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* 関西人 in Tokyo (2007年6月26日。自主制作)
* 関西人 in Tokyo (2007年6月26日。自主制作)
*:[[スティング (ミュージシャン)|スティング]]の『[[ナッシング・ライク・ザ・サン#収録曲目|Englishman In New York]]』のカヴァーであり、曲中で『[[吉本新喜劇#オープニング曲|Somebody Stole My Gal]]』([[吉本新喜劇]]のテーマ)、『[[京橋グランシャトービル#テレビCM|京橋グランシャトーCMソング]]』、『[[かに道楽#コマーシャルソング|かに道楽]]』のメロディを引用している<ref name=kansai>シングル「関西人 in Tokyo」付属ブックレットより。</ref>。
*:[[スティング (ミュージシャン)|スティング]]の『[[ナッシング・ライク・ザ・サン#収録曲目|Englishman In New York]]』のカヴァーであり、曲中で『[[吉本新喜劇#オープニング曲|Somebody Stole My Gal]]』([[吉本新喜劇]]のテーマ)、『[[京橋グランシャトービル#テレビCM|京橋グランシャトーCMソング]]』、『[[かに道楽#コマーシャルソング|かに道楽]]』のメロディを引用している<ref name=kansai>シングル「関西人 in Tokyo」付属ブックレットより。</ref>。
*:原曲の歌詞はニューヨーク在住イギリス人の悲哀を歌っているが、『関西人 in Tokyo』ではそれを東京在住関西人の悲哀に置き換えている<ref>[http://web.archive.org/web/20080328084722/http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2007/06/25/01.html スティングの名曲 関西弁でカバー]、[[スポーツニッポン]]、2007年06月25日付。([[インターネットアーカイブ]]のキャッシュ)</ref>。
*:原曲の歌詞はニューヨーク在住イギリス人の悲哀を歌っているが、『関西人 in Tokyo』ではそれを東京在住関西人の悲哀に置き換えている<ref>[http://web.archive.org/web/20080328084722/http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2007/06/25/01.html スティングの名曲 関西弁でカバー]、[[スポーツニッポン]]、2007年06月25日付。([[インターネットアーカイブ]]のキャッシュ)</ref>。
*:『Englishman In New York』の日本語によるカバーは初である。種浦はスティング側と粘り強く交渉し、許諾をとった<ref>{{cite web|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000032459|title=種浦マサオ、スティングの名曲を関西弁で笑撃カヴァー!|date=2007-06-25|accessdate=2016-9-17}}</ref>。
*:『Englishman In New York』の日本語によるカバーは初である。種浦はスティング側と粘り強く交渉し、許諾をとった<ref>{{cite web|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000032459|title=種浦マサオ、スティングの名曲を関西弁で笑撃カヴァー!|date=2007-06-25|accessdate=2016-9-17}}</ref>。
*:歌詞に「[[奈良県|奈良]]生まれ」というフレーズがあるが、前述のとおり種浦自身は兵庫生まれ(プロデュース・バックコーラス・アレンジャーを担当した[[秋田慎治]]が奈良生まれ)<ref name=kansai />。
*:歌詞に「[[奈良県|奈良]]生まれ」というフレーズがあるが、前述のとおり種浦自身は兵庫生まれ(プロデュース・バックコーラス・アレンジャーを担当した[[秋田慎治]]が奈良生まれ)<ref name=kansai />。

2017年9月4日 (月) 22:47時点における版

種浦 マサオ(たねうら マサオ、本名:種浦 勝夫、1968年5月2日 - )は、兵庫県姫路市出身のシンガーソングライターである。血液型O型、身長:169cm、体重:60kg。ニックネームは「ターネー」。初期の素人時代は「ヨーグリー種浦」や「ターネー種浦」と名乗っていた。

来歴

  • 姫路市立津田小学校姫路市立飾磨西中学校兵庫県立姫路南高等学校関西外国語大学外国語学部英語学科卒業。
  • 姉の持っていた少女マンガ『夏祭りの終わりに』に触発され、中学2年の時に初めて自作曲「さくらんぼ」を作る。
  • 1994年、「音船楽団」というバンドを組み、自主制作のアルバム『こんにちは』でインディーズデビュー。
  • 同年、MBSヤングタウンの企画で、ベイブルースの出したCD『夫婦きどり』の作曲を手がける。この曲は元々THE 虎舞竜の「ロード」を真似て第数十章まで作る予定だったが、ベイブルースの河本栄得が亡くなった為に遺作となってしまい、死後に「夫婦きどり 〜最後〜」と言う曲が1曲作られたのみで終わった。
  • 1995年8月19日、フォーライフレコードより「チャイニーズレストランへ行こう!」という曲でメジャーデビュー。
  • 同じフォーライフレコードに所属する昭和43年生まれの者同士で、「43年天才会」というサークルを結成。メンバーには浅田祐介らが居た。
  • フォーライフレコードではシングルを1枚しか出す事が出来ず、再びインディーズ活動に戻り、1997年6月8日に自主制作アルバム『高2・共学・2学期』発売。
  • 1999年、自主制作シングル『夕暮れ』、ビデオクリップ『Ver.3.1』の発売を皮切りに、自主制作でのCDリリースを開始。 また、2001年には音楽の自動販売機「MUSIC DELI」での配信も行った。
  • 2006年4月より、音楽仲間と共にショットバーの経営を開始。
  • 2010年7月17日、元「大阪パフォーマンスドール」のメンバー・ayanoと結婚。

人物

  • 吉本興業の芸人ぜんじろうとは姫路南高校時代からの先輩後輩の仲で、かつては『ぜろ』や『ぜんタネ』というレギュラーテレビ番組も一緒に持っていた。
  • CDセールスに恵まれないのか、自虐ネタ・鬱ネタが目立つ。

ディスコグラフィ

シングル

  • チャイニーズレストランへ行こう! (1995年8月19日。フォーライフレコード)
  • 夕暮れ VOL.I / VOL.II (1999年10月10日。自主制作)
  • ちょっとだけ (2000年4月4日。自主制作)
  • 花火 (2000年8月10日。自主制作)
  • 初雪 (2000年11月25日。自主制作)
  • あんな、 (2001年7月20日。自主制作)
  • WAR/KS (2002年7月28日。LIVE会場限定発売。直筆シリアルナンバー&メッセージ入り。自主制作)
  • 関西人 in Tokyo (2007年6月26日。自主制作)
    スティングの『Englishman In New York』のカヴァーであり、曲中で『Somebody Stole My Gal』(吉本新喜劇のテーマ)、『京橋グランシャトーCMソング』、『かに道楽』のメロディを引用している[1]
    原曲の歌詞はニューヨーク在住イギリス人の悲哀を歌っているが、『関西人 in Tokyo』ではそれを東京在住関西人の悲哀に置き換えている[2]
    『Englishman In New York』の日本語によるカバーは初である。種浦はスティング側と粘り強く交渉し、許諾をとった[3]
    歌詞に「奈良生まれ」というフレーズがあるが、前述のとおり種浦自身は兵庫生まれ(プロデュース・バックコーラス・アレンジャーを担当した秋田慎治が奈良生まれ)[1]

アルバム

  • こんにちは (「音船楽団」名義。1994年6月。自主制作)
  • 高2・共学・2学期 (1997年6月8日。自主制作)
  • pre-pro (1999年6月。自主制作)
  • SONGURA TANEURA (2000年12月10日。自主制作)
  • petit best (2001年12月4日。自主制作)
  • らくがき (2003年3月1日。自主制作)
  • Collabo-RHYTHM (2004年6月26日。自主制作)
  • みちしるべ (2006年8月12日。自主制作)
  • ぴあのだけ (2008年12月26日。自主制作)

その他のCD

  • not for listening but for laughing
    (2003年12月。同年のLIVEツアー『凛』でのMCを収録したトークCD。自主制作)

MUSIC DELI配信曲

  • 二人乗り LIVE@BIG CAT (2001年11月1日エントリー)
  • 天王寺の唄 DELI VERSION (2001年11月15日エントリー)
  • ステキナコウカイ DELI VERSION (2001年12月1日エントリー)

ビデオ

  • アジアの路で歌ってみました (1999年6月。自主制作)
  • Ver.3.1 (1999年12月24日。自主制作)

出演

テレビ

ラジオ

脚注

  1. ^ a b シングル「関西人 in Tokyo」付属ブックレットより。
  2. ^ スティングの名曲 関西弁でカバースポーツニッポン、2007年06月25日付。(インターネットアーカイブのキャッシュ)
  3. ^ 種浦マサオ、スティングの名曲を関西弁で笑撃カヴァー!” (2007年6月25日). 2016年9月17日閲覧。

外部リンク