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2016年11月12日 (土) 04:07時点における版
エリック・マーティン | |
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基本情報 | |
出生名 | Eric Lee Martin |
生誕 | 1960年10月10日(64歳) |
出身地 | アメリカ合衆国・ニューヨーク州 |
ジャンル |
ハードロック ヘヴィメタル |
職業 |
ボーカリスト シンガーソングライター 作曲家 |
担当楽器 |
ボーカル ギター ピアノ ベース ドラム |
活動期間 | 1978年 - 現在 |
共同作業者 |
MR.BIG Tak Matsumoto Group Eric Martin Band |
公式サイト | http://www.ericmartin.com/ |
エリック・マーティン(Eric Martin、1960年10月10日 - )は、ロックミュージシャン、ボーカリスト。MR.BIGのボーカリスト。
来歴
生い立ち
ニューヨーク州ロングアイランド生まれだが父親が軍人であったため、台湾、ワシントン、カンサスと移り住み、多感な少年期はヨーロッパで過ごした。イタリアに住んでいた頃にロックに触れ、ドラマー、またシンガーとしてカバー・バンド活動をしていた。ジャズ・ドラマーだった父の影響で、10代の頃はドラムをプレイしていた。ある日、バンドのシンガーよりも上手く歌える気がして歌ってみたところ、好評だったことからシンガーに転向したという。初めて観に行ったコンサートはアメリカ。2度目はクイーン。
- ERIC MARTIN BAND
エリックが15歳頃に一家はアメリカ・サクラメントに移住。サクラメントでのバンド活動から始め、やがてサンフランシスコの人気バンド「KID COURAGE」に加入した。この時、後に長きに渡りエリックのマネージャーを務めることになる、サンディ・アインシュタインと出会っている。サンディによれば、KID COURAGEに電話で応募してきたエリックは、声の印象で女の子かと思った、実際に会ったらチンピラのようだった、という[1]。しかし、「スター気取りで素行が悪い」という理由でKID COURAGEを解雇される。
一度ロサンゼルスに移った後にサンフランシスコへ戻り、「MILE HI」に加入し、バンド名を「415」(サンフランシスコの電話の市外局番が由来)と改め活動。このバンドもサンディが担当しており、ハービー・ハバート率いる「ナイトメア・マネージメント」に所属、エレクトラからデビューする際にマネージャーの提案でERIC MARTIN BANDと改名し、1983年に『SUCKER FOR A PRETTY FACE』を発表。
同1983年、日本のハードロックバンドEARTHSHAKERのサンフランシスコでのレコーディングに参加し、キーボードを弾いたが、アルバムには収録されなかった。この時、音楽評論家伊藤政則と対面している。以降、AC/DCの初めてのアメリカ・ツアーや、エディー・マネー、ZZトップ、NIGHT RANGERなどの前座を務めるなどの実績をつんだものの、エリックはバンドに向上心がないとして解散を選択する。
- ソロ
ERIC MARTIN BANDの解散後はVAN HALEN、ジャーニーなどの大物バンドへの加入が噂されたが、どれも実現しなかった。当時同じナイトメア・マネージメントに所属していたジャーニーのギタリスト、ニール・ショーンの支援を受け、共作・共演した「I Can't Stop The Fire」が映画「TEACHERS」のサントラに収録された(1984年)。同じくニールと共作したバラード「Just One Night」が評価されキャピトルとのソロ契約を獲得し、当時のトップ・セッション・ミュージシャン達を起用したAOR作品を制作した。1作目の『ERIC MARTIN』(1985年)は、ニールとの共作曲を核にテンションの高いアルバムに仕上がり、アメリカでゴールド・ディスクを獲得するヒットとなった。1986年公開の映画『アイアン・イーグル』で、飛行機が離陸し、美しい景観が広がった瞬間、パイロットがカセットのスイッチを入れると「Eyes Of The World」[2]が軽快に流れだす場面がある。
しかし2作目の『I'M ONLY FOOLING MYSELF』(1987年)はセールスが振るわず、曲作りに関わらせてもらえなかった事でも、エリックにとって大きな不満を残す作品となった。この頃キャピトルの体制が変わり、エリックとの契約を決めた人物がキャピトルを去ったことも重なってしまい、契約を打ち切られてしまう。
MR.BIG結成~解散
1986年頃、『ERIC MARTIN』収録の「Secrets In The Dark」と「Just One Night」に参加してもらった縁もあったギタリスト、スティーヴ・ルカサーを擁するTOTOのリハーサルに参加し、正式加入を希望したが、ジェフ・ポーカロの「まだ精神的に若すぎる」という反対により実現しなかった。ソロ活動にも行き詰まり、「こんなことを冗談で言うのはきつ過ぎるかもしれないけど、ゴールデン・ゲート・ブリッジから身を投げようと思ったことだって、なかったわけじゃない」[3]というほどの失意の日々を送る中、早弾きギタリストの発掘で知られる「Shrapnel」のマイク・ヴァーニーを通じて、ビリー・シーンと出会い、ポール・ギルバート、パット・トーピーと共にMr. Bigを結成。アトランティックと契約し、1989年にアルバム『MR.BIG』でデビュー。ブラック・フィーリング溢れる歌声はハード・ロック、ヘヴィ・メタル界で高く評価され、ユニセックスなキャラクターと共にとりわけ日本でアイドル的人気を獲得した。
MR.BIG結成後も断続的にソロ活動を行っており、LYNYRD SKYNYRDやサミー・ヘイガー、パンドラ (歌手)のアルバム、アメリカの特撮映画「パワーレンジャー・映画版」のサントラ、RUSHのトリビュート・アルバムなどに参加。EUROPE、SINNER、NOKKOへの楽曲提供、Jun Senoueが手がけたセガ(後のセガゲームス)のゲームソフトのサントラに参加など、多岐に渡る。かなりのゲーマーで、セガの「THE AMAZING SPIDERMAN」と「DAYTONA USA CIRCUIT EDITION」のサントラに参加している。1997年、女性ロックボーカリスト・須藤あきらのアルバム『UNITED STATE OF MIND』をプロデュース、デュエットシングル「The Face Of Love」も、国内で発売。1997年、アメリカのテレビドラマ『MAD ABOUT YOU』のサントラで、「I Love The Way You Love Me」を歌い、PVを制作。前妻のステイシーと仲良く街を歩くという内容だった。
MR.BIGが活動休止していた1998年には、11年ぶりのソロ名義アルバム『SOMEWHERE IN THE MIDDLE』を発表。同年秋に、かつてERIC MARTIN BANDで共に活動していたドラマー、トロイ・ルケッタ(現TESLA)を含むバンドを率いて初の単独来日公演を行った。また日本テレビ『THE 夜もヒッパレ!』に出演し、GLAYの「誘惑」をほぼ完璧な日本語で歌った。
活動休止やメンバー交代などの紆余曲折を経て、2002年2月にMR.BIGが解散。同時に、415時代からエリックのマネージャーを務めていたサンディ・アインシュタインと決別している。
2002年~現在
2002年、MR.BIG解散直後にソロ・アルバム『I'M GOIN' SANE』をポニーキャニオンから発表。日本のライターによって書かれた「Fly」がアサヒスーパードライのCMに起用され、日本のお茶の間に流れた。本作に伴う小規模の日本ツアーも行われた。同年に、「Sucker For A Pretty Face」(同名アルバム収録)や「Pictures」(『ERIC MARTIN』収録)などを取り上げたアコースティック・アルバム『PURE』を発表。
2003年、当時17歳のギター少年クリス・ウィルソンや、HAREM SCAREMのハリー・ヘス、NIGHT RANGER(当時)のジェフ・ワトソンをゲストに迎えたソロ・アルバム『DESTROY ALL MONSTERS』を発表。ポニーキャニオンからの作品発表は、本作が最後となった。
2004年、B'zのギタリスト、松本孝弘のTMG(Tak Matsumoto Group)にボーカルとして参加し、サマーソニック出演や日本武道館公演を含む、約一ヶ月に渡る日本ツアーが行われた。この時の日本武道館公演が、DVD『DODGE THE BULLET』として発売されている。
TMG後はしばらく育児に専念していた。2005年頃にFOREIGNERのミック・ジョーンズから連絡があり、FOREIGNERに加入してほしいと熱心に誘われたが、MR.BIGの復活の道を残しておきたい(そのために体を空けておきたい)、家族と過ごす時間を大切にしたい、といった理由で加入を断った[4]。 その後2006年頃から活動再開し、バンドを率いて南米、ヨーロッパ、オーストラリア、インドなど世界各地をツアーしており、リッチー・コッツェンとのジョイント・ツアーを行ったり、2007年2月に初ライブを行ったバンド「スクラップメタル」に参加するなどの活動を展開していた。
ライブ活動は活発であったものの新しい作品の発表が途絶えており、日本では表舞台から姿を消してしまったかのような印象であった。しかし2008年11月に、日本のソニーの企画によるJ-POPのカヴァー集『MR.VOCALIST』が発表され、日本の各メディアで話題となりオリコン洋楽チャート1位を獲得、折からのカヴァー・アルバム・ブームに乗り大ヒットとなった。本作のヒットを機に、ポニーキャニオン時代の3作品が紙ジャケット仕様のHQCDで再発された。 2009年3月には第二弾『MR.VOCALIST 2』(洋楽カヴァー)を発表、発売日にはTMG以来約5年ぶりの来日公演を渋谷duoで行った。観客は『MR.VOCALIST』を購入し、応募した人から抽選で250組500名が招待され、一夜限りとなったライブは同年6月にDVD『MR.VOCALIST - A SPECIAL NIGHT IN TOKYO - 』として発売された。2009年3月のライブで、絢香と彼女のデビュー曲「I Believe」をデュエットした。この時の映像は日本のニュース番組や音楽番組等で一部公開されたが、のちに発売されたDVDには収録されなかった。DVDの初回盤特典である同ライブのCDにも収録されていない。その理由は、絢香の事務所(研音)から収録しないで欲しい旨の要請があった(許可が下りなかった)ためである[4]。
2009年にはMR.BIGがオリジナル・メンバーで再結成し、東京のハードロックカフェで記者会見を行った。同年6月5日の札幌公演を皮切りに、オリジナルMR.BIGとしては1996年以来となる日本ツアーが行われた。
2015年7月には、ボックスCDプロモーションを兼ねて日本では初めてのアコースティック・ソロ・ツアーが行われた。そのために6月の下旬に来日したが成田空港でファンからのサイン攻めにあっているところをテレビ東京の『YOUは何しに日本へ』の取材を受けた。「歌ってください」という取材陣の要望に応じ、ファンらのコーラスとともに「To Be With You」のさわりを歌って見せた[5][6]。
私生活
私生活では1999年頃に最初の妻・ステイシーと離婚し、2002年に現在の妻・デニースと再婚。2004年に双子の息子達が生まれている。デニースは出産前はドラマーとしてエリックのバンドに参加していた。現在はエリックの個人マネージャーとして公私共に支えている。2000年に父、2009年に母を亡くしている。息子のディランとジェイコブに、水泳とテコンドーを習わせている。
長くサンフランシスコに住んでいたが、現在はサンラフェル在住。
ディスコグラフィ
アルバム
- Sucker For A Pretty Face (1983年)
- Eric Martin (1985年)
- I'm Only Fooling Myself (1987年)
- Soul Sessions-The Capitol Years (1996年)
- Somewhere In The Middle (1998年)
- I'm Goin' Sane (2002年)
- Pure (2002年)
- Destroy All Monsters (2003年)
- Mr. Vocalist (2008年)
- Mr. Vocalist 2 (2009年)
- Mr. Vocalist X'mas (2009年)
- Love Is Alive ~Works Of 1985-2010~ (2010年)
- Mr. Vocalist 3 (2010年)
- Mr. Rock Vocalist (2012年)
シングル
- THE FACE OF LOVE (1997年) - 須藤あきらとのコラボレート
- I Love The Way You Love Me (1997年)
- Fly On A Wall (1998年)
DVD
- Mr.Vocalist ~ A Special Night In Tokyo (2009年)
参加作品
- SIAM SHADE Tribute「LOVE」(2010年)
その他
- TAK MATSUMOTO GROUP 「TMG I」 (2004年)
- Jun Senoue The Works (2009年)
関連項目
参考文献
- 『ERIC MARTIN』日本盤解説(大野奈鷹美 著)
- BURRN! インタビュー
- METALLION Vol.15 ディスコグラフィー
- IN ROCK インタビュー
- 炎 インタビュー
エピソード
この節に雑多な内容が羅列されています。 |
- スポーツ観戦が好き。サンフランシスコの49ersとGIANTSのファンであると公言している。
- 2009年に入り、YouTubeで、415やERIC MARTIN BAND時代の貴重な音源と映像が、続々とアップロードされている。
- 2009年3月に『MR.VOCALIST 2』のプロモーションで日本に滞在し、大阪の毎日放送を訪れた際に、お笑いコンビ・アメリカザリガニの平井善之に自ら声をかけ、元プロ野球選手である板東英二がどういう人か訊いた、というエピソードが平井のブログに掲載された。同局で番組収録していた板東英二を発見し、板東にサインを貰っていたとのこと。その後のインタビューで、理由を尋ねると「もちろん、板東さんが偉大なプロ野球選手だったことも、その後、俳優、タレントとして活躍しているのも知っているよ」と答えた。
- 日本各地のラジオ局に出演した際などに、海に面した都市だとサンフランシスコに似ている、と話す傾向がある。さらに、横浜のように野球チームを持っていると、より親近感がわくようである。
- インタビューでの口癖は「This is ironic(これは皮肉なんだけど)」。
- 前妻ステイシーと暮らしていた時は、LULUという犬を飼っていた。現在は、猫を飼っている。
- 爪を噛む癖があり、深爪なため、指をアップで写されると「きれいな爪じゃないからあまり写さないで」と言う。