秋田県立秋田中央高等学校
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秋田県立秋田中央高等学校 | |
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北緯39度44分43.7秒 東経140度4分41.5秒 / 北緯39.745472度 東経140.078194度座標: 北緯39度44分43.7秒 東経140度4分41.5秒 / 北緯39.745472度 東経140.078194度 | |
過去の名称 |
土崎港町立実科高等女学校 秋田県土崎高等女学校 秋田市土崎高等女学校 秋田市立高等女学校 秋田市立中学校 秋田市立高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 秋田県 |
校訓 | 自主、友愛、躍進 |
設立年月日 | 1920年 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 2学期制 |
学校コード | D105220158019 |
高校コード | 05151K |
所在地 | 〒011-0943 |
秋田県秋田市土崎港南3丁目2-78 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
秋田県立秋田中央高等学校(あきたけんりつ あきたちゅうおうこうとうがっこう)は、秋田県秋田市にある公立高等学校。
概要
[編集]1982年県移管前の校名は秋田市立高等学校。秋田県が設置する高等学校における「進学の中心校としての役割を果たす学校」(計10校)の1校[1]。2013年に文部科学省スーパーサイエンスハイスクール (SSH) 指定校となり、2018年に2期目、2023年に3期目の指定を受けている。普通科設置。
沿革
[編集]- 1920年6月22日 - 秋田県南秋田郡土崎港町に土崎港町立実科高等女学校の設立認可。
- 1932年5月9日 - 実科を廃止して秋田県土崎高等女学校と改称。
- 1941年4月1日 - 土崎港町の秋田市に編入に伴い、秋田県土崎高等女学校も市に移管され、秋田市土崎高等女学校と改称。
- 1942年3月9日 - 高等女学校とは別に、秋田市立中学校(5年制)設立認可(旧制中学校)。同年4月15日開校(男子校機能)[2]。
- 1943年4月1日 - 秋田市土崎高等女学校から秋田市立高等女学校と改称[3]。
- 1948年
- 4月1日 - 秋田市立中学校(旧制中学校)と秋田市立高等女学校が併合され、男女共学普通科の秋田市立高等学校となる[3]。男子生徒は旧中学校校舎、女子生徒は旧高等女学校校舎を使用。
- 6月1日 - 定時制課程普通科中心校を秋田市立高等学校女子部校舎(後に秋田市立土崎南小学校)に開設、分校を秋田市立商業高等学校(茨島分校)に開設。同年7月5日授業開始。
- 1949年5月19日 - 女子生徒用2教室竣工(男女とも同じ校舎に)。
- 1950年
- 3月28日 - 定時制課程普通科中心校を秋田市立高等学校校舎に移転。
- 7月1日 - 定時制課程茨島分校普通科を商業科に切り替え届け出。
- 1952年4月24日 - 定時制課程家庭科旭川分室を秋田市立旭川小学校校舎に開設。
- 1955年4月1日 - 茨島分校は秋田市立商業高等学校定時制課程として独立、旭川分室は廃止。
- 1967年
- 3月18日 - 学校焼失。損害は蔵書などを含め甚大なものに。
- 4月1日 - 本校と保戸野仮校舎にて分散授業開始。
- 1968年4月5日 - 新校舎にて授業開始(保戸野校舎から引き上げ)。
- 1982年4月1日 - 秋田市立高等学校を県に移管、秋田県立秋田中央高等学校として開校(定時制課程も)。
- 1993年4月 - 新制服採用。学生服、セーラー服型からブレザー型に変更。
- 1999年 - 韓国の養正高等学校と提携を結ぶ。
- 2005年3月31日 - 定時制課程閉課程。定時制課程は秋田東高等学校と統合し、秋田県立秋田明徳館高等学校として再出発。
- 2013年 - 文部科学省平成25年度スーパーサイエンスハイスクール (SSH) 指定校となる。指定期間5年。2018年からの2期目、2023年から3期目も指定された。[4]
- 2014年12月 - 新校舎落成。
校訓
[編集]自主・友愛・躍進
教育目標は人格の完成を目指し、自主性を重んじ、理想を掲げて躍進を図る生徒を育成する。
部活動
[編集]運動部
[編集]- 野球部
- 1968年
- 8月 - 第50回全国高等学校野球選手権大会に初出場(ベスト8)。
- 10月 - 第23回国民体育大会野球大会に出場。
- 1971年8月 - 第53回全国高等学校野球選手権大会に3年ぶり2回目の出場。
- 1972年8月 - 第54回全国高等学校野球選手権大会に2年連続3回目の出場。
- 1974年8月 - 第56回全国高等学校野球選手権大会に2年ぶり4回目の出場。
- 2019年8月 - 第101回全国高等学校野球選手権大会に45年ぶり5回目の出場。1県1代表後ならびに県移管後初。
- 1968年
- ラグビー部
- 1952年 - 第32回全国高等学校ラグビーフットボール大会に初出場。
- 1953年 - 第8回国民体育大会(四国国体)に出場。
- 1959年 - 第39回全国高等学校ラグビーフットボール大会に出場(2回目)。
- 1961年
- 第14回国民体育大会(神奈川国体)に出場。
- 第41回全国高等学校ラグビーフットボール大会に出場(3回目)、ベスト8進出。
- 1962年 - 第42回全国高等学校ラグビーフットボール大会に出場(2年連続4回目)。
- 1965年 - 第45回全国高等学校ラグビーフットボール大会に出場(5回目)。
- 1966年10月 - 第21回国民体育大会(大分国体)に出場し優勝。
- 2007年12月 - 第87回全国高等学校ラグビーフットボール大会に出場(42年ぶり6回目)。県移管後初。
- 2008年12月 - 第88回全国高等学校ラグビーフットボール大会に出場(2年連続7回目)、ベスト8進出。
- 2010年3月 - 第11回全国高等学校選抜ラグビーフットボール大会に出場。
- 2011年12月 - 第91回全国高等学校ラグビーフットボール大会に出場(8回目)。
- 2014年
- 3月 - 第15回全国高等学校選抜ラグビーフットボール大会に出場。
- 12月 - 第94回全国高等学校ラグビーフットボール大会に9回目の出場。
- 2015年
- 7月 - 第2回全国高等学校7人制ラグビーフットボール大会に初出場。
- 12月 - 第95回全国高等学校ラグビーフットボール大会に出場(2年連続10回目)。
- 2016年7月 - 第3回全国高等学校7人制ラグビーフットボール大会に出場(2年連続2回目)。
- 2017年7月 - 第4回全国高等学校7人制ラグビーフットボール大会に出場(3年連続3回目)。
- 2018年
- 7月 - 第5回全国高等学校7人制ラグビーフットボール大会に出場(4年連続4回目)。
- 12月 - 第98回全国高等学校ラグビーフットボール大会に出場(3年ぶり11回目)。
- 2019年
- 3月 - 第20回全国高等学校選抜ラグビーフットボール大会に出場。
- 7月 - 第6回全国高等学校7人制ラグビーフットボール大会に出場(5年連続5回目)。
- 陸上競技部
- 1967年12月 - 第18回全国高校駅伝に出場(男子)。18位(初出場)。
- 1969年
- 10月 - 第24回国民体育大会陸上競技大会 男子5000m 優勝(鎌田俊明)。
- 12月 - 第20回全国高校駅伝に出場(男子)。11位(2年ぶり2回目の出場)。
- 1970年12月 - 第21回全国高校駅伝に出場(男子)。13位(2年連続3回目の出場)。
- 1971年12月 - 第22回全国高校駅伝に出場(男子)。40位(3年連続4回目の出場)。
- 1972年12月 - 第23回全国高校駅伝に出場(男子)。9位(4年連続5回目の出場)。
- 1973年12月 - 第24回全国高校駅伝に出場(男子)。24位(5年連続6回目の出場)。
- 1974年12月 - 第25回全国高校駅伝に出場(男子)。9位(6年連続7回目の出場)。
- 1975年12月 - 第26回全国高校駅伝に出場(男子)。11位(7年連続8回目の出場)。
- 1979年12月 - 第30回全国高校駅伝に出場(男子)。39位(4年ぶり9回目の出場)。
- 1983年12月 - 第34回全国高校駅伝に出場(男子)。準優勝(4年ぶり10回目の出場)。
- 1984年12月 - 第35回全国高校駅伝に出場(男子)。10位(2年連続11回目の出場)。
- 1985年12月 - 第36回全国高校駅伝に出場(男子)。13位(3年連続12回目の出場)。
- 1986年12月 - 第38回全国高校駅伝に出場(男子)。13位(2年ぶり13回目の出場)。
- 1990年12月 - 全国高校駅伝第2回女子大会に出場。43位(初出場)。
- 2010年
- 8月 - 全国高等学校総合体育大会陸上競技会に出場。少年女子400m 5位。
- 10月 - 第65回国民体育大会ゆめ半島千葉国体陸上競技大会に出場。少年女子400m 第5位。
- 弓道部
- 1959年
- 8月 - 第4回全国高等学校総合体育大会弓道競技大会(男子の部、団体の部)に出場し優勝。
- 10月 - 第14回国民体育大会弓道大会(男子の部、団体の部)に出場し第4位。
- 1960年 8月- 第5回全国高等学校総合体育大会弓道競技大会(女子の部、団体の部)に出場し準優勝。
- 1961年
- 8月 - 第6回全国高等学校総合体育大会弓道競技大会(男子の部、団体の部)に出場し準優勝。
- 10月 - 第16回国民体育大会弓道大会(男子の部、団体の部)に出場し準優勝。
- 1963年
- 8月 - 第8回全国高等学校総合体育大会弓道競技大会(女子の部、団体の部)に出場し準優勝。
- 10月 - 第18回国民体育大会弓道大会(女子の部、団体の部)に出場し第4位。
- 1965年8月 - 第10回全国高等学校総合体育大会弓道競技大会(男子の部、団体の部)に出場し第3位。
- 1966年8月 - 第11回全国高等学校総合体育大会弓道競技大会に出場。女子団体 3位、女子個人技能優秀1位。
- 2004年 - 第49回全国高等学校総合体育大会弓道競技大会(女子の部、団体の部)に出場(4年ぶり10度目)、4位。
- 1959年
- ボクシング部
- 1947年8月 - 全日本中学校ボクシング選手権大会(東京)に出場。フリー級優勝。
- 1951年8月 - 全日本高等学校ボクシング選手権大会(秋田)に出場。バンダム級優勝。
- 1953年1月 - 全日本高等学校ボクシング選手権大会(札幌)に出場。ウェルター級優勝。
- 1971年8月 - 全日本高等学校ボクシング選手権大会(松山)に出場。フェザー級優勝、ヘビー級優勝。
- 1982年8月 - 全日本高等学校ボクシング選手権大会(鹿児島)に出場。ライト級2位。
- 女子バスケットボール部
- バドミントン部
- 1973年 - 第24回全国高等学校バドミントン選手権大会に出場(学校対抗男子、男子ダブルス、男子シングルス)。
- 1997年8月 - 第48回全国高等学校バドミントン選手権大会に出場(男子)。
- スピードスケート部
- 2003年2月 - 第58回国民体育大会冬季大会スケート競技会に出場。少年男子500m 8位、少年男子1,500m 8位、少年男子リレー2,000m 2位。
- 2004年2月 - 第59回国民体育大会冬季大会スケート競技会に出場。少年男子500m 4位、少年男子5,000m 7位、少年男子10,000m 8位、少年男子リレー2,000m 4位。
- 2005年1月 - 第60回国民体育大会冬季大会スケート競技会に出場。少年男子500m 6位、少年男子リレー2,000m 4位。
- 2006年
- 1月 - 全国高等学校総合体育大会スピードスケート競技会に出場。男子500m 4位。
- 1月 - 第61回国民体育大会冬季大会スピードスケート競技会に出場。少年男子500m 6位、少年男子1,000m 3位、少年男子リレー2,000m 3位。
- 3月 - オリンピックオーバルファイナルスケート大会(カナダ、カルガリー)に出場。500m 5位。
- 柔道部、剣道部、男子バレーボール部、女子バレーボール部、男子バスケットボール部、ソフトテニス部、卓球部
文化部
[編集]- 放送部
- 1983年 - 第29回NHK杯全国放送コンテストに出場。ラジオ番組部門、作品名は「忘れられた土崎空襲」。
- 1986年 - 第33回NHK杯全国放送コンテストに出場。ラジオ番組部門、作品名は、「ラジオドラマ「青い鳥」」。
- 1988年 - 第35回NHK杯全国放送コンテストに出場。テレビ番組部門、作品名は「あと12時間」。
- 1993年 - 第40回NHK杯全国放送コンテストに出場。テレビ番組部門、作品名は「帰趨」[6]。
- 1995年
- 第33回全国高等学校放送コンクールに出場。ラジオCM部門最優秀賞・文部大臣賞を受賞。作品名は「BENTO」。
- 第33回全国高等学校放送コンクールに出場。テレビCM部門最優秀賞・文部大臣賞を受賞。作品名は「オリジナルハート」。
- 1996年 - 第34回全国高等学校放送コンクールに出場。テレビCM部門最優秀賞・文部大臣賞を受賞。作品名は「秋田中央高校文化祭『仮装の裏側』」。
- 1997年11月 - 第44回NHK杯全国放送コンテストに出場。校内放送研究発表で優良賞を受賞。作品名は、「音の架け橋〜近くて遠い学校へ」。朗読部門で2名が優良賞を受賞。
- 1998年 - 第45回NHK杯全国放送コンテストに出場。朗読部門で1名が優良賞を受賞。
- 1999年 - 第46回NHK杯全国放送コンテストに出場。ラジオ番組部門で優良賞を受賞。作品名は「通信指令課1999」[7]。
- 吹奏楽部
- 2012年11月 - 第14回全日本高等学校吹奏楽大会in横浜に出場。実行委員長賞を受賞[8]。
- 2013年11月 - 第15回全日本高等学校吹奏楽大会in横浜に出場。実行委員長賞を受賞[9]。
- 2014年11月 - 第16回全日本高等学校吹奏楽大会in横浜に出場。実行委員長賞、ロケットミュージック賞を受賞[10]。
- 2015年11月 - 第17回全日本高等学校吹奏楽大会in横浜に出場。実行委員長賞を受賞[11]。
- 2016年11月 - 第18回全日本高等学校吹奏楽大会in横浜に出場。実行委員長賞を受賞[12]。
- 2017年11月 - 第19回全日本高等学校吹奏楽大会in横浜に出場。実行委員長賞、下谷賞を受賞[13]。
- 文芸部
- 2003年8月 - 第28回全国高等学校総合文化祭(徳島)、文芸部門 文化連盟賞。
- 美術部、演劇部、文芸部、写真部、茶・華道部、囲碁・将棋部
躍進探究部(スーパーサイエンスハイスクール事業)
[編集]- 2013年8月 - 平成25年度スーパーサイエンスハイスクール生徒研究発表会(パシフィコ横浜)で報告。タイトルは、「電子レンジ加熱によるサツマイモの糖度増加について」。
- 2015年
- 8月 - 平成27年度スーパーサイエンスハイスクール生徒研究発表会(文部科学省および国立研究開発法人科学技術振興機構主催)で、審査委員長賞(全国第2位)を受賞。発表タイトルは、「マタタビの白化現象の謎にせまる」 。
- 9月 - 2015年度精密工学会秋季大会秋季大会学術講演会学生ポスターセッションで報告。報告タイトルは、「気温と管楽器の音程の関係」(最優秀賞)、「インスタント石鹸〜油脂の簡単けん化〜」(優秀賞)。
- 9月 - 日本植物学会第79回大会の高校生ポスターセッションで報告。報告タイトルは、「マタタビの白化現象の謎にせまる」。
- 10月 - 第7回坊ちゃん科学賞研究論文コンテスト(高校部門)(東京理科大学・東京理科大学理窓会共催)で最優秀賞を受賞。発表タイトルは、「マタタビの白化現象の謎にせまる」 。
- 12月 - 第59回日本学生科学賞(読売新聞社主催)で、読売新聞社賞を受賞。発表タイトルは、「マタタビの白化現象の謎にせまる」 。
- 2016年5月 - Intel International Science and Engineering Fair 2016(インテル国際学生科学技術フェア)(米国アリゾナ州フェニックス)で報告。報告タイトルは、Structure and function of the white leaves of the silvervine (Actinidia polygama)(マタタビの白化現象の謎にせまる)。
- 2017年
- 8月 - 平成29年度スーパーサイエンスハイスクール生徒研究発表会(文部科学省および国立研究開発法人科学技術振興機構主催)で、奨励賞を受賞。発表タイトルは、「結晶はどのように修復されるのか」 。
- 10月 - 第9回坊ちゃん科学賞研究論文コンテスト(高校部門)(東京理科大学・東京理科大学理窓会共催)で優秀賞を受賞。発表タイトルは、「オジギソウの葉の開閉調節のしくみについて」 。
- 2018年
- 7月 - 青少年科学技術会議(バンコク)へ参加。報告タイトルは、「How is the crystal repaired」。
- 8月 - 平成30年度スーパーサイエンスハイスクール生徒研究発表会(文部科学省、国立研究開発法人科学技術振興機構主催)で奨励賞を受賞。発表タイトルは、「八面体食塩~生成の条件と機構について~」。
- 12月 - 第16回高校生科学技術チャレンジで優秀賞を受賞。「秋田平野のため池における水生植物の生態と保全に関する研究」。
- 2019年
- 3月 - 日本生態学会第66回全国大会で研究報告。報告タイトルは、「ため池における水生植物群落の保全と復元について(Conservation and restoration of aquatic macropyte communities in the ponds)」。優秀賞(高校生ポスター賞)を受賞。
- 6月 - 第21回日本水大賞(2019日本ストックホルム青少年水大賞)(日本水大賞委員会、国土交通省主催)で日本SJWP審査部会特別賞を受賞。発表タイトルは、「秋田平野のため池における水生植物の生態と保全に関する研究」。
- 2020年3月 - 第131回日本森林学会大会(名古屋大学)でポスター投稿し、優秀賞を受賞した。タイトルは「要注意外来生物ハリエンジュの燃料化への取り組み」[14]。
高校関係者と組織
[編集]高校関係者組織
[編集]同窓会は一交会とよばれ、多数の会員を有している。その他に、東京一交会が組織されている。
歴代校長
[編集]土崎港町立実科高等女学校、秋田県土崎高等女学校、秋田市土崎高等女学校、秋田市立高等女学校
[編集]- 1920年9月15日 - 1920年11月30日:出藤吉
- 1920年12月1日 - 1922年3月14日:白坂高重
- 1922年3月15日 - 1925年3月31日:白坂高重
- 1925年5月15日 - 1927年3月25日:出藤吉
- 1927年3月31日 - 1930年2月25日:桧山畏三郎
- 1930年3月31日 - 1931年3月31日:君田貞二
- 1931年4月1日 - 1937年3月31日:沢清五郎
- 1937年4月1日 - 1938年3月28日:伊藤孝一
- 1938年3月29日 - 1941年10月10日:伊藤孝一
- 1941年10月11日 - 1941年12月5日:高橋四郎
- 1941年12月6日 - 1945年11月29日:戸沢佐明
- 1945年11月30日 - 1947年5月31日:末野忠道
- 1947年6月1日 - 1947年7月3日:木村二郎
- 1947年7月4日 - 1948年3月31日:佐々木高一
秋田市立中学校(旧制中学校)
[編集]- 1942年3月18日 - 1942年10月19日:金丸欽也
- 1942年10月20日 - 1945年11月29日:大高常彦
- 1945年11月30日 - 1948年4月1日:久司慶三
秋田市立高等学校、秋田中央高等学校
[編集]- 1948年4月 - 1951年3月:久司慶三(秋田市立高等学校)
- 1951年4月 - 1951年5月:渡部清
- 1951年5月 - 1962年9月:苅田文雄
- 1962年10月 - 1962年10月:竹内栄治郎
- 1962年11月 - 1965年3月:武田幾之助
- 1965年4月 - 1973年3月:青柳吉隆
- 1973年4月 - 1974年3月:中山健
- 1974年4月 - 1976年3月:深井博之
- 1976年4月 - 1981年3月:坂田良一
- 1981年4月 - 1982年3月:三浦智孝
- 1982年4月 - 1985年3月:三浦智孝(秋田中央高等学校)
- 1985年4月 - 1988年3月:小盤巌
- 1988年4月 - 1990年3月:佐藤暹
- 1990年4月 - 1992年3月:高橋彰三郎
- 1992年4月 - 1994年3月:高橋實
- 1994年4月 - 1996年3月:須釜宣夫
- 1996年4月 - 1999年3月:佐藤弘二
- 1999年4月 - 2001年3月:佐々木久吾
- 2001年4月 - 2004年3月:石山洋三
- 2004年4月 - 2006年3月:細谷義次
- 2005年4月 - 2008年3月:武藤憲一
- 2008年4月 - 2010年3月:小杉和夫
- 2010年4月 - 2012年3月:保坂憲一郎
- 2012年3月 - 2014年3月:宮崎悟
- 2014年4月 - 2016年3月:小野巧
- 2016年4月 - 2018年3月:渡部克宏
- 2018年4月 - 2020年3月:和田央
- 2020年4月 - 2023年3月:尾形徳昭
- 2023年4月 - 現在:水谷 佳延[15]
著名な卒業生
[編集]政界・官界
[編集]学会・研究
[編集]- 遠藤章(農芸化学者、東京農工大学名誉教授)
- 工藤恒夫(経済学者、中央大学名誉教授)
- 佐藤哲男(薬学者、千葉大学名誉教授、日本毒性学会に「佐藤哲男記念賞」創設)
- 進藤英幸(中国文学学者)
- 前野ウルド浩太郎(昆虫学者、通称「バッタ博士」)
- 成田裕一(工学者、秋田大学名誉教授)
文化・芸能
[編集]- シャバ駄馬男(ローカルタレント)
- 順弘子(純弘子)(歌手)
- 中村征夫(写真家)
- 中村靖之介(歌舞伎役者、俳優、前進座座友)
- 山平和彦(シンガーソングライター)
- 丹後谷愛(フリーアナウンサー)
- 宮野恭輔(ピアニスト)
- 中嶋尚也(トランペット奏者)
スポーツ
[編集]- 阿部雅龍(冒険家。2019年にメスナールートで日本人初の南極点へ単独徒歩で到達)
- 内田亜希子(元競艇選手)
- 鎌田俊明(元陸上長距離選手、モントリオール五輪代表)
- 佐藤平(元ラグビー選手、ラグビー日本代表歴代キャップ保持者(キャップ数:3))
- 佐藤秀明(元プロ野球選手)
- 佐藤勇人(ラグビー選手。清水建設江東ブルーシャークス所属)
- 笹原友希(スケルトン選手、日本代表)
- 高橋千秋(元アマチュア野球選手)
- 三浦駿平(ラグビー選手、静岡ブルーレヴズ所属)
- 三浦正行(元プロ野球選手・コーチ)
- 山内貴之(元ラグビー選手、7人制日本代表主将)
- 鷲谷亘(元プロ野球審判員)
脚注
[編集]- ^ 第七次秋田県高等学校総合整備計画(秋田県教育委員会、2016年3月)
- ^ 文部科学省「文部科学省告示第148号」『官報』第4549号(1942年3月11日)304頁。
- ^ a b 秋田市史編集委員会編. 1967.『秋田市史昭和編』67頁
- ^ https://www.mext.go.jp/content/20230309-mxt_kyoiku01-000028086_1.pdf
- ^ https://www.nikkansports.com/sports/news/202312220001471.html
- ^ 全放連事務局. 1993.「全放連ニュース 第40回NHK杯全国高校コンテスト 文部大臣奨励賞に青森高校など」『放送教育」48(6)(通巻543号)、79頁
- ^ 高校放送コンテスト事務局. 1999.「第46回NHK杯全国高校放送コンテスト決勝大会結果報告」『放送教育』54(6)(通巻617号)、70頁
- ^ http://www.nipponkousuiren.com/yokohama%20kekka.html#14kai
- ^ http://www.nipponkousuiren.com/yokohama%20kekka.html#15kai
- ^ http://www.nipponkousuiren.com/yokohama%20kekka.html#16kai
- ^ http://www.nipponkousuiren.com/yokohama%20kekka.html#17kai
- ^ http://www.nipponkousuiren.com/yokohama%20kekka.html#18kai
- ^ http://www.nipponkousuiren.com/yokohama%20kekka.html#19kai
- ^ 第131回日本森林学会大会運営委員会.2020.「第131回日本森林学会学術講演集」p.306.
- ^ https://akitachuo-h.jp/principal/