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現役引退後も女子野球や女子プロ野球に携わる意向を示していたが<ref>[http://www.jwbl.jp/eastastraia/news/detail/id/1740 日本女子プロ野球リーグ公式サイト2013年10月15日付ニュース「【引退セレモニー】川保麻弥選手兼コーチ、奥田実里選手からファンの皆様へ」] </ref>、[[2014年]]からイースト・アストライア(2015年より埼玉アストライア)の2代目監督に就任し、東地区優勝へと導いた。
現役引退後も女子野球や女子プロ野球に携わる意向を示していたが<ref>[http://www.jwbl.jp/eastastraia/news/detail/id/1740 日本女子プロ野球リーグ公式サイト2013年10月15日付ニュース「【引退セレモニー】川保麻弥選手兼コーチ、奥田実里選手からファンの皆様へ」] </ref>、[[2014年]]からイースト・アストライア(2015年より埼玉アストライア)の2代目監督に就任し、東地区優勝へと導いた。


2016年から全球団を指導するリーグ指導者のチーフコーチを担当した<ref>[http://www.jwbl.jp/news/detail/id/4287 日本女子野球リーグ(2016年シーズン指導者体制発表・2015年12月5日)]</ref>が、シーズン途中に辞任<ref>[[https://www.jwbl.jp/sp/news/detail/id/5401/ 川保チーフコーチ辞任について]]GPBL 2016年8月16日</ref>し、同年12月に女子硬式野球クラブチームの和歌山ファイティングバーズNANAの監督に就任した。また、併せて教職に就いている。
2016年から全球団を指導するリーグ指導者のチーフコーチを担当した<ref>[http://www.jwbl.jp/news/detail/id/4287 日本女子野球リーグ(2016年シーズン指導者体制発表・2015年12月5日)]</ref>が、シーズン途中に辞任<ref>[https://www.jwbl.jp/sp/news/detail/id/5401/ 川保チーフコーチ辞任について]GPBL 2016年8月16日</ref>し、同年12月に女子硬式野球クラブチームの和歌山ファイティングバーズNANAの監督に就任した。また、併せて教職に就いている。


== 詳細情報 ==
== 詳細情報 ==

2017年8月29日 (火) 00:25時点における版

川保 麻弥
Kawaho Maya
埼玉アストライア 監督 #50
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 日本の旗埼玉県上尾市
生年月日 (1984-04-06) 1984年4月6日(40歳)
身長
体重
170 cm
kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手一塁手三塁手
プロ入り 2009 捕手1巡目
年俸 300万円
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

選手歴

コーチ・監督歴

  • 上尾市立大石中学校 (2008)
  • イースト・アストライア
    埼玉アストライア (2014 - )

川保 麻弥(かわほ まや、1984年4月6日 - )は、埼玉県上尾市出身の元女子プロ野球選手、野球指導者。

血液型はB型。現役引退後の2014年からは、日本女子プロ野球機構加盟球団の埼玉アストライアで監督を務める[1]

経歴

プロ入り前

小学校2年生の時に、実家の近所に住む少年野球のコーチに勧められて、地元のスポーツ少年団で野球を始めた。小学校5年生から捕手に転向。「女性の体力や筋力では、時速150kmのボールを投げられない。でも、ブルペンキャッチャーとしてボールを捕ることなら、男性でも女性でも関係なさそう」という理由から、読売ジャイアンツブルペン捕手を志していた[2]

上尾市立東中学校時代には軟式野球部に所属。埼玉栄高等学校への進学後は、女子硬式野球部に在籍するとともに、捕手として坪内瞳投手との同級生バッテリーで活躍した。1年生の時には、高校生の選手でただ1人、女子硬式野球日本代表へ選出。2年生の時に全国高等学校女子硬式野球選抜大会、3年生の時に全国高等学校女子硬式野球選手権大会で、それぞれ優勝を経験している。

日本体育大学への進学後に、女子硬式野球チーム新波を発足。関東地方の女子アマチュア硬式野球リーグ・ヴィーナスリーグでは、捕手などのベストナインに3度選ばれたほか、2007年秋には首位打者を獲得した。また、同リーグの公式戦では、通算本塁打(6本塁打)およびシーズン本塁打(4本塁打)の最多記録を樹立。通算本塁打記録については、2013年のシーズン終了時点でも破られていない[3]

大学卒業後の2008年から、体育教諭として上尾市立大石中学校に勤務。男子野球部の顧問として50人の部員をまとめていた[4]が、2009年日本女子プロ野球機構による第1回合同トライアウトで合格したことを機に、中学校を退職した。同年12月のドラフト会議で、兵庫スイングスマイリーズへの加入が決定。同チームへ同時に加入した坪内と、再びバッテリーを組むことになった。

プロ入り後

プロ1年目の2010年には、スイングスマイリーズの初代主将を務めながら、公式戦で最多打点および最高盗塁阻止率を記録。シーズン終了後には、リーグの初代MVP(角谷賞)に選ばれた[4]2011年には、ケガの影響で前半戦こそ不振に陥ったが、後半から4番打者に定着。2年連続で最多打点・最高盗塁阻止率を記録するとともに、前後期2シーズン制の下で、チームもリーグ創設以来の4連覇を達成した。また、同年から2年連続で、捕手としてベストナインに選ばれている。

2012年シーズン終了後の球団再編によって、所属球団をイースト・アストライアに変更。2013年には、コーチ兼任の捕手として、チームの年間優勝に貢献した。

「選手以外で女子野球・女子プロ野球を盛り上げたい、野球に取り組む女の子たちのサポートをしたい」という理由から、イースト・アストライアの年間優勝を花道に、2013年10月に現役引退を表明。女子プロ野球での通算成績は、公式戦163試合の出場で、打率.289(505打数146安打0本塁打)、103打点、7盗塁、長打率.370、出塁率.343であった。

現役引退後

現役引退後も女子野球や女子プロ野球に携わる意向を示していたが[5]2014年からイースト・アストライア(2015年より埼玉アストライア)の2代目監督に就任し、東地区優勝へと導いた。

2016年から全球団を指導するリーグ指導者のチーフコーチを担当した[6]が、シーズン途中に辞任[7]し、同年12月に女子硬式野球クラブチームの和歌山ファイティングバーズNANAの監督に就任した。また、併せて教職に就いている。

詳細情報

背番号

  • 9 (2010 - 2013年)
  • 50 (2014年 - )

注釈

  1. ^ 辻内氏「心打たれた」女子野球コーチ会見(「日刊スポーツ2014年1月27日付記事)
  2. ^ 女子プロ野球 川保が魅せる“駆け引き“(「スポーツニッポン2013年9月12日付記事)
  3. ^ 関東女子硬式野球連盟公式サイト 過去の記録
  4. ^ a b 初代MVPはチームをまとめた先生、川保麻弥(兵庫)<女子プロ野球>Sports Journal2010年12月10日付記事
  5. ^ 日本女子プロ野球リーグ公式サイト2013年10月15日付ニュース「【引退セレモニー】川保麻弥選手兼コーチ、奥田実里選手からファンの皆様へ」
  6. ^ 日本女子野球リーグ(2016年シーズン指導者体制発表・2015年12月5日)
  7. ^ 川保チーフコーチ辞任についてGPBL 2016年8月16日

関連項目

外部リンク