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2016年6月8日 (水) 05:53時点における版
やまだ じろう 山田 二郎 | |
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プロフィール | |
出身地 |
日本 東京府東京市浅草区駒形町 (現・東京都台東区) |
生年月日 | 1936年5月7日(88歳) |
最終学歴 | 早稲田大学文学部 |
職歴 | NHK⇒TBS |
活動期間 | 1959年 - |
ジャンル | スポーツ中継・歌謡番組・芸能番組 |
出演番組・活動 | |
出演経歴 | TBSラジオ エキサイトナイター |
山田 二郎(やまだ じろう、1936年5月7日 - )は、日本のアナウンサー。
東京府東京市浅草区駒形町(後の東京都台東区)出身[1]。浪曲の広沢虎造(2代目)の次男[2]。趣味はゴルフ。早稲田大学文学部卒業[3]。
来歴・人物
1959年、NHKに入局[4]。佐賀放送局で勤務の後[5]、1960年3月、TBSに中途[5]経験者[6]採用により移籍。報道局運動部兼ニュース部(1963年11月)、報道局運動部兼アナウンサー研修室付(1967年11月)、ラジオ本部アナウンス室兼テレビ本部報道部運動部(1970年7月)、アナウンス室(1979年6月)、報道総局アナウンス部兼ラジオ総局情報制作局ラジオワイド部(1989年1月)に在籍。[5]
主にプロ野球、大相撲、ボウリング、国際プロレス、アイスホッケー等のスポーツ中継実況[5]、歌謡番組[5]、芸能番組[6]を担当。また1964年東京オリンピック[注釈 1]と1972年札幌オリンピック[5]閉会式の実況も担当している。
1976年10月11日、後楽園球場での巨人vs阪神第23回戦の8回裏、巨人・王貞治がベーブ・ルースの記録を抜く通算715号本塁打を放ったが、この試合のTBSラジオの中継放送を担当し、715号の瞬間を実況した。
また、『ウルトラマン』『ウルトラセブン』の戦闘シーンを再編集して格闘技番組風にアレンジした『ウルトラファイト』の実況ナレーションも担当[注釈 2]。
TBS在局時後期はラジオパーソナリティとして、歌謡曲の番組『二郎で勝負 連続ヒット90分』『山田二郎の土曜だワッショイ!』などに出演。『山田二郎の土曜だワッショイ!』において、第9回アノンシスト賞グランダ・プレミオを受賞[5]。1991年2月にTBSを退職[6][5]。その後はフリーアナウンサーとして活躍し、2代目広沢虎造の浪曲関連のイベントなども開催し、司会などもしている。また「虎造節保存会」名誉会長[注釈 3]でもある。
またTBSアナウンススクールの講師を務めていたこともある[7]。
出演番組
- TBSラジオ エキサイトナイター(TBSラジオ)
- 侍プロ野球(TBSテレビ)- TBSアナウンサー時代に出演した、TBSテレビのプロ野球中継の現行のタイトル。
- 東洋チャンピオンスカウト(TBSテレビ)
- TWWAプロレス中継(TBSテレビ)
- ウルトラファイト(TBSテレビ / 円谷プロダクション)実況ナレーション
- ザ・ガードマン(TBSテレビ / 大映テレビ室)第320話「ボウリング場殺人事件」アナウンサー役 - 実名で出演。
- 名調子!浪曲十八番集(1972年、TBSラジオ)[6]
- 二郎で勝負 歌謡曲でかっとばせ!(1975年、TBSラジオ)[9]
- 山田二郎ワイドで勝負!90分(1976年、TBSラジオ)[10]
- 二郎で勝負 連続ヒット90分(1977年、TBSラジオ)[5]
- 歌謡曲対抗クイズ合戦(1977年、TBSラジオ)[5]
- 二郎の全国野球マップ〜ハイ!歌謡曲〜(1978年、TBSラジオ)[5]
- ベースボールジョッキー〜二郎栄子のハイ!歌謡曲〜(1979年、TBSラジオ)[5]
- 山田二郎の土曜だワッショイ!(1979年、TBSラジオ) - 第9回アノンシスト賞グランダ・プレミオ受賞。[6][5]
- ハッスル夫婦(1979年、TBSテレビ)[6][5]
- 11時にあいましょう(1979年、TBSテレビ)[6][5]
- 体力ゲームドンGAMBA!(1980年、TBSテレビ)[5]
- 11時に歌いましょう(1981年、TBSテレビ)[5]
- 演歌一番鶏(1982年、TBSラジオ)[5]
- 二郎と奈保子のハイ歌謡曲(1982年、TBSラジオ)[5]
- おはよう演歌鶏(1986年、TBSラジオ)[5]
- 夜はこれから(1988年、TBSラジオ)[5]
- マンデー・ナイトベースボール(1990年、TBSラジオ)[5]
- アニメ浪曲紀行 清水次郎長伝(2000年、毎日放送)表題ナレーション - 広沢虎造の浪曲音源を元に、アニメ化し15分番組として構成した番組。全30話。番組は、後にビデオ化され市販。後にCS放送のチャンネルで放送された。
音楽
シングル
- われら街野球のうた - 『二郎で勝負 連続ヒット90分』コーナー「われら街野球」主題歌。山田自身も作詞も担当。曲は聴収者からの応募。[5]
注釈
出典
- ^ 「TBS東京放送アナウンサーの横顔」『国内放送局ハンドブック東日本篇'81年版』三才ブックス、1981年、90頁。「出身地 東京、浅草駒形」と記載。
- ^ “山田二郎プロフィール” (2005年11月2日). 2014年11月9日閲覧。 “浪曲師二代広沢虎造の次男として誕生”
- ^ 「TBS東京放送アナウンサーの横顔」『国内放送局ハンドブック東日本篇'81年版』三才ブックス、1981年、90頁。「出身校 早稲田大学文学部」と記載。
- ^ “山田二郎プロフィール” (2005年11月2日). 2014年11月9日閲覧。 “1959年(昭和34年)3月NHKにアナウンサーとして入局。”
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、13頁。「60.3<中途採用> 山田 二郎…<NHK佐賀放送局>…[63.11 報道局運動部兼ニュース部][67.11 報道局運動部兼アナウンサー研修室付][70.7 R本部アナウンス室兼TV本部報道部運動部][79.6 アナウンス室][89.1 報道総局アナウンス部兼R総局情報制作局Rワイド部][91.2 退社] 『スポーツ中継(野球、相撲、ボウリング、プロレス、アイスホッケー)、歌謡番組』 R「名調子!浪曲十八番集(72)」「二郎で勝負連続ヒット90分(75)<番組内のコーナー“われら街野球”の主題歌“われら街野球のうた”を作詞、自ら歌ってポリドールから発売。曲は聴収者からの応募。>」「歌謡曲対抗クイズ合戦(77)」「二郎の全国野球マップ〜ハイ!歌謡曲〜(78)」「ベースボールジョッキー〜二郎栄子のハイ!歌謡曲〜(79)」「演歌一番鶏(82)」「二郎と奈保子のハイ歌謡曲(82)」「おはよう演歌鶏(86)」「夜はこれから(88)」「マンデー・ナイトベースボール(90)」 ★「山田二郎の土曜だワッショイ!(79)」<第9回アノンシスト賞 グランダ・プレミオ受賞> TV「ハッスル夫婦(1979)」「11時にあいましょう(1979)」「体力ゲーム. ドンGAMBA!(80)」「11時に歌いましょう(81)」 ☆72.2.23 札幌オリンピック 閉会式テレビ担当」
- ^ a b c d e f g 東京放送 編「III 放送関係 7.アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、237頁。「1960.3<経験者採用> 1人入社(男1) 山田二郎[1991.2退社]『スポーツ中継、芸能』 R「名調子!浪曲十八番集(1972)」「山田二郎の土曜だワッショイ!(1979)」 TV「ハッスル夫婦(1979)」「11時にあいましょう(1979)」」
- ^ 講師陣からのメッセージ TBSアナウンススクール公式サイト(2009年当時のアーカイブ)
- ^ 「063-2931-4 任侠虎造ぶし」JASRAC検索結果詳細
- ^ TBSラジオ番組表(1975年10月~1976年3月) (PDF) ラジオ東京スピリッツ
- ^ TBSラジオ 1976年10月ラジオ番組表 (PDF) ラジオ東京スピリッツ
参考文献
- 「TBS東京放送アナウンサーの横顔」『国内放送局ハンドブック東日本篇'81年版』三才ブックス、1981年。
- 東京放送 編『TBS50年史』東京放送、2002年1月。