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2016年11月13日 (日) 03:33時点における版
衆議院議員 村岡 敏英 | |
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生年月日 | 1960年7月25日(64歳) |
出身地 | 秋田県本荘市(現由利本荘市) |
出身校 | 日本大学商学部 |
学位・資格 | 商学士(日本大学・1983年) |
前職 | 安田信託銀行(現みずほ信託銀行)従業員 |
所属委員会 |
農林水産委員会(理事) 地方創生に関する特別委員会 |
世襲 |
2世 父・村岡兼造(元衆議院議員) |
選出選挙区 | 比例東北ブロック(秋田3区) |
当選回数 | 2回 |
所属党派 |
(無所属→) (自由民主党→) (無所属→) (たちあがれ日本→) (太陽の党→) (日本維新の会→) (維新の党→) (無所属→) (改革結集の会→) 民進党 |
党役職 | 副幹事長 |
会館部屋番号 | 衆議院第1議員会館807号室 |
ウェブサイト | 村岡としひで 公式サイト |
村岡 敏英(むらおか としひで、1960年7月25日 - )は、日本の政治家。民進党所属の衆議院議員(2期)、民進党副幹事長。
来歴
秋田県本荘市(現由利本荘市)生まれ。日本大学鶴ヶ丘高等学校、日本大学商学部卒業。大学卒業後、安田信託銀行(現みずほ信託銀行)に入社[1]。1989年、父・村岡兼造衆議院議員の事務所に入所。翌年、兼造が第2次海部改造内閣で運輸大臣に任命され、政務秘書官を務める。1997年に第2次橋本改造内閣で兼造が内閣官房長官に任命された際も政務秘書官を務めた[2]。
2003年、兼造が秋田3区で無所属の御法川信英に敗れ、政界引退を表明。翌2004年、村岡敏英事務所を開設し、2005年の第44回衆議院議員総選挙に秋田3区から無所属で出馬したが、院内会派「グループ改革」を経て前年に自由民主党に入党した御法川に敗れ、落選した。2007年、自民党に入党を希望し、自民党秋田県連は次期衆議院議員総選挙でコスタリカ方式により村岡を秋田3区、御法川を比例東北ブロックで公認するよう党本部に要請したが、調整は不調に終わり、村岡は自民党の公認を受けられなかった[要出典]。そのため2009年の第45回衆議院議員総選挙には無所属(平沼グループ)で出馬したが、秋田3区で民主党の京野公子、自民党の御法川の後塵を拝し、得票数3位で再び落選した。2010年、第22回参議院議員通常選挙にたちあがれ日本公認で比例区から出馬したが落選。その後太陽の党を経て、日本維新の会に合流した。
2012年、第46回衆議院議員総選挙に日本維新の会公認で秋田3区から出馬。小選挙区では御法川に敗れたが、重複立候補していた比例東北ブロックで復活し初当選[3]。2014年7月、日本維新の会の分党に際しては、村岡はかつては平沼グループや、平沼が党首を務めたたちあがれ日本に所属していたが、平沼や石原慎太郎、園田博之ら旧たちあがれ日本の所属議員らが中心の新党結成を目指すグループ(後の次世代の党)ではなく、橋下徹大阪市長による新党結成を目指すグループに参加[4]。同年9月、結いの党・日本維新の会の合流により維新の党の結党に参加。同年12月の第47回衆議院議員総選挙に維新の党公認で秋田3区から出馬し、秋田3区では再び自民党の御法川に敗れたが、前回よりも票差を縮め、重複立候補していた比例東北ブロックで再び復活し、再選。
2015年10月22日、小熊慎司、重徳和彦、小沢鋭仁らと共に維新の党を離党し[5]、10月27日に離党が了承された[6][7]。11月18日、先の3名と日本を元気にする会の山田太郎とで政治団体「草莽の会」の結成を総務省に届け出た[8]。12月21日、小沢鋭仁が加わったことにより政党要件を満たし、政党「改革結集の会」を設立[9]。代表に就任した[10]。
2016年3月27日、改革結集の会の解散に伴い、民進党に合流した[11]。
政策・主張
- 日本国憲法の改正、統治機構の見直し、環境権の創設など時代に則した憲法改正に賛成[12]。
- 日本の核武装について「将来にわたって検討すべきでない」としている[12]。
- 女性宮家の創設に賛成[12]。
- 選択的夫婦別姓制度導入に「どちらかと言えば反対」[13]
所属議員連盟
人物
著書
- 村岡敏英『STAFF 秘書が見た日本政治の十六年』扶桑社、2004年、306頁。ISBN 978-4594048358。
その他
かつて、たちあがれ日本(太陽の党)に所属していた議員で、現在民進党に所属しているのは村岡と升田世喜男のみである。
出演番組
- FM秋田「What the Number?」
脚注
- ^ こまち新幹線で東京へGO! - 村岡敏英 秋田 Thanks Diary(3区ダイアリー)
- ^ 村岡としひで 公式サイト - プロフィール
- ^ 国政挑戦4度、比例で復活 村岡さん(秋田魁新報、2012年12月17日)
- ^ “日本維新の会分党 「石原新党」に23人”. ハフィントンポスト. (2014年6月6日) 2015年4月26日閲覧。
- ^ 維新、中間派4人が離党届 下地氏らは橋下新党参加へ
- ^ “小熊慎司氏ら維新離党届「原点に返り政治を」”. 福島民友新聞. (2015年10月23日) 2015年12月27日閲覧。
- ^ “維新、中間派4人が離党届 下地氏らは橋下新党参加へ”. 東京新聞. (2015年10月22日) 2015年11月5日閲覧。
- ^ “維新離党組が政治団体”. 朝日新聞. (2015年11月19日) 2016年3月29日閲覧。
- ^ 小沢元環境相らが新党結成 改革結集の会NHK2015年12月21日閲覧
- ^ 村岡敏英氏、新党代表就任へ 21日届け出秋田魁新報2015年12月21日閲覧
- ^ 民進党 議員一覧民進党2016年3月28日閲覧
- ^ a b c “2012衆院選 秋田3区 村岡敏英”. 毎日jp (毎日新聞社) 2014年5月3日閲覧。
- ^ 朝日新聞、2014年衆院選、朝日・東大谷口研究室共同調査
- ^ a b 俵義文、日本会議の全貌、花伝社、2016年
- ^ 公式ページ
外部リンク
- 村岡としひで 公式サイト
- 村岡敏英 秋田 Thanks Diary(3区'Sダイアリー)
- 村岡敏英 (@Muraoka_Toshi) - X(旧Twitter)
党職 | ||
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先代 結成 |
改革結集の会代表 初代:2015年 - 2016年 |
次代 民進党へ合流 |