ハンジ・ミュラー
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名前 | ||||||
本名 |
ハンス=ペーター・ミュラー Hans-Peter Müller | |||||
ラテン文字 | Hansi Müller | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ドイツ | |||||
生年月日 | 1957年7月27日(67歳) | |||||
出身地 | シュトゥットガルト | |||||
身長 | 180cm[1] | |||||
体重 | 75kg[1] | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
利き足 | 左足 | |||||
ユース | ||||||
1963-1969 | SVロート | |||||
1969-1975 | VfBシュトゥットガルト | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1977-1982 | VfBシュトゥットガルト | 186 | (65) | |||
1982-1984 | インテル・ミラノ | 48 | (9) | |||
1984-1985 | カルチョ・コモ | 17 | (1) | |||
1985-1990 | スヴァロフスキ・チロル | 123 | (35) | |||
代表歴 | ||||||
1976-1978 | 西ドイツ アマチュア | 7 | (3) | |||
1977-1978 | 西ドイツ B | 5 | (0) | |||
1978-1983[2] | 西ドイツ | 42 | (5) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ハンジ・ミュラー(Hansi Müller, 本名:ハンス=ペーター・ミュラー,Hans-Peter Müller, 1957年7月27日 -)は、ドイツのサッカー選手。選手時代のポジションはミッドフィールダー。左利きの技巧的な攻撃的ミッドフィールダーであり[3][4]、1980年代初頭にはドイツ国内において最高のサッカー選手の一人と評された[5]。
選手経歴
[編集]1963年にSVロートの下部組織でサッカーを始め[6]、1969年にVfBシュトゥットガルトの下部組織へ移籍[6]。1975年にブンデスリーガ2部に所属するトップチームに昇格した[7]。シュトゥットガルトでは1976–77シーズンにブンデスリーガ2部優勝に貢献し1部リーグ昇格に貢献するなど中心選手の一人となり[7]、1982年に退団するまでの間にリーグ戦通算186に出場し65得点を記録した[7]。
西ドイツ代表としては1978年4月5日に行われたブラジル代表との親善試合でデビューし[2]、同年6月にアルゼンチンで開催された1978 FIFAワールドカップでは4試合に出場[2]、グループリーグのメキシコ戦で1得点を挙げた[8]。1980年にイタリアで開催されたUEFA欧州選手権1980ではベルント・シュスターらと共にチームを牽引[9][10]、グループリーグでは2試合連続のアシストを決めるなど[11][12]、全4試合に出場し優勝に貢献した[4]。大会終了後にはベスト11に選出されたほか[4]、同年にはヨーロッパにおいて最も優れた若手選手に贈られるブラヴォー賞を受賞するなど[13]、選手として最盛期を迎えた[4]。
1981年に入ると怪我の影響もあり[3]、同年9月2日に行われたポーランド代表戦を最後に代表から外れたが[2]、復帰戦となった1982年3月21日のブラジル代表戦では効果的なゲームメイクを行うなど復調を果たした[14]。一方、1982年にスペインで開催された1982 FIFAワールドカップでは膝の状態が芳しくなく[15]、2次リーグのイングランド代表戦と決勝のイタリア代表戦の2試合のみの出場に終わった[2]。その後、1983年9月27日に行われたハンガリー代表を最後に代表から退くまで国際Aマッチ42試合に出場し5得点を記録した[2]。
クラブレベルでは同年7月にイタリアのインテル・ミラノへ移籍[7][6]。デビュー戦となったエラス・ヴェローナ戦では直接FKを決める活躍を見せ[16]、入団早々にイタリア語を習得するなど環境に適応したが[16]、一方で膝の怪我を抱えていた[16]。1984年にインテルを退団し同じイタリアのカルチョ・コモで1シーズンプレーをした[7][6]。
1985年7月にオーストリアのFCスヴァロフスキ・チロルへ移籍すると好調なプレーを維持[17]。西ドイツ代表監督のフランツ・ベッケンバウアーはミュラーのプレーを評価し代表復帰の可能性を示唆したが[17]、ミュラー自身が後のインタビューにおいて「当時の代表の中盤にはタレントが揃い、控え選手として代表に復帰する気はなかった」「ベッケンバウアーに『優先順位としてはクラブでのプレーが先にある』と告げたところ、彼も承知した」と評するように復帰が実現することはなった[16]。
その後、2度のリーグ優勝と、UEFAカップ1986-87準決勝進出に貢献し[16]、1990年に現役を引退した[6][18]。
引退後
[編集]現役引退後はサッカー解説者やスポーツコンサルタントを務め[19]、1999年から2001年にかけて古巣のVfBシュトゥットガルトのマーケティングディレクターを務めた[7]。この他、2006年にドイツで開催された2006 FIFAワールドカップではシュトゥットガルトの大使[20]、2008年にオーストリアとスイスで共同開催されたUEFA EURO 2008ではインスブルックの大使を務めた[19]。
2011年7月、VfBシュトゥットガルトの監査役に選出された[7]。2015年5月、アレクサンダー・ツォルニガー監督の進退問題についてテレビ局の取材を受けた際、ツォルニガーの続投を明言したことの責任を取り監査役を辞任した[21]。
個人成績
[編集]代表での成績
[編集]- 出典[2]
西ドイツ代表 | ||
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年 | 出場 | 得点 |
1978 | 7 | 2 |
1979 | 7 | 0 |
1980 | 11 | 3 |
1981 | 7 | 0 |
1982 | 5 | 0 |
1983 | 5 | 0 |
通算 | 42 | 5 |
代表での得点
[編集]- 出典[2]
# | 開催日 | 開催地 | 対戦国 | 結果 | 大会 |
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1 | 1978年6月6日 | アルゼンチン、コルドバ | メキシコ | 6-0 | 1978 FIFAワールドカップ |
2 | 1978年10月11日 | チェコスロバキア、プラハ | チェコスロバキア | 4-3 | 親善試合 |
3 | 1980年4月2日 | 西ドイツ、ミュンヘン | オーストリア | 1-0 | |
4 | 1980年9月10日 | スイス、バーゼル | スイス | 3-2 | |
5 |
獲得タイトル
[編集]選手
[編集]クラブ
[編集]- シュトゥットガルト
- ドイツAユース選手権 1回 (1974-75)[22]
- スヴァロフスキ・チロル
- ブンデスリーガ 2回 (1988-89、1989-90)
- オーストリア・カップ 1回 (1987-88)
代表
[編集]個人
[編集]脚注
[編集]- ^ a b “Hansi Müller”. DFB - Deutscher Fußball-Bund e.V.. 2020年12月12日閲覧。
- ^ a b c d e f g h “Hans Peter 'Hansi' Müller - International Appearances”. rsssf.com. 2014年12月20日閲覧。
- ^ a b 「24代表チームの横顔」『サッカーダイジェスト6月号増刊 スペイン82ワールドカップ展望号』日本スポーツ企画出版社、1982年、19頁。
- ^ a b c d e “EURO 1980 Team of the Tournament”. UEFA.com (2020年1月1日). 2020年12月12日閲覧。
- ^ “kicker.tv: Hansi Müller -"Dann setzen sie Magath ein Denkmal!"”. SPIEGEL ONLINE (2010年4月30日). 2014年12月20日閲覧。
- ^ a b c d e “Hans Müller”. kicker.de. 2014年12月20日閲覧。
- ^ a b c d e f g “Hansi Müller”. VfB Stuttgart 1893 e.V. 2014年12月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年12月12日閲覧。
- ^ “[https://www.kicker.de/mexiko-gegen-deutschland-1978-weltmeisterschaft-567775/schema Weltmeisterschaft Schema Mexiko x Deutschland]” (ドイツ語). Kicker. 2023年8月27日閲覧。
- ^ “大器晩成のルベッシュが輝いた1980年決勝”. UEFA.com (2011年7月18日). 2016年5月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年12月12日閲覧。
- ^ 『サッカーマガジン1980年夏季号 欧州選手権決勝大会 ヨーロッパ'80』ベースボール・マガジン社、1980年、26-29頁。
- ^ “EURO 1980 Germany x Czechoslovakia”. Transfermarkt. 2023年8月27日閲覧。
- ^ “EURO 1980 Germany x Netherlands”. Transfermarkt. 2023年8月27日閲覧。
- ^ a b “The "Bravo" Award”. rsssf.com. 2014年12月20日閲覧。
- ^ 「ESPANA82 準備レポート1 本大会への自信を深める 欧州最強・西ドイツ」『サッカーダイジェスト6月号増刊 スペイン82ワールドカップ展望号』日本スポーツ企画出版社、1982年、105頁。
- ^ ブライアン・グランヴィル著、田村修一 他訳『決定版ワールドカップ全史』草思社、1998年、271頁。ISBN 978-4794208187。
- ^ a b c d e “Hansi Müller über Italien »Die Liebe ist ungebrochen«”. 11 Freunde. 2014年12月20日閲覧。
- ^ a b ウルフェルト・シュレーダー「ハンジ・ミュラーを代表チームに復帰させるベッケンバウアー構想の狙いは何か!?」『イレブン』 1986年11月号、日本スポーツ出版社、50-51頁。
- ^ “Hansi Müller wird Innsbrucks EURO-Botschafter”. ÖFB.at. 2014年12月20日閲覧。
- ^ a b “Hansi Müller”. SeminarPool GmbH. 2014年12月20日閲覧。
- ^ “FIFA World Cup theme of International Tourism Fair”. FIFA.com (2005年3月10日). 2014年12月20日閲覧。
- ^ “Müller tritt beim VfB zurück”. sport1.de (2015年5月4日). 2020年12月12日閲覧。
- ^ “Hansi Müller”. VfB Stuttgart. 2020年12月12日閲覧。