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2016年11月13日 (日) 03:16時点における版
下地 幹郎 しもじ みきお | |
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生年月日 | 1961年8月14日(63歳) |
出生地 | 沖縄県平良市(現宮古島市) |
出身校 | 中央学院大学商学部商学科卒業 |
前職 | 大米建設従業員 |
所属政党 |
(自由民主党(橋本派)→) (無所属→) (政党そうぞう→) (国民新党・政党そうぞう→) (政党そうぞう→) (無所属→) (維新の党→) (おおさか維新の会→) 日本維新の会 |
称号 | 商学士 |
親族 | 父・下地米一(元平良市長) |
公式サイト | 下地ミキオ オフィシャルサイト |
内閣 | 野田第3次改造内閣 |
在任期間 | 2012年10月1日 - 2012年12月26日 |
選挙区 |
(比例九州ブロック→) (沖縄1区→) 比例九州ブロック |
当選回数 | 5回 |
在任期間 |
1996年10月21日 - 2003年10月10日 2005年9月12日 - 2012年11月16日 2014年12月14日 - 現職 |
下地 幹郎(しもじ みきお、1961年8月14日 - )は、日本の政治家。日本維新の会所属の衆議院議員(5期)。日本維新の会国会議員団政務調査会長。
内閣府特命担当大臣(防災)・郵政民営化担当大臣(野田第3次改造内閣)、国民新党代表代行・幹事長(第3代)・国会対策委員長(第3代)・政務調査会長(第3代)、政党そうぞう代表、経済産業大臣政務官(第1次小泉内閣)等を歴任。
来歴
沖縄県平良市(現宮古島市)生まれ。沖縄県立宮古高等学校、中央学院大学商学部商学科卒業。大学卒業後、父が創業した大米建設に勤務する[要出典]。
1996年、第41回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で沖縄1区から出馬し、選挙区では新進党(旧公明党系)の白保台一、日本共産党の古堅実吉の後塵を拝したが、重複立候補していた比例九州ブロックで復活し、初当選した。当選後、平成研究会に入会[要出典]。小渕内閣で沖縄開発政務次官に任命され、小渕第1次改造内閣まで務める。
2000年の第42回衆議院議員総選挙では、自公の選挙協力により党総務局長の鈴木から比例単独での出馬を求められ[要出典]、比例九州ブロックから出馬し再選。沖縄1区では、公明党から出馬した白保が当選した。2002年、第1次小泉内閣で経済産業大臣政務官に任命される。2003年の第43回衆議院議員総選挙では自公間の選挙協力が不調に終わり[要出典]、自民党に党籍を残したまま沖縄1区から無所属で出馬したが、自民党・保守新党が推薦する公明党の白保に敗れ、落選。その後普天間飛行場の移設をめぐり、自民党が推し進める名護市辺野古への移設に反対して嘉手納飛行場への統合案を提唱したため、考え方の相違により[要出典]自民党を離党する。2005年の第44回衆議院議員総選挙では民主党の推薦を受け、沖縄1区から無所属で出馬。公明党の白保を破り5年ぶりに国政に復帰した。同年12月、政党そうぞうを設立し、代表に就任。
2007年5月、衆議院の院内会派「国民新党・無所属の会」に入会[要出典]。下地の入会により[要出典]、会派の名称が「国民新党・そうぞう・無所属の会」に改められた。翌2008年8月、そうぞう代表を沖縄県議会議員の當間盛夫に譲り、顧問に就任。9月にそうぞうを離党し、国民新党に入党。党政策審議会長代行に就任した。2009年9月、政策審議会長であった自見庄三郎の党幹事長就任に伴い、政策審議会長(後に政務調査会長に改称)に就任。また糸川正晃の離党(民主党入党)に伴い、国会対策委員長も兼務する。2010年2月、同年7月の第22回参議院議員通常選挙に向け党選挙対策本部長に就任し、政調会長を辞任した(後任は森田高参議院議員)。2010年6月、自見幹事長の菅内閣への入閣に伴い、後任の国民新党幹事長に就任。
2012年、国民新党代表の亀井静香が消費税増税関連法案の閣議決定に反対して連立政権から離脱を表明したが、野田内閣の一員であった自見庄三郎や下地ら6人は連立離脱に反対。亀井静香、亀井亜紀子政調会長を除く党所属議員6人で議員総会を開き、亀井静香、亀井亜紀子を党役職から解任[1]。党幹事長であった下地が民主党幹事長の輿石東に対し、国民新党が引き続き与党に残留する意向を表明した。2012年4月、国民新党代表代行も兼務する。同年8月11日、沖縄県那覇市で記者会見を開き、政党そうぞう代表への就任を発表した。一方、次期衆議院議員総選挙には引き続き国民新党公認で立候補する考えを表明[2]。同年10月1日、野田第3次改造内閣で内閣府特命担当大臣(防災)及び郵政民営化担当大臣に任命され、国民新党幹事長のまま初入閣した。同年12月の第46回衆議院議員総選挙では、沖縄1区で自民党新人の國場幸之助に敗れ、比例復活もならず落選した。2013年2月22日、自民党復党を模索する自見庄三郎代表の方針に反対し、国民新党を離党[3]。
2014年6月28日、那覇市内のホテルで支持者2千人を集めた会合を開き、同年11月の沖縄県知事選挙への出馬を検討していることが報じられた[4]。
同年7月25日、政党そうぞうの拡大役員会で代表を辞任、離党したうえで無所属で沖縄県知事選挙へ出馬する方針を表明、受理され、31日正式に出馬発表を行った。そうぞうの党運営については、当面の間代表代行の當間盛夫が代表を務める[5]。投開票の結果、得票数3位で落選した。
2014年12月14日に行われる第47回衆議院議員総選挙では、政党そうぞうや維新の党沖縄県総支部から出馬要請を受け、維新の党公認で沖縄1区から出馬 [6] [7]。赤嶺、國場の後塵を拝したが、比例九州ブロックで復活した。なお、同選挙で沖縄県内の4つの小選挙区で立候補した候補者は9人全員が当選した。
2015年の維新の党の分裂騒動では大阪側議員に同調し、維新の党を離党し新党おおさか維新の会を結成。下地は国会議員団政調会長に就任した[8]。
発言
- 2010年3月1日の衆議院予算委員会の質疑において、普天間飛行場の移設先について鳩山由紀夫首相が5月末までに移設候補地を決定できない場合、議員辞職する意向を表明し、問題の解決を訴えた[9]。
- 2010年10月20日、外務大臣前原誠司が同月27日の日米外相会談の席上、アメリカ合衆国国務長官ヒラリー・クリントンに対し、尖閣諸島が日米安全保障条約第5条の適用対象であるかを確認したこと(クリントンは適用の対象であると発言)などを理由に中国が日中首脳会談を拒否したこと[10]について、「日中関係に日米関係を持ち込むからおかしくなる」「前原氏はもう外相を辞めた方がいいのではないか」などと発言した[11]。
政策・主張
- 第169回国会に提出された「青少年健全育成のための有害図書類・有害情報規制に関する法整備を求めることに関する請願」の紹介議員に名を連ねた[12]。
- 日本国憲法の改正、集団的自衛権の行使を禁じる内閣法制局の憲法解釈の見直しに賛成[13]。
- 選択的夫婦別姓制度導入に反対[14][15]。一方、2016年の西日本新聞による調査では、「国民的議論が必要。憲法裁判所が必要」としている[16]。
政治資金
- 2014年の衆議院選挙前に、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の同県名護市辺野古への移設工事を受注した業者が下地に対し寄付を行っていたと報じられている[17]。国と契約を結ぶ業者からの国政選挙に関する寄付は、公職選挙法で禁止(特定寄付の禁止)されている[17]。
著書
- 『ひとり立ちしよう日本人―行動派新代議士日本を語る』下地ミキオ後援会事務所、1999年9月、ISBN 4900374237
- 『琉球の心で真っ向勝負―新嘉手納統合プランの真実』日本法制学会、2003年7月、ISBN 4931147259
- 『主役は沖縄 沖縄が決める』下地ミキオ後援会、2006年11月、ISBN 4900374717
- 『解決 --沖縄のミッション 米軍基地過重負担の漸進的軽減』日本評論社 、2012年4月、ISBN 4535586268
- 『サトウキビ畑から来た大臣 : 郵政と沖縄をめぐる連立政権の三年三か月』日本評論社 、2014年10月、ISBN 4535586616
人物
所属団体・議員連盟
脚注
- ^ 亀井代表を解任 国民新党議員総会 今後は下地氏ら6人で与党活動産経ニュース 2012年4月5日
- ^ 下地氏、そうぞう代表に復帰”. 時事ドットコム (2012年8月11日). 2012年8月12日閲覧。 “
- ^ “国民新・下地氏が離党届”. 日本経済新聞 (2013年2月22日). 2014年6月29日閲覧。
- ^ “下地幹郎氏、沖縄県知事選出馬検討認める”. 沖縄タイムス (2014年6月29日). 2014年6月29日閲覧。
- ^ “下地氏そうぞう離党 無所属で知事選出馬意欲”. 沖縄タイムス (2014年7月26日). 2014年8月1日閲覧。
- ^ “下地氏、衆院選出馬表明へ 維新公認見通し”. 沖縄タイムス. (2014年11月23日) 2014年12月2日閲覧。
- ^ 第47回衆議院議員総選挙第2次公認候補予定者発表のお知らせ | ニュース|活動情報|維新の党
- ^ “おおさか維新国会議員団代表に片山氏正式決定 江口氏入党で衆参20人に”. 産経新聞. (2015年12月25日) 2015年12月25日閲覧。
- ^ 2010年3月1日衆議院予算委員会議事録2010年3月1日 国会会議録検索システム
- ^ 日中首脳会談:中国側 「日本側が雰囲気壊した」と拒否 毎日新聞 2010年10月29日
- ^ 国民新・下地幹事長「前原氏は外相辞めた方がいい」産経新聞 2010年10月30日
- ^ [1]
- ^ 2012衆院選 沖縄1区 下地 幹郎
- ^ 朝日新聞、2014年衆院選、朝日・東大谷口研究室共同調査、2014年。
- ^ 第177回国会 - 衆議院 - 予算委員会 - 11号 平成23年02月15日
- ^ 「<憲法特集>九州・沖縄の国会議員アンケート(3)主なテーマ」、西日本新聞、2016年4月30日。
- ^ a b 「辺野古受注業者が寄付 衆院選前、沖縄6議員に90万円」、朝日新聞、2015年12月4日。
- ^ “宮古出身初の大臣/下地幹郎氏”. 宮古毎日新聞 (2012年10月2日). 2016年3月11日閲覧。
- ^ a b 俵義文、日本会議の全貌、花伝社、2016年
関連項目
外部リンク
- 下地ミキオ オフィシャルサイト
- 下地幹郎 (@mikioshimoji) - X(旧Twitter)
- 下地幹郎 (ShimojiMikio) - Facebook
- 新しい政治の流れを沖縄から!〜政治団体そうぞう〜
党職 | ||
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先代 (結成) |
おおさか維新の会→日本維新の会 国会議員団政務調査会長 初代:2015年 - |
次代 (現職) |
先代 (創設) 當間盛夫 |
政党そうぞう代表 初代:2005年 - 2008年 第3代:2012年 - 2014年 |
次代 當間盛夫 當間盛夫 |
先代 自見庄三郎 |
国民新党幹事長 第3代:2010年 - 2012年 |
次代 浜田和幸 |
先代 自見庄三郎 |
国民新党政務調査会長 第3代:2009年 - 2010年 |
次代 森田高 |
先代 糸川正晃 |
国民新党国会対策委員長 第3代:2009年 - 2012年 |
次代 中島正純 |
公職 | ||
先代 中川正春 |
特命担当大臣(防災) 第19代:2012年 |
次代 古屋圭司 |
先代 大村秀章・西川太一郎 |
経済産業大臣政務官 西川玲子(松あきら)と共同 2002年 |
次代 櫻田義孝・西川公也 |