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2017年4月20日 (木) 08:56時点における版
舟越 楫四郎(ふなこし かじしろう、1870年9月23日(明治3年8月28日) - 1962年(昭和37年)10月30日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。名は「揖四郎」とした例もある。
来歴
兵庫県出身。船越恭の四男として生まれる。開成中学校を経て、1890年(明治23年)4月、海軍兵学校(16期)を卒業し、翌年9月に海軍少尉に任官。日清戦争に「橋立」分隊士として出征した。「八重山」分隊長、「富士」分隊長、「鎮遠」水雷長、呉水雷団副官、「朝日」分隊長、砲術練習所教官、「八雲」砲術長、教育本部第1部員などを経て、日露戦争には第二艦隊の副官として従軍した。
その後は海軍省人事局員、「香取」副長、「千早」「和泉」の各艦長、横須賀鎮守府付、「対馬」「橋立」「磐手」「八雲」「生駒」の各艦長、艦政本部艤装員、「榛名」艦長などを歴任し、1915年(大正4年)12月、海軍少将に進級した。
イギリス大使館付武官、横須賀鎮守府参謀長、第1艦隊参謀長、兼連合艦隊参謀長などを経て、1919年(大正8年)12月、海軍中将となり第二遣外艦隊司令官、将官会議議員、横須賀工廠長などを歴任、1922年(大正11年)12月、予備役に編入された。その後1932年(昭和7年)1月から翌年12月まで、三菱石油社長を務めた。
栄典
- 1895年(明治28年)11月18日 - 勲六等単光旭日章[1]
- 1905年(明治38年)5月30日 - 勲四等瑞宝章[2]
- 1909年(明治42年)4月18日 - 皇太子渡韓記念章[3]
- 1916年(大正5年)8月1日 - 勲二等瑞宝章[4]
- 1921年(大正10年)7月1日 - 第一回国勢調査記念章[5]