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'''山本 武白志'''(やまもと むさし、[[1998年]][[2月17日]] - )は、[[神奈川県]][[横浜市]]出身の元[[プロ野球選手]]([[内野手]]・[[育成選手制度 (日本プロ野球)|育成選手]])。入団3年目の{{by|2018年}}シーズンのみ、登録名は'''武白志'''(むさし)<ref name=musashi>{{cite news|url=https://www.baystars.co.jp/news/2018/01/0119_02.php|title=登録名変更のお知らせ|newspaper=|publisher=[[横浜DeNAベイスターズ]]|date=2018-1-19|accessdate=2018-1-20}}</ref>。
'''山本 武白志'''(やまもと むさし、[[1998年]][[2月17日]] - )は、[[神奈川県]][[横浜市]]出身の元[[プロ野球選手]]([[内野手]]・[[育成選手制度 (日本プロ野球)|育成選手]])。入団3年目の{{by|2018年}}シーズンのみ、登録名は'''武白志'''(むさし)<ref name=musashi>{{cite news|url=https://www.baystars.co.jp/news/2018/01/0119_02.php|title=登録名変更のお知らせ|newspaper=|publisher=[[横浜DeNAベイスターズ]]|date=2018-1-19|accessdate=2018-1-20}}</ref>。


実父は、元プロ野球選手・監督の[[山本功児]]。
元プロ野球選手・監督の[[山本功児]]を実譜に持つ


== 経歴 ==
== 経歴 ==
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{{by|2016年}}には、春季キャンプを二軍でスタート。キャンプの序盤には、高卒の新人選手からただ一人、一軍の紅白戦へ出場している<ref>{{cite news|url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/1601871.html|title=DeNA育成の山本武白志、紅白戦で「いい当たり」|newspaper=nikkansports.com|publisher=[[日刊スポーツ]]|date=2016-2-7|accessdate=2016-2-7}}</ref>。シーズンに入ってからは、[[イースタン・リーグ]]公式戦60試合に出場。打率.143、5打点という成績を残したが、本塁打を放てず<ref>{{cite web|url=http://npb.jp/bis/2016/stats/idb2_db.html|title=2016年度 横浜DeNAベイスターズ 個人打撃成績(イースタン・リーグ)|publisher=日本野球機構|author=|date=|accessdate=November 9, 2016}}</ref>、[[支配下選手登録|支配下選手契約]]への昇格には至らなかった。
{{by|2016年}}には、春季キャンプを二軍でスタート。キャンプの序盤には、高卒の新人選手からただ一人、一軍の紅白戦へ出場している<ref>{{cite news|url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/1601871.html|title=DeNA育成の山本武白志、紅白戦で「いい当たり」|newspaper=nikkansports.com|publisher=[[日刊スポーツ]]|date=2016-2-7|accessdate=2016-2-7}}</ref>。シーズンに入ってからは、[[イースタン・リーグ]]公式戦60試合に出場。打率.143、5打点という成績を残したが、本塁打を放てず<ref>{{cite web|url=http://npb.jp/bis/2016/stats/idb2_db.html|title=2016年度 横浜DeNAベイスターズ 個人打撃成績(イースタン・リーグ)|publisher=日本野球機構|author=|date=|accessdate=November 9, 2016}}</ref>、[[支配下選手登録|支配下選手契約]]への昇格には至らなかった。


{{by|2017年}}には、イースタン・リーグ公式戦31試合に出場。前年に続いて本塁打を打てなかったばかりか、打率(.054)も打点(3)も前年を下回った。
{{by|2017年}}には、イースタン・リーグ公式戦31試合に出場したしかし、前年に続いて本塁打を打てなかったばかりか、打率(.054)も打点(3)も前年を下回った。


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{{by|2018年}}には、春季キャンプ前の[[1月19日]]から登録名を'''武白志'''に変更した<ref name=musashi />。7月9日の対読売ジャイアンツ戦で[[巽大介]]から二軍公式戦初本塁打を記録<ref>{{Cite web|url=http://npb.jp/bis/2018/games/fs2018070901247.html|title=2018年7月9日 【ファーム】 試合結果 (読売vs横浜DeNA)|publisher=日本野球機構|accessdate=2018-11-26}}</ref>。最終的にはイースタン・リーグ公式戦51試合に出場し、打率.213、1本塁打、8打点と3年間で自己最高の成績を残した<ref>{{Cite web|url=http://npb.jp/bis/2018/stats/idb2_db.html|title=2018年度 横浜DeNAベイスターズ 個人打撃成績(イースタン・リーグ)|publisher=日本野球機構|accessdate=2018-11-26}}</ref>。だが、この年も支配下選手契約には至らず育成期間の3年を終了。10月3日、球団から来季の契約を結ばないことが通告され<ref>{{Cite news|url=https://full-count.jp/2018/10/03/post219285/|title=DeNAが田中浩、須田、荒波、白根ら大量9選手に戦力外通告|newspaper=Full-Count|date=2018-10-03|accessdate=2018-11-26}}</ref>、11月26日には現役引退を表明したことが報じられた<ref>{{Cite news|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201811260000059.html|title=山本功児氏の長男武白志引退「もう野球やりません」|newspaper=日刊スポーツ|date=2018-11-26|accessdate=2018-11-26}}</ref>。[[社会人野球]]などにも転向せず、野球を辞めることや今後の進路について語学留学などを検討していることが明かされている。


== 選手としての特徴 ==
== 選手としての特徴 ==
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== 人物 ==
== 人物 ==
高校から直接[[NPB]]の球団に入ることを希望し、2015年ドラフト会議の直前には[[支配下登録選手]]としての上位指名候補の1人に挙げられていた<ref name=kaiken />。しかし実際には、育成選手としてDeNAから指名されたため、指名直後の記者会見では「嬉しいけれど、心の中では悔しい。現時点では何も決めていないので、よく考えてから(進路を)決断したい」という表現で複雑な心情を吐露した<ref name="ikusei" />。しかし、父や高校の1年先輩である[[清水優心]]から激励を受け<ref name=kaiken />、[[吉田孝司]]<ref>吉田は巨人の元[[捕手]]で、功児が同球団に在籍していた期間([[1976年]] - [[1983年]])のチームメイトでもあった。</ref>編成部長からの指名挨拶を受けた末に「育成(選手)でも支配下(登録選手)でも、(プロで)野球ができることに変わりはない」としてDeNAへの入団を決意した<ref>{{cite news|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2015/11/03/kiji/K20151103011436720.html|title=父は元ロッテ監督 DeNA育成2位・山本スッキリ、入団前向き|newspaper=スポニチ Sponichi Annex|publisher=[[スポーツニッポン]]|date=2015-11-03|accessdate=2015-12-18}}</ref>。
高校から直接[[NPB]]の球団に入ることを希望し、2015年ドラフト会議の直前には[[支配下登録選手]]としての上位指名候補の1人に挙げられていた<ref name=kaiken />。しかし実際には、育成選手としてDeNAから指名されたため、指名直後の記者会見では「嬉しいけれど、心の中では悔しい。現時点では何も決めていないので、よく考えてから(進路を)決断したいです」という表現で複雑な心情を吐露した<ref name="ikusei" />。しかし、父や高校の1年先輩である[[清水優心]]から激励を受け<ref name=kaiken />、[[吉田孝司]]<ref>吉田は巨人の元[[捕手]]で、功児が同球団に在籍していた期間([[1976年]] - [[1983年]])のチームメイトでもあった。</ref>編成部長からの指名挨拶を受けた末に「育成(選手)でも支配下(登録選手)でも、(プロで)野球ができることに変わりはない」としてDeNAへの入団を決意した<ref>{{cite news|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2015/11/03/kiji/K20151103011436720.html|title=父は元ロッテ監督 DeNA育成2位・山本スッキリ、入団前向き|newspaper=スポニチ Sponichi Annex|publisher=[[スポーツニッポン]]|date=2015-11-03|accessdate=2015-12-18}}</ref>。


== 家族 ==
== 家族 ==
武白志の実父の功児は、右投右打の武白志と逆に左投左打の野手として[[読売ジャイアンツ]]や[[ロッテオリオンズ]]で活躍していた。現役からの引退後には、[[千葉ロッテマリーンズ]]の一軍監督などを経て[[野球解説者]]・[[野球評論家]]として活動。現場を離れてからは、当時住んでいた横浜市内の自宅で武白志の打撃練習に立ち会っていた。武白志によれば、5歳頃に[[千葉マリンスタジアム]]で功児が率いる千葉ロッテの主催試合を見たことが、自身初のプロ野球観戦だったという<ref name="tospo">{{cite news|url=http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/baseball/495901/|title=DeNA育成ドラフト2位・山本武白志が関係者をうならせた父・功児氏のDNA|newspaper=東スポWeb|publisher=[[東京スポーツ]]|date=2016-01-18|accessdate=2016-01-25}}</ref>。
武白志の実父の功児は、右投右打の武白志と逆に左投左打の野手として[[読売ジャイアンツ]]や[[ロッテオリオンズ]]で活躍していた。現役からの引退後には、[[千葉ロッテマリーンズ]]の一軍監督などを経て[[野球解説者]]・[[野球評論家]]として活動。現場を離れてからは、当時住んでいた横浜市内の自宅で武白志の打撃練習に立ち会っていた。武白志によれば、5歳頃に[[千葉マリンスタジアム]]で功児が率いる千葉ロッテの主催試合を見たことが、自身初のプロ野球観戦だったという<ref name="tospo">{{cite news|url=http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/baseball/495901/|title=DeNA育成ドラフト2位・山本武白志が関係者をうならせた父・功児氏のDNA|newspaper=東スポWeb|publisher=[[東京スポーツ]]|date=2016-01-18|accessdate=2016-01-25}}</ref>。


しかし功児は武白志が小学4年生だった[[2008年]]に慢性心不全を発症心臓への負担を減らす目的で診察した医師から「(利き腕である)左腕を使った運動がしにくくなる」というリスクを伴うことを条件に、[[ペースメーカー]]の装着を勧められた。これに対して功児は「(自宅でのトスバッティングなどで)武白志にボールを投げてやりたい」という理由で装着を断念。武白志が中学校へ進んでからは、入院の頻度が増えたにもかかわらず、退院中に自宅で武白志の練習相手を務めた。
ところが、功児は武白志が小学4年生だった[[2008年]]に慢性心不全を発症し、心臓への負担を減らす目的で診察した医師から「(利き腕である)左腕を使った運動がしにくくなる」というリスクを伴うことを条件に、[[ペースメーカー]]の装着を勧められた。これに対して功児は「(自宅でのトスバッティングなどで)武白志にボールを投げてやりたい」という理由で装着を断念した。武白志が中学校へ進んでからは、入院の頻度が増えたにもかかわらず、退院中に自宅で武白志の練習相手を務めた。


功児を含む家族は、武白志が九州国際大学付属高校へ進学したことを機に同校のある[[福岡県]][[北九州市]]へと転居。功児は現地で療養生活を続けながら、武白志が出場する試合を折に触れて観戦していた。武白志がDeNAからの指名を受けたドラフト会議の当日([[2015年]][[10月23日]])には、『[[ドラフト緊急生特番!お母さんありがとう]]』(生放送による[[TBSテレビ]]制作・全国ネットの特別番組)で、功児が心不全と闘いながら武白志の練習相手を務めた模様を紹介。指名の直後には、功児と武白志が生中継を通じて同番組へ出演した<ref>{{cite news|url=http://www.daily.co.jp/newsflash/baseball/2015/10/23/0008504064.shtml|title=山本武白志DeNA育成2位に硬い表情|newspaper=デイリースポーツオンライン|publisher=[[デイリースポーツ]]|date=2015-10-23|accessdate=2015-12-18}}</ref>。
功児を含む家族は、武白志が九州国際大学付属高校へ進学したことを機に同校のある[[福岡県]][[北九州市]]へと転居した。功児は現地で療養生活を続けながら、武白志が出場する試合を折に触れて観戦していた。武白志がDeNAからの指名を受けたドラフト会議の当日([[2015年]][[10月23日]])には、『[[ドラフト緊急生特番!お母さんありがとう]]』(生放送による[[TBSテレビ]]制作・全国ネットの特別番組)で、功児が心不全と闘いながら武白志の練習相手を務めた模様を紹介した。指名の直後には、功児と武白志が生中継を通じて同番組へ出演した<ref>{{cite news|url=http://www.daily.co.jp/newsflash/baseball/2015/10/23/0008504064.shtml|title=山本武白志DeNA育成2位に硬い表情|newspaper=デイリースポーツオンライン|publisher=[[デイリースポーツ]]|date=2015-10-23|accessdate=2015-12-18}}</ref>。


功児は武白志の一軍デビューを見届けることなく[[肝癌|肝臓がん]]のため[[2016年]][[4月23日]]に北九州市内の自宅で逝去(64歳没)<ref>[http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20160423-OHT1T50118.html 元巨人・山本功児氏、肝臓がんのため64歳で死去] - [[スポーツ報知]](2016年4月23日16時0分配信)</ref>。[[4月26日|同月26日]]に執り行われた功児の告別式では、親族を代表して武白志が謝辞を述べた<ref>{{cite news|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/04/27/kiji/K20160427012478820.html|title=武白志涙の謝辞 原氏からエール「お父さん超える選手に」|newspaper=Sponichi Annex|publisher=[[スポーツニッポン]]|date=2016-04-27|accessdate=2016-04-30}}</ref>。
結局、功児は武白志の一軍デビューを見届けることなく[[肝癌|肝臓がん]]のため[[2016年]][[4月23日]]に北九州市内の自宅で逝去した(64歳没)<ref>[http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20160423-OHT1T50118.html 元巨人・山本功児氏、肝臓がんのため64歳で死去] - [[スポーツ報知]](2016年4月23日16時0分配信)</ref>。[[4月26日|同月26日]]に執り行われた功児の告別式では、親族を代表して武白志が謝辞を述べた<ref>{{cite news|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/04/27/kiji/K20160427012478820.html|title=武白志涙の謝辞 原氏からエール「お父さん超える選手に」|newspaper=Sponichi Annex|publisher=[[スポーツニッポン]]|date=2016-04-27|accessdate=2016-04-30}}</ref>。


== 詳細情報 ==
== 詳細情報 ==

2019年4月26日 (金) 11:27時点における版

山本 武白志
2016年3月5日、横須賀スタジアムにて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 神奈川県横浜市
生年月日 (1998-02-17) 1998年2月17日(26歳)
身長
体重
188 cm
92 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手
プロ入り 2015年 育成選手ドラフト2位
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

山本 武白志(やまもと むさし、1998年2月17日 - )は、神奈川県横浜市出身の元プロ野球選手内野手育成選手)。入団3年目の2018年シーズンのみ、登録名は武白志(むさし)[1]

元プロ野球選手・監督の山本功児を実譜に持つ。

経歴

プロ入り前

小学3年生から「元石川サンダーボルト」で野球を始める[2]と、中学時代には「都筑ジャイアンツボーイズ」(前田幸長が主宰する硬式野球チーム)で投手兼4番打者として活躍。中学からの卒業を機に、九州国際大学付属高校へ進学した[3]

九州国際大学付属高校では、1年生の秋からレギュラーに定着[3]。2年生の2014年夏に第96回全国高等学校野球選手権大会、3年生の2015年夏に第97回全国高等学校野球選手権大会で本大会へ出場した[4]。レギュラー三塁手として出場した2015年の選手権大会では、福岡県大会に投手として登板[3]。本大会では、大阪偕星学園との初戦で2打席連続本塁打を放つなど、通算で3本塁打を記録した。

2015年のNPB育成ドラフト会議で、横浜DeNAベイスターズから2巡目で指名[2]。支度金300万円、年俸360万円(金額は推定)という条件で、育成選手として入団した[5]。背番号は101

プロ入り後

2016年には、春季キャンプを二軍でスタート。キャンプの序盤には、高卒の新人選手からただ一人、一軍の紅白戦へ出場している[6]。シーズンに入ってからは、イースタン・リーグ公式戦60試合に出場。打率.143、5打点という成績を残したが、本塁打を放てず[7]支配下選手契約への昇格には至らなかった。

2017年には、イースタン・リーグ公式戦31試合に出場した。しかし、前年に続いて本塁打を打てなかったばかりか、打率(.054)も打点(3)も前年を下回った。

2018年には、春季キャンプ前の1月19日から登録名を武白志に変更した[1]。7月9日の対読売ジャイアンツ戦で巽大介から二軍公式戦初本塁打を記録[8]。最終的にはイースタン・リーグ公式戦51試合に出場し、打率.213、1本塁打、8打点と3年間で自己最高の成績を残した[9]。だが、この年も支配下選手契約には至らず育成期間の3年を終了。10月3日、球団から来季の契約を結ばないことが通告され[10]、11月26日には現役引退を表明したことが報じられた[11]社会人野球などにも転向せず、野球を辞めることや今後の進路について語学留学などを検討していることが明かされている。

選手としての特徴

高校通算で24本塁打を放つ[3]など、身長188cm・体重90kgの恵まれた身体を生かした長打力が持ち味。憧れの打者に柳田悠岐を挙げている[3]

DeNA入団直後の新人合同自主トレーニングでは「功児の影響で小さい頃からプロ野球選手の良い動きを間近で見てきたせいか、走る際の身体の使い方などに、ケガをしにくい天性の動きがうかがえる」という表現で、チームの関係者から素材を高く評価された[12]

人物

高校から直接NPBの球団に入ることを希望し、2015年ドラフト会議の直前には支配下登録選手としての上位指名候補の1人に挙げられていた[3]。しかし実際には、育成選手としてDeNAから指名されたため、指名直後の記者会見では「嬉しいけれど、心の中では悔しい。現時点では何も決めていないので、よく考えてから(進路を)決断したいです」という表現で複雑な心情を吐露した[4]。しかし、父や高校の1年先輩である清水優心から激励を受け[3]吉田孝司[13]編成部長からの指名挨拶を受けた末に「育成(選手)でも支配下(登録選手)でも、(プロで)野球ができることに変わりはない」としてDeNAへの入団を決意した[14]

家族

武白志の実父の功児は、右投右打の武白志と逆に左投左打の野手として読売ジャイアンツロッテオリオンズで活躍していた。現役からの引退後には、千葉ロッテマリーンズの一軍監督などを経て野球解説者野球評論家として活動。現場を離れてからは、当時住んでいた横浜市内の自宅で武白志の打撃練習に立ち会っていた。武白志によれば、5歳頃に千葉マリンスタジアムで功児が率いる千葉ロッテの主催試合を見たことが、自身初のプロ野球観戦だったという[12]

ところが、功児は武白志が小学4年生だった2008年に慢性心不全を発症し、心臓への負担を減らす目的で診察した医師から「(利き腕である)左腕を使った運動がしにくくなる」というリスクを伴うことを条件に、ペースメーカーの装着を勧められた。これに対して功児は、「(自宅でのトスバッティングなどで)武白志にボールを投げてやりたい」という理由で装着を断念した。武白志が中学校へ進んでからは、入院の頻度が増えたにもかかわらず、退院中に自宅で武白志の練習相手を務めた。

功児を含む家族は、武白志が九州国際大学付属高校へ進学したことを機に同校のある福岡県北九州市へと転居した。功児は現地で療養生活を続けながら、武白志が出場する試合を折に触れて観戦していた。武白志がDeNAからの指名を受けたドラフト会議の当日(2015年10月23日)には、『ドラフト緊急生特番!お母さんありがとう』(生放送によるTBSテレビ制作・全国ネットの特別番組)で、功児が心不全と闘いながら武白志の練習相手を務めた模様を紹介した。指名の直後には、功児と武白志が生中継を通じて同番組へ出演した[15]

結局、功児は武白志の一軍デビューを見届けることはなく肝臓がんのため2016年4月23日に北九州市内の自宅で逝去した(64歳没。)[16]同月26日に執り行われた功児の告別式では、親族を代表して武白志が謝辞を述べた[17]

詳細情報

年度別打撃成績

一軍公式戦出場なし

背番号

  • 101 (2016年 - 2018年)

登録名

  • 山本 武白志 (やまもと むさし、2016年 - 2017年)
  • 武白志 (むさし、2018年)

脚注

  1. ^ a b “登録名変更のお知らせ”. 横浜DeNAベイスターズ. (2018年1月19日). https://www.baystars.co.jp/news/2018/01/0119_02.php 2018年1月20日閲覧。 
  2. ^ a b “【DeNA育成2位】山本武白志 右の長距離砲 父は元ロッテ監督の功児氏”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン). (2015年10月22日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2015/10/22/kiji/K20151022011367320.html 2015年12月18日閲覧。 
  3. ^ a b c d e f g “山本功児Jr武白志「ビッグマウス」封印し目指す支配下”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン). (2015年12月6日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2015/12/06/kiji/K20151206011633730.html 2016年1月25日閲覧。 
  4. ^ a b “山本功児Jr武白志はDeNAの育成指名に「悔しい」”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン). (2015年8月7日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2015/08/07/kiji/K20150807010889220.html 2015年12月18日閲覧。 
  5. ^ “山本功児Jr武白志 DeNAと仮契約 育成ドラフト2位から「頑張る」”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン). (2015年11月17日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2015/11/17/kiji/K20151117011523640.html 2015年11月17日閲覧。 
  6. ^ “DeNA育成の山本武白志、紅白戦で「いい当たり」”. nikkansports.com (日刊スポーツ). (2016年2月7日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/1601871.html 2016年2月7日閲覧。 
  7. ^ 2016年度 横浜DeNAベイスターズ 個人打撃成績(イースタン・リーグ)”. 日本野球機構. November 9, 2016閲覧。
  8. ^ 2018年7月9日 【ファーム】 試合結果 (読売vs横浜DeNA)”. 日本野球機構. 2018年11月26日閲覧。
  9. ^ 2018年度 横浜DeNAベイスターズ 個人打撃成績(イースタン・リーグ)”. 日本野球機構. 2018年11月26日閲覧。
  10. ^ “DeNAが田中浩、須田、荒波、白根ら大量9選手に戦力外通告”. Full-Count. (2018年10月3日). https://full-count.jp/2018/10/03/post219285/ 2018年11月26日閲覧。 
  11. ^ “山本功児氏の長男武白志引退「もう野球やりません」”. 日刊スポーツ. (2018年11月26日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/201811260000059.html 2018年11月26日閲覧。 
  12. ^ a b “DeNA育成ドラフト2位・山本武白志が関係者をうならせた父・功児氏のDNA”. 東スポWeb (東京スポーツ). (2016年1月18日). http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/baseball/495901/ 2016年1月25日閲覧。 
  13. ^ 吉田は巨人の元捕手で、功児が同球団に在籍していた期間(1976年 - 1983年)のチームメイトでもあった。
  14. ^ “父は元ロッテ監督 DeNA育成2位・山本スッキリ、入団前向き”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン). (2015年11月3日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2015/11/03/kiji/K20151103011436720.html 2015年12月18日閲覧。 
  15. ^ “山本武白志DeNA育成2位に硬い表情”. デイリースポーツオンライン (デイリースポーツ). (2015年10月23日). http://www.daily.co.jp/newsflash/baseball/2015/10/23/0008504064.shtml 2015年12月18日閲覧。 
  16. ^ 元巨人・山本功児氏、肝臓がんのため64歳で死去 - スポーツ報知(2016年4月23日16時0分配信)
  17. ^ “武白志涙の謝辞 原氏からエール「お父さん超える選手に」”. Sponichi Annex (スポーツニッポン). (2016年4月27日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/04/27/kiji/K20160427012478820.html 2016年4月30日閲覧。 

関連項目