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インドの国内クラブでプレー後、[[1999年]]に[[イングランド]]に渡り[[フラムFC|フラム]]、[[アストン・ヴィラFC|アストン・ヴィラ]]、[[ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンFC|WBA]]などでトライアルを受け、最終的にイングランド2部リーグ(現[[フットボールリーグ]]1)の[[ベリーFC|ベリー]]に3年契約で入団。[[2002年]]までインド人として初めてヨーロッパのプロリーグでプレーし話題となった。


[[1995年]]に19歳で[[サッカーインド代表|代表]]デビュー。地元開催となった[[AFCチャレンジカップ2008]]ではインドの初優勝に貢献し、大会最優秀選手に選ばれた。中心選手として長年インドサッカー界を引っ張り、[[2009年]]8月に代表通算100試合出場を達成。代表最多出場・最多得点記録を持つ。[[2011年]]8月に代表からの引退を発表した。[[2012年]][[1月10日]]、[[サッカーインド代表|インド代表]]対[[バイエルン・ミュンヘン]]の試合をもって正式に代表を引退した。
[[1995年]]に19歳で[[サッカーインド代表|代表]]デビュー。地元開催となった[[AFCチャレンジカップ2008]]ではインドの初優勝に貢献し、大会最優秀選手に選ばれた。中心選手として長年インドサッカー界を引っ張り、[[2009年]]8月に代表通算100試合出場を達成。代表最多出場・最多得点記録を持つ。[[2011年]]8月に代表からの引退を発表した。[[2012年]][[1月10日]]、[[サッカーインド代表|インド代表]]対[[FCバイエルン・ミュンヘン|バイエルン・ミュンヘン]]の試合をもって正式に代表を引退した。


[[2014年]][[11月21日]]、[[アジアサッカー連盟|AFC]]初代殿堂入りを果たした<ref>[http://www.soccer-king.jp/news/world/world_other/20141122/252563.html AFC初代殿堂入り10名に奥寺氏、澤、キューウェル氏らが選出] サッカーキング 2014年11月22日</ref>。
[[2014年]][[11月21日]]、[[アジアサッカー連盟|AFC]]初代殿堂入りを果たした<ref>[http://www.soccer-king.jp/news/world/world_other/20141122/252563.html AFC初代殿堂入り10名に奥寺氏、澤、キューウェル氏らが選出] サッカーキング 2014年11月22日</ref>。

2017年8月29日 (火) 10:29時点における版

バイチュン・ブティア
名前
愛称 Sikkimese Sniper
(シッキムのスナイパー)
カタカナ バイチュン・ブティア
ラテン文字 Baichung Bhutia
基本情報
国籍 インドの旗 インド
生年月日 (1976-12-15) 1976年12月15日(48歳)
出身地 シッキム州ティンキタム
身長 173cm
体重 73kg
選手情報
ポジション FW
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1993-1995 インドの旗 イースト・ベンガル 9 (4)
1995-1997 インドの旗 JCTミルズ 20 (14)
1997-1999 インドの旗 イースト・ベンガル 31 (15)
1999-2002 イングランドの旗 ベリー 37 (3)
2002-2003 インドの旗 モフン・バガン 11 (6)
2003 マレーシアの旗 ペラ (loan) 8 (4)
2003-2005 インドの旗 イースト・ベンガル 38 (21)
2005 マレーシアの旗 セランゴール・MKランド 5 (1)
2005-2006 インドの旗 イースト・ベンガル 16 (12)
2006-2009 インドの旗 モフン・バガン 45 (19)
2009-2011 インドの旗 イースト・ベンガル 3 (0)
2012-2013 インドの旗 ユナイテッド・シッキム 3 (0)
代表歴2
1995-2011 インドの旗 インド 107 (42)
監督歴
2012 インドの旗 ユナイテッド・シッキム (暫定)
1. 国内リーグ戦に限る。2014年11月22日現在。
2. 2014年11月22日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

バイチュン・ブティア(Baichung Bhutia、1976年12月15日 - )は、インドシッキム州南部ティンキタム(Tinkitam)出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはFW

来歴

インドの国内クラブでプレー後、1999年イングランドに渡りフラムアストン・ヴィラWBAなどでトライアルを受け、最終的にイングランド2部リーグ(現フットボールリーグ1)のベリーに3年契約で入団。2002年までインド人として初めてヨーロッパのプロリーグでプレーし話題となった。

1995年に19歳で代表デビュー。地元開催となったAFCチャレンジカップ2008ではインドの初優勝に貢献し、大会最優秀選手に選ばれた。中心選手として長年インドサッカー界を引っ張り、2009年8月に代表通算100試合出場を達成。代表最多出場・最多得点記録を持つ。2011年8月に代表からの引退を発表した。2012年1月10日インド代表バイエルン・ミュンヘンの試合をもって正式に代表を引退した。

2014年11月21日AFC初代殿堂入りを果たした[1]

エピソード

  • 兄もローカルレベルのサッカー選手だった。
  • 名前のバイチュンは文字通り「弟」を意味する。
  • 出身地シッキム州には彼の名前が付いたサッカースタジアム「Baichung Stadium」がある。
  • 2004年に長年の恋人と結婚。2010年4月8日に女の子と男の子の双子が誕生した。
  • 北京オリンピックの聖火リレーではインド国内の走者の一人を務めることになっていたが、中国のチベット暴動鎮圧に抗議し走者を辞退した。

所属クラブ

脚注

外部リンク