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2016年11月10日 (木) 19:20時点における版
河原 喜久恵(かわはら きくえ、1902年(明治35年) - 1997年(平成9年))は昭和期の歌手。
経歴
1927年(昭和2年)東京音楽学校(現・東京藝術大学音楽学部)声楽部卒業。
1929年(昭和4年)同校研究科卒業。 山田耕筰の推薦によりコロムビアに入社。
1930年(昭和5年)「ザッツ・オーケー」「麗人の唄」、1931年(昭和6年)「月の浜辺」が大ヒット。1932年(昭和7年)松竹蒲田に入り、女優業の傍ら声楽の指導など行った。
ベーシスト阿部英雄と結婚するが、10年後破局。その後は、満州に渡り実業家として活動。1948年(昭和23年)引揚げ。
戦後は芸能界には復帰せず、千葉で市井の人として暮らした。
1997年(平成9年)、死去。享年96。
代表曲
- 麗人の唄 (1930.4)
- 海の行進曲 (1930.7)
- ザッツ・オーケー (1930.7)
- 作詞:多蛾谷素一/作曲:奥山貞吉/編曲:奥山貞吉
- 古き都に春立ちて (1930.9)
- 作詞:堀内敬三/作曲:堀内敬三/編曲:
- 無憂華の唄 (1930.9)
- 月の浜辺 (1931.6)
- だって淋しいからなのよ (1931.7)
- 作詞:塚本篤夫/作曲:奥山貞吉/編曲:奥山貞吉
主な舞台出演
- 1929年12月3~29日 日本楽劇協会公演『堕ちたる天女』天女(歌舞伎座)
- 1930年3月26・27日・4月2日 日本楽劇協会公演『椿姫』アンニーナ(歌舞伎座)[1]
- 1930年5月26~29日 日本楽劇協会公演『お蝶夫人』スズキ(東京劇場)[2]
- 1933年11月15・17・18日 ヴォーカル・フォア公演『椿姫』フローラ(日比谷公会堂)[3]
- 1935年4月27日 『椿姫』フローラ/アンニーナ(名古屋公会堂、29日京都朝日会館、5月1・2日大阪朝日会館)[4]
- 1937年5月9日 ヴォーカル・フォア公演『ホフマン物語(抜粋)』ジュリエッタ(日比谷公会堂)[5]
- 1939年3月26・27日 藤原歌劇団公演『カルメン』フラスキータ(歌舞伎座)[6]