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佐藤秀明 (野球)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
佐藤 秀明
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 秋田県秋田市
生年月日 1960年5月23日
没年月日 (2007-03-17) 2007年3月17日(46歳没)
身長
体重
176 cm
73 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1984年 ドラフト2位
初出場 1985年5月26日
最終出場 1991年9月29日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

佐藤 秀明(さとう ひであき、1960年5月23日 - 2007年3月17日)は、秋田県秋田市土崎港出身のプロ野球選手投手)。

来歴・人物

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秋田市立港北小学校秋田市立土崎中学校[1]。秋田市立高等学校(現:秋田県立秋田中央高等学校)から東洋大学へ進学。東都大学リーグでは、最上級生となった1982年春季リーグで、1年下のエース仁村徹とともに投手陣を支え優勝を果たす。同年の全日本大学野球選手権大会では、決勝で法政大学に敗れ準優勝。リーグ通算30試合に登板し5勝3敗。大学同期に後に阪神でもチームメイトとなる外野手大野久がいた。

卒業後は社会人野球日立製作所に進む。

1983年都市対抗野球富士重工業の補強選手として出場[2]

1984年都市対抗野球では日立のエースとして活躍、2回戦で熊谷組に敗退[2]したが各球団の注目を浴びた。

1984年のプロ野球ドラフト会議阪神タイガースから2位指名を受け入団[3]

1985年から左の中継ぎとして起用され37試合に登板、リーグ優勝に地味ながら貢献した。西武との日本シリーズにも2試合に登板している。

1986年もショートリリーフを中心に活躍する。

1987年からは登板機会が激減。

1988年オフに福家雅明と共に、住友一哉南秀憲とのトレードで近鉄バファローズに移籍[3]

1989年は中継ぎ、抑えに活躍し7勝4セーブ、救援投手陣の一角としてリーグ優勝を果たす。巨人との日本シリーズでは2試合に登板、第2戦では勝利投手になる。

1992年には登板がなく、同年限りで現役引退した [3]

引退後は球界には残らず阪神甲子園球場至近で焼肉店を開業・運営[3]していたが、2007年3月17日、脳内出血のため西宮市内の病院で46歳で死去。

詳細情報

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年度別投手成績

[編集]




















































W
H
I
P
1985 阪神 37 0 0 0 0 0 2 0 -- .000 144 35.1 33 3 6 0 2 17 1 0 13 13 3.31 1.10
1986 46 0 0 0 0 2 1 1 -- .667 259 58.2 71 4 10 1 1 23 0 0 32 29 4.45 1.38
1987 3 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 17 2.2 8 1 0 0 0 0 0 0 5 4 13.5 3.00
1988 4 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 6 0.2 3 0 1 0 0 1 0 0 1 1 13.50 6.00
1989 近鉄 47 0 0 0 0 7 3 4 -- .700 339 81.2 89 4 20 2 2 34 0 0 38 33 3.64 1.33
1990 29 0 0 0 0 0 4 1 -- .000 165 36.2 44 8 11 2 0 17 0 0 27 19 4.66 1.50
1991 27 1 0 0 0 1 1 0 -- .500 164 40.0 41 5 7 0 0 21 2 0 19 19 4.28 1.20
通算:7年 193 1 0 0 0 10 11 6 -- .476 1094 255.2 289 25 55 5 5 113 3 0 135 118 4.15 1.35

記録

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背番号

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  • 24 (1985年 - 1988年)
  • 22 (1989年 - 1992年)

脚注

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  1. ^ http://www16.plala.or.jp/OTOKO_AND_RUN/pro-player.html
  2. ^ a b 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年
  3. ^ a b c d プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、254ページ

関連項目

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外部リンク

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