「神楽坂浮子」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
→脚注: cat |
|||
84行目: | 84行目: | ||
{{singer-stub}} |
{{singer-stub}} |
||
{{DEFAULTSORT:かくらさかうきこ}} |
{{DEFAULTSORT:かくらさかうきこ}} |
||
[[Category:日本の歌手]] |
[[Category:日本の女性歌手]] |
||
[[Category:芸妓]] |
[[Category:芸妓]] |
||
[[Category:NHK紅白歌合戦出演者]] |
[[Category:NHK紅白歌合戦出演者]] |
2016年11月10日 (木) 19:42時点における版
神楽坂 浮子(かぐらざか うきこ、1938年1月15日 - 2013年11月20日)は日本の歌手。本名:大野景子。
経歴
東京の深川出身。高校生のときに神楽坂はん子に憧れ、高校を中退して芸者になる。後に、古賀政男門下となり、芸者歌手としてデビューする。市丸や榎本美佐江ら先輩日本調歌手に後押しされ、1956年には「十九の春」(作詞・吉川静夫、作曲・清水保雄:沖縄民謡の「十九の春」とは同名異曲)が大ヒット。プロ歌手の仲間入りを果たす。その後も日本調のみにとどまらず、ドドンパなどのリズムにも挑戦する。また、その美貌から映画にも出演。
NHK紅白歌合戦に2回出場している(詳細は下記参照)。
1963年に一般人の男性と結婚。
昭和40年代の懐メロブームの際は、東京12チャンネルの「なつかしの歌声」にも出演し、自身のヒット曲を披露していたが、1979年(昭和54年)に一旦引退する。
1997年に歌手活動を再開する。
1995年に神楽坂はん子が亡くなってからは、テレビで彼女の持ち歌だった「ゲイシャ・ワルツ」を披露している。その後は歌手活動を行いながら、若手芸者の育成も務めていた。日本歌手協会の所属歌手としては唯一の芸者歌手。
2013年4月26日放送の「爆報! THE フライデー」(TBS)に出演したのが最後のテレビ出演となった。2013年11月20日、千葉県松戸市の病院で心不全のため死去[1]。75歳没。
死去後の2013年12月6日、「爆報! THE フライデー」で生前に出演した時の映像が追悼放映された。
エピソード
代表曲
- 私なんだか変テコリン(デビュー曲)
- 十九の春(この曲でスターダムに)
- 三味線フラ(“フラ”はフラダンスのこと)
- 三味線ドドンパ
- 芸者エレジー
- 舞妓さんこんばんは
- お江戸めおと星
- あら、ぴったりね
- おいと恋唄
NHK紅白歌合戦出場歴
主な映画出演
- 初恋カナリヤ娘(1955年、日活) - ハル子役
- 青春温泉夜話 湯の町椿(1955年、日活)
- 十九の春(1956年、松竹) - 薗田妙子役
- たぬき(1956年、松竹)
- スタジオ超特急(1956年、松竹)
- 女優誕生(1956年、松竹)
- オーケストラの姉妹(1957年、松竹) - 郡山京子役
- 「笑え勘平」より 消えた短剣(1957年、東映)
- 「笑え勘平」より 摩天楼の秘密(1957年、東映)
- 夜の波紋(1958年、松竹)
- 見事な求婚(1958年、松竹) - 君田雪代役
- 喧嘩笠(1958年、東映) - お千賀役
- 初春狸御殿(1959年、大映) - 第三の姫役
- 伝七捕物帖 幽霊飛脚(1959年、松竹) - お千代役
- パイナップル部隊(1959年、松竹) - 芸者役
- 待っていた花嫁(1959年、松竹) - 芸者・玉子役
- 銭形平次捕物控 美人蜘蛛(1960年、大映) - おきた役
- 黄門社長漫遊記(1962年、東映) - たい子役
- 京子の初恋 八十八夜の月(1962年、松竹)
- 東京オリンピック音頭 恋愛特ダネ合戦(1963年、松竹)
- 大暴れ五十三次(1963年、東映) - しのぶ太夫役
主なテレビ出演
歌番組ほか
- スター千一夜(フジテレビ)
- なつかしの歌声(東京12チャンネル)
- 昭和歌謡大全集(テレビ東京)
- 年忘れにっぽんの歌(テレビ東京)
- 第40回NHK思い出のメロディー(2008年、NHK総合)
- NHK歌謡コンサート(NHK総合)
- 木曜8時のコンサート〜名曲!にっぽんの歌〜(2012年6月7日、テレビ東京)
- 爆報! THE フライデー(2013年4月26日、TBS)
ドラマ
その他の出演
脚注
- ^ 神楽坂浮子さん死去 75歳芸者歌手 デイリースポーツ 2013年11月25日
- ^ 司会は女優の倍賞千恵子