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=== プロ入り後 ===
=== プロ入り後 ===
=== オリックス時代 ===
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移籍後は11試合に登板し、防御率1点台の好成績を残した。

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その後、[[12球団合同トライアウト]]、[[読売ジャイアンツ球場]]での入団テストを経て[[尾花高夫]]投手コーチ、[[木樽正明]]編成担当からまだまだ活躍出来るという好評価を受け、2008年11月13日、中継ぎ左腕を補強ポイントにしていた[[読売ジャイアンツ]]への入団が決定した。入団会見では、「全部の球種でストライクが取れることが自分のセールスポイント。優勝のために貢献したい。大切な場面を任せてもらえるように頑張りたい」と抱負を語った。

=== 巨人時代 ===
{{by|2009年}}は前年ブレークした[[山口鉄也]]と[[越智大祐]]の二人とセットアッパー専任となった[[豊田清]]などリリーフ陣が充実しており、プロ入り後初めて一軍登板できなかった。[[10月1日]]に[[戦力外通告]]を受けた<ref>[http://www.giants.jp/G/gnews/news_392089.html 歌藤投手が退団へ]</ref>。シーズン終了後、[[12球団合同トライアウト]]に参加したが、獲得する球団は現れず現役を引退した。

=== 現役引退後 ===
引退後は実家のある奈良県へ戻り家業を継いでいる。


== 選手としての特徴 ==
== 選手としての特徴 ==

2019年3月28日 (木) 02:05時点における版

歌藤 達夫
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 奈良県奈良市
生年月日 (1978-06-15) 1978年6月15日(46歳)
身長
体重
180 cm
75 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2003年 自由獲得枠
初出場 2004年3月30日
最終出場 2008年8月3日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

歌藤 達夫(かとう たつお、1978年6月15日 - )は、奈良県奈良市出身の元プロ野球選手投手)。左投左打。

来歴・人物

プロ入り前

奈良市立飛鳥中学ではボーイズリーグの奈良イーグルスに所属し[1]正強高校(3年時に奈良大付高に校名変更)に進学。在学中は3年間連続で夏の県大会でベスト4に進出した[2]。3年夏の大会には本格派エースとして臨み、右ひざの故障などもあって準決勝で天理高校に5対6で敗れている[3]。高校卒業後は東北福祉大に進み、同期に吉見祐治洗平竜也がいた。大学では主に中継ぎや抑えを務め[4]、4年時には大学選手権で準優勝している。

社会人野球ヤマハでは下半身を鍛えて球速が140km/h台に上がり、スクリューボールもマスターした[4]。1年目の2001年都市対抗1回戦で敗戦投手となったが、翌年にかけて2年連続で本戦出場に貢献[5]2003年にはトヨタ自動車の補強選手として都市対抗に出場し、1回戦でシダックス野間口貴彦と投げ合って敗れた。大学時代から注目していた、チームOBであるオリックス・ブルーウェーブ熊野輝光スカウトに即戦力として評価され[4]同年のドラフトで自由獲得枠での指名を受け入団。契約金1億円+出来高5000万円、年俸1500万円(いずれも推定)という好条件だった[4]

プロ入り後

オリックス時代

2004年は投手陣に左腕リリーフがいなかったこともあり、伊原春樹監督の下でルーキーながら先発・中継ぎを問わずにフル回転。防御率5点台と安定感を欠いたものの57試合に登板してチームに貢献した。

2005年から分配ドラフトによりオリックス・バファローズに残留となった。菊地原毅と左の中継ぎコンビを組み、前年より登板数は少なかったが36試合に登板して防御率2.31と安定した投球を見せた。オフには300万円増の年俸2,300万円となっている[6]

2006年は左のワンポイントとして短いイニングでの起用が主だったが、わずか13試合と登板機会が激減した。この年は多少なりとも粘りを見せた加藤大輔と菊地原を含めても大半のリリーフ陣が調子を落とした。

2007年は開幕から一軍登板がなく、シーズン途中の6月28日清水章夫木元邦之との交換トレード萩原淳と共に北海道日本ハムファイターズへ移籍。

日本ハム時代

移籍後は11試合に登板し、防御率1点台の好成績を残した。

2008年は14試合に登板するも防御率8.44と良い成績を残せず、10月2日に日本ハムから戦力外通告を受けた。

その後、12球団合同トライアウト読売ジャイアンツ球場での入団テストを経て尾花高夫投手コーチ、木樽正明編成担当からまだまだ活躍出来るという好評価を受け、2008年11月13日、中継ぎ左腕を補強ポイントにしていた読売ジャイアンツへの入団が決定した。入団会見では、「全部の球種でストライクが取れることが自分のセールスポイント。優勝のために貢献したい。大切な場面を任せてもらえるように頑張りたい」と抱負を語った。

巨人時代

2009年は前年ブレークした山口鉄也越智大祐の二人とセットアッパー専任となった豊田清などリリーフ陣が充実しており、プロ入り後初めて一軍登板できなかった。10月1日戦力外通告を受けた[7]。シーズン終了後、12球団合同トライアウトに参加したが、獲得する球団は現れず現役を引退した。

現役引退後

引退後は実家のある奈良県へ戻り家業を継いでいる。

選手としての特徴

スリー・クォーターから最速146km/hの速球と、スライダー、2種類のスクリューなどの変化球を駆使し、緩急を付けた投球を持ち味とした[4]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2004 オリックス 57 4 0 0 0 2 3 0 -- .400 297 64.1 72 10 38 1 4 39 5 0 41 40 5.60 1.71
2005 36 0 0 0 0 1 1 0 6 .500 157 39.0 24 4 14 1 4 26 2 0 11 10 2.31 0.97
2006 13 0 0 0 0 0 0 0 1 ---- 28 5.2 5 0 5 0 0 2 0 0 4 3 4.76 1.76
2007 日本ハム 11 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 39 9.2 9 0 3 0 0 6 0 0 2 2 1.86 1.24
2008 14 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 54 10.2 16 4 4 1 1 7 0 0 11 10 8.44 1.88
通算:5年 131 0 0 0 0 3 4 0 7 .429 575 129.1 126 18 64 3 9 80 7 0 69 65 4.52 1.47

記録

背番号

  • 12 (2004年 - 2007年途中、2008年)
  • 51 (2007年途中 - 同年終了)
  • 90 (2009年)

脚注

  1. ^ 奈良イーグルス 選手紹介
  2. ^ 朝日新聞、1996年7月27日付朝刊、奈良地方面
  3. ^ 朝日新聞、1996年7月28日付朝刊、奈良地方面
  4. ^ a b c d e 読売新聞、2003年12月19日付夕刊、P.2
  5. ^ 読売新聞、2003年11月8日付朝刊、P.24
  6. ^ 読売新聞、2005年12月10日、P.19
  7. ^ 歌藤投手が退団へ

関連項目

外部リンク