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「多摩テック」の版間の差分

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* [http://www.mobilityland.co.jp/ 株式会社モビリティランド]
* [http://www.mobilityland.co.jp/ 株式会社モビリティランド]
* [http://www.tamatech.jp/ 多摩テック] - 公式サイト。閉園のお知らせを掲載。
* [http://www.tamatech.jp/ 多摩テック] - 公式サイト。閉園のお知らせを掲載。
* [http://web.archive.org/web/*/http://www.tamatech.jp/ 多摩テック] - 公式サイトの[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]]その1。
* [http://web.archive.org/web/*/http://www.tamatech.jp/ 多摩テック] - 公式サイトの[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]]その1。
* [http://web.archive.org/web/*/http://www.tamatech.com 多摩テック] - 公式サイトのアーカイブその2。
* [http://web.archive.org/web/*/http://www.tamatech.com 多摩テック] - 公式サイトのアーカイブその2。
* [http://web.archive.org/web/*/http://www.mobilityland.co.jp/kochira/ コチラファミリー] - モビリティランド公式サイトに掲載されていた内容のアーカイブ。
* [http://web.archive.org/web/*/http://www.mobilityland.co.jp/kochira/ コチラファミリー] - モビリティランド公式サイトに掲載されていた内容のアーカイブ。

2017年9月4日 (月) 21:13時点における版

多摩テック
Tama Tech
多摩テック正面入口
店舗概要
所在地 日本の旗 日本 東京都日野市
座標 北緯35度38分31秒 東経139度23分29秒 / 北緯35.641917度 東経139.391313度 / 35.641917; 139.391313座標: 北緯35度38分31秒 東経139度23分29秒 / 北緯35.641917度 東経139.391313度 / 35.641917; 139.391313
開業日 1961年10月1日
閉業日 2009年9月30日
施設所有者 モビリティランド
施設管理者 モビリティランド
営業時間 9時30分 - 17時30分
外部リンク 多摩テック
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多摩テック(たまテック、Tama Tech)はかつて東京都日野市に存在したモータースポーツをテーマにした遊園地および温泉施設である。遊園地については同じ経営主体による鈴鹿サーキットとともに「モートピア」と呼ばれていた。

本田技研工業株式会社子会社株式会社モビリティランド(旧ホンダランド→(株)鈴鹿サーキットランド)が経営していたが、2009年9月30日をもって営業を終了し、閉鎖された。

概要

1961年に、本田技研工業系列のモータースポーツセンターとしてオープン。初代所長は、当時ロードレース世界選手権(WGP)の250ccクラスで日本人として初優勝を遂げたばかりの高橋国光。その後、運営会社は鈴鹿サーキットの運営も行うようになった。

1960年代

当初は、「オートゲレンデ」と称して、オートバイ愛好者向けに本格的なモトクロスコースを含むバイク用のダートコースを設置し、様々なタイムトライアルなどが可能な施設という位置づけであった[1]。しかし、この構想が明らかになると、当時社会問題になっていたカミナリ族向けの施設であるとして「カミナリランド」といった形で批判的な報道がなされ、警視庁交通部が「カミナリ族の養成所みたいなものだと思うが、事故でも起こったらどうするのかが心配だ」という理由から「非常に好ましくない計画」として「近く申し入れをする」とも報じられた。これに対して、運営会社側は、「オートバイ・ファンに正しい技術をくんでもらおうというもので、指導もしっかりやる。ただ取り締まりを叫ぶだけでは彼らの気持ちを満たすことはできない」と述べている[2][3]。開園後の1962年9月16日に、来園者の男性の乗ったオートバイが転倒して死亡する事故が起きた際には、「カミナリ天国」初の死者」なる見出しで報じられた[4]

その後、1962年4月に第二期工事が完了して、ホンダエンジンを搭載したゴーカートミニバイクが遊具として設置され、「自動車遊園地」としても営業がおこなわれる[5]。このうちミニオートバイのZ100は好評を博し、これをベースとした「ホンダ・モンキー」が商品化された。こうして、当初のバイク主体のスポーツ施設から、次第にファミリー向けの遊園地へと移行することになった。1964年には、学校団体を対象として、実物のエンジンを分解・組み立てて動かす「エンジン教室」という催しをスタートさせている[5][6]。「エンジン教室」は鈴鹿サーキットでも開催されるようになり、やがて工場(鈴鹿製作所)見学と組み合わせた修学旅行プログラムになった[6]

1970年代から1990年代

1970年代に入ると、「タイヤカー(1980年に『UFO』へ換装)」や「水陸両用車(のちの『外輪船』)」、エンジン動力で係員が運転するジェットコースターである「ジェットスレー(後にレールの大部分を再利用した巻き上げ式コースターの『カナディアンジェットライダー』に改造)」のような、多摩テックならではの乗り物の他「観覧車」などの一般的なアトラクションも数多く設置され、よみうりランド西武園の中間に位置する多摩地域の「遊園地」へと変貌した。また、手塚治虫作によるキャラクターコチラも1979年に登場している。

1980年代にはモノレール型アトラクションの「スーパージェットライダー」や劇場型アトラクション「マッハセブン」が新設されると共に、「トライアルパーク」・ゴーカート「ザ・カートG400」「ロックガーデンプール」のオープンなど、本格的な開発も行われた。

1991年には懸垂式モノレール型アトラクションの「ガリオン」、1995年には大型水車がライドごとを持ち上げるギミックで国内最大級の水上型絶叫マシンを謳った「ワイルドリバーアドベンチャー」と大観覧車「トップキャビン」、1997年には「スペースショット(S&S社製。浅草花やしき・よみうりランド設置機と同系統)」と、大規模なアトラクションが新設された。また、子供向けのゴーカート「フォーミュラGP」や、本格的なバッテリーカー「電気自動車MUU(ムウ)」もカート系アトラクションを入れ替わらせる形で設置されている。

クア・ガーデン開業

長らく遊園地だけの施設であったが、1995年に園内のキャンプ場を掘削専門業者が掘削したところ温泉(黒湯)が湧出したため、1997年から温泉施設「クア・ガーデン」がオープンした(鈴鹿サーキットにおいても同名称で1994年に開業している)。

開業に当たっては多摩地域随一の湯量を誇るリゾート型のクア施設として、露天風呂・サウナ・飲食施設・休憩所に加えてフィットネススタジオや水着着用の温水プール(25m×4コース、子供用プール、ジャグジーなど。追加料金750円が必要)も設置し、水泳などの運動も可能であった。

周囲に超高層ビルが存在しないため、内風呂からは日野立川、2階レストランからは八王子駅方面の眺望が見渡せる。2003年に東京ドームによる「ラクーア」と、としまえんによる「豊島園 庭の湯」が開業するまで、関東での天然温泉併設型のテーマパークは当地が唯一であった(小山ゆうえんち併設の「小山温泉 思川」は2002年開業)。2004年にはよみうりランドも「丘の湯」をオープンした。

「クア・ガーデン」は、モートピアの高台側(でんでん虫II・旧UFOアトラクションホーム寄り)に所在し、モートピア開園中は連絡口で往来が可能であった。しかし、モートピアの正面ゲートは丘陵の中腹にあり、モートピアに入園しない場合は、一旦坂を下り都道155号線を左折して、「多摩テック・温泉入口」バス停を過ぎた信号機のある交差点を左折して坂を上る必要がある。そのため、1時間に2・3本程度、モートピアとクア・ガーデンの正面玄関間および多摩動物公園駅(18時以降は高幡不動駅)を結ぶ無料送迎バスを京王自動車(専用マイクロバス)、南大沢京王バス(路線バス車両)によって運行されていた。

2000年代・終焉へ

ユニバーサルスタジオジャパン東京ディズニーシーという大規模なテーマパークが開業し、日本各地の遊園地の入園者数が減少しつつあった2001年に「マッハセブン」を「4-Dモーションシアター」に改装する形でオープン。2002年から2004年にかけては「キッズドライブ」「キッズバイク」など子供向けのゴーカート系アトラクションを、「外輪船」などを廃止させて跡地に設置する形でオープンさせた。しかしながら、園内随一の絶叫マシンである「ワイルドリバーアドベンチャー」が2003年暮れ頃に僅か8年ほどで終了。「UFO」・「カナディアンジェットライダー」も程なくして運行終了となり、れっきとした絶叫マシンは「スペースショット」のみとなる[7]

2006年に「ACRO(アクロ)-X」、2007年に「ドリームX」と新型のゴーカートアトラクションを導入。カード系アトラクションの充実を図り、施設名称通りの『モートピアモーターユートピア)』への回帰と再興を図る趣きも見られたが、どちらも幼児小児の家族連れ向きのアトラクションであり、テーマパークの客層である若年層(中高生以上)やカップルの多摩テック離れが進んだ。

1990年代以降は一般に向けた割引券の頒布に加え、朝日メイト朝日新聞友の会)・読売ファミリーサークル読売新聞)・UFJカード会員・ホンダ車ディーラー得意客などに向けた招待デーを設け、廉価でフリーパスを販売するなどして集客を図っていた時期もあったが、実際には1999年以降、営業利益を出せずに経常損失ばかり計上していた。

2002年に入場者が100万人を超えたのをピークにその後は減少を続けたことや、2007年から2008年にかけて発生した世界金融危機の影響による不況が大きかったことから、モビリティランドの親会社・本田技研工業が経営見直しの一環により不採算事業から撤退することを2009年2月に発表。多摩テックは2009年9月30日(モートピアは19時)を以って営業を終了し、閉鎖となった。

豊田方面から見た多摩テックの観覧車の解体中の様子。

閉園を前に、同年の春休みゴールデンウィーク夏休みシルバーウィークと9月最終週は、別れを惜しむ来場客が大勢詰め掛けたため、人気アトラクションは3時間待ち状態で大変混雑していた。

多摩テックとしての最終営業は「クア・ガーデン」であり、特別編成のロビーコンサート(招致している音楽家や従業員による生演奏・歌唱)を昼間から閉館まで立て続けに実施し、通常通り22時を以って閉館した。但し、来館者数が多く、送迎バスの最終便はクア・ガーデンとモートピアで数十人の利用客を取りこぼす事態となったため、臨時便が数本増発された。

JR豊田駅側から見えた観覧車およびスペースショットは、施設閉鎖後にすべて解体された。

跡地利用への動き

2010年6月、多摩テック跡地を明治大学が買収し、住宅地に隣接し手狭となった世田谷区八幡山にある明治大学ラグビー部等の同大学体育会各部の練習場および合宿所を移設し、スポーツ科学部を新設して校舎を設立するなど「(仮称)明治大学スポーツパーク」として利用する構想が明らかになった[8]。八幡山グラウンド等の売却等といった事項が明治大学評議員会に承認され、三菱商事を共同事業者とし、日野市を中心に地元自治体などとも協議の上、2014年からの利用を目指す予定だった[9]。しかし、敷地内にキンランなど絶滅危惧種の群落がみられたことやオオタカの営巣地が確認されたことから、東京都自然保護条例にもとづく東京都自然環境保全審議会の審査が長期化し、2013年5月になって建物の縮小など計画案変更を条件に認可されたが[10]、着工予定は大幅に遅れた。

さらに東日本大震災にともなう復興事業および2020年東京オリンピック開催決定に伴う建設資材や人件費が高騰し、経費が当初予定の1.7倍に達する見込みとなったため、2013年10月までに明治大学評議員会は事業計画撤回を決定した[11]。明治大学は10月中旬に世田谷区に対して八幡山グランド売却にともなう都市計画の変更を中止するように求めている。一方、日野市は着工予定の9月を過ぎても開発許可申請が行われない理由の説明を明治大学に求め、事業計画中止が検討されていることについて、10月26日に抗議文を送付した。これに対し、11月6日に日高憲三明治大学理事長が日野市役所を訪問し、大坪冬彦日野市長に事業計画中止を申し入れたが、日野市側は都市計画の変更など手続きを実施しており一方的中止は認められないと反発し、事業継続を強く求めた[12]

共同事業者である三菱商事は土地取得に多額のコストを要した上に、その用途が学校にほぼ限定される(市街化調整区域)ことから、事業の継続か土地の買い取りを明治大学に求めた[13]。しかし、明治大学は「三菱商事が契約不履行であった(開発から建物の竣工・引き渡しに至る義務を果たさなかった)」と主張して和解にも応じなかったことから、2015年3月に三菱商事は明治大学を相手取り、61億9千万円(土地代金の立て替え約46億円を含む)の支払いを求めて提訴した[13]

所在地・アクセス

送迎バス

所在地:東京都日野市程久保5-22-1。

よみうりランドと同様、丘陵地を開発し、中腹に位置するゆうえん地「モートピア」は所どころ勾配がやや急な坂(斜面)が有り、その勾配の斜面や高低差を軌道に生かしたライド型アトラクション(UFO・ガリオン・外輪船など)も置かれた。高台にはクア・ガーデン、駐車場、キャンプ場などが置かれている。

  • 最寄り駅は京王電鉄動物園線多摩都市モノレール多摩動物公園駅である。駅からは神奈川県道・東京都道503号相模原立川線東京都道155号町田平山八王子線を通り2km少々で着く。
    • 営業期間中は駅前からモートピア経由クア・ガーデン行きの無料送迎バスが出ていて、所要時間は約5分であった。
    • 送迎バスの他にも高幡不動駅や多摩動物公園駅と「多摩テック」バス停を結ぶ京王バス(高12・動22)の路線バスが朝と夕方の時間帯に数本運行されていた。
    • 多摩都市モノレールの開業に伴い、立川駅(特に青梅線沿線)や西武新宿線拝島線沿線地域からの乗り換えは容易となった。一方、京王動物園線の運行本数が縮小(1時間3本程度)した為、高幡不動駅での京王線からの乗り換えで最大20分程度までの時間ロスが生じ、やや不便となった(モノレールは通常10分間隔で運行されるが、高幡不動駅の京王とモノレールの改札口間は徒歩5分程度離れている)。
  • もうひとつのアクセス手段として、JR中央線豊田駅北口と京王相模原線小田急多摩線多摩センター駅を結ぶ京王バス豊32があり、モートピア・クアガーデンの玄関が位置する丘陵地の坂下を通る都道155号線上に「多摩テック・温泉入口」バス停(現・「程久保5丁目」バス停)が置かれていた。
    • この路線は団地ニュータウンなどの住宅街中央大学を経由し、1時間あたり2 - 4本程度運行される。休日の開園時間帯には、「多摩テック温泉入口」バス停の前後(上り下り方向で異なる)で坂を登り、モートピア正面ゲート前の「多摩テック」バス停を経由していた。

ロケ地

テレビドラマテレビ映画などの撮影地としても多摩テックがよく使われていた。例を挙げると「宇宙刑事ギャバン・14話」TBS特撮テレビ映画ウルトラQ』の「2020年の挑戦」、フジテレビの『花嫁とパパ』、『結婚できない男』やテレビ朝日金曜ナイトドラマ雨と夢のあとに』最終話などに、多摩テックでのロケーション撮影シーンが登場した。また、フジテレビジョンが制作した「ひらけ!ポンキッキ」の番組エンディング映像として1988年から1994年頃まで園内でのロケ撮影が頻繁に行われていた。

主な施設

アトラクションの一つ、フォーミュラプラス

遊園地「モートピア」

  • 遊園地エリア (2009.9.30現在)
    • フォーミュラプラス
    • ドリームR
    • ロードスター
    • 観覧車トップキャビン
    • スペースショット
    • アクロエックス
    • りき丸の電気自動車「ムウ」
    • スーパースカイライダー
    • でんでんむし
    • ガリオン
    • デンタのちんちん電車 「テックン」
    • ロボウォーカー
    • コチラちゃんのプッチタウン
      • キッズドライブ
      • ピピラのピンキードライブ
      • キッズバイク
      • プートののりものけんきゅうじょ
      • ピピラのピンキーバイク
      • ドリフトキッズレーサー
      • コチラちゃんのプチプレーン
    • バットのパワーマシン
    • ピピラのボールパラダイス
    • バイクパレード
    • チララちゃんのフラワーカップ
    • メリーゴーランド
  • トライアルパーク(中学生以上)
  • キャンプ場(チララちゃんのホリデーロッジ)
  • アドベンチャープールズ(夏期のみ)
    • 幼児エリアプール
    • 円形プール
    • プートのウォーターファクトリー
      • ウォーター・メガキャノン
      • ウォーターキャノン
      • マジカルウォーターメイズ

天然温泉「クア・ガーデン」

クア・ガーデン
  • 温泉施設(男女別)
  • 温水プール(水着着用)
  • ジャグジー(水着着用)
  • 中国レストラン「楼蘭」

沿革

  • 1961年
    • 2月:株式会社モータースポーツランド(東京都中央区)として設立。
    • 10月1日:営業開始。
  • 1962年
    • 6月:株式会社テクニランドに商号変更。
      • 9月:鈴鹿サーキット完成。
  • 1968年4月:株式会社ホンダランドに商号変更。
  • 1987年6月:株式会社鈴鹿サーキットランドに商号変更し、三重県鈴鹿市に本店移転。
  • 1997年9月:天然温泉「クア・ガーデン」、中国レストラン「楼蘭」オープン。
  • 2000年5月:本社東京事務所を三重県鈴鹿市へ移転。
  • 2006年
    • 3月:本田技研工業の完全子会社となる。
    • 6月:株式会社ツインリンクもてぎと合併し、株式会社モビリティランドとなる。
  • 2009年
    • 2月8日:9月30日付けでの閉園を決定。
    • 9月30日:閉園。

過去に行われた主なイベント・ショー

  • 多摩テック春・夏・秋のカーニバル(各毎年3月・7月・9月から開催)
  • ぬいぐるみコチラちゃんワールド(コチラファミリーによる園内グリーティング)
  • ぬいぐるみコチラちゃんワールドのお正月(毎年正月に書初めやカルタ取りなどのイベントを開催)
  • モートピアアドベンチャー(1989年)※園内を利用した来園客参加型のRPGゲーム。
  • モートピアアドベンチャー2「モートピアの秘宝」(1990年)※園内を利用した来園客参加型のRPGゲーム。
  • コチラちゃんのジョインジョリーフェロー(1992年)
  • コチラちゃんワールド スケートグリーティング(1994年頃まで冬に園内プールを使用して開催)
  • 中川喜弘とデキシーDIXショー(1996年頃までの毎年秋に開催)
  • ひらけ!ポンキッキショー(1992年秋に開催)
  • ホンダ モータースポーツ トライアルスクール
  • ホンダ スポーツライディングスクール
  • YFC読売ファミリークラブ フェスティバル(2005年頃までの毎年秋に開催)
  • 朝日メイトフェスティバル(2000年頃までの毎年秋に開催)
  • 多摩テックプール開き(毎年夏に開催)
  • 納涼花火大会(毎年夏に開催)

※過去のコチラちゃんファミリー(出演キャラクター)は以下の通り。

  • コチラ
  • チララ ※コチラとチララは過去に於いては「兄と妹」と言う設定だった。
  • ウサ吉(黄色のウサギ、タータンチェックのジャケットを着用)
  • ウサ美(ピンクの色のウサギ、白地のエプロンドレスを着用)
  • クマくん
  • オオカミ
  • マジカルティガー(トラの手品師)
  • ヒッポ(カバの警察官)
  • リスくん
  • カモノハシ(1992年から新加入)
  • ビッグホーン(1992年から新加入)

ディスコグラフィー

多摩テックの完全オリジナルCDとして1988年に唯一リリースがされた『タマテックドリームズ』がある。このCDは、かつて多摩テックの園内に新登場をしたアトラクション「ホットロッド」(ウィリータイプのエンジン式ゴーカート)の登場記念アルバムとしてリリースされ、アルバムジャケットにはホットロッドの登場記念キャラクター“ホットレディー”と“ロッドマイティー”の図柄とそれぞれのサインも書かれている。また、ジャケットの中央に写っている実写のコチラとチララは1987年当時に多摩テック園内で撮影された物である。このCDに収録されている楽曲は、多摩テックと鈴鹿サーキットランドの両園で長年使用され、一部の楽曲はアトラクション音楽やイベント時のバックミュージック、コチラちゃん達が登場をしたショーなどの楽曲としても使用された。収録されている楽曲の演奏は、ディキシーランド・ジャズ演奏のベテラン演奏家である中川喜弘が率いる「デキシーDIX」のメンバーと、特別編成をされた「タマテックドリームズバンド」が共に行っている。

タマテックドリームズ 楽曲詳細

製作
1987年
収録
1988年1月
形式
コンパクトディスク(限定枚数、限定発売)、ステレオ音声

収録曲

  • 「ホットロッドのテーマ」
    歌:黒沢裕一、
    作詞:小出清也、作曲:大塚治之、編曲:中川喜弘
    ※多摩テック園内アトラクション「ホットロッド」のテーマ曲。
  • 「コチラちゃんのマーチ」(インストゥルメンタル曲)
    作曲:大塚治之、編曲:中川喜弘、フリューゲルホルン演奏:中川喜弘
    ※多摩テック園内専用BGM、コチラファミリーグリーティング時などのBGM。
  • 「コチラちゃんの歌」
    歌:森下容子、星野克明 他、
    作詞:大塚治之、河合昭義(共作詞)、作曲:大塚治之、編曲:中川喜弘
  • 「秘密の探検隊」
    歌:りんごばんど 他
    作詞:松田宏美、作曲:大塚治之、編曲:中川喜弘
  • 「コチラちゃんのパパのうた」
    歌:ピップ鈴木、
    作詞:平沢則子、作曲:大塚治之、編曲:中川喜弘
  • 「クマくんの夢」
    歌:ピップ鈴木、
    作詞:川杉祐美子、作曲:大塚治之、編曲:中川喜弘
  • 「オオカミさんの夢」
    歌:梅津秀行(グワァッパ梅津)
    作詞:川杉祐美子、作曲:大塚治之、編曲:中川喜弘
  • 「コチラちゃんのママのうた」
    歌:江口ゆかり(りんごばんど)
    作詞:松田宏美、作曲:大塚治之、編曲:中川喜弘
  • 「ぼくは魔法使い」
    歌:梅津秀行、ピップ鈴木 他
    作詞:松田宏美、作曲:大塚治之、編曲:中川喜弘
  • 「ログハウスをつくろう」(インストゥルメンタル曲)
    作曲:大塚治之、編曲:中川喜弘、演奏:中川喜弘とデキシーDIX
  • 「花の国」
    歌:梅津秀行、ピップ鈴木、りんごばんど 他
    作詞・作曲:大塚治之、編曲:中川喜弘
  • 「コチラちゃんのお家」
    歌:佐藤明美
    作詞・作曲:増渕容子、編曲:中川喜弘
  • 「チララちゃんのお部屋」
    歌:栗原紘子
    作詞・作曲:増渕容子、編曲:中川喜弘
  • 「オオカミさんとクマくんのお家」
    歌:梅津秀行(グワァッパ梅津)、ピップ鈴木
    作詞・作曲:大塚治之、編曲:中川喜弘
  • 「虹かかったよ」
    歌:大塚治之、ピップ鈴木、小出清也、りんごばんど
    作詞:松田宏美、作曲:大塚治之、編曲:中川喜弘
  • 「ホットロッドとともに」
    歌:山崎功
    作詞:松田宏美、作曲:大塚治之、編曲:中川喜弘

演奏

  • タマテックドリームズバンド
    数原晋、河東伸夫(トランペット)、原田靖(トロンボーン)、後藤祐二(サキソフォーン、フルート、クラリネット)、東文明(ピアノ、エレクトーン、キーボード)、阿部寛(ギター)、青木博嗣(ブラス/金管楽器)、日高弘(ドラムス)、藤井寛(パーカッション)、コーラス「りんごばんど」(水沢螢、増渕容子、江口ゆかり)、中川喜弘(フリューゲルホルン)
  • 中川喜弘とデキシーDIX
    中川喜弘(トランペット)、中川英二郎(トロンボーン)、小田洋司(クラリネット)、東文明(ピアノ)、阿部寛(バンジョー)、青木博嗣(チューバ)、黒岩寿一(ドラムス)。

制作スタッフ

  • 音楽監督:中川喜弘(中川喜弘とデキシーDIX)
  • 演出:大塚治之
  • 録音エンジニア:猪股雅芳
  • アシスタントエンジニア:浅野学志、大内康史、守屋勝美
  • 録音スタジオ:アバコクリエイティブスタジオ、スタジオDIG、ワンダーステーションスタジオ
  • 制作協力:中川音楽事務所、コジマ録音、株式会社手塚プロダクション
  • 企画製作:株式会社鈴鹿サーキットランド

遊具での事故

  • 1971年2月14日、ゴーカートに乗っていた13歳の男子中学生が、首に巻いていた長さ1.5mのマフラーの端が走行中に車軸に巻き付き、マフラーが引っ張られる形で首が絞まって即死した。この事故の後、当園の遊具ではマフラーやスカーフを着用しての利用を規制することになった。
  • 1984年1月6日、「ミニポッポ周遊列車」が下り坂でブレーキが利かずに横転し、運転手1名と乗客18名が負傷した。その後の警察の調べではブレーキ整備と運転手の操作の2つのミスが重なったために起きた事故と推定されている[14]。多摩テックは同年3月8日付の主要新聞に、事故のお詫びならびに再発防止に向けた全施設の総点検・安全確認を実施した旨を「謹告」として掲載した。なお、多摩テック側の責任ではないが、「ミニポッポ周遊列車」の前身に当たる「ぞうさん列車」では1976年に、走行中に車両を乗り移ろうとした小学生が転落して負傷する事故が起きている。
  • 1996年1月4日夕方、「大観覧車トップキャビン」において従業員が乗客の残存確認を怠り、閉園時間に運転を停止して帰宅してしまう。このため、搭乗中であった夫婦と女子中学生4名のグループがそれぞれゴンドラの中で12時間に亘って取り残され、翌朝に救出されるアクシデントとなった。なお、施設側の刑事責任は問われなかった。

ホンダの類似施設

同様のホンダの遊園地には、かつては奈良県生駒市に「生駒テック」、埼玉県朝霞市に「朝霞テック」があり、いずれも多摩テックとほぼ同時期に建設された。生駒テックは1965年3月、朝霞テックは1973年に閉鎖され、生駒テック跡地は生駒山麓公園、朝霞テック跡地は本田技術研究所朝霞研究所となっている。多摩テック開業当初には佐賀高松広島名古屋仙台など[15]日本全国60ヶ所に同様の施設の建設が計画されていた[16]

なお、同じ「テック」という名前の施設ではあるが「与那原テック」(1986年4月1日に閉園、現在はゴルフ場)は関係がない(東陽バス経営)。

脚注

  1. ^ 開園間もない1961年11月に公開された日活映画『カミナリお転婆娘』(清水まゆみ主演)には、その当時のモトクロス場が舞台として登場している。
  2. ^ 1961年7月11日付読売新聞。実際に警視庁からの申し入れが行われたかどうかは不明。
  3. ^ モビリティランドウェブサイトの「モビリティランド50年の歩み」にも、「カミナリ族に走る場を提供し、正しい運転マナーと技術を学ばせる」ことでカミナリ族問題を解決することが開設の目的であったと記載されている。
  4. ^ 1962年9月17日付読売新聞
  5. ^ a b モビリティランド50年の歩み 第一章モビリティランドウェブサイト
  6. ^ a b 【モータースポーツとともに モビリティランドの50年】(8-2) 2012.07.13 FujiSankei Business i. 18頁 文化 i文2 写有 (全1,322字)
  7. ^ 「スペースショット」はその後も存続したが、2009年夏に「修理する資材の調達に時間を要する」という理由で使用を休止し、そのまま閉園となった。
  8. ^ 明大、聖地八幡山から移転…大学側売却検討”. サンケイスポーツ (2010年6月2日). 2010年7月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月18日閲覧。
  9. ^ スポーツ関連施設統合化等に係る計画推進について明治大学公式サイト 2010年6月2日閲覧
  10. ^ 第127回東京都自然環境保全審議会議事録
  11. ^ 本学のスポーツパーク(仮称)事業計画について明治大学公式サイト 2013年11月7日閲覧
  12. ^ 多摩テック跡地:「スポーツパーク中止」明治大、日野市に申し入れ”. 毎日新聞 (2013年11月7日). 2013年11月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月18日閲覧。
  13. ^ a b 明治大が「裏切り」 困り果てる日野市 - FACTA ONLINE 2015年8月号
  14. ^ 1984年5月4日付読売新聞夕刊
  15. ^ 1961年10月30日付日刊スポーツ(2009年8月7日、多摩テック事務所前の掲示を閲覧)
  16. ^ 1961年10月14日付朝日新聞(2009年8月7日、多摩テック事務所前の掲示を閲覧)。1961年7月11日付の読売新聞記事では「全国62ヶ所」とある。

関連項目

外部リンク