「マルグレーテ2世 (デンマーク女王)」の版間の差分
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CommonsDelinker (会話 | 投稿記録) 「Royal_coat_of_arms_of_Denmark.svg」 を 「Royal_coat_of_arms_of_Denmark_(1972-2024).svg」 に差し替え(CommonsDelinkerによる。理由:File renamed: The coat of arms was replaced on December 20, 2024) |
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{{基礎情報 君主 |
{{基礎情報 君主 |
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|人名=マルグレーテ2世 |
| 人名 = マルグレーテ2世 |
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|各国語表記={{ |
| 各国語表記 = {{lang|da|Margrethe II}} |
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|君主号=[[デンマーク |
| 君主号 = [[デンマーク君主一覧|デンマーク女王]] |
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|画像=Drottning Margrethe av Danmark.jpg |
| 画像 = Drottning Margrethe av Danmark.jpg |
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| 画像サイズ = 206px |
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|画像説明= |
| 画像説明 = 2012年 |
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|在位=[[1972年]][[1月14日]] – [[ |
| 在位 = [[1972年]][[1月14日]] – [[2024年]][[1月14日]] |
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| 空欄表題 = 即位宣言式 |
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|戴冠日= |
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| 空欄記載 = 1972年[[1月15日]] |
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|別号= |
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| 別号 = |
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|全名={{Lang|da|Margrethe Alexandrine Þórhildur Ingrid}}<br />マルグレーテ・アレクサンドリーネ・トーヒルドゥア・イングリッド |
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| 政府首脳官職 = [[デンマークの首相|首相]] |
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|出生日={{生年月日と年齢|1940|4|16}} |
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| 政府首脳人物 = {{Collapsible list |
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|生地={{DEN}}、[[コペンハーゲン]]、[[アマリエンボー宮殿]] |
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|title=[[デンマークの首相# (1918年-現在) |一覧参照]] |
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|死亡日= |
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|{{plainlist| |
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|没地= |
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*イェンス・オト・クラーウ |
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|埋葬日= |
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*アンガ・ヤアアンスン |
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|埋葬地= |
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*ポウル・ハートリング |
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|配偶者1=[[ヘンリク (デンマーク王配)|アンリ・ド・ラボルド・ド・モンペザ]] |
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*ポウル・スリュダ |
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|子女=[[フレデリク (デンマーク王太子)|フレゼリク]]<br />[[ヨアキム (デンマーク王子)|ヨアキム]] |
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*ポウル・ニューロプ・ラスムスン |
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|王家=[[グリュックスブルク家|リュクスボー家]] |
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*[[アナス・フォー・ラスムセン]] |
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|王朝= |
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*[[ラース・ロッケ・ラスムセン]] |
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|父親=[[フレゼリク9世 (デンマーク王)|フレゼリク9世]] |
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*[[ヘレ・トーニング=シュミット]] |
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|母親=[[イングリッド・アヴ・スヴェーリエ|イングリッド・ア・スヴェーリエ]] |
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*[[メッテ・フレデリクセン]] |
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|宗教=[[キリスト教]][[デンマーク国教会]] |
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}} |
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|サイン= |
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}} |
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| 全名 = {{lang|da|Margrethe Alexandrine Þórhildur Ingrid}}<br/>マルグレーテ・アレクサンドリーネ・トーヒルドゥア・イングリッド |
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| 出生日 = {{birth date and age|1940|4|16|df=y}} |
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| 生地 = {{flagicon|DEN}} {{仮リンク|第二次世界大戦下のデンマーク|label=デンマーク被占領期|en|Denmark in World War II}}<br>[[コペンハーゲン]]<br>[[アマリエンボー宮殿]] |
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| 死亡日 = |
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| 没地 = |
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| 埋葬日 = |
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| 埋葬地 = |
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| 継承者 = [[フレデリック10世 (デンマーク王)|フレデリック]] |
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| 継承形式 = [[皇太子]]<ref name=mofa>[https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/denmark/visit/1106.html デンマーク・フレデリック皇太子殿下の来日について] [[日本国外務省]](2011年6月17日)2024年1月6日閲覧</ref><ref name=読売20240103/> |
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| 配偶者1 = {{marriage|[[ヘンリック (デンマーク王配)|アンリ・ド・ラボルド・ド・モンペザ]]|10 June 1967|13 February 2018|end=d.}} |
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| 子女 = [[フレデリック10世 (デンマーク王)|フレゼリク10世]]<br/>[[ヨアキム (デンマーク王子)|ヨアキム王子]] |
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| 家名 = [[グリュックスブルク家|リュクスボー家]] |
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| 王朝 = |
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| 王室歌 = |
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| 父親 = [[フレゼリク9世 (デンマーク王)|フレゼリク9世]] |
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| 母親 = [[イングリッド・アヴ・スヴェーリエ]] |
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| 宗教 = [[キリスト教]][[デンマーク国教会]] |
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| サイン = Margrethe II - signature.svg |
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}} |
}} |
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{{commons&cat|Dronning Margrethe II|Margrethe II of Denmark|マルグレーテ2世}} |
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{{Danish Royal Family}} |
{{Danish Royal Family}} |
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'''マルグレーテ2世'''({{Lang-da|'''Margrethe |
'''マルグレーテ2世'''({{Lang-da|'''Margrethe II'''}}、[[1940年]][[4月16日]] - )は、[[デンマーク]][[デンマーク君主一覧|女王]](在位:[[1972年]][[1月14日]] - [[2024年]][[1月14日]])。全名は、'''マルグレーテ・アレクサンドリーネ・トーヒルドゥア・イングリッド'''({{lang|da|'''Margrethe Alexandrine Þórhildur Ingrid'''}})。 |
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前国王[[フレゼリク9世 (デンマーク王)|フレゼリク9世]]の第一王女(第1子)、母は[[スウェーデン]]王女の[[イングリッド・アヴ・スヴェーリエ|イングリッド]]王妃。出生時点では[[王位継承権]]はなかったが、法改正により継承権を得て、父王の[[崩御]]に伴い1972年に即位した。 |
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妹が2人おり、末妹の[[アンナ=マリア (ギリシャ王妃)|アンネ=マリーエ]]は元[[ギリシャ王国|ギリシャ]]国王[[コンスタンティノス2世 (ギリシャ王)|コンスタンティノス2世]]の妃である。 |
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在位52年となる2024年1月14日に皇太子[[フレデリック10世 (デンマーク王)|フレデリック]]へ[[譲位]]することを、2023年12月31日に放映されたテレビ談話で国民に表明した<ref name=読売20240103>「[https://www.yomiuri.co.jp/world/20240102-OYT1T50125/ デンマーク女王退位へ]」『[[読売新聞]]』朝刊2024年1月3日(国際面)2024年1月7日閲覧</ref>。 |
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== 経歴 == |
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2024年1月14日に、[[クリスチャンスボー城]]での王位継承式で退位文書に署名し、{{ill2|マルグレーテ2世の退位|en|Abdication of Margrethe II|label=退位}}した<ref>{{Cite web |url=https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-67978050 |title=【解説】北欧王室の世代交代が始まるのか デンマークのマルグレーテ女王が退位 |access-date=2024-01-18 |website=BBCニュース |language=ja}}</ref>。 |
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[[ナチス・ドイツ]]のデンマーク侵攻からわずか一週間後、当時王太子だった[[フレゼリク9世 (デンマーク王)|フレゼリク9世]]の長女として[[アマリエンボー宮殿]]で誕生した。母は[[スウェーデン]]王女[[イングリッド・アヴ・スヴェーリエ|イングリッド]]。当時王位継承は男子のみであったデンマークでは、王太子の娘たちには王位継承権はなかった。 |
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[[2022年]][[9月8日]]、[[イギリス|英国]]・[[英連邦王国]]の[[エリザベス2世]]が崩御した時点で世界で唯一の女性君主([[女王]])であったため、退位後は女性君主が不在となった。また[[1826年]]に即位した[[ポルトガル王国]]の[[マリア2世 (ポルトガル女王)|マリア2世]]以降198年ぶりにヨーロッパから女性君主がいなくなった。 |
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しかし、フレゼリクとイングリッドの間には、女子3人が誕生したものの男子は授からなかった。この時点では、フレゼリクの弟[[クヌーズ (デンマーク王子)|クヌーズ]]王子とその息子たちに王位継承がなされるはずであったが、クヌーズ王子よりもフレゼリクと娘たちの国民的人気が非常に高かったことから、フレゼリクに男子ができる事が望み薄になるにつれて、王位継承の変更を求める国民の声が高まった。これに後押しされる形で、[[1953年]]に行なわれた[[デンマーク王国憲法]]と王位継承法の改定により、男子優先ながら、男子のいない場合には女子にも継承権が認められ、弟のいないマルグレーテは13歳で[[推定相続人]]となった。 |
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妹が2人おり、末妹の[[アンナ=マリア (ギリシャ王妃)|アンネ=マリー]]は元[[ギリシャ王国|ギリシャ]]国王[[コンスタンティノス2世 (ギリシャ王)|コンスタンティノス2世]]の王妃である。また、[[スウェーデン君主一覧|スウェーデン国王]][[カール16世グスタフ (スウェーデン王)|カール16世グスタフ]]は母方の[[いとこ|従弟]]に、[[ノルウェー君主一覧|ノルウェー国王]][[ハーラル5世 (ノルウェー王)|ハーラル5世]]やベルギー王[[ボードゥアン1世 (ベルギー王)|ボードゥアン1世]]・[[アルベール2世 (ベルギー王)|アルベール2世]]・ルクセンブルク大公妃[[ジョゼフィーヌ=シャルロット・ド・ベルジック|ジョゼフィーヌ=シャルロット]]の三姉弟は、ともに又いとこ([[はとこ]])にあたる。 |
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[[1958年]][[4月16日]]、国家評議会の議席を与えられた。父王の不在時には議長を務めた。 |
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== 略歴 == |
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[[ケンブリッジ大学]]、[[パリ大学]](ソルボンヌ)、[[ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス]]で学んだ。 オーフス大学 ([[:da:Aarhus Universitet|Aarhus Universitet]]) にも在籍した。 |
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[[File:Het Deense Koninklijk gezin in hun woning in paleis Brockdorff in Slot Amalienbo, Bestanddeelnr 252-8597.jpg|thumb|200px|left|1954年撮影、[[フレゼリク9世 (デンマーク王)|フレゼリク9世]]一家(一番左がマルグレーテ王女)]] |
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=== 生い立ち === |
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[[第二次世界大戦]]初期の[[ナチス・ドイツ]]による[[ヴェーザー演習作戦#デンマーク侵攻|デンマーク侵攻]]からわずか一週間後の[[1940年]][[4月16日]]、[[フレゼリク9世 (デンマーク王)|フレゼリク王太子]]の長女(第1子)として[[アマリエンボー宮殿]]で誕生した。母は[[スウェーデン]]王女[[イングリッド・アヴ・スヴェーリエ|イングリッド]]。 |
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全名は、マルグレーテ・アレクサンドリーネ・トーヒルドゥア・イングリッド({{lang|da|Margrethe Alexandrine Torhildur Ingrid}})。名前は、母方の祖母[[マーガレット・オブ・コノート]]にちなんで名づけられ、祖母の愛称デイジー({{lang|en|Daisy}})も受け継いだ<ref>{{Cite web | url=https://www.alt.dk/emner/dronning-margrethe | title=Dronning Margrethe - alt om Danmarks dronning | accessdate=21. maj 2019 | work=alt.dk | publisher=[[:en:Egmont Publishing]]}}</ref><ref>{{Cite news | url=https://www.bt.dk/royale/ny-bog-om-margrethe-med-udslaaet-haar-saadan-er-daisy | title=Ny bog om Margrethe med udslået hår: Sådan er Daisy | date=9. maj 2013 | accessdate=21. maj 2019 | work=[[:en:B.T.]]}}</ref>。ミドルネームの{{lang|de|Alexandrine}}は、父方祖母[[アレクサンドリーネ・ツー・メクレンブルク=シュヴェリーン|アレクサンドリーネ]]から、{{lang|sv|Ingrid}}は、母イングリッドにちなむ。誕生時に[[クリスチャン10世 (デンマーク王)|デンマーク国王であった祖父のクリスチャン10世]]は[[アイスランド王国|アイスランド王]]も兼ねていたため、[[アイスランド語]]の文字[[Þ]]を含むアイスランド語の名前{{lang|is|Þórhildur}}(トーヒルドゥア)も付けられた<ref>[http://select.nytimes.com/gst/abstract.html?res=F10C14F83D591A7493C6A8178AD95F458785F9&scp=1&sq=akihito%20%20and%20Windsor&st=cse "Those Apprentice Kings and Queens Who May -- One Day -- Ascend a Throne,"] ''New York Times.'' 14 November 1971.</ref>。 |
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[[1967年]][[6月10日]]、[[フランス]]の伯爵家の出身で外交官の[[ヘンリク (デンマーク王配)|アンリ・マリ・ジャン・アンドレ・ド・ラボルドゥ・ド・モンペザ]](Henri Marie Jean André de Laborde de Monpezat)と結婚。結婚に際し、アンリには「ヘンリク王子」の名と称号が与えられた。披露宴は[[フレゼンスボー城]]で行なわれた。 |
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誕生当時、デンマークは女性の王位継承権を認めていなかったため、マルグレーテは決して将来の王位継承者として養育される事はなかった。 |
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1972年、父王の死去に伴い女王に即位した。以降[[国家元首]]として公務に取り組む。デンマークでは初の女王であり、実質的な女王であった摂政[[マルグレーテ1世]]からでも560年ぶりである。また、[[クリスチャン2世 (デンマーク王)|クリスチャン2世]]以来デンマーク王の名前は[[クリスチャン (人名)|クリスチャン]]か[[フレゼリク]]であり、これら以外の名前の王は459年ぶりとなる。 |
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[[1950年]][[5月14日]]、首都[[コペンハーゲン]]のホルメン教会で[[キリスト教]]の[[洗礼]]を受けた。[[代父母|代父]]となったのは、父方祖父のクリスチャン10世、父方叔父[[クヌーズ (デンマーク王子)|クヌーズ王子]]、デンマーク王族の[[アクセル (デンマーク王子)|アクセル王子]]、母方曽祖父であるスウェーデン王[[グスタフ5世 (スウェーデン王)|グスタフ5世]]、母方祖父である[[グスタフ6世アドルフ (スウェーデン王)|グスタフ・アドルフ王太子]]、母方伯父である[[グスタフ・アドルフ (ヴェステルボッテン公)|ヴェステルボッテン公グスタフ・アドルフ]]、母方曽祖父[[アーサー (コノート公)|コノート公アーサー]]であった。 |
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== 人物 == |
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* [[デンマーク語]]を母語とするが、[[フランス語]]・[[スウェーデン語]]・[[英語]]・[[ドイツ語]]も堪能である。 |
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* 身長180cmの長身で、[[柔道]]の心得がある。美人で才能豊か、気さくな人柄で国民に絶対的な人気がある。海外のメディア(テレビ、新聞を問わず)へのインタビューも国家元首という立場でありながら気さくに応じている。 |
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* 愛煙家である、[[コペンハーゲン]]市内の書店で立ち読みしていた、訪問先の[[フェロー諸島]]で民俗舞踊の輪に飛び入りで加わった、などのエピソードがある。また服飾デザイナーとしての顔も合わせ持つ。 |
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=== 推定相続人に === |
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フレゼリク9世とイングリッドの間には、女子3人が誕生したものの男子は授からなかった。この時点では、フレゼリクの弟[[クヌーズ (デンマーク王子)|クヌーズ王子]]とその息子たちに王位継承がなされるはずであったが、大戦中に[[ナチス]]寄りだったクヌーズ王子より、フレゼリク9世国王とその娘たちの国民的人気が非常に高かったことから、フレゼリクに男子が授かる事が望み薄になるにつれて、王位継承の変更を求める国民の声が高まった。これに後押しされる形で、[[1953年]]に行なわれた[[デンマーク王国憲法]]と王位継承法の改定により、男子優先ながら、男子が不在の場合には女子に王位継承権が認められ、弟のいないマルグレーテは13歳で[[推定相続人]]となった。 |
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; [[フレデリク (デンマーク王太子)|フレゼリク王太子]] |
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:[[2004年]]5月、[[オーストラリア]]の[[タスマニア州]]出身の[[メアリー (デンマーク王太子妃)|メアリー・ドナルドソン]]と結婚した。 |
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[[1958年]][[4月16日]]、18歳となり国家評議会の議席を与えられた。父王の不在時には議長を務めた。 |
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; [[ヨアキム (デンマーク王子)|ヨアキム王子]] |
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:1995年に5歳年上の[[香港]]出身のキャリアウーマン、[[アレクサンドラ・マンリー]]と結婚。[[ヨーロッパ]]王室で初めて[[アジア]]出身の妃を迎えたことで話題になった。しかし、2004年9月16日に別居が王室から発表され、2005年4月8日に離婚した。2008年にフランス人[[マリー・カヴァリエ]]と再婚している。 |
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英国の[[ケンブリッジ大学]]、[[フランス]]の[[パリ大学]](ソルボンヌ)、英国の[[ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス]]で学んだ。 [[オーフス大学]] ({{lang-da-short|Aarhus Universitet}}) にも在籍した。 |
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[[1967年]][[6月10日]]、フランスのモンペザ伯爵家出身で外交官の[[ヘンリック (デンマーク王配)|アンリ・マリ・ジャン・アンドレ・ド・ラボルドゥ・ド・モンペザ]]({{lang|fr|Henri Marie Jean André de Laborde de Monpezat}})と結婚。結婚に際し、アンリには「[[プリンス|王子]]」の称号が与えられた(以後、デンマーク語読みの「ヘンリック」と記す)。披露宴は{{ill2|フレゼンスボー城|de|Schloss Fredensborg}}で行なわれた。 |
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=== 女王として === |
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[[1972年]][[1月14日]]、父王フレゼリク9世の崩御(72歳没)に伴い女王に即位した。以降、[[国家元首]]として公務に取り組む。デンマークでは初の女王(女性君主)であり、実質的な女王であった[[摂政]][[マルグレーテ1世]]からでも560年ぶりである。また、[[クリスチャン2世 (デンマーク王)|クリスチャン2世]]以来デンマーク王の名前は[[クリスチャン (人名)|クリスチャン]]か[[フレゼリク]]であり、これら以外の名前の王は459年ぶりとなる。 |
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[[2000年]][[11月7日]]、母の[[イングリッド・アヴ・スヴェーリエ|イングリッド]]王太后と死別(90歳没)。 |
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[[2018年]][[2月13日]]、夫の[[ヘンリック (デンマーク王配)|ヘンリック王配]]と死別(83歳没)。 |
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[[2022年]][[9月]]、[[エリザベス2世の死#国葬|エリザベス2世の国葬]]に参列した後[[新型コロナウイルス感染症]]への感染が判明した。 |
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2023年12月31日の大晦日テレビ演説にて、在位52年となる2024年1月14日に[[退位]]する意向を表明した<ref name=読売20240103/><ref name="a">{{Cite news|url=https://www.bbc.co.uk/news/world-europe-67854395|title=Queen of Denmark announces abdication live on TV|work=BBC News|agency=[[英国放送協会|BBC]]|date=2023-12-31|accessdate=2024-01-01}}</ref><ref name="b">{{Cite news|url=https://news.sky.com/story/denmarks-queen-margrethe-ii-unexpectedly-announces-abdication-in-new-years-eve-speech-13040139|title=Denmark's queen Margrethe II unexpectedly announces abdication in New Year's Eve speech|work=BBC News|agency=[[スカイUK]]|date=2023-12-31|accessdate=2024-01-01}}</ref>。2024年1月14日に[[クリスチャンスボー城]]で行われた王位継承式にて退位宣言書に署名し、長男フレゼリクがフレゼリク10世として国王に即位した<ref>{{Cite news|url=https://www.theguardian.com/world/2024/jan/14/denmark-proclaims-king-frederik-queen-margrethe-abdicates|title=Denmark’s King Frederik X takes throne after Margrethe abdicates|work=The Guardian|agency=[[ガーディアン]]|date=2024-01-14|accessdate=2024-01-14}}</ref>。デンマークでの君主の[[生前退位]]は約900年ぶりの出来事である<ref>{{Cite web |title=Frederik X is proclaimed the new king of Denmark after his mother Queen Margrethe II abdicates |url=https://apnews.com/article/denmark-queen-king-margrethe-frederik-abdication-22d9356ab4bad4b058b2305fa8730a27 |website=AP News |date=2024-01-14 |access-date=2024-01-15 |language=en}}</ref><ref>先例は1146年に退位した、[[エーリク3世 (デンマーク王)]](在1120年ごろ-1146年)。</ref>。また、女王の退位により、数え方にもよるが、ヨーロッパから女性君主がいなくなるのは[[ロシア帝国|ロシア]]の[[女帝]][[アンナ (ロシア皇帝)|アンナ]]が1730年に即位して以来、294年ぶり。 |
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40年以上の在位に至っても、民意への配慮を欠かさないことで国民に敬慕された。 |
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=== 退位後 === |
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2024年1月14日に退位したのちも「デンマーク女王陛下」の称号で呼ばれる。またフレデリック10世国王、クリスチャン皇太子が同時に海外にいるときには摂政になる権利も保持している。 |
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== 人物・エピソードなど == |
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[[File:Crown-princess Margrethe and Henri de Monpezat 1966.jpg|thumb|180px|1966年撮影、婚約中のアンリと]] |
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* モットーは、「神のご加護、国民の愛、デンマークの強さ(英:God's help, the Love of the People, Denmark's strength)」である。 |
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* 誕生当初は将来のデンマーク女王になるつもりはなかったのにもかかわらず、13歳にしていきなり次期王位継承者となったマルグレーテ王女の戸惑いは小さくなかったという。女王になるのを嫌って「私は普通の女の子のように大きくなって、そして普通の結婚をして、普通に暮らしたい」と泣いて叫んだといわれる<ref>{{Cite web|和書|url=https://news.yahoo.co.jp/articles/9107a9434c596622c1d3eac65412db0b673d6838?page=1|title=13歳で継承者になったデンマーク王女の戸惑い――日本の皇位継承議論は?【皇室コラム(下)】(日本テレビ系(NNN))|publisher=Yahoo!ニュース|date=2020-11-25|accessdate=2020-11-26}}</ref>。 |
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* [[デンマーク語]]を母語とするが、[[フランス語]]、[[スウェーデン語]]、[[英語]]、[[ドイツ語]]も堪能である。30代の頃には[[J・R・R・トールキン]]『[[指輪物語]]』のデンマーク語訳の作業に参加し、挿絵も担当した<ref>[[関東学院大学|関東学院大]]教授・君塚直隆:[https://www.sankei.com/article/20160114-X2HEX2LFCNJL3FUGPUFCAOYWEU/2/ 【世界王室物語-ノブレス・オブリージュ】デンマーク 多才な女王の挑戦 (2/4ページ)]『[[産経新聞]]』</ref>。 |
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*2016年にはマルグレーテ女王が衣装と舞台をデザインしたバレエ『くるみ割り人形』が上演された。 |
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*2023年にNETFLIX配信の映画『エーレンガート:誘惑の極意』のために衣装デザインと舞台セットのデコパージュ画を制作した。 |
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* 身長180cmの長身で、[[柔道]]の心得がある。美人で才能豊か、気さくな人柄で国民に絶対的な人気がある<ref>{{Cite book|和書 |author= マイケル・ブース|authorlink=マイケル・ブース |year = 2017 |title = ありのままのアンデルセン ヨーロッパ独り旅を追う |publisher = [[晶文社]] |page = 12 |isbn = 978-4-7949-6950-7}}</ref>。海外のメディア(テレビ、新聞を問わず)へのインタビューも国家元首という立場でありながら気さくに応じている。 |
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* [[ヘビースモーカー]](愛煙家)である、コペンハーゲン市内の書店で立ち読みしていた、訪問先の[[フェロー諸島]]で[[民俗舞踊]]の輪に飛び入りで加わった、などのエピソードがある。また[[服飾デザイナー]]としての顔も合わせ持つ。 |
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* 毎年[[年越し|大晦日]]([[12月31日]])の18時から約10分間、国民へ向け[[テレビ]]を介して[[スピーチ]]をしている。その内容はデンマーク国民に向けて将来などの展望について語るもので、年越し準備などに追われている国民もスピーチの時間帯にはテレビの前にいるとも形容される<ref name="c">{{Cite web|url = https://skywardplus.jal.co.jp/plus_one/calendar/newyears_eve/ |title = 世界の年越し事情は?欧米からアジアまで、大晦日の過ごし方|work = スカイワードプラス|publisher = JALブランドコミュニケーション|date = 2021-12-20 |accessdate = 2024-01-01}}</ref><ref>{{Cite web|url = https://www.doyukai.or.jp/publish/2010/pdf/2010_02_22.pdf |title = コペンハーゲン通信 Part II 11|format = PDF |work = 経済同友11年2月号|publisher = 経済同友会|date = 2010-02-22 |accessdate = 2024-01-01}}</ref>。前述の退位表明も、このテレビスピーチの中で行われた<ref name="a"/><ref name="b"/>。デンマークでは、自由に打ち上げられる[[花火]]とともに、大晦日の風物詩となっている<ref name="c"/>。 |
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== 訪日歴 == |
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=== 王女時代 === |
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*1963年(昭和38年)12月:非公式訪問<ref name="hounichi reki">{{Cite web |title=デンマーク王国の要人略歴 |url=https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/denmark/cv/r_margrethe.html |website=[[外務省]] |access-date=2024-01-01}}</ref>。 |
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*1970年(昭和45年)4月:[[日本万国博覧会]]に列席のため訪日<ref name="hounichi reki" />。 |
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=== 女王時代 === |
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*1981年(昭和56年)4月:公式訪問(国賓)<ref name="hounichi reki" />。 |
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*1990年(平成2年)11月:[[上皇明仁|第125代天皇]](現:上皇)の[[即位の礼]]参列のため<ref name="hounichi reki" />。 |
|||
*2004年(平成17年)11月:公式訪問(国賓)<ref>{{Cite web |title=平成16年の主な要人来日日程 |url=https://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/yojin/arc_04/0411.html |website=[[外務省]] |access-date=2024-01-01}}</ref>。 |
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== 王子と孫たち == |
|||
{{see also|:en:Danish royal family}} |
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夫の[[ヘンリック (デンマーク王配)|ヘンリック王配]]との間に、二男をもうけた。また、8人の孫がいる。デンマーク王族は18歳になると政府から歳費を受け取っていたが、世論の批判が高まったため、王室は2016年、「8人いる女王の孫のうち、[[クリスチャン (デンマーク王子)|クリスチャン王子]]([[フレデリック (デンマーク皇太子)|フレゼリク王太子]]の長男)のみ確実な王位継承予定者として歳費が支給される」と発表した<ref>【世界のロイヤル】デンマークマルグレーテ女王(79)『[[読売新聞]]』朝刊2019年5月4日(特別面)</ref>。2022年9月28日には翌2023年1月1日より、ヨアキム王子の子ども4人から王子、王女の称号を剥奪すると発表した<ref>{{Cite news|url=https://www.afpbb.com/articles/-/3426255|title=デンマーク女王、孫4人から「王子」「王女」の称号剥奪 王室スリム化へ|work=AFPBB News|agency=[[フランス通信社]]|date=2022-09-22|accessdate=2022-09-29}}</ref>。 |
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*[[フレデリック10世 (デンマーク王)|フレゼリク10世]](1968年5月26日 - ):[[2004年]]5月、[[オーストラリア]]の[[タスマニア州]]出身の[[メアリー (デンマーク王太子妃)|メアリー・ドナルドソン]]と結婚した。2024年1月14日に国王に即位。 |
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**[[クリスチャン (デンマーク王子)|クリスチャン王子]](2005年10月15日 - ) |
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**[[イサベラ (デンマーク王女)|イサベラ王女]](2007年4月21日 - ) |
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**[[ヴィンセント (デンマーク王子)|ヴィンセント王子]](2011年1月8日 - ) |
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**[[ヨセフィーネ (デンマーク王女)|ヨセフィーネ王女]](2011年1月8日 - ) |
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*[[ヨアキム (デンマーク王子)|ヨアキム王子]](1969年6月7日 - ):1995年に5歳年上の[[香港]]出身のキャリアウーマン、[[アレクサンドラ・マンリー]]と結婚。[[ヨーロッパ]]王室で初めて[[アジア]]出身の妃を迎えたことで話題になった。しかし、2004年9月16日に別居が王室から発表され、2005年4月8日に離婚。2008年5月24日にフランス人[[マリー・カヴァリエ]]と再婚。 |
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**[[ニコライ (デンマーク王子)|ニコライ王子]](1999年8月28日 - ):アレクサンドラ・マンリーとの子 |
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**[[フェリックス (デンマーク王子)|フェリックス王子]](2002年7月22日 - ):同上 |
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**[[ヘンリック (デンマーク王子)|ヘンリック王子]](2009年5月4日 - ):マリー・カヴァリエとの子 |
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**[[アテナ (デンマーク王女)|アテナ王女]](2012年1月24日 - ):同上 |
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== 系譜 == |
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{| class="wikitable" style="width:80%" |
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|- |
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| rowspan="8" align="center" style="width:25%; background-color:#fdd "| '''マルグレーテ2世 ''' |
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| rowspan="4" align="center" style="width:25%; background-color:#dfd"| '''父:'''<br />デンマーク国王<br />[[フレゼリク9世 (デンマーク王)|フレゼリク9世]] |
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| rowspan="2" align="center" style="width:25%; background-color:#dfd"| '''祖父:'''<br />デンマーク国王<br />[[クリスチャン10世 (デンマーク王)|クリスチャン10世]][6] |
|||
| rowspan="1" align="center" style="width:25%; background-color:#dfd"| '''曾祖父:'''<br />[[デンマーク君主一覧|デンマーク国王]]<br />[[フレゼリク8世 (デンマーク王)|フレゼリク8世]] |
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|- |
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| rowspan="1" align="center"| '''曾祖母:'''<br />スウェーデン王女[[ロヴィーサ・アヴ・スヴェーリエ|ルイーセ]][1] |
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|- |
|||
| rowspan="2" align="center"| '''祖母:'''<br />[[アレクサンドリーネ・ツー・メクレンブルク=シュヴェリーン|アレクサンドリーネ]] |
|||
| rowspan="1" align="center"| '''曾祖父:'''<br />[[メクレンブルク=シュヴェリーン大公]]<br/>[[フリードリヒ・フランツ3世 (メクレンブルク=シュヴェリーン大公)|フリードリヒ・フランツ3世]] |
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|-br/ |
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| rowspan="1" align="center"| '''曽祖母:'''<br />[[ロシア大公女・大公妃一覧|ロシア大公女]]<br/>[[アナスタシア・ミハイロヴナ]][2] |
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|- |
|||
| rowspan="4" align="center"| '''母:'''<br />[[イングリッド・アヴ・スヴェーリエ|イングリッド]] |
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| rowspan="2" align="center"| '''祖父:'''<br />スウェーデン国王<br/>[[グスタフ6世アドルフ (スウェーデン王)|グスタフ6世アドルフ]] |
|||
| rowspan="1" align="center"| '''曾祖父:'''<br />[[スウェーデン君主一覧|スウェーデン国王]]<br/>[[グスタフ5世 (スウェーデン王)|グスタフ5世]] |
|||
|- |
|||
| rowspan="1" align="center"| '''曾祖母:'''<br />[[バーデン (領邦)|バーデン]]大公女<br/>[[ヴィクトリア・フォン・バーデン|ヴィクトリア]][3] |
|||
|- |
|||
| rowspan="2" align="center"| '''祖母:'''<br />[[マーガレット・オブ・コノート|マルガレータ]] |
|||
| rowspan="1" align="center"| '''曾祖父:'''<br />[[アーサー (コノート公)|コノート公アーサー]][4] |
|||
|- |
|||
| rowspan="1" align="center"| '''曾祖母:'''<br />[[ルイーゼ・マルガレーテ・フォン・プロイセン|ルイーズ]][5] |
|||
|} |
|||
# [[スウェーデン]]・[[ノルウェー]]国王[[カール15世 (スウェーデン王)|カール15世]]と王妃[[ルイーゼ・ファン・オラニエ=ナッサウ|ロヴィーサ]]の長女、母方の曽祖父は[[プロイセン国王]][[フリードリヒ・ヴィルヘルム3世 (プロイセン王)|フリードリヒ・ヴィルヘルム3世]] |
|||
# [[ミハイル・ニコラエヴィチ|ミハイル・ニコラエヴィチ大公]]([[ロシア皇帝]][[ニコライ1世 (ロシア皇帝)|ニコライ1世]]の末子)と妃[[オリガ・フョードロヴナ]]([[バーデン (領邦)|バーデン]]大公女)の長女 |
|||
# [[バーデン (領邦)|バーデン]]大公[[フリードリヒ1世 (バーデン大公)|フリードリヒ1世]]と妃[[ルイーゼ・フォン・プロイセン (1838-1923)|ルイーゼ・フォン・プロイセン]]([[ドイツ皇帝]][[ヴィルヘルム1世 (ドイツ皇帝)|ヴィルヘルム1世]]の長女)の長女 |
|||
# イギリス女王[[ヴィクトリア (イギリス女王)|ヴィクトリア]]と[[王配]][[アルバート (ザクセン=コーブルク=ゴータ公子)|アルバート]]の三男 |
|||
# プロイセン王子[[フリードリヒ・カール・フォン・プロイセン (1828-1885)|フリードリヒ・カール]](父方の祖父は[[プロイセン国王]][[フリードリヒ・ヴィルヘルム3世 (プロイセン王)|フリードリヒ・ヴィルヘルム3世]])と妃[[マリア・アンナ・フォン・アンハルト=デッサウ|マリア・アンナ]]の四女 |
|||
# 弟は[[ノルウェー君主一覧|ノルウェー国王]][[ホーコン7世]]、妹の[[インゲボー・ア・ダンマーク (1878-1958)|インゲボー王女]]の娘である[[マッタ・アヴ・スヴェーリエ|マッタ王女]]はノルウェー国王[[オーラヴ5世 (ノルウェー王)|オーラヴ5世]]妃、同じく[[アストリッド・ド・スエード|アストリッド王女]]は[[ベルギー国王の一覧|ベルギー国王]][[レオポルド3世 (ベルギー王)|レオポルド3世]]妃 |
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* 従弟:[[スウェーデン君主一覧|スウェーデン国王]][[カール16世グスタフ (スウェーデン王)|カール16世グスタフ]] |
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:祖父スウェーデン国王[[グスタフ6世アドルフ (スウェーデン王)|グスタフ6世アドルフ]]を同じくする。 |
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== 系図 == |
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{{デンマーク王室リュクスボー朝}} |
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== ギャラリー == |
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<gallery> |
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File:V.l.n.r. Prinses Benedikte, Prinses Margrethe en Prinses Anne Marie met een boek, Bestanddeelnr 252-8647.jpg|1954年撮影(中央) |
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File:November 17 1962.jpg|1962年11月17日、エジプト訪問時に[[ガマール・アブドゥル=ナーセル]]大統領と({{仮リンク|アブディーン宮殿|en|Abdeen Palace}}にて) |
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File:Koninklijke verloving in Kopenhagen, Bestanddeelnr 254-7692.jpg|1966年9月4日、婚約者アンリと |
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File:Staatsbezoek Koningin Margrethe en Prins Henrik van Denemarken aankomst Paleis , Bestanddeelnr 928-2383.jpg|1975年、オランダ訪問時に儀仗礼を受ける女王(左は[[ユリアナ (オランダ女王)|ユリアナ蘭女王]]) |
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File:H.M. Koningin Juliana op het Groot Heiligland, ziende naar het zuiden. V.L.N.R. Koningin Margarethe en Prins Hendrik van Denemarken, Koningin Juliana, Burgemeester de Gou en de commisaris van de Konin.JPG|1975年、[[ハールレム]]にて(一番左、中央左はユリアナ蘭女王) |
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File:Queen Margrethe II and Prince Henrik of Denmark welcome George W. Bush and Laura Bush.jpg|2005年7月5日、[[ジョージ・W・ブッシュ|ジョージ・W・ブッシュ米大統領]]夫妻と女王夫妻 |
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File:Royal Wedding Stockholm 2010-Konserthuset-421.jpg|2010年6月18日、[[ヴィクトリア (スウェーデン皇太子)|スウェーデン王太女ヴィクトリア]]の結婚式に参列した女王夫妻 |
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File:Margrethe II of Denmark 75 years - Rådhuspladsen 03.jpg|2015年4月16日、女王の75歳祝賀にて(右は[[コペンハーゲン]]市長) |
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</gallery> |
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==栄典・勲章== |
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{{See also|:en:List of honours of the Danish royal family by country}} |
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===デンマーク王国=== |
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* {{flag|Denmark}}: |
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**[[File:Order of the Dannebrog R.svg|70px]] [[:en:Dannebrogordenens Hæderstegn|Cross of Honour of the Order of the Dannebrog]] ('''D.Ht.''')<ref name="QueenMargretheOrdersPage">{{cite web|website=Kongehuset.dk|url=http://kongehuset.dk/den-kongelige-familie/regentparret/hm-dronningen%3Fqt-view__node_revision__panel_pane_4%3D1&usg=ALkJrhiawHe9kVNevR1HE9jKFJNEXCIW_Q#qt-view__node_revision__panel_pane_4|title= Dekorationer|accessdate= 24 June 2020|archiveurl= https://web.archive.org/web/20200616142812/http://kongehuset.dk/den-kongelige-familie/regentparret/hm-dronningen?qt-view__node_revision__panel_pane_4=1|archivedate= 16 June 2020}}</ref> |
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**[[File:Order of the Elephant Ribbon bar.svg|70px]] [[:en:Order of the Elephant]]<ref name="QueenMargretheOrdersPage" /> |
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**[[File:DK Haederstegn for god tjeneste.svg|70px]] [[:en:Long Service Awards (Denmark)|Air Force Long Service Medal]]<ref name="QueenMargretheOrdersPage" /> |
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**[[File:DK Hjemmevaernets Fortjensttegn Ribbon.png|70px]] [[:en:List of orders, decorations, and medals of the Kingdom of Denmark#Royally Approved Orders and Medals|Homeguard Medal of Merit]]<ref name="QueenMargretheOrdersPage" /> |
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**[[File:DEN HJV 25-years Ribbon.svg|70px]] [[:en:Long Service Awards (Denmark)|25 years of Homeguard Service Medal]]<ref name="QueenMargretheOrdersPage" /> |
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**[[File:BF HT Ribbon.png|70px]] [[:en:Badge of Honor of the League of Civil Defense|Medal of Honour of the League of Civil Defence]]<ref name="QueenMargretheOrdersPage" /> |
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**[[File:RESOFF ASS R.png|70px]] [[:en:List of orders, decorations, and medals of the Kingdom of Denmark#Royally Approved Orders and Medals|Medal of Honour of the Reserve Officers League]]<ref name="QueenMargretheOrdersPage" /> |
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**[[File:DEN Medal of Merit ribbon.svg|70px]] [[:en:List of orders, decorations, and medals of the Kingdom of Denmark|100th Anniversary Medal of the Birth of King Christian X]]<ref name="QueenMargretheOrdersPage" /> |
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**[[File:DEN Medal of Merit ribbon.svg|70px]] [[:en:List of orders, decorations, and medals of the Kingdom of Denmark|50th Anniversary Medal of the arrival of Queen Ingrid to Denmark]]<ref name="QueenMargretheOrdersPage" /> |
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**[[File:DEN Medal of Merit ribbon.svg|70px]] [[:en:List of orders, decorations, and medals of the Kingdom of Denmark|100th Anniversary Medal of the Birth of King Frederik IX]]<ref name="QueenMargretheOrdersPage" /> |
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**[[File:DEN Medal of Merit ribbon.svg|70px]] [[:en:List of orders, decorations, and medals of the Kingdom of Denmark|Queen Ingrid Commemorative Medal]]<ref name="QueenMargretheOrdersPage" /> |
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* {{flag|Greenland}}: |
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**[[File:DEN Greenland Medal of Merit ribbon.svg|70px]] [[:en:Nersornaat|Nersornaat Medal for Meritorious Service, 1st Class]]<ref name="QueenMargretheOrdersPage" /> |
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===外国=== |
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* {{flag|Japan}}: |
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**[[File:JPN Daikun'i kikkasho BAR.svg|70px]] [[菊花章|大勲位菊花章]]<ref name="QueenMargretheOrdersPage" /> |
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**[[File:JPN Hokan-sho 1Class BAR.svg|70px]] [[宝冠章|勲一等宝冠章]](宝冠大綬章)<ref name="QueenMargretheOrdersPage" /> |
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など |
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File:Royal coat of arms of Denmark (1972-2024).svg|デンマーク王室紋章 |
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File:Royal Standard of Denmark.svg|デンマーク王室旗 |
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File:Royal Monogram of Queen Margrethe II of Denmark.svg|マルグレーテ2世の王室モノグラム |
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File:Private Monogram of Queen Margrethe of Denmark.svg|マルグレーテ2世の私的モノグラム |
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File:Dual Cypher of Margrethe and Henrik of Denmark.svg|マルグレーテ2世とヘンリック王配夫妻の二重モノグラム |
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</gallery> |
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== 脚注 == |
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{{脚注ヘルプ}} |
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{{reflist}} |
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== 関連項目 == |
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{{commons&cat|Dronning Margrethe II|Margrethe II of Denmark|マルグレーテ2世}} |
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* [[イギリス王位継承順位]] - マルガレーテ2世女王はイギリス女王[[ヴィクトリア (イギリス女王)|ヴィクトリア]]の子孫であり、イギリス王位継承権を有する |
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* {{ill2|マルグレーテ2世の退位|en|Abdication of Margrethe II}} |
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== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
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* [http://kongehuset.dk/ デンマーク王室公式サイト] {{da icon}}{{en icon}}{{fr icon}}{{cn icon}} |
* [http://kongehuset.dk/ デンマーク王室公式サイト] {{da icon}}{{en icon}}{{fr icon}}{{cn icon}} |
||
*[https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/denmark/cv/r_margrethe.html 外務省: デンマーク王国マルグレーテ2世女王陛下略歴(Her Majesty Queen Margrethe II)平成16年9月] {{ja icon}} |
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{{デンマーク王}} |
{{デンマーク王}} |
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{{ガーター騎士団員}} |
{{ガーター騎士団員}} |
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{{スペイン金羊毛騎士団員}} |
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{| class="navbox collapsible collapsed" style="width:100%; margin:auto;" |
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|- |
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! style="background:#ccf;"|地位の継承 |
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{{s-start}} |
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{{s-hou|[[グリュックスブルク家|リュクスボー家]]|1940年|4月16日 |
{{s-hou|[[グリュックスブルク家|リュクスボー家]]|1940年|4月16日||[[オルデンブルク朝|オルデンブルク]]|name=マルグレーテ2世}} |
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{{s-bef|before=[[フレゼリク9世 (デンマーク王)|フレゼリク9世]]}} |
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{{s-bef|before=カイサ・ベルナドッテ}} |
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{{s-ttl|title=[[イギリス王位継承順位]]<br/>他の[[英連邦王国|イギリス連邦王国]]の王位継承権も同様}} |
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{{s-bef|before=[[:en:Carl Johan Bernadotte|カール・ヨハン・ベルナドッテ]]}} |
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{{s-aft|after=[[フレゼリク10世 (デンマーク王)|フレゼリク10世]]}} |
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{{s-ttl|title=[[イギリス王位継承順位]]|years=継承順位第221位<br/>他の[[英連邦王国|イギリス連邦王国]]の王位継承権も同様}} |
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{{s-aft|after=[[フレデリク (デンマーク王太子)|フレゼリク・ア・ダンマーク]]}} |
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{{Normdaten}} |
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[[Category:マルグレーテ2世|*]] |
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[[Category:20世紀の女性君主]] |
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[[Category:21世紀の女性君主]] |
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[[Category:20世紀ヨーロッパの君主]] |
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[[Category:21世紀ヨーロッパの君主]] |
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[[Category:20世紀デンマークの女性]] |
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[[Category:21世紀デンマークの女性]] |
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[[Category:デンマークの君主]] |
[[Category:デンマークの君主]] |
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[[Category:女性君主]] |
[[Category:北欧の女性君主]] |
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[[Category:退位した君主]] |
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[[Category:デンマーク王室]] |
[[Category:デンマーク王室]] |
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[[Category:グリュックスブルク家デンマーク系]] |
[[Category:グリュックスブルク家デンマーク系]] |
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[[Category:フレゼリク9世の子女]] |
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[[Category:ガーター勲章]] |
[[Category:ガーター勲章]] |
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[[Category:聖オーラヴ勲章受章者]] |
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[[Category:金羊毛騎士団員]] |
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[[Category:レジオンドヌール勲章受章者]] |
[[Category:レジオンドヌール勲章受章者]] |
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[[Category:ラーチャミトラーポーン勲章受章者]] |
[[Category:ラーチャミトラーポーン勲章受章者]] |
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[[Category:大チャクリー勲章受章者]] |
[[Category:大チャクリー勲章受章者]] |
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[[Category:ケンブリッジ大学出身の人物]] |
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[[Category:コペンハーゲン出身の人物]] |
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[[Category:スウェーデン系デンマーク人]] |
[[Category:スウェーデン系デンマーク人]] |
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[[Category:ケンブリッジ大学ガートン・カレッジ出身の人物]] |
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[[Category:コペンハーゲン出身の人物]] |
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[[Category:1940年生]] |
[[Category:1940年生]] |
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[[Category:存命人物]] |
[[Category:存命人物]] |
2025年1月1日 (水) 20:24時点における最新版
マルグレーテ2世 Margrethe II | |
---|---|
デンマーク女王 | |
2012年 | |
在位 | 1972年1月14日 – 2024年1月14日 |
即位宣言式 | 1972年1月15日 |
首相 |
|
全名 |
Margrethe Alexandrine Þórhildur Ingrid マルグレーテ・アレクサンドリーネ・トーヒルドゥア・イングリッド |
出生 |
1940年4月16日(84歳) デンマーク被占領期 コペンハーゲン アマリエンボー宮殿 |
皇太子[1][2] | フレデリック |
配偶者 | |
子女 |
フレゼリク10世 ヨアキム王子 |
家名 | リュクスボー家 |
父親 | フレゼリク9世 |
母親 | イングリッド・アヴ・スヴェーリエ |
宗教 | キリスト教デンマーク国教会 |
サイン |
デンマーク王室 |
---|
|
マルグレーテ2世(デンマーク語: Margrethe II、1940年4月16日 - )は、デンマーク女王(在位:1972年1月14日 - 2024年1月14日)。全名は、マルグレーテ・アレクサンドリーネ・トーヒルドゥア・イングリッド(Margrethe Alexandrine Þórhildur Ingrid)。
前国王フレゼリク9世の第一王女(第1子)、母はスウェーデン王女のイングリッド王妃。出生時点では王位継承権はなかったが、法改正により継承権を得て、父王の崩御に伴い1972年に即位した。
在位52年となる2024年1月14日に皇太子フレデリックへ譲位することを、2023年12月31日に放映されたテレビ談話で国民に表明した[2]。 2024年1月14日に、クリスチャンスボー城での王位継承式で退位文書に署名し、退位した[3]。
2022年9月8日、英国・英連邦王国のエリザベス2世が崩御した時点で世界で唯一の女性君主(女王)であったため、退位後は女性君主が不在となった。また1826年に即位したポルトガル王国のマリア2世以降198年ぶりにヨーロッパから女性君主がいなくなった。
妹が2人おり、末妹のアンネ=マリーは元ギリシャ国王コンスタンティノス2世の王妃である。また、スウェーデン国王カール16世グスタフは母方の従弟に、ノルウェー国王ハーラル5世やベルギー王ボードゥアン1世・アルベール2世・ルクセンブルク大公妃ジョゼフィーヌ=シャルロットの三姉弟は、ともに又いとこ(はとこ)にあたる。
略歴
[編集]生い立ち
[編集]第二次世界大戦初期のナチス・ドイツによるデンマーク侵攻からわずか一週間後の1940年4月16日、フレゼリク王太子の長女(第1子)としてアマリエンボー宮殿で誕生した。母はスウェーデン王女イングリッド。
全名は、マルグレーテ・アレクサンドリーネ・トーヒルドゥア・イングリッド(Margrethe Alexandrine Torhildur Ingrid)。名前は、母方の祖母マーガレット・オブ・コノートにちなんで名づけられ、祖母の愛称デイジー(Daisy)も受け継いだ[4][5]。ミドルネームのAlexandrineは、父方祖母アレクサンドリーネから、Ingridは、母イングリッドにちなむ。誕生時にデンマーク国王であった祖父のクリスチャン10世はアイスランド王も兼ねていたため、アイスランド語の文字Þを含むアイスランド語の名前Þórhildur(トーヒルドゥア)も付けられた[6]。
誕生当時、デンマークは女性の王位継承権を認めていなかったため、マルグレーテは決して将来の王位継承者として養育される事はなかった。
1950年5月14日、首都コペンハーゲンのホルメン教会でキリスト教の洗礼を受けた。代父となったのは、父方祖父のクリスチャン10世、父方叔父クヌーズ王子、デンマーク王族のアクセル王子、母方曽祖父であるスウェーデン王グスタフ5世、母方祖父であるグスタフ・アドルフ王太子、母方伯父であるヴェステルボッテン公グスタフ・アドルフ、母方曽祖父コノート公アーサーであった。
推定相続人に
[編集]フレゼリク9世とイングリッドの間には、女子3人が誕生したものの男子は授からなかった。この時点では、フレゼリクの弟クヌーズ王子とその息子たちに王位継承がなされるはずであったが、大戦中にナチス寄りだったクヌーズ王子より、フレゼリク9世国王とその娘たちの国民的人気が非常に高かったことから、フレゼリクに男子が授かる事が望み薄になるにつれて、王位継承の変更を求める国民の声が高まった。これに後押しされる形で、1953年に行なわれたデンマーク王国憲法と王位継承法の改定により、男子優先ながら、男子が不在の場合には女子に王位継承権が認められ、弟のいないマルグレーテは13歳で推定相続人となった。
1958年4月16日、18歳となり国家評議会の議席を与えられた。父王の不在時には議長を務めた。
英国のケンブリッジ大学、フランスのパリ大学(ソルボンヌ)、英国のロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで学んだ。 オーフス大学 (丁: Aarhus Universitet) にも在籍した。
1967年6月10日、フランスのモンペザ伯爵家出身で外交官のアンリ・マリ・ジャン・アンドレ・ド・ラボルドゥ・ド・モンペザ(Henri Marie Jean André de Laborde de Monpezat)と結婚。結婚に際し、アンリには「王子」の称号が与えられた(以後、デンマーク語読みの「ヘンリック」と記す)。披露宴はフレゼンスボー城で行なわれた。
女王として
[編集]1972年1月14日、父王フレゼリク9世の崩御(72歳没)に伴い女王に即位した。以降、国家元首として公務に取り組む。デンマークでは初の女王(女性君主)であり、実質的な女王であった摂政マルグレーテ1世からでも560年ぶりである。また、クリスチャン2世以来デンマーク王の名前はクリスチャンかフレゼリクであり、これら以外の名前の王は459年ぶりとなる。
2000年11月7日、母のイングリッド王太后と死別(90歳没)。
2018年2月13日、夫のヘンリック王配と死別(83歳没)。
2022年9月、エリザベス2世の国葬に参列した後新型コロナウイルス感染症への感染が判明した。
2023年12月31日の大晦日テレビ演説にて、在位52年となる2024年1月14日に退位する意向を表明した[2][7][8]。2024年1月14日にクリスチャンスボー城で行われた王位継承式にて退位宣言書に署名し、長男フレゼリクがフレゼリク10世として国王に即位した[9]。デンマークでの君主の生前退位は約900年ぶりの出来事である[10][11]。また、女王の退位により、数え方にもよるが、ヨーロッパから女性君主がいなくなるのはロシアの女帝アンナが1730年に即位して以来、294年ぶり。
40年以上の在位に至っても、民意への配慮を欠かさないことで国民に敬慕された。
退位後
[編集]2024年1月14日に退位したのちも「デンマーク女王陛下」の称号で呼ばれる。またフレデリック10世国王、クリスチャン皇太子が同時に海外にいるときには摂政になる権利も保持している。
人物・エピソードなど
[編集]- モットーは、「神のご加護、国民の愛、デンマークの強さ(英:God's help, the Love of the People, Denmark's strength)」である。
- 誕生当初は将来のデンマーク女王になるつもりはなかったのにもかかわらず、13歳にしていきなり次期王位継承者となったマルグレーテ王女の戸惑いは小さくなかったという。女王になるのを嫌って「私は普通の女の子のように大きくなって、そして普通の結婚をして、普通に暮らしたい」と泣いて叫んだといわれる[12]。
- デンマーク語を母語とするが、フランス語、スウェーデン語、英語、ドイツ語も堪能である。30代の頃にはJ・R・R・トールキン『指輪物語』のデンマーク語訳の作業に参加し、挿絵も担当した[13]。
- 2016年にはマルグレーテ女王が衣装と舞台をデザインしたバレエ『くるみ割り人形』が上演された。
- 2023年にNETFLIX配信の映画『エーレンガート:誘惑の極意』のために衣装デザインと舞台セットのデコパージュ画を制作した。
- 身長180cmの長身で、柔道の心得がある。美人で才能豊か、気さくな人柄で国民に絶対的な人気がある[14]。海外のメディア(テレビ、新聞を問わず)へのインタビューも国家元首という立場でありながら気さくに応じている。
- ヘビースモーカー(愛煙家)である、コペンハーゲン市内の書店で立ち読みしていた、訪問先のフェロー諸島で民俗舞踊の輪に飛び入りで加わった、などのエピソードがある。また服飾デザイナーとしての顔も合わせ持つ。
- 毎年大晦日(12月31日)の18時から約10分間、国民へ向けテレビを介してスピーチをしている。その内容はデンマーク国民に向けて将来などの展望について語るもので、年越し準備などに追われている国民もスピーチの時間帯にはテレビの前にいるとも形容される[15][16]。前述の退位表明も、このテレビスピーチの中で行われた[7][8]。デンマークでは、自由に打ち上げられる花火とともに、大晦日の風物詩となっている[15]。
訪日歴
[編集]王女時代
[編集]女王時代
[編集]- 1981年(昭和56年)4月:公式訪問(国賓)[17]。
- 1990年(平成2年)11月:第125代天皇(現:上皇)の即位の礼参列のため[17]。
- 2004年(平成17年)11月:公式訪問(国賓)[18]。
王子と孫たち
[編集]夫のヘンリック王配との間に、二男をもうけた。また、8人の孫がいる。デンマーク王族は18歳になると政府から歳費を受け取っていたが、世論の批判が高まったため、王室は2016年、「8人いる女王の孫のうち、クリスチャン王子(フレゼリク王太子の長男)のみ確実な王位継承予定者として歳費が支給される」と発表した[19]。2022年9月28日には翌2023年1月1日より、ヨアキム王子の子ども4人から王子、王女の称号を剥奪すると発表した[20]。
- フレゼリク10世(1968年5月26日 - ):2004年5月、オーストラリアのタスマニア州出身のメアリー・ドナルドソンと結婚した。2024年1月14日に国王に即位。
- ヨアキム王子(1969年6月7日 - ):1995年に5歳年上の香港出身のキャリアウーマン、アレクサンドラ・マンリーと結婚。ヨーロッパ王室で初めてアジア出身の妃を迎えたことで話題になった。しかし、2004年9月16日に別居が王室から発表され、2005年4月8日に離婚。2008年5月24日にフランス人マリー・カヴァリエと再婚。
系譜
[編集]マルグレーテ2世 | 父: デンマーク国王 フレゼリク9世 |
祖父: デンマーク国王 クリスチャン10世[6] |
曾祖父: デンマーク国王 フレゼリク8世 |
曾祖母: スウェーデン王女ルイーセ[1] | |||
祖母: アレクサンドリーネ |
曾祖父: メクレンブルク=シュヴェリーン大公 フリードリヒ・フランツ3世 | ||
曽祖母: ロシア大公女 アナスタシア・ミハイロヴナ[2] | |||
母: イングリッド |
祖父: スウェーデン国王 グスタフ6世アドルフ |
曾祖父: スウェーデン国王 グスタフ5世 | |
曾祖母: バーデン大公女 ヴィクトリア[3] | |||
祖母: マルガレータ |
曾祖父: コノート公アーサー[4] | ||
曾祖母: ルイーズ[5] |
- スウェーデン・ノルウェー国王カール15世と王妃ロヴィーサの長女、母方の曽祖父はプロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世
- ミハイル・ニコラエヴィチ大公(ロシア皇帝ニコライ1世の末子)と妃オリガ・フョードロヴナ(バーデン大公女)の長女
- バーデン大公フリードリヒ1世と妃ルイーゼ・フォン・プロイセン(ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世の長女)の長女
- イギリス女王ヴィクトリアと王配アルバートの三男
- プロイセン王子フリードリヒ・カール(父方の祖父はプロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世)と妃マリア・アンナの四女
- 弟はノルウェー国王ホーコン7世、妹のインゲボー王女の娘であるマッタ王女はノルウェー国王オーラヴ5世妃、同じくアストリッド王女はベルギー国王レオポルド3世妃
- 祖父スウェーデン国王グスタフ6世アドルフを同じくする。
系図
[編集]クリスチャン9世 | |||||||||||||
フレゼリク8世 | (ギリシャ国王) ゲオルギオス1世 | ||||||||||||
(グリクシンブルグ朝) | |||||||||||||
クリスチャン10世 | (ノルウェー国王) ホーコン7世 | ||||||||||||
フレゼリク9世 | (グリュクスボー朝) | ||||||||||||
マルグレーテ2世 | |||||||||||||
フレゼリク10世 | |||||||||||||
ギャラリー
[編集]-
1954年撮影(中央)
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1962年11月17日、エジプト訪問時にガマール・アブドゥル=ナーセル大統領と(アブディーン宮殿にて)
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1966年9月4日、婚約者アンリと
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1975年、オランダ訪問時に儀仗礼を受ける女王(左はユリアナ蘭女王)
-
1975年、ハールレムにて(一番左、中央左はユリアナ蘭女王)
-
2005年7月5日、ジョージ・W・ブッシュ米大統領夫妻と女王夫妻
-
2010年6月18日、スウェーデン王太女ヴィクトリアの結婚式に参列した女王夫妻
-
2015年4月16日、女王の75歳祝賀にて(右はコペンハーゲン市長)
栄典・勲章
[編集]デンマーク王国
[編集]- デンマーク:
- Cross of Honour of the Order of the Dannebrog (D.Ht.)[21]
- en:Order of the Elephant[21]
- Air Force Long Service Medal[21]
- Homeguard Medal of Merit[21]
- 25 years of Homeguard Service Medal[21]
- Medal of Honour of the League of Civil Defence[21]
- Medal of Honour of the Reserve Officers League[21]
- 100th Anniversary Medal of the Birth of King Christian X[21]
- 50th Anniversary Medal of the arrival of Queen Ingrid to Denmark[21]
- 100th Anniversary Medal of the Birth of King Frederik IX[21]
- Queen Ingrid Commemorative Medal[21]
- グリーンランド:
外国
[編集]など
-
デンマーク王室紋章
-
デンマーク王室旗
-
マルグレーテ2世の王室モノグラム
-
マルグレーテ2世の私的モノグラム
-
マルグレーテ2世とヘンリック王配夫妻の二重モノグラム
脚注
[編集]- ^ デンマーク・フレデリック皇太子殿下の来日について 日本国外務省(2011年6月17日)2024年1月6日閲覧
- ^ a b c 「デンマーク女王退位へ」『読売新聞』朝刊2024年1月3日(国際面)2024年1月7日閲覧
- ^ “【解説】北欧王室の世代交代が始まるのか デンマークのマルグレーテ女王が退位”. BBCニュース. 2024年1月18日閲覧。
- ^ “Dronning Margrethe - alt om Danmarks dronning”. alt.dk. en:Egmont Publishing. 21. maj 2019閲覧。
- ^ “Ny bog om Margrethe med udslået hår: Sådan er Daisy”. en:B.T.. (9. maj 2013) 21. maj 2019閲覧。
- ^ "Those Apprentice Kings and Queens Who May -- One Day -- Ascend a Throne," New York Times. 14 November 1971.
- ^ a b “Queen of Denmark announces abdication live on TV”. BBC News. BBC. (2023年12月31日) 2024年1月1日閲覧。
- ^ a b “Denmark's queen Margrethe II unexpectedly announces abdication in New Year's Eve speech”. BBC News. スカイUK. (2023年12月31日) 2024年1月1日閲覧。
- ^ “Denmark’s King Frederik X takes throne after Margrethe abdicates”. The Guardian. ガーディアン. (2024年1月14日) 2024年1月14日閲覧。
- ^ “Frederik X is proclaimed the new king of Denmark after his mother Queen Margrethe II abdicates” (英語). AP News (2024年1月14日). 2024年1月15日閲覧。
- ^ 先例は1146年に退位した、エーリク3世 (デンマーク王)(在1120年ごろ-1146年)。
- ^ “13歳で継承者になったデンマーク王女の戸惑い――日本の皇位継承議論は?【皇室コラム(下)】(日本テレビ系(NNN))”. Yahoo!ニュース (2020年11月25日). 2020年11月26日閲覧。
- ^ 関東学院大教授・君塚直隆:【世界王室物語-ノブレス・オブリージュ】デンマーク 多才な女王の挑戦 (2/4ページ)『産経新聞』
- ^ マイケル・ブース『ありのままのアンデルセン ヨーロッパ独り旅を追う』晶文社、2017年、12頁。ISBN 978-4-7949-6950-7。
- ^ a b “世界の年越し事情は?欧米からアジアまで、大晦日の過ごし方”. スカイワードプラス. JALブランドコミュニケーション (2021年12月20日). 2024年1月1日閲覧。
- ^ “コペンハーゲン通信 Part II 11” (PDF). 経済同友11年2月号. 経済同友会 (2010年2月22日). 2024年1月1日閲覧。
- ^ a b c d “デンマーク王国の要人略歴”. 外務省. 2024年1月1日閲覧。
- ^ “平成16年の主な要人来日日程”. 外務省. 2024年1月1日閲覧。
- ^ 【世界のロイヤル】デンマークマルグレーテ女王(79)『読売新聞』朝刊2019年5月4日(特別面)
- ^ “デンマーク女王、孫4人から「王子」「王女」の称号剥奪 王室スリム化へ”. AFPBB News. フランス通信社. (2022年9月22日) 2022年9月29日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n “Dekorationer”. Kongehuset.dk. 16 June 2020時点のオリジナルよりアーカイブ。24 June 2020閲覧。
関連項目
[編集]- イギリス王位継承順位 - マルガレーテ2世女王はイギリス女王ヴィクトリアの子孫であり、イギリス王位継承権を有する
- マルグレーテ2世の退位
外部リンク
[編集]マルグレーテ2世
| ||
爵位・家督 | ||
---|---|---|
先代 フレゼリク9世 |
デンマーク国王 1972年 - 2024年 |
次代 フレゼリク10世 |
イギリス王室 | ||
先代 カイサ・ベルナドッテ |
イギリス王位継承順位 他のイギリス連邦王国の王位継承権も同様 |
次代 フレゼリク10世 |