岩内克己
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いわうち かつき 岩内克己 | |
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生年月日 | 1925年8月15日 |
没年月日 | 2022年6月18日(96歳没) |
出生地 | オランダ領東インド バタヴィア(現・ジャカルタ) |
職業 | 映画監督 |
岩内 克己(いわうち かつき、1925年8月15日 - 2022年6月18日[1])は、日本の映画監督。若大将シリーズを多く監督した。
来歴・人物
[編集]オランダ領東インド・バタヴィア(現・ジャカルタ)に生まれる[2]。明治大学を中退し、鎌倉アカデミアを卒業。東京都立八潮高等学校の教員を経て、1953年に東宝入社。筧正典、鈴木英夫、松林宗恵らの助監督を経て、1963年1月29日公開作品『六本木の夜・愛して愛して』で監督に昇進する。
1965年、藤本真澄プロデューサーから『エレキの若大将』の監督を命じられる。サスペンス作品の監督を志向していた岩内は、音楽シーンもあるこの作品に戸惑い、辞退を申し入れたが一蹴されたという。しかし、エレキ合戦を含めた音楽シーンを上手く処理し、加山雄三と星由里子のデュエットによる「君といつまでも」が挿入されたこの作品は、大ヒットを記録した。以後、岩内は若大将シリーズのメイン監督となる。
1960年代後半には、坪島孝、田波靖男、小川英らと「ジャック・プロダクション」を創設。テレビドラマやCMの監督の傍ら、イベントのプロデュースなども手掛けた。
2022年6月18日午後0時52分、虚血性心筋症による心不全のため死去[3][4]、96歳没。
監督作品
[編集]映画
[編集]- 六本木の夜 愛して愛して(1963年)
- 林檎の花咲く町(1963年)
- 恐怖の時間(1964年)
- エレキの若大将(1965年)
- パンチ野郎(1966年)
- レッツゴー!若大将(1967年)
- ゴー!ゴー!若大将(1967年)
- リオの若大将(1968年)
- 砂の香り(1968年)
- ザ・タイガース ハーイ!ロンドン(1969年)
- ブラボー!若大将(1970年)
- 喜劇 ドッキリ大逃走(1970年)
- 若大将対青大将(1971年)
- グアム島珍道中(1973年)
テレビドラマ
[編集]- 太陽のあいつ(1967年、東京放送)
- おきあがりこぼし(1970年、日本テレビ)
- 若草物語(1973年、フジテレビ)
- 高校教師(1974年、東京12チャンネル)
- 白い恐怖(1975年、フジテレビ)
- 染彩の女(1975年、東海テレビ)
テレビ番組
[編集]脚注
[編集]- ^ “映画監督の岩内克己氏死去 「エレキの若大将」”. 産経ニュース. 2022年6月21日閲覧。
- ^ 岩内克己 日本映画監督協会 2018年8月28日閲覧。
- ^ “映画監督の岩内克己さん死去:時事ドットコム”. www.jiji.com. 2022年6月21日閲覧。
- ^ “岩内克己氏死去 映画監督(共同通信)|熊本日日新聞社”. 熊本日日新聞社. 2022年6月21日閲覧。