「7月15日殉教者の橋」の版間の差分
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かつては'''ボスポラス橋'''もしくは'''ボスポラス大橋'''(The Bosphorus Bridge)と呼ばれ、ボスポラス海峡に架かるもう一つのボスポラス橋([[ファーティフ・スルタン・メフメト橋]]・通称第二ボスポラス大橋)と区別するため、'''第一ボスポラス大橋'''と呼ばれることもあった。 |
かつては'''ボスポラス橋'''もしくは'''ボスポラス大橋'''(The Bosphorus Bridge)と呼ばれ、ボスポラス海峡に架かるもう一つのボスポラス橋([[ファーティフ・スルタン・メフメト橋]]・通称第二ボスポラス大橋)と区別するため、'''第一ボスポラス大橋'''と呼ばれることもあった。 |
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2016年10月18日 (火) 11:45時点における版
7月15日殉教者の橋(しちがつじゅうごにちじゅんきょうしゃのはし、英語: July 15 Martyrs' Bridge)は、トルコのイスタンブールでボスポラス海峡に架かる吊り橋である。
かつてはボスポラス橋もしくはボスポラス大橋(The Bosphorus Bridge)と呼ばれ、ボスポラス海峡に架かるもう一つのボスポラス橋(ファーティフ・スルタン・メフメト橋・通称第二ボスポラス大橋)と区別するため、第一ボスポラス大橋と呼ばれることもあった。
歴史
ボスポラス海峡への架橋は、1957年に当時のアドナン・メンデレス首相によって決定された。完成は1973年10月30日、トルコ共和国建国50周年記念日の翌日のことである。
2016年7月15日に軍の一部が起こしたクーデター未遂事件では兵士が橋を封鎖し、これに抵抗した市民が犠牲になるなど象徴的な場所となった。7月25日、ビナリ・ユルドゥルム首相により現在の名称に改称されることが発表された[1][2]。
概要
- 全長 - 1,510m
- 中央支間長 - 1,074m
- 幅員 - 39m(6車線)
- 高さ - 64m
- 主塔の高さ - 105m
全体の負荷がかかる橋梁中央部では、90cm程度たわんでいる。
交通
交通量は約180,000台/日である。平日は時間帯により中央線の位置が変わる。平日朝の通勤時間帯は交通の多くがヨーロッパ側へ向かう西行きのため、6車線のうち4車線が西行き交通に割り当てられている。一方、平日夕方は4車線がアジア側へ向かう東行き交通に割かれ、西行きは2車線のみとなる。開通後4年間は塔内エレベーターを用いて橋を歩いて渡ることができたが、現在では歩行者や商用車の通行は禁止されている。
橋の東側に料金所が設置されており、ヨーロッパ側からアジア側へ向かう車両に限り通行料が課される。支払いは、OGSと呼ばれる料金自動収受システムもしくはKGSと呼ばれるプリペイドカードシステムに完全移行し、2006年より現金による支払いはできない。
出典
- ^ “ボスポラス橋が改称=「殉教者の橋」に-トルコ”. 時事通信. (2016年7月26日) 2016年7月26日閲覧。
- ^ “Turkey renames Bosphorus Bridge to ‘15th July Martyrs’ Bridge”. アル=アラビーヤ. (2016年7月26日) 2016年7月26日閲覧。
関連項目
- ファーティフ・スルタン・メフメト橋 第一ボスポラス橋より5kmほど北に位置する。
- 2009年12月14日、日本のコメディアン、間寛平がアースマラソンの走破横断手段として、現在歩行者の通行が許されていない第一ボスポラス橋を通行した。車道から橋に入り、走破横断した。