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「リカルド・ロペス」の版間の差分

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'''リカルド・ロペス'''('''Ricardo López'''、[[1966年]][[7月25日]] - )は[[メキシコ]]出身の元[[プロボクサー]]{{Sfn|Official}}{{Sfn|ibhof}}ニッネームは "Finto"または"El Finto"{{Sfn|Official}}{{Sfn|ibhof}}。フルネームはリカルド・ロペス・ナバ (Ricardo López Nava){{Sfn|Official}}。2002年に36歳で引退するまでの全キャリアのうち、最後の3年間のみ[[ライトフライ級]]、それまでは全て[[ミニマム級]]で戦った{{R|BBC2}}
'''リカルド・ロペス'''('''Ricardo López'''、男性、[[1967年]][[7月25日]] - )は[[メキシコ]]の元[[プロボクサー]]。第5代[[世界ボシング評議会|WBC]] 世界[[ミニマム級]]王者。第4代[[世界ボクシング機構|WBO]]世界ミニマム級王者。第7代[[世界ボクシング協会|WBA]]第11代[[国際ボクシング連盟|IBF]]世界[[ライトフライ級]]王者。''El Finito(フィニート、素晴らしい男)''の異名を持った。


精密機械と形容されるほど正確無比なパンチを持ち、なおかつ基本に忠実なボクシングスタイル。遠・中距離から伸びるコンビネーションとアッパーでKOの山を築いた。さらに、慎重な性格で素質に溺れることもなく、普段の練習態度も非常に真面目で常日頃から努力を怠らなかった。8年以上も同階級にとどまり続けられたのも普段からの節制の賜物だった。
== 功績 ==
[[世界ボクシング評議会|WBC]]、[[世界ボクシング協会|WBA]]、[[世界ボクシング機構|WBO]]の3つのボクシング世界団体のミニマム級世界王座を獲得した{{Sfn|Official}}{{Sfn|ibhof}}。また後に階級を移動し、[[国際ボクシング連盟|IBF]]世界[[ライトフライ級]]でも世界王者となり2階級を制覇している{{Sfn|Official}}{{Sfn|ibhof}}{{R|BBC}}。また世界王座を11年間に渡り維持し、合計26回の王座防衛戦を戦った{{R|BBC}}。


名門ルピータジムにて[[アルトゥーロ・エルナンデス|クーヨ・エルナンデス]]に一からボクシングを学び、エルナンデスの死後にロマンサ・ジムへ移り[[ナチョ・ベリスタイン]]門下へ。[[Zボーイズ]]や[[ルーベン・オリバレス]]を育てた名伯楽クーヨをして「傑作」と言わしめた。
生涯プロ全戦績52戦のうち、引き分け1戦を除く全戦で不敗のまま引退した{{Sfn|Official}}{{Sfn|ibhof}}。これは「36歳時点でプロボクサーキャリア17年のうち50勝1引き分け不敗の戦績」として[[ギネスブック]]に登録されている{{R|BBC}}。


== 来歴 ==
2002年12月2日発表の引退試合を報じた[[イギリス]]の[[BBCニュース]]では「完璧な技術を持つファイター (technically perfect fighter)」「ボクシングの天才 (boxing genius)」と絶賛されている<ref name=BBC2>{{Cite web |url=http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/boxing/2534729.stm |title=Farewell to a boxing genius |publisher=[[BBCニュース]] |date=2002-12-2 |accessdate=2016-12-14 }}</ref>。
=== ミニマム級時代 ===
アマチュア戦績40戦全勝を経て、[[1985年]]1月18日、プロデビュー。


[[1989年]]11月7日、[[世界ボクシング評議会|WBC]]アメリカ大陸[[ミニマム級]]王座決定戦をレイ・エルナンデスと行い最終12回KO勝ちを収め王座獲得に成功した。
2007年6月7日には[[アメリカ合衆国]]の[[ニューヨーク]]にある[[国際ボクシング名誉の殿堂博物館]]にて殿堂入りした{{Sfn|Official}}。


[[1990年]]3月15日、ホルヘ・リベラと対戦し、8回KO勝ちを収め初防衛に成功した。
== 戦績 ==
ロペスのアマチュア戦績は9歳のときに始まり、アマチュア戦績全勝を経て1985年1月18日、20歳のときにプロデビューし、メキシコの[[モレロス州]][[クエルナバカ]]で[[ロヘリオ・ヘルナンデス]]と戦い3ラウンドでノックアウト勝利した{{Sfn|Official}}。


=== WBC王座獲得 ===
1990年10月25日、ロペスはWBC世界ミニマム級王者であった[[日本]]の[[大橋秀行]]に挑戦するために来日し、[[東京都]]で行われた王座獲得戦の結果、は4ラウンドにロペスが大橋をTKOで勝利{{Sfn|ibhof}}し、ロペスが世界王者となった{{Sfn|Official}}。ロペスはその後この王座を21回防衛した{{Sfn|Official}}{{Sfn|ibhof}}。


1990年10月25日、[[後楽園ホール]]でWBC世界ミニマム級王者[[大橋秀行]](日本・[[ヨネクラボクシングジム]])と対戦した。4回にダウンを奪うと、5回に更なる追撃を浴びせダウンを追加し、3度目のダウンから立ち上がろうとしたところでレフェリーストップ。5回2分TKO勝ちを収め王座獲得に成功した。
ロペスはこの頃までに両腕の腱と眉の周りを負傷しており、1995年にこれらの治療を行っている{{R|BBC}}。


[[1991年]]5月19日、[[静岡市]]の[[草薙体育館]]で平野公夫(日本)と対戦し、8回1分42秒TKO勝ちを収め初防衛に成功した。
1998年3月7日、全戦績中唯一の引き分け相手である[[ニカラグア]]の[[ロセンド・アルバレス]]と戦い、このときはロペスの頭部の負傷によりテクニカル・ドローの判断が下され{{R|BBC2}}引き分けとなった{{Sfn|ibhof}}{{R|BBC}}。アルバレスとはその8か月後に再戦し勝利している{{Sfn|ibhof}}。引退に際してロペスはこの戦いを振り返り、「私の全戦績中最も困難な戦いはニカラグアのロセンド・アルバレスとのWBA王座決定戦だった ("One of my hardest fights was against WBA champion Rosendo Alvarez of Nicaragua.")」と語っている{{R|BBC}}。


1991年12月21日、[[ソウル特別市|ソウル]]の[[蚕室体育館]]で元[[国際ボクシング連盟|IBF]]世界ミニマム級初代王者[[李敬渕]]([[大韓民国|韓国]])と対戦し、引導を渡す12回3-0(118-110、116-112、120-107)の判定勝ちを収め2度目の防衛に成功した。
1999年にロペスはライトフライ級に移籍した{{Sfn|Official}}{{R|BBC}}。これによりWBCはロペスのWBC世界ミニマム級王座を剥奪した{{Sfn|Official}}。


[[1992年]]3月16日、メキシコシティのフロントン・メキシコでプリティ・ボーイ・ルーカス([[フィリピン]])と対戦し、12回3-0(120-104、2者が120-106)の判定勝ちを収め3度目の防衛に成功した。
1999年10月2日、当時IBFライトフライ級世界王者の座にあったアメリカ合衆国の[[ウィル・グリッグスピー]]に挑戦し、12ラウンドで勝利しWBC世界ミニマム級に続く2階級での世界王者となった{{Sfn|ibhof}}。

1992年8月22日、[[:en:Cimdad Madero|シウダド・マデーロ]]のアウディトリオ・デ・マデーロでシンプラサート・キティカセム([[タイ王国|タイ]])と対戦し、5回1分5秒KO勝ちを収め4度目の防衛に成功した。

[[1992年]]10月11日、後楽園ホールに2年振りの登場。WBC世界ミニマム級1位の[[ロッキー・リン]]([[台湾]])と[[指名試合]]を行い、一撃で失神させる2回1分46秒KO勝ちを収め5度目の防衛に成功した。日本での試合はこれが最後となったが、以降も日本での世界戦に出場する同国人選手の応援や韓国やタイでの遠征試合の調整などでたびたび来日した。

[[1993年]]1月31日、[[浦項市]]の浦項体育館で呉光洙(韓国)と対戦し、9回2分38秒TKO勝ちを収め6度目の防衛に成功した。

1993年7月3日、[[ヌエボ・ラレド]]のパルクェ・ラ・ジュンタで後にライトフライ級でタイのボクサーで初の[[統一世界王者|統一王者]]で長期政権を築く[[サマン・ソーチャトロン]](タイ)と対戦し、2回2分45秒TKO勝ちを収め7度目の防衛に成功した。

1993年9月19日、[[バンコク]]のキャピタル・シティ・ディスコザクェでトートー・ポンサワン(タイ)と対戦し、11回2分30秒TKO勝ちを収め8度目の防衛に成功した。

1993年12月18日、[[ネバダ州]][[:en:Stateline, Nevada|ステートライン]]のシーザース・タホーで元IBF世界ミニマム級王者[[マニー・メルチョル]](フィリピン)と対戦し、11回2分KO勝ちを収め9度目の防衛に成功した。

[[1994年]]5月7日、[[ラスベガス]]の[[MGMグランド・ガーデン・アリーナ]]で後の[[世界ボクシング機構|WBO]]世界ミニマム級王者[[ケルミン・グアルディア]]([[コロンビア]])と対戦し、12回3-0(2者が117-110、119-109)の判定勝ちを収め10度目の防衛に成功した。

1994年9月17日、MGMグランド・ガーデン・アリーナでヨドシン・センガーモロコット(タイ)と対戦し、ミニマム級世界戦最速KO記録となる初回1分53秒TKO勝ちを収め11度目の防衛に成功した。

1994年11月12日、メキシコシティのプラザ・デ・トロス・メキシコでハビエル・バルガス(メキシコ)と対戦し、8回1分33秒TKO勝ちを収め12度目の防衛に成功した。

1994年12月10日、[[モンテレイ]]の[[エスタディオ・デ・ベイスボル・モンテレイ]]でヤミール・カラバリョと対戦し、自身が持つ従来の最短記録を大幅に更新する初回1分10秒TKO勝ちを収め13度目の防衛に成功した<ref>ボクシング世界図鑑 (ハリー・ムラン、ボブ・ミー、マット・ボジート著)248ページ参照</ref>。

[[1995年]]4月1日、ネバダ州プリムのバッファロー・ビルズ・スター・アリーナで「タバナス大塚」のリングネームで日本でも活躍しているアンディ・タバナス(フィリピン)と対戦し、最終12回2分45秒TKO勝ちを収め、14度目の防衛に成功した。その後負傷の影響で約1年試合から遠ざかる。

[[1996年]]3月16日、MGMグランド・ガーデン・アリーナで「アラ・ビラモア木村」のリングネームで日本でも活躍したアラ・ビラモア(フィリピン)と対戦し、8回40秒KO勝ちを収め15度目の防衛に成功した。

1996年6月29日、[[カリフォルニア州]]インディオのファンタジー・スプリングス・リゾート・カジノでキティチャイ・ブリーチャ(タイ)と対戦し、3回1分46秒TKO勝ちを収め16度目の防衛に成功した。

1996年11月9日、MGMグランド・ガーデン・アリーナでモーガン・ニドゥモ([[南アフリカ共和国|南アフリカ]])と対戦し、6回55秒TKO勝ちを収め17度目の防衛に成功した。

1996年12月7日、ファンタジー・スプリングス・リゾート・カジノで朴明燮と対戦し、初回2分22秒TKO勝ちを収め18度目の防衛に成功した。

[[1997年]]3月29日、ラスベガスの[[ラスベガス・ヒルトン]]内ヒルトン・センターでモンコル・チャーロンと対戦し、12回3-0(2者が120-107、119-108)の判定勝ちを収め19度目の防衛に成功した。

=== WBO王座とWBA王座の統一戦 ===

1997年8月23日、[[ニューヨーク]]の[[マディソン・スクエア・ガーデン]]でWBO世界ミニマム級王者[[アレックス・サンチェス]]([[プエルトリコ]])との統一戦を行い、5回1分58秒TKO勝ちを収め、WBC王座は20度目の防衛、WBO王座も獲得に成功した。その後、WBO王座は防衛することなく返上した。

[[1998年]]3月7日、メキシコシティのプラザ・デ・トロス・メキシコで[[世界ボクシング協会|WBA]]王者[[ロセンド・アルバレス]]([[ニカラグア]])との王座統一戦を行った。前評判ではロペスが圧倒的に有利とされたが、2回にWBA王者の強打を受けてしまい、アマ・プロ通じて初のダウン。辛くも立ち上がり、試合続行に応じたものの、本来の調子とは程遠かった。そして、迎えた7回2分に、偶然のバッティングで右眉毛からまぶたまでをカットし出血する。レフェリーは偶然のバッティングで1点減点を宣言、ドクターは続行の判断をし、残り50秒はファイトという掛け声とともにそのままの続行している。その7回の残り50秒の間に医師と隣に座っていたWBC[[ホセ・スレイマン]]会長(ちなみにその隣は[[ドン・キング]])と傷の深さなど語ったとされる。ラウンド終了後間近で傷を見たトレーナーの[[ナチョ・ベリスタイン]]は、続行不可能と判断、ロペスはガードを高く掲げるポーズで8回開始すぐに戦闘続行の意思を示したものの、ベリスタインはスレイマン会長に状況を訴える。この間会場では観客同士の小競り合いが起こるほど騒然とした状態となる。スレイマンは医師の意見をもう一度確認した後、偶然のバッティングによる負傷判定と決断し結果は8回1-1(67-64、63-68、66-66)薄氷を踏む引き分け。お互いに王座防衛には成功したものの、ロペスは初のダウンを奪われた末に完璧な全勝レコードに初の引き分けを挟むことで傷をつける形になってしまった。しかし無理を押して続行して、相手をKOまでいかなくてもダウンを奪うなど明らかな優位を付ければよく、この時点でベリスタインとスレイマンによって引き分けの判断があったとされロペス優遇という結果に議論が巻き起こることになった。

1998年11月13日、ラスベガスのラスベガス・ヒルトン内ヒルトン・センターでWBA世界ミニマム級王者ロセンド・アルバレスと再戦となる王座統一戦を行う予定だったが、アルバレスが[[体重超過]]により計量失格となり、WBCは王座統一戦を承認せず、ロペスが勝った場合のみWBA王座が懸かった試合となった。ここでもロペスは5回に右目尻を6回には左目尻をカットし、10回にはレフェリーがドクターストップか負傷判定かと医師に迫るくらいに顔の腫れ切り傷、出血が酷かったため、大苦戦を強いられるものの、12回2-1(116-114、116-112、113-115)の判定勝ちを収めWBA王座獲得に成功した。

[[1999年]]、IBF世界[[ライトフライ級]]王者[[ウィル・グリッグスピー]]([[アメリカ合衆国]])に挑戦が決定したのに伴い、9月29日付で正式にWBA王座とWBC王座を剥奪された。WBA王座とWBC王座を8年7ヶ月保持し続けてきたミニマム級に別れを告げた<ref>ボクシング世界図鑑 (ハリー・ムラン、ボブ・ミー、マット・ボジート著)247ページ参照</ref>。

=== ライトフライ級時代、ミニマム級時代の対立王者との対戦 ===

[[1999年]]10月2日、ラスベガスのラスベガス・ヒルトン内ヒルトン・センターで、IBF世界ライトフライ級王者ウィル・グリッグスビーと対戦し、12回3-0(118-110、116-112、117-111)の判定勝ち。プロ、ちょうど50戦目にして2階級制覇を達成したが、その後は負傷の影響で1年以上試合から遠ざかる。

[[2000年]]12月2日、1年2か月ぶりの復帰戦。[[マンダレイ・ベイ・イベント・センター]]で[[フェリックス・トリニダード]]VS[[フェルナンド・バルガス]]の前座で元IBF世界ミニマム級王者[[ラタナポン・ソーウォラピン]](タイ)と対戦し、3回2分11秒TKO勝ちを収め初防衛に成功した。

[[2001年]]9月29日、マディソン・スクエア・ガーデンで[[バーナード・ホプキンス 対 フェリックス・トリニダード戦|バーナード・ホプキンスVSフェリックス・トリニダード]]の前座で、ミニマム級時代に戦わなかった最後の対立王者で元IBF世界ミニマム級王者並びにIBF世界ライトフライ級2位の[[ゾラニ・ペテロ]](南アフリカ)と対戦し、8回1分32秒KO勝ちを収め2度目の防衛に成功した。この試合を最後に[[2002年]]11月27日、「まだ1、2試合はできると思うが、この先何が起こるか分からない。これまでの検査で異常は見つかっていないけど、ダメージを抱えて余生を送るようなことは避けたい」と語り、王座在位のまま引退を表明した。1つの引き分けはあるものの、アマ・プロ通じ、敗戦を知る事なくリングを去った<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/boxing/2534729.stm title=Farewell to a boxing genius] BBC.com 2002年12月2日</ref><ref>ボクシング ザ ラストファイト([[ベースボールマガジン社]]発行)14、15ページ参照</ref><ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/boxing/1837332.stm Final year for 'Finito'] BBC.com 2002年2月3日</ref>。


== 引退後 ==
== 引退後 ==
現在はメキシコ最大のテレビネットワーク[[テレビサ]]で専属解説者になっている<ref>{{Cite web |url=http://notifight.com/artman2/publish/Entrevista_6/Finito_L_pez_no_todo_es_salvajismo_en_el_boxeo.php |title=Finito López: no todo es salvajismo en el boxeo |publisher=notifight.com |author=Por José Rodolfo Castro |date=2009-2-2 |accessdate=2016年12月13日 }}</ref>。
ロペスの引退発表はWBC世界ミニマム級王座獲得の12周年となる2002年10月25日に行われた{{Sfn|ibhof}}<ref name=BBC>{{Cite web |url=http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/boxing/1837332.stm |title=Final year for 'Finito' |publisher=[[BBCニュース]] |date=2002-2-23 |accessdate=2016-12-14 |language={{en icon}} }}</ref>。アマチュア時代、プロ時代を合わせたボクシングキャリアは合計で26年に及ぶ{{R|BBC}}。引退時点での年齢は36歳だった{{R|BBC2}}。


[[2005年]]9月12日、BBCの読者投票「読者が選ぶパウンド・フォー・パウンド・リスト」で10位に選出された<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/boxing/4238036.stm Your pound-for-pound lists] BBC.com 2005年9月12日</ref>。
現役引退後は2007年時点ではメキシコに在住しており{{Sfn|ibhof}}、メキシコおよびスペイン語圏最大のテレビネットワークである[[テレビサ]]にボクシング評論家として勤めている<ref>{{Cite web |url=http://notifight.com/artman2/publish/Entrevista_6/Finito_L_pez_no_todo_es_salvajismo_en_el_boxeo.php |title=Finito López: no todo es salvajismo en el boxeo |publisher=notifight.com |author=Por José Rodolfo Castro |date=2009-2-2 |accessdate=2016年12月13日 }}</ref>。


[[2007年]]6月7日、ニューヨークの[[国際ボクシング名誉の殿堂博物館]]でミニマム級の世界王者として初めて殿堂に迎え入れられた<ref>[http://www.ibhof.com/pages/about/inductees/modern/lopez.html Ricardo (Finito) Lopez] International Boxing Hall of Fame 2007年6月7日</ref>。
2005年9月12日発表の、イギリスのBBCニュース集計による読者投票のランキング「あなたの[[パウンド・フォー・パウンド]]リスト (Your pound-for-pound lists)」では10位にランクインした<ref>{{Cite web |url=http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/boxing/4238036.stm |title=Your pound-for-pound lists |publisher=[[BBCニュース]] |date=2005-9-12 |accessdate=2016-12-14 }}</ref>。

== 戦績 ==
* アマチュアボクシング: 40戦 40勝 28KO
* プロボクシング: 52戦 51勝 37KO 1分
{{Fightstatstop}}
{{Fightstatscont|1|1985年1月18日|☆|3R|KO|ロヘリオ・エルナンデス|{{MEX}}|プロデビュー戦}}
{{Fightstatscont|2|1985年2月6日|☆|2R|KO|アントニオ・アルシニエハ|{{MEX}}|-}}
{{Fightstatscont|3|1985年2月18日|☆|2R|KO|セバスティアン・レイジェス|{{MEX}}|-}}
{{Fightstatscont|4|1985年3月8日|☆|3R|KO|ハビエル・ドミンゲス|{{MEX}}|-}}
{{Fightstatscont|5|1985年6月27日|☆|2R|KO|マヌエル・マルチネス|{{MEX}}|-}}
{{Fightstatscont|6|1985年8月2日|☆|5R|TKO|ナルシソ・パンチ|{{MEX}}|-}}
{{Fightstatscont|7|1986年3月24日|☆|1R|KO|レイジェス・メンデス|{{MEX}}|-}}
{{Fightstatscont|8|1986年5月1日|☆|1R|KO|サンチャゴ・メンデス|{{MEX}}|-}}
{{Fightstatscont|9|1986年7月28日|☆|8R|判定|エルミニオ・ラミレス|{{MEX}}|-}}
{{Fightstatscont|10|1986年10月6日|☆|2R|KO|ホルヘ・フローレス|{{MEX}}|-}}
{{Fightstatscont|11|1986年12月8日|☆|10R|判定|エルミニオ・ラミレス|{{MEX}}|-}}
{{Fightstatscont|12|1987年4月18日|☆|10R|判定|アルフォンソ・リベラ|{{MEX}}|-}}
{{Fightstatscont|13|1987年7月31日|☆|1R|TKO|アレックス・モラド|{{MEX}}|-}}
{{Fightstatscont|14|1987年8月15日|☆|10R|判定|ハビエル・アロンゾ|{{MEX}}|-}}
{{Fightstatscont|15|1988年7月30日|☆|1R|KO|フェルミン・リベロ|{{MEX}}|-}}
{{Fightstatscont|16|1988年8月27日|☆|5R|TKO|エバリスト・モラレス|{{MEX}}|-}}
{{Fightstatscont|17|1988年11月12日|☆|10R|判定|イスマエル・ベニテス|{{MEX}}|-}}
{{Fightstatscont|18|1989年1月27日|☆|5R|TKO|バルド・ゴンザレス|{{MEX}}|-}}
{{Fightstatscont|19|1989年5月6日|☆|10R|判定|ハビエル・スアレス|{{MEX}}|-}}
{{Fightstatscont|20|1989年5月30日|☆|8R|KO|ホルヘ・トーレス|{{MEX}}|-}}
{{Fightstatscont|21|1989年7月8日|☆|2R|KO|アベル・アンドレス|{{MEX}}|-}}
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{{Fightstatscont|23|1989年8月26日|☆|7R|TKO|ホセ・ルイス・セペダ|{{MEX}}|-}}
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{{Fightstatscont|25|1990年3月15日|☆|8R|KO|ホルヘ・リベラ|{{MEX}}|WBCアメリカ大陸防衛1}}
{{Fightstatscont|26|1990年6月29日|☆|10R|判定|フランシスコ・モンティエル|{{MEX}}|-}}
{{Fightstatscont|27|1990年10月25日|☆|5R 2:00|KO|[[大橋秀行]]|{{JPN}}|WBC世界ミニマム級タイトルマッチ}}
{{Fightstatscont|28|1991年5月19日|☆|8R 1:42|TKO|平野公夫|{{JPN}}|WBC防衛1}}
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== 獲得タイトル ==
* 第5代[[世界ボクシング評議会|WBC]]世界[[ミニマム級]]王座(防衛21度=剥奪)
* 第4代[[世界ボクシング機構|WBO]]世界ミニマム級王座(防衛0度=返上)
* 第7代[[世界ボクシング協会|WBA]]世界ミニマム級王座(防衛0度=剥奪)
* 第11代[[国際ボクシング連盟|IBF]]世界[[ライトフライ級]]王座(防衛2度=返上)

== 脚注 ==
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== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
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* [[統一世界王者]]
* [[統一世界王者]]
* [[スポーツ無敗記録一覧]]
* [[スポーツ無敗記録一覧]]

== 脚注 ==
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== 参考文献 ==
* {{Cite web |url=http://www.ricardofinitolopez.com/ |title=Ricardo "Finto" López |publisher=リカルド・ロペス公式サイト |accessdate=2016年12月13日 |language={{Es icon}} |Ref={{SfnRef|Official}} }}
* {{Cite web |url=http://www.ibhof.com/pages/about/inductees/modern/lopez.html |title=Ricardo (Finito) Lopez |publisher=[[国際ボクシング名誉の殿堂博物館]] |date=2007 |accessdate=2016年12月13日|language={{en icon}} |Ref={{SfnRef|ibhof}} }}


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
* {{Boxrec|id=521|name=リカルド・ロペス}}
* {{official}}
* [http://www.ricardofinitolopez.com/ 公式サイト]
* {{boxrec|id=521}}


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2017年6月19日 (月) 14:28時点における版

リカルド・ロペス
基本情報
本名 リカルド・ロペス・ナバ
通称 El Finito(素晴らしい男)[1]
階級 ライトフライ級
身長 165cm
リーチ 165cm
国籍 メキシコの旗 メキシコ
誕生日 (1966-07-25) 1966年7月25日(57歳)
出身地 モレロス州クエルナバカ
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 52
勝ち 51
KO勝ち 37
敗け 0
引き分け 1
テンプレートを表示

リカルド・ロペスRicardo López、男性、1967年7月25日 - )は、メキシコの元プロボクサー。第5代WBC 世界ミニマム級王者。第4代WBO世界ミニマム級王者。第7代WBA第11代IBF世界ライトフライ級王者。El Finito(フィニート、素晴らしい男)の異名を持った。

精密機械と形容されるほど正確無比なパンチを持ち、なおかつ基本に忠実なボクシングスタイル。遠・中距離から伸びるコンビネーションとアッパーでKOの山を築いた。さらに、慎重な性格で素質に溺れることもなく、普段の練習態度も非常に真面目で常日頃から努力を怠らなかった。8年以上も同階級にとどまり続けられたのも普段からの節制の賜物だった。

名門ルピータジムにてクーヨ・エルナンデスに一からボクシングを学び、エルナンデスの死後にロマンサ・ジムへ移りナチョ・ベリスタイン門下へ。Zボーイズルーベン・オリバレスを育てた名伯楽クーヨをして「傑作」と言わしめた。

来歴

ミニマム級時代

アマチュア戦績40戦全勝を経て、1985年1月18日、プロデビュー。

1989年11月7日、WBCアメリカ大陸ミニマム級王座決定戦をレイ・エルナンデスと行い最終12回KO勝ちを収め王座獲得に成功した。

1990年3月15日、ホルヘ・リベラと対戦し、8回KO勝ちを収め初防衛に成功した。

WBC王座獲得

1990年10月25日、後楽園ホールでWBC世界ミニマム級王者大橋秀行(日本・ヨネクラボクシングジム)と対戦した。4回にダウンを奪うと、5回に更なる追撃を浴びせダウンを追加し、3度目のダウンから立ち上がろうとしたところでレフェリーストップ。5回2分TKO勝ちを収め王座獲得に成功した。

1991年5月19日、静岡市草薙体育館で平野公夫(日本)と対戦し、8回1分42秒TKO勝ちを収め初防衛に成功した。

1991年12月21日、ソウル蚕室体育館で元IBF世界ミニマム級初代王者李敬渕韓国)と対戦し、引導を渡す12回3-0(118-110、116-112、120-107)の判定勝ちを収め2度目の防衛に成功した。

1992年3月16日、メキシコシティのフロントン・メキシコでプリティ・ボーイ・ルーカス(フィリピン)と対戦し、12回3-0(120-104、2者が120-106)の判定勝ちを収め3度目の防衛に成功した。

1992年8月22日、シウダド・マデーロのアウディトリオ・デ・マデーロでシンプラサート・キティカセム(タイ王国|タイ)と対戦し、5回1分5秒KO勝ちを収め4度目の防衛に成功した。

1992年10月11日、後楽園ホールに2年振りの登場。WBC世界ミニマム級1位のロッキー・リン台湾)と指名試合を行い、一撃で失神させる2回1分46秒KO勝ちを収め5度目の防衛に成功した。日本での試合はこれが最後となったが、以降も日本での世界戦に出場する同国人選手の応援や韓国やタイでの遠征試合の調整などでたびたび来日した。

1993年1月31日、浦項市の浦項体育館で呉光洙(韓国)と対戦し、9回2分38秒TKO勝ちを収め6度目の防衛に成功した。

1993年7月3日、ヌエボ・ラレドのパルクェ・ラ・ジュンタで後にライトフライ級でタイのボクサーで初の統一王者で長期政権を築くサマン・ソーチャトロン(タイ)と対戦し、2回2分45秒TKO勝ちを収め7度目の防衛に成功した。

1993年9月19日、バンコクのキャピタル・シティ・ディスコザクェでトートー・ポンサワン(タイ)と対戦し、11回2分30秒TKO勝ちを収め8度目の防衛に成功した。

1993年12月18日、ネバダ州ステートラインのシーザース・タホーで元IBF世界ミニマム級王者マニー・メルチョル(フィリピン)と対戦し、11回2分KO勝ちを収め9度目の防衛に成功した。

1994年5月7日、ラスベガスMGMグランド・ガーデン・アリーナで後のWBO世界ミニマム級王者ケルミン・グアルディアコロンビア)と対戦し、12回3-0(2者が117-110、119-109)の判定勝ちを収め10度目の防衛に成功した。

1994年9月17日、MGMグランド・ガーデン・アリーナでヨドシン・センガーモロコット(タイ)と対戦し、ミニマム級世界戦最速KO記録となる初回1分53秒TKO勝ちを収め11度目の防衛に成功した。

1994年11月12日、メキシコシティのプラザ・デ・トロス・メキシコでハビエル・バルガス(メキシコ)と対戦し、8回1分33秒TKO勝ちを収め12度目の防衛に成功した。

1994年12月10日、モンテレイエスタディオ・デ・ベイスボル・モンテレイでヤミール・カラバリョと対戦し、自身が持つ従来の最短記録を大幅に更新する初回1分10秒TKO勝ちを収め13度目の防衛に成功した[2]

1995年4月1日、ネバダ州プリムのバッファロー・ビルズ・スター・アリーナで「タバナス大塚」のリングネームで日本でも活躍しているアンディ・タバナス(フィリピン)と対戦し、最終12回2分45秒TKO勝ちを収め、14度目の防衛に成功した。その後負傷の影響で約1年試合から遠ざかる。

1996年3月16日、MGMグランド・ガーデン・アリーナで「アラ・ビラモア木村」のリングネームで日本でも活躍したアラ・ビラモア(フィリピン)と対戦し、8回40秒KO勝ちを収め15度目の防衛に成功した。

1996年6月29日、カリフォルニア州インディオのファンタジー・スプリングス・リゾート・カジノでキティチャイ・ブリーチャ(タイ)と対戦し、3回1分46秒TKO勝ちを収め16度目の防衛に成功した。

1996年11月9日、MGMグランド・ガーデン・アリーナでモーガン・ニドゥモ(南アフリカ)と対戦し、6回55秒TKO勝ちを収め17度目の防衛に成功した。

1996年12月7日、ファンタジー・スプリングス・リゾート・カジノで朴明燮と対戦し、初回2分22秒TKO勝ちを収め18度目の防衛に成功した。

1997年3月29日、ラスベガスのラスベガス・ヒルトン内ヒルトン・センターでモンコル・チャーロンと対戦し、12回3-0(2者が120-107、119-108)の判定勝ちを収め19度目の防衛に成功した。

WBO王座とWBA王座の統一戦

1997年8月23日、ニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンでWBO世界ミニマム級王者アレックス・サンチェスプエルトリコ)との統一戦を行い、5回1分58秒TKO勝ちを収め、WBC王座は20度目の防衛、WBO王座も獲得に成功した。その後、WBO王座は防衛することなく返上した。

1998年3月7日、メキシコシティのプラザ・デ・トロス・メキシコでWBA王者ロセンド・アルバレスニカラグア)との王座統一戦を行った。前評判ではロペスが圧倒的に有利とされたが、2回にWBA王者の強打を受けてしまい、アマ・プロ通じて初のダウン。辛くも立ち上がり、試合続行に応じたものの、本来の調子とは程遠かった。そして、迎えた7回2分に、偶然のバッティングで右眉毛からまぶたまでをカットし出血する。レフェリーは偶然のバッティングで1点減点を宣言、ドクターは続行の判断をし、残り50秒はファイトという掛け声とともにそのままの続行している。その7回の残り50秒の間に医師と隣に座っていたWBCホセ・スレイマン会長(ちなみにその隣はドン・キング)と傷の深さなど語ったとされる。ラウンド終了後間近で傷を見たトレーナーのナチョ・ベリスタインは、続行不可能と判断、ロペスはガードを高く掲げるポーズで8回開始すぐに戦闘続行の意思を示したものの、ベリスタインはスレイマン会長に状況を訴える。この間会場では観客同士の小競り合いが起こるほど騒然とした状態となる。スレイマンは医師の意見をもう一度確認した後、偶然のバッティングによる負傷判定と決断し結果は8回1-1(67-64、63-68、66-66)薄氷を踏む引き分け。お互いに王座防衛には成功したものの、ロペスは初のダウンを奪われた末に完璧な全勝レコードに初の引き分けを挟むことで傷をつける形になってしまった。しかし無理を押して続行して、相手をKOまでいかなくてもダウンを奪うなど明らかな優位を付ければよく、この時点でベリスタインとスレイマンによって引き分けの判断があったとされロペス優遇という結果に議論が巻き起こることになった。

1998年11月13日、ラスベガスのラスベガス・ヒルトン内ヒルトン・センターでWBA世界ミニマム級王者ロセンド・アルバレスと再戦となる王座統一戦を行う予定だったが、アルバレスが体重超過により計量失格となり、WBCは王座統一戦を承認せず、ロペスが勝った場合のみWBA王座が懸かった試合となった。ここでもロペスは5回に右目尻を6回には左目尻をカットし、10回にはレフェリーがドクターストップか負傷判定かと医師に迫るくらいに顔の腫れ切り傷、出血が酷かったため、大苦戦を強いられるものの、12回2-1(116-114、116-112、113-115)の判定勝ちを収めWBA王座獲得に成功した。

1999年、IBF世界ライトフライ級王者ウィル・グリッグスピーアメリカ合衆国)に挑戦が決定したのに伴い、9月29日付で正式にWBA王座とWBC王座を剥奪された。WBA王座とWBC王座を8年7ヶ月保持し続けてきたミニマム級に別れを告げた[3]

ライトフライ級時代、ミニマム級時代の対立王者との対戦

1999年10月2日、ラスベガスのラスベガス・ヒルトン内ヒルトン・センターで、IBF世界ライトフライ級王者ウィル・グリッグスビーと対戦し、12回3-0(118-110、116-112、117-111)の判定勝ち。プロ、ちょうど50戦目にして2階級制覇を達成したが、その後は負傷の影響で1年以上試合から遠ざかる。

2000年12月2日、1年2か月ぶりの復帰戦。マンダレイ・ベイ・イベント・センターフェリックス・トリニダードVSフェルナンド・バルガスの前座で元IBF世界ミニマム級王者ラタナポン・ソーウォラピン(タイ)と対戦し、3回2分11秒TKO勝ちを収め初防衛に成功した。

2001年9月29日、マディソン・スクエア・ガーデンでバーナード・ホプキンスVSフェリックス・トリニダードの前座で、ミニマム級時代に戦わなかった最後の対立王者で元IBF世界ミニマム級王者並びにIBF世界ライトフライ級2位のゾラニ・ペテロ(南アフリカ)と対戦し、8回1分32秒KO勝ちを収め2度目の防衛に成功した。この試合を最後に2002年11月27日、「まだ1、2試合はできると思うが、この先何が起こるか分からない。これまでの検査で異常は見つかっていないけど、ダメージを抱えて余生を送るようなことは避けたい」と語り、王座在位のまま引退を表明した。1つの引き分けはあるものの、アマ・プロ通じ、敗戦を知る事なくリングを去った[4][5][6]

引退後

現在はメキシコ最大のテレビネットワークテレビサで専属解説者になっている[7]

2005年9月12日、BBCの読者投票「読者が選ぶパウンド・フォー・パウンド・リスト」で10位に選出された[8]

2007年6月7日、ニューヨークの国際ボクシング名誉の殿堂博物館でミニマム級の世界王者として初めて殿堂に迎え入れられた[9]

戦績

  • アマチュアボクシング: 40戦 40勝 28KO
  • プロボクシング: 52戦 51勝 37KO 1分
日付 勝敗 時間 内容 対戦相手 国籍 備考
1 1985年1月18日 勝利 3R KO ロヘリオ・エルナンデス メキシコの旗 メキシコ プロデビュー戦
2 1985年2月6日 勝利 2R KO アントニオ・アルシニエハ メキシコの旗 メキシコ -
3 1985年2月18日 勝利 2R KO セバスティアン・レイジェス メキシコの旗 メキシコ -
4 1985年3月8日 勝利 3R KO ハビエル・ドミンゲス メキシコの旗 メキシコ -
5 1985年6月27日 勝利 2R KO マヌエル・マルチネス メキシコの旗 メキシコ -
6 1985年8月2日 勝利 5R TKO ナルシソ・パンチ メキシコの旗 メキシコ -
7 1986年3月24日 勝利 1R KO レイジェス・メンデス メキシコの旗 メキシコ -
8 1986年5月1日 勝利 1R KO サンチャゴ・メンデス メキシコの旗 メキシコ -
9 1986年7月28日 勝利 8R 判定 エルミニオ・ラミレス メキシコの旗 メキシコ -
10 1986年10月6日 勝利 2R KO ホルヘ・フローレス メキシコの旗 メキシコ -
11 1986年12月8日 勝利 10R 判定 エルミニオ・ラミレス メキシコの旗 メキシコ -
12 1987年4月18日 勝利 10R 判定 アルフォンソ・リベラ メキシコの旗 メキシコ -
13 1987年7月31日 勝利 1R TKO アレックス・モラド メキシコの旗 メキシコ -
14 1987年8月15日 勝利 10R 判定 ハビエル・アロンゾ メキシコの旗 メキシコ -
15 1988年7月30日 勝利 1R KO フェルミン・リベロ メキシコの旗 メキシコ -
16 1988年8月27日 勝利 5R TKO エバリスト・モラレス メキシコの旗 メキシコ -
17 1988年11月12日 勝利 10R 判定 イスマエル・ベニテス メキシコの旗 メキシコ -
18 1989年1月27日 勝利 5R TKO バルド・ゴンザレス メキシコの旗 メキシコ -
19 1989年5月6日 勝利 10R 判定 ハビエル・スアレス メキシコの旗 メキシコ -
20 1989年5月30日 勝利 8R KO ホルヘ・トーレス メキシコの旗 メキシコ -
21 1989年7月8日 勝利 2R KO アベル・アンドレス メキシコの旗 メキシコ -
22 1989年8月4日 勝利 5R KO レイムンド・メンドサ メキシコの旗 メキシコ -
23 1989年8月26日 勝利 7R TKO ホセ・ルイス・セペダ メキシコの旗 メキシコ -
24 1989年11月7日 勝利 12R KO レイ・エルナンデス メキシコの旗 メキシコ WBCアメリカ大陸ミニマム級王座獲得
25 1990年3月15日 勝利 8R KO ホルヘ・リベラ メキシコの旗 メキシコ WBCアメリカ大陸防衛1
26 1990年6月29日 勝利 10R 判定 フランシスコ・モンティエル メキシコの旗 メキシコ -
27 1990年10月25日 勝利 5R 2:00 KO 大橋秀行 日本の旗 日本 WBC世界ミニマム級タイトルマッチ
28 1991年5月19日 勝利 8R 1:42 TKO 平野公夫 日本の旗 日本 WBC防衛1
29 1991年12月22日 勝利 12R 判定3-0 李敬渕 大韓民国の旗 韓国 WBC防衛2
30 1992年3月16日 勝利 12R 判定3-0 プリティ・ボーイ・ルーカス フィリピンの旗 フィリピン WBC防衛3
31 1992年8月22日 勝利 5R 1:05 KO シンプラサート・キティカセム タイ王国の旗 タイ WBC防衛4
32 1992年10月11日 勝利 2R 1:46 KO ロッキー・リン 中華民国の旗 台湾 WBC防衛5
33 1993年1月31日 勝利 9R 2:38 TKO 呉光洙 大韓民国の旗 韓国 WBC防衛6
34 1993年7月3日 勝利 2R 2:45 TKO サマン・ソーチャトロン タイ王国の旗 タイ WBC防衛7
35 1993年9月19日 勝利 11R 2:30 TKO トートー・ポンサワン タイ王国の旗 タイ WBC防衛8
36 1993年12月18日 勝利 11R 2:00 KO マニー・メルチョル フィリピンの旗 フィリピン WBC防衛9
37 1994年5月7日 勝利 12R 判定3-0 ケルミン・グアルディア コロンビア WBC防衛10
38 1994年9月17日 勝利 1R 1:53 TKO ヨドシン・センガーモロコット タイ王国の旗 タイ WBC防衛11
39 1994年11月12日 勝利 8R 1:33 TKO ハビエル・バルゲス メキシコの旗 メキシコ WBC防衛12
40 1994年12月10日 勝利 1R 1:10 TKO ヤミール・カラバリョ  コロンビア WBC防衛13
41 1995年4月1日 勝利 12R 2:45 KO アンディ・タバナス フィリピンの旗 フィリピン WBC防衛14
42 1996年3月16日 勝利 8R 0:40 KO アラ・ビラモア フィリピンの旗 フィリピン WBC防衛15
43 1996年6月29日 勝利 3R 1:46 TKO キティチャイ・ブリーチャ タイ王国の旗 タイ WBC防衛16
44 1996年11月9日 勝利 6R 0:55 TKO モーガン・ニドゥモ 南アフリカ共和国の旗 南アフリカ共和国 WBC防衛17
45 1996年12月7日 勝利 1R 2:22 KO 朴明燮 大韓民国の旗 韓国 WBC防衛18
46 1997年3月29日 勝利 12R 判定3-0 モンコル・チャーロン タイ王国の旗 タイ WBC防衛19
47 1997年8月23日 勝利 5R TKO アレックス・サンチェス プエルトリコの旗 プエルトリコ WBC・WBO世界ミニマム級王座統一戦
WBC防衛20・WBO王座獲得
48 1998年3月7日 引分 7R 負傷判定1-1 ロセンド・アルバレス ニカラグアの旗 ニカラグア WBA・WBC世界ミニマム級王座統一戦
WBC防衛21
49 1998年11月13日 勝利 12R 判定2-1 ロセンド・アルバレス ニカラグアの旗 ニカラグア WBA世界ミニマム級タイトルマッチ
50 1999年10月2日 勝利 12R 判定3-0 ウィル・グリッグスピー アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 IBF世界ライトフライ級タイトルマッチ
51 2000年12月2日 勝利 3R 2:11 TKO ラタナポン・ソーウォラピン タイ王国の旗 タイ IBF防衛1
52 2001年9月29日 勝利 8R 1:32 KO ゾラニ・ペテロ 南アフリカ共和国の旗 南アフリカ共和国 IBF防衛2
テンプレート

獲得タイトル

  • 第5代WBC世界ミニマム級王座(防衛21度=剥奪)
  • 第4代WBO世界ミニマム級王座(防衛0度=返上)
  • 第7代WBA世界ミニマム級王座(防衛0度=剥奪)
  • 第11代IBF世界ライトフライ級王座(防衛2度=返上)

脚注

  1. ^ "Finito" López, un ejemplo de vida... y de deportista. pids.com.mx. July 25, 2011
  2. ^ ボクシング世界図鑑 (ハリー・ムラン、ボブ・ミー、マット・ボジート著)248ページ参照
  3. ^ ボクシング世界図鑑 (ハリー・ムラン、ボブ・ミー、マット・ボジート著)247ページ参照
  4. ^ title=Farewell to a boxing genius BBC.com 2002年12月2日
  5. ^ ボクシング ザ ラストファイト(ベースボールマガジン社発行)14、15ページ参照
  6. ^ Final year for 'Finito' BBC.com 2002年2月3日
  7. ^ Por José Rodolfo Castro (2009年2月2日). “Finito López: no todo es salvajismo en el boxeo”. notifight.com. 2016年12月13日閲覧。
  8. ^ Your pound-for-pound lists BBC.com 2005年9月12日
  9. ^ Ricardo (Finito) Lopez International Boxing Hall of Fame 2007年6月7日

関連項目

外部リンク

前王者
大橋秀行
第5代WBC世界ミニマム級王者

1990年10月25日 - 1999年9月29日(剥奪)

空位
次タイトル獲得者
ワンディー・シンワンチャー
前王者
アレックス・サンチェス
第4代WBO世界ミニマム級王者

1997年8月23日 - 1997年3月7日(返上)

空位
次タイトル獲得者
エリック・ハミリ
空位
前タイトル保持者
ロセンド・アルバレス
第7代WBA世界ミニマム級王者

1998年11月13日 - 1999年9月29日(剥奪)

空位
次タイトル獲得者
ノエル・アランブレット
前王者
ウィル・グリッグスピー
第11代IBF世界ライトフライ級王者

1999年10月2日 - 2002年(返上)

空位
次タイトル獲得者
ホセ・ビクトル・ブルゴス