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2016年11月10日 (木) 15:39時点における版

りりィ
出生名 鎌田小恵子
生誕 (1952-02-17) 1952年2月17日(72歳)
出身地 日本の旗 日本福岡県福岡市
ジャンル フォークJ-POP
職業 シンガーソングライター女優
担当楽器 ベース
活動期間 1972年 -
レーベル 東芝EMI
ビクターインビテーション
BMG JAPAN
コロムビア
事務所 アルファーエージェンシー
公式サイト Lily-Yoji Live Freak

りりィ(Lily、1952年2月17日 - )は、日本シンガーソングライター女優である。本名、鎌田 小恵子[1]福岡県福岡市生まれ、小学校3年から東京で育つ[2]アルファーエージェンシー所属。音楽のほか女優としても活躍しており、ドラマ・映画・CMに多数出演している。

長男は、ロックバンドFUZZY CONTROLのJUON。

略歴

母親は中洲でバーを経営、父親は米空軍将校でりりィはハーフ[1]。父親はりりィが生まれる前に朝鮮戦争で戦死したと伝えられた[1]。10歳で上京し東映の児童劇団に所属するが1年で辞める[1]。高校には行かず、17歳で母が亡くなり、生活のためスナックで弾き語りをする。"りりィ"という芸名はブラブラしているときに仲間が付けたあだ名が元[1]。"りりィ"の"ィ"がカタカナなのはなんとなく自分で変えたという[1]

1971年下田逸郎のアルバム『遺言歌』に参加。イギリスのフォークシンガー、ドノヴァンの楽曲「ラレーニア」(Lalena)から採ったレーニアという名前で「ひとりひとり」という楽曲のリードボーカルをつとめる。

1972年20歳のとき、東芝EMIより歌手デビュー。独特のハスキーヴォイスで一世を風靡。 1974年のシングル「私は泣いています」が97万枚を越える大ヒット[3]を記録する。

もともとこの曲は遊びで作った英語詞によるブルース「アイム・クライング・オン・ザ・ベッド」に自ら日本語の歌詞をつけたもので、当初は知り合いだった研ナオコに歌ってもらうつもりで事務所に持参したところ、「自分で歌ってくれないと困る」と言われ、しかたなく歌った[4]という。

24歳のとき結婚するが1年で別居、7年後の1981年離婚した[1]

東芝EMI時代にはバックバンドとして「バイ・バイ・セッション・バンド」を従えていた。坂本龍一は著書で「その当時、在京のミュージシャンに最も人気の高いセッションバンドはサディスティック・ミカ・バンドバイ・バイ・セッション・バンドであり、多くのミュージシャンが入れ替わり立ち替わり参加していた」と回想している。主なメンバーには木田高介土屋昌巳伊藤銀次坂本龍一吉田建斉藤ノブ井上鑑国吉良一など。バイ・バイ・セッション・バンドは現在も活動しており、全国のライブハウスなどを周っている。ただし、りりィとの共演は久しく行われていない。

1982年ビクター音楽産業に移籍。その後二度目の結婚をし、活動休止。JUONをもうけた。子育て中は郊外に移り住んでメディア露出も控え、数年間主婦業に専念していたが、子育てが一段落した1997年頃から復帰した。

1999年からは斉藤洋士と「Lily-Yoji」(りりィアンドヨージ)というユニットを結成。全国各地で活動している。

2009年に放映された『救命病棟24時』第4シリーズの第5話に患者役として出演。このドラマの主題歌であるDREAMS COME TRUEの楽曲「その先へ」は、JUONが所属するバンド、FUZZY CONTROLをフィーチュアリング・アーティストとして迎えた作品であり、親子共演となった。

ディスコグラフィー

シングル

  • 「にがお絵」 (c/w 「恋するリリィ」)(1972年)B面のみ 角田ヒロ高中正義・リリィ名義[5]
  • 「にがお絵」(c/w 「私の映画」)(1972年5月5日)
  • 「クイズの賞金」(c/w 「沖縄にて」)(1972年10月5日)[6]
  • 「心が痛い」 (c/w「スプリング・ハズ・カム」) (1973年7月5日) - オリコン72位
  • 「私は泣いています」(c/w「皮肉」) (1974年3月5日)[7] - 両面ともシングル・バージョン。オリコン3位
  • 「風のいたみ」(c/w「バイ・バイ・セッション・バンド」)(1974年9月5日) - オリコン43位
  • 「しあわせさがし」 (c/w「春早朝」) (1975年3月5日)[8] - オリコン40位
  • 「月のセレナーデ」 (c/w 」あなたの影が去った時」)(1975年)
  • 「家へおいでよ」 (c/w「オレンジ村から春へ」) (1976年3月20日)[9] - オリコン14位
  • 「涙のない町」(c/w「さようならになった日」) (1976年10月)
  • 「ミス・キャロン・ターバット」(c/w 「心は夏に誘われて」)(1977年5月)
  • 「綺麗になりたい」(c/w 「ラブ」) (1977年)
  • 「さわがしい楽園」(c/w 「水鏡のなか」) (1978年)
  • 「E・S・P」(c/w 「気にしないで」) (1978年)
  • 「ベッドで煙草を吸わないで」(c/w 「ひとりよりふたり」)(1978年9月)
  • 「おやしらず」(c/w 「P.S. I LOVE YOU」) (1979年)
  • 「涙の第三京浜」(c/w「ジュリア」) (1980年11月)
  • 「涙のドライビング」(c/w 「天動説の女」) (1981年4月)
  • 「モダン・ロマンス」(c/w「ペントハウスで恋をして」)(1982年7月)
  • 「さらさら」(c/w 「誘惑」) (1982年10月)
  • 「Wooman」(c/w 「グッバイ・シティ」)(1983年1月)
  • 「さよならアリス」(c/w「ハッピーバース」)(1983年7月)
  • 「風のバレリーナ」(c/w「白い旅人」)(1986年9月21日) - オリコン47位
  • 「夢のエレメント 〜勇者達への鎮魂歌〜」(OVA『戦国奇譚妖刀伝』の『炎情の章』『総集編』エンディングテーマ)(1987年)
  • 「さよならロンリネス」(c/w「Really Want You, Lover」)(1988年5月21日)
  • 「Rescue you」(c/w 「天使の記憶」)(1989年6月7日)
  • 「でも さよならが言えない」(c/w 「風の子守唄」)(1995年2月22日)りりィ in PAB名義

アルバム

  • 『たまねぎ』(1972年)
  • 『Dulcimer(ダルシマ)』(1973年7月)[10]
  • 『タエコ』(1974年)
  • 『りりィLive』(1974年) - ここまで木田高介プロデュース
  • 『ラブ・レター』(1975年2月)
  • 『AUROILA』(1976年)
  • 『りりシズム』(1977年)
  • 『マジェンタ (MAGENTA) 』
  • 『南十字星』(1980年)
  • 『モダン・ロマンス (Modern Romance)』(1982年)
  • 『Say』(1983年)
  • 『fairy tale』(1988年)
  • 『Rescue You』(1989年)
  • 『愛』(1995年)
  • 『りりィ in PAB』(1995年6月21日)

ベストアルバム

  • 『I WANT YOU -scene 1974〜1986-』(1986年12月16日)
  • 『TWIN BEST りりィ』(1996年11月27日)
  • 『ゴールデン☆ベスト りりィ』(2004年11月17日)

出演作品

テレビドラマ

映画

ラジオ

ラジオドラマ

CM

脚注

  1. ^ a b c d e f g 週刊朝日1982年8月6号、42-46頁
  2. ^ 読売新聞社文化部『この歌この歌手〈上〉運命のドラマ120』社会思想社、1997年、320頁。
  3. ^ これは累計の数字。古い資料によっては76万枚。自身の公式サイトでは大雑把に100万枚としている。
  4. ^ CD『木田高介アンソロジー 〜どこへ 1969-1980 』ソリッド、 2011年、ブックレット中のインタビューより
  5. ^ アルバム「たまねぎ」のプロモーションシングル。B面は角田ヒロが歌う英語詞の曲に乗って『名前はリリィ。あと28日で二十歳』など本人のナレーションが入る。非売品
  6. ^ 1974年7月に別の品番で再発され、オリコン85位。オリジナル盤と若干ジャケットデザインが異なるが音源は同一。
  7. ^ このシングルまでの4枚は「リリィ(カタカナ表記)」名義。
  8. ^ B面曲「春早朝」は資生堂・1975年春のキャンペーンソングに使われた。
  9. ^ 前年に続き、B面曲「オレンジ村から春へ」が資生堂・1976年春のキャンペーンソングに使われた。 また、後年宮崎県で、「サンA」のブランドで知られている宮崎県農協果汁のオレンジジュースのCMソングにも使われた。
  10. ^ LP盤レーベルに記載されていたでたらめな英語タイトル(当時の東芝EMIエキスプレスはよくそういうことがあった): 1.GOOD BY OF STRANGER 2.I LEFT MY BLUES 3.MY DEAR Mr.ROMANCE 4.JUN 5.PIPE LOVE 6.NOTHING BY MOUTH 7.SPRING HAS COME 8.DAY BREAK 9.DON'T EAT THE APPLE 10.AS I CAN'T SLEEP(2) 11.WHY
  11. ^ 押井守“若者が壊れる瞬間”を凝視、「東京無国籍少女」で清野菜名が血まみれに”. 映画ナタリー (2015年5月22日). 2015年5月25日閲覧。
  12. ^ 映画『FOUJITA』”. シネマトゥデイ. 2015年10月8日閲覧。
  13. ^ “生田斗真がトランスジェンダー演じる主演作、追加キャストにミムラ、門脇麦ら5人”. 映画ナタリー. (2016年6月20日). http://natalie.mu/eiga/news/191409 2016年6月20日閲覧。 

関連項目

外部リンク