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「出雲族」の版間の差分

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[[古事記]]において、[[高天原]]での狼藉により天から追放([[神逐]])された[[須佐之男命]]が、[[八俣遠呂智]]に食べられそうになっていた[[櫛名田比売]]を助けたことから出雲族の系譜が始まっている。国津神となった須佐之男命の子孫は15世まで記述され、十七世神(とおまりななよのかみ)と称された。その中の6世目にあたる[[大穴牟遅神]]が国造りを行った後、高天原の使者である[[建御雷神]]に[[葦原中国]]を譲り、その代償として建てさせた社に身を引いたとされる。
[[古事記]]において、[[高天原]]での狼藉により天から追放([[神逐]])された[[須佐之男命]]が、[[八俣遠呂智]]に食べられそうになっていた[[櫛名田比売]]を助けたことから出雲族の系譜が始まっている。国津神となった須佐之男命の子孫は15世まで記述され、十七世神(とおまりななよのかみ)と称された。その中の6世目にあたる[[大穴牟遅神]]が国造りを行った後、高天原の使者である[[建御雷神]]に[[葦原中国]]を譲り、その代償として建てさせた社に身を引いたとされる。


==伝承==
== 諸説 ==
出雲神族の末裔と主張する元サンケイ新聞編集局次長の富當雄氏によると、出雲神族の真の祖神である出雲の大神とは[[大国主命]]の祖先で出雲の始祖神のクナドノ大神とし[[熊野大社]]の事をクナト大社と伝えている。クナト大神は57代に渡り何人もいた。大国主命も固有名詞ではなく代名詞であり17代続いた。出雲王朝は北九州から新潟までを領有していた。出雲神族は龍蛇族である。
[[スサノオ]]は須佐に渡来し、出雲神族を敗り、婚姻により習合した。
[[建御名方神|タテミナカタ]]は[[天孫族]]に服従せず、[[高志国|越]]へ後退し、母方(越の[[沼河比売|ヌナカワ]]姫)の勢力と共に信州で第二出雲王朝を築いた。
[[物部氏]]は、その祖[[ウマシマジ]]が出雲神族のトミヤ姫を母とする親出雲族で、後に([[崇神天皇]]前後)親天孫族に転向した。島根に侵略拠点を築き、出雲へ侵攻した。
天孫族は伊勢に攻め込み、王の[[伊勢津彦]]は建御名方富命が統治する[[信濃]]へ逃れた。
天孫族の東国制覇はクナトノ神の先導によってなされた<ref name="N">『謎の出雲帝国―天孫一族に虐殺された出雲神族の怒り 怨念の日本原住』 吉田大洋 徳間書店 1980年 ISBN 4195519640</ref>。
{{独自研究|section=1|date=2018年3月}}

==史実として==
出雲族は[[ツングース系民族|ツングース]]とする説もある<ref>司馬遼太郎(1994)『歴史の中の日本』中央公論社</ref>。[[出雲の国譲り]]は史実であり、当時日本の統治権を有していた出雲族から[[天孫族]]への統治権委譲であったとする研究者は多い。その後、天孫族に屈しまいとした出雲族の一部は東北に逃れ[[蝦夷]](えみし)となって最後まで戦ったとする見方<ref>高橋克彦(2013)『東北・蝦夷の魂』現代書館</ref>もしばしばなされる。[[出雲方言]]と[[東北方言]]が同じ[[ズーズー弁]]であるのも、その証左であるとされることが多い<ref>小泉保(1998)『縄文語の発見』青土社</ref>。
出雲族は[[ツングース系民族|ツングース]]とする説もある<ref>司馬遼太郎(1994)『歴史の中の日本』中央公論社</ref>。[[出雲の国譲り]]は史実であり、当時日本の統治権を有していた出雲族から[[天孫族]]への統治権委譲であったとする研究者は多い。その後、天孫族に屈しまいとした出雲族の一部は東北に逃れ[[蝦夷]](えみし)となって最後まで戦ったとする見方<ref>高橋克彦(2013)『東北・蝦夷の魂』現代書館</ref>もしばしばなされる。[[出雲方言]]と[[東北方言]]が同じ[[ズーズー弁]]であるのも、その証左であるとされることが多い<ref>小泉保(1998)『縄文語の発見』青土社</ref>。


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*[[下照比売]] 高日子根の妹で、若日子の妻
*[[下照比売]] 高日子根の妹で、若日子の妻
*[[鳥鳴海神]] 十七世の神の一柱
*[[鳥鳴海神]] 十七世の神の一柱
===前出以前の神===
*クナド([[岐の神]])(父神)、サチ([[幸姫命]])(母神)、シャラ、サラ、シャル、サル、([[サルタヒコ]])(子神):祖先三神信仰
*[[蛇神]](大白蛇、カカ、ハハ、母、白龍蛇女)、蛇(トミ、ナガ、ナギ)

==出雲系氏族==
{{独自研究|section=1|date=2018年2月}}<!--「主な」たる根拠が不明のまま、執筆者の主観のみをもって列挙が続けられているため。(何らかの根拠に則って記述する必要がある。ノート参照!)-->
===クナド大神系(出雲神族)===
*クナドノ神系(猿田族) 車戸など (アジスキ、クナド神、クナトノ神)
*[[大国主]]系(出雲族) 向、富、出雲臣、登美、富永、富田、向井、神門臣、高鴨、[[中原氏]]、[[三輪氏]]([[大物主神]]後裔)、[[越氏]]([[建沼河男命]]後裔)、[[諏訪氏]]([[建御名方神]]後裔)、[[須佐氏]]([[カヤナルミ|賀夜奈流美命]]後裔)、[[宗像氏]](アタカタス後裔、神門臣の分家)、[[賀茂氏]](大物主神後裔)など

出雲族の王家の血筋を出雲神族と呼ぶ。
出雲井神社富家では祖神の魂の具象化である勾玉を”宝石”(たから)と呼び、これを付すことのできる王家を”財筋”と称す。
「財筋」を称する家はわずか十二軒しかない。
富家や神門臣家はクナド大神を祖とするとしている。
出雲神族にはクナド大神はイザナギの長男で熊野の大神と伝承されている。
出雲風土記で熊野加武呂が伊弉奈枳の命のいとし子として記されている。
多賀大社車戸家が代々クナドノ神、幸姫、サルタヒコを祀っていたが、ある時期から伊邪那岐命と伊邪那美命の2柱と摂社の猿田彦大神に変更した。
各地にある車戸神社の御祭神はクナド神である。
江川多賀神社(滋賀県多賀大社)を遷祀したとされる宮城県多賀城市高崎多賀神社は現在も久那斗神を祀り続けている。
宇佐八幡宮宇佐家(莵狭族)はクナド大神系部族を猿田族と呼んでいる。

===[[スサノオ]]系(スサ族)===
*[[小野]]氏([[天葺根命]]後裔)など

スサノオは須佐に渡来し、出雲神族を敗り、婚姻により習合したと富家に伝承されている。スサ族と呼ばれている。末子相続なので末娘と夫の大国主がスサノオの相続人となった。出雲国風土記でスサノオは須佐地方の一首長で大国主(大穴持命)との血縁は無い。スサノオ(神須佐乃烏命)の娘の八野若日女命が大穴持命の妻問いの相手とされている。

===天孫族===
*[[アメノホヒ]]系(ホヒ族) [[出雲国造]]氏([[千家家]]、[[北島家]]など)

出雲攻略の為に先に渡来し徐福や海童の移民の手引きをしたり、出雲にヒボコ軍や物部軍を招き入れるなど出雲攻略で暗躍した渡来系出雲族。
出雲神族から妻を迎えており女系ではあるが大国主の末裔である。

[[伊勢津彦|伊勢津彦命]]を祖とする一部の神門臣家支族がアメノホヒの家系を自称しているが、これは[[武蔵国造]]の一族が保身の為に神門臣家の出自を隠し穂日家系の名前にして家系を改ざんし天孫系を自称した事に由来している。

==古代出雲王朝系図==
{{独自研究|section=1|date=2018年3月}}<!--「斉木雲州」という古代研究家は異端の個人独説史家であり自著を出版するために大元出版を創立、斉木氏以外の何らかの根拠も則って記述する必要がある -->



※斉木雲州著「出雲と大和のあけぼの」大元出版より。

系譜は「出雲王家と親族」という系譜画像写真を参考とする。
※名前の頭の番号が、現在わかっている当時の主王だった向家と神門臣家と2交代王朝制度の順番となっている。


*向家・富家が伝える系譜

[[諏訪氏|諏訪家]]の祖、[[建御名方]]は、向家の祖、八重波津身([[事代主]])の子神。(鳥鳴海とは、異母兄弟。)

[[天之御中主神|御中主命]]=[[国常立命]](クナト大神)

*向家・富家
クナト大神-[[八島士奴美神|八島篠]]-[[布波能母遅久奴須奴神|布葉之文字巧為]]-⑤[[深淵之水夜礼花神|深淵之水夜礼花]]-[[淤美豆奴神|淤美豆奴]]-⑦[[天之冬衣神|天之冬衣]]-八重波津身([[事代主]])-⑨[[鳥鳴海神|鳥鳴海]]-⑩[[国忍富神|国忍富]]-⑬[[多比理岐志麻流美神|田干岸円味]]-⑮[[布忍富鳥鳴海神|布忍富取成身]]-⑯[[天日腹大科度美神|簸張大科戸箕]]-弩美宿祢([[野見宿禰]])-飯入根


*神門臣家
クナト大神-八島篠-布葉之文字巧為-⑥[[淤美豆奴神|八束水臣津野]]-赤衾伊努意保須美比古佐倭気-⑧八千矛(大穴持・[[大国主]])-伊佐我(伊佐波)=出雲建子([[伊勢津彦]])・[[アジスキタカヒコネ|阿遅須枳高日子]]-鹽冶毘古能-⑪[[速甕之多気佐波夜遅奴美神|速甕之建沢谷地乃身]]-⑫[[甕主日子神|甕主彦]]-⑭[[美呂浪神|身櫓浪]]-⑰[[遠津山岬多良斯神|遠津山崎帯]]-⑱振根=倭健-伊賀曽熊の子 建部(武部)と出雲笠夜の島氏=斯摩宿禰(志摩・島-島谷(散自出雲族))


*宗像家

クナト大神-八島篠-布葉之文字巧為-⑥八束水臣津野-吾田片隅-田心姫・多岐津姫・[[市杵島姫]]([[宗像三女神]]。)

※田心姫は、向家の天之冬衣の后(八重波津身=事代主神の母神。)で、多岐津姫は、八千矛(大穴持・大国主神)の后で、市杵島姫が、[[饒速日]](物部始祖・徐福)后。


*穂日([[千家氏]])、渡来出雲族が伝える「古事記上巻系譜」

[[建速須佐之男命]]-[[八島士奴美神]](八島篠)-[[布波能母遅久奴須奴神]](布葉之文字巧為)-⑤[[深淵之水夜礼花神]]-[[淤美豆奴神]]-⑦[[天之冬衣神]]-⑧[[大国主神]]-⑨[[鳥鳴海神]]-⑩[[国忍富神]]-⑪[[速甕之多気佐波夜遅奴美神]]-⑫[[甕主日子神]]-[[多比理岐志麻流美神]]-[[美呂浪神]]-[[布忍富鳥鳴海神]]-[[天日腹大科度美神]]-[[遠津山岬多良斯神]]

*神々の各后
[[櫛名田比売命]]ー[[木花知流比売]]ー[[日河比売]]ー[[天之都度閇知泥神]]ー[[布帝耳神]]ー[[刺国若比売]]ー[[鳥取神]]ー[[日名照額田毘道男伊許知邇神]]ー[[葦那陀迦神]]ー[[前玉比売]]ー[[比那良志毘売]]ー[[活玉前玉比売神]]ー[[青沼馬沼押比売]]ー[[若尽女神]]ー[[遠津待根神]]


==脚注==
==脚注==

2018年7月11日 (水) 14:13時点における版

出雲族(いずもぞく)は、古代出雲を統治していたとされる氏族。天孫降臨以前から国土を治めていたとされる土着の氏族(地祇)であり、天孫族国譲りをおこなったとされる。しかしその検証は確かになされたわけではなく、神話の域をでない。ただし出雲地域からは大量の銅鐸銅剣などが出土した遺跡もあり、古代に何らかの勢力が存在したとされている。

古事記

古事記において、高天原での狼藉により天から追放(神逐)された須佐之男命が、八俣遠呂智に食べられそうになっていた櫛名田比売を助けたことから出雲族の系譜が始まっている。国津神となった須佐之男命の子孫は15世まで記述され、十七世神(とおまりななよのかみ)と称された。その中の6世目にあたる大穴牟遅神が国造りを行った後、高天原の使者である建御雷神葦原中国を譲り、その代償として建てさせた社に身を引いたとされる。

諸説

出雲族はツングースとする説もある[1]出雲の国譲りは史実であり、当時日本の統治権を有していた出雲族から天孫族への統治権委譲であったとする研究者は多い。その後、天孫族に屈しまいとした出雲族の一部は東北に逃れ蝦夷(えみし)となって最後まで戦ったとする見方[2]もしばしばなされる。出雲方言東北方言が同じズーズー弁であるのも、その証左であるとされることが多い[3]

出雲族の神々

主宰神

  • 大国主大神 国津神の王であり、後に幽冥の大神。出雲の代表神

妃神

親族

御子神

脚注

  1. ^ 司馬遼太郎(1994)『歴史の中の日本』中央公論社
  2. ^ 高橋克彦(2013)『東北・蝦夷の魂』現代書館
  3. ^ 小泉保(1998)『縄文語の発見』青土社

参考

  • 『古代出雲王国の真相』 岡崎倫久 文芸社 2013年 ISBN 4286138615
  • 『日本及日本國民之起原』 小谷部全一郎 八幡書店 1999年 ISBN 4-89350-253-0
  • 『幸の神と竜: 古代が分る鍵』 谷戸貞彦 大元出版 2004年 ISBN 4901596020
  • 『出雲と大和のあけぼの―丹後風土記の世界』 斎木雲州 大元出版 2007年 ISBN 4901596055
  • 『謎の出雲帝国―天孫一族に虐殺された出雲神族の怒り 怨念の日本原住』 吉田大洋 徳間書店 1980年 ISBN 4195519640
  • 『謎の弁才天女―福神の仮面をかぶった呪詛の神』 吉田大洋 徳間書店 1989年 ISBN 419504023X
  • 『カラ族の文字でめざせ!世紀の大発見 カラ族とは原日本人!太古の地球を平和に治めた神々だった!! 』 高橋良典 ヒカルランド 2012年 ISBN 9784864710312
  • 『古伝が語る古代史―宇佐家伝承』 宇佐公康 木耳社 1990年 ISBN 4839375224
  • 『続・古伝が語る古代史―宇佐家伝承』 宇佐公康 木耳社 1990年 ISBN 4839375232

関連項目