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知ってるつもり?!

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
知ってるつもり?!
Do You Really Know About It ?!
番組の収録が行われた生田スタジオ
ジャンル 教養番組 / ドキュメンタリー番組
構成 武田隆、平松邦宏
豊村剛内田裕士
雫弘幸、わぐりたかし
冨永一郎、菊原共基
新田英生、佐々木守
演出 矢野義幸、藤井信一
浅岡弘行、鷹羽邦彦
吉原利一、江藤正行
松下元、宮井良則
湯浅健司、前田展宏 他
出演者 関口宏
高木希世子
千野志麻
水野真紀 ほか
オープニング 「ビスマルク出動」(戸塚修
エンディング 当該節参照
製作
チーフ・プロデューサー 高橋靖二、重松修
室川治久吉川圭三
プロデューサー 小山正、小山啓
大澤弘子、大野彰作 他
制作 三桂IVSテレビ制作
TVSTATION、TVBOX
(全て制作協力)
製作 日本テレビ (製作著作)
放送
音声形式モノラル放送
放送国・地域日本の旗 日本
放送期間1989年10月8日 - 2002年3月24日
放送時間日曜 21:00 - 21:54
放送分54分
回数584[1]
公式サイト
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知ってるつもり?!』(しってるつもり)は、1989年10月8日から2002年3月24日まで日本テレビ系列局で毎週日曜21:00 - 21:54(JST)に放送されていた人物系ドキュメンタリー教養番組である。1996年から2000年9月まではCS★日テレでも放送されていた[注 1]

概要

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毎回歴史上の人物を取り上げて紹介していた。大半がその人物の生涯を振り返るものであったが、中には番組放送当時にも現役で活躍している人物を取り上げることもあった。杉原千畝マルセル・ジュノー中村久子など、当時は一般にはあまり知られていなかった人物の功績や活躍を取り上げることもあった。取り上げる内容については、一般的に認知されている事柄以外の意外な一面をクローズアップするようにしており、意外性の少ない人物については強引な構成となることがあるほど、ありきたりの伝記番組には収まらないように工夫されていた。

流れとしては、司会の関口宏が番組の要所や終わりに、「さっ、(ここまで)いかがでしたか?」とパネリスト1人ひとりに感想を求め、最後にエンディングテーマ曲とともに関口が箴言調のまとめ文を朗読して番組を終えるというパターンが多かった。

関口は「業績よりその人の思いを引き出したい」としていた[2]

タイトルの「?!」は、通常の「!?」とは逆の表記になっている。これは「聞いて、驚く」という順序を表している[3]。またごく初期のころはエンターテインメント型情報番組という位置づけで、「巨泉のこんなモノいらない!?」から引き続いて「"THAT'S INFOR-TAINMENT" (ザッツ・インフォーテインメント)」のサブタイトルを冠としていた。

番組の歴史

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番組開始前、司会の関口宏が高橋進(当時プロデューサー、後に読売テレビ専務)らとともに、「先人たちの生き方の中にわれわれ現代人が生きるヒントを得られるような番組はできないものか」と企画。数か月に及ぶ準備期間を経て、日曜午後9時枠での1時間番組という条件で編成に持ち込み、番組開始が決定された。放送第1回目で取り上げた人物は平賀源内であった。

この番組は『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』に続く「日本テレビクイズプロジェクト」第2弾の番組と位置付けられており、1992年ごろまではクイズ番組的な要素も含んでいた。しかし、そのクイズは2択が主で非常に簡素なもので出題も1問のみ、正答者に対しても賞品や賞金などは出ず、番組のメイン要素ではなかった。これはプロデューサーが、地味な伝記番組では企画が通らないだろうと、クイズ番組と偽って企画書を出したためである。

当初の視聴率は1桁台で、萩原敏雄(当時の日本テレビ編成部長、後に同局社長)は、「日曜のゴールデンタイムでこんな地味な番組が視聴率を取れるわけがない、と思った」と述べている[4]。しかし、その後はじわじわと数字を上げていき、放送1周年を迎える頃には20%を突破した。そして、日本テレビが10年連続年間視聴率四冠王を獲得する「黄金の90年代」を代表する番組へと成長していった。最高視聴率は、1993年10月10日放送分の「J・F・K伝説」(2時間スペシャル)で26.1%[1]ビデオリサーチ調べ、関東地区)。

1991年、関口と番組スタッフがハワイアンバンド「知ってるアイランダーズ」を結成した、関口はウクレレ担当でボーカルはアシスタントの高木、主題歌を歌う平井、妻の西田[5]。 同年12月放送100回を記録[5]

番組開始から1998年ごろまでは、日本テレビスタジオ(主にドラマ収録を行う生田スタジオ)での公開収録の形式であった。しかし、水野真紀が3代目アシスタントになった1999年ごろからはスタジオ収録が減り、ロケーション場所での収録(観客非公開)が多くなっていった。

1999年、放送十周年を迎え関口と水野が記者会見を行った、関口は「人間の最も根となったものを伝えられれば」と抱負を語った[6]。 同年12月5日放送回時点で456回を数えた[6]

伝記VTRも、初期には死への過程までが再現で生々しく紹介されていた。

番組の終焉とその後

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末期は徐々に視聴率が低下しながらも、21世紀に入ってからも12%前後の水準を維持していた。しかし2002年3月24日放送をもって12年半・全584回[1]の歴史に幕を下ろした。 最終回直前まで2003年3月2日から23日まで午前10時30分から「知ってるつもり?!伝説」と題し、傑作選を放送して関口と振り返る番組を放送していた[7] 2002年から最終回直前までの視聴率は12.4%だった[1]。 社長の萩原敏雄は「続けても十分大丈夫」としたが関口は「ソツ啄同時」とした[1]

3月17日から二回にわたって行われた最終回スペシャル[1]では、世界の思想・良心に影響を与える釈迦イエス・キリスト(番組開始1年ころから関口が「終わるなら、これで」とスタッフと話し合っていた[1])の2聖人を1時間半にわたって取り上げ、最後に「感動のグランドフィナーレ」という字幕スーパーが表示され、関口への花束贈呈の様子を映して番組を終了した。

同年4月からは、後継番組としてそれまで不定期に放送されていた『絶対に訴えてやるぞ!!芸能人vs弁護士軍団・大爆笑!法律バトル』をレギュラー化させた『行列のできる法律相談所』(2021年10月から『行列のできる相談所』に改題)を開始した。なお、行列になってからはパネリストである加山雄三や堺正章は複数回ゲスト出演しているが司会の関口は一度も出演経験がない。

2023年11月現在、BS12トゥエルビで『知ってつもり!? [注 2]』という番組が放送されているが、直接的な関連は無い。

出演者

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司会

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アシスタント

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パネリスト(主にレギュラー扱い)

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スタッフ

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  • 構成:武田隆、平松邦宏、豊村剛内田裕士、雫弘幸、冨永一郎、菊原共基、新田英生、佐々木守わぐりたかし
  • 歴代演出:矢野義幸、藤井信一、浅岡弘行、鷹羽邦彦、李憲彦、吉原利一、江藤正行、松下元、宮井良則、湯浅健司、前田展宏他
  • 歴代プロデューサー:小山正、小山啓、大澤弘子、大野彰作、森清和夫
  • 歴代チーフプロデューサー:高橋靖二、重松修、大井紀子、室川治久吉川圭三
  • 制作協力:IVSテレビ制作、エムロックス、テレビキッズオフィス、TVSTATION、TVBOX、マックスコム、東京映画新社、ネバーランド、バサラ、三桂
  • 製作著作:日本テレビ

テーマ曲

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オープニングテーマ

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歴代エンディングテーマ

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放送一覧・視聴率

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視聴率ベスト10

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※『テレビ夢50年』番組編・5 1989 - 1995(日本テレビ50年史編集室 編)p.54 より出典。

順位 放送日 タイトル 視聴率
第1位 1993年10月10日 ジョン・F・ケネディ伝説 (2時間SP) 26.1%
第2位 1991年10月13日 女帝伝説 (90分SP) 24.6%
第3位 1993年5月23日 織田信長 24.1%
第4位 1994年12月25日 大富豪伝説 (2時間SP) 23.3%
第5位 1999年6月13日 小野田寛郎と猛烈母30年戦争 23.2%
第6位 1993年5月16日 芥川龍之介 23.1%
第7位 1995年5月21日 北条政子 23.0%
1997年3月23日 激動世紀末!!大予言者伝説 (2時間スペシャル)
第9位 1991年4月7日 独裁者伝説 (90分SP) 22.8%
1993年11月14日 春日局
1996年2月25日 カレン・カーペンター

ネット局

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系列はネット終了時(2002年3月)のもの(それ以前に放送が打ち切られた場合は打ち切り時点の系列のもの)。

放送対象地域 放送局 系列 備考
関東広域圏 日本テレビ 日本テレビ系列 制作局
北海道 札幌テレビ
青森県 青森放送
岩手県 テレビ岩手
宮城県 ミヤギテレビ
秋田県 秋田放送
山形県 山形テレビ フジテレビ系列[注 4] 1993年3月21日まで[12][注 5]
山形放送 日本テレビ系列 1993年4月4日から[13][注 6]
福島県 福島中央テレビ
山梨県 山梨放送
新潟県 テレビ新潟
長野県 テレビ信州 [注 7]
静岡県 静岡第一テレビ
富山県 北日本放送
石川県 テレビ金沢 1990年4月開局から
福井県 福井放送 日本テレビ系列
テレビ朝日系列
中京広域圏 中京テレビ 日本テレビ系列
近畿広域圏 読売テレビ
鳥取県
島根県
日本海テレビ [注 8]
広島県 広島テレビ
山口県 山口放送
徳島県 四国放送
香川県
岡山県
西日本放送
愛媛県 南海放送
高知県 高知放送
福岡県 福岡放送
長崎県 テレビ長崎 フジテレビ系列 1990年9月打ち切り
長崎国際テレビ 日本テレビ系列 1991年4月開局から
熊本県 くまもと県民テレビ
大分県 テレビ大分 日本テレビ系列
フジテレビ系列
宮崎県 テレビ宮崎 フジテレビ系列
日本テレビ系列
テレビ朝日系列
[注 9]
鹿児島県 南日本放送 TBS系列 1992年3月打ち切り[注 10]
鹿児島読売テレビ 日本テレビ系列 1994年4月開局から
沖縄県 琉球放送 TBS系列 1993年4月から[注 11]

本番組のパロディ

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脚注

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注釈

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  1. ^ ただし権利関係の問題で、回によっては別の番組に差し替えられることもあった。
  2. ^ こちらの番組は「?!」ではなく、通常の「!?」である。
  3. ^ 水戸光圀の回にパネリストとして番組に出演していた。
  4. ^ なお、1993年4月1日以降はテレビ朝日系列局。
  5. ^ 日曜21時台は、本来の系列局であるフジテレビ系列局同様、『花王名人劇場』→『花王ファミリースペシャル』(関西テレビ東阪企画制作)を同時ネットしていたため、90分遅れの22:30 - 23:24に時差ネットで放送。
  6. ^ 1993年3月までは『日曜洋画劇場』(テレビ朝日)を同時ネットしていたが、テレビ朝日系列とのクロスネット解消により、山形テレビと番組枠を交換した。これにより、同局では1981年9月終了の時代劇ドラマ『桃太郎侍』以来、11年半ぶりに日本テレビ系日曜21時台の番組の同時ネットが再開された。
  7. ^ ネット開始は1990年1月7日から。テレ朝系とクロスネット期間中の1991年3月24日までは時差ネット。ANNを離脱し、NNSに加盟した同年4月7日からは同時ネット(1990年1月7日、1991年3月24日、4月7日付信濃毎日新聞テレビ欄より)
  8. ^ それ以前はテレビ朝日系の『日曜洋画劇場』を同時ネットしていたが、本番組から日本テレビ系日曜21時台の番組の同時ネットを開始した。
  9. ^ NNSには非加盟。
  10. ^ ネット期間中は不定期放送(休止期間あり)。
  11. ^ 1993年3月までは沖縄テレビ(フジテレビ系列)が不定期放送していた。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h 読売新聞2003年3月13日夕刊12面
  2. ^ 読売新聞1996年9月6日夕刊7面「TV人間発見」
  3. ^ 知ってるつもり?!、3月末で終了 先人の生き方探って584回 関口宏に聞く - 読売新聞 東京本社版夕刊 2002年3月13日
  4. ^ 【TVレシピ】日テレ系「知ってるつもり?!」12年半のエピソード - 産経新聞 2002年1月13日
  5. ^ a b 読売新聞1991年11月9日夕刊2面
  6. ^ a b 読売新聞1999年12月6日夕刊9面「「知ってるつもり!?」が10周年」
  7. ^ 読売新聞2002年3月1日夕刊10面
  8. ^ a b 読売新聞1992年7月20日夕刊13面「スタジオ発」
  9. ^ 読売新聞1990年8月3日夕刊7面
  10. ^ 野村宏平、冬門稔弐「10月21日」『ゴジラ365日』洋泉社映画秘宝COLLECTION〉、2016年11月23日、298頁。ISBN 978-4-8003-1074-3 
  11. ^ https://web.archive.org/web/20210707162338/https://www.keishicho.metro.tokyo.jp/jiken_jiko/ichiran/ichiran_10/hachioji.files/tv_pdf.pdf
  12. ^ 山形新聞縮刷版平成5年3月号』、554頁(山形新聞社)。及び『山形新聞』1993年3月21日、朝刊8面。
  13. ^ 山形新聞縮刷版平成5年4月号』、98頁(山形新聞社)。及び『山形新聞』1993年4月4日、朝刊18面。

外部リンク

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日本テレビ系列 日曜 21:00 - 21:54枠
前番組 番組名 次番組
知ってるつもり?!