new Staff = "up" { \key c \major \time 12/32 \partial 8. \tempo "L'istesso tempo."
    \set subdivideBeams = ##t \set baseMoment = #(ly:make-moment 6 64)
    c''32\f([ g64 e32 c64] g32[ e64 c32 g64])
    \set baseMoment = #(ly:make-moment 12 64)
    \cadenzaOn
    <g'~ e~>32*3/2[ <g e>32 <g~ e~>64 <g~ e~>32*3/2 <g e>32 <g e>64] <g~ f~>32*3/2[ <g f>32 <g~ f~>64 <g~ f~>32*3/2 <g f>32 <g f>64]
    \set subdivideBeams = ##t \set baseMoment = #(ly:make-moment 18 64)
    f''32([ d64 b32 g64 f32 d64 b32 g64]) \bar "|"
    }
    \new Staff = "down" { \key c \major \time 12/32 \clef bass
     \set baseMoment = #(ly:make-moment 36 64)
      r8*3/2 c,,,32([ e64 g32 c64 e32 g64 b32 c64])
     \set baseMoment = #(ly:make-moment 18 64)
      d,,32([ g64 b32 d64 g32 b64 cis32 d64]) r8*3/2 } \bar "|"
  >>
 }

第4変奏(譜例8)になると、32分音符の三連音による律動が低音部及び高音部に出現するが、この律動は非常に重要で、その後の楽曲全体を支配する。第4変奏末尾には間奏部が付されている[10]。長いトリルを伴って主題の断片が現れ、一度ハ短調に転ずると最弱音から息の長いクレッシェンドを形成しつつ第5変奏へと接続される[11]

譜例8


 \relative c' {
  \new PianoStaff <<
   \new Staff { \key c \major \time 9/16 \partial 8. \clef bass
    <c e,>16\pp <c~ g~ e~> <c g e> r <g~ f~ d~ b~> <g f d b> r <g~ f~ d~ b~> <g f d b> r <d'~ b~ g~ f~> <d b g f>
   }
    \new Staff { \key c \major \time 9/16 \clef bass
     c,,32*2/3[ g' c, g' c, g' c, g' c,] g'[ c, g' c, g' c, g' c, g'] c,[ g' c, g' c, g' c, g' c,] g'[ c, g' c, g' c, g' c, g']
   }
  >>
 }

最終(第5)変奏より、主題が律動の上に出現する(譜例9)。再び姿を現した主題は名残を惜しむかのように、拡大されて歌われていく[10]

譜例9


 \relative c' {
  \new PianoStaff <<
   \new Staff \with { \remove "Time_signature_engraver" } { \key c \major \time 9/16 \partial 8.
    <<
     { c'8( g16) g4. d'8( g,16) g4. }
    \\
     { <e c>16 <e c> <e c> e d e f e f d c d d e d }
    >>
   }
    \new Staff \with { \remove "Time_signature_engraver" } { \key c \major \time 9/16 \clef bass
     g,,32*2/3[ c, e g c e c e g] c,[ e g b, d g c, e g] d[ f g c, e g d f g] b,[ d g a, c g' b, d g] b,[ d g c, e g b, d g]
    }
  >>
 }

最後は高音域のトリルを伴いながら主題が回顧され、ハ長調の響きの中、楽曲は静寂のうちに幕を閉じる。

評価

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2楽章という際立った対比について、「輪廻解脱」(ハンス・フォン・ビューロー)、「此岸彼岸」(エトヴィン・フィッシャー)、「抵抗と服従」(ヴィルヘルム・フォン・レンツ)など、過去にも様々な形容がなされてきた[12]。ベートーヴェン自身は曲が2つの楽章で終わることについて伝記作家アントン・シンドラーに問われた際、ただ「時間が足りなかったので」とのみ述べたとされる[1][13]。一方で、トーマス・マンは小説『ファウストゥス博士』の中で作中人物の言葉として「戻ることのない終わり[注 5]」「ソナタという形式との決別[注 6]」とし[12][14]、2楽章が遥かな高みに至るのを聴くとき、聴衆はこのピアノソナタがこれ以上の楽章を必要としないことを自ずと悟るのである、と表現している[1][12]

試聴

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脚注

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注釈

  1. ^ アントニーの娘、マキシミリアーネはピアノソナタ第30番の献呈を受けている[2]
  2. ^ 現在、CDで聴ける最短の演奏は、イヴォンヌ・ルフェビュール 第1楽章:6'21"/第2楽章:10'50"(録音:1961年7月6日 INA COUP 009)が、最長の演奏は、アナトール・ウゴルスキ 第1楽章:11'12"/第2楽章:26'54"(録音:1991-92年 DG 435 881-2)が、それぞれ挙げられる。
  3. ^ スケッチを見ると、当初は3楽章制のソナタが構想されていたと考えられる[7]。この段階では変イ長調の緩徐楽章とプレストのフィナーレの冒頭が記され、20年ほど前の着想にさかのぼる後者は最終的に第1楽章の第1主題に使われた[8]
  4. ^ 5小節目、下段譜表低声部のト音には次の小節のホ音へのスラーがかかる。
  5. ^ 英文では"an end without any return"
  6. ^ 英文では"the farewell of the sonata form"

出典

  1. ^ a b c d e f 大木 1980, p. 404.
  2. ^ a b c d e 大木 1980, p. 398.
  3. ^ a b c 大木 1980, p. 405.
  4. ^ 大木 1980, p. 401.
  5. ^ 今井顕. “ベートーヴェンの強弱法 ―パウル・バドゥーラースコダ教授による公開講座:報告と注釈―” (PDF). 国立音楽大学音楽研究所年報. 2021年5月31日閲覧。
  6. ^ BEETHOVEN, L. van: Piano Sonatas Nos. 30-32, Opp. 109-111”. Naxos. 2015年2月1日閲覧。
  7. ^ ヨーアヒム・カイザー 著、門馬直美、鈴木威 訳『ベートーヴェン32のソナタと演奏家たち(下)』春秋社、1996年、279頁。 
  8. ^ Donat, Misha (2019). “Introduction”. (Score) Sonata in C minor for pianoforte, op. 111. Bärenreiter. p. III 
  9. ^ 大木 1980, p. 406.
  10. ^ a b 大木 1980, p. 407.
  11. ^ Beethoven, Piano Sonata No.32” (PDF). Breitkopf & Härtel. 2015年2月1日閲覧。
  12. ^ a b c Beethoven: The Last Three Piano Sonatas”. Hyperion Records. 2015年2月1日閲覧。
  13. ^ Boucourechliev A, Beethoven, Seuil, 1994, p. 93
  14. ^ Mann, Thomas. Doctor Faustus translated by H.T. Lowe-Porter. London: Penguin. p. 57. ISBN 0-14-018141-5 

参考文献

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外部リンク

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