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== 人物 ==
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== 個人成績 ==
== 個人成績 ==

2017年8月29日 (火) 10:09時点における版

ケヴィン=プリンス・ボアテング
2015年、シャルケ04でのボアテング
名前
ラテン文字 Kevin-Prince Boateng
基本情報
国籍 ガーナの旗 ガーナ
ドイツの旗 ドイツ
生年月日 (1987-03-06) 1987年3月6日(37歳)
出身地 西ベルリン
身長 185cm
体重 86kg
選手情報
在籍チーム ドイツの旗 フランクフルト
ポジション MF (OH, DH) / FW (ST)
背番号 17
利き足 右足
ユース
1994 ドイツの旗 ライニッケンドルフ・フクセ
1995-2006 ドイツの旗 ヘルタ・ベルリン
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2004-2007 ドイツの旗 ヘルタ・ベルリンII 29 (5)
2005-2007 ドイツの旗 ヘルタ・ベルリン 42 (4)
2007-2009 イングランドの旗 トッテナム 14 (0)
2009 ドイツの旗 ドルトムント (loan) 10 (0)
2009-2010 イングランドの旗 ポーツマス 22 (3)
2010-2011 イタリアの旗 ジェノア 0 (0)
2010-2013 イタリアの旗 ミラン 74 (10)
2013-2015 ドイツの旗 シャルケ 46 (6)
2016 イタリアの旗 ミラン 7 (1)
2016-2017 スペインの旗 ラス・パルマス 28 (10)
2017- ドイツの旗 フランクフルト
代表歴2
2004-2005 ドイツの旗 ドイツ U-19 12 (7)
2006 ドイツの旗 ドイツ U-20 2 (0)
2006-2009 ドイツの旗 ドイツ U-21 6 (0)
2010-2014 ガーナの旗 ガーナ 15 (2)
1. 国内リーグ戦に限る。2017年8月16日現在。
2. 2016年6月21日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ケヴィン=プリンス・ボアテングKevin-Prince Boateng, 1987年3月6日 - )は、西ベルリン(現ドイツベルリン)出身のサッカー選手アイントラハト・フランクフルト所属。ポジションはミッドフィールダー

経歴

クラブ

出身地のクラブであるヘルタ・ベルリンの下部組織に入り、2005年にプロデビュー。その才能は早くから注目を集め、2007年にイングランドのトッテナム・ホットスパーFCへ移籍。しかし、トッテナムでは十分な出場機会を与えられず、2009年1月初めにボルシア・ドルトムントへレンタル移籍。

2009-2010シーズンにはポーツマスFCへ移籍した。2010-11シーズンはジェノアCFCへ移籍し、ACミランへ移籍したことに夢が実現したと喜びのコメントを述べている[1]。ACミランではトップ下のポジションでプレーし、ACミランの7年振りのスクデット獲得に貢献した。2012-13シーズンは27番からクラレンス・セードルフが着用していた10番に背番号を変更。

2013年8月30日、シャルケ04に移籍が決定、久々のドイツでのプレーとなる。背番号は9番である[2]

2013年12月25日、前妻と息子に会いに行った帰りに路上で何者かに暴行を受け、軽傷を負った[3]

2015年5月11日、シャルケ04シドニー・サムとボアテングとの契約を解除したことを発表した[4]

2016年1月、ACミランへ正式に復帰した事で、シャルケを退団して約半年ぶりで現場復帰となったが、同年6月30日にACミランとの契約が解除となり再び無所属となった。翌7月下旬現在、ヨーロッパやアジアのスポーツ紙によると、スペインのリーガ・エスパニョーラに参戦するUDラス・パルマスが獲得に興味を示していると報道され、ボアテングにとって初のスペイン挑戦となるかもしれない状況との事。

2016年8月2日、UDラス・パルマスに移籍した。スペイン初挑戦となった[5]ボアテングは、リーガエスパニョーラで28試合に出場し、10得点をマーク。チーム得点王に輝いていた。2017年8月16日、ラス・パルマスを「個人的な理由」で契約解除したことが明らかになった[6]

2017年8月18日、アイントラハト・フランクフルトへ2020年6月までの3年契約で完全移籍した[7]

代表

2001年、U-15ドイツ代表に招集され、以降U-16、U-17、U-19、U-20、U-21代表に選出された経験がある。しかし、2009年にA代表招集を巡ってドイツサッカー連盟と対立、結局A代表は父のガーナ国籍を行使してガーナ代表を選択した。弟のジェローム・ボアテングがドイツ代表を選択していたため批判もあった。ガーナ代表を選択した事に関しては、2010年のFAカップ決勝において、ボアテングのファウルによる負傷で2010 FIFAワールドカップへの出場が絶望となったミヒャエル・バラックがボアテングを批判した際、ボアテングはバラックのフィールド上での態度とファウルにも問題があったと反論。加えてドイツ代表への不満を述べ、ドイツサッカー連盟ヨアヒム・レーヴドイツ代表監督を批判した[8]

ワールドカップ本大会では持ち前のダイナミックなプレーでガーナ代表の中盤を支え、決勝トーナメント1回戦のアメリカ戦では先制点を取る。

翌2011年11月に代表引退を表明したが[9]、2013年、代表に復帰した[10]

2014FIFAワールドカップ開催中、グループリーグ最終戦を目前に自国協会から「規律違反があった」としてサリー・ムンタリと共に代表メンバーから外され大会から姿を消した。チームスタッフに対する暴言が噂されたが後に本人がインタビューで自国協会の選手に対する待遇の悪さと改善の兆しが無かった事を明かしている[11]

人物

バイエルン・ミュンヘン所属でドイツ代表ジェローム・ボアテングは異母兄弟である。

個人成績

クラブ シーズン リーグ戦 カップ戦 欧州カップ戦 合計
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
ヘルタBSC II 2004-05 18 3 0 0 0 0 18 3
2005-06 4 1 0 0 0 0 4 1
2006-07 7 1 0 0 0 0 7 1
合計 29 5 0 0 0 0 29 5
ヘルタBSC 2005-06 21 2 2 0 4 0 27 2
2006-07 21 2 3 0 2 1 26 3
合計 42 4 5 0 6 1 53 5
トッテナム・ホットスパー 2007-08 13 0 5 0 3 0 21 0
2008-09 1 0 2 0 0 0 3 0
合計 14 0 7 0 3 0 24 0
ボルシア・ドルトムント 2008-09 10 0 1 0 0 0 11 0
合計 10 0 1 0 0 0 11 0
ポーツマス 2009-10 22 3 5 2 0 0 27 5
合計 22 3 5 2 0 0 27 5
ミラン
2010-11 26 3 1 0 7 0 34 3
2011-12 19 5 1 1 7 3 27 9
2012-13 29 2 1 0 7 1 37 3
2013-14 0 0 0 0 2 2 2 2
合計 74 10 3 1 23 6 100 17
シャルケ04 2013-14 28 6 1 0 6 1 35 7
2014-15 18 0 1 0 6 0 25 0
2015-16 0 0 0 0 0 0 0 0
合計 46 6 2 0 12 1 60 7
ミラン 2015-16 11 1 3 0 0 0 14 1
合計 11 1 3 0 0 0 14 1
UDラス・パルマス 2016-17 28 10 0 0 0 0 28 10
通算 28 10 0 0 0 0 28 10
通算 276 39 26 3 44 8 346 40

試合数

2014年6月21日現在


ガーナ代表国際Aマッチ
出場得点
2010 8 1
2011 1 0
2013 1 1
2014 5 0
通算 15 2

脚注

外部リンク