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明治大学ラグビー部

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
明治大学ラグビー部
原語表記 明治大学体育会ラグビー部
クラブカラー   紫紺
愛称 メイジ
創設年 1923年
代表 西村弥(部長)
監督 神鳥裕之
ヘッドコーチ 伊藤宏明
所属リーグ 関東大学ラグビー対抗戦グループ
ファースト
ジャージ
公式サイト
https://www.meijirugby.jp
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明治大学体育会ラグビー部(めいじだいがくたいいくかいラグビーぶ、: MEIJI UNIVERSITY Rugby Football Club)は、関東大学ラグビー対抗戦Aグループに所属する明治大学ラグビー(ラグビーユニオン)部である。愛称メイジ。略称明大(めいだい)。 全国タイトル22回(全国大学タイトル21回・日本選手権1回)および全国大学タイトル21回(東西対抗8回・大学選手権13回)を誇る。また7人制では、ジャパンセブンズ優勝1回・YC&AC JAPAN SEVENS優勝2回・東日本大学セブンズ優勝3回を誇る。

概要

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明治大学ラグビー部(1928年、前列右から2人目が北島忠治[1]
ラグビー明早戦(1938年12月4日)
明早戦は1973年〜2013年まで国立競技場で開催されていた。

明治大学で14番目の運動部として1922年に創部された(翌1923年に正式承認)。

部のエンブレムはペガサス。「重戦車」と呼ばれる強力FWがチームの特徴であるが、黄金期にはBKにも好選手を擁していた。

北島忠治1929年から67年間指揮を執り、彼が言い続けた「前へ」を合言葉に日本選手権1回、大学選手権13回優勝の名門に作り上げた。

長きに亘り、人気・実力共に大学ラグビーの中心的な存在であり、特に早稲田大学との対戦は「明早戦」(早明戦)と呼ばれ、日本ラグビー界を代表する伝統の一戦とされる。

1969年に選手の丸刈り制を廃止。1972年度から1982年度まで11年連続で大学選手権決勝進出、その内5回優勝している。

1982年12月5日、空前のラグビーブームのなか明早戦が行われた国立競技場は、有料入場券発売が66,999枚を記録し、1964年東京オリンピックの開会式と閉会式の販売枚数に次いで歴代3位となった[2][3]。当時の国立競技場の定員は62,064人だったが、前売り4万枚に加え、当日券約2万枚を求めて会場外に多くの人が集まったため、当日来場しない1〜2割の人数を見込んで、追加発売したことによるものだった。これによる観客席の混乱はなかったという[4]。また、当時は正確な入場者数が把握できず、「有料入場券発売枚数」を公式な人数として発表していた[4]

1990年代には対抗戦優勝8回、大学選手権優勝5回・準優勝3回と圧倒的な強さを誇った[5]

2006年3月、部員が騒音を出し続けたため慢性的な睡眠不足になったとして、合宿所近くの住民が明治大学を相手取って慰謝料を求めた。東京地裁は明治大学に計45万円の慰謝料の支払いを命じた[6][7]

2008年度はシーズン中盤から終盤にかけて4連敗を喫し対抗戦で6位となり、24年ぶりに大学選手権出場を逃した。

2010年度の対抗戦では全勝で明早戦を迎え、12年ぶりの優勝に王手をかけたが、早稲田大学に15-31で敗れ復活優勝はならなかった。同年度の大学選手権準決勝でも早稲田大学と再戦したが10-74で完敗した。この74失点は2007年度の対抗戦における71失点を上回り、早稲田大学戦での最多失点となった。

2012年度は大学選手権を含めて100回目となる明早戦を後半ロスタイムで逆転勝利し、筑波大学帝京大学と同率ながら14年ぶりの対抗戦グループ優勝を飾った。

2013年度は3勝4敗と負け越したが、青山学院大学と同率の5位で大学選手権に出場した。なお国立競技場改修前に行われた最後の明早戦は、明治が先制するも早稲田に逆転され敗れた。

2014年度からは、対抗戦の明早戦は秩父宮ラグビー場で開催されている。

2015年度は明早戦に3年ぶりに勝利し、帝京大学と同率ながら3年ぶりの対抗戦グループ優勝を飾った。

2017年度は19年ぶりに大学選手権で決勝進出を果たしたが、帝京大学に1点差で敗れた。

2018年度は2年連続で大学選手権決勝に進出し、天理大学を破り22年振り13回目の優勝を果たした。

2019年度は3年連続で大学選手権決勝に進出したが、早稲田大学に敗れた。なおこの試合は国立競技場で初めて開催されたラグビーの試合だった。

国際交流

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日本のラグビーチームとしては最も早期とされる1927年12月に上海遠征を行っており、またそれが縁となって、約1ヵ月後の1928年1月に来日した上海駐屯ウェールズ連隊が、初めて来日した海外のラグビーチームとされている[8]。以来、欧米各国や香港の代表チームとの間で、日本代表チームとは別に、明大ラグビー部単独チームとして交流試合などを行ってきた国際交流の歴史をもつ。

中でも1950年代以降、オックスフォード大学ラグビー部(1869年創部)、ケンブリッジ大学ラグビー部(1872年創部)の両チームとは、両校が来日した際には日本代表チームとは別に、明大ラグビー部単独チームとして交流試合を開催するなど、特別な国際交流を行ってきた歴史をもつ。

近年では、コロナ禍前の2018年にイェール大学(1875年創部)、シドニー大学(1863年創部)などを個別に明大グランドに招聘し、ウェルカムパーティ、アフターマッチファンクションなども交えた国際交流イベントを開催するなど親睦を深めている。また、OBも交えた「オール明治」としての試合なども開催している[9]

以下、主要な海外交流戦(記事作成済みのもののみ)

タイトル

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※年は全て年度。

2020大学選手権決勝における明早戦国立競技場

早慶2校との対戦成績

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ノーサイド後に健闘を称え合う明慶両校の選手(2011年11月・慶應義塾大学戦・秩父宮ラグビー場
大会 試合数 明治大学
勝利
引き分け 早稲田大学
勝利
関東大学対抗戦
(定期戦・明早戦
100 42 2 56
大学選手権 16 9 0 7
合計 116 51 2 63
※招待試合・練習試合・ジュニア選手権等は含まない。2024年度現在。
大会 試合数 明治大学
勝利
引き分け 慶應義塾大学
勝利
関東大学対抗戦
(定期戦・明慶戦
99 58 3 38
大学選手権 8 6 1 1
合計 107 64 4 39
※招待試合・練習試合・ジュニア選手権等は含まない。2024年度現在。

戦績

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近年のチームの戦績は以下のとおり。

年度 所属 勝敗 順位 監督 主将 大学選手権
1986年 - 10勝0敗 1位 北島忠治 高橋善幸 準決勝 3-11 大東文化大学
1987年 - 8勝2敗 3位 北島忠治 大西一平 1回戦 0-10 大阪体育大学
1988年 - 9勝1敗 1位 北島忠治 安東文明 優勝 決勝 13-13 大東文化大学[11]
1989年 - 8勝2敗 4位 北島忠治 竹ノ内弘典 1回戦 10-21 大阪体育大学
1990年 - 8勝1分 1位[13] 北島忠治 吉田義人 優勝 決勝 16-13 早稲田大学
1991年 - 9勝0敗 1位 北島忠治 小村淳 優勝 決勝 19-3 大東文化大学
1992年 - 9勝0敗 1位 北島忠治 永友洋司 準決勝 18-42 法政大学
1993年 - 9勝0敗 1位 北島忠治 元木由記雄 優勝 決勝 41-12 法政大学
1994年 - 9勝0敗 1位 北島忠治 南條賢太 準優勝 決勝 17-22 大東文化大学
1995年 - 7勝2敗 2位 北島忠治 信野將人 優勝 決勝 43-9 早稲田大学
1996年 - 9勝0敗 1位 北島忠治 →寺西博 松本幸雄 優勝 決勝 32-22 早稲田大学
1997年 A 7勝0敗 1位 - 田中澄憲 準優勝 決勝 17-30 関東学院大学
1998年 A 6勝0敗 1位 金谷福身(HC) 山岡俊 準優勝 決勝 28-47 関東学院大学
1999年 A 5勝2敗 3位 金谷福身(HC) 斉藤祐也 2回戦 17-21 関東学院大学
2000年 A 5勝2敗 2位 田中充洋 桜井崇将 2回戦 14-46 同志社大学
2001年 A 5勝2敗 3位 田中充洋 松原裕司 2回戦 31-42 関東学院大学
2002年 A 5勝2敗 3位 境政義 伊藤太進 1回戦 43-48 近畿大学
2003年 A 4勝3敗 4位 境政義 小堀正博 2回戦 プール戦Bグループ 0勝3敗
2004年 A 5勝2敗 3位 境政義 黒田崇司 2回戦 7-38 法政大学
2005年 A 4勝3敗 4位 境政義 高野彬夫 1回戦 24-43 大阪体育大学
2006年 A 5勝2敗 2位 藤田剛(HC) 日和佐豊 2回戦 14-28 大阪体育大学
2007年 A 5勝1敗1分 2位 藤田剛(HC) 上野隆太 準決勝 27-34 慶應義塾大学
2008年 A 3勝4敗 6位 藤田剛 杉本晃一 不出場
2009年 A 3勝4敗 5位 吉田義人 金澤章太
西原忠佑
準決勝 12-43 帝京大学
2010年 A 6勝1敗 3位 吉田義人 杉本博昭 準決勝 10-74 早稲田大学
2011年 A 5勝2敗 2位[16] 吉田義人 溝口裕哉 2回戦 9-11 筑波大学
2012年 A 6勝1敗 1位[14] 吉田義人 竹内健人 セカンドステージ敗退
2013年 A 3勝4敗 5位[17] 丹羽政彦 圓生正義 セカンドステージ敗退
2014年 A 5勝2敗 3位 丹羽政彦 勝木来幸 セカンドステージ敗退
2015年 A 6勝1敗 1位[15] 丹羽政彦 中村駿太 準決勝 19-28 東海大学
2016年 A 5勝2敗 3位 丹羽政彦 桶谷宗汰 3回戦 22-26 京都産業大学
2017年 A 5勝2敗 2位[18] 丹羽政彦 古川満 準優勝 決勝 20-21 帝京大学
2018年 A 5勝2敗 3位[19] 田中澄憲 福田健太 優勝 決勝 22-17 天理大学
2019年 A 7勝0敗 1位 田中澄憲 武井日向 準優勝 決勝 35-45 早稲田大学
2020年 A 7勝0敗 1位 田中澄憲 箸本龍雅 準決勝 15-41 天理大学 
2021年 A 5勝2敗 3位 神鳥裕之 飯沼蓮 準優勝 決勝 14-27 帝京大学 
2022年 A 6勝1敗 2位 神鳥裕之 石田吉平 準々決勝 21-27 早稲田大学
2023年 A 6勝1敗 2位 神鳥裕之 廣瀬雄也 準優勝 決勝 15-34 帝京大学 

1975年度の日本一

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1975年度の第13回日本ラグビーフットボール選手権大会1976年1月15日)で、三菱自動車京都を37-12で破り初優勝を果たした。下記は当校日本一の試合時におけるフィフティーンである。