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1924年4月13日、[[希土戦争 (1919年-1922年)|希土戦争]]の後に[[イスタンブル]]([[コンスタンティノープル]])からギリシャに移ってきた[[ギリシャ人]]達によって設立された。このため、チームの[[エンブレム]]はかつてコンスタンティノープルを[[首都]]としていた[[東ローマ帝国|東ローマ(ビザンツ)帝国]]末期の[[国章]]・[[双頭の鷲]]をモチーフにしている。 |
1924年4月13日、[[希土戦争 (1919年-1922年)|希土戦争]]の後に[[イスタンブール]]([[コンスタンティノープル]])からギリシャに移ってきた[[ギリシャ人]]達によって設立された。このため、チームの[[エンブレム]]はかつてコンスタンティノープルを[[首都]]としていた[[東ローマ帝国|東ローマ(ビザンツ)帝国]]末期の[[国章]]・[[双頭の鷲]]をモチーフにしている。 |
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2007-08シーズンは、首位争いを演じたオリンピアコスの勝ち点を巡り優勝は法廷争いにまで持ち越されたが、AEKは敗訴し2位が確定した(オリンピアコス対[[アポロン・カラマリア]]の試合でアポロン側が[[国際サッカー連盟|FIFA]]の規則に抵触する選手を起用したため、実際の試合ではアポロンが勝利したが後日オリンピアコスの不戦勝の扱いとなった。そのためAEKは最終的にオリンピアコスに勝ち点で2ポイント及ばないことになったが、これを不服としたAEKがスポーツ審判最高裁判所に訴えることとなった。)。 |
2007-08シーズンは、首位争いを演じたオリンピアコスの勝ち点を巡り優勝は法廷争いにまで持ち越されたが、AEKは敗訴し2位が確定した(オリンピアコス対[[アポロン・カラマリア]]の試合でアポロン側が[[国際サッカー連盟|FIFA]]の規則に抵触する選手を起用したため、実際の試合ではアポロンが勝利したが後日オリンピアコスの不戦勝の扱いとなった。そのためAEKは最終的にオリンピアコスに勝ち点で2ポイント及ばないことになったが、これを不服としたAEKがスポーツ審判最高裁判所に訴えることとなった。)。 |
2016年10月18日 (火) 12:10時点における版
AEKアテネFC | ||||
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原語表記 |
Αθλητική Ένωσις Κωνσταντινουπόλεως (Athlitiki Enosis Konstantinoupoleos) | |||
愛称 |
Ένωσης (Enosis) (連盟) Δικέφαλος Αετός (Dikefalos Aetos) (双頭の鷲) | |||
クラブカラー | 黄と黒 | |||
創設年 | 1924年 | |||
所属リーグ | ギリシャ・スーパーリーグ | |||
所属ディビジョン | 1部 | |||
ホームタウン | アテネ | |||
ホームスタジアム | オリンピアコ・スタディオ | |||
収容人数 | 69,638[1] | |||
代表者 | ディミトリオス・メリサニディス | |||
監督 | テムル・ケツバイア | |||
公式サイト | 公式サイト | |||
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■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
AEKアテネFC(ギリシア語: ΠΑΕ ΑΕΚ, 英語: AEK FC)は、ギリシャの首都アテネにホームを置くサッカークラブであり、総合スポーツクラブのAEKアテネの一部である。クラブ名のAEKはΑθλητική Ένωσις Κωνσταντινουπόλεως(Athlitiki Enosis Konstantinoupoleos、コンスタンティノープル体育連盟)の略。
ギリシャ・スーパーリーグで常に優勝争いに絡む名門。オリンピアコス、パナシナイコスと並ぶギリシャを代表する強豪チーム。タイトル獲得数こそオリンピアコスに劣るものの、リーグ優勝11回、カップ優勝14回を誇る。
歴史
1924年4月13日、希土戦争の後にイスタンブール(コンスタンティノープル)からギリシャに移ってきたギリシャ人達によって設立された。このため、チームのエンブレムはかつてコンスタンティノープルを首都としていた東ローマ(ビザンツ)帝国末期の国章・双頭の鷲をモチーフにしている。
2007-08シーズンは、首位争いを演じたオリンピアコスの勝ち点を巡り優勝は法廷争いにまで持ち越されたが、AEKは敗訴し2位が確定した(オリンピアコス対アポロン・カラマリアの試合でアポロン側がFIFAの規則に抵触する選手を起用したため、実際の試合ではアポロンが勝利したが後日オリンピアコスの不戦勝の扱いとなった。そのためAEKは最終的にオリンピアコスに勝ち点で2ポイント及ばないことになったが、これを不服としたAEKがスポーツ審判最高裁判所に訴えることとなった。)。
2012-13シーズンは、外国人選手を大量放出し、国内選手中心としたチーム編成が裏目となり、開幕から低迷を続けた。2013年4月14日に行われたパンスラキコスFC戦では終了間際にゴールを奪われたことに腹を立てたサポーターが暴動を起こし、試合が中断。後日、没収試合となるとともに、3ポイントの勝ち点減点処分も下された。その結果、残留圏内と5ポイント差となり、クラブ史上初の降格が決定した。本来であれば2部である「ギリシャ・フットボールリーグ」に降格するところであるが、クラブの財政面の問題から、2階級降格となり、2013-14シーズンは「ギリシャ・フットボールリーグ2」に降格となった。
タイトル
国内タイトル
- リーグ:11回
- 1938-39, 1939-40, 1962-63, 1967-68, 1970-71, 1977-78, 1978-79, 1988-89, 1991-92, 1992-93, 1993-94
- カップ:15回
- 1931-32, 1938-39, 1948-49, 1949-50, 1955-56, 1963-64, 1965-66, 1977-78, 1982-83, 1995-96, 1996-97, 1999-2000, 2001-02, 2010-11, 2015-16
- リーグカップ:1回
- 1989-90
- スーパーカップ:2回
- 1989, 1996
国際タイトル
なし
過去の成績
シーズン | ディビジョン | ギリシャカップ | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
リーグ | 順位 | 勝 | 分 | 敗 | 得点 | 失点 | 勝点 | ||
1959-60 | アルファ・エスニキ | 2位
|
21 | 7 | 2 | 72 | 27 | 79 | 不明 |
1960-61 | アルファ・エスニキ | 4位 | 17 | 6 | 7 | 64 | 32 | 69[2] | 準々決勝敗退 |
1961-62 | アルファ・エスニキ | 4位 | 19 | 5 | 6 | 73 | 31 | 73 | ベスト16 |
1962-63 | アルファ・エスニキ | 1位
|
20 | 7 | 3 | 66 | 21 | 77 | 準々決勝敗退 |
1963-64 | アルファ・エスニキ | 3位
|
18 | 5 | 7 | 72 | 25 | 71 | 優勝
|
1964-65 | アルファ・エスニキ | 2位
|
18 | 10 | 2 | 64 | 22 | 76 | 準々決勝敗退 |
1965-66 | アルファ・エスニキ | 3位
|
19 | 5 | 6 | 58 | 26 | 72[3] | 優勝
|
1966-67 | アルファ・エスニキ | 2位
|
18 | 10 | 2 | 52 | 21 | 76 | 準々決勝敗退 |
1967-68 | アルファ・エスニキ | 1位
|
22 | 6 | 6 | 68 | 24 | 84 | 準決勝敗退 |
1968-69 | アルファ・エスニキ | 6位 | 17 | 7 | 10 | 58 | 33 | 74[4] | 3回戦敗退 |
1969-70 | アルファ・エスニキ | 2位
|
21 | 9 | 4 | 55 | 23 | 85 | 2回戦敗退 |
1970-71 | アルファ・エスニキ | 1位
|
23 | 8 | 3 | 67 | 18 | 88 | 準決勝敗退 |
1971-72 | アルファ・エスニキ | 3位
|
20 | 8 | 6 | 57 | 23 | 82 | 3回戦敗退 |
1972-73 | アルファ・エスニキ | 5位 | 13 | 11 | 10 | 39 | 36 | 71 | 3回戦敗退 |
1973-74 | アルファ・エスニキ | 5位 | 16 | 8 | 10 | 53 | 36 | 40 | 3回戦敗退 |
1974-75 | アルファ・エスニキ | 2位
|
23 | 9 | 2 | 73 | 20 | 55 | 準々決勝敗退 |
1975-76 | アルファ・エスニキ | 2位
|
18 | 8 | 4 | 57 | 18 | 44 | 準決勝敗退 |
1976-77 | アルファ・エスニキ | 4位 | 24 | 3 | 7 | 63 | 29 | 51 | 3回戦敗退 |
1977-78 | アルファ・エスニキ | 1位
|
21 | 11 | 2 | 74 | 27 | 53 | 優勝
|
1978-79 | アルファ・エスニキ | 1位
|
25 | 6 | 3 | 90 | 30 | 56 | 準優勝
|
1979-80 | アルファ・エスニキ | 4位 | 18 | 9 | 7 | 64 | 39 | 45 | 3回戦敗退 |
1980-81 | アルファ・エスニキ | 2位
|
17 | 10 | 7 | 63 | 42 | 44 | 準決勝敗退 |
1981-82 | アルファ・エスニキ | 4位 | 17 | 11 | 6 | 54 | 36 | 45 | 3回戦敗退 |
1982-83 | アルファ・エスニキ | 3位
|
19 | 7 | 8 | 54 | 39 | 45 | 優勝
|
1983-84 | アルファ・エスニキ | 7位 | 12 | 6 | 12 | 40 | 31 | 30 | 3回戦敗退 |
1984-85 | アルファ・エスニキ | 3位
|
16 | 11 | 3 | 58 | 29 | 43 | 1回戦敗退 |
1985-86 | アルファ・エスニキ | 3位
|
13 | 10 | 7 | 42 | 28 | 36 | 準決勝敗退 |
1986-87 | アルファ・エスニキ | 7位 | 10 | 11 | 9 | 31 | 26 | 31 | 1回戦敗退 |
1987-88 | アルファ・エスニキ | 2位
|
15 | 10 | 5 | 51 | 31 | 40 | 3回戦敗退 |
1988-89 | アルファ・エスニキ | 1位
|
19 | 6 | 5 | 45 | 20 | 44 | 2回戦敗退 |
1989-90 | アルファ・エスニキ | 2位
|
20 | 10 | 4 | 64 | 18 | 50 | 2回戦敗退 |
1990-91 | アルファ・エスニキ | 3位
|
18 | 6 | 10 | 59 | 33 | 42 | 3回戦敗退 |
1991-92 | アルファ・エスニキ | 1位
|
23 | 8 | 3 | 72 | 25 | 54 | 準決勝敗退 |
1992-93 | アルファ・エスニキ | 1位
|
24 | 6 | 4 | 78 | 27 | 78 | 準決勝敗退 |
1993-94 | アルファ・エスニキ | 1位
|
25 | 4 | 5 | 63 | 28 | 79 | 準優勝
|
1994-95 | アルファ・エスニキ | 5位 | 17 | 11 | 6 | 61 | 33 | 62 | 準優勝
|
1995-96 | アルファ・エスニキ | 2位
|
25 | 6 | 3 | 87 | 22 | 81 | 優勝
|
1996-97 | アルファ・エスニキ | 2位
|
22 | 6 | 6 | 75 | 28 | 72 | 優勝
|
1997-98 | アルファ・エスニキ | 3位
|
22 | 8 | 4 | 61 | 30 | 74 | 3回戦敗退 |
1998-99 | アルファ・エスニキ | 2位
|
23 | 6 | 5 | 71 | 27 | 75 | 1回戦敗退 |
1999-2000 | アルファ・エスニキ | 3位
|
20 | 6 | 8 | 69 | 39 | 66 | 優勝
|
2000-01 | アルファ・エスニキ | 3位
|
19 | 4 | 7 | 61 | 34 | 61 | 2回戦敗退 |
2001-02 | アルファ・エスニキ | 2位
|
19 | 1 | 6 | 65 | 28 | 58 | 優勝
|
2002-03 | アルファ・エスニキ | 3位
|
21 | 5 | 4 | 74 | 29 | 68 | 準決勝敗退 |
2003-04 | アルファ・エスニキ | 4位 | 16 | 7 | 7 | 57 | 32 | 55 | 準決勝敗退 |
2004-05 | アルファ・エスニキ | 3位
|
17 | 11 | 2 | 46 | 22 | 62 | 準決勝敗退 |
2005-06 | アルファ・エスニキ | 2位
|
21 | 4 | 5 | 42 | 20 | 67 | 準優勝
|
2006-07 | ギリシャ・スーパーリーグ | 2位
|
18 | 8 | 4 | 60 | 27 | 62 | 4回戦敗退 |
2007-08 | ギリシャ・スーパーリーグ | 3位
|
22 | 2 | 6 | 65 | 17 | 68 | 5回戦敗退 |
2008-09 | ギリシャ・スーパーリーグ | 3位
|
14 | 13 | 3 | 40 | 24 | 55 | 準優勝
|
2009-10 | ギリシャ・スーパーリーグ | 3位
|
15 | 8 | 7 | 43 | 31 | 53 | 4回戦敗退 |
2010-11 | ギリシャ・スーパーリーグ | 4位 | 15 | 5 | 10 | 46 | 37 | 50 | 優勝
|
2011-12 | ギリシャ・スーパーリーグ | 3位
|
13 | 9 | 8 | 36 | 30 | 48 | 4回戦敗退 |
2012-13 | ギリシャ・スーパーリーグ | 15位
|
8 | 6 | 16 | 21 | 36 | 27[5] | 3回戦敗退 |
2013-14 | フットボールリーグ2 | 1位 | 24 | 3 | 1 | 80 | 14 | 72 | - |
2014-15 | フットボールリーグ | 1位 | 22 | 2 | 0 | 67 | 10 | 65 | 準々決勝敗退 |
2015-16 | ギリシャ・スーパーリーグ | 3位
|
17 | 6 | 7 | 43 | 21 | 54 | 優勝
|
2016-17 | ギリシャ・スーパーリーグ |
歴代監督
- オレグ・ブロヒン 1998-1999
- フェルナンド・サントス 2001-2002
- ドゥシャン・バイェヴィッチ 2002-2004
- イリエ・ドゥミトレスク 2004-2005
- フェルナンド・サントス 2005-2006
- ロレンソ・セラ・フェレール 2006-2008.2
- ニコス・コステノグルー 2008.2-2008.5
- ギオルゴス・ドニス 2008.5-2008.11
- ドゥシャン・バイェヴィッチ 2008-2010
- マノロ・ヒメネス 2010-2011
- ニコス・コステノグルー 2011-2012
- エバルト・リーネン 2012-2013
- トライアノス・デラス 2013-2015
- グスタボ・ポジェ 2015-2016
- テムル・ケツバイア 2016-
歴代所属選手
GK
- ユルゲン・マッホ 2007-2009
- ステファノ・ソレンティーノ 2005-2009
DF
- ボバン・バブンスキー 1998-1999
- トライアノス・デラス 1999-2001, 2005-2008, 2010-2012
- カルロス・ガマーラ 2002-2003
- グリゴリオス・ゲオルガトス 2002-2003
- ブルーノ・アルヴェス 2004-2005
- ロドルフォ・アルアバレーナ 2007-2008
- フアンフラン 2008-2010
- ディダク・ビラ 2015-
- フアン・マヌエル・ディアス 2016-
- ジョリオン・レスコット 2016-
- ドミトロ・チグリンスキー 2016-
MF
- テオドロス・ザゴラキス 2000-2004
- コンスタンティノス・カツラニス 2002-2006
- ルアイ・チャンコ 2005-2006
- パンテリス・カフェス 2007.1-2012
- ロナルド・バルガス 2015-
- ブルーノ・スクリーニ 2016
- パトリシオ・フリアン・ロドリゲス 2016-
FW
- ヨアンニス・オッカス 2003-2004
- ニコス・リベロプーロス 2003-2008
- リバウド 2007-2008
- モハメド・カロン 2008
- ネーメト・クリスティアーン 2009-2010
- エルデル・バルボーザ 2014-2016
- ラザロス・フリストドゥロプーロス 2016-
- ウーゴ・アルメイダ 2016-
- トマーシュ・ペクハルト 2016-
脚注
- ^ “OAKA official website”. 19 July 2011時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年7月14日閲覧。
- ^ 勝ち点1が剥奪
- ^ 勝ち点1を剥奪
- ^ 勝ち点1を剥奪
- ^ 勝ち点3が剥奪