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2016年11月11日 (金) 05:31時点における版
宮沢和史 | |
---|---|
別名 | MIYA |
生誕 | 1966年1月18日(58歳) |
出身地 | 日本山梨県甲府市 |
学歴 | 明治大学経営学部卒業 |
ジャンル |
ロック 民族音楽 J-POP ブラジル音楽 沖縄音楽 サンバ オルタナティブロック インディーロック(初期) スカ |
職業 |
ボーカリスト シンガーソングライター 俳優 |
担当楽器 |
ボーカル ギター 三線 |
活動期間 | 1986年 - 2016年(歌手活動休止中) |
公式サイト | miyazawa-kazufumi.jp |
宮沢 和史(みやざわ かずふみ、1966年1月18日 - )は日本のシンガーソングライター、俳優。元THE BOOMのボーカリスト。息子はモデルでタレントの宮沢氷魚。
人物
山梨県甲府市出身。甲府市立千塚小学校、甲府市立北中学校、山梨県立甲府南高等学校、明治大学経営学部卒業。1986年にTHE BOOMを結成、歩行者天国でのライブを積み重ねた後、1989年シングル「君はTVっ子」でデビュー。以来ほぼすべての楽曲を作詞・作曲している。グループの知名度を特に高めた楽曲として「島唄」「風になりたい」があげられる。世界中を旅し、そこで得たインスピレーションで本格的な音楽を生み出してきた。楽曲はロックがすべての下敷きになってはいるが、沖縄民謡、サンバ、ケチャ、ジャズ、テクノなど、さまざまなジャンルに造詣が深い。ソロミュージシャンとしても楽曲を多数発表している。シンガーソングライターとして楽曲提供も多数。また著書多数。以前には俳優としても活動し、ミュージカルやテレビドラマ、映画にも出演した。世界各国で歌われた「島唄」などは世界中で知られており、日本を代表するミュージシャンである。妻はタレントでパーソナリティの光岡ディオン(1994年に結婚)。3人の子供がおり、長男の宮沢氷魚は2015年9月に男性ファッション誌「MEN'S NON-NO」の専属モデルとしてデビュー[1]。
- 明治大学には一浪して入学している。実は現役時代、駒澤大学に合格していたが入学書類を紛失してしまったために仕方なく浪人したと本人は語っている。ところが明治大学合格後にその書類が自宅から発見されたとのこと。
- 無類の釣り好きとして知られる。
- ビートたけしと誕生日が同じ。また、彼の大ファンでもある。
- 学生時代、レストランでアルバイト(調理担当)をしており、料理が得意である。店長候補に挙げられ、一時は音楽と店長のどちらをとるか迷ったらしい。家でもよく料理をするそうだが、効率的に料理をする。曰く、「料理をしながら使用済みの食器類を洗い、料理が完成する頃には洗い物がほとんどない状態」だとか。
- いい歌を作りそれを一人でも多くの人に伝えるため、CDの売り上げにはこだわっていない。現に「売れる歌は作らない」とコンサートで公言しているくらいである。
- 「島唄」の影響か、沖縄出身だとよく間違えられる。本人曰く、「『沖縄(の出身)ですか』とよく言われていたけど、最近は『沖縄のどこですか』と聞かれる」。
- テレビなどで山梨出身ということを振られると、たいてい「海のない所です」と言う。
- 2001年に「島唄」がアルゼンチンで大ヒットしていることは本人は全く知らず、インターネットを見たスタッフに知らされたという。カバーしたアルフレッド・カセーロも、「島唄」の作者である宮沢に無許可でリリースしていた。しかし、後に宮沢自身がアルゼンチンまで出向き、カセーロと二人で島唄を聴衆と共に大合唱した。
- 永谷園が1990年代末期に放送していたお茶漬けのCMに宮沢そっくりの男性が出演していたが、この人物が宮沢ではないかとの噂がファンを中心に広まったことがある。宮沢本人もその話を周囲から聞かされていたらしく、テレビやラジオでこの話をしていた。また、1999年にデビュー10周年を迎えたTHE BOOMが『ミュージックステーション』に出演した際、タモリもこのことについて触れている。
- 『笑っていいとも!』の「テレフォンショッキング」に2度目の出演日が1995年1月17日だった(岸谷五朗の紹介)が、阪神・淡路大震災のため番組自体が休止。THE BOOMの全国ツアー中だったため、番組が通常放送に戻った翌週1月23日は出演できず、ツアー先の鹿児島から電話生出演。石田ゆり子を「お友達」として紹介した。
- 歌声とはうって変わって、地声が低い。上記の電話出演の際、電話で話す宮沢の声を聞いたタモリが「宮沢くん、寝起き?」と尋ねたくらいである。本人は「よく言われます」と答えていた。
- 福岡ソフトバンクホークスのファンで2003年には開幕戦の始球式をした。2014年 THE BOOM 福岡での最終公演では、3年ぶりのホークス日本一を祝い公式球団歌 「いざゆけ若鷹軍団」を熱唱。ちなみに宮沢の息子は横浜DeNAベイスターズファンである。
- 2005年に合併新設された甲府市立舞鶴小学校の校歌を作詞作曲。
経歴
小学生の頃から音楽活動をしており、高校ではバンドを組んで学園祭で披露したりしていた。自身の音楽観に影響を与えたミュージシャンはYMO, U2, ポリス、スティングなど。1986年にTHE BOOMを結成し、歩行者天国(通称ホコ天)で2年ほど路上ライブを行い、人気を徐々に高めていった。
- 1986年11月、THE BOOM結成。
- 1987年7月26日、歩行者天国で路上ライブ開始。
- 1988年12月18日、ソニーミュージックのオーディションに合格。
- 1989年5月21日、シングル「君はTVっ子」・アルバム「A PEACETIME BOOM」でデビュー。
BOOMの音楽はアルバムが発表されるごとに全く違った内容になることが多く、あるときはスカ、またあるときは沖縄音楽、さらにブラジルなどと、変貌を遂げていった。
- 1990年9月21日、3rdアルバム『JAPANESKA』で初めて沖縄音楽に触れる。前2作がスカやロックなど、オーソドックスな音楽スタイルであったが、このあたりからBOOMの音楽性・方向性が著しく変わっていく。
- 1992年1月22日、4thアルバム『思春期』発表。この作品で後の大ヒット曲となる「島唄(オリジナル・ヴァージョン)」が初めて発表された。
- 1992年12月12日、「島唄」を沖縄の方言(ウチナーグチ)で歌ったシングルを沖縄限定で発売。泡盛のCMタイアップ曲にも使用され、ヒットする。
- 1993年6月21日、かねてからシングルリリースの要望が高かった「島唄(オリジナル・ヴァージョン)」が発売となり、全国的な大ヒットとなる。
- 1993年12月31日、第35回日本レコード大賞で「ベストソング賞」を受賞。また、『紅白歌合戦』に出場し、「島唄」をウチナーグチで歌う。
「島唄」のヒット以降、「THE BOOM=島唄(沖縄)」というイメージを持つ人、および、宮沢やグループのメンバーを沖縄出身だと勘違いする人が多くなった。 1994年11月21日、6thアルバム『極東サンバ』発表。これまでの沖縄音楽やアジアの音楽的要素から完全に脱却する。以降、1997年初頭にグループとしての活動を一時休止するまで、ブラジル音楽に傾倒(しかしコンサートでは「島唄」などこれまでの音楽も演奏されている)。この頃の代表曲が「風になりたい」である。
1996年5月、念願であったTHE BOOMのブラジルでのコンサートを3都市で行う(4公演)。
1997年1月に表立ったBOOMの活動を一時休止し、各自ソロ活動に専念。1998年3月5日には宮沢が長野パラリンピックの開会式でテーマ曲「旅立ちの時」を歌う。1999年にBOOMとしての活動を再開。以後は局地的な音楽をアルバムのコンセプトにすることはせず、さまざまなジャンルに挑戦している。 2000年には矢野顕子、大貫妙子、鈴木慶一、奥田民生らと「Beautiful Songs」と題したコンサートを全国8ヶ所で行い、ライブアルバムをリリース(2002年にも再びこの5人でコンサートを行っている)。
2001年、アルゼンチンでアルフレッド・カセーロがカバーした「SHIMAUTA」が大ヒットして日本でも話題に。国内では「島唄」をまとめたシングル「島唄 Shima Uta」がリバイバルヒット。
2006年、新バンドGANGA ZUMBA結成。リーダーおよびボーカルを担当。THE BOOMとしての活動は停止。
2008年9月、ジルベルト・ジルの日本公演にスペシャル・プレゼンターとして参加し、また、THE BOOMとしての活動も再開。それからはTHE BOOMとGANGA ZUMBAの活動を並行して行っている。
2013年11月、頚椎症性神経根症治療のため約4か月の活動休止を発表した[2]。
2014年12月、THE BOOM解散。宮沢含めメンバーは個々で音楽活動を継続している。
2015年6月より、本格的なソロ活動として、弾き語りツアー 寄り道2015『連れづれなるままに...』開催。
2016年1月3日、同年春から音楽活動を休業し、4月から那覇市の沖縄県立芸術大学音楽学部で講師を務める、と報じられた[3]。
作品
シングル(ソロ名義)
- Seven Days, Seven Nights(1998年2月18日)オリコン57位
- Seven Days, Seven Nights[3:35](作詞・作曲:宮沢和史)
- 抜殻[5:34](作詞・作曲:宮沢和史)
- Seven Days, Seven Nights (Instrumental)[3:35]
- 抜殻 (Instrumental)[5:34]
- ブラジル人・イン・トーキョー(1998年5月27日)オリコン77位
- ブラジル人・イン・トーキョー[2:45](作詞:ペドロ・ルイス/訳詞:宮沢和史/作曲:宮沢和史)
- 矮小な惑星[4:00](作詞:宮沢和史/作詞:レニーニ・宮沢和史)
- BRASILEIRO EM TOQUIO[2:45](作詞:ペドロ・ルイス/作曲:宮沢和史)
- 沖縄に降る雪(2001年11月7日)オリコン39位
- コシカ/ひとつしかない地球(2005年4月22日)
- ※「ひとつしかない地球」教育団体「ラボ・パーティ」のために書かれたナンバー
シングル(その他)
- 神様の宝石でできた島(1994年3月21日)
- ※「MIYA & YAMI」名義
- 二人のハーモニー(1995年5月1日)
- ※ 「矢野顕子&宮沢和史」 名義
- 旅立ちの時(1998年9月10日)
- ※「宮沢和史 with 久石譲」名義
- ひとりぼっちじゃない(2002年7月10日)
- ※「coba & 宮沢和史」名義。劇場版ポケットモンスター 水の都の護神 ラティアスとラティオスの主題歌。
- からたち野道/朱鷺 -トキ-(2003年3月19日)
- ※「RIKKI + 宮沢和史」名義
- ありがとう(2005年3月9日)
- ※「MCU feat. 宮沢和史」名義
- シンカヌチャー(2012年1月27日)
- ※「宮沢和史+DIAMANTES+シンカヌチャー」名義
参加楽曲(シングル)
アルバム(ソロ名義)
- Sixteenth Moon(1998年3月18日)
- AFROSICK(オリジナル・ポルトガル語ヴァージョン)(1998年7月8日)
- AFROSICK(1998年7月18日)
- ※日本盤
- AFROSICK(ポルトガル語ヴァージョン)(1998年10月16日)
- ※「オリジナル・ポルトガル語ヴァージョン」の日本盤
- MIYAZAWA(2001年11月28日)
- MIYAZAWA-SICK(2003年1月16日)
- ※ベストアルバム
- DEEPER THAN OCEANS(2003年6月3日)
- ※「MIYAZAWA」名義、輸入盤(イギリスでリリース)
- SPIRITEK(2004年1月28日)
- ※セルフカヴァー集
- TOKYO STORY(2004年11月1日)
- ※「MIYAZAWA」名義、輸入版(イギリスでリリース)
- 寄り道(2007年5月15日、通信販売・ライブ会場のみで購入可能)
- ※ライヴアルバム
- 寄り道 06/07(2008年2月27日)
- ※前作「寄り道」にDVDを添付した作品。CDの内容は前作同様。
- MUSICK(2015年12月2日)
- ※ソロ活動の集大成として、新曲・セルフカバー10曲とソロ・GANGA ZUMBA名義のベスト10曲、計20曲が収録されたベストアルバム
アルバム(その他)
- LOVE IS DANGEROUS(1994年4月21日)
- ※「MIYA & YAMI」名義
- 音の棲むところシリーズ
- LIVE Beautiful Songs(2000年10月20日)
- Brasil 100 〜BEST BRASILIAN MUSIC SELECTION〜(2008年12月3日)
- ※日本人のブラジル移民100周年を記念し、宮沢がJAL機内チャンネルのために選曲したブラジル音楽の曲を中心に収録したベストアルバム。
- MIYATORA(2013年11月6日)
- ※「宮沢和史&TRICERATOPS」名義
参加楽曲(アルバム)
映像作品
- AFROSICK LIVE IN OSAKA(1998年10月18日)
- afrosick(1999年3月)
- ※映像の全ての編集を、宮沢和史本人が担当。
- 未完の夜(2001年12月6日)
- afrosick(2003年1月16日)
- MIYAZAWA-SICK(2003年1月16日)
- 宮沢和史/THE BOOM 二十一世紀の音霊(2004年3月10日)
- EURO ASIA 〜MIYAZAWA-SICK EUROPE TOUR '05〜(2005年6月18日)
- 寄り道2007 夏さがし(2008年2月27日)
楽曲提供
- 「白百合の花が咲く頃」 作詞・作曲:宮沢和史、編曲:古川昌義
- 「ちっぽけなボクにできること」 作詞:大倉智之・杉田篤史・グ=スーヨン、作曲:宮沢和史、編曲:幾見雅博・INSPi
- 「ありがとう」 作詞:MCU・宮沢和史、作曲:MCU・宮沢和史・ヤマヒロ
- 「ひがらがさ」 作詞:おおたか静流、作曲:宮沢和史、編曲:大村達司
- 「いちばん小さな島で」 作詞:織田裕二、作曲:宮沢和史、編曲:キハラ龍太郎
- 「NO“FIN”」 作詞・作曲:宮沢和史、編曲:GANGA ZUMBA
- 「何もいらない」 作詞・作曲:宮沢和史
- 「愛は私の胸の中」 作詞・作曲:宮沢和史、編曲:喜納昌吉&チャンプルーズ
- 「あの海へ帰りたい」 作詞・作曲・編曲:宮沢和史
- 「島唄南の四季」 作詞:我如古盛栄、作曲:宮沢和史、編曲:井上鑑
- 「誰よりも遠くから」 作詞:宮沢和史、作曲・編曲:川村結花
- 「厚木」 作詞・作曲:宮沢和史、編曲:高野寛
- 「モクレンの花」 作詞・作曲:宮沢和史、編曲:高野寛・Tin Pan Family・弦一徹
- 「ピアノ」 作詞・作曲:宮沢和史、編曲:MARIA CASTRO BALBI
- 「あの頃と同じ空」 作詞・作曲:宮沢和史、編曲:高野寛
- 「時雨の森」 作詞:坂本美雨、作曲・編曲:宮沢和史
- 「We're gonna go home」 作詞:宮沢和史、作曲・編曲:佐藤正治
- 「僕の太陽」 作詞・作曲:宮沢和史、編曲:森俊之
- 「とある夏の日」 作詞:TAKA・宮沢和史、作曲:TAKA・宮沢和史・nzm、編曲:nzm
- 「国分寺1976」 作詞・作曲:宮沢和史、編曲:岸利至
- 「百恋歌」 作詞・作曲:宮沢和史、編曲:家原正樹
- 「Wind that blow to bikal」 作詞:宮沢和史、作曲・編曲:高橋幸宏
- 「僕等はもっとすごいはず」 作詞:CHAKA、作曲:宮沢和史、編曲:河野圭
- 「新しい日々」 作詞:CHAKA、作曲:宮沢和史、編曲:鶴来正基
- 「魂をコンドルにのせて」 作詞:アルベルト城間・宮沢和史、作曲:アルベルト城間、編曲:清水信之・アルベルト城間
- 「太陽の祭り」 作詞:宮沢和史、作曲:アルベルト城間
- 「鎌倉に向かう靴」 作詞:友部正人、作曲:宮沢和史
- 「永遠の詩」 作詞:宮沢和史、作曲:Sin、編曲:森俊也・STEPHEN
- 「月見草」 作詞・作曲:宮沢和史、編曲:宮沢和史・チト河内
- 「僕の部屋で暮らそう」 作詞・作曲・編曲:宮沢和史
- 「かげろう」 作詞・作曲:宮沢和史、編曲:宮沢和史・安斎直宗
- 「君だけがいない世界」 作詞・作曲:宮沢和史
- 「風のない朝 星のない夜」 作詞・作曲:宮沢和史
- 「月」 作詞:宮沢和史、作曲・編曲:Sinkiroh
- 「虹が出たなら」 作詞・作曲:宮沢和史、編曲:矢野顕子
- 「遠い町で」 作詞・作曲:宮沢和史、編曲:矢野顕子
- 「涙のようにきれいな星」 作詞:尾上文、作曲:宮沢和史、編曲:春野高広
- 「巡る想い」 作詞:RIKKI、作曲:宮沢和史、編曲:今堀恒雄
- 「地球の上で」 作詞:竹内海南江、作曲:宮沢和史、編曲:高野寛・宮沢和史
- 坂本冬美 with M2
- 「花はただ咲く」 作詞:さくらももこ、作曲:宮沢和史
- 「ニヒルに愛して」 作詞:宮沢和史、作曲・編曲:大野雄二 [5]
連載
- セイフティ・ブランケット(『R&R NewsMaker』、1989-2004年)
- 音の棲むところ(『ラティーナ』)
- 詩人から詞人へ(「朝日新聞」夕刊、1998-2000年)
- 言の葉摘み(『小説新潮』)
- オキナワモノローグ(『季刊カラカラ』Vol.15より、2005年-)
- 金曜日の素朴な疑問(『週刊金曜日』702号より隔月、2008年-)
書籍
- 『セイフティ・ブランケット』シリーズ(1993-2004年)
- セイフティ・ブランケット(1993年)
- セイフティ・ブランケット 2(1996年)
- セイフティ・ブランケット 3(1999年)
- セイフティ・ブランケット 4(2004年11月2日)
- セイフティ・ブランケット 1991-1998(2004年11月25日)
- ※同名本1-3をまとめた文庫版
- 夜ふかしの凡人(1996年)
- 『音の棲むところ』シリーズ(1996年、2000年、2007年)
- 音の棲むところ(1996年)
- 音の棲むところ 2(2000年)
- 音の棲むところ 3(2007年7月31日)
- 詞人から詩人へ(2000年)
- 未完詩(2001年)
- 宮沢和史全歌詞集(2001年11月22日)
- 旅の響き(2002年2月25日)
- ※写真:中川正子 旅:宮沢和史
- 寄り道(2005年6月29日)
- ※CD-ROM付き、コンサート会場での直接販売と通信販売のみ
- 寄り道2(2006年6月8日)
- ※CD-ROM付き、コンサート会場での直接販売と通信販売のみ
- 寄り道(上記の作品とは別物)
- 言の葉摘み(2006年8月25日)
- 足跡のない道(2008年6月18日)
- BRAZIL-SICK(2008年12月3日)
出演
テレビ番組(レギュラー出演)
- 「青春探検」:番組司会・ナレーション(NHK総合・1997年4月3日-9月25日)
- 「とくダネ!」:「環境プロジェクト」ナビゲーター(フジテレビ・2007年)
- 「NAME-X」:ナレーション(TBS・2008年4月-)
テレビCM
- ネスレ日本「ブライト」(1995年、矢野顕子との共演)
- マクセル
- アサヒビール「旬果搾り」フルーツパンチ(押切もえとの共演)
- 富士通「社会・環境シリーズ」(ナレーション)
- KDDI 企業広告「塾帰り」篇(ナレーション、2008年)
- 日通「ペリカン便」(1998年、CM曲に宮沢名義の楽曲「故郷になってください」)
- スズキ「ランディ」(2008年、CM曲にTHE BOOM名義の楽曲「風になりたい (Samba.Novo) 」)
- 富士フイルム 企業広告「世界は、ひとつずつ変えることができる。」(ナレーション、2011年、2015年〜)
- 積水ハウス テーマソング(2014年)
テレビドラマ
- 「チャンタピンパーのくれた塵芥(ごみ)」(1992年NHK福岡・主演。共演深津絵里)
- 「二千年の恋」(2000年 フジテレビ系・主演中山美穂)
- 「恋を何年休んでますか」(2001年 TBS系・主演小泉今日子)
- 「JIN-仁- 完結編」(2011年 TBS系・主演大沢たかお)- 近藤勇 役
- 「南極大陸」(2011年 TBS系・主演木村拓哉)- 岩城昌隆 役
- 「コールドケース〜真実の扉〜」(2016年、WOWOW・主演吉田羊) - 大江嗣久 役
映画
- 「パイパティローマ」(1994年、主演・今野登茂子)
- 「(ハル)」(1996年、主演・深津絵里)- 山上博幸 役
- 「るろうに剣心 京都大火編 / 伝説の最期編」(2014年、主演・佐藤健) - 大久保利通 役
オペレッタ
「ナガランド」(1992年、ディック・リー主演およびプロデュースのオペレッタ)
ラジオ
- 「サカナラジオ」:パーソナリティー(1989年-不明)
- 「極東ラジオ」:パーソナリティー(1997年4月-2003年12月・InterFM)
- 「MIYA THE WORLD」:パーソナリティー(2008年10月1日-2015年3月・JFN系列全国23局ネット)
その他
- コニカミノルタプラネタリウム「銀河の輝き 天の川 宮沢和史とめぐる星空の旅」(2009年夏、歌とナレーション)
脚注
- ^ “元THE BOOM宮沢和史の長男・氷魚がデビュー 『MEN’S NON-NO』専属モデルに決定”. ORICON STYLE (2015年9月9日). 2015年9月9日閲覧。
- ^ 宮沢和史(THE BOOM)歌手活動休止のお知らせ 2013年11月7日
- ^ “元THE BOOM・宮沢和史、歌手活動休業へ!沖縄芸大で講師に”. SANSPO.COM (株式会社 産経デジタル). (2016年1月3日) 2016年1月3日閲覧。
- ^ a b c “夏川りみ、5年ぶりシングルに宮沢和史書き下ろしナンバー3曲”. 音楽ナタリー. (2016年11月9日) 2016年11月10日閲覧。
- ^ “新「ルパン三世」ED曲は石川さゆり×つんく×大野雄二”. 音楽ナタリー (2015年8月26日). 2015年8月26日閲覧。
外部リンク
- 公式ウェブサイト
- 宮沢和史 (@miyazawa_info) - X(旧Twitter)