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「自由民主国民党」の版間の差分

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|党首職名 = 党首
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|党首氏名 = マルク・ルッテ
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|下院議員数 = 41
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|議席1 = [[欧州議会]]
|政治的思想・立場 = [[新自由主義]]
|議員数1 = 5
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|議員集計年月日1 = 2020年
|党員・党友数 = 26,550
|党員・党友数集計年月日 = 2022年<ref name="dnpp">{{cite web|url=https://dnpp.nl/node/737|title=VVD ledentallen per jaar (1948- )|website=Documentatiecentrum Nederlandse Politieke Partijen (DNPP)|language=nl|accessdate=2022-12-30}}</ref>
|政治的思想・立場 = [[中道右派]]・[[保守]]<ref name="Britannica">[https://kotobank.jp/word/%E8%87%AA%E7%94%B1%E6%B0%91%E4%B8%BB%E5%85%9A%5B%E3%82%AA%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%80%5D-175413#E3.83.96.E3.83.AA.E3.82.BF.E3.83.8B.E3.82.AB.E5.9B.BD.E9.9A.9B.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E4.BA.8B.E5.85.B8.20.E5.B0.8F.E9.A0.85.E7.9B.AE.E4.BA.8B.E5.85.B8 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典] [[コトバンク]]. 2018年9月10日閲覧。</ref><br/>[[保守自由主義]]<br/>[[新自由主義]]
|機関紙 =
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|ウェブサイト = http://www.vvd.nl
|ウェブサイト = http://www.vvd.nl
|サイトタイトル = 自由民主国民党(VVD)公式ホームページ
|サイトタイトル = 自由民主国民党(VVD)公式ホームページ
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|国際組織 = [[自由主義インターナショナル]]<br/>[[欧州自由民主改革党]]
|国際組織 = [[自由主義インターナショナル]]<br/>[[欧州自由民主改革党]]<br/>[[欧州刷新]]
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}}
}}


'''自由民主国民党'''(じゆうみんしゅこくみんとう、{{lang-nl|Volkspartij voor Vrijheid en Democratie}}、略称: '''VVD''')は、[[オランダ]]の[[自由主義]][[政党]]。現在、第一院・第二院の両方において第一であ。党首の[[マルク・ルッテ]]は現在、首相を務めている
'''自由民主国民党'''(じゆうみんしゅこくみんとう、'''{{lang-nl|Volkspartij voor Vrijheid en Democratie}}'''、略称'''VVD'''<ref name="Britannica"/>)は、[[オランダ]]の[[自由主義]][[政党]]。'''自由民主人民'''とも訳され<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nira.or.jp/paper/NIRA_report_20210827_Netherlands.pdf|title=第5章 オランダ|work=経済・社会文化・グローバリゼーション|author=水島治郎|authorlink=水島治郎|format=PDF|publisher=[[総合研究開発機構]]|date=2021-08-27|accessdate=2022-12-30}}</ref>


VVDは、[[福祉国家]]としてのオランダを支持してはいるものの、「民間企業の最も声高な支援者」と呼ばれる。また、[[社会自由主義]]を志向する[[民主66]]と対比して、市場自由主義([[新自由主義]]志向であるとしばしば受け取られている。
VVDは「民間企業の最も声高な支援者」と呼ばれる{{要出典|date=2022年12月}}。また、[[社会自由主義]]を志向する[[民主66]]と対比して、市場自由主義([[新自由主義]]、Neoliberalism)志向であるとしばしば受け取られている。

第4次[[バルケネンデ]]内閣成立後に連立政権から離脱。2010年の総選挙で勝利し第一党となり、党首のマルク・ルッテを首班とする[[キリスト教民主アピール]]などとの連立政権が発足した。2012年の総選挙の結果、連立相手を[[労働党_(オランダ)|労働党]]に切り替えた。


[[自由主義インターナショナル]]、[[欧州自由民主改革党]]に加盟している。
[[自由主義インターナショナル]]、[[欧州自由民主改革党]]に加盟している。


== 外部リンク ==
== 歴史 ==
=== 結党から1960年代前半まで ===
*[http://www.vvd.nl 自由民主国民党(VVD)公式ホームページ]
VVDは1948年1月24日、[[:en:Freedom_Party_(Netherlands)|自由党(1946~48年)]]と、[[労働党 (オランダ)|労働党]](PvdA)に加わっていた自由主義左派が合流して結成された<ref>{{Cite |和書 |author = 網谷龍介・[[伊藤武 (政治学者)|伊藤武]]・成廣孝 |title = ヨーロッパのデモクラシー |date = 2009 |publisher = ナカニシヤ出版 |ref = harv }}</ref><ref>{{cite web|url=https://vvd-digitaal.dnpp.nl/perioden/1948/geschiedenis|title=Geschiedenis 1948|website=Documentatiecentrum Nederlandse Politieke Partijen (DNPP)|language=nl|accessdate=2022-12-30}}</ref>。初代党首には{{仮リンク|ピーター・ウード|en|Pieter_Oud}}が就任した。


1948年から1952年までは[[ウィレム・ドレース]]内閣の連立与党(PvdA、{{仮リンク|カトリック人民党|en|Catholic_People%27s_Party}}(KVP)、{{仮リンク|キリスト教歴史同盟|en|Christian_Historical_Union}}(CHU))に加わった。1952年の[[第二院 (オランダ)|第二院]](下院)選挙では1議席増となったが、連立組み換えで野党となった。1959年の第二院選挙後にはKVPのヤン・デ・クヴァイ内閣の連立与党(KVP、{{仮リンク|反革命党|en|Anti-Revolutionary_Party}}(ARP)、CHU)に加わった。ピーター・ウードは1963年に政界引退を表明し、党首を辞任した。


1963年の第二院選挙では議席を減らしたものの、同じ連立与党によるヴィクトル・マリネン内閣に参画した<ref>{{cite web|url=https://vvd-digitaal.dnpp.nl/perioden/1948-1963/geschiedenis|title=Geschiedenis 1948 - 1963 |website=Documentatiecentrum Nederlandse Politieke Partijen (DNPP)|language=nl|accessdate=2022-12-30}}</ref>。1965年にマリネン内閣が崩壊すると、続くヨー・カルス内閣とイェレ・ゼイルストラ内閣では野党となった。
{{オランダの政党}}


1960年代までのVVDは、いわゆる「柱状化社会」の中で他の自由主義的な組織(オランダ経団連(VNO)、放送局({{仮リンク|AVRO|en|AVRO}})等)と緩やかなつながりを持ち、勢力を維持した。

=== 1960年代後半以降 ===
1966年には、VVDのアムステルダム市議会議員だった{{仮リンク|ハンス・グライテルス|en|Hans_Gruijters}}らのイニシアチブによって[[民主66]](D66)が設立され、党内左派グループや青年組織からの参加者が生じた。こうした政治構造の変化を受けて、1971年に党首になった{{仮リンク|ハンス・ウィーゲル|en|Hans_Wiegel}}は労働者階級や中間層への支持の拡大を図った。

1972年の第二院選挙では6議席増の22議席を得た。PvdA等の連立によるヨープ・デン・アイル内閣を野党の立場から批判し、1977年の第二院選挙では更に6議席を増やして28議席とした。選挙後に、[[キリスト教民主アピール]](CDA)とVVDの2党の連立により第1次ドリース・ファン・アフト内閣を成立させた。1981年の第二院選挙では2議席減の26議席となり、連立与党の議席は過半数割れとなり、第2次・第3次ドリース・ファン・アフト内閣では連立与党から外れた。翌年、ハンス・ウィーゲルは党首を辞任した<ref>{{cite web|url=https://vvd-digitaal.dnpp.nl/perioden/1971-1982/geschiedenis|title=Geschiedenis 1971 - 1982 |website=Documentatiecentrum Nederlandse Politieke Partijen (DNPP)|language=nl|accessdate=2022-12-30}}</ref>。

この間の党勢拡大の結果、1982年には党員数が10万2888人と党史上最多を記録している<ref name="dnpp" />。

新たに党首となった{{仮リンク|エド・ナイペルス|en|Ed_Nijpels}}の下で、1982年の第二院選挙では10議席増の36議席を獲得した。CDAと共に第1次ルード・ルベルス内閣を成立させた。1986年の第二院選挙では9議席減の27議席に留まったが、引き続きCDAと第2次ルード・ルベルス内閣を維持した。ナイペルスは入閣に伴い党首を引き、Joris Voorhoeveが党首となった<ref name="DNPP_1982-1990">{{cite web|url=https://vvd-digitaal.dnpp.nl/perioden/1982-1990/geschiedenis|title=Geschiedenis 1982 - 1990 |website=Documentatiecentrum Nederlandse Politieke Partijen (DNPP)|language=nl|accessdate=2022-12-30}}</ref>。

1989年には、環境対策の総合計画におけるガソリン税の増税やマイカー通勤者の通勤費非課税措置の上限額引下げをめぐって、VVDと内閣が対立して内閣総辞職に至った<ref name="DNPP_1982-1990" /><ref>{{Cite journal |和書 |author=[[林瑞枝]] |title=地球環境をいうとき―ストックホルムからサンパウロへ― |journal=時の法令 |volume= |issue=1411 |publisher=朝陽会 |date=1991-10-15 |pages=72}}</ref>。その後行われた第二院選挙では5議席減の22議席となった。第3次ルベルス内閣は連立与党をPvdAに変えたため、VVDは野党となった。

=== 1990年代以降 ===
1990年には{{仮リンク|フリッツ・ボルケスタイン|en|Frits_Bolkestein}}が党首になった。1994年の第二院選挙でVVDは議席を9増やして31議席とすると、PvdAの[[ウィム・コック]]首相率いる「{{仮リンク|紫連立|en|Purple_coalition}}」に加わった。この連立内閣の下で[[規制緩和]]や、[[安楽死]]や[[売春]]の合法化などのリベラルな改革が進められた<ref>{{Cite |和書 |author = 津田由美子・吉武信彦 |title = 北欧・南欧・ベネルクス |date = 2011 |publisher = ミネルヴァ書房 |ref = harv }}</ref>。1995年の地方議会選挙で大勝し、第一院で初めて第1党となり、1998年の第二院選挙では38議席まで議席を伸ばした。ボルケスタインは[[欧州委員会|欧州委員]]に就任するために党首を退いた。後任には{{仮リンク|ハンス・ダイクスタル|en|Hans_Dijkstal}}が就任した<ref>{{cite web|url=https://vvd-digitaal.dnpp.nl/perioden/1990-1998/geschiedenis|title=Geschiedenis 1990 - 1998 |website=Documentatiecentrum Nederlandse Politieke Partijen (DNPP)|language=nl|accessdate=2022-12-30}}</ref>。

=== 2000年代以降 ===
2002年の第二院選挙では、選挙前には優勢が予想されていたものの、{{仮リンク|ピム・フォルタインリスト|en|Pim_Fortuyn_List}}(LPF)の台頭と[[ピム・フォルタイン]]殺害事件の影響などから、24議席まで議席数を減らした。ハンス・ダイクスタルは党首を退き、{{仮リンク|ヘリット·・ザルム|en|Gerrit_Zalm}}に交代した<ref name="DNPP_1998-2006">{{cite web|url=https://vvd-digitaal.dnpp.nl/perioden/1998-2006/geschiedenis|title=Geschiedenis 1998 - 2006 |website=Documentatiecentrum Nederlandse Politieke Partijen (DNPP)|language=nl|accessdate=2022-12-30}}</ref>。選挙後にはCDAの[[ヤン・ペーター・バルケネンデ]]を首班とする第1次バルケネンデ内閣の連立与党にLPFと共に加わった。翌2003年にLPFの党内の混乱により内閣が瓦解すると、同年の第二院選挙では28議席まで議席を回復させ、第2次バルケネンデ内閣の連立与党(CDA、D66)となった。

2004年にはVVDの下院議員の[[ヘルト・ウィルダース]]が、[[トルコ]]の欧州連合加盟をめぐる党内対立などから離党した(ウィルダースは後に[[自由党_(オランダ)|自由党]](PVV)を結成する)。

2006年には地方議会選挙の敗北を契機に、新たに[[マルク・ルッテ]]が党首に就任した。同年にはVVD所属の[[アヤーン・ヒルシ・アリ]]下院議員の国籍問題を契機にD66が連立を離脱したため<ref name="DNPP_1998-2006" />、(第3次)バルケネンデ内閣は[[少数与党]]となった。VVDは同年の第二院選挙では22議席しか獲得できず、翌年発足した第4次バルケネンデ内閣には加わらず、野党となった。

=== 2010年代以降 ===
2010年の第二院選挙で31議席を獲得し、結成後初めて第二院で第1党となり、CDAとの連立とPVVの閣外協力による第1次ルッテ内閣を成立させた。2012年の第二院選挙では41議席に伸ばし、連立相手をPvdAに変えて第2次ルッテ内閣を形成した。2017年の第二院選挙では33議席に減らしたが第1党を維持し、7か月にわたる連立交渉を経てCDA、D66、[[キリスト教連合]](CU)との4党連立による第3次ルッテ内閣を成立させ、政権を維持した<ref>{{Cite web|和書|title=オランダ4党が連立で合意、総選挙から7カ月経て|url=https://jp.reuters.com/article/netherlands-government-idJPKBN1CG0LP|publisher= Reuters|accessdate=2020-12-30}}</ref>。

2021年の[[2021年オランダ総選挙|第二院選挙]]では34議席を得て第1党を維持し、9か月の連立協議を経て、同じ連立与党による第4次ルッテ内閣が成立した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jetro.go.jp/biznews/2021/12/76f39d810504b928.html|title=過去最長の約9カ月間を経て連立政権の合意成立(オランダ) | ビジネス短信|website=[[日本貿易振興機構]]|date=2021-12-24|accessdate=2022-12-30}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jetro.go.jp/biznews/2022/01/4a005c32a4c1cbdf.html|title=第4次ルッテ内閣が発足、民間からも閣僚へ登用(オランダ) - ビジネス短信|website=[[日本貿易振興機構]]|date=2022-01-18|accessdate=2022-12-30}}</ref>。

2023年8月14日に{{ill2|ディラン・イェスィルギョズ=ゼヘリウス|en|Dilan Yeşilgöz-Zegerius}}司法相が新党首に就任<ref>{{Cite news|url=https://www.bloomberg.com/news/articles/2023-08-14/dutch-justice-minister-becomes-new-leader-of-rutte-s-vvd-party|title=Dutch Justice Minister Becomes New Leader of Rutte’s VVD Party|work=bloomberg.co.jp|agency=[[ブルームバーグ (企業)|ブルームバーグ]]|date=2023-08-14|accessdate=2023-11-25}}</ref>。同年11月22日に執行された[[2023年オランダ総選挙|第二院選挙]]では10議席減らし24議席と敗北し、極右の[[自由党 (オランダ)|自由党]](37議席)、[[労働党 (オランダ)|労働党]]と[[フルンリンクス|グリーンレフト]]が組む左派連合(25議席)にも抜かれ議会内第3勢力に転落した<ref>{{Cite news|url=https://jp.reuters.com/markets/japan/funds/27P6LZRQJRLXVET3UVVNVJAW4A-2023-11-23/|title=オランダ下院選、第1党の極右党首が首相就任に意欲 連立難航も|agency=[[ロイター]]|date=2023-11-24|accessdate=2023-11-25}}</ref>。

== イデオロギーと政策 ==
{{Col-begin}}
{{Col-4}}
* 経済・財政
** [[小さな政府]]
** [[レッセフェール]] (自由放任主義)
** [[減税]]
** [[市場経済]]
** [[財政均衡]]
** [[持続可能な開発]]
{{Col-4}}
* 政府・社会問題
** [[規制緩和]]
** [[政教分離]]
** [[多重国籍]]は最小限に
** [[同性婚]]を支持
** マイノリティの文化的同化
** [[動物の権利]]
{{Col-4}}
* 外交・法制度
** [[ヨーロッパ統合]]を支持
** [[国際主義]]
** [[多国間主義]]
** ソフトドラッグとハードドラックを区別して扱う
{{Col-4}}
* 健康
** [[ユニバーサルヘルスケア]] (国民皆保険)
** [[幹細胞]]研究を促進
** [[人工妊娠中絶]]を容認
** [[安楽死]]を容認
{{Col-end}}

自由民主国民党 (VVD) は[[自由主義]]の理念の下に設立され、市場の自由をオランダの政党の中で最も熱心に支持してきた。[[古典的自由主義]]、経済自由主義、文化自由主義の立場をとる一方で、オランダの[[福祉国家]]の建設にも関わってきた。

VVDの根本的な方針は、「リベラルマニフェスト Liberaal Manifest」と呼ばれる文書や[[選挙綱領]]に述べられている。最新の「リベラルマニフェスト」は2005年に発表されたものである。この中では、民主主義、安全保障、自由、市民権の4つのテーマから方針が述べられている。

== 選挙結果 ==
===国会 ([[スターテン・ヘネラール]]) ===
{| class="wikitable"
|+ 第二院の選挙結果<ref name=Kiesraad>出典はオランダ選挙管理委員会([https://www.verkiezingsuitslagen.nl/ Kiesraad - verkiezingsuitslagen])掲載データ(2022年10月15日閲覧)</ref>
|-
! 選挙年
! 得票数
! %
! 獲得議席数
! +/-
! 備考
|-
! 1948
| style="text-align:right" |391,861
| style="text-align:right" |7.95
| {{Composition bar|8|100|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}}
| {{steady}}
| style="background-color:#dbffed | 連立与党
|-
! 1952
| style="text-align:right" |471,038
| style="text-align:right" |8.83
| {{Composition bar|9|100|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}}
| {{increase}}1
| style="background-color:#ffdddd | 野党
|-
! rowspan="2" |1956
| rowspan="2" style="text-align:right" |502,530
| rowspan="2" style="text-align:right" |8.77
| {{Composition bar|9|100|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}}
| {{steady}}
| rowspan="2" style="background-color:#ffdddd | 野党
|-
| {{Composition bar|13|150|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}}
| {{increase}}4
|-
! 1959
| style="text-align:right" |732,758
| style="text-align:right" |12.21
| {{Composition bar|19|150|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}}
| {{increase}}6
| style="background-color:#dbffed | 連立与党
|-
! rowspan="2" |1963
| rowspan="2" style="text-align:right" |643,820
| rowspan="2" style="text-align:right" |10.29
| rowspan="2" |{{Composition bar|16|150|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}}
| rowspan="2" |{{decrease}}3
| style="background-color:#dbffed | 連立与党(1963-1965)
|-
| style="background-color:#ffdddd | 野党(1965-1967)
|-
! 1967
| style="text-align:right" |738,229
| style="text-align:right" |10.73
| {{Composition bar|17|150|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}}
| {{increase}}1
| style="background-color:#dbffed | 連立与党
|-
! 1971
| style="text-align:right" |653,606
| style="text-align:right" |10.34
| {{Composition bar|16|150|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}}
| {{decrease}}1
| style="background-color:#dbffed | 連立与党
|-
! 1972
| style="text-align:right" |1,068,375
| style="text-align:right" |14.45
| {{Composition bar|22|150|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}}
| {{increase}}6
| style="background-color:#ffdddd | 野党
|-
! 1977
| style="text-align:right" |1,492,689
| style="text-align:right" |17.95
| {{Composition bar|28|150|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}}
| {{increase}}6
| style="background-color:#dbffed | 連立与党
|-
! 1981
| style="text-align:right" |1,505,311
| style="text-align:right" |17.32
| {{Composition bar|26|150|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}}
| {{decrease}}2
| style="background-color:#ffdddd | 野党
|-
! 1982
| style="text-align:right" |1,900,763
| style="text-align:right" |23.08
| {{Composition bar|36|150|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}}
| {{increase}}10
| style="background-color:#dbffed | 連立与党
|-
! 1986
| style="text-align:right" |1,596,991
| style="text-align:right" |17.41
| {{Composition bar|27|150|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}}
| {{decrease}}9
| style="background-color:#dbffed | 連立与党
|-
! 1989
| style="text-align:right" |1,290,427
| style="text-align:right" |14.54
| {{Composition bar|22|150|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}}
| {{decrease}}5
| style="background-color:#ffdddd | 野党
|-
! 1994
| style="text-align:right" |1,792,401
| style="text-align:right" |19.96
| {{Composition bar|31|150|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}}
| {{increase}}9
| style="background-color:#dbffed | 連立与党
|-
! 1998
| style="text-align:right" |2,124,971
| style="text-align:right" |24.69
| {{Composition bar|38|150|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}}
| {{increase}}7
| style="background-color:#dbffed | 連立与党
|-
! 2002
| style="text-align:right" |1,466,722
| style="text-align:right" |15.44
| {{Composition bar|24|150|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}}
| {{decrease}}14
| style="background-color:#dbffed | 連立与党
|-
! 2003
| style="text-align:right" |1,728,707
| style="text-align:right" |17.91
| {{Composition bar|28|150|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}}
| {{increase}}4
| style="background-color:#dbffed | 連立与党
|-
! 2006
| style="text-align:right" |1,443,312
| style="text-align:right" |14.67
| {{Composition bar|22|150|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}}
| {{decrease}}6
| style="background-color:#ffdddd | 野党
|-
! 2010
| style="text-align:right" |1,929,575
| style="text-align:right" |20.49
| {{Composition bar|31|150|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}}
| {{increase}}9
| style="background-color:#dbffed | 連立与党
|-
! 2012
| style="text-align:right" |2,504,948
| style="text-align:right" |26.58
| {{Composition bar|41|150|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}}
| {{increase}}10
| style="background-color:#dbffed | 連立与党
|-
! 2017
| style="text-align:right" |2,238,351
| style="text-align:right" |21.29
| {{Composition bar|33|150|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}}
| {{decrease}}8
| style="background-color:#dbffed | 連立与党
|-
! 2021
| style="text-align:right" |2,279,130
| style="text-align:right" |21.87
| {{Composition bar|34|150|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}}
| {{increase}}1
| style="background-color:#dbffed | 連立与党
|-
|}

{| class="wikitable"
|+ 第一院の選挙結果
|-
! 選挙年
! 得票数<ref>州の人口に基づく投票価値係数で調整した後の値。</ref>
! %<ref name=Kiesraad />
! 獲得議席数<ref name="Eerste Kamer 1917-nu">{{cite web|url=https://www.nlverkiezingen.com/EK1703.html|title=Zetelverdeling in de Eerste Kamer 1917-nu|website=Nederlandse verkiezingsuitslagen 1918-nu|accessdate=2022-10-11}}</ref>
! +/-
|-
! 1948
| style="text-align:right" |
| style="text-align:right" |
| {{Composition bar|3|50|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}}
| {{steady}}
|-
! 1951
| style="text-align:right" |
| style="text-align:right" |
| {{Composition bar|4|50|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}}
| {{increase}}1
|-
! 1952
| style="text-align:right" |
| style="text-align:right" |
| {{Composition bar|4|50|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}}
| {{steady}}
|-
! 1955
| style="text-align:right" |
| style="text-align:right" |
| {{Composition bar|4|50|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}}
| {{steady}}
|-
! rowspan="2" |1956
| style="text-align:right" |
| style="text-align:right" |
| {{Composition bar|4|50|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}}
| {{steady}}
|-
| style="text-align:right" |
| style="text-align:right" |
| {{Composition bar|7|75|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}}
| {{increase}}3
|-
! 1959
| style="text-align:right" |
| style="text-align:right" |
| {{Composition bar|8|75|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}}
| {{increase}}1
|-
! 1963
| style="text-align:right" |
| style="text-align:right" |
| {{Composition bar|7|75|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}}
| {{decrease}}1
|-
! 1966
| style="text-align:right" |
| style="text-align:right" |
| {{Composition bar|8|75|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}}
| {{increase}}1
|-
! 1969
| style="text-align:right" |
| style="text-align:right" |
| {{Composition bar|8|75|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}}
| {{steady}}
|-
! 1971
| style="text-align:right" |
| style="text-align:right" |
| {{Composition bar|8|75|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}}
| {{steady}}
|-
! 1974
| style="text-align:right" |
| style="text-align:right" |
| {{Composition bar|12|75|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}}
| {{increase}}4
|-
! 1977
| style="text-align:right" |
| style="text-align:right" |
| {{Composition bar|15|75|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}}
| {{increase}}3
|-
! 1980
| style="text-align:right" |
| style="text-align:right" |
| {{Composition bar|13|75|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}}
| {{decrease}} 2
|-
! 1981
| style="text-align:right" |
| style="text-align:right" |
| {{Composition bar|12|75|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}}
| {{decrease}} 1
|-
! 1983
| style="text-align:right" |
| style="text-align:right" |
| {{Composition bar|17|75|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}}
| {{increase}}5
|-
! 1986
| style="text-align:right" |
| style="text-align:right" |
| {{Composition bar|16|75|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}}
| {{decrease}} 1
|-
! 1987
| style="text-align:right" |
| style="text-align:right" |
| {{Composition bar|12|75|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}}
| {{decrease}} 4
|-
! 1991
| style="text-align:right" |
| style="text-align:right" |
| {{Composition bar|12|75|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}}
| {{steady}}
|-
! 1995
| style="text-align:right" |
| style="text-align:right" |
| {{Composition bar|23|75|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}}
| {{increase}}11
|-
! 1999<ref>{{cite web|url=https://www.nlverkiezingen.com/EK1999.html|title=Eerste-Kamerverkiezingen - 25 mei 1999|website=Nederlandse verkiezingsuitslagen 1918-nu|accessdate=2022-10-11}}</ref>
| style="text-align:right" |39,809
| style="text-align:right" |
| {{Composition bar|19|75|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}}
| {{decrease}} 4
|-
! 2003<ref>{{cite web|url=https://www.nlverkiezingen.com/EK2003.html|title=Eerste-Kamerverkiezingen - 26 mei 2003|website=Nederlandse verkiezingsuitslagen 1918-nu|accessdate=2022-10-11}}</ref>
| style="text-align:right" |31,026
| style="text-align:right" |19.19
| {{Composition bar|15|75|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}}
| {{decrease}} 4
|-
! 2007<ref>{{cite web|url=https://www.nlverkiezingen.com/EK2007.html|title=Eerste-Kamerverkiezingen - 29 mei 2007|website=Nederlandse verkiezingsuitslagen 1918-nu|accessdate=2022-10-11}}</ref>
| style="text-align:right" |31,360
| style="text-align:right" |19.23
| {{Composition bar|14|75|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}}
| {{decrease}} 1
|-
! 2011<ref>{{cite web|url=https://www.nlverkiezingen.com/EK2011.html|title=Eerste-Kamerverkiezingen - 23 mei 2011|website=Nederlandse verkiezingsuitslagen 1918-nu|accessdate=2022-10-11}}</ref>
| style="text-align:right" |34,590
| style="text-align:right" |19.65
| {{Composition bar|16|75|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}}
| {{increase}}2
|-
! 2015<ref>{{cite web|url=https://www.nlverkiezingen.com/EK2015.html|title=Eerste-Kamerverkiezingen - 26 mei 2015|website=Nederlandse verkiezingsuitslagen 1918-nu|accessdate=2022-10-11}}</ref>
| style="text-align:right" |28,523
| style="text-align:right" |15.79
| {{Composition bar|13|75|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}}
| {{decrease}} 3
|-
! 2019<ref>{{cite web|url=https://www.nlverkiezingen.com/EK2019.html|title=Eerste-Kamerverkiezingen - 27 mei 2019|website=Nederlandse verkiezingsuitslagen 1918-nu|accessdate=2022-10-11}}</ref>
| style="text-align:right" |26,157
| style="text-align:right" |13.27
| {{Composition bar|12|75|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}}
| {{decrease}} 1
|-
|}

===欧州議会===
{| class="wikitable"
|+ 欧州議会選挙の選挙結果<ref name=Kiesraad />
|-
! 選挙年
! 得票数
! %
! 獲得議席数
! +/-
! 備考
|-
! 1979
| style="text-align:right" |914,787
| style="text-align:right" |16.14
| {{Composition bar|4|25|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}}
| {{steady}}
|
|-
! 1984
| style="text-align:right" |1,002,685
| style="text-align:right" |18.93
| {{Composition bar|5|25|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}}
| {{increase}}1
|
|-
! 1989
| style="text-align:right" |714,745
| style="text-align:right" |13.63
| {{Composition bar|3|25|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}}
| {{decrease}}2
|
|-
! 1994
| style="text-align:right" |740,443
| style="text-align:right" |17.91
| {{Composition bar|6|31|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}}
| {{increase}}3
|
|-
! 1999
| style="text-align:right" |698,050
| style="text-align:right" |19.69
| {{Composition bar|6|31|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}}
| {{steady}}
|
|-
! 2004
| style="text-align:right" |629,198
| style="text-align:right" |13.2
| {{Composition bar|4|27|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}}
| {{decrease}}2
|
|-
! rowspan="2" |2009
| rowspan="2" style="text-align:right" |518,643
| rowspan="2" style="text-align:right" |11.39
| {{Composition bar|3|25|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}}
| {{decrease}}1
|
|-
| {{Composition bar|3|26|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}}
| {{steady}}
|※[[リスボン条約]]批准後の議席数見直し後
|-
! 2014
| style="text-align:right" |571,176
| style="text-align:right" |12.02
| {{Composition bar|3|26|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}}
| {{steady}}
|
|-
! rowspan="2" |2019
| rowspan="2" style="text-align:right" |805,100
| rowspan="2" style="text-align:right" |14.64
| {{Composition bar|4|26|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}}
| {{increase}}1
|
|-
| {{Composition bar|5|29|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}}
| {{increase}}1
|※[[イギリスの欧州連合離脱|英国のEU離脱]]に伴う議席数見直し後
|-
|}

==支持基盤==
伝統的に、富裕ビジネスマン層,中間層,ホワイトカラー層を支持基盤とするとされる<ref name="Britannica"/>。

==党組織==
===党大会===
党大会は年に2回開催される<ref>{{cite web|url=https://dnpp.nl/pp/vvd/congres|title=VVD congressen |website=Documentatiecentrum Nederlandse Politieke Partijen (DNPP)|language=nl|accessdate=2022-12-30}}</ref>。

===党員数===
2022年時点の党員数は26,550人とされる<ref name="dnpp" />。1970年代末から80年代初頭にかけて、一時10万人以上の党員数を記録していたが、近年は減少傾向にある。

===関連組織===
* テルダース財団({{lang-nl-short|TeldersStichting}}):党シンクタンク。 1954年4月6日設立<ref>{{cite web|url=https://www.teldersstichting.nl/over-teldersstichting|title=Over TeldersStichting|website=TeldersStichting|language=nl|accessdate=2022-12-30}}</ref>。ライデン大学の法学者で元自由党党首だった{{仮リンク|ベンジャミン・テルダース|en|Benjamin_Marius_Telders}}(1903-1945)にちなんで名付けられた。
* 青年組織自由と民主主義({{lang-nl-short|Jongeren Organisatie Vrijheid en Democratie (JOVD)}}):青年組織。1949年2月26日設立<ref>{{cite web|url=https://jovd-digitaal.dnpp.nl/perioden/jaren-vijftig/geschiedenis|title=Geschiedenis jaren vijftig |website=Documentatiecentrum Nederlandse Politieke Partijen (DNPP)|language=nl|accessdate=2022-12-30}}</ref>。{{仮リンク|欧州リベラルユース|en|European_Liberal_Youth}}及び{{仮リンク|リベラルユース国際連盟|en|International_Federation_of_Liberal_Youth}}に加盟している。
* ハヤ・ヴァン・ソメレン財団({{lang-nl-short|Haya van Somerenstichting}}):教育訓練機関。1969年から1974年まで党議長を務めた{{仮リンク|ハヤ・ヴァン・ソメレン|en|Haya_van_Someren}}(1926-1980)にちなんで1981年に名付けられた。

===国際組織===
民主66と共に、[[欧州自由民主改革党]](ALDE)、[[自由主義インターナショナル]](LI)に所属している。欧州議会の会派としては、民主66と共に[[欧州刷新]](2019年までは[[欧州自由民主同盟]])に所属している。

==脚注==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}

== 外部リンク ==
*[http://www.vvd.nl 自由民主国民党(VVD)]
{{オランダの政党}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:しゆうみんしゆこくみんとう}}
{{DEFAULTSORT:しゆうみんしゆこくみんとう}}
[[category:オランダの政党]]
[[category:オランダの政党]]
[[category:保守政党]]
[[category:自由保守主義の政党]]
[[Category:1948年設立の政党・政治団体]]
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2024年12月10日 (火) 23:45時点における最新版

オランダの旗 オランダ政党
自由民主国民党
Volkspartij voor Vrijheid en Democratie
党首 ディラン・イェスィルギョズ=ゼヘリウス英語版
成立年月日 1948年1月24日
本部所在地 オランダの旗 オランダデン・ハーグ
第二院議席数
24 / 150   (16%)
(2023年11月22日)
第一院議席数
12 / 75   (16%)
(2019年5月27日)
欧州議会
5 / 29   (17%)
(2020年)
党員・党友数
26,550
(2022年[1]
政治的思想・立場 中道右派保守[2]
保守自由主義
新自由主義
国際組織 自由主義インターナショナル
欧州自由民主改革党
欧州刷新
公式サイト 自由民主国民党(VVD)公式ホームページ
テンプレートを表示

自由民主国民党(じゆうみんしゅこくみんとう、オランダ語: Volkspartij voor Vrijheid en Democratie、略称:VVD[2])は、オランダ自由主義政党自由民主人民党とも訳される[3]

VVDは「民間企業の最も声高な支援者」と呼ばれる[要出典]。また、社会自由主義を志向する民主66と対比して、市場自由主義(新自由主義、Neoliberalism)志向であるとしばしば受け取られている。

自由主義インターナショナル欧州自由民主改革党に加盟している。

歴史

[編集]

結党から1960年代前半まで

[編集]

VVDは1948年1月24日、自由党(1946~48年)と、労働党(PvdA)に加わっていた自由主義左派が合流して結成された[4][5]。初代党首にはピーター・ウード英語版が就任した。

1948年から1952年まではウィレム・ドレース内閣の連立与党(PvdA、カトリック人民党英語版(KVP)、キリスト教歴史同盟英語版(CHU))に加わった。1952年の第二院(下院)選挙では1議席増となったが、連立組み換えで野党となった。1959年の第二院選挙後にはKVPのヤン・デ・クヴァイ内閣の連立与党(KVP、反革命党英語版(ARP)、CHU)に加わった。ピーター・ウードは1963年に政界引退を表明し、党首を辞任した。

1963年の第二院選挙では議席を減らしたものの、同じ連立与党によるヴィクトル・マリネン内閣に参画した[6]。1965年にマリネン内閣が崩壊すると、続くヨー・カルス内閣とイェレ・ゼイルストラ内閣では野党となった。

1960年代までのVVDは、いわゆる「柱状化社会」の中で他の自由主義的な組織(オランダ経団連(VNO)、放送局(AVRO英語版)等)と緩やかなつながりを持ち、勢力を維持した。

1960年代後半以降

[編集]

1966年には、VVDのアムステルダム市議会議員だったハンス・グライテルス英語版らのイニシアチブによって民主66(D66)が設立され、党内左派グループや青年組織からの参加者が生じた。こうした政治構造の変化を受けて、1971年に党首になったハンス・ウィーゲル英語版は労働者階級や中間層への支持の拡大を図った。

1972年の第二院選挙では6議席増の22議席を得た。PvdA等の連立によるヨープ・デン・アイル内閣を野党の立場から批判し、1977年の第二院選挙では更に6議席を増やして28議席とした。選挙後に、キリスト教民主アピール(CDA)とVVDの2党の連立により第1次ドリース・ファン・アフト内閣を成立させた。1981年の第二院選挙では2議席減の26議席となり、連立与党の議席は過半数割れとなり、第2次・第3次ドリース・ファン・アフト内閣では連立与党から外れた。翌年、ハンス・ウィーゲルは党首を辞任した[7]

この間の党勢拡大の結果、1982年には党員数が10万2888人と党史上最多を記録している[1]

新たに党首となったエド・ナイペルス英語版の下で、1982年の第二院選挙では10議席増の36議席を獲得した。CDAと共に第1次ルード・ルベルス内閣を成立させた。1986年の第二院選挙では9議席減の27議席に留まったが、引き続きCDAと第2次ルード・ルベルス内閣を維持した。ナイペルスは入閣に伴い党首を引き、Joris Voorhoeveが党首となった[8]

1989年には、環境対策の総合計画におけるガソリン税の増税やマイカー通勤者の通勤費非課税措置の上限額引下げをめぐって、VVDと内閣が対立して内閣総辞職に至った[8][9]。その後行われた第二院選挙では5議席減の22議席となった。第3次ルベルス内閣は連立与党をPvdAに変えたため、VVDは野党となった。

1990年代以降

[編集]

1990年にはフリッツ・ボルケスタイン英語版が党首になった。1994年の第二院選挙でVVDは議席を9増やして31議席とすると、PvdAのウィム・コック首相率いる「紫連立英語版」に加わった。この連立内閣の下で規制緩和や、安楽死売春の合法化などのリベラルな改革が進められた[10]。1995年の地方議会選挙で大勝し、第一院で初めて第1党となり、1998年の第二院選挙では38議席まで議席を伸ばした。ボルケスタインは欧州委員に就任するために党首を退いた。後任にはハンス・ダイクスタル英語版が就任した[11]

2000年代以降

[編集]

2002年の第二院選挙では、選挙前には優勢が予想されていたものの、ピム・フォルタインリスト英語版(LPF)の台頭とピム・フォルタイン殺害事件の影響などから、24議席まで議席数を減らした。ハンス・ダイクスタルは党首を退き、ヘリット·・ザルム英語版に交代した[12]。選挙後にはCDAのヤン・ペーター・バルケネンデを首班とする第1次バルケネンデ内閣の連立与党にLPFと共に加わった。翌2003年にLPFの党内の混乱により内閣が瓦解すると、同年の第二院選挙では28議席まで議席を回復させ、第2次バルケネンデ内閣の連立与党(CDA、D66)となった。

2004年にはVVDの下院議員のヘルト・ウィルダースが、トルコの欧州連合加盟をめぐる党内対立などから離党した(ウィルダースは後に自由党(PVV)を結成する)。

2006年には地方議会選挙の敗北を契機に、新たにマルク・ルッテが党首に就任した。同年にはVVD所属のアヤーン・ヒルシ・アリ下院議員の国籍問題を契機にD66が連立を離脱したため[12]、(第3次)バルケネンデ内閣は少数与党となった。VVDは同年の第二院選挙では22議席しか獲得できず、翌年発足した第4次バルケネンデ内閣には加わらず、野党となった。

2010年代以降

[編集]

2010年の第二院選挙で31議席を獲得し、結成後初めて第二院で第1党となり、CDAとの連立とPVVの閣外協力による第1次ルッテ内閣を成立させた。2012年の第二院選挙では41議席に伸ばし、連立相手をPvdAに変えて第2次ルッテ内閣を形成した。2017年の第二院選挙では33議席に減らしたが第1党を維持し、7か月にわたる連立交渉を経てCDA、D66、キリスト教連合(CU)との4党連立による第3次ルッテ内閣を成立させ、政権を維持した[13]

2021年の第二院選挙では34議席を得て第1党を維持し、9か月の連立協議を経て、同じ連立与党による第4次ルッテ内閣が成立した[14][15]

2023年8月14日にディラン・イェスィルギョズ=ゼヘリウス英語版司法相が新党首に就任[16]。同年11月22日に執行された第二院選挙では10議席減らし24議席と敗北し、極右の自由党(37議席)、労働党グリーンレフトが組む左派連合(25議席)にも抜かれ議会内第3勢力に転落した[17]

イデオロギーと政策

[編集]

自由民主国民党 (VVD) は自由主義の理念の下に設立され、市場の自由をオランダの政党の中で最も熱心に支持してきた。古典的自由主義、経済自由主義、文化自由主義の立場をとる一方で、オランダの福祉国家の建設にも関わってきた。

VVDの根本的な方針は、「リベラルマニフェスト Liberaal Manifest」と呼ばれる文書や選挙綱領に述べられている。最新の「リベラルマニフェスト」は2005年に発表されたものである。この中では、民主主義、安全保障、自由、市民権の4つのテーマから方針が述べられている。

選挙結果

[編集]
第二院の選挙結果[18]
選挙年 得票数 % 獲得議席数 +/- 備考
1948 391,861 7.95
8 / 100
増減なし 連立与党
1952 471,038 8.83
9 / 100
増加1 野党
1956 502,530 8.77
9 / 100
増減なし 野党
13 / 150
増加4
1959 732,758 12.21
19 / 150
増加6 連立与党
1963 643,820 10.29
16 / 150
減少3 連立与党(1963-1965)
野党(1965-1967)
1967 738,229 10.73
17 / 150
増加1 連立与党
1971 653,606 10.34
16 / 150
減少1 連立与党
1972 1,068,375 14.45
22 / 150
増加6 野党
1977 1,492,689 17.95
28 / 150
増加6 連立与党
1981 1,505,311 17.32
26 / 150
減少2 野党
1982 1,900,763 23.08
36 / 150
増加10 連立与党
1986 1,596,991 17.41
27 / 150
減少9 連立与党
1989 1,290,427 14.54
22 / 150
減少5 野党
1994 1,792,401 19.96
31 / 150
増加9 連立与党
1998 2,124,971 24.69
38 / 150
増加7 連立与党
2002 1,466,722 15.44
24 / 150
減少14 連立与党
2003 1,728,707 17.91
28 / 150
増加4 連立与党
2006 1,443,312 14.67
22 / 150
減少6 野党
2010 1,929,575 20.49
31 / 150
増加9 連立与党
2012 2,504,948 26.58
41 / 150
増加10 連立与党
2017 2,238,351 21.29
33 / 150
減少8 連立与党
2021 2,279,130 21.87
34 / 150
増加1 連立与党
第一院の選挙結果
選挙年 得票数[19] %[18] 獲得議席数[20] +/-
1948
3 / 50
増減なし
1951
4 / 50
増加1
1952
4 / 50
増減なし
1955
4 / 50
増減なし
1956
4 / 50
増減なし
7 / 75
増加3
1959
8 / 75
増加1
1963
7 / 75
減少1
1966
8 / 75
増加1
1969
8 / 75
増減なし
1971
8 / 75
増減なし
1974
12 / 75
増加4
1977
15 / 75
増加3
1980
13 / 75
減少 2
1981
12 / 75
減少 1
1983
17 / 75
増加5
1986
16 / 75
減少 1
1987
12 / 75
減少 4
1991
12 / 75
増減なし
1995
23 / 75
増加11
1999[21] 39,809
19 / 75
減少 4
2003[22] 31,026 19.19
15 / 75
減少 4
2007[23] 31,360 19.23
14 / 75
減少 1
2011[24] 34,590 19.65
16 / 75
増加2
2015[25] 28,523 15.79
13 / 75
減少 3
2019[26] 26,157 13.27
12 / 75
減少 1

欧州議会

[編集]
欧州議会選挙の選挙結果[18]
選挙年 得票数 % 獲得議席数 +/- 備考
1979 914,787 16.14
4 / 25
増減なし
1984 1,002,685 18.93
5 / 25
増加1
1989 714,745 13.63
3 / 25
減少2
1994 740,443 17.91
6 / 31
増加3
1999 698,050 19.69
6 / 31
増減なし
2004 629,198 13.2
4 / 27
減少2
2009 518,643 11.39
3 / 25
減少1
3 / 26
増減なし リスボン条約批准後の議席数見直し後
2014 571,176 12.02
3 / 26
増減なし
2019 805,100 14.64
4 / 26
増加1
5 / 29
増加1 英国のEU離脱に伴う議席数見直し後

支持基盤

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伝統的に、富裕ビジネスマン層,中間層,ホワイトカラー層を支持基盤とするとされる[2]

党組織

[編集]

党大会

[編集]

党大会は年に2回開催される[27]

党員数

[編集]

2022年時点の党員数は26,550人とされる[1]。1970年代末から80年代初頭にかけて、一時10万人以上の党員数を記録していたが、近年は減少傾向にある。

関連組織

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国際組織

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民主66と共に、欧州自由民主改革党(ALDE)、自由主義インターナショナル(LI)に所属している。欧州議会の会派としては、民主66と共に欧州刷新(2019年までは欧州自由民主同盟)に所属している。

脚注

[編集]
  1. ^ a b c VVD ledentallen per jaar (1948- )” (オランダ語). Documentatiecentrum Nederlandse Politieke Partijen (DNPP). 2022年12月30日閲覧。
  2. ^ a b c ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 コトバンク. 2018年9月10日閲覧。
  3. ^ 水島治郎 (2021年8月27日). “第5章 オランダ” (PDF). 経済・社会文化・グローバリゼーション. 総合研究開発機構. 2022年12月30日閲覧。
  4. ^ 網谷龍介・伊藤武・成廣孝『ヨーロッパのデモクラシー』ナカニシヤ出版、2009年。 
  5. ^ Geschiedenis 1948” (オランダ語). Documentatiecentrum Nederlandse Politieke Partijen (DNPP). 2022年12月30日閲覧。
  6. ^ Geschiedenis 1948 - 1963” (オランダ語). Documentatiecentrum Nederlandse Politieke Partijen (DNPP). 2022年12月30日閲覧。
  7. ^ Geschiedenis 1971 - 1982” (オランダ語). Documentatiecentrum Nederlandse Politieke Partijen (DNPP). 2022年12月30日閲覧。
  8. ^ a b Geschiedenis 1982 - 1990” (オランダ語). Documentatiecentrum Nederlandse Politieke Partijen (DNPP). 2022年12月30日閲覧。
  9. ^ 林瑞枝「地球環境をいうとき―ストックホルムからサンパウロへ―」『時の法令』第1411号、朝陽会、1991年10月15日、72頁。 
  10. ^ 津田由美子・吉武信彦『北欧・南欧・ベネルクス』ミネルヴァ書房、2011年。 
  11. ^ Geschiedenis 1990 - 1998” (オランダ語). Documentatiecentrum Nederlandse Politieke Partijen (DNPP). 2022年12月30日閲覧。
  12. ^ a b Geschiedenis 1998 - 2006” (オランダ語). Documentatiecentrum Nederlandse Politieke Partijen (DNPP). 2022年12月30日閲覧。
  13. ^ オランダ4党が連立で合意、総選挙から7カ月経て”. Reuters. 2020年12月30日閲覧。
  14. ^ 過去最長の約9カ月間を経て連立政権の合意成立(オランダ)”. 日本貿易振興機構 (2021年12月24日). 2022年12月30日閲覧。
  15. ^ 第4次ルッテ内閣が発足、民間からも閣僚へ登用(オランダ) - ビジネス短信”. 日本貿易振興機構 (2022年1月18日). 2022年12月30日閲覧。
  16. ^ “Dutch Justice Minister Becomes New Leader of Rutte’s VVD Party”. bloomberg.co.jp. ブルームバーグ. (2023年8月14日). https://www.bloomberg.com/news/articles/2023-08-14/dutch-justice-minister-becomes-new-leader-of-rutte-s-vvd-party 2023年11月25日閲覧。 
  17. ^ “オランダ下院選、第1党の極右党首が首相就任に意欲 連立難航も”. ロイター. (2023年11月24日). https://jp.reuters.com/markets/japan/funds/27P6LZRQJRLXVET3UVVNVJAW4A-2023-11-23/ 2023年11月25日閲覧。 
  18. ^ a b c 出典はオランダ選挙管理委員会(Kiesraad - verkiezingsuitslagen)掲載データ(2022年10月15日閲覧)
  19. ^ 州の人口に基づく投票価値係数で調整した後の値。
  20. ^ Zetelverdeling in de Eerste Kamer 1917-nu”. Nederlandse verkiezingsuitslagen 1918-nu. 2022年10月11日閲覧。
  21. ^ Eerste-Kamerverkiezingen - 25 mei 1999”. Nederlandse verkiezingsuitslagen 1918-nu. 2022年10月11日閲覧。
  22. ^ Eerste-Kamerverkiezingen - 26 mei 2003”. Nederlandse verkiezingsuitslagen 1918-nu. 2022年10月11日閲覧。
  23. ^ Eerste-Kamerverkiezingen - 29 mei 2007”. Nederlandse verkiezingsuitslagen 1918-nu. 2022年10月11日閲覧。
  24. ^ Eerste-Kamerverkiezingen - 23 mei 2011”. Nederlandse verkiezingsuitslagen 1918-nu. 2022年10月11日閲覧。
  25. ^ Eerste-Kamerverkiezingen - 26 mei 2015”. Nederlandse verkiezingsuitslagen 1918-nu. 2022年10月11日閲覧。
  26. ^ Eerste-Kamerverkiezingen - 27 mei 2019”. Nederlandse verkiezingsuitslagen 1918-nu. 2022年10月11日閲覧。
  27. ^ VVD congressen” (オランダ語). Documentatiecentrum Nederlandse Politieke Partijen (DNPP). 2022年12月30日閲覧。
  28. ^ Over TeldersStichting” (オランダ語). TeldersStichting. 2022年12月30日閲覧。
  29. ^ Geschiedenis jaren vijftig” (オランダ語). Documentatiecentrum Nederlandse Politieke Partijen (DNPP). 2022年12月30日閲覧。

外部リンク

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