吉川静夫
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吉川 静夫(よしかわ しずお、1907年〈明治40年〉8月28日 - 1999年〈平成11年〉4月10日)は、日本の作詞家、詩人。
来歴
[編集]北海道札幌市生まれ、帯広市出身。北海中学(現:北海高等学校)、駒澤大学卒業。小学校の校長を経て、1936年(昭和11年)にキングレコードの「追分月夜」で作詞家デビュー[1]。戦時中はヒット作に恵まれなかったが、戦後の1946年(昭和11年)に岡晴夫「青春のパラダイス」で復活。その後はビクター専属となり、津村謙「流れの旅路」、三浦洸一「落葉しぐれ」、三沢あけみ「島のブルース」、青江三奈「長崎ブルース」「池袋の夜」、森進一「女のためいき」、竹山逸郎「熱き泪を」などのヒット作を生んだ[2][3]。
このほか、日本詩人連盟、作歌者協会、民謡芸術協会常任理事、音楽著作権協会理事、日本音楽著作家協会名誉会長[2]などを務めた。
1999年4月10日、肝不全のため横浜市の病院で死去。享年91。
受賞
[編集]- 1970年、第5回日本詩人連盟賞 特賞(「池袋の夜」)
- 1978年、第20回日本レコード大賞20周年顕彰
- 1983年、第25回日本レコード大賞特別賞
代表曲
[編集]- 『青春のパラダイス』岡晴夫(昭和21年11月)福島正二作曲
- 『流れの旅路』津村謙(昭和23年7月)上原げんと作曲
- 『熱き泪を』竹山逸郎(昭和24年4月)東辰三作曲
- 『流れの船唄』竹山逸郎(昭和26年5月)吉田正作曲
- 『落葉しぐれ』三浦洸一(昭和28年9月)吉田正作曲
- 『十九の春』神楽坂浮子(昭和31年3月)清水保雄作曲
- 『島のブルース』三沢あけみ・和田弘とマヒナスターズ(昭和38年6月)渡久地政信作曲
- 『大利根仁義』橋幸夫(昭和39年10月)平川浪竜作曲
- 『八州喧嘩笠』橋幸夫(昭和40年3月)平川浪竜作曲
- 『すっ飛び野郎』橋幸夫(昭和40年4月)平川浪竜作曲
- 『女のためいき』森進一(昭和41年6月)猪俣公章作曲
- 『命かれても』森進一(昭和42年9月)猪俣公章作曲
- 『長崎ブルース』青江三奈(昭和43年7月)渡久地政信作曲
- 『ひとり酒場で』森進一(昭和43年7月)猪俣公章作曲
- 『和歌山ブルース』古都清乃(昭和43年9月)吉田正作曲
- 『池袋の夜』青江三奈(昭和44年7月)渡久地政信作曲
- 『夜の瀬戸内』青江三奈(昭和45年7月)渡久地政信作曲
- 『長崎未練』青江三奈(昭和46年6月)渡久地政信作曲
- 『日本列島・みなと町』青江三奈(昭和47年10月)渡久地政信作曲
- 『札幌の女』青江三奈(昭和48年7月)渡久地政信作曲
- 『小樽の灯』青江三奈(昭和51年)渡久地政信作曲
- 『流し唄』小畑実(昭和51年)渡久地政信作曲
- 『青いたそがれ』小畑実(昭和52年)渡久地政信作曲
校歌・応援歌など
[編集]出典
[編集]- ^ 十勝毎日新聞. “「編集余録「作詞家吉川静夫」2012.5.13”. 2021年8月21日閲覧。
- ^ a b 『吉川静夫』 - コトバンク
- ^ 歌ネット. “「吉川静夫作詞の歌詞一覧」”. 2021年8月21日閲覧。
- ^ 本別町. “「作詞家 吉川静夫と ほんべつ」2014”. 2021年8月21日閲覧。