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加古川7人殺害事件
場所 兵庫県加古川市西神吉町大国
標的 近所に住む親類ら
日付 2004年平成16年)8月2日
未明
攻撃側人数 1人
武器 牛刀2本・金槌
死亡者 7人
負傷者 2人(犯人含む)
犯人 当時47歳の無職男
賠償 死刑
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加古川7人殺害事件(かこがわ 7にんさつがいじけん)とは、2004年平成16年)8月2日兵庫県加古川市西神吉町大国で無職の男F(犯行当時47歳)に親類ら2家族の男女8人が刺され、7人が死亡した大量殺人事件[1]

概要

少年時代から伯母のX1(当時80歳)や家族から邪魔者扱いされていると感じ恨みを抱いていたFは[2]、男性Y1(当時64歳)の家族に対しても自分の悪評を流されているなどと思い込み、2000年夏頃からガソリンを購入して殺害計画を立てていた[2]。Fは母親(当時73歳)と2人暮らしだったが、事件の数年前から自宅敷地内にプレハブを建てて住んでいた[1]

事件前日の2004年8月1日夜、Fは別の近隣住民から自宅を覗き込まれていると思い、その住民と口論になった[2]。Fはこの住民を殺害しようと考えたが見失ったため、X1らの殺害を優先しようと思い直した[2]

翌8月2日午前3時頃、Fは刃渡り約15cmの大型牛刀と金槌を持って自宅の東隣にあるX1宅に2階から侵入し、X1の次男X2(当時46歳)を牛刀で刺殺した[1][2]。さらにX1宅から西に60m離れたY1宅にも侵入して就寝中のY1、妻Y2(当時64歳)、長男Y3(当時27歳)、長女Y4(当時26歳)の一家4人を次々と刺殺した[1][2]。その後、騒ぎを聞いてX1宅に駆け付けたX1の長男X3(当時55歳、X1宅の東隣に夫婦で住んでいた)と、X3の妻X4(当時50歳)夫婦を襲いX3を殺害、X4にも一時意識不明の重体となる重傷を負わせ、逃げようとしたX1を刺殺した[1][2]

また、X1宅の西隣にあるFの自宅が全焼したが、同居していた母親に怪我はなかった[1]。Fは事件後、近所に住む弟宅を一人で訪れ「人を殺した。母を頼む。わしは死ぬ」と話して立ち去った[1]

午前3時半頃に兵庫県警察加古川警察署に「X1宅に男が侵入し、家族が血を流して倒れている」と110番通報があり、加古川署員が現場に駆け付けたところ、X1宅、Y1宅でそれぞれ4人の男女計8人が倒れているのが見つかり、その後X4を除く7人全員の死亡が確認された[1]

午前4時10分頃、Fは加古川市内の現場から南約1kmの国道2号加古川バイパス加古川西ランプ付近を軽自動車で走行していたが、赤信号で止まっていた際、事件の通報を受けて現場に向かっていた加古川署のパトロールカーが偶然すぐ後ろに停車した[1]。そのためにFは青信号に変わった直後、車を急発進させて道路脇の信号機の柱に衝突、車は炎上した[1]。Fは署員に救出された際、両腕に火傷を負っていたが命に別状はなく「長年の恨みで人を殺した。自宅にも放火した」などと自供してすぐに署に同行を求めた[1]。その後、FがX1一家とY1一家にそれぞれ恨みやトラブルがあったことを認める供述をしたことから、兵庫県警捜査一課は加古川署に捜査本部を設置し、X1に対する殺人容疑でFの逮捕状を取った[1]

裁判

第一審(神戸地裁)

初公判は2005年1月28日に神戸地方裁判所(笹野昭義裁判長)で開かれ、検察側は冒頭陳述で「Fは事件直前、別の近隣住民も殺害しようとしていた」などと指摘し、Fは起訴事実を認めたが、弁護側は「近隣住民から迫害を受けているという被害妄想に陥り、妄想性障害の状態だった。犯行当時は心神喪失か心神耗弱の状態だった」と反論し、責任能力について争う姿勢を見せた[3]
2009年2月26日、神戸地裁(岡田信裁判長)で開かれた論告求刑公判で検察側は「犯行当時、Fに刑事責任能力はあり、生命によって罪を償うべきだ」として死刑を求刑した[4]
2009年4月9日に神戸地裁(岡田信裁判長)で開かれた最終弁論公判で弁護側は「公判中に2回実施された精神鑑定はいずれもFの完全な責任能力を否定している」と指摘し「親類らに攻撃されるとの妄想を募らせた上での犯行だった」と述べ、検察側の「親類への長年の恨みが動機」との主張に対しては「7人を殺害するほどの動機とは考えられず、事実を正しく評価していない」と反論し「Fは犯行当時、妄想性障害のため心神喪失か心神耗弱の状態だった」と述べ、無罪もしくは死刑回避を求めた[5]
5月29日に判決公判が神戸地裁で開かれ、岡田信裁判長は「Fが親類らに理不尽な扱いを受けていると感じ、殺意を抱いたことは一般人でもあり得ることである」と指摘し、検察側による2回目の精神鑑定の結果を採用し「Fは当時精神障害ではなく、人格障害の特徴を有していたにすぎない」と結論付けた上で犯行当時のFの完全責任能力を認定し「冷酷かつ残忍な犯行で、7人の尊い生命が奪われた結果は重大である」として、Fに求刑通り死刑判決を言い渡した[6]
Fの弁護人は判決を不服として6月1日付で大阪高等裁判所控訴した[7]

控訴審(大阪高裁)

大阪高等裁判所での控訴審初公判は2010年2月26日に開かれ、弁護側は「事件当時は妄想性障害による心神耗弱状態で、限定的な責任能力しかなかった」と主張し、完全責任能力を認めて死刑を言い渡した第一審判決の破棄を求めた一方、検察側は控訴棄却を求めた[8]。Fは被告人質問で一審同様、裁判官からの全ての問いかけに対し「答えたくありません」と述べた[8]
控訴審は当初初公判のみで即日結審し、判決公判は4月23日に予定されていたが[8]、判決直前の4月19日付で大阪高裁(古川博裁判長)は判決期日を取り消して弁論を再開することを決めた[9]
2012年7月13日に大阪高裁の公判で、新たにFの精神状態を診断した精神科医が鑑定人尋問で「Fは事件の約2年前から妄想性障害となり、近隣住民とのトラブルを気に事件を起こした。犯行当時、善悪の判断能力は完全には失われていなかったが著しく低下しており、その判断に伴う行動が難しい心神耗弱状態だった」という鑑定結果を報告し、完全な責任能力を認定した第一審判決とは別の見解を示した[10]
12月26日に控訴審最終弁論が開かれ、弁護側は改めて「Fは犯行当時、善悪判断が難しい心神耗弱状態だったのに、第一審判決が完全な責任能力を認めたのは誤りである」と死刑判決の破棄を、検察側は「妄想に基づく犯行ではない」として控訴棄却をそれぞれ求め結審した[11]
2013年4月26日、大阪高裁(米山正明裁判長)はFの妄想性障害を認めた一方で「責任能力の有無はFの性格や動機が形成された過程や、犯行様態などを具体体に検討する必要がある」と指摘し、以前から見過ごせない攻撃性や、親族らとの間での深刻な確執があったFの置かれた状況を考慮した場合、病的な障害が犯行当時の行動制御能力に著しい影響を及ぼしていたとは言えないと結論付け、第一審の死刑判決を支持し弁護側控訴を棄却した[12]
判決後、会見した弁護人は「精神鑑定で心神耗弱と診断されたにもかかわらず、こんな判決が出て驚いている」と批判し[12]、5月7日付で判決を不服として最高裁判所上告した[13]

上告審(最高裁)

2015年6月25日、最高裁判所第2小法廷(千葉勝美裁判長)は4人の裁判官全員一致の意見で「被害者の命乞いの懇願も一顧だにしない、強い殺意による冷酷で残忍な犯行だ」として一・二審の死刑判決を不服としたFの上告を棄却し、死刑判決が確定した[14]
判決ではFの妄想性障害を認定した上で、責任能力については「Fの行動は目的に合わせて首尾一貫しており、犯行動機も了解可能だ」と指摘した上で「障害のために怨念を強くしたとはいえるが、犯行に与えた影響はその限度に留まる」として完全な責任能力を認定し、その上で「障害が犯行に一定の影響を与えたことなどを考えても、刑事責任はあまりにも重大だ」として一・二審の死刑判決は妥当だと結論付けた[14]

死刑囚の現在

2017年現在、Fは大阪拘置所収監されている。

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l 朝日新聞』2004年8月2日夕刊1面「民家2軒で7人殺害 親類の男に殺人容疑で逮捕状 兵庫・加古川」
    『朝日新聞』2004年8月2日夕刊13面「7人殺害容疑の男、近所トラブル重ね 兵庫・加古川【大阪】」
    『朝日新聞』2004年8月2日夕刊15面「親類・近所とトラブル 容疑者、刃物持つ姿も 兵庫の7人殺害」
  2. ^ a b c d e f g 『朝日新聞』2005年1月29日朝刊35面「被告、罪状認める 加古川の7人殺害、初公判【大阪】」
  3. ^ 『朝日新聞』2005年1月29日朝刊35面「被告、罪状認める 加古川の7人殺害、初公判【大阪】」
  4. ^ 『朝日新聞』2009年2月27日朝刊35面「加古川7人殺害の被告に死刑求刑 神戸地裁【大阪】」
  5. ^ 『朝日新聞』2009年4月10日朝刊神戸版28面「弁護側最終弁論、死刑回避求める 加古川の7人殺害、来月29日判決/兵庫県」
  6. ^ 『朝日新聞』2009年5月29日夕刊15面「兵庫7人殺害事件に死刑 責任能力認める 神戸地裁判決」
  7. ^ 『朝日新聞』2009年6月2日朝刊神戸版25面「被告側が控訴 加古川7人殺害事件/兵庫県」
  8. ^ a b c 『朝日新聞』2010年2月27日朝刊39面「控訴審で弁護側、死刑破棄求める 加古川7人刺殺事件【大阪】」
  9. ^ 『朝日新聞』2010年4月21日朝刊神戸版31面「控訴審の弁論を大阪高裁が再開 加古川の7人刺殺/兵庫県」
  10. ^ 『朝日新聞』2012年7月14日朝刊34面「兵庫・加古川7人刺殺の被告『心神耗弱』 控訴審、鑑定医報告 大阪高裁【大阪】」
  11. ^ 『朝日新聞』2012年12月27日朝刊29面「加古川7人殺害の控訴審結審【大阪】」
  12. ^ a b 『朝日新聞』2013年4月27日朝刊35面「加古川7人殺害、二審も死刑 責任能力認める【大阪】」
  13. ^ 『朝日新聞』2013年5月7日夕刊10面「加古川7人殺害で被告側が上告【大阪】」
  14. ^ a b 『朝日新聞』2015年5月26日朝刊37面「加古川7人殺害、死刑確定へ」
    『朝日新聞』2015年5月26日朝刊39面「加古川7人殺害、死刑判決確定へ【大阪】」

関連項目