コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「山田達也 (ミュージシャン)」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
MomijiRoBot (会話 | 投稿記録)
m Bot: </br> → <br /> ∵Tag with incorrect/obsolete syntax: Check Wikipedia #2
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼:ロック・ミュージシャンのカテゴリ修正依頼 - log
114行目: 114行目:


{{デフォルトソート:やまた たつや}}
{{デフォルトソート:やまた たつや}}
[[Category:日本のミュージシャン]]
[[Category:日本のロック・ミュージシャン]]
[[Category:日本のドラマー]]
[[Category:日本のドラマー]]
[[Category:東京都区部出身の人物]]
[[Category:東京都区部出身の人物]]

2016年10月17日 (月) 14:42時点における版

山田達也
出生名 山田達也
生誕 (1962-12-29) 1962年12月29日(61歳)
出身地 日本の旗 日本 東京都千代田区
ジャンル ロック
ジャズ
職業 ミュージシャン
ドラマー
音楽プロデューサー
担当楽器 ドラム
活動期間 1980年 -

山田 達也(やまだ たつや、1962年12月29日 - )は、東京都千代田区出身のミュージシャンドラマー音楽プロデューサー
血液型はB型。

来歴・人物

9歳からドラムを叩き始める。15歳の時にルーツ音楽院にて須永ひろしに師事。
16歳よりメイト音楽院にて5年間、佐藤節雄に師事。そこでジャズドラムと音楽理論を学ぶ事となる。
18歳の時に川崎麻世のサポートとして、初めてドラマーとしての仕事を請け負っている。 翌年の1981年から1983年まで、三宅裕司率いる劇団のスーパー・エキセントリック・シアターにて音楽プロデュースを担当。

1987年、七福神のメンバーとしてニューヨークパワーステーションにてレコーディングを実施。翌1988年バップレコードからアルバム「SHICHI-FUKU-JIN」にてメジャーデビュー。
1989年から1991年にかけて、本城未沙子大塚純子The gardens)のサポートミュージシャンとしてツアーに同行。 その傍ら、本城未沙子、東京パフォーマンスドール深津絵里に曲を提供、サウンドプロデュースも行なう。
1991年、鎌田マサロー、伊東正、平野健多の三人と出逢い、テレピアスというバンドを結成。同年、ビクターよりメジャーデビュー。
1993年までに同バンドにて計アルバム3枚とシングル1枚をリリース。
サードアルバム「Dream is over」収録曲の「虹の橋」はOVA作品「幻想叙譚エルシア」のエンディングテーマとして使用されており、シングルカットもなされている。

1993年から1994年にかけて、鈴木トオルZNXZIGGYのギタリスト、松尾宗仁のユニット)のサポートとしてツアーに同行。同時期に鈴木トオルやToshlへ楽曲を提供。
1995年にモデルの高橋由妃と山田を中心メンバーに、そこに上述の伊東正と平野健多が合流し、MODEを結成。
同年、ファンハウスよりメジャーデビュー。1996年までの期間でアルバム2枚、シングル6枚をリリース。この頃、名古屋ZIP FMにてナビゲーターを約1年半務めている。

1997年相川七瀬のライブツアー「LIVE EMOTION 97'」のサポートメンバーとして全国ツアーを共に回る。同じ頃、米良治彦とToo muchというバンドを結成。
1998年FENCE OF DEFENSE北島健二のソロアルバム「WILD FLOWeR」を共同プロデュース。1999年の「WILD FLOWeR」発売記念LIVE以降、翌2000年までサポート。

2001年、東京青空楽団(ブルースカイオーケストラ)のメンバーとして、カナダ・デュモリエ&モントリオール国際ジャズフェスティバルに出演。 日本に帰国後、T-SQUARE PLUSのサポートドラマーを担当[1][2]
2002年から2003年にかけて、WAHAHA本舗梅垣義明のサポートドラマーとしてツアーに同行。
2002年12月には橋本良彦、川嵜淳一、小藤田康弘をはじめとした前述のジャズフェスティバルに出演したメンバーらとSPANK-A-FUNKを結成。
映画「釣りバカ日誌14 お遍路大パニック!」の劇中にバンドとして出演[3]
2003年6月14日6月15日には赤坂BLITZで開催された緒方恵美の「アイタイ。2003 ~Coming out!~」にてライブサポートも務めている。
同年9月26日ZEPP TOKYOにて開催されたパパイヤ鈴木プロデュースによるイベント「ソウルばかによる、ソウルばっか!」にSPANK-A-FUNKとして出演。

2004年2月、自身の尊敬するFOCUSのドラマーのPierre van der Linden(ピエール・ファン・デァ・リンデン)と会うべくアムステルダムへ渡蘭。
この際の、彼との長時間に渡るディスカッションが山田自身の音楽人生に大きな影響を与えていると語る。数年後にも再び渡蘭しており、FOCUSの面々と更なる親睦を深めている。
2007年2月、日本で初となるドラムによるアンビエント・ジャズロックアルバム「Drums come true」をリリース。
2008年6月、松本道香のアルバム「NOTE」のプロデュースとアレンジを担当。同年、ヤマハミュージックメディアより発売された小島恵理の著書「ボーカルスパイス」にて、リズムアドバイザーとしてメソッドサポート。

2009年、小島恵理、関雅夫、吉野ユウヤと共にJazzeal結成。同バンドは往年の洋楽ロックにおける名曲をJazz Styleにて甦らせる事をコンセプトとしたバンドとしている[4][5]
フジテレビ系列「情報エンタメLIVE ジャーナる!」内にて、同バンドの楽曲が使用されている。
2010年3月5日渋谷BOXXで行われた西村麻聡のフルアルバム「恋愛パラドックス」発売記念LIVEにてサポート出演。
2012年にリリースされた小島恵理のアルバム「Nostalgia」にドラム参加。(同作は2015年に小島恵理の追悼作品として再リリースされている。)

2014年1月に発売された教則本「11人のプロがズバリ解決!ドラムのお悩み58」にも著者の一人として参加[6]

現在はドラム講師としても活動[7]。 また、YAMAHAドラム&ジルジャンシンバルのエンドゥーサーでもある[8]

楽曲提供

  • ToshI 「さよならの季節に…」「GRACE」
  • 鈴木トオル 「銀河亭 ~プラネットダイナー~」「模型飛行機」

関連項目

脚注

外部リンク