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2016年11月11日 (金) 03:20時点における版
飯田 久彦(いいだ ひさひこ、1941年8月23日 - )は歌手・音楽プロデューサー。東京都出身。日本大学高等学校卒業。芝浦工業大学工学部電子工学科中退。現在はエイベックス・エンタテインメント(現:エイベックス・デジタル)取締役。歌手時代の愛称はチャコ。デビュー当時は第一プロダクション所属。ビクター時代に、『スター誕生!』に出場したピンク・レディーを発掘した。
人物
- 1961年 - 『悲しき街角(Runaway)』で日本コロムビアより歌手デビュー
- 1962年 - 『ルイジアナ・ママ(Louisiana Mama)』が大ヒットとなるが、その後人気が低迷
- 1972年 - ビクター音楽産業(現在のJVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)にアルバイトとして入社[1]。
- 1975年 - 同社正社員となり、ディレクターとして松崎しげる、岩崎宏美、ピンク・レディー、小泉今日子らを担当。
- 1988年 - ゲームミュージックのアルバム『ナムコット・ゲーム・ア・ラ・モードVol.2』の収録曲「恋のダーク・ホース」(ゲーム『ファミリージョッキー』のアレンジ曲)にて、久々にマイクを取る
- 1990年代はプロデューサーとして活動。
- 1999年3月 - ビクターエンタテインメント専務取締役に就任
- 1999年6月 - テイチクエンタテインメント代表取締役社長に就任
- 2005年6月 - テイチクエンタテインメント代表取締役会長に就任
- 2006年11月 - エイベックス・エンタテインメント取締役に就任
- 2012年4月 - NHK歌謡コンサートに出演し、『ルイジアナ・ママ』を披露する。
逸話
- 大ヒット曲『ルイジアナ・ママ』のサビ「from New Orleans」の発音が巻き舌のため、当時の視聴者には「ホニオリン」(または「ロニオリン」)と聴こえたという。後年、ナツメロ番組で歌った際には「フロム・ニューオリンズ」と日本語英語で聞き取りやすい歌い方をしていた。
- サザンオールスターズの代表曲「チャコの海岸物語」の“チャコ”とは、彼のニックネームを桑田佳祐が歌詞にしたものである[2]。(幼少時、ヒサヒコが呼びにくいためヒチャヒコとなり、縮めて“チャコ”が愛称になった。歌手引退後の日本ビクターディレクター時代も"チャコ"と呼ばれ、その頃桑田と知り合った)。
- 芝浦工業大学へは硬式野球部のセレクションを受けるも不合格となり、一般入試で合格した。入学後の歌手デビューは高校の同級生坂本九の薦めによる。
- 1988年の「恋のダーク・ホース」収録当時はビクターの制作部部長だったらしく、同曲にて競馬実況パートを務めた高橋卓士に「うちのルイジアナ部長」と呼ばれていた。
紅白歌合戦出場歴
- 1962年 第13回「ルイジアナ・ママ」
論文
脚注
関連項目
- サザンオールスターズ『チャコの海岸物語』