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2016年10月17日 (月) 13:07時点における版
バーニー・ウォーレル | |
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基本情報 | |
出生名 | George Bernard Worrell, Jr. |
生誕 |
1944年4月19日 ニュージャージー州ロングブランチ |
死没 | 2016年6月24日 |
ジャンル |
ファンク ロック オルタナティヴ・ロック ブルース・ロック R&B |
職業 |
ミュージシャン 作曲家 音楽プロデューサー |
担当楽器 |
キーボード オルガン |
活動期間 | 1947年 - 2016年 |
共同作業者 |
パーラメント ファンカデリック プラクシス カーネル・クレイプールズ・バケット・オブ・バーニー・ブレインズ バーニー・ウォーレル・アンド・ザ・ウー・ウォーリアーズ トーキング・ヘッズ |
公式サイト | bernieworrell.com |
バーニー・ウォーレル(Bernie Worrell、1944年4月19日 - 2016年6月24日)は、アメリカ合衆国のミュージシャンでキーボーディスト、オルガニスト、アレンジャー。ニュージャージー州ロングブランチ生まれ、ニュージャージー州プレインフィールド育ち。Pファンク主要メンバーの一人。
来歴
バーニーはトラック運転手の父と、教会で歌う歌手で家政婦の母の子として生まれた。3歳からピアノを習い、4歳で初めてのコンサートを行い、8歳でピアノ協奏曲を自作し、10歳でワシントン・シンフォニー・オーケストラと共演するなど早熟・天才として知られ、また絶対音感の持ち主であった。8歳でニュージャージー州プレインフィールドに移住した。プレインフィールドでは母の目を盗んでジョージ・クリントンの床屋に通い、ジョージとザ・パーラメンツのために譜面を読み書きしてあげたりしていたという。高校卒業後ジュリアード音楽院でプライベートレッスンを受けた後、アメリカ名門音楽院の一つであるニューイングランド音楽院に進学し、クラシック音楽を学んだ。同院在学中にバーニーは、ナイトクラブでR&Bやジャズも演奏し、またチュビー&ザ・ターンパイクス (Chubby & The Turnpikes) というグループで演奏した。このグループは後のタヴァレス (Tavares) である。同院卒業後はソウル歌手マキシン・ブラウン (Maxine Brown) のバンドリーダーを約5年間務めた。1969年ジョージ・クリントンに勧誘され、ジョージ率いるファンク・ロックバンドファンカデリックのファーストアルバム『ファンカデリック Funkadelic 』の録音に参加した。そして1970年発表のファンカデリックのセカンドアルバム『フリー・ユア・マインド Free Your MInd...And Your Ass Will Follow 』から正式にバンドのメンバーとしてクレジットされるようになった。またファンカデリックと同じメンバーからなる別名のファンクグループ「パーラメント」においてもキーボーディストとして活躍した。このファンカデリックおよびパーラメントの作る音楽をPファンクと呼ぶ。
バーニーはPファンクにおいて、ピアノ、ハモンドオルガン、モーグ・シンセサイザーを駆使し、まさに革新的・独創的な音作りを行った。その他シンセサイザーによるストリングアレンジその他Pファンクの音作りの根底を築いた。その他、Pファンクの周辺グループであるブーツィーズ・ラバー・バンドやブライズ・オブ・ファンケンシュタインにも参加し、メンバーの出入りの激しいPファンク軍団において最初から最後まで参加した、最も重要な中心人物である。
1980年代に入るとPファンクの活動は急速に収束した。バーニーは1980年代トーキング・ヘッズの準メンバーとして活躍した他、キース・リチャーズ等、数多くのミュージシャンと共演、客演し、非常に数多くのアルバムを残している。2004年には、ベーシストのレス・クレイプール、ギタリストのバケットヘッド、ドラマーのブライアン・マンティアとコロネル・クレイプール・バケット・オブ・バーニー・ブレインズを結成し、アルバムを発表している。
2016年6月16日、ステージ4の肺癌であることがバーニーの妻を通じてアナウンスされた。2016年6月24日、肺がんで逝去。72歳没[1]。
ディスコグラフィ
ソロアルバム
- All the Woo in the World (Arista Records, 1978)
- B.W. Jam (Rock the House) (Rhino, 1990)
- Funk of Ages (Gramavision, 1991)
- Pieces of Woo: The Other Side (1993)
- Blacktronic Science (Gramavision, 1993)
- Free Agent: A Space Odyssey (Black Arc, 1997)
ファンカデリック
全てのファンカデリックのアルバムに参加。
パーラメント
全てのパーラメントのアルバムに参加。
その他の代表的参加アルバム
- トーキング・ヘッズ
- The Name of This Band Is Talking Heads (Sire Records, 1982)
- スピーキング・イン・タングス Speaking In Tangs (Sire Records, 1983)
- ストップ・メイキング・センス Stop Making Sense (Sire Records, 1984)
- キース・リチャーズ
- トーク・イズ・チープ Talk Is Cheap (Virgin Records, 1988)
- 奥田民生
- バディ・ガイ
- ブリング・エム・イン Bring 'Em In (Silvertone Records, 2005)
脚注
- ^ “「鍵盤の魔術師」バーニー・ウォーレルさん死去 Pファンクの主要人物”. スポニチアネックス. (2016年6月25日) 2016年6月27日閲覧。