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元は[[岸記念体育会館]]があったところで、[[1964年]]に[[渋谷区]]に移転した跡地に建設された。真下には[[東京メトロ丸ノ内線|地下鉄丸ノ内線]]と[[東京メトロ千代田線|千代田線]]が通っており、設計・建設には細心の注意が払われた。[[1983年]]3月に竣工し、[[日立製作所]]が[[新丸ノ内ビルヂング]]から就業人員3,400人規模の本社機能を移転させた。外壁は白の[[磁器]][[タイル]]で仕上げられていた。[[防災センター]]と[[中央管理室|中央監視室]]は別々の場所に設置され、特別[[避難階段]]・屋外避難階段もそれぞれ2つずつ設けられるなど多重化施策が採られた。当初から[[光通信]]システムが採用され、[[身分証明書|IDカード]]による[[社員食堂]]の精算システムも早くから導入された。3階には[[通信衛星]]用の直径5.6[[メートル|m]]の[[パラボラアンテナ]]が設けられ、本支社間の通信に利用された<ref name="shinshiroku">{{Cite book|和書|author=森喜則、今吉賢一|year=1992|title=ビル紳士録|publisher=[[毎日新聞社]]|isbn=4-620-30885-4|pages=42-43}}</ref>。 |
元は[[岸記念体育会館]]があったところで、[[1964年]]に[[渋谷区]]に移転した跡地に建設された。真下には[[東京メトロ丸ノ内線|地下鉄丸ノ内線]]と[[東京メトロ千代田線|千代田線]]が通っており、設計・建設には細心の注意が払われた。[[1983年]]3月に竣工し、[[日立製作所]]が[[新丸ノ内ビルヂング]]から就業人員3,400人規模の本社機能を移転させた。外壁は白の[[磁器]][[タイル]]で仕上げられていた。[[防災センター]]と[[中央管理室|中央監視室]]は別々の場所に設置され、特別[[避難階段]]・屋外避難階段もそれぞれ2つずつ設けられるなど多重化施策が採られた。当初から[[光通信]]システムが採用され、[[身分証明書|IDカード]]による[[社員食堂]]の精算システムも早くから導入された。3階には[[通信衛星]]用の直径5.6[[メートル|m]]の[[パラボラアンテナ]]が設けられ、本支社間の通信に利用された<ref name="shinshiroku">{{Cite book|和書|author=森喜則、今吉賢一|year=1992|title=ビル紳士録|publisher=[[毎日新聞社]]|isbn=4-620-30885-4|pages=42-43}}</ref>。 |
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[[2003年]]に、日立製作所の財務体質改善の一環として、本建物を森トラスト総合リート投資法人に400億円で売却のうえ、賃借契約を結んで引き続き本社として使用を続けていたが、[[2006年]]に本社機能を[[丸の内オアゾ|日本生命丸の内ビル]]に移転した。日立製作所の退去に伴い、同投資法人はビルの運用方針を検討していたが、内装に[[石綿|アスベスト]]を含んだ吹き付け材が使われていたため<ref>[https://archive.is/20130501013106/http://www.nikkeibp.co.jp/archives/422/422101.html テナント転出後の日立本社ビルに売却など三つの選択肢](2013年5月1日時点の[[archive.is|アーカイブ]])、[[日経BP|日経BPnet]]、2006年2月13日</ref>、2006年5月に建替えを前提として[[森トラスト]]に420億円で譲渡され<ref>{{PDFlink|[http://www.mori-trust.co.jp/pressrelease/2007/20070524.pdf 森トラストグループ2007年3月期業績報告]}}、森トラスト、2007年5月24日</ref><ref>[http://web.archive.org/web/20111226082912/http://www.mt-reit.jp/site/file/press_060511_2.pdf 資産の譲渡(契約締結)に関するお知らせ(日立本社ビル)]、森トラスト総合リート投資法人、2006年5月11日([[インターネット |
[[2003年]]に、日立製作所の財務体質改善の一環として、本建物を森トラスト総合リート投資法人に400億円で売却のうえ、賃借契約を結んで引き続き本社として使用を続けていたが、[[2006年]]に本社機能を[[丸の内オアゾ|日本生命丸の内ビル]]に移転した。日立製作所の退去に伴い、同投資法人はビルの運用方針を検討していたが、内装に[[石綿|アスベスト]]を含んだ吹き付け材が使われていたため<ref>[https://archive.is/20130501013106/http://www.nikkeibp.co.jp/archives/422/422101.html テナント転出後の日立本社ビルに売却など三つの選択肢](2013年5月1日時点の[[archive.is|アーカイブ]])、[[日経BP|日経BPnet]]、2006年2月13日</ref>、2006年5月に建替えを前提として[[森トラスト]]に420億円で譲渡され<ref>{{PDFlink|[http://www.mori-trust.co.jp/pressrelease/2007/20070524.pdf 森トラストグループ2007年3月期業績報告]}}、森トラスト、2007年5月24日</ref><ref>[http://web.archive.org/web/20111226082912/http://www.mt-reit.jp/site/file/press_060511_2.pdf 資産の譲渡(契約締結)に関するお知らせ(日立本社ビル)]、森トラスト総合リート投資法人、2006年5月11日([[インターネットアーカイブ]]参照)</ref>、[[2010年]]に解体された。 |
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跡地には、高さ110mの[[超高層建築物|超高層ビル]]「[[御茶ノ水ソラシティ]]」が建設された<ref>[http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK1701S_X10C13A4000000/ 御茶ノ水大改造、日立本社跡地に「ソラシティ」オープン]、日本経済新聞、2013年4月20日</ref>。 |
跡地には、高さ110mの[[超高層建築物|超高層ビル]]「[[御茶ノ水ソラシティ]]」が建設された<ref>[http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK1701S_X10C13A4000000/ 御茶ノ水大改造、日立本社跡地に「ソラシティ」オープン]、日本経済新聞、2013年4月20日</ref>。 |
2017年9月5日 (火) 02:13時点における版
御茶ノ水セントラルビル | |
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御茶ノ水セントラルビル(2006年5月撮影) | |
施設情報 | |
所在地 | 東京都千代田区神田駿河台四丁目6番地 |
座標 | 北緯35度41分55.15秒 東経139度45分59.55秒 / 北緯35.6986528度 東経139.7665417度座標: 北緯35度41分55.15秒 東経139度45分59.55秒 / 北緯35.6986528度 東経139.7665417度 |
状態 | 解体済 |
竣工 | 1983年3月 |
開業 | 1983年 |
解体 | 2010年 |
用途 | オフィス(事務所・駐車場) |
地上高 | |
最頂部 | 90m |
各種諸元 | |
階数 | 地上18階、塔屋2階、地下3階[1] |
敷地面積 | 9,540.58 m² |
建築面積 | 5,750 m² |
延床面積 |
57,486.83 m² [2] ※登記簿上は57,254.61m2 |
構造形式 | 鉄骨・鉄骨鉄筋コンクリート造 |
駐車台数 | 168台 |
関連企業 | |
設計 | 松下研究室、岡田新一設計事務所、日立建設設計 |
施工 |
鹿島建設、清水建設、大成建設、 大林組、日立プラント建設 |
所有者 |
日立製作所 →森トラスト総合リート投資法人 →森トラスト |
御茶ノ水セントラルビル(おちゃのみずセントラルビル)は、かつて東京都千代田区神田駿河台にあったオフィスビル。開業当初の名称は日立本社ビルで日立製作所が本社を置いていたが、2006年に森トラストが取得した後に改名された。
概要
元は岸記念体育会館があったところで、1964年に渋谷区に移転した跡地に建設された。真下には地下鉄丸ノ内線と千代田線が通っており、設計・建設には細心の注意が払われた。1983年3月に竣工し、日立製作所が新丸ノ内ビルヂングから就業人員3,400人規模の本社機能を移転させた。外壁は白の磁器タイルで仕上げられていた。防災センターと中央監視室は別々の場所に設置され、特別避難階段・屋外避難階段もそれぞれ2つずつ設けられるなど多重化施策が採られた。当初から光通信システムが採用され、IDカードによる社員食堂の精算システムも早くから導入された。3階には通信衛星用の直径5.6mのパラボラアンテナが設けられ、本支社間の通信に利用された[2]。
2003年に、日立製作所の財務体質改善の一環として、本建物を森トラスト総合リート投資法人に400億円で売却のうえ、賃借契約を結んで引き続き本社として使用を続けていたが、2006年に本社機能を日本生命丸の内ビルに移転した。日立製作所の退去に伴い、同投資法人はビルの運用方針を検討していたが、内装にアスベストを含んだ吹き付け材が使われていたため[3]、2006年5月に建替えを前提として森トラストに420億円で譲渡され[4][5]、2010年に解体された。
跡地には、高さ110mの超高層ビル「御茶ノ水ソラシティ」が建設された[6]。
-
ビル正面の銘板(2005年9月)
脚注
- ^ 登記簿上は地上20階、地下3階
- ^ a b 森喜則、今吉賢一『ビル紳士録』毎日新聞社、1992年、42-43頁。ISBN 4-620-30885-4。
- ^ テナント転出後の日立本社ビルに売却など三つの選択肢(2013年5月1日時点のアーカイブ)、日経BPnet、2006年2月13日
- ^ 森トラストグループ2007年3月期業績報告 (PDF) 、森トラスト、2007年5月24日
- ^ 資産の譲渡(契約締結)に関するお知らせ(日立本社ビル)、森トラスト総合リート投資法人、2006年5月11日(インターネットアーカイブ参照)
- ^ 御茶ノ水大改造、日立本社跡地に「ソラシティ」オープン、日本経済新聞、2013年4月20日
外部リンク
- 日立本社ビル 株式会社岡田新一設計事務所