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2016年10月18日 (火) 08:51時点における版

ジョン・ノーラム
John Norum
基本情報
出生名 John Terry Norum
生誕 (1964-02-23) 1964年2月23日(60歳)
 ノルウェー フィンマルク県
ヴァードー
出身地  スウェーデン
ジャンル ハードロック
職業 ギタリストシンガー
担当楽器 エレクトリックギター
活動期間 1979年 -
共同作業者 ヨーロッパ
ドッケン
著名使用楽器
フェンダー・ストラトキャスター

ジョン・ノーラムJohn Norum1964年2月23日 - )は、スウェーデンハードロックバンド、ヨーロッパ(EUROPE)のギタリストである。

来歴

1964年、ノルウェーのバード島に生まれる。1歳でスウェーデンに移住し、初めてギターを手にしたのは10歳のとき[1]。ギター好きな母親の影響でギターの練習には絶好の環境にあったため、彼はめきめきと腕を上達させていった。ジョンは14歳の頃にはパンク・ロックを演奏していたこともあったが、その後シン・リジィおよびゲイリー・ムーアに傾倒する[1]。ジョンは後に、ソロ・アルバムでシン・リジィのカヴァーを何度も取り上げている。

ゲイリー・ムーアの他にマイケル・シェンカーからの強い影響も見られるが、ジミ・ヘンドリクスリッチー・ブラックモアの影響も受けているほか、エリック・クラプトンピーター・グリーンからの影響を受けていると思われる[なぜ?]

1979年にジョーイ・テンペストとともにフォースを結成して、その後バンド名をヨーロッパに改める。ヨーロッパとしてデビューした後,アルバム『幻想交響詩』『明日への翼』『ザ・ファイナル・カウントダウン』に参加。『ザ・ファイナル・カウントダウン』はMTVを中心にヒットして注目される。しかし1986年の10月にジョンはヨーロッパを脱退してしまう。理由は、バンドのイメージや音がキュートになっていったことや、TVショウへの出演に抵抗感を抱いたことにあった[1]。後任ギタリストはキー・マルセロ

1987年に初のソロ・アルバム『トータル・コントロール』をリリース。このアルバムでは一部の曲でヴォーカルも担当している。1988年、グレン・ヒューズとのプロジェクト「ヒューズ/ノーラム」の結成が計画されるが、この時はヒューズの薬物依存症が問題となって、テレビ出演1回だけで終わってしまう[1]

1989年にはドン・ドッケンのバンドに参加して、アルバム『アップ・フロム・ジ・アッシェズ』を1990年に発表する。このアルバムはビリー・ホワイトとのツイン・ギター編成であった。また、同時期にソロ名義のライブ・ミニ・アルバム『ライヴ・イン・ストックホルム』もリリース。

1992年には、グレン・ヒューズとともに制作した『フェイス・ザ・トゥルース』を発表。収録曲「ウィ・ウィル・ビー・ストロング」では当時不仲説が流れていたジョーイ・テンペストもゲスト参加している(この曲はヨーロッパ盤・日本盤のみに収録されている)。また、1995年にはジョーイの初のソロ・アルバム『プレイス・トゥ・コール・ホーム』収録曲「ライト・トゥ・リスペクト」にゲスト参加[1]

1997年、リーフ・スンディン(元グレイト・キング・ラット〜MSG)をリード・ヴォーカリストに起用した編成で日本公演を行い、この時のライヴ音源はライヴ・アルバム『フェイス・イット・ライヴ'97』として発売された[1]。同年末、ジョージ・リンチが脱退したドッケンのツアーにヘルプで参加。

1999年、ソロ名義としては5作目のスタジオ・アルバム『スリップド・イントゥ・トゥモロウ』を発表。同アルバムでは専任のリード・ヴォーカリストを起用せず、ジョン自身がリード・ヴォーカルも兼任した[2]。12月31日、ストックホルムの野外で一夜限りのヨーロッパ再結成ライヴを行う。このステージはキー・マルセロとのツインギターで、ジョンはレスポールを使用。

その後ジョンは、妻のミシェル・メルドラムが率いるメルドラムのアルバム『LOADED MENTAL CANNON』にギタリストとして参加[1]。また、ドッケンに加入し、2002年のアルバム『ロング・ウェイ・ホーム』およびそのツアーに参加。

2003年、ジョンはヨーロッパに復帰し、アルバム『スタート・フロム・ザ・ダーク』をレコーディング。また、ヨーロッパの活動と並行してソロ活動も行い、彼の41歳の誕生日となる2005年2月23日には、ソロ名義では6作目のスタジオ・アルバム『オプティマス』をリリース。

家族

妹のトーン・ノーラム英語版は1985年に歌手デビューしており、デビュー・シングル「ストランデッド」はジョンとジョーイ・テンペストがプロデュースした[1]

1995年にはファントム・ブルー英語版のギタリスト、ミシェル・メルドラムと結婚するが、ミシェルは2008年5月に昏睡状態となり、5月21日に死去した[3]。ジョンが2010年に発表したソロ・アルバム『プレイ・ヤード・ブルーズ』は、ミシェルに捧げられた[4]

ディスコグラフィー

ソロ

  • トータル・コントロール - Total Control (1987)
  • ライヴ・イン・ストックホルム - Live in Stockholm - EP (1990)
  • フェイス・ザ・トゥルース - Face the Truth (1992)
  • アナザー・デスティネイション - Another Destination (1995)
  • ワールズ・アウェイ - Worlds Away (1996)
  • フェイス・イット・ライヴ'97 - Face It Live '97 (1997)
  • スリップド・イントゥ・トゥモロウ - Slipped into Tomorrow (1999)
  • オプティマス - Optimus (2005)
  • プレイ・ヤード・ブルーズ - Play Yard Blues (2010)

ヨーロッパ

  • 幻想交響詩 - Europe (1983)
  • 明日への翼 - Wings of Tomorrow (1984)
  • ザ・ファイナル・カウントダウン - The Final Countdown (1986)
  • スタート・フロム・ザ・ダーク - Start from the Dark (2004)
  • シークレット・ソサエティ - Secret Society (2006)
  • ラスト・ルック・アット・エデン - Last Look at Eden (2009)

その他

脚注

外部リンク