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2017年8月29日 (火) 09:49時点における版
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2013年のシューマッハー | ||||||
名前 | ||||||
本名 |
ハラルト・アントン・シューマッハー Harald Anton Schumacher | |||||
愛称 | トニー | |||||
ラテン文字 | Harald Schumacher | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ドイツ | |||||
生年月日 | 1954年3月6日(70歳) | |||||
出身地 | デューレン | |||||
身長 | 186cm | |||||
体重 | 78kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | GK | |||||
代表歴 | ||||||
1979-1986 | 西ドイツ | 76 | (0) | |||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ハラルト・アントン・シューマッハー(Harald Anton Schumacher, 1954年3月6日 - )は、ドイツ・ノルトライン=ヴェストファーレン州デューレン郡デューレン出身の元同国代表サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはゴールキーパー。愛称はトニー (Toni)。
Haraldを「ハラルド」とする表記があるが、標準ドイツ語では語尾の“D”は“T”の発音となるのでハラルトが本来の発音に近い。
経歴
クラブでは1.FCケルンの一員として1977-78シーズンにブンデスリーガ制覇、西ドイツ代表では1979年に初選出されると正GKの座を掴み、1982年、1986年と2度のワールドカップで準優勝に貢献、1986年に代表から退くまで76試合に出場した。
反面、問題を引き起こすことがあり、1982年に行われた1982 FIFAワールドカップ準決勝のフランス戦でのパトリック・バチストンに対するラフプレーで知られる。後半11分にミシェル・プラティニのループパスに上手く抜け出したバチストンと1対1の状況になり、飛び出したシューマッハーは激突した際に肘鉄を浴びせた。このラフプレーでバチストンは頭部を強打し、入院生活を余儀なくされた。一方で主審はシューマッハーに対して警告を与えず、ゴールキックから試合を再開させたため物議を醸した[1]。
また1987年に当時の西ドイツサッカー事情をとりあげた内部告発本 『開始の笛』(原題:Anpfiff、ISBN 978-3426262986)を出版。その中でドイツサッカー界の不正疑惑を暴露したことで、ドイツサッカー協会(DFB)から国内からの永久追放の処分を受けた。
その後、協会とも和解し国内のクラブでGKコーチを務めている。ボルシア・ドルトムントのGKコーチを務めていた1995/1996シーズンのブンデスリーガ最終節、SCフライブルク戦で後半43分から途中出場した[2]。
人物
1970年代のゼップ・マイヤーと並び称される1980年代のドイツとヨーロッパを代表するGK[1]。1対1の場面での絶対的な強さ、ワンハンドスローでハーフウェーラインを越す事が出来る程の肩の強さ、PKに対する勝負強さが特徴である。攻撃時にはハーフウェーラインまで上がって攻撃に参加することもあった。
所属クラブ
- 1972-1987 1.FCケルン
- 1987-1988 シャルケ04
- 1988-1991 フェネルバフチェ
- 1991-1992 バイエルン・ミュンヘン
- 1995-1996 ボルシア・ドルトムント
代表歴
- 1979-1986 ドイツ代表
- 代表デビュー:1979/5/26
- 代表歴:通算76試合出場,0得点
指導歴
- 1996-1998 ボルシア・ドルトムント GKコーチ
- 1998-2000 SCフォルトゥナ・ケルン 監督
- 2001-2003 バイヤー・レバークーゼン GKコーチ
タイトル
クラブ
- ブンデスリーガ 2回(ケルン=1977-78、ドルトムント=1995-96)
- ドイツカップ 3回(1978、1978、1983)
- トルコ・シュペルリガ 1回(1988-89)
代表
- UEFA欧州選手権 1回(1980)
個人
- ドイツ年間最優秀選手賞 2回(1984、1986年)
脚注
- ^ a b 週刊サッカーマガジン『サッカーマルチ大事典 改訂版』ベースボール・マガジン社編、2006年、231頁。ISBN 978-4583038803。
- ^ “Unvergessene Lizenzspieler des 1.FC Koln: Harald "Toni" Schumacher” (ドイツ語). 1.FC Koln - FC Forum & Chat. 2013年9月21日閲覧。
外部リンク
- Harald Schumacher – „Goalkeeping Museum“
- Was macht eigentlich...Toni Schumacher – Artikel bei Stern.de