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「ファフリ・コルテュルク」の版間の差分

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| 退任日=[[1980年]][[4月6日]]
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| 出生日=[[1903年]][[8月3日]]
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| 生死=死去
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| 死亡日=[[1987年]][[10月12日]]
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| 没地={{TUR}}共和国・[[イスタンブル]]
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| 配偶者=エメル・コルテュルク
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| 政党=無所属
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== 経歴 ==
== 経歴 ==
[[イスタンブル]]生まれ。[[1916年]]に[[海軍兵学校]]({{lang|tr|Bahriye Mektebi}})に入学、[[1923年]]に卒業。[[海軍大学校]]({{lang|tr|Deniz Harp Akademisi}})を[[1933年]]に卒業。[[巡洋艦]]や[[潜水艦]]の乗組を経て、[[駐在武官|大使館付武官]]として[[ローマ]]、[[ベルリン]]、[[ストックホルム]]に駐在。[[1936年]]には[[モントルー条約]]の締結交渉に軍の専門家として参加している。[[1950年]]に[[少将]]に昇進。[[大将]]に昇進するまでさまざまな要職を経験し、[[1960年]]に海軍総司令官を退任して退役した。
[[イスタンブル]]生まれ。[[1916年]]に[[海軍兵学校]]({{lang|tr|Bahriye Mektebi}})に入学、[[1923年]]に卒業。[[海軍大学校]]({{lang|tr|Deniz Harp Akademisi}})を[[1933年]]に卒業。[[巡洋艦]]や[[潜水艦]]の乗組を経て、[[駐在武官|大使館付武官]]として[[ローマ]]、[[ベルリン]]、[[ストックホルム]]に駐在。[[1936年]]には[[モントルー条約]]の締結交渉に軍の専門家として参加している。[[1950年]]に[[少将]]に昇進。[[大将]]に昇進するまでさまざまな要職を経験し、[[1960年]]に海軍総司令官を退任して退役した。


退役直後に[[ジェマル・ギュルセル]]大統領により駐[[ソビエト連邦|ソ連]]大使、次いで駐[[スペイン]]大使に任命される。[[1968年]]には[[ジェヴデト・スナイ|ジェヴデット・スナイ]]大統領により上院議員に指名された。[[1973年]][[4月6日]]、[[トルコ大国民議会]]により第6代大統領に選出される。7年の任期を全うし、[[1980年]][[4月6日]]に退任した。
退役直後に[[ジェマル・ギュルセル]]大統領により駐[[ソビエト連邦|ソ連]]大使、次いで駐[[スペイン]]大使に任命される。[[1968年]]には[[ジェヴデト・スナイ|ジェヴデット・スナイ]]大統領により上院議員に指名された。[[1973年]][[4月6日]]、[[トルコ大国民議会]]により第6代大統領に選出される。7年の任期を全うし、[[1980年]][[4月6日]]に退任した。
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[[Category:1903年生]]
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[[Category:イスタンブル出身の人物]]
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2016年10月18日 (火) 11:41時点における版

ファフリ・コルテュルク
Fahri Korutürk

トルコの旗 トルコ共和国
第6代 大統領
任期 1973年4月6日1980年4月6日

出生 1903年8月3日
オスマン帝国イスタンブール
死去 1987年10月12日
トルコの旗 トルコ共和国・イスタンブール
政党 無所属
配偶者 エメル・コルテュルク

ファフリ・コルテュルクFahri Korutürk, 1903年8月3日1987年10月12日)は、トルコ軍人外交官政治家。トルコ共和国第6代大統領を務めた。

経歴

イスタンブール生まれ。1916年海軍兵学校(Bahriye Mektebi)に入学、1923年に卒業。海軍大学校(Deniz Harp Akademisi)を1933年に卒業。巡洋艦潜水艦の乗組を経て、大使館付武官としてローマベルリンストックホルムに駐在。1936年にはモントルー条約の締結交渉に軍の専門家として参加している。1950年少将に昇進。大将に昇進するまでさまざまな要職を経験し、1960年に海軍総司令官を退任して退役した。

退役直後にジェマル・ギュルセル大統領により駐ソ連大使、次いで駐スペイン大使に任命される。1968年にはジェヴデット・スナイ大統領により上院議員に指名された。1973年4月6日トルコ大国民議会により第6代大統領に選出される。7年の任期を全うし、1980年4月6日に退任した。

しかし、二大政党の共和人民党公正党の対立から、議会が後任大統領を選出することができず、これを政党政治の限界と捉えた軍部が同年9月12日軍事クーデタを起こす事態となったため、大統領職は1982年まで空位になった。退任後コルテュルクは終身上院議員となったが、クーデタ後の憲法改正で上院は廃止された。

1944年に結婚し二男一女をもうけた。彼の苗字は初代大統領ケマル・アタテュルクから授かったものである。コルテュルクは1987年にイスタンブルで死去し、アンカラの国家墓地に葬られた。

外部リンク

  • コルテュルク略歴(トルコ共和国大統領府)[1](英語)[2](トルコ語)