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「ノート:通州事件」の版間の差分

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削除された内容 追加された内容
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>>1937年7月7日に中国軍による駐留日本軍(この部隊は元々、通州に配置されようとした際に、梅津美治郎陸軍省事務次官が京津線から離れた通州への配置は北京議定書の趣旨では認められないと'''強く反対し'''たために代わりに北平西南の豊台に配置された部隊であった>><br />
>>1937年7月7日に中国軍による駐留日本軍(この部隊は元々、通州に配置されようとした際に、梅津美治郎陸軍省事務次官が京津線から離れた通州への配置は北京議定書の趣旨では認められないと'''強く反対し'''たために代わりに北平西南の豊台に配置された部隊であった>><br />
反対した相手は誰か補足説明が必要でしょう。--[[特別:投稿記録/219.35.22.28|219.35.22.28]] 2015年12月7日 (月) 00:45 (UTC)
反対した相手は誰か補足説明が必要でしょう。--[[特別:投稿記録/219.35.22.28|219.35.22.28]] 2015年12月7日 (月) 00:45 (UTC)

== 井上民恵とは? ==
>>通州は、北平(現:北京市)の東約12kmにあった通県(現:北京市通州区北部)の中心都市で、'''井上民恵'''を妻とする殷汝耕が南京政府から離脱して設立した冀東防共自治政府が置かれていた[3]。>><br />
個人名を挙げた以上、どのような人物か説明が必要でしょう。リンクを張ってページを作っていただいても構いません。--[[特別:投稿記録/219.35.22.28|219.35.22.28]] 2015年12月7日 (月) 00:49 (UTC)

2015年12月7日 (月) 00:49時点における版

peace系編集の削除

*アカウント狂大はpeace系ソックパペットとして無期限ブロックを受けましたので、同アカウントの2007年12月24日 (月) 17:32 (UTC)の編集は、投稿ブロックの方針3.3.5に基づき、削除しました。ゆう(matunami) 2007年12月25日 (火) 11:24 (UTC)[返信]

ああ、やっぱりpeace系でしたね。無期限ブロックユーザーのソックパペットにはそもそも「編集権」はありません。投稿ブロックの方針3.3.5項に基づき、削除します。こんなアラシ発言を復活させるアカウントが登場したら、すぐにpeace系であるとわかります。念のためですが、この私の発言を削除することは、「他者発言の削除」として投稿ブロックの対象となります。ゆう(matunami) 2007年12月25日 (火) 11:24 (UTC)[返信]

「三大方針」について

*アカウントCrazypointはpeace系ソックパペットとして無期限ブロックを受けました。投稿ブロックの方針3.3.5に基づき、同アカウントの2007年12月26日 (水) 04:20 (UTC)の編集を削除します。ゆう(matunami) 2007年12月26日 (水) 12:03 (UTC)[返信]

投稿ブロックの方針その改訂版は基本的に全ての手の利用者が従うべきウィキペディア日本語版の公式な方針、あるいはそれに準ずるものです。その方針に従った編集に意義があるのであれば、まずは方針自体を改定してください。--Checkthere 2007年12月26日 (水) 05:10 (UTC)[返信]

保護中の編集依頼について

[[de:Tōngzhōu-Zwischenfall]]が作成されています。反対がなければ管理者伝言板で依頼を行います。--Tiyoringo 2008年12月7日 (日) 04:09 (UTC)[返信]

保護解除提案

この記事は2006年2月に編集合戦を理由に(実際にはLTA:PEACEによる荒らし)無期限全保護となりましたが、その後長期にわたって議論がないことから保護解除を提案いたします。保護解除に当たっては

という注意書きを貼り付け、もし差し戻しを強行する利用者が現れた場合にはLTA:PEACEとしてWikipedia:管理者伝言板/投稿ブロックへ通報すれば問題ないはずです。--Web comic 2009年3月27日 (金) 22:46 (UTC)[返信]

外部リンクについて

過去ログ等でも外部リンクの妥当性については散々議論になったようですが、通州事件-帝國電網省このリンク先の記事及びサイトとして全体的に政治的思想の主張が大変偏っており、外部リンクの政治的中立性を鑑みると疑問、また記事そのものの理解への促進効果を考えても余り記事との関連性を感じず、外部リンクとして妥当とは思えません。--豪烈 2009年6月7日 (日) 17:05 (UTC)[返信]

(追記)南京事件や盧溝橋事件など、リンク先の記事では政治的議論の対象となっている対象についてもある政治的立場に沿った言及が見られます。それ自体は何ら問題ではありませんが通州事件の記事の外部リンクとしては不適当であると思います。--豪烈 2009年6月7日 (日) 17:16 (UTC)[返信]
どこがどのように中立的じゃないのか明記して下さい。そうした方が議論し易いですよ。--114.48.134.229 2009年7月3日 (金) 09:43 (UTC)[返信]
例えばリンク先のユダヤ陰謀論などの項目で、独自研究に基づきユダヤ人虐殺を捏造と断定するなど、明らかに偏った立場での論調が目立つ。外部リンクとして載せるレベルの記事であろうか--豪烈 2009年9月27日 (日) 09:57 (UTC)[返信]

「出典記述&犯人の関係記述であり除去理由とならず」

張慶餘の「関係記述」なら除去理由にならない、という論理は全く意味が分からない。それなら、通州事件時に駆けつけた萱嶋高が最終的に陸軍中将になった、とかその類のことも書いておくべきってことなのかね。なんというか。--とおりかかったひと 2009年9月1日 (火) 13:39 (UTC)[返信]

関係記述は残せが方針ですからねえ(Wikipedia:編集方針#他の人が書いた情報(意味内容)は保存するよう努めてください)。犯人が国民党と密約を結んだとされる一説があり、同時に事件後に国民党に所属し幹部にまでなったという事実は読者にとっても有益な情報でしょう。隠す必要はないですよ。--211.133.61.205 2009年9月1日 (火) 13:49 (UTC)[返信]

通州事件と関係して中将になったなんて書いてないにも関わらず、「事件後に国民党に所属し幹部にまでなったという事実」を書けばミスリードを招くって考えないのかねえ。あとさ、「隠す」ってのは俺が隠した、ってことなのかなあ。まあ、いいけどさ。そんなら、張慶餘の記事を書いて隠せないように大々的に書けばいいのに。ちなみに、関係者のその後ってのは俺にとって「関係ない」という閾値に達した話なんでね。まあ、211.133.61.205氏なら、萱嶋の話も場合によっては書くってことなんでしょうな。参考になったわ。--とおりかかったひと 2009年9月1日 (火) 14:00 (UTC)[返信]

張慶餘の新記事作成も一考でしょうが、そこまでの人物とも思えませんし、やはり彼は通州事件があってこそなので、犯人としてこちらで彼が何者なのか簡単な説明をしておけば良いだけと思われます。ミスリードと仰ってますが事実の羅列であり、あとは読者が判断するスタイルになっていると思いますがね。--211.133.61.205 2009年9月1日 (火) 14:13 (UTC)[返信]

張慶餘の記述の脚註5の引用文を、うちのサイト[ttp://redfox2667.blog111.fc2.com/blog-entry-191.html Red Fox 通州虐殺の惨状を語る 生き残り邦人現地座談会]の引用文から丸写ししているのは誰ですか? うちは脚註に中国語の資料を引用する場合中国の簡体字を日本の略字に直しているのでバレバレですよ? 孫引きをするなとは言いませんが引用するなら元サイトくらいチェックしましょうよ?--Redfox2667 2009年11月13日 (金) 11:12 (UTC)[返信]

ファイル名

すみません、どこに書いていいのか分からないのでお伺いします。通州事件の項で使われている毎日の写真ですが 英語を直訳しているのかなと思われますが「日本軍に占領された通州」というキャプションはまるで史実と逆を連想させて本文と合致しないと思います。攻撃されて虐殺されたのは日本軍であり、日本の市民で、ここに遅ればせながら軍隊が着いて平定したのではないですか?それならば「日本軍により安寧を取り戻す通州」であるべきで、逆に事件の前に日本軍がここに着いたときの写真なのでしたら通州事件の前なのでこの場合は これも通州事件が起きたのはこの過程があったからだと言わんばかりの写真引用になって不適格だと思います。常識としてある事件あるいは戦争に付随する写真を挿入するときはそれ自体、事象であるべきで このような紛らわしい扱いは私には公平に見て正しいキャプションないしは写真そのものの挿入と判断できません。この点を明らかにしていただけないですか? 長い本文は読まなくても画像は見るので明らかにこのキャプションは誤解の元になります とおりかがりの者--以上の署名のないコメントは、88.2.193.166会話/Whois)さんが 2009年12月5日 (土) 10:22 (UTC) に投稿したものです。[返信]

アップロードした利用者:あばさーさんにたずねてみてはいかがでしょうか?Takabeg会話2014年9月13日 (土) 18:21 (UTC)[返信]
利用者:あばさーです。この写真が撮影された日時は1937年7月30日で、事件の一日後に撮影されたものです。ですのでこの写真は事件前のものではありません。ここのキャプションは「日本軍により安寧を取り戻す通州」が適切だと思います。--あばさー会話2014年9月14日 (日) 08:57 (UTC)[返信]
御回答ありがとうございます。家永三郎編『日本の歴史』第7巻 (ほるぷ出版)の第45頁にもこの写真が使用されていて、キャプションが「日本軍に占領された通州」となっています。ただ、事件直前まで日本軍守備隊がいたので「占領された」という部分には私も違和感を感じます。これと時間的に多少前後する写真(おそらく大阪毎日)は「通州に入る救援部隊」となっています。通州の写真は少ないみたいで、近代デジタルライブラリを覗いてみたのですが、東光社の『支那事変写真帖』(Commonsでの実績を見る限りUser:Sweeper tamontenさんが所有しているかもしれません)、 明治天皇聖徳奉讃会の『非常時国民性に合つた日支事変大写真帖』 (名越二荒之助さんもこの頁を『世界に開かれた昭和の戦争記念館』〈第1巻〉満州事変と支那事変 で使っていたように記憶しています)くらいしかみつけられませんでした。手元には毎日新聞社のものがあるのですが、やはり少ないです。利用者:あばさーさん、これら以外に何かご存知ですか?Takabeg会話2014年9月19日 (金) 12:08 (UTC)[返信]
本件、議論内容を鑑み「事件翌日、日本軍救援部隊により安寧を取り戻した通州」と致しました。--IP58xv会話2015年7月12日 (日) 11:42 (UTC)[返信]
非常に細かいかもしれませんが、オリジナルキャプションである「日本軍により安寧を取り戻す通州」にしたほうがいいと思います。実際のところ7月30日午後4時頃に萱島救援部隊の乗馬先遣斥候部隊1個分隊が通州に到着していますが、生存者の確認を優先し、遺体の処理などはしておらず、たくさんの烏が飛び回っていたそうですから、この写真が本当に7月30日に撮影されたものだとしたら、「安寧を取り戻した」というより「安寧を取り戻しつつあった」とか「安寧を取り戻しはじめた」といったところではないかと思います。というわけで、「日本軍により安寧を取り戻す通州」をプッシュします。Takabeg会話2015年7月12日 (日) 13:13 (UTC)[返信]

冀東政権によるアヘン密造

これが「背景」という項目に入っていますが、事件との因果関係に触れられていません。本来、冀東特殊貿易などとともに冀東防共自治政府の記事の中で書かれるべき内容です。Takabeg会話2014年9月13日 (土) 18:18 (UTC)[返信]

一部分割提案

上記につき、「麻薬汚染への報復」説の直下にある、「事件の起きた通州は冀東政権の本拠地であり」から「却って家屋侵入を責められることになるのがオチであった」までを冀東防共自治政府に「冀東特殊貿易」の項を設けて移すためWikipedia:分割提案で提案しました。Takabeg会話2015年7月8日 (水) 12:57 (UTC)[返信]

コメント 背景の説明であるとしても理解の一助になるのではないでしょうか。冀東防共自治政府に記述するのは構わないと思いますが、本項からの一律削除には否定的です。--IP58xv会話2015年7月12日 (日) 12:08 (UTC)[返信]
(追記)ただ、必要以上に詳細に記述され煩雑なのも確かなので整理はあってもいいと思います。--IP58xv会話2015年7月12日 (日) 12:23 (UTC)[返信]

コメント 幾つか説が挙げられていますが、麻薬汚染への報復説は、最も根拠に乏しいものです。小林元裕氏も「信夫論文では結論に飛躍が見られ」と言っているように、信夫清三郎氏の論文「通州事件」(『政治経済史学』第297号、1991年1月)、後に加筆再構成されて『聖断の歴史学』 (勁草書房、1992年6月15日)にしても、因果関係を証明する証拠の提示がありません。信夫氏は竹内好氏が「中国のレジスタンス、中国人の交戦意識と日本人の道徳意識」で林語堂『北京好日』第3部「秋の歌」第41章にある冀東政府に関する記述を引用していますが、これは1935年・1936年の話であり、この小説における通州事件に関する記述は、登場人物のうちの二人が8月3日になって通州で虐殺事件が起きたことを知った、という程度のものです。つまり、『北京好日』には、日本人と朝鮮人が棒を振り回して威張っていることや、税関から武器を取り上げて日本人と朝鮮人の密輸業者が好き放題やっていることなど、そして支那人が強い反感を持っているということはえがかれていますが、通州事件ではなく冀東特殊貿易により強く関連しているということです。また、信夫氏は、香月清司中将の『支那事変回想録摘記』に記されている「此の以外に通州事件に於て犠牲者邦人百四名 (うち冀東政府の職員及其の関係者約八十名)鮮人百八名 (大多数は阿片密売者及醜業婦にして在住未登録なりしもの)を算するに至りしは誠に痛恨に耐えざりし所なり。」という部分を、「冀東政府の職員及其の関係者約八十名」という部分を外して、「当時の支那駐屯軍司令官香月清司中将の『支那事変回想録摘記』が記録する犠牲者の数は、日本人一〇四名と朝鮮人一〇八名であり、 朝鮮人の大多数はアヘン密貿易者および醜業婦にして在住未登録なりしもの」という形で伝えているのです。日本人一〇四名の内訳に触れないことで、殺害されたの人々の大部分がアヘン密貿易者および醜業婦であるかのような印象操作をしているのだと感じました。この二点のみをとっても信夫氏が「自説」を補強するために印象操作を行っているのではないかという懸念を感じます。おそらく関連部分を追記した利用者も信夫氏の本を読み香月氏のものを読まなかったのでしょう。手短に言いますと、最も説得力が無い説である「麻薬汚染報復」説の傍証ともならない背景を必要以上に長く書くことにより、あたかもそれが有力説であるかのような印象を与えてしまうのと、読者に「阿片密売者と醜業婦だから殺されても当然だよね」的な誤解を与える危険性があるのとが、これを外すべきだとする大きな理由です。実際に巴金氏はそうやって通州における残虐行為を正当化し、(日本軍が)機銃掃射で上海の非武装の住民を殺傷したこと (そんなことが本当に起きたのか知りません)のほうがもっと酷い鬼畜性と残虐性を発揮した、と主張しました。長くなってすみません。Takabeg会話2015年7月12日 (日) 12:59 (UTC)[返信]

背景説明だからといってすべてを消し去るのは却ってPOVの推進になる虞れがあることを主張しています。簡単な要約を残すのであれば反対しません。また、信憑性の低い説という主張があるのであれば出典とともにその説を記載することに反対しませんし、するべきであると思います。--IP58xv会話2015年7月13日 (月) 17:18 (UTC)[返信]
そのあたりはご心配なく。編集履歴を調べてみたのですが、まずこの編集で除去されていますが、資料は存在しているので、これだと嘘になってしまいます。さらにこの編集でも除去されています。その後、この編集で途轍もないPOVが「推進」されてしまったのです。私の意図は、直接関係のない部分を除去・移転させて、このPOVを「中和」することです。信夫、江口の両氏が何の脈絡もなく「阿片・ヘロイン汚染への報復なのではないか」と主張したかのような印象を与えない形で修正する予定です。Takabeg会話2015年7月14日 (火) 13:09 (UTC)[返信]

「日本人の平均的倫理観から見て尋常ならざる殺害の状況」

「日本人の平均的倫理観から見て尋常ならざる殺害の状況」という記述がありますが、意味が不明です。 そもそも戦争においては、日本人に限らず世界中の民族の「平均的倫理観から見て尋常ならざる殺害」が行われるのが常であり、日本軍だって平頂山事件南京事件で「平均的倫理観から見て尋常ならざる殺害」をやっているではないですか。この記述は、おそらく「中国人は残虐だが日本人は残虐ではない」とかいう妄想系歴史修正主義者によるものではありませんか?--Coatbridge Town FC会話2015年3月27日 (金) 08:55 (UTC)[返信]

私も「殺人」が「平均的倫理観から見て尋常ならざる行為」である、と思います。が、当該箇所を読んだ限り、殺害方法のことを言っているようです。中村粲『大東亜戦争への道』、『東京裁判(上)』(著者名が書かれていませんが多分児島襄)が典拠として示されています。ページ番号が無いので確認作業で苦労しそうですが、時間があるときに覗いてみます。安藤利男の「通州の日本人大虐殺」を読んで、「日本人の平均的倫理観から見て尋常ならざる殺害の状況」という表現が使用されているか否かを確認できれば一番いいのですが。それと、平頂山事件南京事件 (1937年のことですよね)で「平均的倫理観から見て尋常ならざる殺害」が行われたという典拠を見つけることができたら、利用者:Coatbridge Town FCさんが、それらの記事に加筆すればいいと思います。Takabeg会話2015年7月8日 (水) 13:12 (UTC)[返信]
児島襄ではありませんでした、すみません。朝日新聞東京裁判記者団『東京裁判 - 大日本帝国の犯罪 (上) 検事編』(講談社、昭和58年5月10日第1刷発行)の第284頁から第285頁にかけての部分に該当します。裁判では証人3人の口述書が受理されましたが、この本では萱島高宣誓供述書 (法廷証番号2498、弁護側文書番号: 1090桜井文雄宣誓供述書 (法廷証番号2500、弁護側文書番号: 1140)だけで、桂鎮雄宣誓供述書 (法廷証番号2499、弁護側文書番号: 1139)は取り上げられていません。いずれにしても、この本には「平均的倫理観から見て尋常ならざる行為」という文言は出てきませんので、消去法で中村粲氏『大東亜戦争への道』に書かれている可能性があるということになりますが、まだこちらの本は検証していません。Takabeg会話2015年7月12日 (日) 09:44 (UTC)[返信]
利用者:Seesuiさんによるこの編集で加筆されています。が、この時点で示されていたソースは、朝日新聞東京裁判記者団『東京裁判 - 大日本帝国の犯罪 (上) 検事編』だけですので、当該ソースに基づかない編集であったことは確実です。別のソースを参考にしてそれを明示しなかった可能性もゼロではありませんが、少なくとも中村粲『大東亜戦争への道』には「倫理観」に関する記述はありませんでした。中村氏の本には脚注による出典表示がないのですが、第十三章第五節「惨!通州事件」(401~410頁)を読む限り、寺平忠輔『蘆溝橋事件 ー日本の悲劇ー』と極東国際軍事裁判における萱島、桂、櫻井各氏の法廷証と速記録をベースとして、元国民党将領抗日戦争体験記叢書『七七事変』や『盧溝橋事変風雲篇』にある「(当時の)新説」を紹介しています。(註)は結構面白く、当記事にも有用ではないかと思います。支那兵のことを「悪鬼悪獣」と書いていますが、「倫理観」への言及は見つけられませんでした。また、渡部昇一『日本とシナ: 1500年の真実』の関連ページは、「中村粲『大東亜戦争への道』によれば」と断わりを入れて引用しているだけですので、本記事において「渡部昇一によれば、」とか「渡部昇一は、○○と主張している」と書くのは不味いと思います。Takabeg会話2015年7月25日 (土) 09:28 (UTC)[返信]

「支那軍の鬼畜性」と「山川均先生へ」

山川均「支那軍の鬼畜性」と巴金「山川均先生へ」はセットで論じられなければなりません。Takabeg会話2015年7月12日 (日) 09:44 (UTC)[返信]

日本軍は壊滅?

冒頭の文の「日本軍は壊滅し」という部分に{{要検証}}を添付しておきました。通州特務機関は壊滅しましたが、日本軍 (通州守備隊: 兵站司令官辻村憲吉中佐の指揮下に入った藤尾心一中尉の通州守備隊 (小隊) 40名と山田正大尉の自動車中隊 50名に憲兵、兵站、兵器部を足した計110名ですが、7月30日時点で戦死将校2、兵18、負傷将校1、下士官1、兵11、計33名の損害を受けています)が壊滅したという歴史的事実はありません。特務機関のほうも、機関長細木繁中佐、補佐官兼冀東政府保安隊顧問の甲斐厚少佐、緒方次吉、村尾正直、今岡逸治の各氏は殺害されていますが、平沢、鎌田両氏などの生存者もおります。全滅ではないですが、「通州特務機関は壊滅」という表現なら大丈夫だろうと思います。7月29日に間に合うように加筆したいなぁと思っています。Takabeg会話2015年7月12日 (日) 09:44 (UTC)[返信]

写真の配置

@利用者:花蝶風月雪月花警部さん 殷汝耕宛平県城の写真が一緒になっていますが、宛平県城冀東防共自治政府の勢力範囲にありませんので、この二つには直接関連が無いですよね。Takabeg会話2015年7月27日 (月) 12:56 (UTC)[返信]

@利用者:Old jacketさん この記事は盧溝橋事件ではありませんので、宛平県城は主題の範囲内に入りません。通州守備隊全景、通州守備隊正門、冀東政府警團幹部教習所などの写真をアップロードして、宛平県城と入れ替えようと思いますが、合意していただけますか? Takabeg会話2015年7月27日 (月) 13:12 (UTC)[返信]

より適切な写真があるならばそちらでお願いします。ご手数おかけします。--Old jacket会話2015年7月27日 (月) 13:24 (UTC)[返信]
コメント この編集でコメントアウトが除去されていたのを気づかずにTemplate:Multiple imageで処理したが、Takabeg氏主張の通り、記事主題とは直接関連しないため、再度コメントアウトとした。宛平県城の画像は、国民革命軍第29軍の関連という事で掲載されたと考えられる(画像はここからアップロードされた模様)。--花蝶風月雪月花警部会話2015年7月27日 (月) 13:30 (UTC)[返信]

レジュメ

@利用者:Old jacketさん [www.dpj.or.jp/download/21606.pdf 日中戦争の展開塘沽停戦協定からトラウトマン工作まで] 岩谷將防衛研究所主任研究官、というのが付加されていますが、「塘沽停戦協定からトラウトマン工作まで」岩谷將・防衛研究所主任研究官が講演のレジュメということですよね。 南京事件 (1937年)でも、(レジュメ)「いわゆる「南京事件」」原剛(大阪教育大学 社会教育学研究第15号2009.1)が使用されていて (これはもっとしっかりしたものですが)、原剛「いわゆる「南京事件」の不法殺害 ーその規模と要因」『軍事史学』第43巻第3・4合併号(『日中戦争再論』)を使えばいいのに、なんでレジュメなのかなぁ、と疑問に思っていたのですが、レジュメというのはWikipedia:信頼できる情報源のどれにあたるのでしょうか?Takabeg会話2015年7月27日 (月) 12:56 (UTC)[返信]

そのリンクのものではないでしょうか。わざわざ探してくださってありがとうございます。Takabegさんがより適切な資料をお持ちならばそれを追加してください。今回のレジュメについては
二次資料
ひとつまたはそれ以上の一次資料または二次資料を要約したものです。学者によって書かれ、学術的な出版社によって出版された二次資料は、品質管理のために注意深く精査されており、信頼できると考えられます。
に該当するのではないでしょうか。レジュメにも参考にした文献などが記載されていますし。何ら問題はないと考えられます。--Old jacket会話2015年7月27日 (月) 13:31 (UTC)[返信]
コメントありがとうございます。ただ、これは「学術的な出版社によって出版」されていないですよね。Takabeg会話2015年7月29日 (水) 11:00 (UTC)[返信]
コメント 二次資料に該当すると考えられる(Wikipedia:信頼できる情報源#情報源)が、政党のウェブサイトからの配信であるため、「情報源」としては注意して扱う必要がある(Wikipedia:信頼できる情報源#反体制勢力、宗教集団、過激派のウェブサイト)。レジュメの送り手(岩谷將氏)は、研究者として相応の実績はある模様([1])。--花蝶風月雪月花警部会話2015年7月27日 (月) 14:05 (UTC)[返信]
コメントありがとうございます。岩谷將氏は問題ないと思います。とりあえず残しておいて、政党のサイト由来なので、「クレーム」が来たらそのとき対処すればいいのではないか、と考えています。Takabeg会話2015年7月29日 (水) 11:00 (UTC)[返信]

SAPIO

@利用者:Old jacketさん、この編集なのですが、元々は『SAPIO』2015年5月号の8・9頁に掲載された「検証1 中国人によって200人以上の日本人が嬲り殺された 通州事件 現場を目撃した米国人記者は「古代以来、最悪の集団虐殺」と語った」という記事ですよね。執筆者名を見ると本誌編集部となっていますのでWikipedia:信頼できる情報源にあたるのかどうか疑問です。また、同記事では「中国共産党謀略説」の根拠として、Frederick Vincent Williams, Behind the news in China, New York: Nelson Hughes, [1938] (和訳は、フレデリック・ヴィンセント ウィリアムズ (田中秀雄訳)『中国の戦争宣伝の内幕』芙蓉書房、2009年11月、旧訳は、南支調査会調査部編訳『背後より見たる日支事変』南支調査会、1939年7月)のみが使用されていますが、この本はノート:日中戦争で指摘させていただいたキヨシ・カール・カワカミの本と同様にWikipedia:信頼できる情報源のうちの二次資料とはならないはずです。29軍に共産党が浸透していた、というのは他の書籍でも読んだことがありますが、今すぐに思い出せません。とりあえず、フレデリック・ヴィンセント ウィリアムズの主張という形に修正していただければ幸いです。Takabeg会話2015年8月5日 (水) 12:54 (UTC)[返信]

フレデリック・ヴィンセント ウィリアムズ氏の記述がどこまでを指すのか不明なので、SAPIOのままでよいのではないでしょうか。Takabegさんがウィリアムズ氏の書籍などで確認されているならばおっしゃる形への変更でよいと思います。より適切な形への改稿などよろしくお願いいたします。--Old jacket会話2015年8月5日 (水) 13:00 (UTC)[返信]
時間的余裕があるときに試してみます。ただ、SAPIO編集部による記事は「事件当時、通州に滞在していた米国人ジャーナリスト、フレデリック.V.ウィリアムズ氏は、」と平気で嘘を書いているなど、Wikipedia:信頼できる情報源とは見做されませんので、コメントアウトしておきます。Takabeg会話2015年10月19日 (月) 11:49 (UTC)[返信]

しらべかんが『天皇さまが泣いてござった』

114.159.143.149さんにより調寛雅さんの『天皇さまが泣いてござった』からの引用がなされていますが、頁番号がありません。また、ネット上で出回っている「通州事件の惨劇 (Sさんの体験談)」というものですと、ご本人はSさん、支那人の夫君はTさんとなっているようです。書籍には女性の名前が普通に書かれていますが、ウィキペディアに書いては不味いのでしょうか (私が知る限り、ウィキペディアには亡くなった方の名前を隠すというようなルールはなかったはずですが)? それと、この女性の証言は「同時代証言」なのでしょうか?Takabeg会話2015年10月19日 (月) 12:04 (UTC)[返信]

写真について

現在の版に掲載されている写真については問題がないのですが、ネット上では、関係の無い写真が通州事件の写真として流通していることに気付きましたので、ウィキペディアに反映させないように注意を喚起したく思います。頻繁に見るのは次のものです:

これらの他に、マニラや重慶の遺体が使われているケースも目撃しました。ご注意ください。Takabeg会話2015年11月11日 (水) 09:59 (UTC)[返信]

理解しにくい文章について

盧溝橋事件

>>1937年7月7日に中国軍による駐留日本軍(この部隊は元々、通州に配置されようとした際に、梅津美治郎陸軍省事務次官が京津線から離れた通州への配置は北京議定書の趣旨では認められないと強く反対したために代わりに北平西南の豊台に配置された部隊であった>>
反対した相手は誰か補足説明が必要でしょう。--219.35.22.28 2015年12月7日 (月) 00:45 (UTC)[返信]

井上民恵とは?

>>通州は、北平(現:北京市)の東約12kmにあった通県(現:北京市通州区北部)の中心都市で、井上民恵を妻とする殷汝耕が南京政府から離脱して設立した冀東防共自治政府が置かれていた[3]。>>
個人名を挙げた以上、どのような人物か説明が必要でしょう。リンクを張ってページを作っていただいても構いません。--219.35.22.28 2015年12月7日 (月) 00:49 (UTC)[返信]