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'''石川 徹'''(いしかわ とおる、[[1913年]]〈大正2年〉[[4月5日]] - [[1997年]]〈平成9年〉[[9月10日]])は、[[東京市]][[芝区]][[高輪]]生まれの[[日本]]の[[日本文学研究者|国文学者]][[愛知教育大学]]名誉教授である。[[中古文学]]、特に[[源氏物語]]中心とした物語研究を専門とした。
'''石川 徹'''(いしかわ とおる、[[1913年]]〈大正2年〉[[4月5日]]<ref group="注釈">一年早く学校に入れるため、3月生まれだと父が届け出た。</ref> - [[1997年]]〈平成9年〉[[9月10日]])は、[[東京市]][[芝区]][[高輪]]生まれの[[日本]]の[[日本文学研究者|国文学者]]である。[[愛知教育大学]]名誉教授など務めた。

[[中古文学]]、特に[[源氏物語]]を中心とした物語研究を専門とした。国語年鑑では自らの専門を「日本小説史(近代以前)」と称した。研究対象は近代以前の小説(物語)すべてに及んだ。


== 来歴 ==
== 来歴 ==
東京府立第六中学校(現:[[東京都立新宿高等学校]])、[[府立高等学校 (旧制)|東京府立高等学校]](現:[[首都大学東京]])を卒業した。[[1936年]](昭和11年)に東京帝国大学(現:[[東京大学]])文学部国文学科を卒業した(卒業論文「古代小説の構想の展開」)。
東京府立第六中学校(現:[[東京都立新宿高等学校]])、[[府立高等学校 (旧制)|東京府立高等学校]](現:[[首都大学東京]])を卒業した。[[1936年]](昭和11年)に東京帝国大学(現:[[東京大学]])文学部国文学科を卒業した(卒業論文「古代小説の構想の展開」)。


旧制[[新潟中学校]]{{要曖昧さ回避|date=2017年4月}}・[[愛知県立旭丘高等学校#概要|愛知一中]]・府立第六中学校教諭を務めながら、研究を続け
旧制[[新潟中学校]]{{要曖昧さ回避|date=2017年4月}}・[[愛知県立旭丘高等学校#概要|愛知一中]]・府立第六中学校教諭を務めながら、研究を続けた。[[1945年]](昭和20年)9月に[[神戸女学院大学#沿革|神戸女学院専門学校]]教授と[[関西学院大学]]講師となった。[[1947年]](昭和22年)正月に[[愛知第一師範学校]]講師、2月に教綬に着任した。[[1949年]](昭和24年)から[[1974年]](昭和49年)3月まで、愛知教育大学(元愛知学芸大学)教授、[[名古屋大学]]講師等を務めた
1945年9月[[神戸女学院大学#沿革|神戸女学院専門学校]]教授と関西学院大学講師となる。

[[1947年]](昭和22年)正月に[[愛知第一師範学校]]講師、2月に教綬に着任した。[[1949年]](昭和24年)から[[1974年]](昭和49年)3月まで、愛知教育大学(元愛知学芸大学)教授、[[名古屋大学]]講師等を務めた。


1974年(昭和49年)に[[東京女子医科大学]]教授に就任し、[[日本女子大学]]講師、[[朝日新聞社#文化事業|朝日カルチャー]]講師などを務め、[[1979年]](昭和54年)から1997年(平成9年)まで[[帝京大学]]文学部教授を務めた。
1974年(昭和49年)に[[東京女子医科大学]]教授に就任し、[[日本女子大学]]講師、[[朝日新聞社#文化事業|朝日カルチャー]]講師などを務め、[[1979年]](昭和54年)から1997年(平成9年)まで[[帝京大学]]文学部教授を務めた。

4/5生まれだが、一年早く学校に入れるため、3月生まれだと父が届け出た。
父・石川 剛は[[第一高等学校 (旧制)|第一高等学校]]の仏文教授で[[フランス|仏国]]の文学博士、兄・[[石川登志夫]]は仏文学者である。


== 人物 ==
== 人物 ==
父・石川剛は[[第一高等学校 (旧制)|第一高等学校]]の仏文教授で[[フランス|仏国]]の文学博士、兄・[[石川登志夫]]は仏文学者である。

[[旭日章#名称と等級|勲三等旭日中綬章]]を受賞した。相撲、剣道、将棋、落語、講談、歌舞伎、映画などの趣味を持った。
[[旭日章#名称と等級|勲三等旭日中綬章]]を受賞した。相撲、剣道、将棋、落語、講談、歌舞伎、映画などの趣味を持った。


== 著作 ==
== 著作 ==
分担執筆した文章には、源氏物語の構想論、人物論、作家論などの他、[[擬古物語#主な擬古物語|石清水]]・[[うつほ物語|宇津保]]・[[落窪物語|落窪]]・[[竹取物語|竹取]]・[[堤中納言物語|堤中納言]]・[[平中物語]]、[[土佐日記]]、[[大鏡]]等に関しての論文、解説がある。また、古典の学習指導、語彙辞典の一部、書評などがある。源氏物語を中心とした平安朝物語全般の研究で論文を多数遺した。散逸物語のストーリーの推定や、源氏と後継物語間における構想の連鎖を指摘した。研究対象は近代以前の小説(物語)すべてに及び、授業をし、各学会に所属していた。「国語年鑑」では、自ら{日本小説史(近代以前)}を専門としている
分担執筆した文章には、源氏物語の構想論、人物論、作家論などの他、[[擬古物語#主な擬古物語|石清水]]・[[うつほ物語|宇津保]]・[[落窪物語|落窪]]・[[竹取物語|竹取]]・[[堤中納言物語|堤中納言]]・[[平中物語]]、[[土佐日記]]、[[大鏡]]等に関しての論文、解説がある。また、古典の学習指導、語彙辞典の一部、書評などがある。源氏物語を中心とした平安朝物語全般の研究で論文を多数遺した。散逸物語のストーリーの推定や、源氏と後継物語間における構想の連鎖を指摘した。


=== 単著 ===
=== 単著 ===
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* 古代小説史稿-源氏物語と其前後-([[1958年]](昭和33年)、刀江書院、[[1996年]](平成8年)増訂版・パルトス社)
* 古代小説史稿-源氏物語と其前後-([[1958年]](昭和33年)、刀江書院、[[1996年]](平成8年)増訂版・パルトス社)
* 平安時代物語文学論(1979年(昭和54年)、[[笠間書院]])
* 平安時代物語文学論(1979年(昭和54年)、[[笠間書院]])
* 王朝小説論([[1992年]](平成4年)、[[新典社]]
* 王朝小説論([[1992年]](平成4年)、[[新典社]]、ISBN 978-4787940469)


=== 共編著 ===
=== 共編著 ===
* 狭衣物語(一)([[1954年]](昭和29年)、騒人社、松村博司と共編)
* [[狭衣物語]](一)([[1954年]](昭和29年)、騒人社、松村博司と共編)
* 日本古典全書 狭衣物語 上([[1965年]](昭和40年)、[[朝日新聞社]]、松村博司と共著)
* 日本古典全書 狭衣物語 上([[1965年]](昭和40年)、[[朝日新聞社]]、松村博司と共著)
* 日本古典全書 狭衣物語 下([[1967年]](昭和42年)、朝日新聞社、松村博司と共著)
* 日本古典全書 狭衣物語 下([[1967年]](昭和42年)、朝日新聞社、松村博司と共著)


=== 校訂など ===
=== 校訂など ===
* 源氏物語 桐壺([[1951年]](昭和26年)、日進社出版部、松村博司と共編シリーズの内の担当書)
* 源氏物語 [[桐壺]]([[1951年]](昭和26年)、日進社出版部、松村博司と共編シリーズの内の担当書)
* 源氏物語 橋姫・浮舟([[1952年]](昭和27年)、文京書院)
* 源氏物語 [[橋姫 (源氏物語)|橋姫]][[浮舟 (源氏物語)|浮舟]]([[1952年]](昭和27年)、文京書院)
* 源氏物語 須磨([[1953年]](昭和28年)、日進社出版部、松村博司と共編シリーズの内の担当書)
* 源氏物語 [[須磨 (源氏物語)|須磨]]([[1953年]](昭和28年)、日進社出版部、松村博司と共編シリーズの内の担当書)
* 中学生の古典文学 竹取物語([[1956年]](昭和31年)、[[至文堂]]、一部長谷川昭子と共訳)
* 中学生の古典文学 竹取物語([[1956年]](昭和31年)、[[至文堂]]、一部長谷川昭子と共訳)
* 校注 夜半の寝覚([[1981年]](昭和56年)、[[武蔵野書院]])
* 校注 [[夜半の寝覚]]([[1981年]](昭和56年)、[[武蔵野書院]])
* 新潮日本古典集成 大鏡([[平成元年]]、[[新潮社]]、[[2017年]](平成29年)新装版
* [[新潮日本古典集成]] 大鏡([[1989年]](平成元年、[[新潮社]]、ISBN 9784106203824;[[2017年]](平成29年)新装版、ISBN 9784106208317)


== 脚注 ==
== 脚注 ==
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<!--=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
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*愛教大国語国文学報自叙略年譜並著作目録-石川徹著
*{{Cite journal|和書|author=石川徹|year={{いつ|date=2017年4月}}|journal=国語国文学報|issue=|title=自叙略年譜並著作目録|publisher=[[愛知教育大学]]国語国文学研究室|ref=harv}}
*国文学 解釈と鑑賞 昭和36年8月号 学者評判記
*{{Cite journal|和書|author=長野甞一|authorlink=長野甞一|year=1961|journal=[[国文学 解釈と鑑賞]]|issue=昭和36年8月号|title=学者評判記三十三 石川徹の巻|publisher=[[至文堂]]|ref=harv}}
*{{Cite journal|和書|author=高橋亨|authorlink=高橋亨 (国文学者)|date=1979-10|journal=日本文学|volume=28|issue=10|title=石川徹著「平安時代物語文学論」を読む|publisher=[[日本文学協会]]|ref=harv}}
*週刊読書人1989、9、25 「大鏡」の書評 今井源衛
*{{Cite journal|和書|author=今井源衛|authorlink=今井源衛|date=1989-09-25|journal=[[週刊読書人]]|title={{何の|date=2017年4月}}|publisher=読書人|ref=harv}}<ref group="注">「大鏡」の書評。</ref>
*今井源衛著作集第12巻 評論「石川徹『王朝小説論』」
*{{Cite book|和書|author=今井源衛|authorlink=今井源衛|year=2007|title=今井源衛著作集|volume=第12巻|chapter=評論「石川徹『王朝小説論』」|publisher=[[笠間書院]]|isbn=978-4-305-60091-2|url=http://kasamashoin.jp/2007/09/1014.html|ref=harv}}
*高橋亨著作の中に「石川徹『平安時代物語文学論』を読む」
*{{Cite book|和書|author=国立国語研究所編|authorlink=国立国語研究所|year={{いつ|date=2017年4月}}|title=国語年鑑|volume=昭和{{いつ|date=2017年4月}}年版|publisher=秀英出版|isbn=|ref=harv}}
*「国語年鑑」国立国語研究所発行
*{{Cite book|和書|author=交詢社編|authorlink=交詢社|year={{いつ|date=2017年4月}}|title=日本紳士録|publisher=|isbn=|ref=harv}}
*「日本紳士録」
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2017年4月16日 (日) 23:27時点における版

石川 徹(いしかわ とおる、1913年〈大正2年〉4月5日[注釈 1] - 1997年〈平成9年〉9月10日)は、東京市芝区高輪生まれの日本国文学者である。愛知教育大学名誉教授などを務めた。

中古文学、特に源氏物語を中心とした物語研究を専門とした。国語年鑑では自らの専門を「日本小説史(近代以前)」と称した。研究対象は近代以前の小説(物語)すべてに及んだ。

来歴

東京府立第六中学校(現:東京都立新宿高等学校)、東京府立高等学校(現:首都大学東京)を卒業した。1936年(昭和11年)に東京帝国大学(現:東京大学)文学部国文学科を卒業した(卒業論文「古代小説の構想の展開」)。

旧制新潟中学校[要曖昧さ回避]愛知一中・府立第六中学校教諭を務めながら、研究を続けた。1945年(昭和20年)9月に神戸女学院専門学校教授と関西学院大学講師となった。1947年(昭和22年)正月に愛知第一師範学校講師、2月に教綬に着任した。1949年(昭和24年)から1974年(昭和49年)3月まで、愛知教育大学(元愛知学芸大学)教授、名古屋大学講師等を務めた。

1974年(昭和49年)に東京女子医科大学教授に就任し、日本女子大学講師、朝日カルチャー講師などを務め、1979年(昭和54年)から1997年(平成9年)まで帝京大学文学部教授を務めた。

人物

父・石川剛は第一高等学校の仏文教授で仏国の文学博士、兄・石川登志夫は仏文学者である。

勲三等旭日中綬章を受賞した。相撲、剣道、将棋、落語、講談、歌舞伎、映画などの趣味を持った。

著作

分担執筆した文章には、源氏物語の構想論、人物論、作家論などの他、石清水宇津保落窪竹取堤中納言平中物語土佐日記大鏡等に関しての論文、解説がある。また、古典の学習指導、語彙辞典の一部、書評などがある。源氏物語を中心とした平安朝物語全般の研究で論文を多数遺した。散逸物語のストーリーの推定や、源氏と後継物語間における構想の連鎖を指摘した。

単著

  • うつほ物語秘琴抄(1950年(昭和25年)、川瀬書店)
  • 古代小説史稿-源氏物語と其前後-(1958年(昭和33年)、刀江書院、1996年(平成8年)増訂版・パルトス社)
  • 平安時代物語文学論(1979年(昭和54年)、笠間書院
  • 王朝小説論(1992年(平成4年)、新典社ISBN 978-4787940469

共編著

  • 狭衣物語(一)(1954年(昭和29年)、騒人社、松村博司と共編)
  • 日本古典全書 狭衣物語 上(1965年(昭和40年)、朝日新聞社、松村博司と共著)
  • 日本古典全書 狭衣物語 下(1967年(昭和42年)、朝日新聞社、松村博司と共著)

校訂など

脚注

注釈

  1. ^ 一年早く学校に入れるため、3月生まれだと父が届け出た。

出典

参考文献

  • 石川徹「自叙略年譜並著作目録」『愛知教育大学国語国文学報』、愛知教育大学国語国文学研究室、[いつ?] 
  • 長野甞一「学者評判記三十三 石川徹の巻」『国文学 解釈と鑑賞』昭和36年8月号、至文堂、1961年。 
  • 高橋亨「石川徹著「平安時代物語文学論」を読む」『日本文学』第28巻第10号、日本文学協会、1979年10月。 
  • 今井源衛[何の?]」『週刊読書人』、読書人、1989年9月25日。 [注 1]
  • 今井源衛評論「石川徹『王朝小説論』」」『今井源衛著作集』 第12巻、笠間書院、2007年。ISBN 978-4-305-60091-2http://kasamashoin.jp/2007/09/1014.html 
  • 国立国語研究所編『国語年鑑』 昭和[いつ?]年版、秀英出版、[いつ?] 
  • 交詢社編『日本紳士録』[いつ?] 
  1. ^ 「大鏡」の書評。