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* [http://www.ntv.co.jp/announcer/profile/s_kamishige.html 上重聡プロフィール] - 日本テレビ公式サイト内
* [http://www.ntv.co.jp/announcer/profile/s_kamishige.html 上重聡プロフィール] - 日本テレビ公式サイト内
** [http://web.archive.org/web/20060516101811fw_/http://www.ntv.co.jp/announcer/ar2004/profile/s_kamishige.html 2004年当時のプロフィールページ] - インターネット・アーカイブ2006年5月16日付保存キャッシュ ※[http://web.archive.org/web/20060103190813/http://www.ntv.co.jp/announcer/ar2004/index.html 2004年度当時のアナウンスルームのアーカイブ](リンク先は、インターネット・アーカイブ2006年1月3日付保存キャッシュ)より、リンク。
** [http://web.archive.org/web/20060516101811fw_/http://www.ntv.co.jp/announcer/ar2004/profile/s_kamishige.html 2004年当時のプロフィールページ] - インターネット・アーカイブ2006年5月16日付保存キャッシュ ※[http://web.archive.org/web/20060103190813/http://www.ntv.co.jp/announcer/ar2004/index.html 2004年度当時のアナウンスルームのアーカイブ](リンク先は、インターネット・アーカイブ2006年1月3日付保存キャッシュ)より、リンク。
** [http://web.archive.org/web/20060104142703*/http://www.ntv.co.jp/announcer/new/profile/s_kamishige.html 2006年以降のプロフィールページの保存キャッシュ一覧] - [[インターネットアーカイブ]]より
** [http://web.archive.org/web/20060104142703*/http://www.ntv.co.jp/announcer/new/profile/s_kamishige.html 2006年以降のプロフィールページの保存キャッシュ一覧] - [[インターネットアーカイブ]]より


{{日本テレビアナウンサー}}
{{日本テレビアナウンサー}}

2017年9月4日 (月) 14:56時点における版

かみしげさとし
上重 聡
プロフィール
愛称 エース上重
出身地 日本の旗 日本 大阪府八尾市
生年月日 (1980-05-02) 1980年5月2日(44歳)
血液型 O型
最終学歴 立教大学コミュニティ福祉学部コミュニティ福祉学科卒業
勤務局 日本テレビ放送網
部署 編成局アナウンスセンターアナウンス部
活動期間 2003年 -
ジャンル スポーツ、情報など
公式サイト 上重聡
出演番組・活動
出演中日テレアップDate!』など
出演経歴ズームイン!!SUPER
ズームイン!!サタデー
DON!
Going!Sports&News』など

上重 聡(かみしげ さとし、1980年5月2日 - )は、日本テレビアナウンサー。身長181cm。

来歴・人物

大阪府八尾市出身[1]。小学2年から野球を始め、小中学ともに全国大会優勝を経験[2]。中学時代は少年野球チーム「八尾フレンド」で平石洋介とチームメイトとなり、共にPL学園高校へ進学した。

PL学園時代

PL学園野球部に所属しエース投手として活躍。同級生に稲田学・古畑和彦・大西宏明などがいる。1998年第70回選抜高等学校野球大会では準決勝松坂大輔を擁する横浜高校と対戦し、敗北。同年の第80回全国高等学校野球選手権大会準々決勝で再び横浜高校と対戦するも延長17回の末(先発は稲田、上重自身は7回から登板)敗れた(PL学園対横浜延長17回参照)。夏の甲子園敗退直後、5ヶ月前にPLの監督を退任した中村順司が指揮する第3回AAAアジア野球選手権大会日本代表に選出され優勝に貢献した。

立教大学時代

スポーツ推薦で、立教大学コミュニティ福祉学部コミュニティ福祉学科へ入学[3]

立教大学硬式野球部では右ひじを傷めたこともあり一時期外野手コンバートしたが、2年のときに投手に復帰し、同学年の(1998年夏の甲子園初戦で対戦した八千代松陰高校のエースだった)多田野数人と共に投手陣の主力として活躍した。2000年10月22日に、東京六大学野球秋季リーグ戦の対東京大学2回戦で、36年ぶり史上2人目となる完全試合を記録した(この時のウイニングボールは上重直筆による「完全試合」のサイン入りで野球体育博物館に展示された)。しかし、大学3年ごろからアナウンサー志望を表明しアナウンスセミナーに参加。また、当時ひじの故障に悩まされ、4年時には主将を務めるもこの頃には思うような投球ができなくなっていた。プロチームからも声がかかっていたが、自らその進路を断念。本人は、高校時代の甲子園出場時にインタビューを受けた経験がアナウンサーを目指すきっかけとなったと語っている。東京六大学リーグ戦通算30試合登板し、9勝3敗、防御率2.31。

日本テレビアナウンサーとしての活動

2003年、日本テレビとフジテレビテレビ朝日の就職試験を受けて全社から内定をもらったが、男性アナウンサーの活躍を考え、日本テレビへ入社。同期入社のアナウンサーは、鈴江奈々森麻季右松健太望月浩平。入社後は、主にプロ野球をはじめとするスポーツ中継を担当し、2007年から2008年まで放送された東京六大学野球リーグ戦の中継でも実況を担当した。

スポーツ中継以外では、情報番組司会などを担当。2010年4月から、『ズームイン!!サタデー』の5代目総合司会を務めた。番組内の愛称は「エース上重」(原辰徳が最終命名。なお、それに伴い彼自身が持つコーナー名も「エース上重は見た!」とされている)。2015年3月30日からは、『スッキリ!!』の総合司会に起用されたため、プロ野球の担当を外れている。

アナウンサーとして勤務する一方、2005年2月7日萩本欽一が創設し監督を務める社会人野球クラブチーム茨城ゴールデンゴールズ」のキャンプで入団テストを受験し、萩本より「監督」枠として採用[4]された後、投手として正式登録された[5][6]。また、2009年には、日本テレビアナウンサーユニット「ベアーズ」のメンバーに抜擢された[7]

2015年4月2日発売の『週刊文春』で、前年2014年に自宅マンションを購入した際、ABCマートの創業者・三木正浩から多額の融資を無利息で受けていたことが発覚し[8]同日にこの件について謝罪のコメントを発表、3日の『スッキリ!!』番組開始直後に「大変申し訳ありませんでした」と改めて謝罪した[9]

2016年3月25日で『スッキリ!!』を降板[10]。同年中は、スポーツアナウンサーとしての活動に事実上専念していた。2017年4月改編からは、スポーツ中継への出演を続けながら、『シューイチ』のレギュラー陣に加わっている。

現在の出演番組

各種スポーツ中継

過去の出演番組

著書

脚注

  1. ^ 日本テレビ公式HPにおけるプロフィール
  2. ^ 日テレ上重アナ「同じ喜びを…」 “完全試合の後輩”高梨を祝福 - スポーツニッポン(2013年4月22日)
  3. ^ 日本テレビ2003年4月入社予定アナウンサー決定! - プレスリリース@日テレ(2002年1月22日)
  4. ^ 欽ちゃん球団:日テレ上重アナが入団 松坂のライバル - 『MSN-Mainichi INTERACTIVE テレビ』2005年2月10日付(ソース:『スポーツニッポン』同8日付。リンク先は、インターネット・アーカイブ2005年2月10日付保存キャッシュ)
  5. ^ 最初に上重の名が掲載された、ゴールデンゴールズ特設サイト(リンク先は、インターネット・アーカイブ2005年3月20日付保存キャッシュ)
  6. ^ 『欽ちゃんとの約束 欽ちゃん球団〈茨城ゴールデンゴールズ〉奮闘記 ゴールデンゴールズオフィシャルブック』(2005年、竹書房発行。コード:ISBN 9784812421789)の「ゴールデンゴールズ2005年選手名鑑」にも、上重のプロフィールが明記。
  7. ^ ベアーズ情報ページ - 『日テレダベア』内
  8. ^ 日テレ「スッキリ!!」新司会・上重聡アナ「1億7千万円マンション」利益供与 週刊文春WEB 2015年4月1日
  9. ^ 上重アナ、『スッキリ!!』で生謝罪「深く深く反省しております」 オリコン 2015年4月3日
  10. ^ 上重アナ「スッキリ!!」3月降板、金銭問題が影響! - 日刊スポーツ芸能ニュース・朝日新聞デジタル 2016年2月4日閲覧
  11. ^ 協賛社:アクエリアスインフォマーシャルを兼ねる。「日本テレビアナウンサー」の肩書は表記されていない。当時の放送についてつづられたページ - 『TVでた蔵』より
  12. ^ 『Yahoo!テレビGガイド』内で配信された日本テレビからの番組情報
  13. ^ “上重アナ、『スッキリ!!』卒業「去年9月に全額返済し終わったのですが…」”. ORICON STYLE. (2016年3月25日). http://www.oricon.co.jp/news/2069070/full/ 2016年3月25日閲覧。 

関連項目

外部リンク