「自由民主国民党」の版間の差分
編集の要約なし タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 |
m Cite web|和書における引数修正 |
||
(19人の利用者による、間の26版が非表示) | |||
7行目: | 7行目: | ||
|画像サイズ = 200px |
|画像サイズ = 200px |
||
|党首職名 = 党首 |
|党首職名 = 党首 |
||
|党首氏名 = |
|党首氏名 = {{ill2|ディラン・イェスィルギョズ=ゼヘリウス|en|Dilan Yeşilgöz}} |
||
|上院代表職名 = |
|上院代表職名 = |
||
|上院代表氏名 = |
|上院代表氏名 = |
||
|下院代表職名 = |
|下院代表職名 = |
||
|下院代表氏名 = |
|下院代表氏名 = |
||
|成立年月日 = |
|成立年月日 = [[1948年]][[1月24日]] |
||
|郵便番号 = |
|郵便番号 = |
||
|本部所在地 = {{NLD}} |
|本部所在地 = {{NLD}}、[[デン・ハーグ]] |
||
|上院 = [[第一院 (オランダ)|第一院]] |
|上院 = [[第一院 (オランダ)|第一院]] |
||
|上院議員数 = |
|上院議員数 = 12 |
||
|上院議員定数 = 75 |
|上院議員定数 = 75 |
||
|上院議員集計年月日 = |
|上院議員集計年月日 = 2019年5月27日 |
||
|下院 = [[第二院 (オランダ)|第二院]] |
|下院 = [[第二院 (オランダ)|第二院]] |
||
|下院議員数 = |
|下院議員数 = 24 |
||
|下院議員定数 = 150 |
|下院議員定数 = 150 |
||
|下院議員集計年月日 = |
|下院議員集計年月日 = 2023年11月22日 |
||
|議席1 = [[欧州議会]] |
|||
|政治的思想・立場 = [[新自由主義]] |
|||
|議員数1 = 5 |
|||
|議員定数 = 29 |
|||
|議員集計年月日1 = 2020年 |
|||
|党員・党友数 = 26,550 |
|||
|党員・党友数集計年月日 = 2022年<ref name="dnpp">{{cite web|url=https://dnpp.nl/node/737|title=VVD ledentallen per jaar (1948- )|website=Documentatiecentrum Nederlandse Politieke Partijen (DNPP)|language=nl|accessdate=2022-12-30}}</ref> |
|||
|政治的思想・立場 = [[中道右派]]・[[保守]]<ref name="Britannica">[https://kotobank.jp/word/%E8%87%AA%E7%94%B1%E6%B0%91%E4%B8%BB%E5%85%9A%5B%E3%82%AA%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%80%5D-175413#E3.83.96.E3.83.AA.E3.82.BF.E3.83.8B.E3.82.AB.E5.9B.BD.E9.9A.9B.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E4.BA.8B.E5.85.B8.20.E5.B0.8F.E9.A0.85.E7.9B.AE.E4.BA.8B.E5.85.B8 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典] [[コトバンク]]. 2018年9月10日閲覧。</ref><br/>[[保守自由主義]]<br/>[[新自由主義]] |
|||
|機関紙 = |
|機関紙 = |
||
|ウェブサイト = http://www.vvd.nl |
|ウェブサイト = http://www.vvd.nl |
||
|サイトタイトル = 自由民主国民党(VVD)公式ホームページ |
|サイトタイトル = 自由民主国民党(VVD)公式ホームページ |
||
|シンボルカラー = |
|シンボルカラー = |
||
|国際組織 = [[自由主義インターナショナル]]<br/>[[欧州自由民主改革党]] |
|国際組織 = [[自由主義インターナショナル]]<br/>[[欧州自由民主改革党]]<br/>[[欧州刷新]] |
||
|その他 = |
|その他 = |
||
}} |
}} |
||
'''自由民主国民党'''(じゆうみんしゅこくみんとう、{{lang-nl|Volkspartij voor Vrijheid en Democratie}}、略称 |
'''自由民主国民党'''(じゆうみんしゅこくみんとう、'''{{lang-nl|Volkspartij voor Vrijheid en Democratie}}'''、略称:'''VVD'''<ref name="Britannica"/>)は、[[オランダ]]の[[自由主義]][[政党]]。'''自由民主人民党'''とも訳される<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nira.or.jp/paper/NIRA_report_20210827_Netherlands.pdf|title=第5章 オランダ|work=経済・社会文化・グローバリゼーション|author=水島治郎|authorlink=水島治郎|format=PDF|publisher=[[総合研究開発機構]]|date=2021-08-27|accessdate=2022-12-30}}</ref>。 |
||
VVDは |
VVDは「民間企業の最も声高な支援者」と呼ばれる{{要出典|date=2022年12月}}。また、[[社会自由主義]]を志向する[[民主66]]と対比して、市場自由主義([[新自由主義]]、Neoliberalism)志向であるとしばしば受け取られている。 |
||
第4次[[バルケネンデ]]内閣成立後に連立政権から離脱。2010年の総選挙で勝利し第一党となり、党首のマルク・ルッテを首班とする[[キリスト教民主アピール]]などとの連立政権が発足した。2012年の総選挙の結果、連立相手を[[労働党_(オランダ)|労働党]]に切り替えた。 |
|||
[[自由主義インターナショナル]]、[[欧州自由民主改革党]]に加盟している。 |
[[自由主義インターナショナル]]、[[欧州自由民主改革党]]に加盟している。 |
||
== |
== 歴史 == |
||
=== 結党から1960年代前半まで === |
|||
*[http://www.vvd.nl 自由民主国民党(VVD)公式ホームページ] |
|||
VVDは1948年1月24日、[[:en:Freedom_Party_(Netherlands)|自由党(1946~48年)]]と、[[労働党 (オランダ)|労働党]](PvdA)に加わっていた自由主義左派が合流して結成された<ref>{{Cite |和書 |author = 網谷龍介・[[伊藤武 (政治学者)|伊藤武]]・成廣孝 |title = ヨーロッパのデモクラシー |date = 2009 |publisher = ナカニシヤ出版 |ref = harv }}</ref><ref>{{cite web|url=https://vvd-digitaal.dnpp.nl/perioden/1948/geschiedenis|title=Geschiedenis 1948|website=Documentatiecentrum Nederlandse Politieke Partijen (DNPP)|language=nl|accessdate=2022-12-30}}</ref>。初代党首には{{仮リンク|ピーター・ウード|en|Pieter_Oud}}が就任した。 |
|||
1948年から1952年までは[[ウィレム・ドレース]]内閣の連立与党(PvdA、{{仮リンク|カトリック人民党|en|Catholic_People%27s_Party}}(KVP)、{{仮リンク|キリスト教歴史同盟|en|Christian_Historical_Union}}(CHU))に加わった。1952年の[[第二院 (オランダ)|第二院]](下院)選挙では1議席増となったが、連立組み換えで野党となった。1959年の第二院選挙後にはKVPのヤン・デ・クヴァイ内閣の連立与党(KVP、{{仮リンク|反革命党|en|Anti-Revolutionary_Party}}(ARP)、CHU)に加わった。ピーター・ウードは1963年に政界引退を表明し、党首を辞任した。 |
|||
1963年の第二院選挙では議席を減らしたものの、同じ連立与党によるヴィクトル・マリネン内閣に参画した<ref>{{cite web|url=https://vvd-digitaal.dnpp.nl/perioden/1948-1963/geschiedenis|title=Geschiedenis 1948 - 1963 |website=Documentatiecentrum Nederlandse Politieke Partijen (DNPP)|language=nl|accessdate=2022-12-30}}</ref>。1965年にマリネン内閣が崩壊すると、続くヨー・カルス内閣とイェレ・ゼイルストラ内閣では野党となった。 |
|||
{{オランダの政党}} |
|||
1960年代までのVVDは、いわゆる「柱状化社会」の中で他の自由主義的な組織(オランダ経団連(VNO)、放送局({{仮リンク|AVRO|en|AVRO}})等)と緩やかなつながりを持ち、勢力を維持した。 |
|||
=== 1960年代後半以降 === |
|||
1966年には、VVDのアムステルダム市議会議員だった{{仮リンク|ハンス・グライテルス|en|Hans_Gruijters}}らのイニシアチブによって[[民主66]](D66)が設立され、党内左派グループや青年組織からの参加者が生じた。こうした政治構造の変化を受けて、1971年に党首になった{{仮リンク|ハンス・ウィーゲル|en|Hans_Wiegel}}は労働者階級や中間層への支持の拡大を図った。 |
|||
1972年の第二院選挙では6議席増の22議席を得た。PvdA等の連立によるヨープ・デン・アイル内閣を野党の立場から批判し、1977年の第二院選挙では更に6議席を増やして28議席とした。選挙後に、[[キリスト教民主アピール]](CDA)とVVDの2党の連立により第1次ドリース・ファン・アフト内閣を成立させた。1981年の第二院選挙では2議席減の26議席となり、連立与党の議席は過半数割れとなり、第2次・第3次ドリース・ファン・アフト内閣では連立与党から外れた。翌年、ハンス・ウィーゲルは党首を辞任した<ref>{{cite web|url=https://vvd-digitaal.dnpp.nl/perioden/1971-1982/geschiedenis|title=Geschiedenis 1971 - 1982 |website=Documentatiecentrum Nederlandse Politieke Partijen (DNPP)|language=nl|accessdate=2022-12-30}}</ref>。 |
|||
この間の党勢拡大の結果、1982年には党員数が10万2888人と党史上最多を記録している<ref name="dnpp" />。 |
|||
新たに党首となった{{仮リンク|エド・ナイペルス|en|Ed_Nijpels}}の下で、1982年の第二院選挙では10議席増の36議席を獲得した。CDAと共に第1次ルード・ルベルス内閣を成立させた。1986年の第二院選挙では9議席減の27議席に留まったが、引き続きCDAと第2次ルード・ルベルス内閣を維持した。ナイペルスは入閣に伴い党首を引き、Joris Voorhoeveが党首となった<ref name="DNPP_1982-1990">{{cite web|url=https://vvd-digitaal.dnpp.nl/perioden/1982-1990/geschiedenis|title=Geschiedenis 1982 - 1990 |website=Documentatiecentrum Nederlandse Politieke Partijen (DNPP)|language=nl|accessdate=2022-12-30}}</ref>。 |
|||
1989年には、環境対策の総合計画におけるガソリン税の増税やマイカー通勤者の通勤費非課税措置の上限額引下げをめぐって、VVDと内閣が対立して内閣総辞職に至った<ref name="DNPP_1982-1990" /><ref>{{Cite journal |和書 |author=[[林瑞枝]] |title=地球環境をいうとき―ストックホルムからサンパウロへ― |journal=時の法令 |volume= |issue=1411 |publisher=朝陽会 |date=1991-10-15 |pages=72}}</ref>。その後行われた第二院選挙では5議席減の22議席となった。第3次ルベルス内閣は連立与党をPvdAに変えたため、VVDは野党となった。 |
|||
=== 1990年代以降 === |
|||
1990年には{{仮リンク|フリッツ・ボルケスタイン|en|Frits_Bolkestein}}が党首になった。1994年の第二院選挙でVVDは議席を9増やして31議席とすると、PvdAの[[ウィム・コック]]首相率いる「{{仮リンク|紫連立|en|Purple_coalition}}」に加わった。この連立内閣の下で[[規制緩和]]や、[[安楽死]]や[[売春]]の合法化などのリベラルな改革が進められた<ref>{{Cite |和書 |author = 津田由美子・吉武信彦 |title = 北欧・南欧・ベネルクス |date = 2011 |publisher = ミネルヴァ書房 |ref = harv }}</ref>。1995年の地方議会選挙で大勝し、第一院で初めて第1党となり、1998年の第二院選挙では38議席まで議席を伸ばした。ボルケスタインは[[欧州委員会|欧州委員]]に就任するために党首を退いた。後任には{{仮リンク|ハンス・ダイクスタル|en|Hans_Dijkstal}}が就任した<ref>{{cite web|url=https://vvd-digitaal.dnpp.nl/perioden/1990-1998/geschiedenis|title=Geschiedenis 1990 - 1998 |website=Documentatiecentrum Nederlandse Politieke Partijen (DNPP)|language=nl|accessdate=2022-12-30}}</ref>。 |
|||
=== 2000年代以降 === |
|||
2002年の第二院選挙では、選挙前には優勢が予想されていたものの、{{仮リンク|ピム・フォルタインリスト|en|Pim_Fortuyn_List}}(LPF)の台頭と[[ピム・フォルタイン]]殺害事件の影響などから、24議席まで議席数を減らした。ハンス・ダイクスタルは党首を退き、{{仮リンク|ヘリット·・ザルム|en|Gerrit_Zalm}}に交代した<ref name="DNPP_1998-2006">{{cite web|url=https://vvd-digitaal.dnpp.nl/perioden/1998-2006/geschiedenis|title=Geschiedenis 1998 - 2006 |website=Documentatiecentrum Nederlandse Politieke Partijen (DNPP)|language=nl|accessdate=2022-12-30}}</ref>。選挙後にはCDAの[[ヤン・ペーター・バルケネンデ]]を首班とする第1次バルケネンデ内閣の連立与党にLPFと共に加わった。翌2003年にLPFの党内の混乱により内閣が瓦解すると、同年の第二院選挙では28議席まで議席を回復させ、第2次バルケネンデ内閣の連立与党(CDA、D66)となった。 |
|||
2004年にはVVDの下院議員の[[ヘルト・ウィルダース]]が、[[トルコ]]の欧州連合加盟をめぐる党内対立などから離党した(ウィルダースは後に[[自由党_(オランダ)|自由党]](PVV)を結成する)。 |
|||
2006年には地方議会選挙の敗北を契機に、新たに[[マルク・ルッテ]]が党首に就任した。同年にはVVD所属の[[アヤーン・ヒルシ・アリ]]下院議員の国籍問題を契機にD66が連立を離脱したため<ref name="DNPP_1998-2006" />、(第3次)バルケネンデ内閣は[[少数与党]]となった。VVDは同年の第二院選挙では22議席しか獲得できず、翌年発足した第4次バルケネンデ内閣には加わらず、野党となった。 |
|||
=== 2010年代以降 === |
|||
2010年の第二院選挙で31議席を獲得し、結成後初めて第二院で第1党となり、CDAとの連立とPVVの閣外協力による第1次ルッテ内閣を成立させた。2012年の第二院選挙では41議席に伸ばし、連立相手をPvdAに変えて第2次ルッテ内閣を形成した。2017年の第二院選挙では33議席に減らしたが第1党を維持し、7か月にわたる連立交渉を経てCDA、D66、[[キリスト教連合]](CU)との4党連立による第3次ルッテ内閣を成立させ、政権を維持した<ref>{{Cite web|和書|title=オランダ4党が連立で合意、総選挙から7カ月経て|url=https://jp.reuters.com/article/netherlands-government-idJPKBN1CG0LP|publisher= Reuters|accessdate=2020-12-30}}</ref>。 |
|||
2021年の[[2021年オランダ総選挙|第二院選挙]]では34議席を得て第1党を維持し、9か月の連立協議を経て、同じ連立与党による第4次ルッテ内閣が成立した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jetro.go.jp/biznews/2021/12/76f39d810504b928.html|title=過去最長の約9カ月間を経て連立政権の合意成立(オランダ) | ビジネス短信|website=[[日本貿易振興機構]]|date=2021-12-24|accessdate=2022-12-30}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jetro.go.jp/biznews/2022/01/4a005c32a4c1cbdf.html|title=第4次ルッテ内閣が発足、民間からも閣僚へ登用(オランダ) - ビジネス短信|website=[[日本貿易振興機構]]|date=2022-01-18|accessdate=2022-12-30}}</ref>。 |
|||
2023年8月14日に{{ill2|ディラン・イェスィルギョズ=ゼヘリウス|en|Dilan Yeşilgöz-Zegerius}}司法相が新党首に就任<ref>{{Cite news|url=https://www.bloomberg.com/news/articles/2023-08-14/dutch-justice-minister-becomes-new-leader-of-rutte-s-vvd-party|title=Dutch Justice Minister Becomes New Leader of Rutte’s VVD Party|work=bloomberg.co.jp|agency=[[ブルームバーグ (企業)|ブルームバーグ]]|date=2023-08-14|accessdate=2023-11-25}}</ref>。同年11月22日に執行された[[2023年オランダ総選挙|第二院選挙]]では10議席減らし24議席と敗北し、極右の[[自由党 (オランダ)|自由党]](37議席)、[[労働党 (オランダ)|労働党]]と[[フルンリンクス|グリーンレフト]]が組む左派連合(25議席)にも抜かれ議会内第3勢力に転落した<ref>{{Cite news|url=https://jp.reuters.com/markets/japan/funds/27P6LZRQJRLXVET3UVVNVJAW4A-2023-11-23/|title=オランダ下院選、第1党の極右党首が首相就任に意欲 連立難航も|agency=[[ロイター]]|date=2023-11-24|accessdate=2023-11-25}}</ref>。 |
|||
== イデオロギーと政策 == |
|||
{{Col-begin}} |
|||
{{Col-4}} |
|||
* 経済・財政 |
|||
** [[小さな政府]] |
|||
** [[レッセフェール]] (自由放任主義) |
|||
** [[減税]] |
|||
** [[市場経済]] |
|||
** [[財政均衡]] |
|||
** [[持続可能な開発]] |
|||
{{Col-4}} |
|||
* 政府・社会問題 |
|||
** [[規制緩和]] |
|||
** [[政教分離]] |
|||
** [[多重国籍]]は最小限に |
|||
** [[同性婚]]を支持 |
|||
** マイノリティの文化的同化 |
|||
** [[動物の権利]] |
|||
{{Col-4}} |
|||
* 外交・法制度 |
|||
** [[ヨーロッパ統合]]を支持 |
|||
** [[国際主義]] |
|||
** [[多国間主義]] |
|||
** ソフトドラッグとハードドラックを区別して扱う |
|||
{{Col-4}} |
|||
* 健康 |
|||
** [[ユニバーサルヘルスケア]] (国民皆保険) |
|||
** [[幹細胞]]研究を促進 |
|||
** [[人工妊娠中絶]]を容認 |
|||
** [[安楽死]]を容認 |
|||
{{Col-end}} |
|||
自由民主国民党 (VVD) は[[自由主義]]の理念の下に設立され、市場の自由をオランダの政党の中で最も熱心に支持してきた。[[古典的自由主義]]、経済自由主義、文化自由主義の立場をとる一方で、オランダの[[福祉国家]]の建設にも関わってきた。 |
|||
VVDの根本的な方針は、「リベラルマニフェスト Liberaal Manifest」と呼ばれる文書や[[選挙綱領]]に述べられている。最新の「リベラルマニフェスト」は2005年に発表されたものである。この中では、民主主義、安全保障、自由、市民権の4つのテーマから方針が述べられている。 |
|||
== 選挙結果 == |
|||
===国会 ([[スターテン・ヘネラール]]) === |
|||
{| class="wikitable" |
|||
|+ 第二院の選挙結果<ref name=Kiesraad>出典はオランダ選挙管理委員会([https://www.verkiezingsuitslagen.nl/ Kiesraad - verkiezingsuitslagen])掲載データ(2022年10月15日閲覧)</ref> |
|||
|- |
|||
! 選挙年 |
|||
! 得票数 |
|||
! % |
|||
! 獲得議席数 |
|||
! +/- |
|||
! 備考 |
|||
|- |
|||
! 1948 |
|||
| style="text-align:right" |391,861 |
|||
| style="text-align:right" |7.95 |
|||
| {{Composition bar|8|100|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}} |
|||
| {{steady}} |
|||
| style="background-color:#dbffed | 連立与党 |
|||
|- |
|||
! 1952 |
|||
| style="text-align:right" |471,038 |
|||
| style="text-align:right" |8.83 |
|||
| {{Composition bar|9|100|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}} |
|||
| {{increase}}1 |
|||
| style="background-color:#ffdddd | 野党 |
|||
|- |
|||
! rowspan="2" |1956 |
|||
| rowspan="2" style="text-align:right" |502,530 |
|||
| rowspan="2" style="text-align:right" |8.77 |
|||
| {{Composition bar|9|100|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}} |
|||
| {{steady}} |
|||
| rowspan="2" style="background-color:#ffdddd | 野党 |
|||
|- |
|||
| {{Composition bar|13|150|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}} |
|||
| {{increase}}4 |
|||
|- |
|||
! 1959 |
|||
| style="text-align:right" |732,758 |
|||
| style="text-align:right" |12.21 |
|||
| {{Composition bar|19|150|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}} |
|||
| {{increase}}6 |
|||
| style="background-color:#dbffed | 連立与党 |
|||
|- |
|||
! rowspan="2" |1963 |
|||
| rowspan="2" style="text-align:right" |643,820 |
|||
| rowspan="2" style="text-align:right" |10.29 |
|||
| rowspan="2" |{{Composition bar|16|150|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}} |
|||
| rowspan="2" |{{decrease}}3 |
|||
| style="background-color:#dbffed | 連立与党(1963-1965) |
|||
|- |
|||
| style="background-color:#ffdddd | 野党(1965-1967) |
|||
|- |
|||
! 1967 |
|||
| style="text-align:right" |738,229 |
|||
| style="text-align:right" |10.73 |
|||
| {{Composition bar|17|150|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}} |
|||
| {{increase}}1 |
|||
| style="background-color:#dbffed | 連立与党 |
|||
|- |
|||
! 1971 |
|||
| style="text-align:right" |653,606 |
|||
| style="text-align:right" |10.34 |
|||
| {{Composition bar|16|150|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}} |
|||
| {{decrease}}1 |
|||
| style="background-color:#dbffed | 連立与党 |
|||
|- |
|||
! 1972 |
|||
| style="text-align:right" |1,068,375 |
|||
| style="text-align:right" |14.45 |
|||
| {{Composition bar|22|150|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}} |
|||
| {{increase}}6 |
|||
| style="background-color:#ffdddd | 野党 |
|||
|- |
|||
! 1977 |
|||
| style="text-align:right" |1,492,689 |
|||
| style="text-align:right" |17.95 |
|||
| {{Composition bar|28|150|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}} |
|||
| {{increase}}6 |
|||
| style="background-color:#dbffed | 連立与党 |
|||
|- |
|||
! 1981 |
|||
| style="text-align:right" |1,505,311 |
|||
| style="text-align:right" |17.32 |
|||
| {{Composition bar|26|150|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}} |
|||
| {{decrease}}2 |
|||
| style="background-color:#ffdddd | 野党 |
|||
|- |
|||
! 1982 |
|||
| style="text-align:right" |1,900,763 |
|||
| style="text-align:right" |23.08 |
|||
| {{Composition bar|36|150|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}} |
|||
| {{increase}}10 |
|||
| style="background-color:#dbffed | 連立与党 |
|||
|- |
|||
! 1986 |
|||
| style="text-align:right" |1,596,991 |
|||
| style="text-align:right" |17.41 |
|||
| {{Composition bar|27|150|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}} |
|||
| {{decrease}}9 |
|||
| style="background-color:#dbffed | 連立与党 |
|||
|- |
|||
! 1989 |
|||
| style="text-align:right" |1,290,427 |
|||
| style="text-align:right" |14.54 |
|||
| {{Composition bar|22|150|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}} |
|||
| {{decrease}}5 |
|||
| style="background-color:#ffdddd | 野党 |
|||
|- |
|||
! 1994 |
|||
| style="text-align:right" |1,792,401 |
|||
| style="text-align:right" |19.96 |
|||
| {{Composition bar|31|150|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}} |
|||
| {{increase}}9 |
|||
| style="background-color:#dbffed | 連立与党 |
|||
|- |
|||
! 1998 |
|||
| style="text-align:right" |2,124,971 |
|||
| style="text-align:right" |24.69 |
|||
| {{Composition bar|38|150|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}} |
|||
| {{increase}}7 |
|||
| style="background-color:#dbffed | 連立与党 |
|||
|- |
|||
! 2002 |
|||
| style="text-align:right" |1,466,722 |
|||
| style="text-align:right" |15.44 |
|||
| {{Composition bar|24|150|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}} |
|||
| {{decrease}}14 |
|||
| style="background-color:#dbffed | 連立与党 |
|||
|- |
|||
! 2003 |
|||
| style="text-align:right" |1,728,707 |
|||
| style="text-align:right" |17.91 |
|||
| {{Composition bar|28|150|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}} |
|||
| {{increase}}4 |
|||
| style="background-color:#dbffed | 連立与党 |
|||
|- |
|||
! 2006 |
|||
| style="text-align:right" |1,443,312 |
|||
| style="text-align:right" |14.67 |
|||
| {{Composition bar|22|150|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}} |
|||
| {{decrease}}6 |
|||
| style="background-color:#ffdddd | 野党 |
|||
|- |
|||
! 2010 |
|||
| style="text-align:right" |1,929,575 |
|||
| style="text-align:right" |20.49 |
|||
| {{Composition bar|31|150|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}} |
|||
| {{increase}}9 |
|||
| style="background-color:#dbffed | 連立与党 |
|||
|- |
|||
! 2012 |
|||
| style="text-align:right" |2,504,948 |
|||
| style="text-align:right" |26.58 |
|||
| {{Composition bar|41|150|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}} |
|||
| {{increase}}10 |
|||
| style="background-color:#dbffed | 連立与党 |
|||
|- |
|||
! 2017 |
|||
| style="text-align:right" |2,238,351 |
|||
| style="text-align:right" |21.29 |
|||
| {{Composition bar|33|150|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}} |
|||
| {{decrease}}8 |
|||
| style="background-color:#dbffed | 連立与党 |
|||
|- |
|||
! 2021 |
|||
| style="text-align:right" |2,279,130 |
|||
| style="text-align:right" |21.87 |
|||
| {{Composition bar|34|150|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}} |
|||
| {{increase}}1 |
|||
| style="background-color:#dbffed | 連立与党 |
|||
|- |
|||
|} |
|||
{| class="wikitable" |
|||
|+ 第一院の選挙結果 |
|||
|- |
|||
! 選挙年 |
|||
! 得票数<ref>州の人口に基づく投票価値係数で調整した後の値。</ref> |
|||
! %<ref name=Kiesraad /> |
|||
! 獲得議席数<ref name="Eerste Kamer 1917-nu">{{cite web|url=https://www.nlverkiezingen.com/EK1703.html|title=Zetelverdeling in de Eerste Kamer 1917-nu|website=Nederlandse verkiezingsuitslagen 1918-nu|accessdate=2022-10-11}}</ref> |
|||
! +/- |
|||
|- |
|||
! 1948 |
|||
| style="text-align:right" | |
|||
| style="text-align:right" | |
|||
| {{Composition bar|3|50|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}} |
|||
| {{steady}} |
|||
|- |
|||
! 1951 |
|||
| style="text-align:right" | |
|||
| style="text-align:right" | |
|||
| {{Composition bar|4|50|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}} |
|||
| {{increase}}1 |
|||
|- |
|||
! 1952 |
|||
| style="text-align:right" | |
|||
| style="text-align:right" | |
|||
| {{Composition bar|4|50|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}} |
|||
| {{steady}} |
|||
|- |
|||
! 1955 |
|||
| style="text-align:right" | |
|||
| style="text-align:right" | |
|||
| {{Composition bar|4|50|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}} |
|||
| {{steady}} |
|||
|- |
|||
! rowspan="2" |1956 |
|||
| style="text-align:right" | |
|||
| style="text-align:right" | |
|||
| {{Composition bar|4|50|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}} |
|||
| {{steady}} |
|||
|- |
|||
| style="text-align:right" | |
|||
| style="text-align:right" | |
|||
| {{Composition bar|7|75|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}} |
|||
| {{increase}}3 |
|||
|- |
|||
! 1959 |
|||
| style="text-align:right" | |
|||
| style="text-align:right" | |
|||
| {{Composition bar|8|75|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}} |
|||
| {{increase}}1 |
|||
|- |
|||
! 1963 |
|||
| style="text-align:right" | |
|||
| style="text-align:right" | |
|||
| {{Composition bar|7|75|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}} |
|||
| {{decrease}}1 |
|||
|- |
|||
! 1966 |
|||
| style="text-align:right" | |
|||
| style="text-align:right" | |
|||
| {{Composition bar|8|75|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}} |
|||
| {{increase}}1 |
|||
|- |
|||
! 1969 |
|||
| style="text-align:right" | |
|||
| style="text-align:right" | |
|||
| {{Composition bar|8|75|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}} |
|||
| {{steady}} |
|||
|- |
|||
! 1971 |
|||
| style="text-align:right" | |
|||
| style="text-align:right" | |
|||
| {{Composition bar|8|75|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}} |
|||
| {{steady}} |
|||
|- |
|||
! 1974 |
|||
| style="text-align:right" | |
|||
| style="text-align:right" | |
|||
| {{Composition bar|12|75|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}} |
|||
| {{increase}}4 |
|||
|- |
|||
! 1977 |
|||
| style="text-align:right" | |
|||
| style="text-align:right" | |
|||
| {{Composition bar|15|75|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}} |
|||
| {{increase}}3 |
|||
|- |
|||
! 1980 |
|||
| style="text-align:right" | |
|||
| style="text-align:right" | |
|||
| {{Composition bar|13|75|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}} |
|||
| {{decrease}} 2 |
|||
|- |
|||
! 1981 |
|||
| style="text-align:right" | |
|||
| style="text-align:right" | |
|||
| {{Composition bar|12|75|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}} |
|||
| {{decrease}} 1 |
|||
|- |
|||
! 1983 |
|||
| style="text-align:right" | |
|||
| style="text-align:right" | |
|||
| {{Composition bar|17|75|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}} |
|||
| {{increase}}5 |
|||
|- |
|||
! 1986 |
|||
| style="text-align:right" | |
|||
| style="text-align:right" | |
|||
| {{Composition bar|16|75|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}} |
|||
| {{decrease}} 1 |
|||
|- |
|||
! 1987 |
|||
| style="text-align:right" | |
|||
| style="text-align:right" | |
|||
| {{Composition bar|12|75|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}} |
|||
| {{decrease}} 4 |
|||
|- |
|||
! 1991 |
|||
| style="text-align:right" | |
|||
| style="text-align:right" | |
|||
| {{Composition bar|12|75|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}} |
|||
| {{steady}} |
|||
|- |
|||
! 1995 |
|||
| style="text-align:right" | |
|||
| style="text-align:right" | |
|||
| {{Composition bar|23|75|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}} |
|||
| {{increase}}11 |
|||
|- |
|||
! 1999<ref>{{cite web|url=https://www.nlverkiezingen.com/EK1999.html|title=Eerste-Kamerverkiezingen - 25 mei 1999|website=Nederlandse verkiezingsuitslagen 1918-nu|accessdate=2022-10-11}}</ref> |
|||
| style="text-align:right" |39,809 |
|||
| style="text-align:right" | |
|||
| {{Composition bar|19|75|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}} |
|||
| {{decrease}} 4 |
|||
|- |
|||
! 2003<ref>{{cite web|url=https://www.nlverkiezingen.com/EK2003.html|title=Eerste-Kamerverkiezingen - 26 mei 2003|website=Nederlandse verkiezingsuitslagen 1918-nu|accessdate=2022-10-11}}</ref> |
|||
| style="text-align:right" |31,026 |
|||
| style="text-align:right" |19.19 |
|||
| {{Composition bar|15|75|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}} |
|||
| {{decrease}} 4 |
|||
|- |
|||
! 2007<ref>{{cite web|url=https://www.nlverkiezingen.com/EK2007.html|title=Eerste-Kamerverkiezingen - 29 mei 2007|website=Nederlandse verkiezingsuitslagen 1918-nu|accessdate=2022-10-11}}</ref> |
|||
| style="text-align:right" |31,360 |
|||
| style="text-align:right" |19.23 |
|||
| {{Composition bar|14|75|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}} |
|||
| {{decrease}} 1 |
|||
|- |
|||
! 2011<ref>{{cite web|url=https://www.nlverkiezingen.com/EK2011.html|title=Eerste-Kamerverkiezingen - 23 mei 2011|website=Nederlandse verkiezingsuitslagen 1918-nu|accessdate=2022-10-11}}</ref> |
|||
| style="text-align:right" |34,590 |
|||
| style="text-align:right" |19.65 |
|||
| {{Composition bar|16|75|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}} |
|||
| {{increase}}2 |
|||
|- |
|||
! 2015<ref>{{cite web|url=https://www.nlverkiezingen.com/EK2015.html|title=Eerste-Kamerverkiezingen - 26 mei 2015|website=Nederlandse verkiezingsuitslagen 1918-nu|accessdate=2022-10-11}}</ref> |
|||
| style="text-align:right" |28,523 |
|||
| style="text-align:right" |15.79 |
|||
| {{Composition bar|13|75|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}} |
|||
| {{decrease}} 3 |
|||
|- |
|||
! 2019<ref>{{cite web|url=https://www.nlverkiezingen.com/EK2019.html|title=Eerste-Kamerverkiezingen - 27 mei 2019|website=Nederlandse verkiezingsuitslagen 1918-nu|accessdate=2022-10-11}}</ref> |
|||
| style="text-align:right" |26,157 |
|||
| style="text-align:right" |13.27 |
|||
| {{Composition bar|12|75|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}} |
|||
| {{decrease}} 1 |
|||
|- |
|||
|} |
|||
===欧州議会=== |
|||
{| class="wikitable" |
|||
|+ 欧州議会選挙の選挙結果<ref name=Kiesraad /> |
|||
|- |
|||
! 選挙年 |
|||
! 得票数 |
|||
! % |
|||
! 獲得議席数 |
|||
! +/- |
|||
! 備考 |
|||
|- |
|||
! 1979 |
|||
| style="text-align:right" |914,787 |
|||
| style="text-align:right" |16.14 |
|||
| {{Composition bar|4|25|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}} |
|||
| {{steady}} |
|||
| |
|||
|- |
|||
! 1984 |
|||
| style="text-align:right" |1,002,685 |
|||
| style="text-align:right" |18.93 |
|||
| {{Composition bar|5|25|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}} |
|||
| {{increase}}1 |
|||
| |
|||
|- |
|||
! 1989 |
|||
| style="text-align:right" |714,745 |
|||
| style="text-align:right" |13.63 |
|||
| {{Composition bar|3|25|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}} |
|||
| {{decrease}}2 |
|||
| |
|||
|- |
|||
! 1994 |
|||
| style="text-align:right" |740,443 |
|||
| style="text-align:right" |17.91 |
|||
| {{Composition bar|6|31|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}} |
|||
| {{increase}}3 |
|||
| |
|||
|- |
|||
! 1999 |
|||
| style="text-align:right" |698,050 |
|||
| style="text-align:right" |19.69 |
|||
| {{Composition bar|6|31|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}} |
|||
| {{steady}} |
|||
| |
|||
|- |
|||
! 2004 |
|||
| style="text-align:right" |629,198 |
|||
| style="text-align:right" |13.2 |
|||
| {{Composition bar|4|27|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}} |
|||
| {{decrease}}2 |
|||
| |
|||
|- |
|||
! rowspan="2" |2009 |
|||
| rowspan="2" style="text-align:right" |518,643 |
|||
| rowspan="2" style="text-align:right" |11.39 |
|||
| {{Composition bar|3|25|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}} |
|||
| {{decrease}}1 |
|||
| |
|||
|- |
|||
| {{Composition bar|3|26|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}} |
|||
| {{steady}} |
|||
|※[[リスボン条約]]批准後の議席数見直し後 |
|||
|- |
|||
! 2014 |
|||
| style="text-align:right" |571,176 |
|||
| style="text-align:right" |12.02 |
|||
| {{Composition bar|3|26|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}} |
|||
| {{steady}} |
|||
| |
|||
|- |
|||
! rowspan="2" |2019 |
|||
| rowspan="2" style="text-align:right" |805,100 |
|||
| rowspan="2" style="text-align:right" |14.64 |
|||
| {{Composition bar|4|26|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}} |
|||
| {{increase}}1 |
|||
| |
|||
|- |
|||
| {{Composition bar|5|29|hex={{People's_Party_for_Freedom_and_Democracy/meta/color}}}} |
|||
| {{increase}}1 |
|||
|※[[イギリスの欧州連合離脱|英国のEU離脱]]に伴う議席数見直し後 |
|||
|- |
|||
|} |
|||
==支持基盤== |
|||
伝統的に、富裕ビジネスマン層,中間層,ホワイトカラー層を支持基盤とするとされる<ref name="Britannica"/>。 |
|||
==党組織== |
|||
===党大会=== |
|||
党大会は年に2回開催される<ref>{{cite web|url=https://dnpp.nl/pp/vvd/congres|title=VVD congressen |website=Documentatiecentrum Nederlandse Politieke Partijen (DNPP)|language=nl|accessdate=2022-12-30}}</ref>。 |
|||
===党員数=== |
|||
2022年時点の党員数は26,550人とされる<ref name="dnpp" />。1970年代末から80年代初頭にかけて、一時10万人以上の党員数を記録していたが、近年は減少傾向にある。 |
|||
===関連組織=== |
|||
* テルダース財団({{lang-nl-short|TeldersStichting}}):党シンクタンク。 1954年4月6日設立<ref>{{cite web|url=https://www.teldersstichting.nl/over-teldersstichting|title=Over TeldersStichting|website=TeldersStichting|language=nl|accessdate=2022-12-30}}</ref>。ライデン大学の法学者で元自由党党首だった{{仮リンク|ベンジャミン・テルダース|en|Benjamin_Marius_Telders}}(1903-1945)にちなんで名付けられた。 |
|||
* 青年組織自由と民主主義({{lang-nl-short|Jongeren Organisatie Vrijheid en Democratie (JOVD)}}):青年組織。1949年2月26日設立<ref>{{cite web|url=https://jovd-digitaal.dnpp.nl/perioden/jaren-vijftig/geschiedenis|title=Geschiedenis jaren vijftig |website=Documentatiecentrum Nederlandse Politieke Partijen (DNPP)|language=nl|accessdate=2022-12-30}}</ref>。{{仮リンク|欧州リベラルユース|en|European_Liberal_Youth}}及び{{仮リンク|リベラルユース国際連盟|en|International_Federation_of_Liberal_Youth}}に加盟している。 |
|||
* ハヤ・ヴァン・ソメレン財団({{lang-nl-short|Haya van Somerenstichting}}):教育訓練機関。1969年から1974年まで党議長を務めた{{仮リンク|ハヤ・ヴァン・ソメレン|en|Haya_van_Someren}}(1926-1980)にちなんで1981年に名付けられた。 |
|||
===国際組織=== |
|||
民主66と共に、[[欧州自由民主改革党]](ALDE)、[[自由主義インターナショナル]](LI)に所属している。欧州議会の会派としては、民主66と共に[[欧州刷新]](2019年までは[[欧州自由民主同盟]])に所属している。 |
|||
==脚注== |
|||
{{脚注ヘルプ}} |
|||
{{Reflist}} |
|||
== 外部リンク == |
|||
*[http://www.vvd.nl 自由民主国民党(VVD)] |
|||
{{オランダの政党}} |
|||
{{Normdaten}} |
|||
{{DEFAULTSORT:しゆうみんしゆこくみんとう}} |
{{DEFAULTSORT:しゆうみんしゆこくみんとう}} |
||
[[category:オランダの政党]] |
[[category:オランダの政党]] |
||
[[category:保守政党]] |
[[category:自由保守主義の政党]] |
||
[[Category:1948年設立の政党・政治団体]] |
|||
{{poli-stub}} |
{{poli-stub}} |
||
{{Netherland-stub}} |
{{Netherland-stub}} |
2024年12月10日 (火) 23:45時点における最新版
自由民主国民党 Volkspartij voor Vrijheid en Democratie | |
---|---|
党首 | ディラン・イェスィルギョズ=ゼヘリウス |
成立年月日 | 1948年1月24日 |
本部所在地 | オランダ、デン・ハーグ |
第二院議席数 |
24 / 150 (16%) |
第一院議席数 |
12 / 75 (16%) |
欧州議会 |
5 / 29 (17%) |
党員・党友数 |
26,550 (2022年[1]) |
政治的思想・立場 |
中道右派・保守[2] 保守自由主義 新自由主義 |
国際組織 |
自由主義インターナショナル 欧州自由民主改革党 欧州刷新 |
公式サイト | 自由民主国民党(VVD)公式ホームページ |
自由民主国民党(じゆうみんしゅこくみんとう、オランダ語: Volkspartij voor Vrijheid en Democratie、略称:VVD[2])は、オランダの自由主義政党。自由民主人民党とも訳される[3]。
VVDは「民間企業の最も声高な支援者」と呼ばれる[要出典]。また、社会自由主義を志向する民主66と対比して、市場自由主義(新自由主義、Neoliberalism)志向であるとしばしば受け取られている。
自由主義インターナショナル、欧州自由民主改革党に加盟している。
歴史
[編集]結党から1960年代前半まで
[編集]VVDは1948年1月24日、自由党(1946~48年)と、労働党(PvdA)に加わっていた自由主義左派が合流して結成された[4][5]。初代党首にはピーター・ウードが就任した。
1948年から1952年まではウィレム・ドレース内閣の連立与党(PvdA、カトリック人民党(KVP)、キリスト教歴史同盟(CHU))に加わった。1952年の第二院(下院)選挙では1議席増となったが、連立組み換えで野党となった。1959年の第二院選挙後にはKVPのヤン・デ・クヴァイ内閣の連立与党(KVP、反革命党(ARP)、CHU)に加わった。ピーター・ウードは1963年に政界引退を表明し、党首を辞任した。
1963年の第二院選挙では議席を減らしたものの、同じ連立与党によるヴィクトル・マリネン内閣に参画した[6]。1965年にマリネン内閣が崩壊すると、続くヨー・カルス内閣とイェレ・ゼイルストラ内閣では野党となった。
1960年代までのVVDは、いわゆる「柱状化社会」の中で他の自由主義的な組織(オランダ経団連(VNO)、放送局(AVRO)等)と緩やかなつながりを持ち、勢力を維持した。
1960年代後半以降
[編集]1966年には、VVDのアムステルダム市議会議員だったハンス・グライテルスらのイニシアチブによって民主66(D66)が設立され、党内左派グループや青年組織からの参加者が生じた。こうした政治構造の変化を受けて、1971年に党首になったハンス・ウィーゲルは労働者階級や中間層への支持の拡大を図った。
1972年の第二院選挙では6議席増の22議席を得た。PvdA等の連立によるヨープ・デン・アイル内閣を野党の立場から批判し、1977年の第二院選挙では更に6議席を増やして28議席とした。選挙後に、キリスト教民主アピール(CDA)とVVDの2党の連立により第1次ドリース・ファン・アフト内閣を成立させた。1981年の第二院選挙では2議席減の26議席となり、連立与党の議席は過半数割れとなり、第2次・第3次ドリース・ファン・アフト内閣では連立与党から外れた。翌年、ハンス・ウィーゲルは党首を辞任した[7]。
この間の党勢拡大の結果、1982年には党員数が10万2888人と党史上最多を記録している[1]。
新たに党首となったエド・ナイペルスの下で、1982年の第二院選挙では10議席増の36議席を獲得した。CDAと共に第1次ルード・ルベルス内閣を成立させた。1986年の第二院選挙では9議席減の27議席に留まったが、引き続きCDAと第2次ルード・ルベルス内閣を維持した。ナイペルスは入閣に伴い党首を引き、Joris Voorhoeveが党首となった[8]。
1989年には、環境対策の総合計画におけるガソリン税の増税やマイカー通勤者の通勤費非課税措置の上限額引下げをめぐって、VVDと内閣が対立して内閣総辞職に至った[8][9]。その後行われた第二院選挙では5議席減の22議席となった。第3次ルベルス内閣は連立与党をPvdAに変えたため、VVDは野党となった。
1990年代以降
[編集]1990年にはフリッツ・ボルケスタインが党首になった。1994年の第二院選挙でVVDは議席を9増やして31議席とすると、PvdAのウィム・コック首相率いる「紫連立」に加わった。この連立内閣の下で規制緩和や、安楽死や売春の合法化などのリベラルな改革が進められた[10]。1995年の地方議会選挙で大勝し、第一院で初めて第1党となり、1998年の第二院選挙では38議席まで議席を伸ばした。ボルケスタインは欧州委員に就任するために党首を退いた。後任にはハンス・ダイクスタルが就任した[11]。
2000年代以降
[編集]2002年の第二院選挙では、選挙前には優勢が予想されていたものの、ピム・フォルタインリスト(LPF)の台頭とピム・フォルタイン殺害事件の影響などから、24議席まで議席数を減らした。ハンス・ダイクスタルは党首を退き、ヘリット·・ザルムに交代した[12]。選挙後にはCDAのヤン・ペーター・バルケネンデを首班とする第1次バルケネンデ内閣の連立与党にLPFと共に加わった。翌2003年にLPFの党内の混乱により内閣が瓦解すると、同年の第二院選挙では28議席まで議席を回復させ、第2次バルケネンデ内閣の連立与党(CDA、D66)となった。
2004年にはVVDの下院議員のヘルト・ウィルダースが、トルコの欧州連合加盟をめぐる党内対立などから離党した(ウィルダースは後に自由党(PVV)を結成する)。
2006年には地方議会選挙の敗北を契機に、新たにマルク・ルッテが党首に就任した。同年にはVVD所属のアヤーン・ヒルシ・アリ下院議員の国籍問題を契機にD66が連立を離脱したため[12]、(第3次)バルケネンデ内閣は少数与党となった。VVDは同年の第二院選挙では22議席しか獲得できず、翌年発足した第4次バルケネンデ内閣には加わらず、野党となった。
2010年代以降
[編集]2010年の第二院選挙で31議席を獲得し、結成後初めて第二院で第1党となり、CDAとの連立とPVVの閣外協力による第1次ルッテ内閣を成立させた。2012年の第二院選挙では41議席に伸ばし、連立相手をPvdAに変えて第2次ルッテ内閣を形成した。2017年の第二院選挙では33議席に減らしたが第1党を維持し、7か月にわたる連立交渉を経てCDA、D66、キリスト教連合(CU)との4党連立による第3次ルッテ内閣を成立させ、政権を維持した[13]。
2021年の第二院選挙では34議席を得て第1党を維持し、9か月の連立協議を経て、同じ連立与党による第4次ルッテ内閣が成立した[14][15]。
2023年8月14日にディラン・イェスィルギョズ=ゼヘリウス司法相が新党首に就任[16]。同年11月22日に執行された第二院選挙では10議席減らし24議席と敗北し、極右の自由党(37議席)、労働党とグリーンレフトが組む左派連合(25議席)にも抜かれ議会内第3勢力に転落した[17]。
イデオロギーと政策
[編集]
|
|
|
|
自由民主国民党 (VVD) は自由主義の理念の下に設立され、市場の自由をオランダの政党の中で最も熱心に支持してきた。古典的自由主義、経済自由主義、文化自由主義の立場をとる一方で、オランダの福祉国家の建設にも関わってきた。
VVDの根本的な方針は、「リベラルマニフェスト Liberaal Manifest」と呼ばれる文書や選挙綱領に述べられている。最新の「リベラルマニフェスト」は2005年に発表されたものである。この中では、民主主義、安全保障、自由、市民権の4つのテーマから方針が述べられている。
選挙結果
[編集]国会 (スターテン・ヘネラール)
[編集]選挙年 | 得票数 | % | 獲得議席数 | +/- | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1948 | 391,861 | 7.95 | 8 / 100 |
連立与党 | |
1952 | 471,038 | 8.83 | 9 / 100 |
1 | 野党 |
1956 | 502,530 | 8.77 | 9 / 100 |
野党 | |
13 / 150 |
4 | ||||
1959 | 732,758 | 12.21 | 19 / 150 |
6 | 連立与党 |
1963 | 643,820 | 10.29 | 16 / 150 |
3 | 連立与党(1963-1965) |
野党(1965-1967) | |||||
1967 | 738,229 | 10.73 | 17 / 150 |
1 | 連立与党 |
1971 | 653,606 | 10.34 | 16 / 150 |
1 | 連立与党 |
1972 | 1,068,375 | 14.45 | 22 / 150 |
6 | 野党 |
1977 | 1,492,689 | 17.95 | 28 / 150 |
6 | 連立与党 |
1981 | 1,505,311 | 17.32 | 26 / 150 |
2 | 野党 |
1982 | 1,900,763 | 23.08 | 36 / 150 |
10 | 連立与党 |
1986 | 1,596,991 | 17.41 | 27 / 150 |
9 | 連立与党 |
1989 | 1,290,427 | 14.54 | 22 / 150 |
5 | 野党 |
1994 | 1,792,401 | 19.96 | 31 / 150 |
9 | 連立与党 |
1998 | 2,124,971 | 24.69 | 38 / 150 |
7 | 連立与党 |
2002 | 1,466,722 | 15.44 | 24 / 150 |
14 | 連立与党 |
2003 | 1,728,707 | 17.91 | 28 / 150 |
4 | 連立与党 |
2006 | 1,443,312 | 14.67 | 22 / 150 |
6 | 野党 |
2010 | 1,929,575 | 20.49 | 31 / 150 |
9 | 連立与党 |
2012 | 2,504,948 | 26.58 | 41 / 150 |
10 | 連立与党 |
2017 | 2,238,351 | 21.29 | 33 / 150 |
8 | 連立与党 |
2021 | 2,279,130 | 21.87 | 34 / 150 |
1 | 連立与党 |
選挙年 | 得票数[19] | %[18] | 獲得議席数[20] | +/- |
---|---|---|---|---|
1948 | 3 / 50 |
|||
1951 | 4 / 50 |
1 | ||
1952 | 4 / 50 |
|||
1955 | 4 / 50 |
|||
1956 | 4 / 50 |
|||
7 / 75 |
3 | |||
1959 | 8 / 75 |
1 | ||
1963 | 7 / 75 |
1 | ||
1966 | 8 / 75 |
1 | ||
1969 | 8 / 75 |
|||
1971 | 8 / 75 |
|||
1974 | 12 / 75 |
4 | ||
1977 | 15 / 75 |
3 | ||
1980 | 13 / 75 |
2 | ||
1981 | 12 / 75 |
1 | ||
1983 | 17 / 75 |
5 | ||
1986 | 16 / 75 |
1 | ||
1987 | 12 / 75 |
4 | ||
1991 | 12 / 75 |
|||
1995 | 23 / 75 |
11 | ||
1999[21] | 39,809 | 19 / 75 |
4 | |
2003[22] | 31,026 | 19.19 | 15 / 75 |
4 |
2007[23] | 31,360 | 19.23 | 14 / 75 |
1 |
2011[24] | 34,590 | 19.65 | 16 / 75 |
2 |
2015[25] | 28,523 | 15.79 | 13 / 75 |
3 |
2019[26] | 26,157 | 13.27 | 12 / 75 |
1 |
欧州議会
[編集]選挙年 | 得票数 | % | 獲得議席数 | +/- | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1979 | 914,787 | 16.14 | 4 / 25 |
||
1984 | 1,002,685 | 18.93 | 5 / 25 |
1 | |
1989 | 714,745 | 13.63 | 3 / 25 |
2 | |
1994 | 740,443 | 17.91 | 6 / 31 |
3 | |
1999 | 698,050 | 19.69 | 6 / 31 |
||
2004 | 629,198 | 13.2 | 4 / 27 |
2 | |
2009 | 518,643 | 11.39 | 3 / 25 |
1 | |
3 / 26 |
※リスボン条約批准後の議席数見直し後 | ||||
2014 | 571,176 | 12.02 | 3 / 26 |
||
2019 | 805,100 | 14.64 | 4 / 26 |
1 | |
5 / 29 |
1 | ※英国のEU離脱に伴う議席数見直し後 |
支持基盤
[編集]伝統的に、富裕ビジネスマン層,中間層,ホワイトカラー層を支持基盤とするとされる[2]。
党組織
[編集]党大会
[編集]党大会は年に2回開催される[27]。
党員数
[編集]2022年時点の党員数は26,550人とされる[1]。1970年代末から80年代初頭にかけて、一時10万人以上の党員数を記録していたが、近年は減少傾向にある。
関連組織
[編集]- テルダース財団(蘭: TeldersStichting):党シンクタンク。 1954年4月6日設立[28]。ライデン大学の法学者で元自由党党首だったベンジャミン・テルダース(1903-1945)にちなんで名付けられた。
- 青年組織自由と民主主義(蘭: Jongeren Organisatie Vrijheid en Democratie (JOVD)):青年組織。1949年2月26日設立[29]。欧州リベラルユース及びリベラルユース国際連盟に加盟している。
- ハヤ・ヴァン・ソメレン財団(蘭: Haya van Somerenstichting):教育訓練機関。1969年から1974年まで党議長を務めたハヤ・ヴァン・ソメレン(1926-1980)にちなんで1981年に名付けられた。
国際組織
[編集]民主66と共に、欧州自由民主改革党(ALDE)、自由主義インターナショナル(LI)に所属している。欧州議会の会派としては、民主66と共に欧州刷新(2019年までは欧州自由民主同盟)に所属している。
脚注
[編集]- ^ a b c “VVD ledentallen per jaar (1948- )” (オランダ語). Documentatiecentrum Nederlandse Politieke Partijen (DNPP). 2022年12月30日閲覧。
- ^ a b c ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 コトバンク. 2018年9月10日閲覧。
- ^ 水島治郎 (2021年8月27日). “第5章 オランダ” (PDF). 経済・社会文化・グローバリゼーション. 総合研究開発機構. 2022年12月30日閲覧。
- ^ 網谷龍介・伊藤武・成廣孝『ヨーロッパのデモクラシー』ナカニシヤ出版、2009年。
- ^ “Geschiedenis 1948” (オランダ語). Documentatiecentrum Nederlandse Politieke Partijen (DNPP). 2022年12月30日閲覧。
- ^ “Geschiedenis 1948 - 1963” (オランダ語). Documentatiecentrum Nederlandse Politieke Partijen (DNPP). 2022年12月30日閲覧。
- ^ “Geschiedenis 1971 - 1982” (オランダ語). Documentatiecentrum Nederlandse Politieke Partijen (DNPP). 2022年12月30日閲覧。
- ^ a b “Geschiedenis 1982 - 1990” (オランダ語). Documentatiecentrum Nederlandse Politieke Partijen (DNPP). 2022年12月30日閲覧。
- ^ 林瑞枝「地球環境をいうとき―ストックホルムからサンパウロへ―」『時の法令』第1411号、朝陽会、1991年10月15日、72頁。
- ^ 津田由美子・吉武信彦『北欧・南欧・ベネルクス』ミネルヴァ書房、2011年。
- ^ “Geschiedenis 1990 - 1998” (オランダ語). Documentatiecentrum Nederlandse Politieke Partijen (DNPP). 2022年12月30日閲覧。
- ^ a b “Geschiedenis 1998 - 2006” (オランダ語). Documentatiecentrum Nederlandse Politieke Partijen (DNPP). 2022年12月30日閲覧。
- ^ “オランダ4党が連立で合意、総選挙から7カ月経て”. Reuters. 2020年12月30日閲覧。
- ^ “過去最長の約9カ月間を経て連立政権の合意成立(オランダ)”. 日本貿易振興機構 (2021年12月24日). 2022年12月30日閲覧。
- ^ “第4次ルッテ内閣が発足、民間からも閣僚へ登用(オランダ) - ビジネス短信”. 日本貿易振興機構 (2022年1月18日). 2022年12月30日閲覧。
- ^ “Dutch Justice Minister Becomes New Leader of Rutte’s VVD Party”. bloomberg.co.jp. ブルームバーグ. (2023年8月14日) 2023年11月25日閲覧。
- ^ “オランダ下院選、第1党の極右党首が首相就任に意欲 連立難航も”. ロイター. (2023年11月24日) 2023年11月25日閲覧。
- ^ a b c 出典はオランダ選挙管理委員会(Kiesraad - verkiezingsuitslagen)掲載データ(2022年10月15日閲覧)
- ^ 州の人口に基づく投票価値係数で調整した後の値。
- ^ “Zetelverdeling in de Eerste Kamer 1917-nu”. Nederlandse verkiezingsuitslagen 1918-nu. 2022年10月11日閲覧。
- ^ “Eerste-Kamerverkiezingen - 25 mei 1999”. Nederlandse verkiezingsuitslagen 1918-nu. 2022年10月11日閲覧。
- ^ “Eerste-Kamerverkiezingen - 26 mei 2003”. Nederlandse verkiezingsuitslagen 1918-nu. 2022年10月11日閲覧。
- ^ “Eerste-Kamerverkiezingen - 29 mei 2007”. Nederlandse verkiezingsuitslagen 1918-nu. 2022年10月11日閲覧。
- ^ “Eerste-Kamerverkiezingen - 23 mei 2011”. Nederlandse verkiezingsuitslagen 1918-nu. 2022年10月11日閲覧。
- ^ “Eerste-Kamerverkiezingen - 26 mei 2015”. Nederlandse verkiezingsuitslagen 1918-nu. 2022年10月11日閲覧。
- ^ “Eerste-Kamerverkiezingen - 27 mei 2019”. Nederlandse verkiezingsuitslagen 1918-nu. 2022年10月11日閲覧。
- ^ “VVD congressen” (オランダ語). Documentatiecentrum Nederlandse Politieke Partijen (DNPP). 2022年12月30日閲覧。
- ^ “Over TeldersStichting” (オランダ語). TeldersStichting. 2022年12月30日閲覧。
- ^ “Geschiedenis jaren vijftig” (オランダ語). Documentatiecentrum Nederlandse Politieke Partijen (DNPP). 2022年12月30日閲覧。