利用者‐会話:ミラー海神
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力士記事の出典の大相撲力士名鑑平成13年版のことにつき
[編集]私の作成した記事の細部修正に協力いただき感謝します。ところで、私は6月より、「大相撲力士一覧」のところで作成されていない十両、幕内の記事を簡易ながら作成し、あとは詳しい人の加筆に委ねるという方法を取り、従って相当に適当な記事も多くあります。関取経験者の記事はなるべくあった方が良いという判断からです。記事作成で最大の頼りにしたのは、水野氏の大相撲力士名鑑で、これは1976、1985、2000年と上梓され、現在は毎年出版されています。 2000年12月に発売された平成13年版に収録されているのは、顔写真付きで旧両国国技館開館の1909年6月場所から2000年11月場所までの間に幕内に在位した力士全員と、顔写真なしの一覧表で、戦後(1945年11月場所以降)の十両昇進者全員(最高位が十両の力士、2000年9月新十両・2001年1月新入幕の朝青龍はここに収録)が収録されています。さらには、顔写真なしで旧両国国技館開館までの幕内力士も入幕順に収録されていて、一番古いのは、1853年11月入幕の浦風林右エ門(白真弓肥太右エ門、6代浦風、のちの浦風林右エ門とは別人)で、最も現代に近いのは五所車です。なので、幕内力士に限っては、白真弓肥太エ門から2000年11月新入幕の若光翔までは、大相撲力士名鑑を出典として用いることは有効です。従ってマラー海神さんが作成された、鉞音五郎、緋縅力弥 (2代)と、戸田川鷲之助とアラタマ、オダマキの記事の出典に大相撲力士名鑑の平成13年版を用いると、記載がないと言われ揚げ足を取られると思います。別にこの出典がなくても、十分に立派な記事なのだから大丈夫です。また鉞音五郎などの出典に明記を続けていると、私が大相撲力士名鑑を頼りに作成した記事もいかがわしく思われてしまうことも心配です。
私は大相撲力士名鑑を頼りに記事になっていない力士を全部作成しようとしましたが、ちょっと諦めました。というのも古くなれば同名力士が多く、それが何代目か分からなくなるからです。緋縅力弥も4人ほどいますし、名鑑に記載がある明治時代の緋縅力弥が何代目かわからず断念しました。その他で言うと、8代常盤山の二枚鑑札、常盤山小平治は、これより前に鷲ヶ峯、さらには箕島と名乗っている。また9代常盤山は、箕島邦五郎の名で記載があるが、その後鷲ヶ峯に改名しいる。名鑑以外の別の資料で調べると、この二人より前に、箕島、鷲ヶ峯と名乗った常盤山部屋の力士が存在し、それぞれ何代目の箕島で、何代目の鷲ヶ峯か皆目見当が付かず断念しました。狭布里のように名乗った力士の数が分かっていれば容易なことです。その他では、一覧表で唯一、出身地が不明とされている若山与吉という力士がいます。他の資料では当時の東京府出身となっていましたが、私は自信がなく作成を断念しました。
ミラー海神さんは、珍名や難読力士が守備範囲の一つであるようなので、大相撲力士名鑑の浦風から五所車までの力士の一覧表で、そのような四股名の力士を紹介させていただくと鉞り鉄五郎、横車利三郎という力士がいます。また現在の幕内力士の勢翔太より前に、「イキオイ」を名乗った幕内力士として勢イ力八という力士がいます。よろしければチャレンジ下さい。––まっきんりい
ご報告2件
[編集]こんにちは。削除依頼を出した際に初版作成者としてお名前を拝見したため、こちらに伺いました。2件ご報告がございます。◆1件目。利用者:ArchiverBot/configを使って会話ページを過去ログ化しておられたようですが、その過去ログページへのリンクが見当たりませんでしたので、ページ上部に過去ログへのリンクを設置いたしました。◆2件目。活動停止されていて今後自動過去ログ化する意味がなく、むしろ「過去ログページへのリンク自体が過去ログ化されてしまう」恐れがあるため、利用者:ArchiverBot/configの参照読み込みをコメントアウトして自動過去ログを停止させました。◆以上ご報告まで。--侵入者ウィリアム(会話) 2024年3月26日 (火) 01:22 (UTC)