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2016年11月10日 (木) 15:50時点における版
寺田恵子 | |
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出生名 | 寺田恵子 |
別名 | 姐さん |
生誕 | 1963年7月27日(61歳) |
出身地 | 千葉県 |
ジャンル | HM/HR |
職業 | シンガーソングライター |
活動期間 | 1982年 |
事務所 | マスターワークス |
共同作業者 |
SHOW-YA 西寺実 |
寺田恵子(てらだ けいこ、1963年7月27日 - )は、千葉県船橋市出身のシンガーソングライター、ロックバンド『SHOW-YA』のボーカル。
来歴
- 1982年 - YAMAHA Light Music Contest '82 レディス部門ベストボーカリスト賞を受賞。
- 1985年 - SHOW-YAのボーカリストとして、「素敵にダンシング」でデビュー。
- 1991年 - SHOW-YAを脱退。
- 1992年 - シングル「PARADISE WIND」でソロデビュー。
- 1997年 - SHOW-YAの五十嵐美貴らと「全日本女子プロバンド」を結成。
- 1998年 - 公共広告機構「骨髄バンク『二十歳の登録』」キャンペーンのCMソングを担当。楽曲はPANTAの書き下ろした楽曲「スコア」。
- 2004年 - ROCK’N JAM MUSICALにてミュージカル初舞台を踏む。
- 2005年 - 自身の呼びかけでSHOW-YAを再結成。
- 2006年 - NHK-FMで「私の名盤コレクション」MCを担当。
- 2008年 - LOUDNESSの二井原実、EARTHSHAKERの西田昌史と「西寺実」を結成。
人物
影響を受けた歌手はカルメン・マキ、アン・ルイス。小学生の頃、カルメン・マキ&OZの『私は風』を聴いて、自分の声と似ていると思い傾倒する。やがて自身も歌を歌う仕事がしたいと漠然と思うようになったという[1][2]。他、洋楽アーティストで影響を受けたのは、オジー・オズボーン、ローリング・ストーンズ、ビートルズ、レッド・ツェッペリン、シンディ・ローパー、パット・ベネター、レナード・コーエン[2]。しかし、物心ついた時には邦楽中心に聴いていたという。幼稚園児の頃から歌うという仕事に憧れていた[3][4]。
最初、男性と一緒にバンドを組んで活動[3]。その後SHOW-YAの前身バンド「メデューサ」から誘われるが、最初は女バンドでは出来ないと思い、女バンドが嫌いだったとも思っていたことから3回断っていたが、メデューサのメンバーの一人が偶然アルバイト先の友人であったことがきっかけで加入を決める[4]。
胸には薔薇の入れ墨(シール)があるのが特徴。カルメン・マキのルーツがジャニス・ジョプリンであると知ってジャニスも好きになり、ジャニスをモデルとした映画『ローズ』にも惹かれて薔薇好きになったことからだという[1]。
18歳の時には既にSHOW-YAに加入していたが、その頃メンバーに内緒で、普通にアイドルを目指して『スター誕生!』(日本テレビ)のオーディションを受け、一次審査で落選したということがあった(バンドがデビュー前だったのを良いことに、ソロで抜け駆けしようという考えもその時はあったという)[4]。
SHOW-YAより1年後にデビューして先にブレイクしたプリンセス プリンセスを見て「世間的にはかわいい方がいいんだな」と落胆したこともあったが、ある日、鏡で自分の下着姿を見て「めちゃくちゃかっこいい」と思い、以後自らの下着風コスチュームが1988年~1989年以降の定番となった[5]。
2014年6月29日放送、日本テレビ系「有吉反省会」に出演。ロックばかりやってきたため婚期を逃し、50歳にして未婚であることを反省した[6]
2015年5月24日放送、TBS系「旅ずきんちゃん」に出演。杏子、相川七瀬と共演し、交流があることをあかした[7]。
ディスコグラフィー
シングル
- PARADISE WIND(1992年7月21日)
- Dream Again(1993年1月21日)
- Open Your Heart(1993年5月21日)
- 天国の出口(1994年4月21日)
- 空へ(1994年11月23日)
- Thank you. love(1996年11月25日)
- DEAD OR ALIVE(1997年9月26日)
- 果てしない炎の中へ(セブン-イレブン限定版:2002年6月18日、通常版:2002年8月7日)※RIDER CHIPS Featuring 寺田恵子
アルバム
- BODY & SOUL(1992年8月5日)
- INVISIBLE(1993年3月24日)
- Out of Bounds(1994年4月21日)
- 悪い夢(1994年11月23日)
- END OF THE WORLD(1996年2月21日)
- Wonderground(2003年3月26日)
- PIECE OF MY HEART(2016年10月19日)
参加作品
- 相川七瀬 - カバーアルバム『Treasure Box -Tetsuro Oda Songs-』(2015年10月28日発売) - #09「BOMBER GIRL」に参加[8]。
Session Works
- Hips(西田Marcy昌史/EarthShaker & 寺田恵子)
- 「夜をぶっとばせ!」/「TENDER」(1988年11月30日) - TVアニメ『超音戦士ボーグマン』後期(#25-#35)オープニングテーマ、エンディングテーマ
- 「EUPHORIA」(2003年10月29日) - Xboxゲーム『ダイナソーハンティング 〜失われた大地〜』エンディングテーマ
- RIDER CHIPS(野村義男/Gtr、寺沢功一/Bs、Joe/Drs、寺田恵子/Vocal)
- 「果てしない炎の中へ」(2002年8月7日) - 『仮面ライダー龍騎』エンディングテーマ
- 「MASKED RIDER LIVE 2004」(2004年4月21日)
- 「戦場のダンス - dance in the battlefield -」(2004年月2月25日) - TVアニメ『エリア88』エンディングテーマ
- 全日本女子プロバンド(寺田恵子/Vocal、五十嵐sun-go美貴/Gtr、渡辺敦子/Bs、富田京子/Drs、力石理江/Kb)
- 「SuperRock☆Summit 〜天国への階段〜」(1999年3月17日)
- 「SuperRock☆Summit 〜レインボウ・アイズ〜」(1999年6月30日)
バラエティ
- UTAGE!(TBS)- 準レギュラー
関連項目
脚注
- ^ a b “SHOW-YA 寺田恵子インタビュー(1/4)”. BEATMAKS. 2015年8月24日閲覧。
- ^ a b “<ライヴ・レポート>寺田恵子ソロ・ライヴ『THE LAST of 2014』”. BEATMAKS (2014年12月17日). 2015年8月24日閲覧。
- ^ a b “SHOW-YA 寺田恵子インタビュー(2/4)”. BEATMAKS. 2015年8月24日閲覧。
- ^ a b c “SHOW-YA・寺田恵子が明かすプリプリとの本当の仲~80年代バンドブームの実情(1/3)”. オリコン (2014年10月22日). 2015年8月24日閲覧。
- ^ “SHOW-YA寺田恵子 プリプリと確執あった!?「世の中可愛い方がいいんだ」”. スポーツニッポン (2015年8月23日). 2015年8月24日閲覧。
- ^ 有吉からの禊、寺田恵子が黒髪&白ワンピースで反省(お笑いナタリー)
- ^ 『旅ずきんちゃん』2015年5月24日
- ^ “全ナンバー織田哲郎作曲!相川七瀬カバー集、つるの剛士や大黒摩季ら参加”. 音楽ナタリー (2015年10月28日). 2015年10月28日閲覧。
外部リンク
- KEIKO TERADA OFFICIAL SITE
- 寺田恵子(SHOW-YA) official ブログ
- 寺田恵子/SHOW-YA (@KeikoTerada) - X(旧Twitter)