コンテンツにスキップ

「建部和歌夫」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Kokada jnet (会話 | 投稿記録)
Kokada jnet (会話 | 投稿記録)
2行目: 2行目:


== 人物 ==
== 人物 ==
[[1925年]]、土居市太郎名誉名人門下に入門。[[1930年]]に四段昇段。六段だった[[1936年]]、全日本選手権で優勝する。
[[1925年]]、土居市太郎名誉名人門下に入門。[[1930年]]に四段昇段。六段だった[[1936年]]、全日本選手権で優勝する。[[塚田正夫]]、[[坂口允彦]]、建部は「昭和の三銃士」と呼ばれた


戦後は[[満洲]]からの帰還が遅れたために第1期[[順位戦]]は不参加。[[1947年]]の第2期順位戦からB級に参加。[[1958年]]引退。
戦後は[[満洲]]からの帰還が遅れたために第1期[[順位戦]]は不参加。[[1947年]]の第2期順位戦からB級に参加。[[1958年]]引退。

2018年5月17日 (木) 02:55時点における版

建部 和歌夫(たけべ わかお、1909年7月25日 - 1974年9月4日)は、将棋棋士。八段。土居市太郎名誉名人門下。東京都港区出身。

人物

1925年、土居市太郎名誉名人門下に入門。1930年に四段昇段。六段だった1936年、全日本選手権で優勝する。塚田正夫坂口允彦、建部は「昭和の三銃士」と呼ばれた。

戦後は満洲からの帰還が遅れたために第1期順位戦は不参加。1947年の第2期順位戦からB級に参加。1958年引退。

弟子に小野修一がいる。

河口俊彦によると、その棋風は「典型的な旦那芸で序盤中盤はきれいな手を指すが終盤の粘りが全くなく逆転負けが多かった」。

また、先祖は有力な旗本で「寒紅」という俳号も持っていたという(河口俊彦「升田幸三の孤独」マイナビ、P197~198)。

建部自身の記述(越智信義編『将棋の風景』(マイコミ)収録の「棋道哀楽」)によると、先祖に江戸時代の書家の建部伝内がいるという。

昇段履歴

  • 1925年 入門
  • 1930年 四段
  • 1932年 五段
  • 1935年 六段
  • 1940年 七段
  • 1944年 八段

主な成績

  • 全日本選手権優勝(1936年)

主な著書

  • 初学将棋読本(1939年、博文館)
  • 将棋の学び方(再版)(1950年、大阪屋號書店)
  • 新しい将棋手帖(1951年、大阪屋號書店)
  • しょうぎの勝ちかた(1956年、秋田書店)
  • 将棋入門(1967年1月、秋田書店)

関連項目