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「ノート:保守」の版間の差分

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'''ぽてから氏2016年7月15日 (金) 02:26 (UTC)の提案後、一ヶ月経過しても反対者はなし。よって合意成立。'''--[[特別:投稿記録/2001:268:C054:69C:F593:C9FC:B48A:B4AF|2001:268:C054:69C:F593:C9FC:B48A:B4AF]] 2016年8月17日 (水) 08:17 (UTC)
'''ぽてから氏2016年7月15日 (金) 02:26 (UTC)の提案後、一ヶ月経過しても反対者はなし。よって合意成立。'''--[[特別:投稿記録/2001:268:C054:69C:F593:C9FC:B48A:B4AF|2001:268:C054:69C:F593:C9FC:B48A:B4AF]] 2016年8月17日 (水) 08:17 (UTC)
:誰かと勘違いした不当な中傷は速やかに停止してください。合意成立という厳然たる事実を提示しています。--[[特別:投稿記録/2001:268:C054:69C:F593:C9FC:B48A:B4AF|2001:268:C054:69C:F593:C9FC:B48A:B4AF]] 2016年8月17日 (水) 08:29 (UTC)


== 出典『日本会議の研究』について ==
== 出典『日本会議の研究』について ==

2016年8月17日 (水) 08:29時点における版


このページは一度削除が検討されました。削除についての議論は「Wikipedia:削除依頼/保守」をご覧ください。

The United States における連邦派とアンチ連邦派

アメリカの保守主義政治サイトの一部では、ハミルトンが、保守主義者として、紹介されているのは、私の記憶の範囲では、正しいです。しかし、主に5つの歴史的な経緯(1)都市部の利益を代弁する「共和党」の出現:これは、ハミルトンの流れを受け継いでいるといっても矛盾はないです(2)「都市工業地帯の北部(代弁:共和党)VS農業地帯南部(代弁:民主党)」による南北戦争、英語では「内乱」つまり、連邦政府にたてつく南軍という構図(3)民主党ルーズベルトによるニューディール政策とリベラリズムの出現(4)民主党においてリベラル勢力が伸長した結果としてケネディ・ジョンソンよる公民権法成立:それにともなう、民主党と共和党支持層の「入れ替わり」:日本人の皆さんは、嘘だろ!って思うかもしれませんが、本当なんです!(5)現在のレッドステート(共和党地盤)は、南北戦争当時の南軍地域が主体(SC,GA,AL,MS,LAのdeep southに加えて、TX,AR,TNが強固)など、です。つまり、現代の保守政治がハミルトンの後継であるとは言い難いです。その証拠に、現在の共和党ほど、連邦政府の役割を、否定している政党はありません。つまり、現在のアメリカの保守主義は、アンチ連邦的であるということです。ちなみに、ミシシッピ州は、その旗が、いまだに南軍旗ですし、州憲法に人種差別を、1995年まで残していました。この州が、歴史的には、実は、ハミルトンたちの連邦派とは、逆のアンチ連邦派(VAのジェファーソンが統率していた)だったのです。LalaUSNH会話2012年11月16日 (金) 12:11 (UTC)[返信]


以下の記述は、全く意味不明です!

一方でアメリカにおいては家族を基本的な価値として尊重し、政府は家族や私有財産を脅かす存在として警戒の対象になる反連邦主義の伝統がある。ロナルド・レーガンが所得税を減税しジョージ・H・W・ブッシュが遺産税の廃止を推進したのは、こうしたアメリカの保守思想に基づいてのことである。

なぜか?まさに、ハミルトンが、保守主義者とされていることと、矛盾しているからね。そもそも、今の共和党の保守政党としての体制は、1970年代後半と1980年代に確立されたのです。アンチフェデラリズム自体は、家族を基本的な価値として尊重し、政府は家族や私有財産を脅かす存在として警戒の対象になるとは、いっていません。州の主権が全てに優先する、連邦政府は、limited list。つまり、US constitusionにおいて、列挙された権限だけを実行すればよい、それ以外に何もするなといった考え方ですね。

USの歴史は、内容が短い割には、変化が激しいという特徴がありますので、日本のテレビ、書籍だけを頼りにしていると、間違った情報しか手に入りません。US大使館のページに書いてあること程度は、常識としておかないと、記述が意味不明になるでしょう。あと、jurisdiction:法域という概念も知らないとそもそも、理解の土台ができないでしょう。

LalaUSNH会話2012年11月16日 (金) 12:39 (UTC)[返信]

宗教における保守

リンク元を見てみると予想していた工学系(?)の「保守・点検」なものだけじゃなく宗教の保守もありますね。。宗教の保守についてどなたか書いてくださいませんか?tanuki_Z 2004年7月20日 (火) 14:58 (UTC)[返信]

単なる現状維持としての「保守」(宗教、共産主義など)と、政治的な「保守主義」が混在していますね。後者を「保守主義」の方に移動させましょうか?

78 2005年3月30日 (水) 13:39 (UTC)[返信]

伝統の擁護で始めるよりは、自然的保守主義→政治的保守主義(バークを典型として)として、イギリスとの保守党につながる流れを描き、そののち、日本における明治以来の保守主義を描くほうがいいと思うのです。明治以来の保守主義としては、政治思想では陸羯南が思い浮かびます。谷干城もそうでしょう。もちろん、国民道徳論に立つ、杉浦重剛も。 伊藤博文に代表される体制派の現実的適応路線もまた保守主義として考えるべきかもしれませんがそこまでは手が回りません。 ましてや、戦後の自民党はなおさら。 なお私、大学でのゼミナール論文がバークでした。

以下の文章については大いに異議あり。

●「保守的」と「保守主義」の区別がついていない(というより保守主義がどんな思想かも知られていない)というのが現実であり、思想家たちの著作も一部を除いてほとんど出されていないというのもまた事実である。 ● まったく見当はずれとは行かないまでも不正確。同心会グループは? 日本ではハイエク全集も、バーク著作集も出ていますよ。保守主義の理解が不十分なのは、誰もが持っている思想だからです。変化への恐怖、現状への愛着というのは、程度の差はあれ誰でも持っています。

●また、憲法改正論議では、新保守系の人たちが現憲法体制の革新に通じる改憲を唱え、革新系の人たちが現憲法体制の保守に通じる護憲を唱えることを一種の「矛盾」として捉える意見もあるが、矛盾はしていない。これは、現行の日本国憲法そのものが、従来の日本の伝統的価値観を否定し、過去と現在の結びつきを軽視した存在だからである。●

伝統的価値観というものが、何なのか。明瞭なようで不明瞭でしかないです。59.129.65.242 2005年10月1日 (土) 16:49 (UTC) MF2[返信]

「現行の日本国憲法そのものが、従来の日本の伝統的価値観を否定し、過去と現在の結びつきを軽視した存在だからである」

それは戦後政治史を無視した思想論であって政治学論ではない。--210.196.189.19 2006年1月20日 (金) 01:43 (UTC)[返信]

保守・革新は現行体制に対するスタンスという側面もある。日本の政治学では、中央政権支持を保守、それに対抗する側を革新として捉える見方もある。だからこそ、戦前には「革新右翼」と呼ばれる勢力があったわけです。--水野白楓 2006年2月1日 (水) 11:05 (UTC)[返信]

護憲・改憲スタンス

日本の保守の「また、憲法改正論議では、新保守主義者達が現憲法体制の革新に通じる改憲を唱え、進歩主義者達が現憲法体制の保守に通じる護憲を唱えることを一種の「矛盾」として捉える意見も多い。」

 新右翼のように戦後をヤルタ・ポツダム体制と位置づけ反米・反ソの立場を明確にしたり、新左翼のように右派、左派という使い分けのほうがわかりやすいかもしれませんが、初期のアメリカの占領政策に通じるのが左派であり、後期のアメリカの占領政策に通じるのが右派という明確な立場を保守を自認する勢力も左派・リベラルを自認する勢力も展開していないことが原因であって、カッコ内の主張は日本の政治勢力が己の立場を曖昧にしていることが原因です。矛盾の部分を鍵カッコでくくった形で表現しているあたりそこら辺の事情を含ませた物言いに考えられます。--Tamachan21 2006年2月10日 (金) 04:26 (UTC)[返信]


政治的な保守主義をヒュームやバークを始祖とする思想・哲学であると定義するならば、日本においては、明治維新以降現代に至るまで、保守的なムードというのはあったとしても、それは自然的保守感覚とでも言うべきものから来るものであって、保守主義が国民の潮流となったり、保守主義層が形成されたことはないと思います。知識人においても、明治期に保守主義(保守中正論)を名乗った一派は、本来の英米の保守主義からは遠く、保守主義というものを理解し、保守主義者たらんとしたのは、井上毅や陸羯南など数少なかったのではないでしょうか。  「リベラルな保守」という記述は、リベラルを古典的リベラリズム又は消極的自由主義とするなら意味が通りますが、おそらくそうではなく、「体制側なのに左翼的」や「保守政党に属していながら、社民主義的もしくは反体制的」といったニュアンスだろうと思います。この様なおかしな言葉一つ取ってみても、日本においては保守主義、そしてリベラルという言葉も正しく理解されていないと思います。日本における保守主義に対する理解は、体制側とか伝統擁護という側面が強すぎ、これらは本来、伝統主義、前例踏襲主義、墨守主義と呼ばれるべきものであって、体制ないし特定の政府の擁護と保守主義は無縁なはずです。ここらへんは、保守主義(者)の歴史を見れば、決して体制の側から出てきた、体制擁護の思想ではないことが分かるかと思います。究極的に保守する対象は、体制や伝統ではなく、あくまでそれらは結果であって、根本は人間(「ヒト」ではない)の自由の擁護及び、過去から現在、そして未来を含む人間としての営み→人間らしさの擁護であると私は考えます。そう考えているので、コンサヴァティヴを保守と訳してしまったのが不幸というか、日本は「保ち守る」という字面に影響されすぎていて、「温故知新」とでも訳すべきだった思います。  現在の日本において論点は、ゲゼルシャフト型保守VSゲマインシャフト型保守だと思います。双方とも、人間の理性への懐疑、懐疑主義、経験主義、それらから導き出される伝統の擁護に対して異論は無いかと思いますが、英米の保守主義哲学の正反対に位置する、ルソー、ヘーゲル、マルクスにも繋がる全体主義思想を容認しかねない共同体主義や利他主義を美徳とするゲマインシャフト型の保守を保守主義と呼ぶことに英米流の保守主義者は容認できないでしょうし、一方、所謂日本でイメージされるような日本的な保守は、英米の保守主義がキリスト教(一神教)、個人主義と深く関係する一方、それらの伝統がない日本において、日本の伝統を捨て去ることになりかねない、英米の保守主義の根本思想を掲げることを日本において保守主義と呼ぶことは容認できないことでしょう。  少なくとも、日本において保守や保守主義という言葉を使う時、これまでの曖昧な感覚で使われるのではなくて、それがどのような「保守」なのかがきちっと分かるような、弁別できるような新しい定義や「○○的保守」といった言い方がなされるべきだと思います。 --liber 2006年8月20日 (日) 08:48 (UTC)[返信]

●マーガレット・サッチャーですけど、イギリスでは「保守」と看做されていませんよ。むしろサッチャーはイギリスの保守的な伝統を破壊したと評価されています。イギリスでは「新保守主義」は「保守主義」に含まれないんですよ。削除するか、注釈を加えたほうがよいのではありませんか?

80年代から90年代にかけて大学の政治学の教科書としても広く用いられてきた高畠通敏の『政治学への道案内』(三一書房、1976年初版、1984年増補改訂)のコラム「保守と革新」(増補改訂版148ページ)には以下の言が書かれています。
《ヨーロッパと日本の政党を比べて、直ちに気がつくことの一つは、「保守」と「革新」という対立の仕方の特異性だろう。例えば、イギリスやフランスの政党が「資本主義」と「社会主義」、「保守主義」と「進歩主義」というイデオロギー的軸に沿っていまだに組織されているのに対し、日本の「保守」と「革新」の対立においては、そういうイデオロギーの対立は、うわべのものでしかない。保守党は、明治以来一貫して「文明開化」や「高度成長」を追及していった〈進歩〉の党であり、革新の側は護憲を主張し列島改造に反対する〈保守〉の党だった。だいたい、革新ということば自体、戦時中の「革新右翼」から出たもので、もともとはヨーロッパ的な近代進歩主義の対抗概念だったのである。私の考えでは、日本における「保守」と「革新」の対立の根本には、日本の集団形成の特質の問題がひそんでいる。集団をそのタテマエから攻め上げるのが、皇道右翼から新左翼にいたるまでの観念革新派であり、出世や福祉などの実利の分配の仕方で攻めるのが圧力革新派だ。これに対し、集団の維持や管理の視点から、天下党としての責任感で結集するのが保守意識の核をなしている。それはまた、サラリーマンが年功序列的に出世し、下級管理職になって組合から抜け出るのと平行して、革新から保守へと移るのと対応しているのである。おそらく、この伝統は「尊皇攘夷」のタテマエで幕府を攻めあげ、「自由民権」が地主階級の利益擁護にすりかわった明治時代にまで遡るに違いない。しかし、そこでの革新には国家経営のリアリズムも重ね打ちにされていたし、保守には文明開化の進歩主義もあった。今、同じことがいえるだろうか。》
結局、今日まで日本において保守・革新・進歩の概念が混乱している背景には、かつての日本において長い間政治指導者や政治学者も含めて、保守と保守主義を別次元に捉えている部分があったのではないか? 政治的保守主義を論じることは前提としても、そうした問題についても加筆しないと、日本における保守についてきちんと解説したことにはならないと思うのだが……。--202.94.139.107 2009年1月4日 (日) 06:35 (UTC)[返信]

「日本の保守主義者」かどうかについての疑問

●「日本の保守主義者」について。名前が挙がっている方々ですが、この項目が説明する「保守」とは食い違う方々が多く、矛盾しています。あの方々を「保守主義者」と呼ぶのは、かなり問題ありだと思います。削除したほうがよくありませんか?--210.164.1.72 2007年3月19日 (月) 07:51 (UTC)[返信]

外国の反社会的なカルト教団と親密だったり、外国資本の利益のために国民生活を破壊している新自由主義者たちを「保守主義者」と呼ぶのは如何なものものでしょうか? たしかに東京の大手メディアは彼らを保守扱いしますが、それが妥当だとも思えません。一応、多数(なのかな?)派を尊重して「俗に保守だと言われている」と補足しておきました。しかし、彼らの見解や態度が果たして保守主義と看做せるものかどうか大いに怪しいので、むしろ削除してしまったほうが良いと思います。--210.164.1.72 2007年6月19日 (火) 01:23 (UTC)[返信]
異論がないようなので日本の保守主義者の小項目を削除しました。
何のコメントもないまま、保守主義者とよべそうもない日本の保守主義者の項目を復活した方がおります。異論が有ればどうぞ。無ければ数日後にまた消させていただきます。
異論が無いようなので、再度削除しようと思ったんですが、不毛な編集合戦に陥りそうな気がしたので取りやめます。代わりに【独自研究】【要出典】【根拠の明確でない記述】などの注意書きを固定しておく方が良いかも知れません。124.154.165.26 2009年10月31日 (土) 11:11 (UTC)[返信]
不要だと思いますよ。検証可能性がないので資料的価値すらありませんし。--大和屋敷 2009年10月31日 (土) 11:46 (UTC)[返信]

日本の保守の伝統について

本居宣長を始め、日本の保守の伝統について触れられていない為か、何とも底の浅い記事になっていますね。バークもいいですが、やはり国学者など日本の保守主義の歴史・伝統についても書かれるべきです。--218.110.181.232 2007年11月17日(土) 12:16 (UTC)

賛成です。
日本の歴史、国学での分類項目かと思われますので、そちらの方での執筆が妥当です。--Ajax009 2009年10月9日 (金) 11:47 (UTC)[返信]

小学館や新潮社について

本頁の保守派団体一覧の項目に、小学館と新潮社が保守派団体に記載されてますけど、小学館や新庁舎や幻冬舎はそう考えても単なる中道出版社としか思えないんですけど、あと自民党に関しても疑問があります。 小林よしのり先生のゴー宣では自民党は保守政党ではないと書いてありますし、チャンネル桜でも自民党は最早保守政党ではないと言っていますが、どう思いますか?。 あと麻生太郎とか福田康夫は左派的傾向が強いと思います。--レボリューシャン 2008年11月16日 (日) 10:43 (UTC)  [返信]

異論が無い場合は新潮社と小学館と自民党の記載を削除いたします。

異論が無かった為削除しておきました。--レボリューシャン 2008年11月20日 (木) 06:22 (UTC)[返信]

小林よしのり他、同類について

小林よしのりを物差しに保守かどうかを判断するのは何とも頷きがたい。 沖縄問題や最近のアイヌ問題でわかるように小林は政治や思想を語る以前に全く勉強不足である。保守を口にする以前に保守すべき日本のことをあまりにも知らな過ぎる。 小林よしのりが保守にリストアップされているが、これは削除したほうが良い。リストアップするとしたらデマゴーグの項目だと思うが、存命中の人物であり百科事典としてはこの手の人物に触れること自体、必要なかろうと思う。--211.10.73.196 2009年2月6日 (金) 02:50 (UTC)[返信]

文藝春秋について

文藝が保守派団体というのは常識的に考えて、まずありえないでしょう。 明らかに保守派団体ではない中道団体がいくつか含まれているので、中道団体は削除させていただきます。--国愛者 2008年11月25日 (火) 08:35 (UTC)[返信]

参考情報

保守主義について説明する記事がありましたので寄せます。それによれば、保守思想とは啓蒙主義に対するアンチテーゼだそうです。Uryah 2010年6月21日 (月) 13:43 (UTC)[返信]

  • 朝日新聞2010年6月19日「保守って何 中島岳志

(ご参考)

丸山眞男の項

丸山の日本人論にとって「従う文化」「無責任体系論」は重要な主張(批判)ですので、ある「編集者にとって不愉快な記述」かと思いますが安直に削除しないようお願い致します。資料ならいくらでもありますよ(ちょっとぐぐっただけでも[1][2][3][4][5][6][7][8])。昭和日本の衆愚政が陥った「大衆(庶民)保守」への批判は現代においてもまた意味のあることです。--大和屋敷 2010年7月22日 (木) 16:14 (UTC)「綺麗な言葉」でいえば「さむらう(従う)文化」と言うことです。--大和屋敷 2010年7月22日 (木) 16:26 (UTC)[返信]

2011年7月19日(火)02:24版

冒記の版以降の一連の編集について。池田香代子はドイツ文学者、翻訳家ということであり多数の翻訳本やエッセイ、論文[9]等を公表されているようですが、拝見したかぎりでは思想家や社会思想研究者としての活動はとくに行っておられないようで、当ページ(保守)は学術目的で起筆されたページですのでこの種のエッセイの無作為の蒐集は目的外と考えました。記事(池田香代子)のほうに加筆するのは可能なのじゃないかと考えます。西部邁のほうも、新聞のコラムで公表されたものが引用元であり、やはり当ページのような学術目的記事が直接に参照するべき引用元として不適切だと考えますが、西部のほうは社会経済学と西欧思想史が専門で、この種の書籍や論文が多く公表されており、著作を探せばいくぶん発見できそうだという期待がありましたのでタグを塗布し注意喚起を行いました。--大和屋敷 2011年7月19日 (火) 03:10 (UTC)[返信]

行動する保守について

関連項目に行動する保守がありますが、文中にも行動する保守を入れたほうがいいんじゃないでしょうか。

出典なき記述の復活について

ipアドレスのユーザー220.100.52.115氏は『「日本における保守政治」は他の各記事からリンクされている』と主張されていますが「他のページからリンク」は出典になりませんし、他のページ自体もも出典になりません。外国語版も出典になりません。これ以上の繰り返しだと保護依頼などが必要になるかと思いますのでなにとぞ出典をお願いしたいところです。--にの会話2012年4月2日 (月) 08:00 (UTC)[返信]

Category:日本の保守政治家

Category:日本の保守政治家の件ですが、こちらで提起した方が良いかと思いました。Category:日本の保守政治家の記述「自由民主党の議員に保守派は多い。」ですが、自民党は「保守」を自称しており、自民党には議員が多いので、実質的に保守議員が多くなります(中には河野氏のように保守よりではない議員もいますが)。あくまで一定期間 出典が付かなければ除去、に反対するものではありませんが、その文を除去したり、各議員の記事よりカテゴリを除去する前に、保守の定義をしっかり議論すべきではないでしょうか?さて、実際に自民党が「保守」なのかどうかですが、消費税や原発といった比較的新しいもの、TPPのような既存になく保守と矛盾するようなもの、を推進している時点で、確かに首を傾げたくなります。一方、日本では「保守」を自称すれば、「保守」となるようにも思います。この場合は、定義も何も不要ですが。--JapaneseA会話2014年9月8日 (月) 07:29 (UTC)[返信]

議論を提起して頂きありがとうございました。私も以前よりCategory:イギリスの保守政治家なるカテゴリはどうやって分類するのだろうと気になっておりました。人によって定義が異なる政治思想のカテゴリ化はWikipedia:カテゴリの方針に照らして好ましくないと考えます。たとえば、JapaneseA様は「消費税や原発といった比較的新しいもの、TPPのような既存になく保守と矛盾するようなもの」と述べておられますが、私はむしろ消費税・原発・TPPは保守概念と認識しております。本気でカテゴリ化するならJapaneseA様がご指摘された通り自分で保守と自称していることが出典で確認された者をカテゴリするしかないと思うのですが、そこまでして残す価値のあるカテゴリとも思えません。Category:日本の保守政治家Category:イギリスの保守政治家Category:各国の保守政治家Category:保守政治家は削除すべきに一票入れさせていただきたいと思います。Category:保守思想家Category:保守団体(とその下部カテゴリ)なども問題がありそうです。--Omaemona1982会話2014年9月8日 (月) 09:04 (UTC)[返信]
呼びかけに御答え頂きありがとうございます。事の起こりは、桜ー客観的真実の担い手様が一石を投じたものでした(各議員の記事よりカテゴリの除去とCategory:日本の保守政治家より一文の除去。利用者‐会話:桜ー客観的真実の担い手#説明してください)。なるほど、Omaemona1982様の仰るように、カテゴリ自体を削除してしまうのが一番良いかもしれません。今のところ私も各カテゴリの削除に賛成します。しかし、保守だけでなく、リベラル、自由主義、新自由主義、左翼、右翼など、この問題は多岐に渡るため、とても私が一個人で削除依頼を出せるものではありません。よって議論活性化のコメント依頼とします。ちなみに、私もイメージでは保守思想=「消費税・原発・TP推進」ですが、「保守の定義」と考えるとこれらに反対するはずでは?と首を傾げるわけです。原発やTPPには、保守内でも意見が割れており、これは一例ですが、行動する保守を掲げる団体でも、在特会は原発賛成、主権会は原発反対の立場です。これらの団体は、原発賛成・反対を「保守活動」としてやっているのであれば、それぞれが掲げている「保守」の定義が違う事になります。当記事内の丸山眞男氏の見解「明確な定義はない」が正しいように思えます。--JapaneseA会話2014年9月8日 (月) 12:26 (UTC)[返信]

 「自称天才」が必ずしも「天才」であるとは限らないように、保守を自称しているからと言って、その人が保守であると結論付ける事は出来ないと考えます。「保守を自称している」「~氏によると保守である」とWIKI記事内で紹介したり、「保守を自称している人物のカテゴリ」に含める事が出来るのみです。同様に自由民主党の「政党本体」が保守を自称している事と、その議員が多い事を以って、「自由民主党の議員に保守派が多い」と明確に記述する根拠にはならないと考えます。「~によれば(例えばいずれかの新聞社によれば)保守議員は自民党に多いとされている」と書く事は出来ると思います。  「保守」と「リベラル」の定義付けに関してですが、世の中の非常に多くの分野で、明確に定義する事が困難なものが沢山あります。例えば「保守」とは「旧来の考え方や伝統を維持する事」と辞書にありますから、消費税を現状の5%に維持する事が「保守的」と解釈し、増税はリベラル的な政策だと解釈する事も可能です。「護憲」についても言及してみましょう。日本が70年近く一切改憲する事無く、「保守」してきた憲法9条を含む「日本国憲法」。70年間守ってきたこの9条や憲法を保守しようとしている側が、左翼として扱われ、改憲したいと主張する者が保守派と見なされているという矛盾があります。 「現行の日本国憲法そのものが、従来の日本の伝統的価値観を否定する為に、戦後になってアメリカから押し付けられたものだ。だから一部改憲、もしくは石原慎太郎の様な憲法完全破棄論を唱える者を保守派と捉えるのは正しい。」・・・・などと一部の人から反論があるかも知れません。では同様にアメリカから押し付けられたものである「米軍基地」。即ちこれまでの日本の伝統的価値観の中には存在しなかった「外国の軍隊の駐留」に反対する者達が保守扱いされているかと言えば、米軍基地の撤退を望むデモ団体を産経新聞などは左翼と見なしています。  「いわゆる」反米保守と呼ばれる論客達によれば、アメリカに軍事面に依存する代償に、経済面でアメリカにとって都合の良い政策ばかりを取らざる得ないとして、「保守の立場から」アメリカ基地の撤退を、主張しています。「米軍基地の撤退」を主張する側、維持を主張する側、相反する主張をしているものが、共に保守を自称している事の原発関連以外の例を、私も提示させて頂きました。  またドイツのメルケル首相に関してなのですが、彼女は日本の雑誌やニュースなどを見ていても、度々「保守派」として取り上げられ、所属政党も保守派と目されている「ドイツキリスト教民主同盟」の所属です。この彼女も歴代のドイツ首脳の例に漏れず、過去にドイツが行った戦争犯罪について、度々謝罪を繰り返しています。2008年エルサレムにて、「私たちドイツ人の心は恥でいっぱいになる」等の発言。2009年、ポーランドの第2次大戦勃発70周年記念式典で、ブラント元首相に次いでドイツ首脳としては2番目に「跪いての謝罪」など。  過去の侵略戦争を反省する事によって、国際復帰を果たしたドイツは、これからも国家元首が、ある意味で伝統的に謝罪を続けていく事と思われます。それが今後も「保守的に」行われていく事と思われます。  日本もドイツ同様に、過去の侵略戦争を反省する事によって、国際復帰を果たした国であり、戦後はドイツと同様に、時の首相による謝罪発言が定期的に行われてきました。 「アメリカを含む各国に対し、戦争犯罪を謝罪し、アメリカとの信頼関係を取り戻した上で、日米安保は調印された。」  それが昔の自民党における本来の保守的な考え方であったはずです。ですが近年は「自虐史観論」等が活発になり、「これまで通りの戦争責任を謝罪する姿勢」を維持すべきだと主張する人は、左派と見なされるようになりました。戦後日本の歴史認識を保守しているにも関わらず。ドイツではこれまで通りに戦争責任を肯定する姿勢が「保守的」とされ、日本では戦争責任を否定する姿勢に転じるべきだと主張する側が保守派だとされている事にも違和感を感じています。(過去に1度出した各種談話を訂正するのはリベラル的な考えのでは?)  そこで私が出した結論はやはり、「保守派の政治家」と「リベラルの政治家」を、「カテゴリ」なるものを使ってまで明確に区分けする事は出来ないという事です。TPP推進に関してもJapaneseA様は保守に分類されるかもとの見解を示していますが、あらゆる経済政策をスピーディに推し進めている安倍総理の経済政策について、「経済政策に関してはリベラル(TPP含めて)」と考える人も居て、TPPに関しても「保守」・「リベラル」を区分けする材料にならないように思います。無意味なカテゴリ分類です。Category:日本の保守政治家Category:イギリスの保守政治家Category:各国の保守政治家Category:保守政治家は削除すべきに私も一票入れさせていただきたいと思います。--桜ー客観的真実の担い手会話2014年9月10日 (水) 01:43 (UTC)[返信]

コメント 皆様、御意見ありがとうございます。他国の政治には門外漢ですので、Category:日本の保守政治家のみ削除依頼を提出しました。Wikipedia:削除依頼/Category:日本の保守政治家まで投票頂ければ幸いです。他のカテゴリについては皆様が削除依頼を出される事を妨げるものではありません(提出されたら投票するかもしれません)。--JapaneseA会話2014年9月15日 (月) 19:40 (UTC)[返信]

報告 Wikipedia:削除依頼/保守主義人物のカテゴリWikipedia:削除依頼/Category:フランスの保守思想家を提出しました。--K-iczn会話2014年11月5日 (水) 10:50 (UTC)[返信]

Category:保守○○

質問ノート:日本会議#保守系で話題が持ち上がったのですが結局Category:イギリスの保守政治家Category:各国の保守政治家Category:保守政治家Category:保守思想家Category:保守団体(とその下部カテゴリ)の扱いはどのようにするべきでしょうか。上に挙げられている問題については変わりないこと、及びノート:日本会議#保守系で起こったものと同様の論争を再び産みかねないことなどを理由に全て削除するべきと思うのですがどうお思いかコメント願います。--Darkitten(トーク/投稿記録) 2016年5月5日 (木) 08:09 (UTC)[返信]

Category:イギリスの保守政治家Category:各国の保守政治家Category:保守政治家Category:保守思想家については、WP:OC#OPINIONなので削除が妥当でしょうね。Category:保守団体については、保守という思想に基づいて実際に活動している場合は、Categoryづけが可能でしょうが、WP:OC#SUBJECTIVEになる可能性が高いでしょうね。--ぽてから会話2016年5月5日 (木) 08:30 (UTC)[返信]
勝手ながら、議論活性化のコメント依頼としました。まず、日本以外のものは、一任します。次に、上節で述べたように日本では「保守」の定義に実情が全くあっていないので、削除した方が良いように感じます。一方、Category:行動する保守というカテゴリがあり、「行動する保守」が実際に保守なのかどうかはわかりませんが、「行動する保守」というものに分類されるのであれば、有用なカテゴリになります。なお、「保守主義と自認している」「~は~を保守であると述べている」というような記述には反対しません。あくまで曖昧なカテゴライズに対し、削除やカテゴライズ解除を主張します。--JapaneseA会話2016年5月5日 (木) 10:56 (UTC)[返信]

コメント Category削除後の、Category内記事の扱いとしては、とりあえず、以下のCategoryに付け替えで良いと思います。

さらに下記Categoryの削除案を追加します。

ぽてから会話2016年5月10日 (火) 03:05 (UTC)[返信]

コメント 現状でもCategory:思想家の下位カテゴリにCategory:政治思想家があるのですから、Category:日本の保守思想家を付け替えるならCategory:日本の政治思想家‎でしょう。ただ、そうすると東條由布子徳富蘇峰が並んだりするワケですが。Category:保守団体は下位カテゴリにCategory:保守政党がありますから、Category:社会運動団体への付け替えには違和感を覚えます。 --KoZ会話2016年8月3日 (水) 05:09 (UTC)[返信]

提案

日本会議と東京新聞の論争に関する記述はこの記事には不適当です。日本会議と東京新聞に書けば十分でしょう。このページからの除去を提案します。--ぽてから会話2016年6月29日 (水) 01:25 (UTC)[返信]

反対 そういうノート:宗教右派での合意を粉微塵にする提案はやめて下さい。私は貴方のノート:宗教右派での記述移動提案を高く評価していただけに残念です。--JapaneseA会話2016年6月29日 (水) 05:34 (UTC)[返信]

論争というのは、第三者への波及効果があってはじめて、当事者以外の記事で記す価値が出ると思いますね。左派的な新聞が叩いただけで、それが政治学や宗教学に影響を及ぼしたとは確認できません。だから、現時点では当事者間のみの記事にしてください。「保守」という壮大なテーマに対して、日本の代表例として書くにはあまりに大げさすぎます。書きたいのなら、第三者への効果や波及が確認できる出典を出してください。--ぽてから会話2016年6月29日 (水) 15:13 (UTC)[返信]

左派的な新聞は、貴方の主観でしょう(そこはどうでもよい論点でしょうけど)。お互いの妥協案として、貴方の提案を受け入れたのですが、それは無かった事にするのですか?--JapaneseA会話2016年6月29日 (水) 15:33 (UTC)[返信]
無かったとかではなく、初めから、宗教右派では議論はそれ以上は行わないという前提でしたよね。第三者への効果や波及が確認できる出典があれば考えます。「日本共産党」に瑣末なことを書くべきではないと言っていながら、もっと壮大なテーマである「保守」に瑣末なことを書くべきだとなると、ダブルスタンダードですよね。新聞への抗議など日常茶飯事的に起こってますが、それが保守の概念になにか影響を与えてるのでしょうか? 行動する保守は、右翼と関連づけられてたくさんの言及がありますよね。そういう何かありますか? 客観的に公平に判断してもらえませんかね。書きたいのなら、書くべきだと納得できる出典を出してくださいね。--ぽてから会話2016年6月29日 (水) 15:52 (UTC)[返信]
元々は「宗教右派」に記載されていた、宗教右派への内容でした。移動したのは合意のためです。それを「もっと壮大なテーマである「保守」」と言われても困ります。--JapaneseA会話2016年6月29日 (水) 16:16 (UTC)[返信]
  • コメント-「5 日本にある「論争」」を「6 宗教的保守主義ー6.5 日本」へと移動をすればよいのではないでしょうか。「宗教右派」などの用語をメディアが宗教的保守主義として使用しているのであれば、「日本会議と東京新聞の論争に関する記述はこの記事」について、編集の必要はありますが、出典が示されていることから除去の必要はないと考えます。しかし、更なる複数の出典が求められると思います。
  • 「6 宗教的保守主義ー6.5 日本」における、日本の「宗教的保守主義」および「宗教右派」などの用語は、おそらく多数の研究者の文献にある「新宗教運動の政治活動(政治関与・政治進出)」を説明しているものなのでしょう。
  • したがって、この節では「国家神道」や「教派神道」をはじめ、「新宗教運動の政治活動(政治関与・政治進出)」に関連する加筆が求められると思われます。--Koshi2016会話) 2016年6月29日 (水) 20:23 (UTC)--誤字修正----Koshi2016会話2016年6月29日 (水) 20:40 (UTC)[返信]
「国家神道」は、天皇の存在が大きいじゃないですか。神社は非宗教とされてましたし、ちょっとキリスト教的な宗教性とは違ってきますよね。国家神道で詳細に記せばいいんじゃないですかね。「教派神道」は戦後の神がかり系などは、いろいろ社会活動は盛んにされてるけど、もろに政治進出っていうのは昔の話だし意外と少ないですよね。そのあたりが出典があるのであれば多少は記述できるというところでしょうか。(元しばき隊の菅野完氏の本やイデオロギーを背景に書いてる人の出典のみで書くことには反対)。大本の「人類愛善会」なんかは、何十万人も信徒がいて、人類愛善新聞なんかは100万部以上売れてましたけど、人類愛善万類だから日本の政治とか日本という国の概念を超えちゃった思想なんですよね。「人類愛善会」は教派神道の愛国精神の代表的事例だとは思いますけど、資料もあまりないですし、この「保守」に書くのが良いのかちょっと悩みどころですね。私は、キリスト教右派のようなあからさまなロビー活動は日本にはないと理解してるので、宗教的保守主義と限定すると、日本の事例は書くことがほとんどないということになると思ってます。創価学会と公明党の話は、世間では「宗教的保守主義」の事例と言っていいんでしょうか? いちおう与党だから保守といってはいいんでしょうけど。
日本会議の東京新聞の報道についてですが、まず、あの出典では日本会議は宗教的保守主義とは言えないでしょう。論争といっても、東京新聞と日本会議の当事者間の論争のみにとどまってる段階だから、当事者の記事にそれぞれ書けば良いというそれだけです。民事裁判となってもよほどのことでなければ当事者間の問題ですけど、今回は裁判にもなってない段階ですよね? 東京新聞と日本会議以外の第三者メディアでの出典で、宗教学とか政治学の専門家が言及したとか論争の波及なりが確認できるなら、当事者以外の記事にも書くことに納得できます。「宗教右派」よりは「保守」のほうがまだ近いから、こっちに書いた方がましだし、明らかに宗教右派の記事の邪魔になってたからまず移動しただけです。出典に基づく判断は、他のどの記事でもやってることですよね? JapaneseAさんは、ここにも書きたいなら第三者の出典の提示をお願いします。。--ぽてから会話2016年6月29日 (水) 21:08 (UTC)[返信]
  • コメント-宗教的保守主義の変遷について詳細な記述による説明は必要はないでしょうが、概略となる沿革・歴史の記述は求められるでしょう。現状、その点の記述が全くないので、新宗教運動の簡単な変遷の記述は必要でしょう。
  • ここは、あくまで神道だけではなく、「宗教」的保守主義なのであるので、「新宗教運動の政治活動(政治関与・政治進出)」は記述すべき内容であるし、学術的な文献から記事を確認することは可能です。宗教的信仰に基づく政治活動(政治進出だけでなく、政治関与も含む)が、議席がなくとも政治関与が認められ、研究者によりその関与を指摘した文献・出典があれば、記述は問題ない。
  • 必要な具体的な内容については、未だ記事に加筆されていないため、検証はできませんが。
  • 東京新聞と日本会議については、「日本会議が「宗教右派」」だから、記述をするのではなく、真意に関わらず、メディアがレッテル貼りをして報道したことに意味がある記述なのでしょう。
  • 現状、「6 宗教的保守主義ー6.5 日本」は、最近の報道内容だけしか入っていないため、記事として、浮いていると言えます。そのため、新宗教運動の政治活動に関する加筆を行い、変遷・信仰・政治関与に関する記述が必要と考えます。--Koshi2016会話2016年6月29日 (水) 22:20 (UTC)[返信]
コメント Koshi2016様が仰っている当記事の節について、私も同意見です。「東京新聞と日本会議の論争」を「宗教的保守主義」節の「日本」節に移動するか、「神道政治連盟の件」を「日本」節に移動するか、のいずれかにすべきでしょう(私はどちらでも構いません)。ぽてから様へ、「宗教右派、と報じた例を宗教右派に記載すべき」というのが私の主張でしたが、合意案として当記事への移動に合意しました。この場合の新聞は「宗教右派」に対する2次資料なのです。--JapaneseA会話2016年6月30日 (木) 05:05 (UTC)[返信]
神道政治連盟は、すでに保守#宗教的保守主義#日本に移しています。日本会議の件についてはもう一回出典を読んでみるので検討の時間をください。--ぽてから会話2016年6月30日 (木) 07:46 (UTC)[返信]
やはり、不適切な使用例を記事に記すべきではないと思います。例えば、いろいろな新聞がいろいろな宗教団体をカルトと書いています。しかし、いろいろな新聞がカルトと呼んだ不適切な使用例をカルトに記すべきではないでしょう。東京新聞は、日本会議を宗教右派とか右翼などと報道したことは、宗教右派と右翼に書くべきではないと思います。単なる用語の使い方の一覧的な記述は、ウィキペディアは用語集ではありませんに反するでしょう。--ぽてから会話2016年7月6日 (水) 01:48 (UTC)[返信]
  • コメント -まず、使用例ではなく事例として扱う上で問題ないと思います。仮に不適切な使用例であったとしても、適切な使用例と同様に提示説明すること必要はあると思います。単なる用語の使い方の一覧的な記述については、一覧的と呼べるほどの記述の羅列が示されてるわけではありません。単なるメディアによる事例が示されているだけです。「いろいろな新聞がいろいろな宗教団体をカルトと書いています」については、どのようなものがあったのでしょうか。各々の宗教団体によって用語の使用はケースバイケースとなるため、一概に判断はできません。
  • この部分の記事の除去を早急に求める必要性が感じられません。それよりも急がれることは、新宗教運動の政治活動に関する加筆を行い、変遷・信仰・政治関与に関する記事を加えることです。--Koshi2016会話2016年7月6日 (水) 02:20 (UTC)[返信]
除去すべき理由は、日本会議は宗教右派でも右翼でもなく、宗教団体でもなく、レッテル貼り・名誉棄損と主張しているからです。不適切な記述をあえて記す意味はありません。例えば、カルトといわれて名誉棄損だと抗議している事例を、カルトに記すなど一切不要です。メディアのレッテル貼りの事例をウィキペディアで宣伝する必要はないのです。ウィキペディアは用語集ではありません。日本会議に書いてあるので、この保守という記事には不要です。なお、私自身、新宗教に関する政治活動をこの保守に加筆する必要性をそれほど強く感じていません。キリスト教右派のような動きは日本にはありませんし、公明党や創価学会などについては、すでに十分そちらの記事に加筆がなされています。大本の「人類愛善会」についても十分な資料の持ち合わせはありません。必要性がないという以前に、それほど新宗教に関する政治活動という分野においての知識を持ち合わせていないので、現時点で執筆するのは厳しいです。--ぽてから会話2016年7月6日 (水) 02:36 (UTC)[返信]
コメント-まず、宗教団体を「カルト」と記載した事例と呼んだという出典が示されない限りその点の判断はできません。
また、宗教的保守主義とされる(積極的であろうとも、消極的であろうとも)日本での活動は何になるのでしょうか。詳細な説明は必要なくとも、概略的な説明が全くない現状に加筆が必要ないというご意見は首をかしげるものです。ぽてからさんが資料を持ち合わせてない状況とあるのであれば、「宗教的保守主義の日本」に加筆をする必要のあるなしの問題ではなく、ぽてからさんが加筆をする用意がまだできていないことにすぎず、また資料を持ち合わせていない状況であるのに新宗教に関する政治活動をこの保守に加筆する必要性がある・なしが判断できるのかも疑問です(もちろん、ぽてからさん、この分野に関し認識をもっているものと判断しています)。--Koshi2016会話2016年7月6日 (水) 03:05 (UTC)[返信]
日本にはキリスト教右派のような宗教的保守主義に関する事例はありません。もしかしたら塚田穂高氏などが主張しているかもしれませんが、それは、宗教学の学問上確立した考えではなく、塚田氏個人の主張です。新聞が宗教団体と「カルト」と呼んだ事例などはあまりにもたくさんありますが、その事例をあげるつもりはありません。新聞がどの団体を右翼と呼んだか、どの団体を保守と呼んだか、どの団体を宗教右派と呼んだか、などの単なる一覧を書くことは、ウィキペディアは用語集ではありませんに反します。記事は、基本的には保守的に書くべきであり、とくに、世間的に当事者間でしか情報発信がない争いは、当事者間の記事でのみ書くべきでしょう。--ぽてから会話2016年7月6日 (水) 08:27 (UTC)[返信]
  • コメント -私は、上述されている「新聞が宗教団体と「カルト」と呼んだ事例」を記事にいれることをもとめているのではなく、議論を交わしているノートにしめしていただくこと求めているのみです。そうでないと、ぽてからさんの意見が妥当なのかそうでないのか判断できません。
  • また、「カルト」と呼んだ記事を載せる必要はもちろんない、それは同意見です。では、「宗教右派」とされた団体は「カルト」と同様の意味なのでしょうか。その点は疑問です。日本での「宗教右派」の定義が示されていない現状ではたとえ「「宗教右派」は「カルト」と同等の意味(または、扱い)ですよ」と説明されても「えっ、なんでなの?」という疑問が浮き上がります。したがって、「カルト」とレッテル貼りしたというお話そのものに疑問があり(「宗教右派」とレッテル貼りはしていると思いますが)、そこを論拠に交わされている提案に賛成できないということです。
  • 新宗教運動については、使用されている用語や概念が多少違えど、数多くの文献が確認できることは事実です。したがって、現状の宗教的保守主義の記事の現状から急がれることは、(個々の宗教団体の詳細な説明ではなく)新宗教運動の政治活動に関する加筆を行い、変遷・信仰・政治関与に関する記事を加えることです。
  • 新たな、事実、論拠、出典がない限り、意見の変更は今のところないので、私は提案に対して 反対 との意見を示し、この提案についてはしばらく静観しようと思います。--Koshi2016会話) 2016年7月6日 (水) 09:10 (UTC)--Koshi2016会話2016年7月6日 (水) 09:15 (UTC)[返信]
  • コメント 「カルト」の例はかえって混乱されてしまったようなので、その例を持ち出すのはやめます。Koshi2016さんは、ノート:宗教右派で、「関係がないものを関係ないという出典で説明するのではありません。関係あるものを関係あると説明する出典で記事にするのです。」と話していますね。今、それを実現しようとしています。赤旗が、神道政治連盟を「宗教界右派とされる」と報じたことは、関係があるから記述したままを考えています。しかし、日本会議は宗教右派ではありません(これは事実)。「宗教右派の流れを汲む」という報道の意図は、日本会議の前身となる団体のことを指してるのでしょうが、それが書いてある出典は思い当たりませんし、日本会議は「宗教右派の流れを汲む」ことも認めていません。日本会議について何かしらをここに記すことは良いと思いますが、それは、どのような保守なのかという保守と関係あることを書くべきなのです。宗教右派ではない団体の話を宗教右派の事例のように書いたらおかしいですよね。日本会議の出典はいいのがないので、ちょっとまだ加筆がすすんでいませんが、何も書くべきではないということを行ってるのではありません。また、日本会議が宗教右派ではないとする出典を出すことはできません。そうでないものを証明するのは、悪魔の証明といって無理なのです。ところで、私は初めから方針に添って話しているのですが、それに対する反論もなさそうですね。まず、マスコミが、右派と呼んだ事例、右翼と呼んだ事例、宗教右派と呼んだ事例などを、いちいち書くことは、ウィキペディアは用語集ではありませんに反します。そのうえ、「関係がないものを関係ないという出典で説明するのではありません。関係あるものを関係あると説明する出典で記事にするのです。」のとおり、保守(宗教右派)と関係のない日本会議の不適切な新聞報道は記す必要はありません。「関係がないものを関係ないという出典で説明するのではありません。関係あるものを関係あると説明する出典で記事にするのです。」と話していたKoshi2016さんが、急に正反対の主張をされているように感じますが? おそらく、新宗教運動と日本会議のなにかを混同して勘違いされているのだろうと思います。この記事にまず加筆すべきは、宗教にこだわらず、根本的な日本の保守に関してだと思いますね。さすがにちょっと寂しいですよね。日本の新宗教の政治活動は、今は創価学会、幸福の科学くらいしか思い当たりませんし。その前は、オウムがありました。戦後の大本、生長の家などは資料の持ち合わせはありません。戦前は右翼的なものも含めもっとあったはずですが、本当にあまり良く知らないのですよ。新たな論拠というより、私が最初から主張している内容に関する反論が一つもありません。それとは関係なく、方針とも関係ないKoshi2016さんが思ったことを述べているだけです。新宗教運動の話はそれはそれです。東京新聞の報道はぜんぜん関係ない話ですので、理由になっていませんよ。「カルト」の話でこんがらがってしまわれたかもしれませんので、それは忘れて整理してもらえませんか。--ぽてから会話2016年7月7日 (木) 00:55 (UTC)[返信]
  • コメント -宗教の保守主義は、政治活動だけなのですか、社会活動も含まれるはずです。あとはノート:政教分離原則で述べた限りの気持ちです。今後の宗教的保守主義については、意見はありません。ぽてからさんとその他の編集者にお任せします。--Koshi2016会話2016年7月7日 (木) 01:11 (UTC)[返信]
わかりました。概要が「保守主義は伝統を尊重し、原則や手続きを順守し、保守することを重要視する政治思想である。」となってるので、ここは政治活動に限ったほうが良いだろうと思います。社会活動は、新宗教などのほうが適切ではないでしょうかね。保守的な社会活動をしている民間団体(宗教団体に限らず)の活動例を列挙していったらきりがなくなるでしょう。--ぽてから会話2016年7月7日 (木) 03:12 (UTC)[返信]
  • コメント JapaneseAさんは、日本会議の東京新聞のことをどうしても書かなければならないということなのでしょうか。日本会議のことについてはここに書くのは良いと思いますが、それは、日本会議の保守としての政治運動の側面を書いた方がいいと思うんですよね。ただ、いい出典がなくて、公式ウェブサイトくらいしかネタがないんですよ。日本会議は宗教右派ではない(事実)のに、「宗教右派の流れを汲む」と記事に書いてあったことは、ここに書いたら混乱を招きますし、ウィキペディアは用語集ではありませんに反しますね。当面、公式ウェブサイトを出典にしてもよければ、なにかほかに日本会議のことは書きますから、東京新聞のことを代わりに消すというのでは、納得できませんでしょうかね。赤旗の神道政治連盟の「宗教界右派」はそのままにしておきますんで。ただ、これにしたって赤旗だから本来除去したっていい内容でしょう。なお、ヒートアップ防止のために返答無しでも善意にとります。ただ、その場合は、一任と理解して東京新聞の報道は除去します。--ぽてから会話2016年7月7日 (木) 03:12 (UTC)[返信]

:まかせるとは言いましたが、反対意見はあげています。両者の意見を無視した編集はやめてください。 また、「保守主義(ほしゅしゅぎ、ラテン語: conservatismus、英: conservatism)とは、古くからの伝統・習慣・制度・社会組織・考え方などを尊重して、古くからの伝統・習慣・制度・社会組織・考え方を保存したり、維持するために、急激な改革に反対する社会的立場や政治的立場である[1][2]。そのような立場を取る者のことも保守[3]、あるいは、保守派と呼ぶ。[1]対義語は革新もしくは進歩主義。政党などにおける保守主義(保守派)を右派ともいう[4]。また「右派」や「左派」は、各集団や勢力の内部で、更に相対的に「右」「左」を示す場合にも使用されている[5]。」にあるように社会的立場も含まれています。 ぽてからさんの都合のいいように、周囲の意見を無視した編集作業を行うのであれば、その行為に対し私は意見を求めることを検討します。--Koshi2016会話2016年7月7日 (木) 03:46 (UTC)[返信]

両者の意見を無視した編集は一切やっていませんので、やめてくださいと言われる筋合いはありません。突然、どうされたんですか? 宗教右派のときとは突然正反対のことをおっしゃていますね? なんだかわけがわかりません。Koshi2016さんは、議論中に、宗教右派の記事をどんどん編集されていましたね。JapaneseAさんから苦言も呈されていました。なぜ、ここにきて、突然、自分は宗教右派でまずいというほど編集をしていたのに、編集せずに、こうやって議論をしている私が叱られなければならないのでしょう。誰も、ある記事を所有しているかのように振る舞う権利はありません。「今後の宗教的保守主義については、意見はありません。ぽてからさんとその他の編集者にお任せします。」と書いたら、誰だって、任せたと言われたと思うでしょう。Koshi2016さんが、任せますということだから、仕方ないのでJapaneseAさんと議論を始めようとしていたところです。せっかく、宗教右派で善意でKoshi2016さんに協力して、Koshi2016さんのフォローに入っていたのですが、いきなりこのような対応をされるのでは、あまりにも踏んだり蹴ったりというものでしょう。言ってることが滅茶苦茶ですよ? Koshi2016さんの振る舞いは、議論の妨害にあたります。自分はこれ以上いう議論に参加するつもりはないが、記事の私物化はさせてもらうなどという言い分は通りません。あまり、方針に反した行動ばかりとらないでください。私はKoshi2016さん相手にあまり苦言を言いたくはないのです。また、この保守というのは、基本的に宗教のことばかりを書く記事ではないのです。宗教のことを中心に記事を発展させようという考えが根本的に記事に合ってないと思いますよ。周囲の意見を無視した編集作業など行っていないのに、その言い様はあんまりです。また、要約欄のことについても本当はカンカンに相手を怒らせる行為なのですよ。即レスポンスをされる必要はありませんので、少し冷静になってもらうことを期待します。Wikipedia:記事の所有権Wikipedia:妨害的編集をお読みください。--ぽてから会話2016年7月7日 (木) 07:36 (UTC)[返信]
  • コメント -提案をしているのは、ぽてからさんです。提案に対し、反対意見が多い現状を無視しても、提案者が正しく、編集作業をしまくって構わないとお考えなのでしょうか。(提案意見に対し、支持者が多数あらわれれた時には、もちろん提案意見に従うものでしょう。)そのようにお考えであれば、ご自由に、ぽてからさんの思う通りに、保守における記事を編集されればよろしいでしょう。残念ですが、議論を交わす必要のない方(議論しても意見を聞いてくれない方)と今後考えます。以上です。--Koshi2016会話2016年7月7日 (木) 07:53 (UTC)[返信]
  • コメント 補足―私は、宗教右派にて議論となっていた、日本の「宗教右派」の編集を行っていません。一度のみコメントアウトしただけです。日本の宗教右派の議論中に議論の最中であった日本の「宗教右派」を編集しまくっていたのは、一体どなただっただったでしょうか。自分を棚に上げて、いろいろな人を批判する態度もいかがなものです。--Koshi2016会話2016年7月7日 (木) 09:05 (UTC)[返信]

コメント 横からすみません。ぽてから様の仰る「用語集ではない」には一理あると思います。また私は「宗教右派と呼んだかどうか」には、こだわりはありません。ただ、「新聞が宗教右派と呼んでしまった事による論争」というのは一定の特記性があるかと思います。除去するのであれば、東京新聞との論争ではなく、赤旗の方を除去すべきかとも思います(「除去して下さい」という意味ではありません)。また、日本共産党で私が提案しているように、「東京新聞と日本会議で~として訴訟になっている」(ここは意味が通れば、短くても構いません)とし、MainやSee Alsoとする分には反対しません。最終的には御二方に一任する方向で考えています。もう少しこの場にいさせて頂ければ幸いです。なお、加筆については、現時点でも何方様の加筆も妨げるものではありません。--JapaneseA会話2016年7月7日 (木) 10:37 (UTC)[返信]

「新聞が宗教右派と呼んでしまった事による論争」についてですが、当事者が発信している出典だけであるので、当事者のページのみの記載でかまわないのではないか、というのが私の意見です。朝日、読売、産経などでも論争が報道されているならまだわかるのですが、週刊誌レベルでの報道もなく世間的な論争というほどでもないということです。ちょっと、ここに書くのは大げさすぎると思います。日本会議については、もっと他に書くことがあるだろうと思ってます。また、全体的に日本の保守をもっと書ければいいのですが、保守という概念は定まっていなくて難しいところもありますね。私の力量をはるかに超える分野のようで、どの出典がいいのかとかも含めて検討がつかないところがあります。(第三者の参加を期待して、一度述べたことについてもわかりやすいように再度書いておきます。)それとは別に、議論中に編集することがダメだとする見解の根拠が不明です。虚偽と思われる加筆や自分が書いた不適切なことはすぐにでも除去すべきでしょう。適切な編集であっても行うべきではないとする根拠が不明です。たまの弱音を吐きますが、なんだか、記事と本質ではない話になってきているのがちょっと先行き不安です。--ぽてから会話2016年7月7日 (木) 12:37 (UTC)[返信]
日本会議については、もっと他に書くこと保守という概念は定まっていなくて難しいところもありますね。」には賛同します。私の意見は2016年7月7日 (木) 10:37 (UTC)で述べた通りです。後は、御二方に一任し、これで静観したく思います(呼ばれればコメントはしますが)が、あっちのノートや削除依頼など議論再開には時間が掛かりそうですね。また、一任した結果に異議を唱えるものではありません。ただ、東京新聞の事例が除去される事になれば、せっかくの貴方の宗教右派での合意案「宗教右派でなく、保守に書けば良い」に誰よりも早く飛びついて絶賛していた私としては、悲しいですが。--JapaneseA会話2016年7月7日 (木) 13:50 (UTC)[返信]
たしかに宗教右派でそう思われるようなコメントであったかもしれません。後で真意は伝えましたが、ビックリされていましたね。とくに、今のこの記事に書くのは不釣り合いだと思うのですよね。ほとんど書かれておらずガラガラなのに、論争とも言えない記述が幅を取り過ぎで違和感ありありという感じがします。ほかにいろいろ加筆した上でならもう少し違和感がない状態になりますかね。保守や右派について、もう少し出典を当たるなりしてみないと、これ以上考えても結論は出ないかも知れません。それか、いったんこの記事から離れようかなとも考えており、ちょっと、この先この記事をどういう風にしたら良いかという展望が見えません。また、コメント依頼で、ことあるごとに、宗教分野と政治分野からの撤退を声高に主張していて今更と思われるかも知れませんが、先日の不適切なブロック依頼提出以降、JapaneseAさんは良い方向に変わられたなと議論をしていて感じました。私に対しては細心の注意を払われているからかもしれませんし、また、意見がぶつかったら全然違うことを言うかも知れませんが(笑)。今なさっている宗教分野や政治分野における活動についてはそのまま継続された方がコミュニティにとって有益だと思います。こちらの議論の参加についても、静観されたいということであれば静観されれば良いですし、コメントしたいことが出来たらコメントしに来てくださればと歓迎します。--ぽてから会話2016年7月7日 (木) 14:23 (UTC)[返信]
菅野完の主張は日本会議から名誉棄損であると法的抗議が入っているので使わないでください。日本会議の主張が法的に認められた場合、削除しなければならなくなります。ここは保守の記事なので保守の記述の拡充につとめてください。--ぽてから会話2016年7月11日 (月) 15:36 (UTC)[返信]

編集合戦を一度停止しましょう。タグはすでに冒頭にあるので、二重に貼り付けなくても良いでしょう。また、名誉棄損という理由で法的手段をとっている出典を、この記事に用いる必要性はなんでしょうかね。著者は過激な抗議デモを繰り返したしばき隊出身者であり、学術的な研究とも異なります。保守に記述する必要性は見いだせません。--ぽてから会話2016年7月12日 (火) 00:45 (UTC)[返信]

出典は確認されているのでしょうが、著者がどのような立場であれ、事件の説明において特筆性が確認できる有効な資料であれば、出典として有効であり、除去する必要はない。--Koshi2016会話2016年7月12日 (火) 00:51 (UTC)[返信]

特筆性があるのならば、名誉棄損の恐れのある出典以外でも見つかるはずです。個人的な見解として、その著書は、調査不足な面は否めず、推測、推論と呼ぶべき内容を事実だと断定している箇所はあります。ほかの出典をあたりましょう。ですが、その前に、各種方針の熟読をしましょう。--ぽてから会話2016年7月12日 (火) 01:03 (UTC)[返信]
完全に日本会議と重複しているので、保守から「論争」に関することは除去で良いと思います。日本会議が保守思想を掲げた団体だとされていることを記せば良いと思います。JapaneseAさんが、ノート:日本共産党などで、重複は除去すべきだと声高に訴えているのに、なぜ、この記事にのみ重複記載すべきだとまったく逆の主張をしているのかダブルスタンダードだと感じます。そのような瑣末なことは日本会議に記すべきことです。--はるみエリー会話2016年7月13日 (水) 02:01 (UTC)[返信]
上の方で「また、日本共産党で私が提案しているように、「東京新聞と日本会議で~として訴訟になっている」(ここは意味が通れば、短くても構いません)とし、MainやSee Alsoとする分には反対しません。」とコメントしていますが。--JapaneseA会話2016年7月13日 (水) 05:14 (UTC)[返信]
日本会議は、宗教団体ではありませんし宗教右派ではありません。宗教右派と日本会議を関連づける記述はここに記すのは不適切でしょう。かわりに、日本会議と保守に関する記述を記し、MainやAlsoとするということで良いでしょう。--ぽてから会話2016年7月15日 (金) 02:23 (UTC)[返信]
とりあえず、日本会議に関する古谷経衡氏と上杉聰氏の主張は、ここに記すのが妥当というほどの出典とは言えないので即時除去が適当でしょう。--ぽてから会話2016年7月15日 (金) 02:26 (UTC)[返信]
御提案ありがとうございます。上記でコメントしたように一任します。--JapaneseA会話2016年7月15日 (金) 03:01 (UTC)[返信]

論議参加者は他にもいて明確に反対している人間もいるのに、ぽてから氏とはるみエリー氏という同一の主張をいつもなされている方々とJapaneseA氏の賛同のみをもって合意がなったとするのは間違いでしょう。少なくとも反対しているKoshi2016氏に確認を取るべきです。他の特定記事での取引をされた数名の方の結論を他の記事に反映させるべきではない。井戸端なりでまずは話合われてはどうですか?--222.149.163.144 2016年8月17日 (水) 07:48 (UTC)[返信]

ぽてから氏2016年7月15日 (金) 02:26 (UTC)の提案に反対なし。よって合意成立。--2001:268:C054:69C:F593:C9FC:B48A:B4AF 2016年8月17日 (水) 07:53 (UTC)[返信]

反対者に対して何の提案も連絡もされていませんね。少なくともこの論議においての反対者Koshi2016氏には何の連絡もしておられません。よって合意は成立していません。そしていつもの、ぽてから氏やはるみエリー氏の編集には無条件で賛成され何度でも3RRも無視して差し戻す方の登場ですか。非常に残念です。--222.149.163.144 2016年8月17日 (水) 07:57 (UTC)[返信]

ぽてから氏2016年7月15日 (金) 02:26 (UTC)の提案後、一ヶ月経過しても反対者はなし。よって合意成立。--2001:268:C054:69C:F593:C9FC:B48A:B4AF 2016年8月17日 (水) 08:00 (UTC)[返信]

Koshi2016氏をコメント依頼とブロック依頼で黙らせてから合意成立ですか。どうもおかしいですね。ぽてから氏やはるみエリー氏の過去の編集履歴を見るとそうやって追放されたり黙らされたりしたウィキペディアンが実に多いのですね。そしてそれを擁護して何故がいつも現れるあなたのような3RRも関係なく編集される謎の方とか。実に不思議なことです。--222.149.163.144 2016年8月17日 (水) 08:11 (UTC)[返信]

ぽてから氏2016年7月15日 (金) 02:26 (UTC)の提案後、一ヶ月経過しても反対者はなし。よって合意成立。--2001:268:C054:69C:F593:C9FC:B48A:B4AF 2016年8月17日 (水) 08:17 (UTC)[返信]

誰かと勘違いした不当な中傷は速やかに停止してください。合意成立という厳然たる事実を提示しています。--2001:268:C054:69C:F593:C9FC:B48A:B4AF 2016年8月17日 (水) 08:29 (UTC)[返信]

出典『日本会議の研究』について

ノートより転載、

始め

ノート:日本会議#名誉棄損で合意形成されていますので熟読をお願いします。--ぽてから会話2016年7月12日 (火) 01:08 (UTC)[返信]

菅野の文献が一切認められないとは、どこにコメントされているのですか。誰と誰との合意ですか。合意形成をうたった宣言でもあるのですか。--Koshi2016会話2016年7月12日 (火) 01:17 (UTC)[返信]

ノート:日本会議#名誉棄損をご覧ください。元しばき隊出身者のネットレポート集というべきものでもあり、文献というほどではありません。宗教学者らと同一視はできませんよね。--ぽてから会話2016年7月12日 (火) 01:23 (UTC)[返信]
質問の答えになっていない。また、宗教学者と同一視する必要はない。出典とするればよいだけの話。--Koshi2016会話2016年7月12日 (火) 01:26 (UTC)[返信]
名誉棄損のおそれのある加筆は厳禁です[10]。表現の自由よりも名誉棄損の恐れのほうが優先されます。--ぽてから会話2016年7月12日 (火) 01:28 (UTC)[返信]

事件あるなら、なおさら出典として特筆性が高まる。より有効な出典・記事となる。--Koshi2016会話2016年7月12日 (火) 01:34 (UTC)[返信]

合意形成の説明の根拠としている、ノート記事の内容では上であげた問題点について論究していないため、有効性はなし。--Koshi2016会話2016年7月12日 (火) 01:37 (UTC)[返信]

以上、終わり--Koshi2016会話2016年7月12日 (火) 03:40 (UTC)[返信]

『日本会議の研究』は、日本会議が報道に対し抗議している事実を示す出典(二次資料)にすぎず、日本会議の方針・意図を代弁した出典でないため問題はない。また、記事そのものが日本会議の抗議・反論を無視したものならば問題だろうが、その点については出典は一次資料だが、示されているため基本問題ない。強硬に、『日本会議の研究』を除去するその行為そのものが問題。 無理やりにも除去したいのであれば、一個人の見解云々ではなく、井戸端なりで意見を提案し、多数の論者を集めた上で除去するべきか議論するようになさい。その結果次第ですね。--Koshi2016会話2016年7月12日 (火) 04:57 (UTC)[返信]

議題そのものを強硬に除去する編集作業は問題。無理やりにも除去したいのであれば、一個人の見解云々ではなく、井戸端なりで意見を提案し、多数の論者を集めた上で除去するべきか議論するようになさい。--以上の署名のないコメントは、Koshi2016会話投稿記録)さんが 2016年7月12日 (火) 06:50 (UTC) に投稿したものです(市井の人会話)による付記)。[返信]

名誉棄損の恐れがある著書を現段階で出典にはできません。しばらく様子を見るべきです。他に出典をあたりましょう。--27.140.247.220 2016年7月12日 (火) 07:15 (UTC)[返信]
名誉毀損の疑いがあると言っているのが当事者だけで、第三者の客観的な見解が出てないのに「名誉毀損の恐れがあるから記載できない」としてしまうのはいかがなものでしょうか。その理屈が通るなら、都合の悪い記述を見つけたらすぐに名誉毀損だと騒げば削除されることになってしまいますが。--削り節会話2016年7月12日 (火) 08:22 (UTC)[返信]
名誉毀損の疑いがあると言っているのが当事者だけなのは、当たり前です。当事者以外が言ってなんの意味があるのか? 意味不明な発言はお控えください。日本会議事務局の調査によると、『日本会議の研究』には、団体・個人について「虚実、装飾、誹謗中傷、事実誤認、印象操作、 著作権侵害、肖像権侵害、プライバシー侵害など」が150箇所以上存在するとされます。個人についての名誉棄損やプライバシー侵害などが、どこに書かれているとされるのか不明なので、本文の内容を書くとか引用するなどは不適切です。「都合の悪い記述を見つけたらすぐに名誉毀損だと騒げば削除される」などといい加減なことを考えついたみたいですが、弁護士は法的根拠もないのにいい加減なことはしません。「名誉棄損」として法的手段をとるのは、裁判で争えるほどのよほどのことがないとしません。--ぽてから会話2016年7月15日 (金) 02:21 (UTC)[返信]