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{{グルジアの歴史}} |
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'''ジョージアの国名'''(ジョージアのこくめい)では、[[南コーカサス]]にあり[[日本語]]で'''[[ジョージア (国)|ジョージア]]'''({{Lang-en-short|Georgia}} {{IPAc-en|audio=en-us-Georgia.ogg|ˈ|dʒ|ɔr|dʒ|ə}})、または'''グルジア'''({{Lang-ru-short|Грузия}} {{IPA-ru|ˈɡruzʲɪjə|}} {{Audio|Ru-Грузия.ogg||ru|help=no}})'''と呼ばれている国家の名称'''について解説する。 |
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[[英語圏]]で使われている同国の[[外名]](エクソニム)である"[[#ゲオルギア|Georgia]]"の[[語源]]は明らかではないが、[[#ギリシア語|ギリシア語]]起源説{{sfn|Romer|1998| p=72}}{{sfn|Javakhishvili|1930}}、[[キリスト教]]の[[# |
[[英語圏]]で使われている同国の[[外名]](エクソニム)である"[[#ゲオルギア|Georgia]]"の[[語源]]は明らかではないが、[[#ギリシア語|ギリシア語]]起源説{{sfn|Romer|1998| p=72}}{{sfn|Javakhishvili|1930}}、[[キリスト教]]の[[#ジョージア(ゲオルギア)|聖人]]説、[[ペルシア語]]起源説などがあり、これらのいくつかが[[#合わさった|合わさった]]説もある{{refnest|group="注釈"| name="agriculturist"|"However, the cited Greek-Latin root (''georg'') may have played a definite role in the transformation of the oriental ethnonym Gurg/Gorg/gurg, into Georgia. The point is that in the Greek and Latin worlds...the cited ethnonym of oriental provenance has become linked to the word ''georgos'', "agriculturist"..."{{sfn|Khintibidze|1998|pages= 29-30, 78}}{{url|http://www.academia.edu/11389126/The_Designations_of_the_Georgians_and_their_Etymology}}}}。ジョージア国政府は[[ラテン文字]]表記の"Georgia"を基準的な外名と定義しており、[[ロシア語]]由来(異説あり)とされる外名"Gruziya"({{Lang|ru|Грузия}}, グルジア){{疑問点|title=|date=2019年8月}}の使用を積極的に排除しようとしている<ref name="japantimes2015">{{cite web|url= http://www.japantimes.co.jp/news/2015/04/15/national/politics-diplomacy/government-changing-official-pronunciation-georgia/#.VZL3n1J2yEm |title= Government changing official pronunciation of Georgia|publisher= [[ジャパンタイムズ]]|date= 15 April 2015 |accessdate= 2016-05-03|archiveurl= https://web.archive.org/web/20160714165754/http://www.japantimes.co.jp/news/2015/04/15/national/politics-diplomacy/government-changing-official-pronunciation-georgia/ |archivedate= 2015-04-15}}</ref>。 |
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== 内名 == |
== 内名 == |
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[[ファイル:Georgian passport.jpg|thumb|ジョージアの旅券の表紙。国名はグルジア語(カルトリ語)と英語で表記してある。]] |
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ジョージア国内で自国を指す内名([[wiktionary:endonym|エンドニム]])は、[[サカルトヴェロ憲法|憲法]]第 |
ジョージア国内で自国を指す内名([[wiktionary:endonym|エンドニム]])は、[[サカルトヴェロ憲法|憲法]]第2条1項に定められた'''{{Anchors|サカルトヴェロ}}サカルトヴェロ'''({{Lang|ka|საქართველო |Sakartvelo}} {{IPA-ka|sakʰartʰvɛlɔ|}} {{Audio|Sakartvelo.ogg||ka|help=no}})である<ref>{{Cite web|language=ka|url=http://www.parliament.ge/ge/kanonmdebloba/constitution-of-georgia-68|title=საქართველოს კონსტიტუცია|publisher=[[ジョージア議会|საქართველოს პარლამენტი]]|accessdate=2019-11-23}}</ref>。同国の多数民族を指す「[[カルトヴェリ人|カルトヴェリ]]」(kartvel-i)という[[語]]は元々グルジアの東部にあたる地域を統治した[[イベリア王国]](コーカサス・イベリア)の中心である{{仮リンク|カルトリ (歴史的地域)|en|Kartli|label=カルトリ}}地域に住む人を指すが、[[9世紀]]までに「カルトリ」という語は中世グルジアの全地域に住む人を指すようになった<ref group="注釈">ここでの「中世グルジア」とは特定の国を指すものではなく、信仰、文化、言語などで定義されている。</ref>。また[[接周辞]]のsa- -oは「〜が住む場所」の意味であり、〜には[[民族名]]が入る{{sfn|Rapp|2003|pages=419-423}}。国名がカルトリに由来する原因としては、その時期にグルジアの政治実体と文化が芽生えはじめたことが考えられる。 |
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サカルトヴェロという名前が初めて歴史書に現れるのは800年ごろ{{仮リンク|ジュアンシャ |
サカルトヴェロという名前が初めて歴史書に現れるのは800年ごろ{{仮リンク|ジュアンシャル・ジュアンシェリアニ|en|Juansher Juansheriani}}が書いた『{{仮リンク|グルジア年代記|en|The Georgian Chronicles}}』である。その後200年間、サカルトヴェロの意味は徐々に変わり、1008年に{{仮リンク|バグラト3世|en|Bagrat III of Georgia}}が{{仮リンク|アブハジア王国|en|Kingdom of Abkhazia}}と{{仮リンク|タオ=クラルジェティ|en|Kingdom of the Kartvels}}を統一してグルジア王国を成立させると、サカルトヴェロは全グルジアを指すようになった。しかし、それが公的に使われるには13世紀までかかっている{{sfn|Rapp|2003|pages=419-423}}。 |
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15世紀に[[グルジア王国]]が崩壊して{{仮リンク|イメレティ王国|en|Kingdom of Imereti}}、{{仮リンク|カヘティ王国|en|Kingdom of Kakheti}}、[[ |
15世紀に[[グルジア王国]]が崩壊して{{仮リンク|イメレティ王国|en|Kingdom of Imereti}}、{{仮リンク|カヘティ王国|en|Kingdom of Kakheti}}、[[カルトリ王国]]など3つの王国と5つの公国が成立しても、統一したグルジア国の記憶は人々の心に残った。そのため、この時期の王たちはグルジア王の称号を決して捨てなかった。18世紀の王族[[ヴァフシティ・バグラティオニ|ヴァフシティ]]王子が書いた『{{仮リンク|グルジア王国の記述|en|Description of the Kingdom of Georgia}}』も統一グルジアを堅持した。彼の生きていた時代、グルジアは現実にはいくつかの王国と公国に分裂していたが、彼はそれらを1つの国として扱い歴史書に表現した{{sfn|Rapp|2003|pages=419-423}}。 |
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<!--アンカーを2個、設定していますので、編集で<nowiki>{{Anchor(s)|"文字列"}}もしくは[[#"文字列"]]</nowiki>のマークアップを消さないようにお願いします。「カルトヴェリ語族」「非カルトヴェリ語族」が他の節をふくむ複数個所で言及されるため、この節に戻って参照できる設定にしてあります。。--> |
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他の{{ |
他の{{Anchors|[[カルトヴェリ語族]]}}[[カルトヴェリ語族]]の言語でも似たような表現が使われている。[[メグレル語]]では{{lang|xmf|საქორთუო|sakortuo}}、[[ラズ語]]では{{lang|lzz|ოქორთურა|okortura}}、[[スヴァン語]]では{{lang|sva|საქართველო|sakartvelo}}、[[アブハズ語]]では{{lang|ab|Қырҭтәыла|Kyrţtwyla}}である。{{Anchors|非カルトヴェリ語族}}非カルトヴェリ語族の言語では、[[リトアニア語]]で[[2018年]]から従来の「グルジア」にあたる呼称の使用を取りやめて「サカルトヴェロ」に対応する呼称へ外名を変更することが発表されている<ref name="eurasianet">{{Cite news|date=2017-09-26|last=Jardine |first=Bradley |url=http://www.eurasianet.org/node/85301|title=Lithuania Moves to Stop Calling Georgia by its Russian Name|work=EURASIANET.org|accessdate=2019-11-23|ref={{sfnref|EURASIANET.org|2017}}|language=en}}</ref><ref name="bnn">{{Cite news|date=2017-09-27|url=http://bnn-news.com/lithuania-willing-to-call-georgia-sakartvelo-172350|title=Lithuania willing to call Georgia «Sakartvelo»|work=Baltic News Network|accessdate=2019-11-23|language=en}}Ref: 111.111.111.5016</ref><ref name="rfe">{{Cite news|date=2017-09-27|url=https://www.rferl.org/a/lithuania-moves-change-official-name-goeriga-sakartvelo-from-russian-name-gruzia/28759383.html|title=Lithuania Moves To Change Official Name For Georgia To Sakartvelo From Gruzia|work=Radio Free Europe|accessdate=2019-11-22|language=en}}</ref>が、それぞれ [[:lt:Gruzija|Gruzija]](グルジヤ)、Sakartvelas(サカルトヴェラス)という呼称である<ref>{{Cite web|url=http://vlkk.lt/vlkk-nutarimai/protokoliniai-nutarimai/del-valstybines-lietuviu-kalbos-komisijos-2008-m-spalio-2-d-protokolinio-nutarimo-nr-pn-6-pakeitimo|title=Dėl Valstybinės lietuvių kalbos komisijos 2008 m. spalio 2 d. protokolinio nutarimo Nr. PN-6 „Dėl rekomendacijos „Dėl valstybių gyventojų pavadinimų“ pakeitimo|publisher=[[国家リトアニア語委員会|Valstybinė lietuvių kalbos komisija]]|date=2018-05-03|language=lt|accessdate=2019-11-22}}</ref>。 |
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== 諸言語の外名 == |
== 諸言語の外名 == |
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[[ファイル:Gorgania on Fra Mauro map.jpg|thumb|Gorgania(ジョージア)と示した[[フラ・マウロの世界図]]。]] |
[[ファイル:Gorgania on Fra Mauro map.jpg|thumb|Gorgania(ジョージア)と示した[[フラ・マウロの世界図]]。]] |
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[[カルトヴェリ語族]]以外の言語で外名として「[[#サカルトヴェロ]]」に由来する呼称を使用するのは[[エスペラント]]の"{{lang|eo|Kartvelio|カルトヴェリーオ}}"などごく少数であり、他の言語では以下に挙げるような別系統の呼称が大部分を占めている。 |
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[[国際連合|国連]]公用6言語における外名は次の通りである。 |
[[国際連合|国連]]公用6言語における外名は次の通りである。 |
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ジョージア憲法の公式英語訳では、第1条3項の国名を定めた部分に{{lang|ka|საქართველო}}を[[ラテン文字]]表記で音韻転写した"Sakartvelo"ではなく英語圏で使用される外名の"'''Georgia'''"が当てられており<ref name="const">{{cite book|url= http://www.parliament.ge/files/68_1944_951190_CONSTIT_27_12.06.pdf |format=pdf|title= Constitution of Georgia|chapter= Chapter 1. Article 1.3|publisher= グルジア[[セイマス|国会]]|accessdate= June 28, 2009}}</ref>{{sfn|Kiss|2018|page=154}}、[[旅券|パスポート]]の表紙にも"Georgia"と大書されるなど事実上これが政府によって「'''基準的な外名'''」と定義されている。同じ"Georgia"の綴りでも、言語別の発音は[[ラテン語]]で「ゲオルギア」、英語で「ジョージア」、スペイン語で「ヘオルヒア」、[[イタリア語]]で「ジョルジャ」<ref group="注釈">イタリア語の女性名「ジョルジャ」は"G'''i'''orgia"と綴られる。</ref>、[[ルーマニア語]]で「ジョルジア」と異なる。この他、ラテン語の「ゲオルギア」と同系統とされるものには[[北ゲルマン語群]]の諸語で"Georgien"と表記する「ゲオルギエン」([[ドイツ語]]や[[スウェーデン語]]など)、フランス語表記の"<span lang="fr">Géorgie</span>"(「ジェオルジ」)、[[ポルトガル語]]表記の"<span lang="pt">Geórgia</span>"(「ジオルジア」)などがある。これら[[西ヨーロッパ|西欧]]から[[北ヨーロッパ|北欧]]にわたる呼称の由来とされる「ゲオルギア」の語源は確実には定義されていないが、いくつかの説がある。 |
ジョージア憲法の公式英語訳では、第1条3項の国名を定めた部分に{{lang|ka|საქართველო}}を[[ラテン文字]]表記で音韻転写した"Sakartvelo"ではなく英語圏で使用される外名の"'''Georgia'''"が当てられており<ref name="const">{{cite book|url= http://www.parliament.ge/files/68_1944_951190_CONSTIT_27_12.06.pdf |format=pdf|title= Constitution of Georgia|chapter= Chapter 1. Article 1.3|publisher= グルジア[[セイマス|国会]]|accessdate= June 28, 2009}}</ref>{{sfn|Kiss|2018|page=154}}、[[旅券|パスポート]]の表紙にも"Georgia"と大書されるなど事実上これが政府によって「'''基準的な外名'''」と定義されている。同じ"Georgia"の綴りでも、言語別の発音は[[ラテン語]]で「ゲオルギア」、英語で「ジョージア」、スペイン語で「ヘオルヒア」、[[イタリア語]]で「ジョルジャ」<ref group="注釈">イタリア語の女性名「ジョルジャ」は"G'''i'''orgia"と綴られる。</ref>、[[ルーマニア語]]で「ジョルジア」と異なる。この他、ラテン語の「ゲオルギア」と同系統とされるものには[[北ゲルマン語群]]の諸語で"Georgien"と表記する「ゲオルギエン」([[ドイツ語]]や[[スウェーデン語]]など)、フランス語表記の"<span lang="fr">Géorgie</span>"(「ジェオルジ」)、[[ポルトガル語]]表記の"<span lang="pt">Geórgia</span>"(「ジオルジア」)などがある。これら[[西ヨーロッパ|西欧]]から[[北ヨーロッパ|北欧]]にわたる呼称の由来とされる「ゲオルギア」の語源は確実には定義されていないが、いくつかの説がある。 |
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#{{仮リンク|ジャック・ド・ヴィトリー|en|Jacques de Vitry}}とフランツ・フェルディナント・フォン・トロイロハの説では、グルジアで{{仮リンク|テトリ・ギオルギ|en|Tetri Giorgi}}({{ |
#{{仮リンク|ジャック・ド・ヴィトリー|en|Jacques de Vitry}}とフランツ・フェルディナント・フォン・トロイロハの説では、グルジアで{{仮リンク|テトリ・ギオルギ|en|Tetri Giorgi}}({{Anchors|聖人}}聖人)がよく知られていることから、これを語源としている{{sfn|Peradze|1937|pages=208-209}}。 |
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#[[ジャン・シャルダン]]などが支持した説では「ゲオルギア」の語源を{{ |
#[[ジャン・シャルダン]]などが支持した説では「ゲオルギア」の語源を{{Anchors|ギリシア語}}ギリシア語の{{lang|el|γεωργία|(耕作)}}と{{lang|el|γεωργία|(農業)}}としている{{sfn|F. Freygang; W. Freygang|1816|p=113}}。この説を支持する証拠として、[[ガイウス・プリニウス・カエキリウス・セクンドゥス|小プリニウス]]<ref>{{cite book|author=プリニウス|title= IV.26, VI.14}}</ref>と{{仮リンク|ポンポーニウス・メラ|en|Pomponius Mela}}<ref>{{cite book|author=メラ|title=De Sita Orb|chapter= i.2, & 50; ii.1, & 44, 102}}</ref>の著作には「ゲオルギ」という農耕民族が登場する。この名付けの理由は、[[パンティカパイオン|パンティカパエウム]]川の対岸にいる放牧民族との区別である{{sfn|Romer|1998|p=72}}{{sfn|Javakhishvili|1930}}。 |
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#「ゲオルギア」という語は11世紀または12世紀に{{ |
#「ゲオルギア」という語は11世紀または12世紀に{{Anchors|[[新ペルシア語|ペルシア語]]}}[[新ペルシア語|ペルシア語]]の''{{lang|fa|gurğ}}''と''{{lang|fa|gurğān}}''に由来するという説もある<ref>{{Cite book|last1=Mikaberidze|first1=Alexander|title=Historical Dictionary of Georgia|date=2015|publisher=Rowman & Littlefield|isbn=978-1442241466|page=3|edition=2|language=en}}</ref>。この2語は[[古代ペルシア語]]と[[パフラヴィー語]]の''{{lang|peo|vrkān}}''と''{{lang| Phli|waručān}}''からきている。その語源は不明だが、パフラヴィー語には''{{lang| Phli|varkâna}}''(オオカミの地)という語があり、[[古典アルメニア語|古アルメニア語]]の''Virk''({{lang|hy|Վիրք}})に連なる可能性もある{{sfn|Lang|1966|pages=5-6}}。 |
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#Elguja Khintibidze などは[[#ギリシア語]]説と[[ |
#Elguja Khintibidze などは[[#ギリシア語]]説と[[ペルシア語]]説を相容れない2説とせずに「ゲオルギア」という名前はギリシア語と[[新ペルシア語|ペルシア語]]の両方の影響が{{Anchors|合わさった}}合わさったとしている<ref group="注釈" name="agriculturist"/>。 |
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英語圏では単に"Georgia"と呼称した場合、呼称の由来のみならず地理的・歴史的にも何ら関係のない[[アメリカ合衆国]]の[[ジョージア州]]<ref group="注釈">ジョージア州の名前の由来は[[イギリスの君主|イギリス王]][[ジョージ2世 (イギリス王)|ジョージ2世]]である。[[ジェームス・オグルソープ]]に対して州の前身となる[[ジョージア植民地|植民地]]の設立に勅許を与えたことから。</ref>と混同されるおそれがあるため、特に国家の方をジョージア'''国'''("'''Country of''' Georgia")<ref>{{Britannica|topic|flag-of-Georgia-national-flag|Flag of Georgia - National flag of the country of Georgia}}</ref><ref>{{Cite news|date=2016-04-07|url=http://www.wsj.com/articles/is-the-country-of-georgia-the-next-great-wine-destination-1460045910|title=Is the Country of Georgia the Next Great Wine Destination?|work=[[ウォール・ストリート・ジャーナル|The Wall Street Journal]]|language=en|accessdate=2016-05-06}}</ref>、アメリカの州をジョージア'''州'''("'''State of''' Georgia")と呼び分ける場合がある。 |
英語圏では単に"Georgia"と呼称した場合、呼称の由来のみならず地理的・歴史的にも何ら関係のない[[アメリカ合衆国]]の[[ジョージア州]]<ref group="注釈">ジョージア州の名前の由来は[[イギリスの君主|イギリス王]][[ジョージ2世 (イギリス王)|ジョージ2世]]である。[[ジェームス・オグルソープ]]に対して州の前身となる[[ジョージア植民地|植民地]]の設立に勅許を与えたことから。</ref>と混同されるおそれがあるため、特に国家の方をジョージア'''国'''("'''Country of''' Georgia")<ref>{{Britannica|topic|flag-of-Georgia-national-flag|Flag of Georgia - National flag of the country of Georgia}}</ref><ref>{{Cite news|date=2016-04-07|url=http://www.wsj.com/articles/is-the-country-of-georgia-the-next-great-wine-destination-1460045910|title=Is the Country of Georgia the Next Great Wine Destination?|work=[[ウォール・ストリート・ジャーナル|The Wall Street Journal]]|language=en|accessdate=2016-05-06}}</ref>、アメリカの州をジョージア'''州'''("'''State of''' Georgia")と呼び分ける場合がある。 |
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グルジア語(カルトリ語)におけるアメリカの州の呼称は{{lang|ka|ჯორჯია|Jorjia}}である。1996年、ジョージア国首都の[[トビリシ]]と[[姉妹都市]]関係にある[[アトランタ]](ジョージア[[州都]])で[[1996年アトランタオリンピック|オリンピック]]開会式が執り行われると、入場行進において[[オリンピックのジョージア選手団|ジョージア選手団]]が特に大きな歓声で迎えられたエピソードは広く知られている<ref>{{cite book|和書|author= |
グルジア語(カルトリ語)におけるアメリカの州の呼称は{{lang|ka|ჯორჯია|Jorjia}}である。1996年、ジョージア国首都の[[トビリシ]]と[[姉妹都市]]関係にある[[アトランタ]](ジョージア[[州都]])で[[1996年アトランタオリンピック|オリンピック]]開会式が執り行われると、入場行進において[[オリンピックのジョージア選手団|ジョージア選手団]]が特に大きな歓声で迎えられたエピソードは広く知られている<ref>{{cite book|和書|author= 池上彰|authorlink=池上彰|title= もっと役立つ! 「話す」「書く」「聞く」技術|series=[[PHP新書]] 伝える力 |volume=2|publisher=|year=2011|chapter= 第5章 51.グルジアはジョージア!? | ISBN= 978-4-569-80057-8}}{{url|https://www.php.co.jp/books/detail.php?isbn=978-4-569-80057-8}}</ref>。 |
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日本で英語名の"Japan"をカナ転写した「[[ジャパン]]」が頻繁に使用されるのと同様に、「ジョルジア」({{Lang|ka|ჯორჯია}})は「英語風の自国の呼称」として意図的に使用される場合があり、たとえば航空会社の[[ジョージアン・エアウェイズ]]は英語名の音韻"Georgian Airways"を自国語に転写したブランド名{{Lang|ka|ჯორჯიან ეარვეისი|(ジョルジアン・エアルヴェイシ)}}を使用している。英語名の"Georgia"はロシア語への音韻転写も行われており、[[キリル文字]]では{{lang|ru|Джорджия|Dzhordzhiya}}{{IPA-ru|dʐˈordʐᵻjə|(ジョールズィヤ)}}と表記される。例えば[[ニュースサイト]]の[[シヴィル・ジョルジア]]({{Lang|ka|სივილ ჯორჯია}})はロシア語名を≪{{lang|ru|Сивил Грузия}}≫ではなく≪{{lang|ru|Сивил Джорджия}}≫としている。[[漢字文化圏]]では、[[台湾]]([[中華民国]])が英語名の"Georgia"を[[音訳]]し「喬治亞」と表記する<ref>[http://www.mofa.gov.tw/CountryInfo.aspx?CASN=7F220D7E656BE749&n=A985E71D2A3FA4B6&sms=26470E539B6FA395&s=324F160A2162E198 喬治亞]([[中華民国外交部]])- 2016年5月6日閲覧。</ref>。 |
日本で英語名の"Japan"をカナ転写した「[[ジャパン]]」が頻繁に使用されるのと同様に、「ジョルジア」({{Lang|ka|ჯორჯია}})は「英語風の自国の呼称」として意図的に使用される場合があり、たとえば航空会社の[[ジョージアン・エアウェイズ]]は英語名の音韻"Georgian Airways"を自国語に転写したブランド名{{Lang|ka|ჯორჯიან ეარვეისი|(ジョルジアン・エアルヴェイシ)}}を使用している。英語名の"Georgia"はロシア語への音韻転写も行われており、[[キリル文字]]では{{lang|ru|Джорджия|Dzhordzhiya}}{{IPA-ru|dʐˈordʐᵻjə|(ジョールズィヤ)}}と表記される。例えば[[ニュースサイト]]の[[シヴィル・ジョルジア]]({{Lang|ka|სივილ ჯორჯია}})はロシア語名を≪{{lang|ru|Сивил Грузия}}≫ではなく≪{{lang|ru|Сивил Джорджия}}≫としている。[[漢字文化圏]]では、[[台湾]]([[中華民国]])が英語名の"Georgia"を[[音訳]]し「喬治亞」と表記する<ref>[http://www.mofa.gov.tw/CountryInfo.aspx?CASN=7F220D7E656BE749&n=A985E71D2A3FA4B6&sms=26470E539B6FA395&s=324F160A2162E198 喬治亞]([[中華民国外交部]])- 2016年5月6日閲覧。</ref>。 |
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{{See|イベリア王国}} |
{{See|イベリア王国}} |
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[[ファイル:Hiberia on Tabula Peutingeriana.jpg|thumb|「Hiberia」(イベリア)と記した[[ポイティンガー図]]。]] |
[[ファイル:Hiberia on Tabula Peutingeriana.jpg|thumb|「Hiberia」(イベリア)と記した[[ポイティンガー図]]。]] |
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イベリアの語源は、{{仮リンク|ギオルギ・メリキシ |
イベリアの語源は、{{仮リンク|ギオルギ・メリキシヴィリ|en|Giorgi Melikishvili}}の主張によると[[アルメニア語]]の{{lang|hy|Վիրք}}(''Virkʿ'')、{{lang|hy|Իվիրք}}(''Ivirkʿ'')と{{lang|hy|Իվերք}}(''Iverkʿ'')にあり、これらは全て[[カルトヴェリ語族]]の''Sver''(「グルジア人」)に連らなるものである<ref name="SAE">{{cite book|language=hy|last= Yeremyan|first= Suren T.|chapter= {{lang|css|Իբերիա|(イベリア)}}|title= Soviet Armenian Encyclopedia| volume= iv| location= [[ザカフカース社会主義連邦ソビエト共和国]][[エレバン]]|publisher= Armenian Academy of Sciences |year= 1978 |p= 306}}</ref>。なお、''Sver'' の頭文字''S'' は接頭辞である。さらに、[[イヴァネ・ジャヴァヒシヴィリ]]の主張によると、民族を指すSverの語源は''Hver''(イベリア)と、アルメニア語でやはり「民族」を意味するVeriaおよびViriaにある。 |
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ジョージア国のアルメニア語名は |
ジョージア国のアルメニア語名は{{lang|hy|Վրաստան}}(''Vrastan'')および{{lang|hy|Վիրք}}(''Virkʿ''、「イベリア」の意味)である。民族としての[[グルジア人]]はアルメニア語では{{lang|hy|Վրացիներ}}(''Vratsʿiner'')であり、これはそのまま「[[イベリア人]]」を意味する。 |
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=== グルジア(グルジスタン) === |
=== グルジア(グルジスタン) === |
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[[ファイル:Prince Muhammad-Beik by Reza Abbasi.jpg|thumb|「ムハンマド=ビーク・'''グルジ'''王子」([[リダー・アッバースィー]]画、1620年)|代替文=]] |
[[ファイル:Prince Muhammad-Beik by Reza Abbasi.jpg|thumb|「ムハンマド=ビーク・'''グルジ'''王子」([[リダー・アッバースィー]]画、1620年)|代替文=]] |
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[[ファイル:Fedor chertezh.jpeg|thumb|[[フョードル2世]]が作成させた「ロシアの地図」。「Iveria sive Grusinæ Imperium」(イベリアまたはグルジア王国)という一文がある。{{仮リンク|ヘッセル・ゲリッツ|en|Hessel Gerritsz}}出版。(1614年、[[アムステルダム]])|代替文=イベリアまたはグルジア王国の文字がある1614年のロシアの地図。]] |
[[ファイル:Fedor chertezh.jpeg|thumb|[[フョードル2世]]が作成させた「ロシアの地図」。「Iveria sive Grusinæ Imperium」(イベリアまたはグルジア王国)という一文がある。{{仮リンク|ヘッセル・ゲリッツ|en|Hessel Gerritsz}}出版。(1614年、[[アムステルダム]])|代替文=イベリアまたはグルジア王国の文字がある1614年のロシアの地図。]] |
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一般に「ロシア語由来」とされる外名 |
一般に「ロシア語由来」とされる外名「{{Lang|ru|Грузия}}」<ref>{{lang-*-Latn|ru|Gruziya}}、{{ipa|'gruzʲɪjə}}</ref>の語源としては、単に「グルド人の土地」を意味する「グルジスタン」からの転訛にすぎないという説がある{{sfn|辻原|2004|p=103}}。その根拠は[[トルコ語]]や[[ペルシャ語]]でも「グルジスタン」に類似の発音であるとし、[[辻原康夫]]説では内名 kartvel-i や Sakartvelo も本来は「グルド」と同根という{{sfn|辻原|2004|p=103}}。 |
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当該国及び民族と歴史的に関わりが深い[[イラン]]やその他のイスラーム教国では、当該国を「グルジ |
当該国及び民族と歴史的に関わりが深い[[イラン]]やその他のイスラーム教国では、当該国を「グルジ」<ref>{{lang-fa|گُرج}}、{{lang-*-Latn|fa|Gurj}}、{{lang|fa-Latn|Gorj}}</ref>と呼ぶ<ref name="Rezvani2009">{{cite journal|title=The Fereydani Georgian Representation of Identity and Narration of History -- A Case of Emic Coherence -- |first=Babak|last=Rezvani|date=2009|journal=Anthropology of the Middle East|volume=4|number=2|pages=52-74|url=http://www.uva.nl/over-de-uva/organisatie/medewerkers/content/r/e/b.rezvani/b.rezvani.html|accessdate=2016-08-20}}</ref><ref name="vajehyab-gorj">{{Cite web|url=https://www.vajehyab.com/dehkhoda/%DA%AF%D8%B1%D8%AC|title={{rtl-lang|fa|لغت نامه دهخدا، معین، عمید و دیکشنری - واژه یاب}}|accessdate=2016-05-03}}</ref>{{Refnest|group="注釈"|name=iranica-georgia-1}}<!--<ref name="iranica-georgia-1">{{Cite encyclopedia|first=Keith|last=Hitchins|title=GEORGIA i. The land and the people|journal=[[Encyclopædia Iranica]]|volume=X/5|pages=460-463|url=http://www.iranicaonline.org/articles/georgia-i|date=2012-02-07|accessdate=2016-05-03|quote=Sakartvelo, or land of the Georgians, as the Georgians call their country, has been inhabited by proto-Georgian peoples and their descendants since the first millenium B.C.E. The Georgians call themselves Kartvelebi, a name which recalls their mythological ancestor, Kartlos. The English term “Georgians” derives from the Persian Gorj and Arabic Korj and was misinterpreted as being derived from St. George, the country’s patron saint (Lang, 1966, p. 18).}}</ref> -->。これに「〜の地」を意味する[[接尾辞]]「[[スターン (地名)|スターン]]」を付加して「グルジスターン」<ref>{{lang-fa|گرجستان}}、{{lang-*-Latn|fa|Gurjistān}}、{{lang|fa-Latn|Gorjestān}}、{{lang-tr|Gürcistan}}</ref>と呼ぶことも一般的である<ref name="vajehyab-gorjestaan">{{Cite web|url=https://www.vajehyab.com/?q=%DA%AF%D8%B1%D8%AC%D8%B3%D8%AA%D8%A7%D9%86|title={{rtl-lang|fa|لغت نامه دهخدا، معین، عمید و دیکشنری - واژه یاب}}|accessdate=2016-05-03}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.mfa.gov.tr/turkiye-gurcistan-siyasi-iliskileri.tr.mfa|title=Türkiye - Gürcistan Siyasi İlişkileri|language=tr |accessdate= 2016-08-20}}</ref>。[[イラン百科事典]]に引用された Lang (1966年) 説では英単語の"Georgians"は、このペルシア語のグルジか、アラビア語のクルジ<ref group="注釈">アラビア語のクルジ al-Kurj は[[新ペルシア語|ペルシア語]]からの借用語である。なお、現代アラビア語では「ジョージア」系統の{{読み仮名_ruby不使用|{{lang|ar|جورجيا}}|ジュルジア}}を用いる。</ref>に由来し、国の守護聖人[[#ジョージア(ゲオルギア)|聖ゲオルギオス]]<ref group="注釈">[[#ジョージア(ゲオルギア)]]の音転写は、グルジア語では{{lang|ka|გიორგი|(ギオルギ)}}、ロシア語では{{lang|ru|Георгий(ゲオルギイ)}}である。</ref>に由来するという説は「広く知られてはいるものの誤りである」としている{{Refnest|group="注釈"|name=iranica-georgia-1|Sakartvelo, or land of the Georgians, as the Georgians call their country, has been inhabited by proto-Georgian peoples and their descendants since the first millenium B.C.E. The Georgians call themselves Kartvelebi, a name which recalls their mythological ancestor, Kartlos. The English term "Georgians" derives from the Persian Gorj and Arabic Korj and was misinterpreted as being derived from St. George, the country's patron saint.{{sfn|Lang|1966|p=18}}{{sfn|iranica-georgia-1|2012|pages=460-463}}}}。 |
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ロシアの文献で |
ロシアの文献で「{{Lang|ru|Грузия}}」が初めて確認されるのは、1389年の{{仮リンク|イグナティ・スモルニエーニン|en|Ignatiy Smolnyanin}}の[[紀行]]に見る「{{Lang|ru|гурзи}}」<ref>{{lang-*-Latn|ru|gurzi}}</ref>と、{{仮リンク|アファーナシ・ニキーチン|en|Afanasy Nikitin}}の1466年-1472年の著作に記された「{{lang|ru|Гурзыньская земля}}」<ref>{{lang-*-Latn|ru|gurzynskaya zemlya}}</ref>(グルジア人の地)である{{Refnest|{{sfn|Vesmer|1987|page=464}} {{url|http://starling.rinet.ru/cgi-bin/response.cgi?basename=%5Cusr%5Clocal%5Cshare%5Cstarling%5Cmorpho%5Cvasmer%5Cvasmer&first=3021&morpho=1&root=/usr/local/share/starling/morpho|オンライン版}}。}}。このロシア語名が[[スラヴ語派]]の各言語や、歴史上において[[ロシア帝国]]と関わりを持ったいくつかの国の言語に持ち込まれたことは[[#グルジア系統|後述]]する<ref name="civil270611">[http://civil.ge/eng/article.php?id=23673 Tbilisi Wants to Be Referred as 'Georgia' Not 'Gruzya']. ''[[シヴィル・ジョルジア]]''. June 27, 2011.</ref>。 |
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日本では[[20世紀]]後半から[[21世紀]]初頭まで「グルジア」と呼ばれていたが、後述のように明治から昭和時代中期までは主に「ジョルジア」が用いられていた。同様に、現代[[ヘブライ語]]では{{lang|he|גרוזיה| |
日本では[[20世紀]]後半から[[21世紀]]初頭まで「グルジア」と呼ばれていたが、後述のように明治から昭和時代中期までは主に「ジョルジア」が用いられていた。同様に、現代[[ヘブライ語]]では{{読み仮名_ruby不使用|{{lang|he|גרוזיה}}|グルツィア}}であるが、ソビエト連邦からイスラエルの移住者が増加する[[1970年代]]までは{{読み仮名_ruby不使用|{{lang|he|גאורגיה}}|ジョージア}}と{{読み仮名_ruby不使用|{{lang|he|גורג'יה}}|ゲルジア}}も使われていた<ref name="bnn" />。 |
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<!--アンカーを置いた箇所。編集で<nowiki>{{Anchor(s)|"文字列"}}もしくは[[#"文字列"]]</nowiki>のマークアップを消さないようにお願いします。「グルジア系統」が他の節をふくむ複数個所で言及されるため、この節に戻って参照できる設定にしてあります。。--> |
<!--アンカーを置いた箇所。編集で<nowiki>{{Anchor(s)|"文字列"}}もしくは[[#"文字列"]]</nowiki>のマークアップを消さないようにお願いします。「グルジア系統」が他の節をふくむ複数個所で言及されるため、この節に戻って参照できる設定にしてあります。。--> |
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「{{ |
「{{Anchors|グルジア系統}}グルジア系統」の外名を使用している言語には[[チェコ語]]({{lang|cs|Gruzie}})、[[ポーランド語]]({{lang|pl|Gruzja}})、[[ブルガリア語]]({{lang|bg|Gruusia}})、[[セルボ・クロアチア語]]({{lang|hbs|Грузија/Gruzija}})、[[スロバキア語]]({{lang|sk|Gruzínsko}})、[[スロベニア語]]({{lang|sl|Gruzija}})、[[ベラルーシ語]]({{lang|be|Грузія}})、[[マケドニア語]]({{lang|mk|Грузија}})、[[ウクライナ語]]({{lang|uk|Грузія}})等の[[スラブ諸語]]や[[トルコ語]] ({{lang|tr|Gürcistan}})、[[アゼルバイジャン語]]({{lang|az|Gürcüstan}})に代表される[[チュルク諸語]]、そして[[エストニア語]] ({{lang|et|Gruusia}})、[[ラトビア語]]({{lang|lv|Gruzija}})、[[ハンガリー語]]({{lang|hu|Grúzia}})、[[ヘブライ語]]({{lang|he|גאורגיה}})、[[ペルシャ語]]({{lang|fa|گُرج}})、[[クルド語]]({{lang|ku|Gurcistan}})がある。 |
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2005年8月、駐イスラエル大使の{{仮リンク|ラシャ・ジュヴァニア|en|Lasha Zhvania}}はヘブライ語話者に「グルジア」ではなく{{lang|he|גאורגיה|ジョージア}}と呼ぶよう要請し<ref>{{cite web|url=http://www.+z.com/hasen/pages/ShArt.jhtml?itemNo=610079 |title=Georgia on his mind: Republic's ambassador demands Hebrew name change|publisher=Haaretz.com|date=2005-08-08|accessdate=2009-06-28|archiveurl= https://web.archive.org/web/20140703025846/http://www.haaretz.com/print-edition/news/georgia-on-his-mind-republic-s-ambassador-demands-hebrew-name-change-1.166281|archivedate=2014-07-03|language= en}}</ref>、[[イスラエル|イスラエル政府]]はこの要請への態度を明確にしていないが民間では主として「ジョージア」が徐々に使われている<ref name="bnn" />。[[2009年]]12月には同じ要請が[[リトアニア]]に発され、[[国家リトアニア語委員会]]が調査に着手<ref>{{cite web|author=Mindaugas Jackevičius| |
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|title=Gruzija nori būti vadinama "Georgija"|publisher=delfi.lt|url=http://www.delfi.lt/news/daily/lithuania/gruzija-nori-buti-vadinama-georgija.d?id=26304293|date= 2009-12-02|accessdate=2009-12-02|language=lt}}</ref>。その結果、[[2017年]]9月に[[セイマス|国会]]議長の |
|title=Gruzija nori būti vadinama "Georgija"|publisher=delfi.lt|url=http://www.delfi.lt/news/daily/lithuania/gruzija-nori-buti-vadinama-georgija.d?id=26304293|date= 2009-12-02|accessdate=2009-12-02|language=lt}}</ref>。その結果、[[2017年]]9月に[[セイマス|国会]]議長の[[ヴィクトラス・プランツキエティス]]が「2018年以降はグルジヤ ("Gruzija") の使用を取りやめ{{lang|en|"Sakartvelas"|サカルトヴェラス}}に外名を変更する」と発表した{{sfn|EURASIANET.org|2017}}<ref name="bnn" /><ref name="rfe" />。リトアニアによる外名変更は、[[ソビエト連邦構成国]]を前身とする国家では初の事例と見られる。 |
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2011年6月には、[[大韓民国]]との外相会談で[[朝鮮語]]の外名を{{読み仮名_ruby不使用|{{Lang|ko|그루지야}}|グルジア}}から{{読み仮名_ruby不使用|{{Lang|ko|조지아}}|ジョージア}}に変えることで合意した<ref name="civil270611"/>。ただし、[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]では韓国での呼称変更後も「グルジア」が引き続き使用されている。日本では[[#日本における外名の変遷|後述]]のように、[[2015年]]4月から「グルジア」から「ジョージア」へ外名が変更された{{sfn|木村|2016|pages=1484-1486}}<ref name="wpe5">{{ISBN2|978-4-254-16895-2}}</ref><ref name="japantimes2015"/>。 |
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「喬治亞」を使用している台湾以外の漢字文化圏では「グルジア」を音訳した「{{Lang|zh|格鲁吉亚}}」([[簡体字]])が[[中華人民共和国]]の[[中国大陸|大陸部]]で<ref>{{cite web|url= http://www.fmprc.gov.cn/web/gjhdq_676201/gj_676203/yz_676205/1206_676476/1206x0_676478/ |title= 格鲁吉亚国家概况|publisher= [[中華人民共和国外交部]]|accessdate= 2016年5月6日|language=zh}}</ref>、また「格魯吉亞」([[繁体字]])が[[香港]]で使用されている<ref>{{Cite news|date=2015-10-15|url=http://www.news.gov.hk/tc/city_life/html/2015/10/20151015_165013.shtml|title=格魯吉亞國家舞蹈團載譽重臨|work=香港政府新聞網|accessdate=2016-05-06|language=zh-Hant-HK}}</ref>。 |
「喬治亞」を使用している台湾以外の漢字文化圏では「グルジア」を音訳した「{{Lang|zh|格鲁吉亚}}」([[簡体字]])が[[中華人民共和国]]の[[中国大陸|大陸部]]で<ref>{{cite web|url= http://www.fmprc.gov.cn/web/gjhdq_676201/gj_676203/yz_676205/1206_676476/1206x0_676478/ |title= 格鲁吉亚国家概况|publisher= [[中華人民共和国外交部]]|accessdate= 2016年5月6日|language=zh}}</ref>、また「格魯吉亞」([[繁体字]])が[[香港]]で使用されている<ref>{{Cite news|date=2015-10-15|url=http://www.news.gov.hk/tc/city_life/html/2015/10/20151015_165013.shtml|title=格魯吉亞國家舞蹈團載譽重臨|work=香港政府新聞網|accessdate=2016-05-06|language=zh-Hant-HK}}</ref>。 |
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== 日本における外名の変遷 == |
== 日本における外名の変遷 == |
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{{Seealso|日本とジョージアの関係}} |
{{Seealso|日本とジョージアの関係}} |
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[[開国]]後の日本では[[ロシア帝国]]の被支配下に置かれていた当地についてロシア語由来の「'''グルジヤ'''」、もしくは英語の"Georgia"を音韻転写した「'''ジョルジア'''」の2通りの外名が用いられていた |
[[開国]]後の日本では[[ロシア帝国]]の被支配下に置かれていた当地についてロシア語由来の「'''グルジヤ'''」、もしくは英語の"Georgia"を音韻転写した「'''ジョルジア'''」の2通りの外名が用いられていた{{refnest|目次に"'''「ジョルジア」國'''"の用例有り{{sfn|条約局|1925|p=目次}}{{NDLJP|1340700}}{{全国書誌番号|49008647}}{{doi|10.11501/1340700}}。}}{{sfn|海外消費組合事情|1931|page=115}}。この「ジョルジア」は[[20世紀]]半ばまで用いられたが<ref group="注釈">「ジョルジア」の使用は、遅い時期のものでは、[[読売新聞]]([[読売新聞東京本社|東京本社]]版)1968年6月28日付8面「海外メモ」に「日本柔道チームはトビリシでジョルジア・チームと対戦」との記述が見られる。</ref>{{sfn|下宮|1968|pages=29-52}}、[[1956年]]([[昭和]]31年)の[[日ソ共同宣言]]以降は[[東側諸国|共産圏]]の報道に強みを持つ[[ラヂオプレス]]で「'''グルジア'''」が用いられたこともあり、次第に「グルジア」が「ジョルジア」に対して多数を占めるに至った。 |
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[[1991年]]([[平成]]3年)の[[ソ連崩壊]]による再度の独立回復により、旧ソ連時代に用いられたロシア語は公用語とされなくなった。そして[[1992年]](平成4年)4月に日本との国交が樹立されて以降は、[[モスクワ]]を経由せず現地の情報が直に日本へ入るようになったこともあり、特に多数民族の[[カルトヴェリ人]]の間で根強い[[反露]]感情についても周知される機会が増加している<ref>{{cite journal|和書|author= 歌川令三 |url= https://nippon.zaidan.info/kinenkan/moyo/0001041/moyo_item.html |title= 南コーカサス・グルジアの旅(上)〈渡る世界には鬼もいる〉|journal=財界|date=2002-11-19}}</ref><ref>{{cite journal|和書|author=甲地利恵|url= http://douminzoku.web.fc2.com/kaishi_pdf/07/07-07houkokukouchi.pdf |format=pdf|title= 現地報告 伝統的ポリフォニー国際シンポジウム 参加報告|pages= 66-72|journal= 北海道民俗学|number= 7|year=2011|location= 札幌 |publisher= 北海道民族学会|naid=40019740708|accessdate=2016-05-03}}</ref>。そうした経緯から[[2000年代]]半ばより[[特許]]分野や一部の[[ワイン]]輸入事業者などで自主的に「'''ジョージア'''」が使用されるようになった{{Refnest|name="注釈"|特許庁の資料<ref>{{cite journal|和書|url= |
[[1991年]]([[平成]]3年)の[[ソビエト連邦の崩壊]]による再度の独立回復により、旧ソ連時代に用いられたロシア語は公用語とされなくなった。そして[[1992年]](平成4年)4月に日本との国交が樹立されて以降は、[[モスクワ]]を経由せず現地の情報が直に日本へ入るようになったこともあり、特に多数民族の[[カルトヴェリ人]]の間で根強い[[反露]]感情についても周知される機会が増加している<ref>{{cite journal|和書|author= 歌川令三 |url= https://nippon.zaidan.info/kinenkan/moyo/0001041/moyo_item.html |title= 南コーカサス・グルジアの旅(上)〈渡る世界には鬼もいる〉|journal=財界|date=2002-11-19}}</ref><ref>{{cite journal|和書|author=甲地利恵|url= http://douminzoku.web.fc2.com/kaishi_pdf/07/07-07houkokukouchi.pdf |format=pdf|title= 現地報告 伝統的ポリフォニー国際シンポジウム 参加報告|pages= 66-72|journal= 北海道民俗学|number= 7|year=2011|location= 札幌 |publisher= 北海道民族学会|naid=40019740708|accessdate=2016-05-03}}</ref>。そうした経緯から[[2000年代]]半ばより[[特許]]分野や一部の[[ワイン]]輸入事業者などで自主的に「'''ジョージア'''」が使用されるようになった{{Refnest|name="注釈"|特許庁の資料<ref>{{cite journal|和書|url= https://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_1247316_po_02ipc_03.pdf?contentNo=3&alternativeNo= |title= 各国におけるIPC付与状況 |publisher=[[特許庁]]|journal= 国際特許分類、FI、Fタームの概要とそれらを用いた先行技術調査 : 平成20年度知的財産権制度説明会(実務者向け)テキスト付属資料|page=87|year= 2008|accessdate=2016-05-03}}</ref>は、[[WIPO]]資料「Use of the Eighth Edition of the IPC by Industrial Property Offices」 (Summary of Replies Received in Response to WIPO Circular No. IPC 145, issued on November 21, 2005) に基づく |
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<ref>{{cite document|和書|url=http://www.wipo.int/classifications/ipc/en/reform/table_use_core_adv.doc|title=Use of the Eighth Edition of the IPC by Industrial Property Offices (Start date, core or advanced level, reclassification plans)|date= August 18, 2006|edition=3 |pages=3, 5|language=en}}</ref>。}}<ref>{{ |
<ref>{{cite document|和書|url=http://www.wipo.int/classifications/ipc/en/reform/table_use_core_adv.doc|title=Use of the Eighth Edition of the IPC by Industrial Property Offices (Start date, core or advanced level, reclassification plans)|date= August 18, 2006|edition=3 |pages=3, 5|language=en}}</ref>。}}<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.racines.co.jp/library/goda/93.html |title= 再び、グルジア、でなく、ジョージアへ(『ラシーヌ便り』no. 93)|author= 合田泰子|accessdate=2014-10-30 }}</ref><ref>{{Cite book|和書|title=ジョージアのクヴェヴリワインと食文化: 母なる大地が育てる世界最古のワイン伝統製法|date=2017/4/14|year=|publisher=[[誠文堂新光社]]|author=島村菜津|author2=合田泰子|author3=北嶋裕|others=塚原正章 (監修)|isbn=978-4416516355}}</ref>。[[2008年]]に[[南オセチア]]の独立主張を巡ってロシアとの間で勃発した[[南オセチア紛争 (2008年)|南オセチア紛争]]はこの流れを決定づける契機になり、[[国際通貨基金]](IMF)でも[[2012年]](平成24年)版の『IMFを通じた日本の技術支援活動等に関する年次報告書』では「ジョージア」を使用している<ref>{{cite book|和書|url=https://www.imf.org/external/japanese/pubs/ft/ta/2012/jaa/jsa12j.pdf|format=pdf|title= IMFを通じた日本の技術支援活動等に関する年次報告書|page=11|accessdate=2016-05-03}}</ref>。 |
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こうした情勢の変化も後押しする形で[[2014年]](平成26年)には両国の首脳会談で[[日本国政府|日本政府]]に対して「グルジア」の使用取りやめおよび「ジョージア」への外名変更が正式に要請されるに至り<ref>{{Cite news |
こうした情勢の変化も後押しする形で[[2014年]](平成26年)には両国の首脳会談で[[日本国政府|日本政府]]に対して「グルジア」の使用取りやめおよび「ジョージア」への外名変更が正式に要請されるに至り<ref>{{Cite news |
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|date = 2014-10-24 |
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|author= 高橋恵子 |
|author= 高橋恵子 |
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|url = http://mainichi.jp/select/news/20141025k0000m010074000c.html |
|url = https://web.archive.org/web/20141030152315/http://mainichi.jp/select/news/20141025k0000m010074000c.html |
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|accessdate = 2014-10-30 |
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|archiveurl= https://web.archive.org/web/20141104144459/http://mainichi.jp/select/news/20141025k0000m010074000c.html |
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|archivedate= 2014-11-04 |
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}}</ref>、日本では[[2015年]](平成27年)の[[在外公館の名称及び位置並びに在外公館に勤務する外務公務員の給与に関する法律]](在外公館設置法)の別表改正を経て同年[[4月22日]]より「ジョージア」を正式な外名とした<ref name="wpe5" /><ref>{{Cite web |
}}</ref>、日本では[[2015年]](平成27年)の[[在外公館の名称及び位置並びに在外公館に勤務する外務公務員の給与に関する法律]](在外公館設置法)の別表改正を経て同年[[4月22日]]より「ジョージア」を正式な外名とした<ref name="wpe5" /><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press4_002048.html |title=報道発表 国名呼称の変更(グルジア)平成27年4月22日|date=2015-04-22|publisher=[[外務省]] |accessdate=2016-08-13|quote=本変更は,ジョージア政府からの累次の機会に及ぶ要請及び国際社会における呼称等を総合的に勘案し,「ジョージア」の呼称を使用することが政策上適切と判断したものです。}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=ジョージア(グルジア)基礎知識(首都、人口、宗教、言語、経済状況)|url=http://www.dtac.jp/caucasus/georgia/data.php|website=DTACジョージア(グルジア)観光情報局|accessdate=2019-08-20|publisher=NPO法人 途上国観光支援センター|quote=国名 {{!}} ジョージア Georgia (旧ソビエトの「グルジア」の国名の表記を英語に由来する「ジョージア」に変更することを、日本政府も2015年度採用し、呼び方が変わりました。)}}</ref>。政体の変革などを理由とする場合を別にして、日本政府が外国政府から個別関係下で行われた要請に基づき外名を変更したのは、[[1986年]]以来2例目<ref group="注釈">在外公館設置法の別表改正としては[[2003年]]以来。このときは旧称「象牙海岸」(フランス語の国名の意訳)から[[コートジボワール]]に改正。</ref>である。マスメディアでは政府による外名変更を受けて一斉に「ジョージア」への切り替えが進められたが、一部では「ジョージア(グルジア)」と以前の外名<ref>{{Cite web|和書|title=DTAC ジョージア(グルジア)観光情報局|url=http://www.dtac.jp/caucasus/georgia/|website=|accessdate=2019-08-20|publisher=NPO法人 途上国観光支援センター}}</ref>もしくは現在の外名<ref>{{Cite web|和書|title=世界の文字|url=http://www.chikyukotobamura.org/muse/wr_casia_13.html|website=www.chikyukotobamura.org|accessdate=2019-08-20|publisher=地球ことば村|date=2018-08-20}}</ref>を括弧書きで並記する事例も見られる。 |
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なお「ジョージア」は2000年代以前に全く使用例が無い[[レトロニム]]ではなく、早い時期では大正から昭和初期(1920年代-1930年代)当時の主流「ジョルジア」の表記ゆれと言う形で、少数ながら使用例が見られる<ref>[[大阪朝日新聞]]、1922年4月17日「[ |
なお「ジョージア」は2000年代以前に全く使用例が無い[[レトロニム]]ではなく、早い時期では大正から昭和初期(1920年代-1930年代)当時の主流「ジョルジア」の表記ゆれと言う形で、少数ながら使用例が見られる<ref>[[大阪朝日新聞]]、1922年4月17日「[{{新聞記事文庫|url|0100319964|title=仏露両国の拮抗でゼノア会議危機に瀕す : 英首相の緩和策も無効 : 露国の屈伏か仏国の脱退か|oldmeta=10155360}} 仏露両国の拮抗でゼノア会議危機に瀕す]」</ref><ref>満洲日報、1932年11月23日「[{{新聞記事文庫|url|0100154393|title=ロシアの石油界 : 豊富な埋蔵 : 最近はカナダと物々交換|oldmeta=00109044}} ロシアの石油界 豊富な埋蔵 最近はカナダと物々交換]」。</ref>。 |
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一方で「グルジア語」「[[グルジア文字]]」「 |
一方で「グルジア語」「[[グルジア文字]]」「グルジア料理」など「グルジア」を冠するものの名称は、本来は国家の名称とは関係ないが、政治的な都合から「ジョージア語」「ジョージア文字」「[[ジョージア料理]]」などに置き換える事例も一部に見られる<ref>{{Cite book|title=日本語 - グルジア語 初心者用: 2ヶ国語対応|date=2017/1/5|year=|publisher=50LANGUAGES LLC|author=Dr. Johannes Schumann|isbn=978-1640184190}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.nacos.com/information/character/charset/004.php|title=世界の文字 > グルジア文字 Georgian character|accessdate=2019-08-20|publisher=中西印刷株式会社|archivedate=2013-10-02|archiveurl=https://web.archive.org/web/20131002084739/http://www.nacos.com/information/character/charset/004.php}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=日本人がハマる「グルジア料理」とは?人気料理5選と東京で食べれるお店をご紹介!|url=https://kurashi-no.jp/I0017486|website=kurashi-no.jp|accessdate=2019-08-20|language=ja|publisher=暮らし~の [クラシーノ]|date=2019年06月24日}}</ref>。また、英語で慣例化されている国と州の混同を避ける"'''Country of''' Georgia"および"'''State of''' Georgia"の呼び分けと同様に、米ジョージア州と区別を付ける目的もあり、[[1995年]]の憲法採択以降は正式名称に(「[[共和国]]」など)政体を含まないながらも「ジョージア'''国'''」とする用例が当事国の[[大使館]]を含めて確認される<ref>{{Cite web|和書|url= http://japan.mfa.gov.ge/index.php?lang_id=JAP&sec_id=594&info_id=30437 |title= 外務大臣政務官 [[薗浦健太郎]]氏が、ジョージア国を訪問した|author= [[駐日ジョージア大使館|在日ジョージア大使館]]|date= 2015-05-02|archiveurl= https://web.archive.org/web/20160815200307/http://japan.mfa.gov.ge/index.php?lang_id=JAP&sec_id=594&info_id=30437|archivedate= 2016-08-15|accessdate=2016-05-03 }}</ref><ref>{{Cite web|和書|url= http://georgiadragonwines.com/aug2015J.pdf |title=猛暑を克服! ジョージア国ワインパーティー {{!}} [[井浦新]]によるクヴェヴリ・ワイン特集 {{!}} NHK BS衛星放送「アジアハイウエイを行く」|format=pdf|publisher= Georgia Dragon Wines|archiveurl= https://web.archive.org/web/20160404084909/http://georgiadragonwines.com/aug2015J.pdf|archivedate= 2016-04-04|accessdate= 2016-05-03}}</ref>。 |
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== 脚注 == |
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* {{cite book|author1= Freygang, Frederika von (1790–1863)|author2= Freygang, Wilhelm von (1783–1849)|title= Lettres sur le Caucase et la Géorgie. Suivies d'une relation d'un voyage en Perse en 1812|publisher= Perthes & Besser|year= 1816|page= 113|ref={{sfnref|F. Freygang; W. Freygang|1816}}}} |
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* {{cite book|editor-last= Romer|editor-first= Frank E.|year= 1998|title= Pomponius Mela's Description of the World| p= 72|publisher= [[ミシガン大学|ミシガン大学出版局]]| ISBN=0-472-08452-6|ref={{sfnref|Romer|1998}}}} |
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* {{cite book|chapter= "Red Lines" Remain: ''de facto'' States and the Foreign Policy Orientation of Georgia|title= The Former Soviet Union and East Central Europe between Conflict and Reconciliation |first=Annamaria |last1= Kiss|publisher= Vandenhoeck & Ruprecht|others= Lily Gardner Feldman (序); Barash, Raisa; Goda, Samuel; Zempelburg, André (共編)|date= 2018-12-03 |page=154|ref={{sfnref|Kiss|2018|page=154}}}} |
* {{cite book|chapter= "Red Lines" Remain: ''de facto'' States and the Foreign Policy Orientation of Georgia|title= The Former Soviet Union and East Central Europe between Conflict and Reconciliation |first=Annamaria |last1= Kiss|publisher= Vandenhoeck & Ruprecht|others= Lily Gardner Feldman (序); Barash, Raisa; Goda, Samuel; Zempelburg, André (共編)|date= 2018-12-03 |page=154|ref={{sfnref|Kiss|2018|page=154}}}} |
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'''出典以外の資料''' |
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* {{Ka icon}} Paichadze, Giorgi (ed., 1993), [https://www.worldcat.org/wcpa/oclc/619988401?page=frame&url=http%3A%2F%2Fcatalog.hathitrust.org%2Fapi%2Fvolumes%2Foclc%2F33271945.html%26checksum%3D5e324b8e43d034d91f56a0796ca5d1c4&title=&linktype=digitalObject&detail=საქართველოსა და ქართველების აღმნიშვნელი უცხოური და ქართული ტერმინოლოგია] (''Sakʻartʻvelosa da kʻartʻvelebis aġmnišvneli ucʻxouri da kʻartuli terminologia'' 『ジョージアおよびジョージア人を示す外国語およびジョージア語の用語』)、[[トビリシ]]:Metsniereba, {{ |
* {{Ka icon}} Paichadze, Giorgi (ed., 1993), [https://www.worldcat.org/wcpa/oclc/619988401?page=frame&url=http%3A%2F%2Fcatalog.hathitrust.org%2Fapi%2Fvolumes%2Foclc%2F33271945.html%26checksum%3D5e324b8e43d034d91f56a0796ca5d1c4&title=&linktype=digitalObject&detail=საქართველოსა და ქართველების აღმნიშვნელი უცხოური და ქართული ტერმინოლოგია] (''Sakʻartʻvelosa da kʻartʻvelebis aġmnišvneli ucʻxouri da kʻartuli terminologia'' 『ジョージアおよびジョージア人を示す外国語およびジョージア語の用語』)、[[トビリシ]]:Metsniereba, {{ISBN2|5-520-01504-X}}、{{oclc|619988401}}。目次:ジョージア語(英語訳・ロシア語訳)、本文:ジョージア語(英語・ロシア語抄訳)。<!--英語版にて本文出典ではないことを確認。worldcatにてオンライン版(HathiTrust Digital Library版、利用者登録がなくても検索のみ可)とoclc確認。--> |
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*北川 誠一「グルジア国民統合とメスヘティ・トルコ人」『ロシア研究』第22号、日本国際問題研究所、1996年3月。64-80頁。{{全国書誌番号|00092244}}、{{DOI|10.11501/2885823}}。 |
*北川 誠一「グルジア国民統合とメスヘティ・トルコ人」『ロシア研究』第22号、日本国際問題研究所、1996年3月。64-80頁。{{全国書誌番号|00092244}}、{{DOI|10.11501/2885823}}。 |
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グルジアの歴史 საქართველოს ისტორია | ||||||||||||||||||||||||||||
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ジョージアの国名(ジョージアのこくめい)では、南コーカサスにあり日本語でジョージア(英: Georgia [ˈdʒɔːrdʒə] ( 音声ファイル))、またはグルジア(露: Грузия [ˈɡruzʲɪjə] )と呼ばれている国家の名称について解説する。
英語圏で使われている同国の外名(エクソニム)である"Georgia"の語源は明らかではないが、ギリシア語起源説[1][2]、キリスト教の聖人説、ペルシア語起源説などがあり、これらのいくつかが合わさった説もある[注釈 1]。ジョージア国政府はラテン文字表記の"Georgia"を基準的な外名と定義しており、ロシア語由来(異説あり)とされる外名"Gruziya"(Грузия, グルジア)[疑問点 ]の使用を積極的に排除しようとしている[4]。
内名
[編集]ジョージア国内で自国を指す内名(エンドニム)は、憲法第2条1項に定められたサカルトヴェロ(საქართველო Sakartvelo [sakʰartʰvɛlɔ] )である[5]。同国の多数民族を指す「カルトヴェリ」(kartvel-i)という語は元々グルジアの東部にあたる地域を統治したイベリア王国(コーカサス・イベリア)の中心であるカルトリ地域に住む人を指すが、9世紀までに「カルトリ」という語は中世グルジアの全地域に住む人を指すようになった[注釈 2]。また接周辞のsa- -oは「〜が住む場所」の意味であり、〜には民族名が入る[6]。国名がカルトリに由来する原因としては、その時期にグルジアの政治実体と文化が芽生えはじめたことが考えられる。
サカルトヴェロという名前が初めて歴史書に現れるのは800年ごろジュアンシャル・ジュアンシェリアニが書いた『グルジア年代記』である。その後200年間、サカルトヴェロの意味は徐々に変わり、1008年にバグラト3世がアブハジア王国とタオ=クラルジェティを統一してグルジア王国を成立させると、サカルトヴェロは全グルジアを指すようになった。しかし、それが公的に使われるには13世紀までかかっている[6]。
15世紀にグルジア王国が崩壊してイメレティ王国、カヘティ王国、カルトリ王国など3つの王国と5つの公国が成立しても、統一したグルジア国の記憶は人々の心に残った。そのため、この時期の王たちはグルジア王の称号を決して捨てなかった。18世紀の王族ヴァフシティ王子が書いた『グルジア王国の記述』も統一グルジアを堅持した。彼の生きていた時代、グルジアは現実にはいくつかの王国と公国に分裂していたが、彼はそれらを1つの国として扱い歴史書に表現した[6]。 他のカルトヴェリ語族の言語でも似たような表現が使われている。メグレル語ではსაქორთუო sakortuo、ラズ語ではოქორთურა okortura、スヴァン語ではსაქართველო sakartvelo、アブハズ語ではҚырҭтәыла Kyrţtwylaである。非カルトヴェリ語族の言語では、リトアニア語で2018年から従来の「グルジア」にあたる呼称の使用を取りやめて「サカルトヴェロ」に対応する呼称へ外名を変更することが発表されている[7][8][9]が、それぞれ Gruzija(グルジヤ)、Sakartvelas(サカルトヴェラス)という呼称である[10]。
諸言語の外名
[編集]カルトヴェリ語族以外の言語で外名として「#サカルトヴェロ」に由来する呼称を使用するのはエスペラントの"Kartvelio カルトヴェリーオ"などごく少数であり、他の言語では以下に挙げるような別系統の呼称が大部分を占めている。
国連公用6言語における外名は次の通りである。
言語名 | 表記(ローマ字転写) | 国際発音記号 | (カナ転写) | |
---|---|---|---|---|
英語 | Georgia | [ʤɔːʤə] | (ジョージャ) | |
フランス語 | Géorgie | [ʒeɔʁʒi] | (ジェオルジ) | |
スペイン語 | Georgia | [xeˈoɾxja] | (ヘオルヒア) | |
ロシア語 | Грузия | Gruziya | [ɡrˈuzʲɪjə] | (グルージヤ) |
中国語(簡体字) | 格鲁吉亚 | Gelujiya | [gélǔjíyà] | (クールーチーヤー) |
アラビア語 | جورجيا | Jurjia | [dʒawrdʒaː] | (ジュルジア) |
ジョージア(ゲオルギア)
[編集]ジョージア憲法の公式英語訳では、第1条3項の国名を定めた部分にსაქართველოをラテン文字表記で音韻転写した"Sakartvelo"ではなく英語圏で使用される外名の"Georgia"が当てられており[11][12]、パスポートの表紙にも"Georgia"と大書されるなど事実上これが政府によって「基準的な外名」と定義されている。同じ"Georgia"の綴りでも、言語別の発音はラテン語で「ゲオルギア」、英語で「ジョージア」、スペイン語で「ヘオルヒア」、イタリア語で「ジョルジャ」[注釈 3]、ルーマニア語で「ジョルジア」と異なる。この他、ラテン語の「ゲオルギア」と同系統とされるものには北ゲルマン語群の諸語で"Georgien"と表記する「ゲオルギエン」(ドイツ語やスウェーデン語など)、フランス語表記の"Géorgie"(「ジェオルジ」)、ポルトガル語表記の"Geórgia"(「ジオルジア」)などがある。これら西欧から北欧にわたる呼称の由来とされる「ゲオルギア」の語源は確実には定義されていないが、いくつかの説がある。
- ジャック・ド・ヴィトリーとフランツ・フェルディナント・フォン・トロイロハの説では、グルジアでテトリ・ギオルギ(聖人)がよく知られていることから、これを語源としている[13]。
- ジャン・シャルダンなどが支持した説では「ゲオルギア」の語源をギリシア語のγεωργία (耕作)とγεωργία (農業)としている[14]。この説を支持する証拠として、小プリニウス[15]とポンポーニウス・メラ[16]の著作には「ゲオルギ」という農耕民族が登場する。この名付けの理由は、パンティカパエウム川の対岸にいる放牧民族との区別である[1][2]。
- 「ゲオルギア」という語は11世紀または12世紀にペルシア語のgurğとgurğānに由来するという説もある[17]。この2語は古代ペルシア語とパフラヴィー語のvrkānとwaručānからきている。その語源は不明だが、パフラヴィー語にはvarkâna(オオカミの地)という語があり、古アルメニア語のVirk(Վիրք)に連なる可能性もある[18]。
- Elguja Khintibidze などは#ギリシア語説とペルシア語説を相容れない2説とせずに「ゲオルギア」という名前はギリシア語とペルシア語の両方の影響が合わさったとしている[注釈 1]。
英語圏では単に"Georgia"と呼称した場合、呼称の由来のみならず地理的・歴史的にも何ら関係のないアメリカ合衆国のジョージア州[注釈 4]と混同されるおそれがあるため、特に国家の方をジョージア国("Country of Georgia")[19][20]、アメリカの州をジョージア州("State of Georgia")と呼び分ける場合がある。
グルジア語(カルトリ語)におけるアメリカの州の呼称はჯორჯია Jorjiaである。1996年、ジョージア国首都のトビリシと姉妹都市関係にあるアトランタ(ジョージア州都)でオリンピック開会式が執り行われると、入場行進においてジョージア選手団が特に大きな歓声で迎えられたエピソードは広く知られている[21]。
日本で英語名の"Japan"をカナ転写した「ジャパン」が頻繁に使用されるのと同様に、「ジョルジア」(ჯორჯია)は「英語風の自国の呼称」として意図的に使用される場合があり、たとえば航空会社のジョージアン・エアウェイズは英語名の音韻"Georgian Airways"を自国語に転写したブランド名ჯორჯიან ეარვეისი (ジョルジアン・エアルヴェイシ)を使用している。英語名の"Georgia"はロシア語への音韻転写も行われており、キリル文字ではДжорджия Dzhordzhiyaロシア語発音: [dʐˈordʐᵻjə]と表記される。例えばニュースサイトのシヴィル・ジョルジア(სივილ ჯორჯია)はロシア語名を≪Сивил Грузия≫ではなく≪Сивил Джорджия≫としている。漢字文化圏では、台湾(中華民国)が英語名の"Georgia"を音訳し「喬治亞」と表記する[22]。
イベリア
[編集]イベリアの語源は、ギオルギ・メリキシヴィリの主張によるとアルメニア語のՎիրք(Virkʿ)、Իվիրք(Ivirkʿ)とԻվերք(Iverkʿ)にあり、これらは全てカルトヴェリ語族のSver(「グルジア人」)に連らなるものである[23]。なお、Sver の頭文字S は接頭辞である。さらに、イヴァネ・ジャヴァヒシヴィリの主張によると、民族を指すSverの語源はHver(イベリア)と、アルメニア語でやはり「民族」を意味するVeriaおよびViriaにある。
ジョージア国のアルメニア語名はՎրաստան(Vrastan)およびՎիրք(Virkʿ、「イベリア」の意味)である。民族としてのグルジア人はアルメニア語ではՎրացիներ(Vratsʿiner)であり、これはそのまま「イベリア人」を意味する。
グルジア(グルジスタン)
[編集]一般に「ロシア語由来」とされる外名「Грузия」[24]の語源としては、単に「グルド人の土地」を意味する「グルジスタン」からの転訛にすぎないという説がある[25]。その根拠はトルコ語やペルシャ語でも「グルジスタン」に類似の発音であるとし、辻原康夫説では内名 kartvel-i や Sakartvelo も本来は「グルド」と同根という[25]。
当該国及び民族と歴史的に関わりが深いイランやその他のイスラーム教国では、当該国を「グルジ」[26]と呼ぶ[27][28][注釈 5]。これに「〜の地」を意味する接尾辞「スターン」を付加して「グルジスターン」[29]と呼ぶことも一般的である[30][31]。イラン百科事典に引用された Lang (1966年) 説では英単語の"Georgians"は、このペルシア語のグルジか、アラビア語のクルジ[注釈 6]に由来し、国の守護聖人聖ゲオルギオス[注釈 7]に由来するという説は「広く知られてはいるものの誤りである」としている[注釈 5]。
ロシアの文献で「Грузия」が初めて確認されるのは、1389年のイグナティ・スモルニエーニンの紀行に見る「гурзи」[34]と、アファーナシ・ニキーチンの1466年-1472年の著作に記された「Гурзыньская земля」[35](グルジア人の地)である[37]。このロシア語名がスラヴ語派の各言語や、歴史上においてロシア帝国と関わりを持ったいくつかの国の言語に持ち込まれたことは後述する[38]。
日本では20世紀後半から21世紀初頭まで「グルジア」と呼ばれていたが、後述のように明治から昭和時代中期までは主に「ジョルジア」が用いられていた。同様に、現代ヘブライ語では (グルツィア)であるが、ソビエト連邦からイスラエルの移住者が増加する1970年代までは (ジョージア)と (ゲルジア)も使われていた[8]。 「グルジア系統」の外名を使用している言語にはチェコ語(Gruzie)、ポーランド語(Gruzja)、ブルガリア語(Gruusia)、セルボ・クロアチア語(Грузија/Gruzija)、スロバキア語(Gruzínsko)、スロベニア語(Gruzija)、ベラルーシ語(Грузія)、マケドニア語(Грузија)、ウクライナ語(Грузія)等のスラブ諸語やトルコ語 (Gürcistan)、アゼルバイジャン語(Gürcüstan)に代表されるチュルク諸語、そしてエストニア語 (Gruusia)、ラトビア語(Gruzija)、ハンガリー語(Grúzia)、ヘブライ語(גאורגיה)、ペルシャ語(گُرج)、クルド語(Gurcistan)がある。
2005年8月、駐イスラエル大使のラシャ・ジュヴァニアはヘブライ語話者に「グルジア」ではなくגאורגיה ジョージアと呼ぶよう要請し[39]、イスラエル政府はこの要請への態度を明確にしていないが民間では主として「ジョージア」が徐々に使われている[8]。2009年12月には同じ要請がリトアニアに発され、国家リトアニア語委員会が調査に着手[40]。その結果、2017年9月に国会議長のヴィクトラス・プランツキエティスが「2018年以降はグルジヤ ("Gruzija") の使用を取りやめ"Sakartvelas" サカルトヴェラスに外名を変更する」と発表した[41][8][9]。リトアニアによる外名変更は、ソビエト連邦構成国を前身とする国家では初の事例と見られる。
2011年6月には、大韓民国との外相会談で朝鮮語の外名を (グルジア)から (ジョージア)に変えることで合意した[38]。ただし、北朝鮮では韓国での呼称変更後も「グルジア」が引き続き使用されている。日本では後述のように、2015年4月から「グルジア」から「ジョージア」へ外名が変更された[42][43][4]。 「喬治亞」を使用している台湾以外の漢字文化圏では「グルジア」を音訳した「格鲁吉亚」(簡体字)が中華人民共和国の大陸部で[44]、また「格魯吉亞」(繁体字)が香港で使用されている[45]。
日本における外名の変遷
[編集]開国後の日本ではロシア帝国の被支配下に置かれていた当地についてロシア語由来の「グルジヤ」、もしくは英語の"Georgia"を音韻転写した「ジョルジア」の2通りの外名が用いられていた[47][48]。この「ジョルジア」は20世紀半ばまで用いられたが[注釈 8][49]、1956年(昭和31年)の日ソ共同宣言以降は共産圏の報道に強みを持つラヂオプレスで「グルジア」が用いられたこともあり、次第に「グルジア」が「ジョルジア」に対して多数を占めるに至った。
1991年(平成3年)のソビエト連邦の崩壊による再度の独立回復により、旧ソ連時代に用いられたロシア語は公用語とされなくなった。そして1992年(平成4年)4月に日本との国交が樹立されて以降は、モスクワを経由せず現地の情報が直に日本へ入るようになったこともあり、特に多数民族のカルトヴェリ人の間で根強い反露感情についても周知される機会が増加している[50][51]。そうした経緯から2000年代半ばより特許分野や一部のワイン輸入事業者などで自主的に「ジョージア」が使用されるようになった[54][55][56]。2008年に南オセチアの独立主張を巡ってロシアとの間で勃発した南オセチア紛争はこの流れを決定づける契機になり、国際通貨基金(IMF)でも2012年(平成24年)版の『IMFを通じた日本の技術支援活動等に関する年次報告書』では「ジョージア」を使用している[57]。
こうした情勢の変化も後押しする形で2014年(平成26年)には両国の首脳会談で日本政府に対して「グルジア」の使用取りやめおよび「ジョージア」への外名変更が正式に要請されるに至り[58]、日本では2015年(平成27年)の在外公館の名称及び位置並びに在外公館に勤務する外務公務員の給与に関する法律(在外公館設置法)の別表改正を経て同年4月22日より「ジョージア」を正式な外名とした[43][59][60]。政体の変革などを理由とする場合を別にして、日本政府が外国政府から個別関係下で行われた要請に基づき外名を変更したのは、1986年以来2例目[注釈 9]である。マスメディアでは政府による外名変更を受けて一斉に「ジョージア」への切り替えが進められたが、一部では「ジョージア(グルジア)」と以前の外名[61]もしくは現在の外名[62]を括弧書きで並記する事例も見られる。
なお「ジョージア」は2000年代以前に全く使用例が無いレトロニムではなく、早い時期では大正から昭和初期(1920年代-1930年代)当時の主流「ジョルジア」の表記ゆれと言う形で、少数ながら使用例が見られる[63][64]。
一方で「グルジア語」「グルジア文字」「グルジア料理」など「グルジア」を冠するものの名称は、本来は国家の名称とは関係ないが、政治的な都合から「ジョージア語」「ジョージア文字」「ジョージア料理」などに置き換える事例も一部に見られる[65][66][67]。また、英語で慣例化されている国と州の混同を避ける"Country of Georgia"および"State of Georgia"の呼び分けと同様に、米ジョージア州と区別を付ける目的もあり、1995年の憲法採択以降は正式名称に(「共和国」など)政体を含まないながらも「ジョージア国」とする用例が当事国の大使館を含めて確認される[68][69]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ a b "However, the cited Greek-Latin root (georg) may have played a definite role in the transformation of the oriental ethnonym Gurg/Gorg/gurg, into Georgia. The point is that in the Greek and Latin worlds...the cited ethnonym of oriental provenance has become linked to the word georgos, "agriculturist"..."[3]www
.academia .edu /11389126 /The _Designations _of _the _Georgians _and _their _Etymology - ^ ここでの「中世グルジア」とは特定の国を指すものではなく、信仰、文化、言語などで定義されている。
- ^ イタリア語の女性名「ジョルジャ」は"Giorgia"と綴られる。
- ^ ジョージア州の名前の由来はイギリス王ジョージ2世である。ジェームス・オグルソープに対して州の前身となる植民地の設立に勅許を与えたことから。
- ^ a b Sakartvelo, or land of the Georgians, as the Georgians call their country, has been inhabited by proto-Georgian peoples and their descendants since the first millenium B.C.E. The Georgians call themselves Kartvelebi, a name which recalls their mythological ancestor, Kartlos. The English term "Georgians" derives from the Persian Gorj and Arabic Korj and was misinterpreted as being derived from St. George, the country's patron saint.[32][33]
- ^ アラビア語のクルジ al-Kurj はペルシア語からの借用語である。なお、現代アラビア語では「ジョージア」系統の (ジュルジア)を用いる。
- ^ #ジョージア(ゲオルギア)の音転写は、グルジア語ではგიორგი (ギオルギ)、ロシア語ではГеоргий(ゲオルギイ)である。
- ^ 「ジョルジア」の使用は、遅い時期のものでは、読売新聞(東京本社版)1968年6月28日付8面「海外メモ」に「日本柔道チームはトビリシでジョルジア・チームと対戦」との記述が見られる。
- ^ 在外公館設置法の別表改正としては2003年以来。このときは旧称「象牙海岸」(フランス語の国名の意訳)からコートジボワールに改正。
出典
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参考文献
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関連文献
[編集]出典以外の資料 発行年順
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関連項目
[編集]- ミャンマーの国名 - 主に英語圏で旧称の「ビルマ」からの外名変更に関して論争がある。
- バック・イン・ザ・U.S.S.R. - ビートルズの楽曲。互いに無関係な2つの"Georgia"に引っ掛けたジョークが歌詞に含まれている。